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第210話 帝国のちょっとばかりの黒歴史


本話には少々R15的な記述があります



『武統派も法統派もどっちもろくなもんじゃねえのにな。兵部省関係者は思い込みと独善の権化だし、蔵部省は下っ端でさえ身分と学歴で殴ってきて鼻持ちならん』


 そうなんだよねえ。

 あいつら、普段付き合いしたい人々じゃない。


 地方はどうか知らないが、少なくとも畿内の貴族様は、すっごく身分と学歴偏重主義で、持たざるやつを馬鹿にする。


 ……案外これ、貴族でも下級の人らが酷い。雲の上の人らより、むしろ平民に近いところにいる貴族ほど分かりやすく横柄というか。上に行くほど余裕が増えて本音の隠し方が上手くなるし、もともと下程ガツガツしてない。


 一応方面軍内部だと、元の身分より軍の階級や先任かどうかのほうが優先度高いし、階級差で対応も自動的に決まるのだが……。


 入隊直後の貴族がよくやらかす。下級貴族の新任士官が、傲慢すぎる態度で部下や叩き上げの平民士官と揉めるのは、春先の風物詩らしい。だいたいは半年かからず矯正されるし、できない人は退役になるそうだけど。


 基本的には身分、学歴、階級、なんであろうと差があれば格下を馬鹿にするのはどこも同じか。にんげんだもの。


 そして上に差別の(さく)あれば、下に区別の策あり。


 もちろん平民が学歴を得るのは難しい。一応、帝国には平民向けにも安価な学費で通える公立学校というものがある──大陸の他の国では平民向けの学校など殆どないらしいから、そこは凄いことだそうだ──が、そこでやっているのは、基本的読み書きと、最低限の足し算引き算に、帝国近隣の地理歴史くらいだ。


 歴史の内容も相当に帝国万歳で偏っているから注意はしとけよ、とは親父と母さんの弁。……例えば教科書の例って、こんな感じ?


「……『ロウシン併合』 煌星暦20年、楼円(ロウイェン)国は不遜にも帝国の要請を拒否した。同年、帝国は同国に宣戦を布告し、高祖が皇軍を率いて親征なされた。賊国軍は卑劣にも奇襲を仕掛けてくるも、皇軍は鎧袖一触にこれを撃退した。両国軍の本隊はロウイェン国首都の北、ワンリュ平原(現在のミンシン県北部ワングー平原※地図6)にて対峙、決戦となり、皇軍は賊国軍本隊に対して……』


 高祖とは初代帝国皇帝、煌輝帝フゥイシンの事。ところどころに歴史を語るにしては無駄な装飾があるが、皇族絡みの事績を語る場合はこうなるんよな。そして。


『……高祖の神算鬼謀により、包囲殲滅に成功す。愚かなる賊徒は逃るる術なく次々に斃れ、戦場は(むくろ)の散ずるところまさに屍山血河の様相とならん(中略)されど高祖は慈悲深くも自らの剣をもってロウイェン王の首を()ねられ、旧ロウイェン国を楼星(ロウシン)県として帝国に併合すると宣言なされた(中略)このように高祖は旧弊に縛られた愚物共を尽く討たれ、東方に真の平和をもたらし……」


 これ、南方のロウイェンなる国を滅ぼした時についての記述。高祖へのヨイショが結構キツいのはまあいいとして、それを除けば書いてある事は全て事実なのか? といえば、そこも微妙に違うらしいんだな。


 まず、当時勢いに乗る帝国がロウイェン国に実質的に属国化を迫った。ここまではよくあった事だ。


 煌星歴1年、つまり帝国成立時の帝国の版図は東方の三割程度。他にまだ20ほど国々があったそうで、それらを軍事征服するか、属国化してやがて吸収するかで年々減らしていくのが初期帝国史だ。

 

