第47話 雷帝の影
幾条もの雷の雨が収束し降り注がんとした刹那。
『天神器・イルダーナハ・定常駆動・構成『光神天盾』』
ほんの一瞬だけ早く神器が光輝く網のような盾をフーシェンの頭上に展開し、多重落雷の全てを逸らす。
そうして直撃を免れたとはいえ、すぐ側からの爆風と放電によってフーシェンは光盾ごと吹き飛ばされ、近くの建物の壁に叩きつけられることになった。
「……がっ……」
フーシェンは叩きつけられる際に頭を打ってしまい朦朧となっていた。しばらくは戦えまい。
「こいつは参ったな……」
すぐ側にいた臨時教官は自力で防御し無事だった。落雷程度は彼にとっては大したことはない、だが他の者にとってはきつかろう。
彼は渋い顔でユンインの幻妖に相対し、対策のため足元に対して仙力と魔力を流し込みながら、思案する。
フーシェンのほうはしばらくは動けないが、今のところ命に別状はなさそうだ。イルダーナハがある以上大丈夫だろう、あの神器はそういうことは勝手に対応できる。先程の防御展開もフーシェンの反応より速かった。
アラティヤの重体ながらなんとか生きてはいる。フォンヤァはその近くで倒れている。今は二人ともリュースの防御が間に合ったが、彼らが攻撃に巻き込まれるとさすがに厳しい。そしてかなり向こうのほうでは、闘仙とロイたちがやりあっているが、これもいつまで続くか分からない。
確かもう一人いたが……あれは手遅れだ。半分くらいは雷をちょうどあっちに逸らしたイルダーナハが悪い。
時間をかける余裕はない。例え幻妖とはいえ、目の前の男の力をリュースはよく知っていた。そしてリュースのほうは装備も今は最低限しか身につけていないし、能力の一部は島を出るにあたり封印されたままだ。
そんな状態で幻妖とはいえユンインと戦うとなると、一つ間違えば彼といえど危ない。それに長々とこいつを現界させ続けると大変なことになる。
幻妖を人工的に作り出す技は西の本国では封印された禁術だ。眩魔獣よりも低コストに強大な存在を再現できるものの、使えば使うほど近場の龍脈が刺激され冥穴の状態が悪化していく。
だからこれは、冥穴が封印されていた東方ならではの代物だ。西の島で起動したら間違いなく冥穴から色々と湧いてくるだろう。
いや……今や東方でも冥穴の脅威は無視できなくなっている。今この瞬間にもあの穴から大物が現界しているかもしれない。男爵級……いや子爵級幻魔くらいは出てきてもおかしくない。
だが、ウーダオたちでさえ冥穴のことをろくに覚えていなかったのだ。まして若い仙人たちでは元々知るよしもなかろう。当然副作用も知るまい。
そして備えもない現状では、この幻妖は手強い。仙力自体の強さ、霊鎧の強さ、魔術に対する造詣はいずれも太古の時点とはいえ世界最高レベル。そして生粋の魔人でもあるため身体能力も常人を圧倒する。
以前スンウェンが彼に活性酸素を叩きつけた時は瞬時に無効化できたが、ユンインの仙力はあれより階梯が高く、そう簡単には打ち消せない。そうなると……。
「いかに、禍津国の護法騎士とはいえ、我らが祖『黄真人』に敵う力はあるまい……」
ランドーは息をきらせながら呟く。彼にとってもここまでの宝貝の行使はかなりの負荷だ、立っているのもきつい。だが出し惜しみをしては逃げ延びることすら難しい相手だと直感が告げていた。
「……太古の祖であろうと、コレは影に過ぎない。それに宝貝も持ってはいまい」
「否。宝貝なくとも、我らが祖の力は偉大なり。刮目せよ」
そして幻妖のユンインが杖を前に降る。杖の先にメガホンのような円錐形の放電網が生じた。
ユンインは古代に崑崙を立ち上げた時点で、仙力と魔術を組み合わせた独自の方術を作り上げていた。宝貝の補助なしに通常の仙力よりも遥かに規模の大きい力を行使していたのだ。
一般に魔術の発動には、呪文に加え魔導具、呪符などの補助具が必須とされる。
だがこの世界において魔術を作り出しているシステム……魔導機構にとっては、呪文も呪符も、人類が分かりやすいように後付けで追加された簡易ユーザーインターフェースに過ぎない。
元々竜人たちが魔術のために使っていた呪文や身振りは人間の声帯や身体構造では再現できなかったため、相当に改変する必要があったのだ。
