第29話 特別講座その壱 仙力と魔術
特別講座開始の当日。本来なら夏期休暇の終了間際の生徒たちの焦りが見られる時期のはずが、学校は物々しい雰囲気に包まれていた。フーシェン将軍を始め畿内方面軍のお偉方や、軍の仙力素質持ち……所属なども本来バラバラの兵たちが集まっていたからだ。
事情を知らない歩兵科の連中から、お前ら何かヤバい事やったのか、とか、やっぱりな……いつかやらかすと思ってたよ、強く生きろよ……みたいな視線が投げかけられる。お前らにとっても他人事ではないのだとロイとしては言いたい。だがまだ言えなかった。
とりあえず以前皇帝陛下が来ていた部屋に再び集められる。学生の側からは何とも言えない沈黙が充満していたが、それを見て上座にいたフーシェン将軍が苦笑した。
「……はは。まあ、貴様らもそんなに硬くならんでくれ」
「は、はい……」
「そも私も含め、我々も多くはここの卒業生でな。よもや、ここで再び修行や訓練のような事をする羽目になるとは思わなかったところだ。少し懐かしい思いもある」
そう言えばそうか。皇族も軍で身を立てようとすればここに通う。七剣星も先輩か……。将軍はまだ30半ばくらい、脂の乗り切った戦士の身体をしている。
皇族が七剣星に選ばれたのは政治的な意味もあるのだろうが、それをおいても、こと槍捌きにおいては帝国でも指折りの腕前と聞く。一度、指導を受けてみたいものだ。今やロイが超えるべき目標でもある。
「ただ、私が仙力に目覚めたのはここを卒業したあとのことでな。あの頃にこの力があったら良かったのにと思うこともあるとも」
「はあ……」
この際だ、ロイとしては気になるから聞いてみた。
「将軍のお力は、どのようなものなのですか?」
仙力があるという噂は聞くが、それがどのようなものかまでは下々には伝わってきていない。
「お、おい」
「構わんよ、だからそう硬くなるな。私の力は……そうだな、これだよ」
そして。将軍の前に置かれていた湯飲みがひとりでに動いて持ち上がり、将軍は手を使わずにその中の茶を飲んだ。
「ものを触らずに動かす力、ですか?」
「【念腕】と呼ばれている。まあ、見えざるもう一本の腕、だ。……いや、貴様には見えているのかな?」
リェンファのほうに顔を向ける。
「あ……はい、腕のような感じの霊気が見えます」
「その目はなかなか便利だな、私も目で認識できれば、この力ももう少し細かく制御できると思うのだが、今のところ文字通り手探りで、大したことはできなくてね。
いや……それでも湯飲みを持てるような力を出せる見えざる腕があるなら、応用範囲はかなり広いんじゃないだろうか。少なくとも密着して戦うのは危険だろう、見えない目突きや金的喰らっただけで、力としては弱くても隙ができる。
「そのため今回の講義とやらはには些か期待しているところだ、少しでも使い方が増えるなら有り難い」
さらに後学のために、どんな時に力に目覚めたのか聞きたかったが、時間が来てしまった。
「閣下、そろそろ時間でございます」
「うむ」
そうして……臨時教官とやらが監視の兵らに囲まれて部屋に入ってきた。……あの時の男女であった。本人等は見るからに疲れた雰囲気を漂わせていたけど。寝耳に水だったんだろうな、というのが何となく伝わる。
「私の名前はリュースという。君達が禍津国と呼ぶ国、ファスファラスからこの度仙力の指導のために派遣されたものだ」
「私はその助手のリディアといいます。私は仙力は使えませんが、魔術でいささか補助できることがあるかと思います」
「私はフーシェン、帝国にて星衛尉部将軍を拝命している。そしてこれらの者は、我が部下、および仙力を宿す学生たちだ。このたび貴殿からの講義を聞くために集まった者と考えていただいて構わない」
「本来私はこのような教官などをやる立場の人間ではないが、この度は本国より貴官らに、霊気を操る術を教授せよとの命を受けたため、失礼ながら、貴官らもまた、一時的に私の生徒として扱わせていただく。そのため礼を失する場面も多々出てくると思われるが、よろしいか?」
「構わない。その旨は我が陛下より伺っている」
「了解した。さて、いささか面倒な講義になるであろうことは、ご容赦願いたい。まず本日は、基礎的な知識についての説明ののち、実際にどのようなものかを見てもらうものとする。質問があれば、適宜手を挙げてもらいたい」
「承知した」
「まず、今から話す内容は、わが国においても一般に知られたことではない。こちらのリディアもそうだが、わが国にも霊威……君達の言うところの仙力の素質を持つものは、さして多いわけではないからだ」
「そうなのか?」
「そうだ。仙力に目覚めるには、幾多の偶然が必要だ。まず魂の素質が十分に高く、そして肉体の適性があり、己の魂の鋳型に即した経験を生において経ている……などの複数の要素全てを満たすことが求められる。その八割ほどは生まれつきの素質だ。これは例えば、骰子を4つか5つふって、すべてが1の目を示すくらいの偶然を要する。そうした素質がないと始まらない」
「意図的に目を揃えることは不可能だと?」
「残念ながら、それが可能な人間はいない……ふむ、いや、敢えていえば、1個ぶん程度だけは特定の目にできるよう人を作り替える技をもつ人間もいた。まあそれでもそれなりに素質と偶然が必要な点は変わらん」
「素質ある者をどうやって見いだせばよいのかね?」
「それは今回の講義の範疇にない。今回はあくまで力の使い方の説明だ。そこは君達のほうで見いだしてくれ……ただ、この講義がうまく行けば、君達は見ただけで素質に目覚めているかどうかくらいは、わかるようになるだろう」
