表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
221/222

第221話 幕間 紅刃の追憶

※しばらくはちょこちょこ敵側や七剣星側視点になります。今回は時系列が少し前に戻ります


「鬼王殿はだいぶ派手にやっておられるようだ」

「凄いとしか言えません……」


 『紅刃』フォンと『白皙小姐』フィッダは、幻妖勢の中ほどから前線で発生した異常事態を観察していた。


 ……本来帝国兵らは強い。時折農夫らしき者が混じっていたにせよ、大半は十分に鍛えられた専業の兵だ。そして兵卒でもフォンの時代の騎士の多くより訓練されているのが伺える。


 もちろん魔術に関しては衰退前である当時のほうが上だ。だが、武技の練度と、軍という集団としての規律が雲泥の差なのだ。


 そもそも、軍と、戦と、国のあり方自体が、昔と現代とでは全く違う。当時は戦とは騎士とその従士が主力であり、歩兵はあくまで騎士たちを補助する存在だった。


 そしてその騎士たちと言えば、本人や馬に魔術による全身強化をかけて突撃する戦法が主流で、武技そのものは雑だった。


 これは魔術に優れた騎士や士大夫(したいふ)階級では剣や槍の訓練は時間の無駄とする風潮があったからだ。


 別に戦いを軽んじているとか、血を(けが)れと忌避するとかではない。強いていえば、当時なりの効率追求主義がはびこっていたせいである。


 というのも、多少槍(さば)きを磨いたところで、大出力魔術や全身強化術の前には話にならないので。


 当時の全身強化術は、ただの人間に(ヒグマ)に殴り勝てるほどの戦闘力を与えた。そのうえで攻撃や防御の魔術を使う事もできる。強化術を使う者には強力な攻撃魔術か、もしくは同じく強化術で対抗すべきであり、高度な魔術無しでは戦いの土俵にも立てない。


 魔術がなくとも剣技を極めれば受け流せる? 素肌や鎧の隙間を狙えば勝てる? 防御に徹して魔術が切れる瞬間まで粘ればよい? あるいは隙を見て暗器を使えば……?


 ……どれも絵空事だ。


 剣は受けた瞬間に折れるか曲がる。鎧や盾はかすっただけで欠ける。素肌に当ててもせいぜい薄皮一枚しか切れない。そして相手は自分の数倍速く、手数も間合いも上。知覚力や時間感覚さえ違う。


 それでも、摂理を覆すほどの神域の達人なら技の冴えのみで勝てるのかもしれない。だがそんな剣の(ひじり)が、どれほどいるというのか。五十年に一人か? 百年に一人? あるいは千年待っても現れないかもしれぬ。


 少なくとも、現れたならそれだけで伝説に残るほどの者であろう。普通ではありえない。武技を鍛えた兵を十人用意しても、強化術を覚えたばかりの駆け出しの騎士一人に負ける。現実は非情だった。


 そんな有り様なのに武技に頼るのは……頼らざるをえないのは、魔術を学べぬ無学者か、全身強化術を扱いかねる低魔力の者──当時は貧魔(マギレス)と呼ばれていた──ということになる。


 貧魔はだいたい人口の六割くらいだったか。火おこしや浄化などの簡単な魔術なら貧魔でも使えるので、平民や文官であれば問題なかったが、武門の貴族や騎士では、貧魔であることは認められなかった。貴族が貧魔に生まれた子を寺に送ったり、養子に出すのは珍しくなかった。


 貧魔でも戦う力を求める者には、纏勁術と呼ばれる弱い部位強化術を使う者もいたが、これは苦肉の策であり、全身に一括でかける強化術とは比べものにならない。


 腕だけ、足だけ強化してもバランスが悪くて攻防共に中途半端であり、強化できる限度も低い。下手に特定部位だけを超強化すると、強化されていない他の所に負荷が集中するからだ。拳を硬くすれば肘が、腕を強化すれば肩が壊れやすくなる。


