第21話 百聞は一見に如かず
花となった玉の上に、真珠の光彩を帯びた長い銀髪緋眼の、東方の貴人の衣装を纏った女の姿が浮かび上がる。ただその姿はわずかに透けており、幻像であって実体があるわけではないことが見てとれた。
『……我はトリーニという。貴殿等が禍津国と呼ぶ地の民を統べる者、魔人王シア・ナイトフォールより苦界の管理を任されし者の一人。本件における我が王の名代なり』
女の口が動き自己紹介を始めていたが、ロイはそれどころでなかった。息がつまりそうな凄まじい仙力の霊圧。何より、隣のリェンファが女を見た瞬間、小さく悲鳴をあげ、目を覆って苦しみながら涙を流していたからだ。慌ててリェンファの顔の前に手のひらをかざして守ろうとしたが、余り意味がないらしかった。
『……【啓示】の瞳か。済まぬな、開封の場にいるとは思っておらなんだ』
目の前の幻像から感じる圧が激減した。
「ふむ。彼女は仙力を見る力があるというが……」
『我はそなたたちの言うところの仙力に拠って在る者。霊気を観る者にとっては、幻体越しであっても太陽を直視するが如き。慣れていないと辛かろう』
皇帝陛下に近衛が耳打ちしている。
「……魔術でも計測不能、か。恐るべき仙力よな」
皇帝陛下はこうなる事を分かっていたのか? ……少しくらい警告してくれればいいのに、とロイは怒りを覚える。……リェンファは、女の霊圧の減少と仙力を切ることで少し落ち着いたようだ。
『煌星帝国クィシン皇帝陛下とお見受けする。これが通神珠であり、どのようなものは貴殿には分かっていたはず。そのような場に斯様に子供達を並べるのは如何なものか』
「使いの分際で陛下に意見するとは何たる無礼か、控えよ!」
校長がいきりたつ。ロイには権威に阿る佞臣の香りがする様に感じられた。大丈夫なのかこの国と学校。……まあそれくらいは、どこの国にもいるか。
「魔の王の使いよ。ここにある子供らは皆、我が国の次代を担うべき力もつ者。この度は彼らに、仙力の可能性を改めて自覚してもらうよい機会と思うてな、同席させることにした」
ニンフィアのほうに目をやりながら皇帝が笑う。……ニンフィアをしれっとロイ達の一人、つまり帝国の手駒扱いしているわけで……。もしかして、それを向こうに表明するためにみんなをここに並べたのか?
『……失礼した。伝え方を誤ったやもしれぬ。耳目多きところで話するつもりは無かったゆえ、密かに届くように意図したのであるが、要らぬ用心を抱かせてしまったようだ』
「ほう、何を話すつもりであったのか?」
『貴殿らへの警告なり』
「偉そうな……何様のつもりだ! 例え西の果てであろうと我が国の力を持ってすれば」
やっぱりこの学校長は佞臣……いや愚臣な気がする。そして完全に二人からは無視されていた。
「警告とは穏やかでないな。断れば宣戦布告かね?」
『否。我らは大陸の国々の在りように興味はない。崑崙や貴殿らが蛮族と呼ぶ者たちも同様なり。ただ、事態が人類にとっての大事になりえるならばその限りではない。此度はそれに該当する』
「人類とはまた大きくでたな、いかなることか?」
『我らは貴殿らの言う畿内、タンガン峡谷にて、古の魔性が蘇る兆候を観た。折しも大殺界の巡り、備えなしに彼の者らがこのまま蘇えらば、貴殿らの帝都は滅びよう』
「「!?」」
驚きが会場を覆い、皇帝だけが嗤う。
「くくく。それで貴様等の尖兵を受け入れよと? そうは……」
『否。其処は今は貴殿らの領内なれば、まず対処すべきは貴殿らであろう。我らが動くとすれば、貴殿らの試みが潰えてからになる』
「……そのような態度であるなら、なぜ当方に警告などする? 放っておけばよいではないか?」
『帝都が滅ぶほどの段階に至れば、魔性は貴殿らの血肉を糧に大いに育っているであろう。それは我らとしても些か困る』
「25年前の魔神の時には早々に尖兵を送り込んだのではないのか?」
『彼の魔神は、出現直後の時点で世界を滅ぼしかねぬ大魔であった。故に当地の者に話を通し、可能な限り早く打ち倒したが、それでもなお爪痕が世界に残った事は貴殿らも知っておろう。だが此度は復活した時点でならそこまでの脅威ではないと予測している。率直に申し上げよう』
女は淡々と感情のない声音で続けた。
『貴殿らの軍勢が潰え、帝都が灰燼に帰したところで、それだけであれば我らの関知するところではない。だがそれによって魔性が成長し、開花すれば我らにとって看過しえぬゆえ、先に警告するのだ』