 なお最後まで抵抗していた焔明(イェンミン)王国が滅びて東方が統一されたのは煌星暦……何年か忘れたが、110年か120年あたりで、第7代光衍(こうえん)帝ツァンシンの御代。だから初代である高祖が東方に真の平和を、と言い張るのは複数の意味で無理があるのだが、突っ込んではいけない。


 さらにロウイェンに関していえば……死屍累々の悲劇になった理由は、だいたい高祖のせいだと思う。もちろんそのへんは教科書には載ってない。


 どういうことかというと、当時、ここの王族にはたいそう美しい、絶世と評判の年頃の姫君がいたのだ。


 もうおわかりであろう。そう、高祖はロウイェンに、この姫を人質として送ってくるように要求したのである。


 かの帝は大変お盛んな方で……うん、まあ、歴代皇帝で後宮が一番大きかったのが晩年の高祖だったという事実から察してくれ。


 しかも飽きっぽく、ほんと一夜か二夜だけみたいな相手も多数。そのくせ他人に渡すことは許さず、一度お手つきとなった女性は以後ずっと後宮から出られない、そういう人であった。


 ロウイェンは当然難色を示した。当時この姫は既に嫁ぎ先とか色々決まってたみたいで、そこに高祖が横槍をいれたせいもある。先方は他の貢物や、領土割譲を提示も、高祖はあくまで姫君を要求。


 最終的にロウイェンは、条件付けで折れることにした。過去の同様の「人質」に関し高祖がやってきた「都合の悪い事実」にそれとなく言及し、せめてそんな、事実上の妾や一夜妻でなく、正式な側妃扱いにできないか、などと条件をつけようとして……。


 何かが高祖の逆鱗に触れた。もしかしたら、本人にも多少の後ろめたさがあったのかもしれない。うっすら自覚してる問題を他人から言われると余計に怒るって人、結構いるもんな。


 かくて高祖は激怒した。必ず、かの身の程知らずの小国を滅ぼさねばならぬと決意した。高祖も政治は知っている、しかしその前に邪智暴虐の覇王である。剣をとり兵を率い諸国を蹂躙して来た。そして侮辱に対しては人一倍に敏感であった。


 煌星歴20年なら高祖は50代後半だったはず、後の歴史──60歳で譲位し、65歳で病没──からすると、もしかしたらこの頃にはかなり心身の衰えを感じ取っていたのかもしれない。だから尚更、依怙地(いこじ)になったのか。


 そして高祖自ら不埒者に分からせてやると出陣したところ、そこを狙って敵側が奇襲を仕掛けてきた。隊列が伸び切るなど油断していた皇軍は天候も悪化する中で奇襲を割とまともにくらい……オケハザマ? 知らん。


 とにかく本陣に敵襲を受け、高祖をかばって側近が死ぬ事態が発生。鎧袖一触なんかじゃなかった。


 再び激怒した高祖は本気を出し……そうして奇襲部隊はもとより、敵軍本隊も降伏を認めず、少なくとも数万、一説には十万人以上を皆殺しにした。その結果、戦場の平原の名前も変わってたりする。すなわち万緑(ワンリュ)平原から万骨(ワングー)平原に。


 文字通り万骨枯れた戦場は、歴史上高祖が為した殺戮の中でも五指に入る凄惨さで……ん? これで他に比較できるのが四指あるのがおかしい? 気にしてはいけない。


 ……高祖やその次の万照帝の御代は、帝国の拡大が速く、戦での死者も多かった。この頃に冥穴が開いてたら、幻妖も魂の回収が楽だったんじゃないかな。


 ロウイェンの王族も1人を除いて討たれた。その1人が件の姫君で、高祖が後宮にいれようとしたが、監視の目を盗んで自害して果てたという。


 なおこのロウイェン壊滅の惨状にびびったその隣国は、帝国の属国になることをさくっと受け入れ、貢物や美女を差し出し……やがて王族が帝国の貴族になって、「平和的に」帝国に吸収されたそうな。