 ……何故かあの鬼王殿は、凶悪な部分強化を連続起動する奇妙な闘法を使っているようだが……あんなものは鬼種の強靭な肉体だから出来ることだろう、人間が真似ようとするとすぐに関節が砕けて終わりだ。


 記録上は、貧魔でありながら並の騎士や魔導師より強かったとされる戦士も皆無ではない。だが逆に言えば、歴史書に特筆される程度に稀な話である。


 結局、手持ち武器の武技など、纏勁術を併用したところで全身強化された騎士にはほぼ通用しない。そうした状況のため、当時は武技など武「芸」に過ぎぬ、という者すらいた。


 何を馬鹿な。全身強化術を使ったうえで、さらに武技を使えばよいではないか? そうなれば鬼種に金棒、虎に翼であろうに……と言いたくなるが、事はそう簡単ではない。


 強化術がかかった状態では力、速さ、視界、重心の在り方、弱点、全てが術の具合で変わってしまう。そのため素の武技の大半は、全身強化状態では思うように使えない。


 強化状態で武技を使いたいなら、強化状態で修練を積む必要がある。しかしこれは、魔力や時間の制限などもあり、難易度がかなり高い。


 そもそも強化術自体、強化度合いに揺らぎがあり安定しない。感覚は起動の度に異なるものになる。そのため強化しながらの武技の会得には、素の修練とは桁違いの時間がかかる。


 では素の武技のほうだけでも身につければどうなるか。その場合、強化状態での身体感覚との齟齬(そご)が拡大し、却って隙が生じやすくなる、という見解が主流であった。そこを両立できるのは本当にごく一握りの天才のみ。


 そんな天才も世代に一人か二人いるかどうか。ならば、そんなものは当てにすべきではない。


 そのため前衛であっても技より単純に体力を鍛えるのが優先された。体力と魔力は相関があり強化術の持続時間に影響するし、強化の反動に耐えるためにも筋肉は大事だ。それさえあれば、動きが少々雑でも強化していない者に負ける事はない。


 敢えて剣技や槍技を学ぶとしても、短時間でものにできる直線的な動きのごく単純なものか、あるいは初見殺し的なものをいくつかだけ。


 戦場で同じ敵に何度も会うことなど滅多にないから、初見殺しをいくつか会得しておけば後は力任せのほうが汎用的に強い、と考えられていた。


 七英傑の仲間であるレクラークにもそんな所があった。奴の場合は特に瞬発力に優れ、殆どの敵を不意打ちや速攻で仕留めていたが……少年との戦いを見るに、守りの技は磨いていなかったのだろう。


 ……いやしくも騎士、貴族ならば凋氷(ちょうひょう)画脂(がし)が如きをやるべきでない、と技の鍛錬を侮蔑する雰囲気には、色々と苦しめられた。幼い頃から剣や槍を好んだフォンは散々父から(さと)されたり臣下から(いさ)められたものだ。


 ──そなたは既に十分な技を身に着けておる。戦場でそのように剣が役に立つことはない。これ以上は、会得に時間を浪費するぶん、むしろ害悪である。正しき知恵ある王族貴族の為すべきは別にある──


 そして正しい知恵とは何かと言えば、貴族としての教養、領主としての勉強は当然として……戦闘に関するものとしては、移動のための馬術、魔術の高速起動の訓練と、加速状態で体幹を維持する筋肉とバランス感覚を身に付けること。つまりは基礎だ。


 弓術や投石術も相手が魔術の使い手や魔導具持ちだと『矢避け』のためほぼ当たらないので、優先度は低い。これも雑兵同士でやり合うためのものであり、士大夫がやるべきことでは無い……。


 確かにそうした考えにも一理はあろう。基礎が重要な事にも異論はない。だが、そこで止まるのは、武骨すぎるではないか? 


