第200話 幕間 烙印の獣(2/4)
※本幕間は血なまぐさい表現や、作中人物による、倫理的に問題ある行動、思考、偏見等の描写があります。また、視点移動も多めです。
ルーゲルはせせら笑いながら、アッシェを観察していた。
殺されたのは一応は手下とはいえ、大して付き合いがあった連中でもない。ここ最近仕事のために割り当てられただけの付き合いだ、同情はするが怒るほどでもない。連中は運が悪かった、それだけだ。
アッシェの、手下どもを瞬く間に倒した弓と体術の手際はなかなかのものだ。命を奪うのに迷いが無いのも侮れない。だが……。
(……こんなものか)
ルーゲルからすれば、十分に捉えられる範疇だった。手強そうではあるが、遅れを取るほどではない。
かつてのアッシェは腕利きの護衛として知られていた。剣も拳も弓にも秀でていて隙がなく、知恵も回る、と。
そして『牙猫』の名は、俊敏で特に至近距離での戦いを得意としていたからだという。奴の牙が届く範囲では、何が起こったか分からぬままにやられる……複数で抑えこもうとしても、身のこなしでするりと抜け出される……。
昔、糞親父が言っていた事には、武器ありでの短時間の勝負なら糞親父よりも上、という話だ。
あの糞親父が武術だけなら強いのは、嫌ってはいてもルーゲルも認めるところだ。そして糞親父のほうがアッシェより頭一つぶん大きい、その体格差を考えると驚異的な話である。
だがアッシェが強いというのも、それはあくまで若い頃の事であり、常人が鍛えた範疇の話だ。
何よりアッシェには魔力が殆どなく、魔術どころか魔導具すら使えず、息子のロイのような仙力も持たないと聞いている。実際、今の動きもそうだった。魔力の気配もない。
ならば圧倒的にルーゲルのほうが有利だ。
ルーゲルには父親譲りの武の才があり、それだけでも父や兄と互角以上、さらに魔術の才もあった。それだけで丙級魔術師としてやっていけるほどだ。その点では丁級にもなれない微妙な素質しかない父親や兄を遥かに凌いだ。
だが、武術道場を開く父親は魔術を重視しなかった。使うとしても、纏勁術……自身も含め殆どの者が使える程度のごく弱い身体強化術だけで良いとし、ルーゲル程度の才では意味がないと断じた。
「これからの時代、甲乙の魔導師になれるならともかく、半端な力など戦いには却って邪魔だ。普段便利な道具として使うのはいい、だが、それで身を立てようなんて思うな。勘違いするなよ、上には上がいる。それでも魔術がやりたいなら、武を充分修めてからにしろ」
そうして一定以上の攻撃術や補助術を訓練に組み込むのを許さなかった。兄も父親の方針に追随した。
くだらない、僻みだ。
自分らに魔術師としてやっていける才がないから、邪魔だ、などと言っている。……おとぎ話の、酸っぱい葡萄とかなんとか、そういう類の話だ。
魔術は生来の素質がものを言う。父や兄が魔術を重視しないのは、自分達にはどうしようもない素質ゆえに、息子や弟に負けるのが悔しいからに違いない。だから弟の才能を抑えこもうとしているのだ。
この父と兄は、その程度の器でしかない……そう軽蔑したルーゲルは、実家の道場にだんだん顔を出さなくなり、父や兄と訓練もしなくなった。
代わりに裏社会の者たちと繋がりを持ち、その伝手で戦うための魔術を学び、さらにそれを生かした殺しの技を覚えた。
それが糞親父にバレて勘当というか、殺されそうになったが、組の手を借りることで逃げ延びることができた。
そして今やルーゲルは黒社会の若手凶手のうちでも一目置かれる存在となっている。やはり糞親父は間違っていた。魔導師になれるほどでなくとも、魔術は磨き方次第で充分な戦力になる。
今までの経験がそれを証明している。仕事の対象には乙級魔導師や騎士くずれもいたが、いずれも一方的に殺すことができた。実践で磨かれた技と知恵があれば、多少の素質差など覆せるのだ。
ぬくぬくと道場拳法を教え続けるだけの父や兄、そして魔術も使えないくせに昔の些細な実績を頼りに偉そうにしているアッシェ、どちらもそろそろ退場願おう。
今や自分は百の爪持つ大虎となった。ぬるま湯に浸かって衰えた老虎など容易に仕留められる。まして牙があろうが、ただの猫が虎に勝てるものか。