ユンインはその辺りに詳しい。そもそも彼は、かつて人類向けインターフェースの策定に携わった一人だ。実際に魔導機構に送るべき指令がどのようなものかを知悉している。
だからこんな真似もできる。今この幻妖は、【雷帝】の仙力によって雷鳴にて呪文に相当する指令を、放電にてそれを補助する魔法陣を織りなし、常識を越える速さで大規模魔術を起動させつつある。
【雷帝】は燃費の悪い仙力だが、こうすることで僅かな消費で大規模な事象改変を実現できる。リディアが先ほどやった高難度魔術の単独起動も、基礎理論は過去のユンインたちが作り上げたものだ。
『夔龍』
雷の如き音を出すという伝説の魔獣の名からとられたその技は……雷撃と、目を潰すほどの閃光と、鼓膜が痛むほどの轟音を伴う衝撃波を作り出す。
衝撃波単独でも、直前にあれば人体が血煙となって吹き飛ぶ威力がある。さらに雷撃は周辺の大気を変性させ、活性酸素をも作り出し酸素も奪う。
電操作という一つの能力から複数の効果を持つ多段攻撃を生成する、ユンインの性格がこれでもかと反映された技だ。
リュースだけなら回避や防御も可能だ。しかしそうすると後ろに倒れているアラティヤやフォンヤァは助かるまいし、下手をして向こうのロイ達のほうに飛んでも困る。
これでも魔術衰退前からすれば大幅に劣化しているからまだマシだろう。往年の威力なら、後方のロイ達どころかさらに後ろの武道場すら吹っ飛びかねない。
まあいい。この技から来るなら、やはり時ならぬ詰め将棋をやるとしよう。
「『停滞』『空圧屈折』『剣山』『電離』『波動偏束』……」
リュースもまた、己の仙力を併用して魔術起動を加速、さらに神器の演算機能も借りて、防御術を多重並列起動。衝撃波を止めるのでなく、遅らせて逸らす防御界面を作る。
土から金属を抽出して杭を多数造成する。ちょうど目の前にもいい材料があった。機甲童子の残骸も取り込むことで十分な金属量を確保。
轟音のほうは大して小さくならないうえ、停滞の効果で低音に遷移して耳だけでなく腹にも響くが、許容範囲だ。
さらに空中のイオン濃度を偏らせつつ存在確率を制御し、避雷防御陣を構築。活性酸素の影響も低減する。いずれも東方では知られていない術式であり、かつ常識を遥かに超える高速起動。
「うぐっ……」
フーシェンの呻き声。逸らした衝撃波によって、周りの木々や建物がいくつか吹っ飛んでいった、その一部が彼の上に落ちてきたせいだ。まあだいたい神器が守った。多少の流血は許容範囲内だ。
『礫炮』
避雷防御の展開を察知し、ユンインはより破壊力密度の高い物理投射攻撃を選択。
周辺にある小石が無数に浮かび上がり、一瞬でそれらが巨大魔法陣を形成し、その魔法陣にて小石自身の強度を強化しつつ磁性体に変性。
一拍後、それらは仙力にて電磁力で超加速される多連電磁射出砲の弾体となり、音を置き去りにする致命の礫雨として解き放たれた。
対するリュースは魔術によって、停滞による減速と、前方に先ほどの金属杭を骨組みとした多段の土壁を形成して礫たちの勢いを弱める。最後に対衝撃波防御に使った防御界面を調整し、やはりこれらも致命的なものだけ弾く。
減速してなお直撃すれば人体を破壊するに十分な死の雨は、リュースの周辺に小さな無数のクレーターを作り出す。漏れた衝撃波によって体のあちこちから血が滲んだ。
「……ぐあぁっ!」
防壁の隙間からフォンヤァに衝撃波がかすったようだ。吹き飛ばされ関節が逆に曲がっているがまだ生きているからこれも許容範囲内だ。たぶん。
そも普通ならこうした高強度の防御は咄嗟には間に合わない。仙力と神器を用いた高速起動に加え、技を知っていて誘導、先読みしているからこその芸当だ。
仙力や宝貝というものは魔術以上に初見殺しの要素が大きい。ユンインの仙力は規模と効果において一流のものだが、それでも分かっていれば対策は可能だ。
ましてそれが幻妖ならば、使う技は過去に使えたものにとどまる。新しい何かはない。
そしてリュースは刀を構え、力を溜めるそぶりを見せ……。