 素の剣や槍の技が、騎士とそこらの破落戸(ごろつき)とで大して変わらない……下手すると魔力が低い貧魔のほうが魔術無しに慣れていて、騎士のほうが(つたな)く見える事も。


 もちろん完全な素人よりは騎士のほうが上手い。だが、何というか、キレがない。結局のところ当時の武門の貴族や騎士とは、ほぼ例外なく動きの固い筋肉ダルマだったのだから。


 ……これは余りに優雅でない。


 そう思ったフォンは何かにつけて剣の鍛錬をやめなかった。最終的には素の状態でも、強化状態でも、そこそこに使えるようになった自負はある。


 そのせいで国にいた頃は、長じた後も時折、あの刃狂いの王子が……などと陰口を叩かれたものだが……。


 あの鬼王を見るがいい。圧倒的な魔力と仙力、そして(かい)()なる肉体を持っていてなお満足せず、さらに精妙なる拳技を極めているではないか。素の状態、強化状態、どちらでも凄まじい。


 たびたび戦場に立つ人生を送るからには、そうした極みを目指してもいいではないか?


 確かに、其処(そこ)に至るには人の生は短すぎるというのも分かる。効率の悪いやり方など(はな)から切り捨てるべきという当時の貴族の常識も、理解はできる。フォンが個人的に納得できなかっただけで。


 だが、こうして魔術の衰えた世となれば素の技の練度が物を言う。帝国軍は騎士や兵卒を問わずかなり訓練された動きをしている。そして魔術を使う前衛は少ない。


 聞けば世の人の七割は魔術が使えなくなり、以前なら誰でも使えた最低限の部位強化すら使える者は少なくなったという。どうやらかつて貧魔だった者は魔力無しになり、普通程度の者が貧魔になった、ということらしい。


 以前の騎士の常識だった全身強化術となると、できるものは百人に一人もいないほどに減っているという。


 そこまで魔術を使えない者ばかりなら、武術をもって補うのは自然だし、弓や砲という武装も有用だろう。貴重な魔導師は前衛でなく後衛に置いて守り、射程の長い攻撃術を使わせるというのも合理的だ。


 ただ……わずかながら、前衛にて全身強化術相当の術を使う騎士もいた。さらにその全員が、明らかに相応の武術を身につけていた。フォンの生前の騎士達のような、雑な動きではない。


 あのロイという少年も高度な身体強化と素晴らしい武術を兼ね備えていた。彼の場合はそれこそごく一握りの天才なのであろうし、魔術でなく仙力によるものだからかもしれないが。


 もしかしたらここ数百年で、色々と常識や訓練方法も変わったのかもしれない……もしそうなら残念なことだ。自分のような者は、今の時代に産まれたほうが良かったのかもしれぬ。


 兵についても昔とは違う。昔は常備兵を持つ国など殆どなかった。フォンの母国を含め大半の国では、兵の殆どは普段は別の仕事をしており、戦となれば徴用される者たちで、実力や士気のバラツキが酷かった。ゆえに一糸乱れぬ行軍など夢のまた夢。。


 軍も、戦の度に各貴族家や豪族ごとに今回は何人出せ、という感じで招集され、戦場では各家ごとに固まることになるわけだが……この各家軍は、時折独自判断で突出したり逃げ出りたりするし、さらには裏切ったり略奪したりと忙しい。


 はっきりいって、指揮しようにも思い通りには動くことはない。烏合の衆という言葉があるが、まさにそれが基本の状態。


 国というものも現代より遥かに緩く、王家の権力も低かった。王命も状況次第で無視されること多数。国境もあってないようなもので、豪族の中には季節で仕える主を変える者までいた。


 そして一方、現代の帝国軍は、将帥らが兵の普段の訓練や編成にまで関与しているらしく、麾下(きか)の軍に意図通りに命令を伝達、実行できる仕組みだという。戦術も本人だけでなく参謀らに(はか)って検討でき、将が一人二人倒れようともすぐに代わりを用意できるようだ。