新頭目を狙う幹部……ボスからは、アッシェを生死は問わず連れてこいと言われた。アッシェさえ屈服させるか、あるいは「行方不明」となれば、フェンモン商会をはじめとする問屋勢はボスの傘下に入るはず。
そうすればうちのボスこそが組を制し、新頭目になるだろう。既にボスは、ルーゲルたち実行部隊の過半と「薬」の流通を抑えている。そこに安定した資金源が加われば鬼に金棒だ。
いまだに襲名披露もできていない暫定頭目など先代の所に送ってやる。所詮あのじじいは先代の腰巾着だ、前から理屈っぽくていけ好かない野郎だと思っていた。
仕事のやり方も駄目だ。奴は色街と賭場の経営ばかりにかまけ、凶手や脅しなどの現場を軽視している。やたら面子を重視し、根回しを好むやり方も気に入らない。国の奴らと馴れ合うのもいい加減にしろ。ルーゲル達が稼いだ金で毎晩のように官吏や軍人と飲んでばかりで腹が立つ。
「薬」を邪道として制限しようとするのも頭が固いからに違いない。役に立つし儲けにもなる、何が悪いというのだ? 中毒? 依存性? それがどうした、意志が強ければ問題ない範囲で耐えられるだろう。
いざとなれば、依存症になっても魔術治療で治すこともできる。そういう闇医者も組で手配できるし、紹介料や治療費もむしり取れる、一石二鳥だ。
治療費も払えず、薬で潰れるような意志薄弱の輩は、薬がなくとも他の原因で早晩潰れる。ボスがいう通り、どうせ潰れるならその前に俺たちの養分として搾り取るべきだ。全くもってボスは合理的だ。あの爺とは違う。
やはりこれからの時代、トップは頭の固い爺では駄目だ。即断即決、シンプルかつ率直に暴力を利用し、汚れを厭わないうちのボスこそが、黒社会のトップに相応しい。
帝都は未だかつてない混乱の中にある、今こそ下剋上の時だ。時代が変わる高揚感がルーゲルの心身を満たす。アッシェを潰したら糞親父を殺しにいくのもいいだろう、今ならできる。
「念のため聞くが、うちのボスに乗り換える気は?」
「回答は変わらない。金の納め先を変えろというなら、組の全てを手にして、正式に襲名してからにしろ。今のお前たちには道理がない」
──何が道理がない、だ。たかが食い物問屋風情が、元護衛如きが、偉そうに。何様のつもりか、勘違いも甚だしい。
組織として、問屋の一つ程度が裏社会を牛耳る組に敵うわけもない。個の武人としても、今のあんたの動きはさっき見させてもらった、あの程度でこの俺に勝てるとでも? 自分がまだ若いと思っているのか。
そもそも若かったころ本当に強かったかも怪しい。所詮は魔術衰退の混乱期に、魔術無しで少々腕がたったから目立っただけだろう。今となっては時代遅れだ。
「じゃあ、生かしとく必要もねえな」
「殺る気か? その気なら、こちらも相応に対応する。覚悟はあるか」
「愚問だな。あんたこそ覚悟あるのかよ。まだ娘さんのほうは小さいだろ、それの『中身』同様に。本当にうちのボスに従わなくていいのか」
「家族を盾に脅す前に、裏仕事なりの仁義を通せ。これが青大老ならば、先に……」
「仁義ねえ、ははっ」
お上品なやり方も、もう時代遅れだ。あの西に迫る化け物の軍勢を見たか? これから動乱の時代が来るはずだ、それなのに昔のやり方に固執するなど、本当に馬鹿だ。中年なのにもう耄碌している、こうはなりたくない。
はぁ、と溜め息をつくとアッシェは偉そうに呟いた。
「最後の忠告だ、若造ども。ここは引け、そうすれば今回の非礼の代金はさっきの連中の命で手を打とう。そして話はお前たちの上とやる。そうすればこれ以上の血は流れん」
やはり俺に勝てると思っているようだ。実力を見抜く目も濁っている。いいさ。糞親父の前にお前を血祭りにあげてやろう。
「仕方ねえな。先代も話相手がもっと要るだろうよ。残りは向こうでほざけや、おっさん!」
にいっ、と笑い。魔導具でもある短刀を手に、ルーゲルは走り出す。
一方のアッシェは短棍を背中から取り出して短刀を迎えうってきた。
「殺ッ!」
「ふんっ」
正面から、側面から、下段から、魔術強化で高速化したルーゲルが畳みかける。
アッシェはそれをかろうじて受けるが、反撃しようとするとルーゲルは既にそこにいない。