 ……その貴族? それが、現代にはその家は残ってないってよ。割と早期に断絶したっぽい。


 戦わず降伏した国は他にもあるが、その場合でも王族が助かった例は少ない。そしていったん助かっても、いつまでも生き残れるとは限らないのだ、難しいね。


 初期帝国史ってこんな感じで「行った、勝った、奪った、殺した」話ばっかりなんだ。倫理とかクソ喰らえ、勝てばいいのだ、の時代だったとしか思えない。


 ……それが多少なりと変わったのは第三代慶隆帝以降のことだ、最終的な結果は同じでも、建前を取り繕うようになったというか。でも建前だけだから、結局外交が壊滅的なのは変わらんらしい。


 このへん、商売するには帝国各地の「本当の歴史」を少しは知っとかなきゃならん、と母さんらに教えられたけど、正直ろくでもないわー。


 高祖は文武両道の天才だったそうだけど、女好きかつ豪快な激情型で、周りはとにかく思いつきに振り回された。俺の意思こそが法だとの情治の人でもあった。


 二代目万照帝が対照的に品行方正な冷静型で、女性関係も慎ましく、法治主義を推し進めたのは、絶対父親を反面教師にしたせいだと思う。皇太子時代から、父親の尻拭いを山程やってたらしいし。敵に無慈悲なのはどっちも一緒だけどね。


 武統派と法統派の争いも、結局は初代と二代目がそれぞれどちらを重視したか、に始まってる。それで武統派には帝国になる前の王国時代からの譜代が多く、法統派には帝国になってからの外様が多い。


 ……まあそれはおいといて、公立学校は学歴扱いにならない。学歴といえるのは帝国立学校だけ……国立は帝都にあるものを含め帝国内に7校しかなく、公立とは内容の格差が酷いという。


 そも、平民は読み書き程度ですらできない奴が多いのだ。公立も基本的には各県の都市部にしかない。田舎の村だと大半は学校にいくこともなく一生を終える。文字が読めるのは村長と教会の坊主だけ、なんてのは珍しくない。


 ロイは帝都民であり、都内の公立に通っていた。そこでは比較的上のほうだったが、所詮平民向け。貴族の受ける教育とは比較にならない。


 一応家業に関わる分野は両親が教えてくれた。さっきみたいな歴史もそうだ。専門知識はそうやって職種ごとに家や親族、あるいは親方住み込みの徒弟となって教わるのが平民のやり方だ。


 職に関係ない知識や「教養」を知ろうとすれば、私塾に通うか個人教師を雇うなど、金と時間をかけるしかない。ねえよそんなの。


 だからロイたち平民出の仙霊科学生は、士官学校で座学に苦労している。


 一応士官学校は、貴族も行く学校としては要求学力は低いほうではあるけれど。……いや、正確にはコースによる。将来、参謀や兵站、砲術、通信などの頭脳系部門を狙うなら、求められる学力も高いはず。


 その中でロイたち仙霊甲科への学力の要求は低めだった。シュイ教官らは、仙力使いを、指揮官や戦闘員としてでなく、対仙人・対魔術師を想定した偵察、工作要員として育てる方針だったようで、座学の内容も比較的実戦的なものが多かった。


 だがそれでも平民にとってはかなり難しい部類に入る。


 一応、帝国では平民でも最高学府である帝国立学院に入れないことはない。出自、性別に関わらず才能ある者を登用する、そのための機会を作るというのが万照帝の掲げた方針だったので。


 だが殆どの平民は、入学の足切りにすら届かない。才能とは原石だ、それを磨くための金や環境がないと宝石にはならず、光ることもない。数多の障害を乗り越えて輝けるのは、ごく一部の例外だけだ。


 そして貴族としても、そんな例外ばかりと付き合うわけにもいかない。


 そこで使われる区別、社会的妥協点が「賄賂」「軍歴」「学段」だった。

 