 騎士はもちろん、雑兵であっても軍紀を守り、役割を分担し、弱点を補い、強みを生かす術を知っている。何より兵糧に不安のない補給体制がある。


 当初は実戦経験不足のような動きも散見されたが、ここ数日で急速に対応できつつあり、侮れない。これが常備兵の力なのだろう。


 フォンの生前、中央山脈から東の地域に国を名乗る集団は多く、大小合わせて百ほどはあっただろうか。そのような群雄割拠の地を統一するなど夢物語の類であった。


 時折優れた王が現れ数国を併合するのは珍しくなかったが、そうして膨れ上がった国はだいたい三代保たず崩壊して滅びる。その繰り返し。


 その壁を乗り越え、これほど統率された兵を何十万と用意できるなら、大陸東方を統一した、というのも納得がいく。



 しかし今、その優秀な兵士らが……何もできずに物凄い勢いで死んでいっていた。



 羅刹王の前では、いかなる兵も人形も同然であった。それもまるで(ゼリー)でできているかのような脆さで、次々に破裂して死んでいく。


 人々が絶叫と共に血と臓物を大地にぶち撒け骸花と化していく様は、正直言って悪鬼と化したこの身から見てさえ、同情を禁じ得ない。


 それにしても羅刹王のなんたる強さか。生前の自分があそこにいたとしてもあの兵らと大差あるまい。せいぜい花となる前に一太刀浴びせる事ができるかどうか。


 あれで本来の神力はなく、しかも肉体も老いた頃の再現で全盛期にはほど遠いというのだから、元はどれほどの化物であったのか。


「戦線を押し上げて壁の近くに陣取る、という話でしたが……陣取るどころか壊滅させそうですね」


 ナクシャトラの策では、今夜、隕石が落ちるその時までにあの長城の壁あたりに、仕掛けを仕込んだ幻妖たちを配置する。


 そして長城の仕組みを利用して帝都に痛撃を与える……となっていたが。このままではその前に普通に敵が敗走しそうで……。


「……ふむ?」


 いや……どうやら帝国軍も無策でやられるばかりではなさそうだ。


「どうしました?」

「なに、こいつがな」


 赤霄(セキショウ)剣が、細かくカタカタと震えていた。


「それは」

「昨日もあの少年に会う少し前にこうなっていた。この剣は主の危機を教える……我が王家にはそう伝わっていた。実際に教えてくれたことは、父や祖父の代にも無かったそうだが……どうやら、生前の私含め、真の主に至っていなかったのだろうな」


 思えば屍鬼と戦うべく集まった百を超える英傑たちには、現役の貴族や騎士は殆どおらず、己の名を知らしめ一旗あげようという在野の連中が多かった。

 

 彼らは十分な魔力を持ちながらも貴族の常識に染まっていない感じで、強化状態でもある程度武技を使える者がそれなりにいた。もう少し、彼らの技を学ぶべきだったと今更に思う。そうすれば、生前にこの剣を使いこなす所まで行けたかもしれない。


「真の主、ですか……私のこれもそうなのですかね」


 そういってフィッダは杖を握る。アクスレーピオス、彼女の実家に伝わっていた王器で、強力な治癒術をはじめ、多彩な補助能力を持つ代物だが……使いこなせているのか、と言われると、正直なところ分からない。


 この王器は通常時は杖状でなく白い球体だ。ある程度認められ主となれば杖の状態にでき、励起駆動による広範囲回復などもできるようになる。ではそれが真の力かと言われると、足りない気がする。


 地王器である夫の剣と異なりこれは天王器、つまり聖霊が宿っているが、フィッダは生前も、幻妖となってからも、会話らしい会話をしたことがない。


 アスクレーピオスに念じれば、やってほしい事に対し『承知(エンダクシ)』や『不可(アドゥナト)』程度は反応する。最初からそうだった。しかし会話とは言い難い。向こうから話してきたこともない。


 しかし生前、他の天王器使いと話した記憶によれば、使いこなすにつれ聖霊が話す内容は増えていくものだという。そうするうちに、王器が使える能力も増えていく。

  