速さ、間合い、力……全てでルーゲルのほうが上だ。さらに彼には身体強化以外の魔術もある。
「はっ、はっ!」
ルーゲルは短刀に刻まれた魔術を起動──『潤滑』『感覚麻痺』──摩擦を減らし、相手の受けを滑り過ぎる状態にして、切っ先をかすめさせようとする。
この術を起動すると、滑り過ぎるために相手の肉を切るのは逆に難しい、だが少しでもかすれば、麻痺の術によりかすめた部位近傍が痺れる。そうなれば即座に術を解除し、動きの鈍った相手を斬る。
魔術戦闘の極意は、発動と「解除」の使い分けにある。効果や緩急の変化、意外性の創出……それはある意味で匠の技、死の芸術だ。魔力まかせで強化するだけでは知恵がない。
「ほっ!」
アッシェは受けるのでなく跳び退いて回避……勘のいいやつだ。
ならば『潤滑』を相手の足元にかけ、滑らせる。毒を塗った短剣を投げ『念動』で引き戻し背後から襲う。
『隆起』で足元に突起を生み出し、転ばせようとする。『噴霧』で霧を作り目くらましをかける。
あるいはその霧を『加熱』して蒸気に変え、相手の顔近くで制御を「解除」し、目や肺を灼くのを狙う。
『屈折』で短刀の実体の位置をずらす、ずらすと見せて半分だけ「解除」し揺らめかせる、『閃光』で視界を邪魔する。
『沈黙』で音の気配を消す、あるいは逆に『音作成』で気配や叫びをあらぬ所に発生させ誤認させる……。
今や『百爪虎』と呼ばれる所以、多様かつ実用的な戦闘術の数々。
武術と、小粒だがかわりに高速、低消費で有用な魔術を併用し、次々と種類の異なる攻撃を畳みかけ、考えさせる余裕を与えない。
さらに麻袋に対しても攻撃を仕掛けることで、アッシェを逃がさないようにする。
そうこうするうちにアッシェは完全に防御一辺倒になった。もう少しだ。やはりあいつの出番も必要ない、俺だけで殺れる。
確かにルーゲルには甲乙の魔導師のように全身を強化するだけの魔力はない。防御術も攻撃術も、無理を押し通すだけの強度はない。直接相手を傷つけ、殺す類の魔術も使えなくはないが、それらは今一つ頼りない、そこは認めよう。
だが、何事も知恵と工夫だ。思考停止した無能な父や兄にはできない事が、ルーゲルにはできる。
全身が無理なら必要最低限の部位だけを、必要なだけ強化する。拳を、足を、あるいは耳目を。父親の纏勁術と、黒社会の先達らの技を元にして、ルーゲルは独自の魔術戦技を編み出した。
そして『潤滑』や『念動』、『隆起』『閃光』をはじめとする、地味で単純だが、それゆえに高速で起動できるいくつもの魔術。丙級魔術師の素質があれば充分に使いこなせる。
小細工など卑怯? 卑劣? 小手先の芸? そんな戯言を言うやつから死んでいく。これは実用的な殺しの技術だ。
達人であろうと、眠り薬や魔術で眠らせて刺せば簡単に殺せる。家族持ちなら家族をネタに揺さぶれば簡単に隙をさらす。
先日もどこぞの騎士くずれの用心棒が「仕事」の対象になった。まともに戦えばそこそこ手強かっただろうが、『音作成』でそいつの子供の泣き声を作っておびき寄せ、『幻影』を追いかけさせ、『潤滑』をかけた道で転んだところを仕留めた。実に簡単だった。
相手は「卑怯な」と言いながら死んだ。あれは笑えた。卑怯で結構。裏社会では誉をドブに捨てたやつが生き残る。
人を殺すのに、甲乙の魔導師どものような素質も必要ない。人を一撃で焼き尽くすような火炎などむしろ無駄な浪費だ。ほんの僅かな力で充分。
そしてルーゲルはそのための様々な魔術を会得した。その程度すらも父や兄は使えない。今戦えば間違いなく己が勝つ。
魔導師並みの才が無ければ意味がない? それは才の生かし方を知らず、才だけでなく知恵すらない無能者の戯言だ。そんな馬鹿の血を引いていることがおぞましいほどだ
確かに、アッシェはなかなかに手ごわい。様々な技やフェイントにも今のところ引っかからない、慎重で防御は鉄壁と言える。これほどの相手は久々だ。経験豊富なのは間違いない。
だが、動きそのものは魔術強化をしたルーゲルより遅い。そしてもう40歳過ぎの中年だ。スタミナも若いルーゲルのほうが遥かに上。
「はぁ、はぁ……」
それ見たことか、こちらの様々な技の前に疲弊し、さらに遅くなり、息も上がってきている。
