第43話 もし生まれ変わったなら
「【救世】の使い手なんぞと言われても、救いたい奴は救えない人生だった」
言葉の主は長く病床にあった。風貌にももはやかつての精悍さはなく、ただ眼光のみが鋭い。
人外の力を振るう者であっても、人である限り終わりは等しく訪れる。年齢だけなら、彼はまだ老け込むほどではなかったが、むしろ未だ未知も多い異能を振るい過ぎたことが、彼の命を削ったのか。
現存する科学に魔術、霊威の粋を凝らしても、日に日に消耗が進む男の病を癒すことはできなかった。その原因を見抜けたであろう啓示の瞳や観世の力持つものは、既に鬼籍に入るか、あるいは袂を分かって久しい。
「何を言うか。お前より他人を救えた者など殆どいないだろうに、皆の立つ瀬がないぞ、フレディ」
お互いに闘いに明け暮れた人生だった。フォースノア宇宙軍の兵として、ジーディアンの戦士として、ファスファラスの円卓として、戦った戦場も、喪った友も、倒した敵も数知れず。
「足りんものは足りん。肝心の時にオレの力は足りなかった、届かなかった、間に合わなかった。ティナ姉と娘も、アーサー兄貴も、プラナスも……」
「喪ったものを数えるな、向こうに引きずられるぞ」
「ふん、今更惜しむような身でもない、もう長くないのは自分でも分かっている」
「何を言いやがる、もうすぐ孫もできるんだろうが、もう少し気合いいれて生きろ」
「いやいや。自分の事は自分が一番分かってるさ……だが、ティナ姉の娘については、少し気になることはある」
「なんだ?」
「まだ方舟が墜ちる前のことだ。アーサー兄貴がな、言ったんだよ。ティナ姉の娘のことを。いずれ、オレと同じ力のやつが現れて、そいつがあの娘を救うと」
「【啓示】か。しかし……どういうことだ? 教授とあの娘は死んだんじゃないのか?」
「わかんねえよ、だが兄貴の目が間違えるってこともないだろう。だから何かあるのかもしれない、時を超えたり、死を蘇らせたり、生まれ変わったり、そんな風な何かが」
「無いとは言えんが……霊威はまだわからんことも多いしな」
「オレと同じ霊威の持ち主ってんなら、魂が相似しているってことだろ、そりゃまあ生まれ変わりみたいなものだ。オレがやり残したことは、そいつに任せるとする」
「俺に言っても仕方あるまい、案外貴様より先にぽっくり逝きかねん身だ。それより子や孫どもにでも言付けていれば、そのうち現れるかもしれんぞ」
「いやこれは俺の勘だが、お前は長く『生きる』ぜ、俺達の誰よりも」
「何だそれは。俺にそんな力はない。アーサー兄みたいなことを言うなよ」
「ははは、まあ、死にかけの戯言だ、聞き流せ、龍一郎。そうだな……」
聞き流すにしては、男の眼差しは真剣にすぎた。あるいは、彼らが兄と慕った者同様に見えざるものを視たか。かつての男であれば、ある状況においては可能だったことだ。
「……もしも生まれ変わりなんぞがあるのなら、その時は、自分に縁あることは他人任せにはせんさ、そのほうが納得できる」
それがこの二人が交わした最後の会話となった。
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周辺が夜に覆われる中、そこだけは天より凄まじい熱量が照射され鮮やかに火柱が上がる。帝国の仙力使いたち、禍津国の手の者、そして畿内と西方軍の重鎮たちがいる武道場が燃え上がり、溶け崩れていく。
燃える。溶ける。沸騰し、蒸発し、巨大な茸にも似た豪煙が吹き出す。しばらくすると武道場のあった一帯は、燃え尽きた黒炭と灼熱の沸騰する溶岩とで埋め尽くされ、蒸気が吹き上がり、建物の形も残らなかった。