 ナクシャトラの瞳などは本人から離れて自立行動しているし、片言ながら他人に分かる会話もする。神器聖霊ともなれば下手な人間より流暢と聞く。


 ……アスクレーピオスにそんな気配はない。使える術も昔教えてくれたものから変化はない。


 こちらが危機になると自動的に回復や防御の術を用意してはくれるが、必ずしもこちらの期待通りではない。むしろ勝手に色々やっていて、事後報告もない。生前を超えた存在になってもまだ完全には認めてくれていない、そんな気がする。


 幻妖として自分と共に再現されたこれは本物でなく偽物であるはずだが、偽物であってもこだわりがあるものらしい。天王器とはそういうものなのか。


「天器は地器に比べ気難しいと聞く。この剣ほど素直ではないのかもな。まあいい。どうやら、手強い敵が近くにいるらしい」

「昨日のあの子ではなく?」

「はっきりとは分からんが、どうも違うようだ」


 周りの幻妖たちに、近づいてくる生者あらば教えるよう伝える。


「……わかり……ました……」

「……Gurrrrrr……」


 帝国兵姿の幻妖が3名ほどと、狼型の幻妖が1体指示に従い警戒に入ったが、皆どこか虚ろだった。


 通常の幻妖は上位幻妖であるフォンたちの命令をある程度きいてくれる。人間の幻妖だけでなく、一見言葉が通じそうにない魔物の幻妖も、簡単な指示には従う。

 

 ただ、魔物はともかく、人間の幻妖であっても、前線付近の者たちはだんだん会話がぎこちなくなりつつある。


 殺されすぎたのかもしれない。幻妖が死と再生を繰り返すと、やがて、幻妖としての存在規模が落ちてきて複写精度が劣化していく。


 そうなると知性も低下する。話す言葉が減っていき、魔術や武術も忘れていって、ついには無言で生者を襲うだけの壊れた魔導人形(ゴーレム)の如くになるらしい。どうやら前線付近の幻妖にはその段階のものが増えつつあるようだ


 幻妖が内包する龍脈の霊力や存在規模は時間経過で回復するし、上位幻妖の近くにいればその速度は早くなるが、その回復を上回るペースで殺されているのだろう。やはり帝国兵は弱くない……。



 ──『永訣(ウェントス・モ)薫風ルティフェルス



「どうした?」


 フィッダが顔をしかめたのをフォンが見とがめる。


「……嫌らしい風です」

「風がどうかしたか?」

「先ほど風向きが少しかわりましたが、その風に毒が含まれています」

「ほう」


 特に異常は感じられない。……アスクレーピオスの防御術のおかげか?


「それもあります。これが勝手に防御術の構成を変更したので気が付きました」

「今の私たちにとって、毒はさほど気にする必要がないはずでは?」

「ええ、ことに風に紛れるようなものはそうですね。それでもアクスレーピオスは気になるようで」


 幻妖には殆どの毒や薬が効かない。


 そもそも毒とは何か。精神的なものは別として、人体に害あるもの、というだけなら、原理的には塩や水ですら大量に摂ればそうなる。


 ゆえに大雑把には、毒とは少量でも生命に許容範囲を超える害をもたらす物質である、と定義できよう。


 しかしだ、まず幻妖には食事が要らない。食事という行為は可能だが、成分は吸収されないのだ。だから消化吸収が前提の毒や薬は効かない。睡眠の必要もないので眠り薬も効かない。


 さらに幻妖は呼吸もしなくてよい。フォンなどはついつい生前の癖で呼吸してしまうのだが、止めたところで窒息はしない。よって息ごと吸い込んで体内に取り込むことで発動する毒や、効果が呼吸阻害系の毒も効かない。


 窒息がないので溺死もない。深い川や湖なども、金属鎧を着けたまま水底を歩いて踏破できるはずだ。試したことはないが。


 たぶんだが……今フォンの心臓が動いているのも、心臓が「生前の癖」で動いているだけではなかろうか? 心臓が剣や矢で貫かれて止まっても、凝核さえ無事なら戦闘続行できるように思う。