 賄賂は説明するまでもない。金は偉大だ。全てとは言わんが、だいたいの問題を解決する。表面上は。


 軍歴は、兵どまりでは無意味だし下士官でも微妙だが、士官以上になるか、勲章持ちになればそれなりに対応してくれる。士官になるのは難しいが、勲章なら勇気と根性でとれることもある。つまり筋肉も偉大。よく死ぬけど。


 そして学段とは、官吏になるための資格試験の達成度、「科挙学段位階」の略。今の帝国では学段は四段位あり、第一段の試験「童試」で下級官吏の資格、次の「郷試」で中級、「会試」で上級、「殿試」で各省庁幹部……。


 これも上のほうの試験は貴族が殆どになるが、第一の童試に限れば、むしろ合格者の大半は平民だ。


 そして資格だけとって官吏にならない奴のほうが多い。その多くは、商人や貴族の使用人の子女とかだ。


 これは貴族様方を相手にするには、学段持ち相当の資格が実質的に必須だから。単なる平民では「人間」扱いしてくれない。


 身分も学歴、軍歴もなく、知識すら無い者は、人間ではなく「言葉を囀るだけの猿」であり、貴族が相手にすべき者ではない、らしい。


 貴族の使用人としても学段無しは出世の道がない。給料や待遇に超えられない壁が発生する。上のほうの貴族だと、当主や嫡子と会話できる使用人は学段持ちだけ、というのは珍しくないそうだ。


 あと、貴族によっては、子供に官吏にならないとしても童試や郷試を受けさせる家もある。そういう家では、何年か連続不合格になったら勘当され平民に落とされたり、あるいは強制的に教会に放り込まれたりするらしい。貴族も貴族で大変だ。


 そういうのが、特に法統派貴族に多いんだよな。……軍関係のコネを武統派にとられてるせいで、余計に学歴に固執するのかもしれん。


 なんか親父も、なんやかやで童位持ちだ。そうでないと賄賂を山程積んでも後回しや門前払いされやすいから、と言ってたな。


 無論、段位認定証を偽造する奴もいる。しかしそれは重罪だ。帝国では魔術的手法を活用して重要証書は特殊な魔導具となっている。技術的にも完全複製は至難(=できないとはいっていない)、血の一滴で個人認証もできる優れものらしい。そこで信頼性を担保している。


 それでも見かけだけは精巧な偽物はよくあり、騙されて買った田舎者がそれを使って、結果的に貴族を欺いたとして無礼討ちされるのは後を絶たない。これはもう東方社会の宿痾(しゅくあ)かもしれん。


 もっと金のある商人なら、出世競争に敗れ省庁を辞めた元官吏を高額で雇ったりする。天下りというらしい。皇族御用達商人はほぼそういう人らを囲っている、コネと金の極まった世界の話だ。


 ロイ父が勤めるフェンモン商会はそこまで大手じゃないから段位持ちを自前で用意しなきゃいけない。少なくとも、番頭になるには段位がないとつらい。


 そして童試だけでもロイからすると難しい。一応科挙本番は第二段の郷試からとされていて、童試は比較的一般的な内容で、学歴を得るよりはずっと簡単だ。


 帝国内の大きな都市には童試対策専門の私塾がそれなりにある。並以上の地頭があれば、そこで平民でも何とか出せる程度の金を払い、一年か二年も勉強すればいけるとされているのだが……。


 なんというか、科挙の設問には、ロイの苦手分野が多いのだ。


 礼儀作法や法律、算術の設題は分かる。官吏なら最低限知っておくべき事だろうし、商人にも有用だろう。


 算術以上に問題なのは、史学とそれに付随する古文、詩文だ。


 単なる歴史ならいい。それが帝国の「公式の歴史」であっても。だけど、何が悲しゅうて、何百年も前の詩人だの碩学(せきがく)だの皇族だのの詩やご大説まで暗記せねばならん?


 この時の作者の気持ちを、歴史的事実を踏まえて書け……え?


 文じゃなく詩で? ……詩才なんてねえよボケェ! しかも古語使え? 音の韻を踏まないと得点なし? 反帝国的な言い回しはダメ? 歴代皇帝の徳を讃える一節をどっかに混ぜないと減点?


