第27話 白い煙の怪異
禍津国の使者によってタンガン峡谷に潜む魔性の存在が伝えられてからも、しばらくはロイ達のほうには大きな変化はなかった。
正確には、当面仙霊科関係者は学校に待機せよ、という、本来夏季休暇の後半を満喫するはずの他の学生たちにとっては寝耳に水の変更があったのだが、ロイ達にとっては予定通りだったので影響なかったのだ。
ただ5日ほど過ぎても、その後上のほうからは何も音沙汰がないのは、上のほうでもどう対応すべきかで困っているのであろうと思われた。あの場で語られ見聞きしたことは色々ありすぎて、ロイ達としても飲み込むのに時間がかかっている。
強いていえば変わったといえば、このような事態とあっては仙霊科の者は一期、二期問わず一蓮托生であろうとのことで、仙霊科の専門教官であるシュイ教官、ヤン教官らや、一期生のガオ先輩らが音頭をとり、仙霊科としての情報共有をはかる場を、当面毎夕に設けることになったくらいだ。
情報共有といっても要はとりあえず、こうなった経緯を知りたいということ。それでニンフィアのこと、仙人のこと、禍津国の男のこと……それらを教官らから許された範囲である程度周知した。
いろいろとびっくりされるなり、呆れられるなりもあったが、どうせ皆異端児の集団である。……なぜそっちにばかり女の子がという甲科先輩らの嫉妬の気配はこの際無視するとして、ニンフィア個人の事情にはそれほど踏み込まず、議題は、仙力のこと、そしていざ魔性らと戦うとなったらどうなるのか、ということに移って数日。まだ結論らしいものは出ていない。
甲科はまだしも乙科の者の能力は、有用だったり危険であったりはするが、直接戦闘に使えるものではない。かの魔性には仙力や神器などでないと攻撃が通じないとは言っていたが、非戦闘向けの力は関係あるのかどうか、そこが判然としなかった。
乙分類でもまだリェンファの力なら情報面を補強してくれるわけだし、敵味方の戦況把握や弱点看破できる可能性があるなら戦闘に有用といえるが、他の者のは今のところ分かっている範囲では少々厳しい。
例えば乙科のもう一人の女性であるシンイーの力。それは【解錠】と呼ばれている。つまり鍵開け。鍵であれば強固な魔術的封印鍵なども開けられることが多く、誰もが危険と認める力だが、戦闘の役には立たないだろう。まして魔物が相手なら。
あるいは対人で、鎧や武器を留めている紐やボタンなどを鍵と見なして解錠、つまりバラバラにできないのか? と思うのだが、何故か殆どはできないそうだ。どうやらもともと『扉』や『錠』と認識されているものにしか効かないらしい。
まあ、彼女はどちらかというと、女性ながらロイに近い、頭脳より筋肉で何とかする方向の人物であるので……うん。霊的素質と肉体的、性格的素質の不一致というやつだ。鍵開けなんて盗賊や間諜向けの能力なのに、どう見ても前線の戦士の体と性格をしている。普通の状況なら戦力ではあるだろうが……。
他の乙科の男たちも……例えばピレリという学生の力は【複写】。絵や文字を、別の紙や物体の表面に複写して描く力で、これも有用な力だ。なんせ魔術による単純な複写と違って、彼のそれは魔術的な要素まで複写できるのだ。つまり高位の魔術回路や呪符の量産を現場で可能にする力であり、戦略的な意味は極めて高い。
だが戦闘の役に立つかというと……何せ呪符一枚の大きさくらいのものを複写するのに、30トール(15分相当)ほど掛かってしまうのだ、そのためとっさに絵を複写して相手を幻惑とか、魔法陣を描いて……などはできない。よって兵站部門向けの能力である。
乙科はそんな感じの後方支援向けか、仙力が戦闘力に直結しない人員だ。甲科や教官らのほうはどうか。一期生は、ガオ先輩の【爆破】を筆頭に、【軽重】【潤滑】【蛇眼】【震動】【反射】などの力を持っている。
ラー先輩の【軽重】は割と分かりやすく強い。手で触った無生物の体感重量を変えられる。馬鹿でかい鉄塊のようなを偃月刀を軽々と操り、相手に叩きつける瞬間に重くするその一撃は、今の弱体化した魔術ではまず防げないものだ。
ハーマン先輩の【潤滑】は、矢や刃を盾でほぼ完全に滑らせて弾いたりできる力だ。魔術にもある『矢滑り』の強化版で、相手を滑って転ばせたりもできるなど応用範囲も広く、使える力である。
アレジ先輩の【蛇眼】は温度や生命力を目で見る力。仙力によるこれは魔術による隠蔽が通じないうえ、しかも魔術やリェンファの目と違って殆ど疲れずほぼ常時起動できるのが強みだ。また、先輩はさらに触ったものを震わせる【震動】も持っていて、打撃や棍の技にのせてくる。特に頭部や腹部にこれが乗った打撃をもらうと、かすっただけでも結構効く。
リー先輩の【反射】は、なんでも反射する鏡を作る力。この鏡は光、打撃、魔術、矢など、あらゆるものを跳ね返す無敵の盾であり、同時に最硬の打撃武器だ。問題は、せいぜい人の頭大の大きさしか作れず、維持時間も数ディン(数秒)と短いこと。あと、手から離れた瞬間鏡が消えるのも辛い。
それぞれ戦闘向きの力ではあるが……どれもこれも、規模としては大きくない。それに業魔とやらは、魂へ攻撃しないと倒しきれないというが、これらは今のところ魂とやらに効きそうには思えない。そもそも魂って、どうやって認識すればいいのか?