 一般の幻妖が心臓や頭部をやられると白煙になってしまうのは、生前を引きずった自意識が、「常識的に考えて」そうなると自分は死ぬと認識しているからではないか。


 これが正しければ、幻妖に毒が効くのは、半端に生前にとらわれた意識が「こんな毒を受けたら酷いことになる」と思い込んだ場合だろう。


 血肉や神経を直接腐食溶解させる類の毒は効きそうだが、それらはすなわち『物理攻撃』なので、元々耐性がある。


 考えてみれば、幻妖とは屍鬼(ゾンビー)の一種である。されば毒がろくに効かないのも、息をしなくていいのも当然かもしれない。幻妖の存続にとって大事なのは凝核であって、脳や内臓ではないのだ。


 ……まあ実際には元人間の幻妖なら、理屈でそうと分かっていても、首を取られたり心臓を貫かれた時点で、どうしても無意識に死を認めてしまうだろうし、河豚(フグ)附子(トリカブト)の毒を受けたと聞かされれば、多少は具合も悪くなろう。


 それこそアスクレーピオスのような力で即座に回復しない限りは。


 なお、邪神から毒に関する話を聞いた紫雲頭(ラハン)のやつは「おお、それは良い事を聞いた!」と、毒があるものの極めて美味、とされるキノコを探しにいこうとしていた。


 結局冥穴付近では見つからなかったようだが、やつは幻妖としての在り方を楽しんでいるなと思ったものだ。あの前向きな思考は見習いたい。


 幻妖に効く毒や薬もないわけではない。霊気系の要素を持つもの、要は仙人どもの作る仙丹の類なら凝核に影響を与え効くこともあるそうだが、今回のものはそうではなさそうだ。


 そうした余り効かない代物と分かっていても、アスクレーピオスとしては毒を無視できないのかもしれない。医術を得意とする王器聖霊なりの矜持だろうか。


「この風自体が、魔術による人工のもの。毒の中身は……多分、『吸滅地獄』のものに近いですね。無味無臭なれど吸い込むと体の自由を損ない、やがて死ぬこともありえます……生者なら」


 認識できない無味無臭な毒こそ、幻妖には匂いのある毒より効かないのだが……そうした特性は、まだ帝国兵らに気付かれていないのだろう。


 とにかく既に奇襲を受けているということであれば……。


「試してみるか」


 風上に向け殺気を放ってみる。正確には殺意を込めた魔力の刃……『幻斬』と呼ばれる、斬られたと認識させる幻術だ。


 ……ああ、なるほど、微かに幾人かの気配が感じられた。


 『幻斬』による痛みや死の気配に対する本能的な反応は、訓練されていてもなかなか消し難く、隠蔽術でも消えにくい。


 向こうもこちらが気付いた事に気付いたか、そちらから一瞬強い風が吹き、ついで風が止む。毒を吹き飛ばしたか。


 隠蔽術も解除され、一気に気配が増える。そして姿が見えるようになった。

 

 近くの幻妖の兵が報告する。


「……かわった……ものたち……あちら……」

「ああ、分かった」


 見えるようになったから報告されるまでもないのだが、まあ、よかろう。敵が近づいてくる。もはや隠れる気配はない。

 

 やってくるのは十人ほどの集団だ。帝国兵ではあるのだろうが、ここ数日戦ってきた兵とは装いが異なっていた。


 今も前線にいる帝国兵たちは殆どが黄色を主体にした服や防具を着けている。そうして何万もの兵の服装に統一感ある事自体が帝国の財力と規律を現している。


 一方でここに現れた者たちの服装は白と茶が主体だ。おそらくは帝都近隣ではない、他の地域から急遽呼ばれた増援か。


 見たところ一人一人の練度はかなり高い。そしてその中でも明らかに格が違う雰囲気をたたえる男が、先頭に立っている。


「ほう……」


 ……見るだけでも、この男は昨日の少年に勝るとも劣らない強敵だと分かる。


 その男が数歩前に出てフォンに告げた。


「せっかく手土産を用意させていただいたが、召し上がらなかったか」

生憎(あいにく)我らは既に亡者なれば、あのような香気は肌に合わぬのですよ」

「……なるほど。言われてみれば、既に黄泉にある方々に永訣の香が合わぬは道理であった。申し訳ない、大変遺憾である。代わりに必ず満足いただけるものを披露させていただくとしよう」