その事を確認してランドーは宝貝を待機状態にし、空は青さを取り戻す。しばらくしてランドーに加えフェイロン、スンウェン、そしてぼうっとした状態の西方軍兵士、ウージュンが溶岩池のほとりに姿を現した。
突然学校内に出現した地獄に周囲が騒然となり始めたが、まだ何が起こったのか分かっていないようで、悲鳴や怒号が木霊して混乱の有り様をしめす。近くの詰所からまとまった兵などが来るにはまだ時間がかかりそうだ。
「……こんな規模で使ったのは初めてだが、これほどとはな」
「これを帝城に使ったらそれだけで戦が終わりかねんな、どうして今まで使わなかったのか不思議なほどだ」
「泥沼の、殺し合いが、したいわけでは、なかったからな」
「仕方ない。みだりに使うものではないと言われてはいたが……西方方面軍の者たちまで仙力を使いこなすようになれば我々はジリ貧だ。これで後戻りはできんが、少なくとも帝国の仙力の整備は大幅に遅らせることが……」
「!! ……ランドー!!」
「!?」
燃え尽き溶岩の湖となって熱気と蒸気を吹き上げていたはずの場所が、揺らいだ。そして。溶岩池の中心が消え、そこに武道場が再び出現した。
周囲が完全に戻ったわけではなく、武道場から離れたところはまだ溶岩池だった。しかしそれも次の瞬間放たれた広範囲の凍結の魔術によって急速に固まった。
「空間系の結界術か!?」
「復元……いや空間の入れ替えか!? どうやって……これほどの規模の仙力の気配など……仙力でなく全て魔術だというのか!? 馬鹿な」
「狼狽えるな、退くぞ、ランドー! このまま、では」
パリィンッ!
「簡単に逃がすと思ったか?」
鏡を展開しようとしたランドーだが、空中に現れた鏡は澄んだ音を立てて砕け、霧散する。
「……くそがっ」
「いささかやりすぎだ。流石にこれを見逃すほど俺は寛大じゃない」
いつの間にか臨時教官たちが仙人たちの前に立っていた。その後ろにロイとウーハンがいて、さらに万卒長、ハンセル導師らが後方から追いかけてきている。
「なぜお前らまでついてくるかね」
臨時教官の身としては、守るべき対象がついてくるのも余り歓迎できることでない。そも転移の力を持つウーハンはともかく、ロイに関していえば、彼の速さについてこれる事が異常だ。
ロイは魔人の血を引いているとしても極めて薄く、基本の肉体能力的には人間の範疇なのに、纏勁に加え既にある程度の霊操による身体強化も無意識に使いこなしつつある。この年でこの才は末恐ろしい。
「自分に縁のあることであれば、他人に任せないほうが納得いくので」
「……ああ、そうか。お前ならそういうだろうな」
やはりか、とリュースは思った。最近ふと思い出した、フレディとの最後の会話。……おそらく崑崙にいるウーダオがロイを見たならば、あいつと同じだと判断するくらいには、受け継いでいる。魂も、力も……無念も。
それが縁であり天命というものならば、今生ではうまくいってもらいたいものだが。
なおリディアは最高位の次元遷移術式と凍結術を使ったことでかなり疲労し、他の者たちと共に建物内に止まっている。
ランドーが呻く。
「あれを守りきるとは思わなかったぞ……」
「ここが本国ならそもそも撃たせなかったところだ。全く他国にいると色々と面倒くさい。さて、素直にお縄についてもらいたいところだが」
ランドーとスンウェンが顔をしかめる側で、フェイロンが笑う。
「くくく。仕方ねえ、突破するまでのことだ。やはり最初から大技なんかじゃなく自分の手からやるべきだった、そっちのほうが俺の性分に合う」
(おや?)