攻撃動作を認識したユンインは反撃を封じるため次の手を放つ。照準に時間がかかり、あまり動いていない相手にしか使えないものの、強力な行動支配を行う術。
『木偶』
ユンインの持つ【同調】の仙力をもとに、相手の状態を強制的に自分と同様にする技。つまり無言で立っていれば呪文の詠唱もできず、さらに仙力の状態も連動させるため、同じ仙力を持たないと反撃もできない。
身動きしなくなったリュースに、ランドーは告げる。
「今度こそさらばだ」
『消雷』
最後の一手。それは【雷帝】の仙力を元に自由電子の動きを最小に抑える技。機械だけでなく、生きているならば体内には電子の流れがある。その動きが制限されれば、あらゆる化学反応、ひいてはあらゆる細胞も機能停止し、死を免れえない。それは世の摂理。
ランドーはリュースが土壁の向こうで崩れ落ちた気配を感じとった。霊気も消える。
「終わったか……」
……如何なる手を経由しようと、コレを出すよう誘導できれば、それで詰めろであり、必死。
「………さて」
リュースの死体を確認しようとランドーが歩き出す。フーシェンとアラティヤのほうもどうなっているか確認する必要があった。
──仙力が効果を発揮しているかどうかを、正確に理解することは困難だ。それこそ、【啓示】の瞳でもない限りは、使った本人でさえ現象から判断するしかない。それが上達を難しくもしている。
もしこれが幻妖でなく、ユンイン本人であったなら。リュース相手に『木偶』や『消雷』は使わなかっただろう。実際本人が前世のリュース、真柴龍一郎と敵対した時も使うことはなかった。
特に『消雷』は必殺の技だが隙が大きい。電子を抑える力は電子を動かす他の技と相反するためか、使用前後の力の切り替わりがとても遅いのだ。そもそも、リュース相手に使うにはこれら直接干渉型の力は相性が悪すぎる。
リュースの仙力の燃費は最悪の部類だ。【雷帝】よりもさらに悪く、続けて使えば10数える間も霊力が保たないくせに効果範囲も狭い。
だがそれでも前世の彼は、魔人王アーサーの円卓において最強と評され、王の右腕と呼ばれた。それは極悪の燃費の力を、必要な一瞬、必要な場所のみに行使し節約できる天性の才と、力自体の性質のためだ。
彼の力は、意のままに【傲慢】にも世界の法を破り、理を超え、則を書き換える、根源の大罪の力。第一階梯と呼ばれる36の始原の仙力の中でも最も汎用性が高く、そうであるために使いこなし難いとされる権能。
彼はそれのエキスパートだ。その力は前世よりさらに練り上げられ、より深く世界をねじ曲げられるに至っている。その汎用性と干渉強度において彼を凌ぐ者は、当代では神座に在る魔人王その人しかいない。
ねじ曲げられた摂理は他の仙力の干渉を許さず、物性を書き換えれば鋼は紙より脆くなる。ただ一瞬だけでよい。かつて銃弾に込め業魔や赤龍の【境界】を穿ったその力を、今の彼は刃に載せ、放つ。
ランドーの側を、土壁ごしに風刃が通り抜けた。
「……え?」
消雷の行使による隙と消耗のため、見えざる刃を幻妖は防ぐことができず、一撃にして全ての凝核を破壊される。そうして太古から蘇った魔人の影は、為す術なく霧散した。
さらにそれを作り出した鏡も同時に割断された。
「なん……だと……?」
呆然とするランドーとスンウェンの前で土壁が崩れ、無事なリュースの姿が現れる。
「やはり幻妖は防御が疎かだな。本物はもっと慎重かつ狡猾だぞ? この程度の誘導と演技にはひっかからんし、前に出てくることもない」
実際、先日崑崙で会ったときもユンインは本人ではなかった。同調を使いこなすユンインは、自身でなく傀儡を使う事も多い。
「ありえん……ありえよう、はずが……」
「……くそがっ、かくなる上はっ!」
理由は理解できずとも、切り札の敗北を見たランドーは絶望と共に決断する。もう一度、萃照天睨鏡を起動する。例え自分たちを巻き込むことになろうとも、こいつはここで止めなくては!
自分が何故そこまで追い詰められているのか、自身でも分からないままに、ランドーは自爆にも繋がる技を……。
「降り注げ、天の光よっ! ……? ……な!?」
──天から地を睨む神鏡は、もはやその眼差しを失っていた。