 そうして男は改めて宣言した。


「我々は煌星帝国北方方面軍第一魔甲戦隊、そして私は戦隊長の趙久遠(ジゥユェン・ヂァオ)。そこにおられるは『紅刃』フォン・スーマー殿、及び『白皙小姐』フィッダ殿とお見受けする。我らは貴殿ら幻妖なる怪異の討伐を命じられ、ここに()せ参じた。覚悟めされよ」


 男は長剣を抜き、フォンのほうに向ける。


「確かに私たちはそのように呼ばれた者達の影……されど今や生者の命を(すす)る悪鬼なり。それではヂァオ殿、覚悟はよろしいか」


「無論。我らが貴殿らを地獄に送り返して差し上げよう、安らかに眠られよ!」

「笑止。我らこそ貴公らを我らに加えてしんぜよう、未練を抱いて死の先を逝くがいい!」


 ヴンッ!


 フォンの紅刃が唸りを上げ、剣風刃を作り出す。空を飛ぶ飛竜すら真っ二つに両断する斬撃が大気を疾走し。


 ヴォンッ!!


 ヂァオの長剣も唸りを上げ、その死の風を『斬り捨てた』


「おおっ!」


『偽地王器・赤霄(セキショウ)剣・定常駆動・構成『破邪衝風』』


 紅き刃から、邪悪を滅し防御術を弱体化する破邪の波動がほとばしる。


 ──『陽炎(ムルス・)霧散ネブラ


 揺らめく熱気を帯びた奇妙な風が巻き起こり、波動を逸らし、弱める。


 白衣の敵勢は正面のヂァオを除き速やかに散開し、弱まった波動をかわす。風を追って突撃したフォンの刺突をヂァオがいなす。


 そしてフォンとヂァオが剣を撃ち合う間、フィッダ及び幻妖兵には他の白衣の兵らが対峙し……。


 ヂァオが右手で剣を振るいつつ、空いていた左手を握り込んだ。


 ブルッ!

 

「!」


 赤霄(セキショウ)剣が震え、警告を飛ばす。何だ? 何に警戒しろと?


 フォンがヂァオの左逆袈裟斬りを受け流した瞬間、魔法陣を纏うヂァオの左拳が前に出つつ、開く。


 そこから、赤く揺らめく球体が投ぜられた。


「?」


 フォンもその球体は知っている。『破烈珠』……爆発系魔術の産物で、遅延発動できる代わりに威力としては最弱クラス。全身強化状態の今のフォンには、傷一つ付けられない程度のものでしかない……。


 ──『燃素(ゲネラート・)生成フロギストン


「……!!?」


 BANG!!

  DOGANNN……!!!


 閃光。そして爆風。

 本来の『破烈珠』に数十倍する儀式魔術級の爆発が、フォンの全身に突き刺さった。



単語説明

 凋氷画脂……ちょうひょうがし

 「氷に()りて(あぶら)(えが)く」、氷に彫刻して、油に絵を描いても、どちらもしばらくすると跡形も無くなる。つまりは苦労しても後に残らず無駄である、という意味。

 写真がない昔ならではの格言かもしれんですね。今なら雪像やラテアートなども気軽に残せますし。


 素の武芸を軽視する傾向については、あくまでフォンの生前の時代の東方、それも現帝国の西半分相当の地域はそうだった、というだけで、他の地域や、そこから数百年前経った帝国建国の頃だと事情が違います。