そろころ頃合いか。
麻袋のほうを狙う頻度をあげる。
「くっ……」
ほうら、顔色が悪くなってきた。まもなくアッシェは追い詰められて逆転を狙う一撃を狙ってくるはずだ、そこを逆手に取る。
……構えが変わった、予想通りだ。
ルーゲルは狙い通りの展開に内心ほくそ笑みながら、切り札の一つ、左手に嵌めた魔導具の手袋にかけた術を起動する。このために敢えて同種の術は使って来なかった。
秘技『紫電帯』……必要十分な僅かな雷撃にて、相手を一瞬だけ麻痺させる魔術。手袋の根元に仕込んだ、細く見えにくい金属製の紐を経由して雷撃を流し込む。
この紐が伸びることにより僅かに間合いが変化する。見切りの得意な達人ほどひっかかりやすいという寸法だ。
相手を殺すほどの力はない、気絶させるのもまず無理だ。乾いた冬の日の衣類が放つ痛みを、少しだけ強めた程度の小技だ。
だが、人を殺すのに、大技など不要。
ほんの一瞬動きを止めるだけでよい、そうすれば強化されたルーゲルの刃にかかれば人の首など容易く落ちる。
まともに打撃を入れたり受ける必要もない。変幻自在の金属紐のほつれた糸がわずかでも触れれば雷撃が体を貫く。
神経の麻痺は修行や意識で抑えられるものではない、その一瞬だけは、いかなる達人もただの肉と化す。ならば後の料理は容易い。
仕上げだ。
「おねがい、たすけて……!」
『音作成』で麻袋の『中身』の声をか細く再現。アッシェがそちらに気を取られ微かに顔を向けた瞬間、敢えて少しだけ大振りで攻撃する。
その隙を狙って放たれるアッシェの攻撃を弾くふりをして、手袋から伸びる鉄紐の端糸をその腕に当てる……計算通り。
(殺った)
次の瞬間。
端糸がアッシェの腕に触れようとした寸前、ルーゲルの左手の位置が、手袋ごとずれた。
(?)
コツン
ルーゲルが己の手に起こった事態を把握するより早く、顎を撃たれた衝撃で脳が揺れる。
(あ゛)
倒れかけるルーゲルの首に間髪入れず一撃が入った。
ゴッ
………。
気がつくと、ルーゲルの前に門があった。
苦悩や苦痛を示す無数の人体が彫り込まれた、昏く巨大な門が──
(……?………これは………?……)
何だこれは。今、俺は馬鹿な中年野郎を罠に嵌めたはずでは? ここはどこだ、奴はどこに……。
混乱するルーゲルをよそに、重そうな、石とも金属ともつかない門扉が、ゆっくりと向こうから開き……。
隙間から黒い無数の影が湧き出して、一斉にルーゲルに飛びかかってくる。
(!?……あっ、あっ……)
その影達は、貌を持つ「死」であった。
それは、今まで彼が手にかけてきた者たちの、あるいはそこで死んだ手下らの影法師だった。
(………やっ、や……め……あああああっ!!)
ルーゲルはなすすべなく、黒い影たちによって門の向こうに引きずり込まれた。
それは不帰の黄泉路に墜ちていく末期の脳が見せた幻──
かの門こそ、地獄の門。
其処をくぐる者は、一切の希望を喪う。
バタン……。
門扉は再び、無慈悲に閉じた。
(ひぎやぁあっぎゃあったすけっ………あ………)
ルーゲルが今際の際、門の向こうに何を見たか、それは彼にしか分からない。
…………。
いずれせよ、彼の意識は計り知れない苦痛と絶望の中で消滅し、魂は何が起きたか分からぬまま泉下へと旅立った。
そう。
人を殺すのに、大技など不要。
それはルーゲル自身にも当てはまった。所詮彼は、全身に魔力装甲を纏う事もできない半端な魔術師でしかなく、その頸椎を砕き脊髄を断裂させるには、手刀の一撃で足りた。
首が折れ、体が崩れ落ちると同時に、ぽとりと、中身ごと手首から外れた手袋も落ちてくる。
残った腕のほうは全てが終わってからやっと斬られたことに気がついて、断面から鮮血を吐き出す。その血を送り出す心臓だけは、彼の生への未練を示すかのようにしばらく動いていたが、それもほどなくして止まった……。
・
・
・
「未熟」
貌に勝利を確信した薄笑いを貼り付けたまま死んだルーゲルを一瞥してアッシェは呟く。
功夫が足りない。それに尽きる。
ルーゲル本人としてはヴェンゲルを超えていたつもりだったのだろうが……到底及ばない。魔術のぶんを考慮しても父親のほうが上だ。