教官らはどうか。シュイ教官やヤン教官らも仙力持ちだが、彼らの仙力は規模も効果も実用的ではない。それでも士官学校の教員資格持ちに仙力を持っている人がこの二人だけだったので、仙霊科を受け持っている。
それぞれ、【変色】【暖気】という力で、前者は触れたものの色を一時的に変える力、後者は周りの空間の温度を少しだけ上げる力だ。……うん、有用かもしれないが戦闘には向いていない。
どれもやはり、仮に【穿孔】と名付けられたニンフィアの力の威力と規模には到底及ばない。(なおこの名称は、本人的にはちょっと実態と違うようだけれど、うまく言葉で説明できないようだ)
そう、彼女の力は規格外だ。そして深刻なのは、その彼女の力でさえ、あの魔性は倒しきれなかったということ。そんなものにどう立ち向かえばいいのか……あのロイに近い力を使っていた男が、魔性に痛打を与えバラバラにしたときに何をやっていたか。そしてそれでも全てを倒し切れたわけではないとしたら、何が問題だったのか。そこを理解しないと、結局勝ちきれないで終わる。
議論が煮詰まってきて、今日もそろそろお開きかと思ったころに、ヤン教官が入ってきた。
「……皆、集まっているようだな」
「はい」
こういうとき、基本的にはまずガオ先輩から受け答えが始まる。これは彼が仙霊科生で一番実家の身分が高い(群公爵……他国の侯爵相当)からだ。
「何かありましたか」
「……うむ。いくつかある。これから話すのでよく聞いてもらいたい。後日纏めたものは配布するが、必要であらば記録したまえ」
ヤン教官は手帳を取り出し、それを見ながら説明を始めた。
「まず、ダンガン峡谷は、先日から星衛尉部によって完全に封鎖されているが、新たに本来あの地域にはいないはずの魔物が発生した。今度は最初は竜人であったという」
「竜人……南の大陸に棲むという、蜥蜴モドキのことですね?」
「そうだな、直立する小さい竜という姿だが、
ただの魔物ではない。南の大陸にいる連中は、知恵と言葉を操り、対話もできるという。ただ人間には原則的に敵対的だ。古代にはこのあたりにもいたが、人族との戦いに敗れ南に逃げたと言われていて、その頃からの因縁らしい」
「リュージン……Dragonewt……」
ニンフィアが何かつぶやいている。もしかして、彼女は古代に実物を見たことがあるのだろうか?
「今回現れた竜人は言葉は話さず、現れた直後から襲いかかってきたそうだ。『石槍』や『脱水』などの魔術すら操ったという、そして……」
教官がいったん言葉を飲み込む。
「倒すと、白い煙に変化したとのことだ」
「白い煙?」
「そうだ。さらに……白い煙が、別の魔物に変わったのだと。……人狼に、だ」
「変わった?」
「……人狼?」
「そうだ、竜人が直立する小型の竜なら、人狼は直立する大型の狼。凄まじい力と速さを併せ持つ魔物で、竜人と同じく今はこのあたりにいないとされる魔物だ。その人狼との戦いで、三人の犠牲者が出た」
「「…………」」
「犠牲を出しながらも人狼を倒すと、また白い煙に戻ったが、そこで部隊にいた魔導師が衝撃波を起こす『衝破』の魔術を使ったところ、煙はかなり薄まり、山のほうに逃げていったというのだ」
「倒せなかったのですか」
「そうだ……先日禍津国の使いを名乗る者が陛下に何かを渡していたのを覚えているだろう。それに、その白煙の怪異について書かれていたらしい。それが迷い出てくる龍脈の穴とやらが、タンガン峡谷にあるのだと」
白い煙のような怪異……か。そういえば、ルンガ道場で師匠が何か言っていたような気がするが……。
……なおこのときロイは知るよしも無かったが、既に帝都には数体の怪異が迷い込んできたことがあり、それを目撃したものや、いくらかの被害者が発生していた。そしてさ迷っていた怪異を禍津国の男が切り捨てたりしていたのだった。彼らが思っているよりも早く、事態は進行しつつあった。
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