 幻術や暗示術などでやり方を工夫し、フォンの頃よりも効率的に擬似強化状態で訓練する手法が考案されたり、ロイの先祖のシャノンの一族なんかは薬でそうした状況を作り出したり。

 そうした手法が広まって以降は、貴族や騎士でも武術を学ぶ事が奨励されるようになりました。


 そうして強化術とそこそこの武術を得た強力な騎士を主体とした軍隊が造られ、さらに専業魔導師部隊が構築される事で、東方統一が進むようになります。


 軍隊としてまとまった火力の集中運用が基本戦術になるにつれ、騎士が全身強化術を使っても部隊として動く雑兵に討ち取られるようになり、質より数、数こそ力だと、個の力を軽視する風潮に繋がっていきます。


 ロイたちの現代は魔術衰退により強化術使い自体が希少になり、効率や持続時間も大幅に低下しているものの、そうした騎士自体はまだいます。数話前にさっくり殺された王器を持った騎士たちとかもその類です。……羅刹王が強すぎたので瞬殺されましたが。


 訓練手法としては素の状態と強化状態で比較的シームレスに使えるようなものが使われています。


 あくまで比較的であって、誰でも素の状態との完璧な両立ができるかというとそうではなく、大抵はどちらかは苦手、という感じになりやすいのですが、ロイやロイ父は異常な天才であるため、その辺のギャップに苦しんでいません。




『永訣薫風』 ウェントス・モルティフェルス

 ……ラテン語で「死に誘う風」の意。ヂァオの持つとある王器による毒攻撃です。この毒は第79話で使われた『吸滅地獄』の魔術をより洗練させたもので、指定領域内に高濃度の一酸化炭素と二酸化炭素を生成し、風に乗せて標的に確実に吸い込ませます。


 フォンたちが生者であり、アスクレーピオスもなかったならば、十数秒で耐え難い頭痛と吐き気に襲われて気絶し、数分後には死んでいました。


 なお本当はこの技はVXガス系のヤバい神経毒なども生成できるのですが、その場合残留物が危険なのでヂァオは術から除いています。


『陽炎霧散』 ムルス・ネブラ

 ……ラテン語で霧の壁。光線や波動型攻撃に対する防御術。


『燃素生成』 ゲネラート・フロギストン

 ……ラテン語で「炎の源を生み出せ」の意味。フロギストンとは錬金術や初期近代科学において、燃焼という現象を説明するために仮定された炎の元になる物質です。現在のように燃焼とは酸化である、と分かったのは18世紀後半になってからのこと。割と最近ですね。


 この技はその燃素に相当する幻想物質を作り出し、炎系魔術の威力を爆増させます。王器によるこの技での燃焼は酸素を必要とせず、酸素濃度に関係なく爆発的な燃焼を実現します。


 これにより、近接戦闘中に使えるような簡単で最弱級の炎の魔術でも「今のはメラゾ◯マではない……メ◯だ……」的な威力に膨れあがります。フォンが赤い球を見たとき訝しんだのはそのせいで、本来の威力はかなり低い術なのです。

 この増幅技はヂァオが好んで使う技であり、炎の剣聖と呼ばれる理由の一つです。




 とりえあえずようやく夏が終わり小さい秋が見つける間もなく蒸発し、あの人に巡り合う事もなく冬が来て、五十肩が片方だけでなく両肩になり腰までヤバくなった昨今、皆様いかがお過ごしでしょうか……。


 気がつくと連載続けて5年、うわあ……という感じです。こんなに時間かかるとは思っておらなんだ。


 え? 本話みたいに要らんウンチクや設定語りが追加されているせいではないか? そうですね、はい……。


 そして最終回のプロットはもう4年前に書いているのに、着地点はわかっているはずなのに、展開が段々勝手に乖離していく恐怖。あれぇ?


 ……んん? プロットとは投げ捨てるもの? せめて後悔を知らず玉砕するがよい? そうかなあ……。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