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第35話 幕間 後明国の仙人

 ホウミン国の片隅、煌星帝国との暫定国境線にほど近いところに、前線で戦う仙人のために建てられた宿がある。そこの一室で、何人かの仙人たちが密談していた。


「……つまり、帝国は、本格的に、仙術を、学び始めたと、いうのか?」

「まだ人数こそ少ないが、いずれ増えるのは時間の問題かもしれん」

「禍津国の者か……一体何を考えている」

「帝国と禍津国が手を結んだとなれば崑崙(クンルン)にとって脅威。潰さなきゃならんだろ」

「だが、何故、そんな事態に、なった?」

「わからん。しかもだ、ウーダオ老師とユンイン老師からは、情報を集めるだけにとどめ手は出すなとの通達が来ている」

「理由は?」

「曰わく、帝国にて尋常ならざる龍脈の乱れあり。かの乱れは深刻にて、帝国はしばし間動けなくなるであろう。帝国が対処できねば多くの民が死することとなろうが、その恨みを崑崙が買うは上策ではない。ゆえに当面は監視にとどめ、手を出すべからず」

「民の事を理由にするなど老師らしくもないな、普段なら捨て置くであろうに」

「しかも、民が多く、死する、事態とは、どういうことだ?」

「それだが、竜が出たあとに封鎖されたタンガン峡谷にて帝国軍に死者が出たという話がある、しかも一度や二度、一人二人ではないようだ」

「それは、龍脈の、乱れと、やらの、影響か?」

「おそらくはな。何が起こっているのか……」

「やはり戻らねばわからんな」

「しかしフェイロン、手を出せば、ダーハオやギュンターには、ばれるであろう」

「ばれたところで何だというのだ? 奴らには危機感が足りない。老師たちにしても、あの方々は殆ど不死身ゆえ、我らの気持ちなどわからんだろう」

「『封神』されるのは避けねばなるまい」

「捕まらねばよい、そのためのお前の力だろう」

「……私は乗り物ではないのだがな。あとまだ老師たちの話には続きがある」

「続き?」

「帝国で仙力を高めんとする動きに対し、我らのほうもさらなる力を磨かねばならぬ、と。そのための知恵を授けるゆえ、外に出ている者も折を見て一度山に戻れとのことだ」

「あの老師たちがそんな事を言うとはますます不可解だな……山に戻ったらむしろ洗脳されかねんのではないか?」

「その可能性は否定はできんな」


 老師たちは、弟子たちに畏れられ敬われてはいても信用されてはいなかった。そのあたりは何千年にも渡る業というほかない。


「……戻るのは、時期尚早、だろう。宝貝(バオベイ)は、持ち出せたのか?」

「ああ、我らのぶんはな」


 仙人たちの使う宝貝と呼ばれる仙具は、魔術と仙力を組み合わせて造られた特殊な道具だ。仙力の効果を増幅したり、あるいは各仙力の弱点を補ったりできる。起動や操作に霊力と魔力両方が必要で仙力使いにしか扱えないものの、同規模の魔導具よりも総じて優れた性能を持っている。


 単純に優れた武器防具のほか、魔術衰退の世にあっても高位魔術に匹敵する力を繰り出せるものもあるし、中には戦術級、戦略級と呼ばれ往年の大規模儀式魔術すら凌ぐ効果を持つものすらある。


 基本的には個々の仙人ごとに調整されており、他の者では真価を引き出すのは難しいとされている。この宝貝を使いこなすことで、仙人たちは物量ある帝国軍に対して防衛戦では優位に立てていた。これは、ホウミンや崑崙は山岳が多くそもそも大軍の用兵が難しい土地柄のためでもある。


 地形を無視して侵攻できる帝国の飛竜隊もかつてほどの数はいないし、崑崙には動物を従える『獣仙』と呼ばれる者がいて飛竜を防げるせいもあった。だがランドーやフェイロンは、いずれは物量に質が加わり押し潰される未来を恐れていた。


「……先方が仙力を使いこなせるようになる前に掣肘(せいちゅう)せねばなるまいし、状況も直接調べねばならんか」


 ……本来のランドーならば、老師たちの勧告に反してまで敵陣営内部に干渉するなど虎の尾を踏むようなもの、藪蛇であると忌避したかもしれない。だが彼も含めた一部の仙人たちは、ここしばらく言いしえぬ不安に苛まれていたのだ。

 

 なまじ、霊気に対する感受性が高いために、彼らは龍脈の変動の影響を受けていた。そのため少しばかり好戦的になったり、慎重さを欠いた行動が増えていた。そしてその事に自分たちでは気がついていなかった。


 玉京館の老師たちがそれを知れば、殺戒(さっかい)に囚われおって、未熟者どもめと呆れただろう。それは結局のところ、能力の素質に比して地道な基礎修行が不十分で、外部の霊気変動に対する耐性が低いことに起因していたからだ。


 老師たちとしては秘儀は隠匿しているとはいえ、基礎は最低限教えていたつもりだった。しかし長年そこまでの霊気操作能力が必要とされる事態がなかったのだから、実用的でない部分が形骸化するのも仕方のないことであった。


 そもそも宝貝があれば仙術──霊気操作術をさほど鍛えなくとも常人を圧倒できる。魔術が衰退した昨今ならばなおさらだ。仙術の訓練は地道で根気がいるわりに、普段はさして役に立つわけでなく費用対効果に見合わない、と大半の仙人たちは考えていた。それにかまけるくらいなら、属人的な異能の使い方を磨くほうが強力だと。