臨時教官は肩をすくめながら続けた。
「まず、いわゆる仙力と魔術の決定的な違いは何かということをよく認識しておく必要がある。なんだと思う?」
「仙力が属人的だということかね?」
「そうだが、重要なのは何故仙力が属人的で、魔術はそうでないのか、というところだ」
「何が違うのだ?」
「まず、魔術について。魔術は使い手本人が起こしているものではない。魔術の才能とは奇跡を発生させるために、いかに素早く大量に効率よく『世界』に呼びかけられるかということ、つまりは通信の才能と言える」
「そういう解釈は初めて聞いたな……」
こういうのは帝立学院の連中なら分かるのだろうか。ただ、少なくともロイが授業で受けている魔術の原理では、自分の中の魔力を使って起こす奇跡……とされていたように思う。
「魔術において、実際に奇跡を『再現』しているのは使い手ではない。魔術の衰退とは、つまるところ奇跡の実行者に至る経路が目詰まりして細い経路が途絶え、太い経路を持つ者しか使えなくなったことだ」
「……水路が干上がって小さな川が枯れ、大きな川に面した家のものしか船に乗れなくなった、というところか?」
「概ねそのようなものだ。これに対して仙力は本人の魂が直接、奇跡の源に繋がっている。水で例えるなら、偶然自分の家の地下に水脈があって、そこに通じる井戸があるという感じだな。水脈がないと何をやっても無駄だ、井戸を掘っても何も出ない」
「魔術と違って、呼びかけるのではなく、汲み上げる、ということかね?」
「そうだな。仙力とは井戸から奇跡の原料を汲み上げることで発動する。汲み上げのために使われるのが自分の霊力だ。ただ、どんな性質の力をどれだけ汲み上げられるかは、井戸の通っている先や、井戸の数と大きさで決まってしまう。また、井戸としては全く同じ井戸であっても、汲み上げ方によっても変わってしまう。ゆえに効果も規模も属人的だ」
男は黒板にいくつかの模式図を交え説明していく。要は、何者かに呼びかけて力を発動してもらうのが魔術、自分で力の元を引っ張ってきて発動するのが仙力ということらしい。
「……さて、仙力に目覚めたものは人間であれば霊輪と我々が呼ぶものが一つ以上開く。この霊輪が先ほどの井戸だ。これが開くと、命数が跳ね上がる。霊気を高めるとは、この霊輪の開き加減や、開いている数を増やすことだ」
「どこまで増やすことができるのだ?」
「そこは不明だ。種族によっても違うと考えられている。元々の素質によって、開いた時の効果や、開きうる最大幅に最大数も違う、という風に考えてもらえればよいが、このあたりも人によって違う」
結局なんでもありと言っているようにしか思えない。
「この数をゼロから一にするのは先程言った通り至難だが、一から二、二から三、あるいは一つ一つをさらに開く、というのはそれに比べれば容易だ。今回は、基礎となる一つ目の輪をより開くことを目的とする。そうすれば己の技に霊力を乗せることができ、冥穴の魔物に対して有利になる。素質が高い者が修練を積めば、業魔を滅ぼすこともできるかもしれん」
「二つ目以降の輪は?」
「それは今回は説明しないし、できない。そこから先はより属人的だからだ。霊輪の形は人によって違う。そして同じ力であっても、人によって意味がない場合もある」
「意味がない?」
「盲目の者に、目で見たものに干渉する力があっても使えんだろう。そういう意味のない組み合わせも普通にある」
「…………」
「命数計測では高い値なのに、なんら能力に自覚がない、というのは結構これが多い。人間の五感で認識できないものに干渉する力が宿っている。その場合自覚はなかなか難しい。自覚がなくても勝手に発動していることもあるのが面倒だが……」
「勝手に?」
「例えば我が国の一例では、見えない呪いのようなものを本人の自覚なく振りまく、という例もあってな。君達も自覚している能力だけとは限らんことは留意しておいてくれ。あとたまにあるのが、複数の素質があっても、それぞれが矛盾する効果を持つために、自己相殺してしまっている場合だ」
「自己相殺してしまうとはどういうことだ?」
「例えば、命数はとても多いのに、どうやってもちょっと物を温めるくらいしかできない者がいたとしよう。実はそういう奴は、物を冷やす力にも同時に目指めていて、同時に発動していて相殺している可能性がある」
「……それは馬鹿げているな」
ヤン教官が少し顔をしかめた。周辺を温めることしかできない【暖気】の力……もしかしたら教官そっち系ですかね?
「馬鹿らしいがありえることだ。そういうのは自覚も難しいし、他人にはさらに認識しにくい。そうなると自分で原因に気がつき、片方の止め方を自分で体得しないことにはどうしようもない。まあ、矛盾する力を生まれつき使い分けられるやつもいるが、それは天才という奴だ」
「くしゅん!」
「どうしたの、アイシャ。風邪?」
「いえ……そんなことはないと思うのですが」
「今は気をつけなさい、遅らせるのをやめたのでしょう?」
「むしろ進めて早く終わらせたくなってきました……うう……」
「胎児に早めるほうは駄目よ、動物実験で奇形になった記録があるわ」
「分かっていますが、どうも吐き気が酷くて……」
山脈の向こうの国の、矛盾する時の力を複数操る天才王太子妃は、その頃悪阻に苦しんでいた。
あけましておめでとうございます
体調があまりよくない日々ですが、ぼちぼち更新していければと思います