 ん? この一節は朝敵が使ったものだから使うな? これは詠み手が作った直後に事故死した縁起悪い詩に使われた言葉なので減点!? は? この単語はどこそこの貴族の名に似てるから失礼!? 


 歴史や世情に詳しくないと分からない禁忌事項が多すぎる! できるかぼけぇ! しかもこれら、意外に点数配分が多い! ここが壊滅的だと、他が満点でも合格ラインに届かないくらいに。


 ヴァリスがつぶやく。


『これはまあ、一般に自由意思を持たせた有限寿命型知性体に、下手に幅広く高等教育すると、知識層(インテリ)の中に社会的不正義への怒りをこじらせて反体制革命思想に目覚める輩が発生しはじめるので、その発生率を減らすために教育の間口を絞り、保守的志向の古典や歴史、宗教や芸術、伝統や道徳を礼賛する類の設題で埋めるのはよくある事で……』


 ?? 意味わからんぞ。かくめい?

 よくわからんが、帝国の設題者そこまで考えてないと思うよ? ……たぶん。

 

 それでもこの辺、帝国は建国200年余りのまだ若い国だからか、マシなほうらしい。親父の出身の西方の国は600年以上の歴史があるそうだけど、そこでは人生は生まれで九割九分決まって、平民からの成り上がりや下剋上とかほぼムリらしいからな。


 ……まあ、こうした科挙のありかたが、ロイが商家より軍人として出世を目指そうと決めた理由の一部でもある。無駄に思える教養を山程詰め込むのは辛い。


 特にさっきの皇帝陛下の言葉もそうだが、士大夫ら世襲貴族様は商談中にも直接的な物言いを好まず、古典、故事を踏まえた文言で肯定否定、程度を暗示してくるそうだ。知らないと真意を読み取れないで詰む。


 俺の頭は試験勉強や腹黒交渉向けじゃないんだよ! 記憶力が悪いってわけじゃないはずだが……なんかこう、実用的でない、興味ない事は一晩寝たらすぽっと抜けるんだ。仕方ないだろ!


 もちろん軍人でも既得権や出自差別は山程あるが、官吏や商人よりは明快だ。武の実力と武功さえあれば覆して財と身分を得られる。


 しかも良くも悪くも幻妖という敵が現れ、実力を示す機会を得られた。仙力差別さえ何とかなれば、上にいける……はずだ。たぶん。


『派閥はなあ。正直どっちもアレだけど、かといって他の選択肢はないッショ』


 両派閥に属さない中立派に相当する貴族もいないわけではないが、少ない。


 そして、中立と言えば聞こえはいいが、風見鶏はどちらからも嫌われるわけで、はっきりいって何らかの傷持ちか、一般の権力と責任を放棄した儀礼担当などの特殊な者しかいない。よって熱意には濃淡あれど、貴族や官吏はどっちかの派閥に所属する、というのが殆どだ。


『ちょっとは知恵を出し合って一時休戦しようとしないのかよ、幻妖はどっちにとっても敵だろ』

『知識があっても知恵はないんでしょ』

『むしろ無いのは勇気、負ける勇気がないんだ。メンツを捨てられない。敵派閥の提案に従うって、それ負けだからね』

『命あっての物種だろうに』


『それだけど。うちも一応貴族の端くれだから少しはわかるんだけどさ。政治的に負けた人間は普通にずるずると命失うまで行くことあるんだよね』


 レダのマクナルド家は家としては郷公家だが、長く続く魔術師の家系だそうで、より上の個人一代爵位を持つ親族もいる。その筆頭が宮廷魔術師かつ側妃である長姉ルーティエで、彼女は県公相当として扱われている

 