ロイには、フェイロンたちが急にはっきりと見えるようになった。それまではあの仙人たちであることは分かるが、どこか影が薄いように感じていたのだ。意識しないと見落とすような……。
これは仙人たちが他者の認識を阻害し、気配を薄める魔導具を身につけていたからだ。だがリュースにそれが効かなかったため、ロイたちにも認識されてしまっていたのである。
もはや隠蔽の意味がないことを理解し、その魔導具……外套型魔導具への魔力供給を解除したフェイロンは、それを脱ぎ捨て、内側に着込んでいたものの力を発動する。
「宝貝『猰貐鱗衣』」
奇怪な人面蛇身の異形の刺繍が施された衣装は宝貝でもあるらしい。ロイには、フェイロンから感じる霊気の質が変わった……ように感じられた。なんとなく高密度になったような。何らかの能力強化だろうか。
「仕方ない、こいつらを、撒かないと、先はない」
ランドーとスンウェンも同様に何かを着込んでいたようだ。
「宝貝『蜃蛤眩衣』」
「宝貝『大風鳴衣』」
それぞれ大きな貝のような意匠と、鳥のような意匠の刺繍がある衣装。これらも何かしら特殊な効果があるのだろう。そうして対峙していると追いついてきた万卒長らが吠える。
「よくも仙人どもめ……それにウージュン! なぜそこにいる!」
「…………」
ウージュンと呼ばれた兵士はぼおっとしたままで、万卒長の声にも反応しない。
「仙丹か何かでも盛られたのだろうな、操られて情報を流していたのだろう。解毒しないと話にならんぞ」
「仙丹か。そうか確かに以前にもあったな……。おのれ卑劣な仙人どもめ、貴様等が我々の邪魔をしたために、力を披露する機会を失ったではないか!」
そっちかよ!?
あなた、死にかけた事分かってます!?
……それにロイとしては、万卒長らが将軍等に力を見せつけるのが失敗したのは仙人たちのせいじゃないと思うのだが。心に棚を沢山持たないと若くして出世などできないのだろうか?
リュースがやや呆れながら言った。
「せっかく来られたのだ、力を見せたければ、ここで彼ら相手に披露していただきたい。ここは帝国でもあるし、本来私が出張るべきでもない。まずは私は別の事に力を割かせてもらう」
「なんだと見ているだけのつもりか卑怯者め。少しは手伝え!」
いやそれあなたが分かっていないだけです、とロイは思った。とっくに攻防は始まっていたのだから。
さっきからリュースは霊気の矢のようなものを次々に打ち出し、仙人たちの仙力発動を阻害していたのだ。
だからこそフェイロンの移動の力も発動していない。もし彼が自由に動けたら、今頃万卒長か導師あたりの首は胴と永別していただろう。
「むぅ……!」
対してランドーたちも負けずに霊気を練り上げ、阻害されないよう工夫を始めていた。全身の霊体を鎧とする霊鎧のようなやり方では、リュースの矢を止められないのか、前面に集中し盾状にすることで密度を上げようとしている。
そういう使い方もあるのか。やはり先達の使い方を盗むのは上達の早道だ。幼児の頃は父親から剣を学び、長じては師範から体術と纏勁を学んだが、最近は体術は師範に追いつきかけており、体格の差もあって自分で道を見つけていく必要に迫られていた。
しかし霊気の扱いは新鮮なことが多く刺激になる。まだまだ自分は強くなれると思うと、ロイの唇に笑みが浮かんだ。
……かように、強くなれるなら苦行も厭わない、むしろ嬉々として挑むあたりが、彼が知性のわりに筋肉馬鹿扱いされる理由なのだが、こればっかりは性分故仕方ない。
仙力についても、口では嫌だといいつつも日々殴られて使い方を研究しているのだから、印象を払拭出来ようはずもなかった。本人に自覚はないが。
そして万卒長ががなり立てる中(彼からは単に睨み合っているだけに見える)盾にしても単体では防げないと見た仙人たちは三人がかりで霊気の盾を多重構築するようになった。
だんだん息が合ってきて、防御が成功するようになってくる。すると……。