「なんたる傲慢……! 貴様らとて魔性と変わらぬ魔の輩であろう、それが世界の守護者でも気取るというか! 陛下、このような妄言、聞くには値しませぬ!」
自分こそさっきから聞くに値しない扱いされていることに気がつくべきでは? とロイは思うがさすがに口には出せない。
「当方を滅ぼしうる魔性が蘇る、それを事実とするなら、貴様等はそれを倒せると?」
『左様』
「何故その力をもって世を支配せぬ、何故西から出ぬ。そんな力などもっていないからであろう」
あからさまな挑発だった。女は肩を竦めるような仕草で受け流す。
『信じぬのは別に構わぬ。確かに魔術が衰えた昨今、さらに大殺界の頃合いなれば、しばらくは当方も余所に手を出す余裕はない。だが信じぬものにこれ以上語ることは……』
「……Just a moment!」
そこで突然ニンフィアが何かを叫んだ。
「ニンフィア!?」
「黙れ小娘! 御前であるぞ!」
『チャールズ・ユーウィッターヤ教授の娘か。そなたも災難であったな』
「……Have you heard of us?」
この女の言葉はニンフィアにも通じている? ……音で出しているわけではなく、異能によるものだったのか。皇帝が尋ねる。
「ほう、この娘のことを知るか?」
『この娘は我が父祖に会うたこともある。そうであるな?』
「……アーサー・ナイトフォール……?」
『左様。教授夫妻とそなたが得た力の名を教えた者たちこそ、我らが父祖なり。その記録は残っておる。そして』
『そなたが眠りについた日に何があったか、我らは既に知っておる。その時、その場所、そしてそこにいた者の『縁』を辿れば、我らには過去を知る手段がある。その確認のために先日そなたの前に、我が手の者を差し向けたのだ』
……つまり、あの男が確認したいことって……ニンフィアが古代人かどうかじゃなくて、本当にニンフィア本人かどうかで……術を使うための何かの繋がりを作るために、彼女に実際に会うのが必要だったのか?
『さて、貴殿らこそ、この娘の事をどれだけ知っておる? そして我が警告せしは、いかなる脅威と思っておる?』
「あの竜とやらかね?」
『竜などは、綻びた封から漏れただけの幻妖の類、ただの余波に過ぎぬ。かつてその娘が滅ぼせず、而してこの地を滅ぼした魔性こそ、貴殿らの前に立ちふさがるものなり。そしてそれがさらなる古き者の目覚めも誘発しかねんとなれば、放置はできぬ』
「ア……」
ニンフィアがうつむきながら、呟く。
「アノアト……ナニガ……?」
『ならば見るか? そなたが眠ったあと、何があったか』
「勝手なことをするな! ここは貴様等の場では……」
『折角だ。貴殿らも観るとよい。百聞は一見に如かず、元よりこの珠はそのためのものである』
激昂する学校長を尻目に、女の姿はかききえ……景色が変わった。
「えっ、えっ!?」
「なにこれ!」
「むう……」
「……私にも見えるとは、これは」
ざわざわと皆の声がするが姿は見えない。代わりにロイは、見たこともない街の中にいた。
そこは、白い滑らかな奇妙な石と硝子の窓からなる建物が整然と建ち並ぶ街だった。地面は土でも石でもなく、黒く固められた砂利のようなものが平らに敷き詰められた道になっていて……端のほうでは見たこともない奇妙な服装の者達が歩いている。
そうして、奇怪な金属でできた乗り物? が黒い道の向こうから凄い速さでこちらに……。
「うわわっ!? え………」
……金属の乗り物にぶつかりかけたと思ったが、すり抜けた。しかし奇妙にも風などの感触はある。匂いすらもある。自分の姿を見るが、今度は自分が半透明の幽霊のようになっていた。ニンフィアや学校長の呆然とした声がする。
「…It's unbelievable……」
「これが……仙力によるもの、だと……」
『今、貴殿らが感じている光景は、大空白時代の始まりの頃、未だ叡智の残滓が巷間に残っていた時期の古代の姿なり。今でいう帝都の西、タンガン峡谷の北、ラオシュンの街の近くの荒野。そこにはかつて斯様な街があり、そしてある時、魔性によって一日にして滅びた』
そして勝手に風景のほうが高速で切り替わり……窓もない白い石だけでできた一際大きな建物の前に出た。しばらくして、その建物の一方の壁が、突然内側から爆発。……爆発の粉塵の中から、のっそりと何かが現れた。
「……業魔……」
ニンフィアの呻き声がそれに続いた。