『なんで? 大抵は何かあっても爵位降格や左遷どまりで死刑やお家お取り潰しなんて滅多にないだろ?』


『いったん負けを認めて左遷とかになるとね。敵だけじゃなく味方からも無能は要らないって追い討ちされて、取引や付き合いが止まって領地が立ち行かなくなったりするんだ』


 水に落ちた犬は打てってか……。


『結局その後当主が隠居や自殺してケジメつけないと話が進まない、みたいなのも珍しくない。でも公表されるのは左遷のとこまでで、それ以降ってひっそり進むから、この陰湿な破滅への恐怖って、貴族でないと分からないと思う』


 貴族社会こえー。……そうか、それも、先帝の武統派大量処罰時の恨みが長引いてる理由の一つか。


『地位を狙ってるやつは沢山いる。死ねぱ復権もないから、重要案件で対応に失敗すると割とあっさりそこまで追い込まれる。貴族が生き残って家を守っていく、というのは、平民の皆が考えてるより難しいんじゃないかな……代わりはいくらでもいるから』

『マジでメンツが命に直結してるの? ごめんなさいしたら死ぬって?』


『直結とまでは言わないけど、そうなることも珍しくないから、メンツに過剰にこだわるんだよ。それに政治上の敗北は、結果が本人以外の子孫親類縁者に及ぶ事も多いんだ。帝国貴族の政治生命って代物は、本人だけの物じゃない。だから余計に負けられない』

『めんどくせえ……』

『帝国が領土拡大しまくってた時代には失敗しても取り返せる可能性はいっぱいあったんだ。武人は武功を立てれば罪と相殺できた、文官も辺境、つまり旧敵地への左遷は困難とはいえ逆転の可能性もあった。でも最近は全然拡大ないどころか、むしろ反乱とかで縮小してるでしょ?』


 そうなると、限られた分の取り合い、内部抗争が始まるわけか。


『土地も増えないから、昨今はどんどん土地無し貴族や一代貴族の比率が上がってきてる。そのため土地持ち貴族はそれだけで妬まれて土地を狙われる。少しの失策が命取りに……』


 もうイケイケドンドンで領土拡大って時代じゃねえからな。ま、領土拡大ってことは、そのぶん征服したところでの犠牲があっての繁栄だしな……。長続きするわけもなし。


 例の断絶した元王家も、そんな貴族内での生き残りに敗れたんだろうな。元敵国の主で、国を売って生き残った一族とあれば、最初から狙われる対象だっただろう。味方も少なかっただろうし。

 

『だけどよお、このままだと武統派も法統派も関係なく共倒れじゃね? 幻妖はそんな区別なんてしないし、そうして幻妖に殺られたら、自分が写されてその子孫親類縁者を殺す方に回りかねないんだぜ? 単に殺されるってだけよりずっと酷くね?』


『酷いんだけど、そんな状況だってことをまだ実感も自覚もできてないんだと思うよ。幻妖の異常さが分かってない。そして幻妖って、戦っても領地も捕虜(かねづる)も素材も何も得られないでしょ? そりゃ積極的に戦いたくもないよ』


『いっそ私達が間に合わなくて貴族にも大量に死者が出たら自覚したんじゃない? そういう人らって、やっぱり自分達に具体的被害こないと分かんないもの。自分の家族が理不尽に敵に回る意味を思い知ればいいわ』