「他にも同志になる者がいないか、話を回してみたらどうだ」

「さて、腰の重い者、ばかりではな。さもあらん、誰しも、嫌な未来など、見たくない。思考とは、そのように、偏るものだ」

「あと半月もすれば、ひとかどの部隊ができるやもしれん、それまでに手を出さねば」

「禍津国の、男には、借りを、返さねば、ならん。いるうちに、仕掛けたい」

「……俺もあの小僧には借りを返したいところはある」

「個人的な因縁には囚われるなよ。……狙うは禍津国の男か、もしくは七剣星、皇帝の右腕だ。そのための準備を進めよう。……しかし、あやつめ、あの後どこで油を売っているのやら」



──────────────────



「……で、フェイロン殿たちが独自に帝国に仕掛ける可能性が高いと?」

「私はそのように判断いたします」

「困ったものだな……」


 ホウミン王宮にてジャンはロベルトの持ってきた報告に嘆息した。ジャンのほうは帝都の状況についてかなり深く確度の高い情報を得ることができており、今は仕掛ける時でないとの見解を持っていた。


「帝国が仙力を磨くのは脅威ではあるが、竜や人狼などがゴロゴロでてくる魔境が東方にできるのも脅威。我らとしては関わるべきでない」


 これが帝国が信義ある国ならば、この件に関してはむしろ協力するとして恩を売るというのもありえるのだが……信義に関しては極めて疑わしいし、今のところその手を使う段階とも見えない。


「西方方面軍のほうの動きは?」

「現時点ではさほど。アラティヤの奴めが騒がしいようですが、いつも通りであるとも言えます」

「当面は畿内方面軍のほうに注意が必要か」


 そうしてジャンは、さらさらと黒板に文字を描き、ロベルトの後ろに控えていた者に示した。


『どうやら君の元同期たちが、色々と鍵を握りそうだな……シーチェイ君』


 元はクンルンの間者として帝都に潜り込んでいた者の一人、そして……ホウミンの隠れ『草』の一人でもあった少年に。


『そのようですねー』

『山のほうには行かないのでいいのかね?』

『少なくとも今は行くつもりはありません。僕は『映仙』様の弟子ではありますが、現在のお師様は少し精神の安定を欠いておられるように思いますー。僕自身もなんか、変なんですよねー、なんかやたらイライラするんですよ。そんなわけで今のお師様にはついていったらまずいかなと。かといって御山のほうに行くのも気が引けます』

『フェイロン殿はともかくランドー殿は、確かに彼らしからぬ軽挙であるような気がするな』

『どうせ僕がここにいることは四仙の方ならばお分かりのことと思いますし、ほとぼりがさめるまでこちらにお邪魔させていただければとー。僕でお教えできる範囲の情報はお伝えいたします』


 一度崑崙の仙人に師事するとなった場合、機密事項とされることは他人に伝えることができなくなる術をかけられる。そうした『戒律』により言葉にも文字にもできない。逆にいえば伝えられるのならそれは機密ではなく、崑崙への脅威でもないのだ。


 その他にも各仙人や見習いに密かにに刻まれた暗示はあるが……その事を知る者は、頂点の四仙だけだ。


『我らに仇なさぬなら構わん。ロベルト。宿を用意してやってくれ』

『了解いたしました』


「陛下、ひとつ奏上し忘れておりました。西の我が故国の王から、母宛に手紙と荷物が届いたのでございます」

「ほう?」

「手紙のほうは、母の消息を尋ね、久闊(きゅうかつ)(じょ)するものだったのですが、荷物のほうが……こちらでして」


 ごそごそと、大きめの手拭いのようなものを取り出す。ただ手拭いにしては上質な、反物の端材のようだった。


「なんだそれは?」

「それがよくわかりませんで。面白いものですよ、というのですが」

『仙力ある者なら分かるとのことで、帝国が集めはじめた代物である、我が国にも参考までに贈呈する、と』

『霊気の気配っぽいものがありますねー……少し貸していただいても?』


 ジャンはロベルトにうなずき、シーチェイにそれを渡しつつ喋る。


「わざわざ送ってくるからには何かあるのだろう、少し調べてみろ」

『……これ、増幅系宝貝と同様の効果があるっぽいですね……私の霊力が増えましたー、ただの布でこれは結構凄いですね。何か織り込んでるんでしょうかー』

「……そうですね。何かあるのならば、我々でも調べねばならないでしょう」

「考えねばならんことが増えたようだな……場合によっては少し、向こうと接触せねばならんか」


 どうやらホウミンとしてもさらなる仙力の研究開発から逃れられなくなるらしい、とジャンは苦々しく考えた。数年前から少しずつ進めてはいたが、充分ではない。


 将来的に帝国兵が仙力、仙術を身につけ、宝貝すらも開発していくとしたら、手をこまねいていては物量差を覆せなくなる。いつまでもクンルンが味方であるともかぎらない。


「西のラグナディアと……クンルンの方々とも話さねばならん。本日中にそれぞれ文をしたためるゆえ、準備を頼む」

「承知いたしました」


 小国なりの生き残り方を模索する必要がある。帝国が龍脈の乱れとやらへの対処に追われているうちに策を講じねばなるまい……。初老の王は、嘆息しながら次の仕事に取りかかった。

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