 こんなに可愛いのに……ニンフィアはシビアな事をいう……。


 普段の言葉がカタコトかつ丁寧語だから分かりにくいが、念話だとこれだ。本来は皮肉や毒舌多いタイプなんだろうし、親父さんらしき幻妖の事も気にしてるんだな。


『……まあそれでも一応は味方だ、死なれるのも目覚めが悪い』

『仕方ないわね』

『実際死ぬのはお貴族様より先に庶民だろうしね、私もそれは嫌』

『まあ結局陛下の言うとおりだよ。敵を撃退しつつ、自分達も生き残る。それしかない』

『そのためには今晩中にできるだけ回復しないと』

『そうだな……明日に備えて寝よう』


 ・

 ・

 ・


 ロイたちの天幕を辞してしばし、夜道を己のために用意された天幕に向かって歩きながら、フレドリック・シャノン千卒長は小さくつぶやいた。


「腕が立ち、察しも良い。本来なら本当にうちに来て貰いたいところなのだが」


『当代のイェンディの眷属はなかなか贅沢なようじゃな。あの小僧、そなたらが御すには大き過ぎよう』


 彼の言葉は、肩に乗った黒猫に向けられていた。仮に他の誰かに聞かれても、独り言と言える程度の内容として。


 黒猫も念話で応じる。明らかに、上位者の威厳を持ちつつ。


『あれは、田舎貴族の当主に留まる器ではない。性も『(もり)』を継がせるには向いておらぬ。貴様にできるは、せいぜい娘に一夜の情けを請うくらいじゃろうて』


 フレドリックはいささか鼻白みながら、言っている事は一理はあるかと思う。子だけでも、というのは選択肢だ。娘たちが納得すれば、だが。


「……まあユーラ(=長女)やシーナ(=次女)も会えば得心するはず。あれほどの武才は貴重だ。仮に彼が予言の救世主(サオシュヤント)でなくとも、今の一族に彼に敵う者はいない」


 フレドリックはシャノン家の分家、ゼノン家の三男坊で、ゼノンの家は長兄が継いだ。本来フレドリックは遠縁のカルノーという子供のいない騎士爵の家を継ぐ事が決まっていて、士官学校に通っていた頃はカルノー姓を名乗っていた。


 それが何がどうなったやら、今やシャノン本家の跡継ぎだ。それもこれも、嫡子が不祥事を起こし一門の者が集まった際に、現当主が、フレドリックが一番同世代で優秀であると判断したからだ。


 実力主義がシャノンの家のならわしなれば、彼の次もまた、実力重視で候補を選ばねばならない。そうでなくては彼が居場所を奪った亡き嫡子や親類先祖に顔向けできぬ。可能なら、ロイに来て貰いたいところだが。


 そうして彼は、暗い月明かりもない夜道を、鎧を軋ませながら歩く。護衛も部下もいない、千卒長という立場としては少しおかしい道行き……。


 仙霊機兵たちに割り当てられた天幕が、監視しやすい中央から少し外れた場所にあるとすれば。


 東部からの増援に割り当てられた陣地と天幕は、まさしく端っこの、草木の茂みが残る丘陵地の外れ。そこに向かおうとすれば、周りから見えにくくなる地点というものがある。


 つまりは。


 シュッ!!


「遅い」


 フレドリックは飛来する何かに、逆に一歩近づく。その一歩が大きな違いとなる。


 そうして彼に向かって投ぜられた『網捕球』……行動阻害の投網を展開し相手を捕らえる魔導具は、展開寸前に切断、破壊された。


 クリスマスに今年も殺ってくる

 愚かだった悪い子を消し去るために……

 ……違う? ブラックサンタも殺しはしない?

 あわてんぼうがサンタ殺す クリスマス前に殺ってきた……

 それも違う? 殺されちゃだめ?

 雨の夜更け過ぎに 逝きて還らぬだろ サイレントニンジャ ホーリーシット……

 ……これもダメ? いいでしょニンジャなら、死して屍拾うものなしよ



 本話を読み返すといろいろ脱線しまくってて少し読みづらいですね……。


 ここのところ、五十肩やら百日咳やらでほんとに体が悲鳴をあげているのが反映されているのかも。せめて筆くらい進んでほしいところです。ゴホゴホ。


 労咳に悩んでいた文豪詩人の気分に浸れるかと思えば、そんなこともない聖夜前でござる。


 それでは皆様、良いお年を。





イェンディの眷属

 ……東方シャノン家で、本家の当主と跡取りがそう呼ばれる。シャノン本家には『杜』と呼ばれる薬草と薬木の森があり、その最奥に入ることができるのは、眷属だけ。


 なお眷属という表現を知っているのは本来眷属たち自身だけであるが、何故かこの黒猫は知っている。

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