一般に凶手という奴は正面から戦わない。待ち伏せしての闇討ちが基本だ。姿を現す場合でも、証拠を残さないために防御はとにかく回避優先、そして相手の隙をつき、地味だが必殺に繋がる小技を隠れて叩き込もうとする。
ルーゲルもそうだった。とにかくこちらの技を回避しつつ、正面から組み合わず、見せ技、搦め手、暗器を用いて、こちらの隙を作り出そうとしてきた。一瞬の隙さえ作れれば動きを止められる、それだけで人を殺すには充分だと知悉する者の動きだ。
間違いとは言えない。技の質はいい、種類も豊富、魔術の使い方も上手い、切り替えも速い。決して弱くはない。並みの騎士や魔導師なら殺せるだけの力はあった。
だが、それだけだ。
所詮、「壁」を超えていない。飛び抜けたものがない。理不尽がない。狂気がない。臆病さも足りない。
この有り様では、父親の本気すら見た事がなかったのではないか。奴の真の強さはうちのロイですら知っているのに、実の息子が知らなかったとは勿体ない。
魔術による補助や技に拘っていたのも未熟の証。魔術など所詮道具のひとつでしかないのに、戦闘の組み立てが完全に魔術前提になってしまっていた。魔導師ならともかく、丙級程度の素質でこうなってはいけない。
部分強化術頼みや罠の遅延発動のための動きばかりで、緩急が実に不自然だった。何かやってくるな、というのがバレバレだ。殺し合いを自分の技を見せつける芸の披露か何かと勘違いしているかのよう。
だがこの程度では、まだ小手先の芸の域を出ない。それでは常人を奇襲で仕留めることはできても、達人には通用しない。
素質は悪くない。この長身と恵まれた体躯なら、きちんと基礎から体術を極めれば隙のない手強い戦士になれただろう。半端な魔術など後からで良かった。そうなれば凶手などより余程まっとうな表の仕事がいくらでもあっただろうに。
父親の言葉の真意も分からなかったか。ただ百の技を使うだけの者よりも、一を極めたうえで十を使う者のほうが遥かに恐ろしいものなのに。
結局彼は、こちらが防戦一方で遅くなり、追い詰められつつある、との演技を見抜くこともできず、最後の本来の速度に戻した一撃に全く反応できなかった。自分が逆に罠を仕掛けられる側になる可能性を、考えすらしていない、これは駄目だ。
最後の、こちらの構えの変化に応じての『音作成』による助けを求める声……あんなものに引っかかるのも迂闊なお人好しだけだ。こいつが今まで殺してきた相手がどういう者たちかが透けて見える。
そもそも声音を真似たところで、あんなしおらしい台詞、あの『中身』はいわない。そこまではつかんでいなかったか。
そこで突然隙のある技を放ち、回避でなく防御のそぶりを見せたのも、罠ですよと言っているようなもの。手袋に仕掛けがあったようだが……小細工が過ぎる。
最初は生かして捕らえてもよいか、と思っていた。しかし……手を合わせても、卑劣さとせせこましさしか感じられなかったので、呆れてそのまま仕留めることにした。心が腐っていて、しかしその自覚すらなかった。
それどころか、卑劣さすら足りない。アッシェが彼の立場なら、確実を期しもっと手を尽くす。落とし穴や幻影の床、ぬかるみ、撒き菱、地雷のような物理的罠の用意から、家族や商会をネタにした精神的な揺さぶり、手下や「相方」、雇った浮浪者を使って麻袋を襲わせるなど……いくらでも手はあったはず。
あれで、自分は賢く多彩な技を扱う才がある、アッシェなど自分だけで殺せる、と信じていたのだろう。あの程度で慢心できる経験しか積んでいなかったということだ。
やはり『経験』にも質というものがある、下手な『経験』は成長のむしろ邪魔となる。
人殺しを生業にするのは別に良かろう、そういう才の生かし方もある。だが生死を弄ぶ世界で生き抜くには、自分の強さを磨くだけでなく、相手の力量を適切に見抜く目が、勝てない相手を避ける正しい臆病さが必要だ。
それらを帝都の中で培うのは難しかろう。裏稼業でも帝都のそれは、皆の懐に余裕があるぶん温い部類に入る。人数が多いから『仕事』の数自体は多いが、そこに『質』が伴わない。
亡き青大老はアッシェの腕をすぐに見抜いたが、あの老人は若い頃は名うての傭兵で、雇用主に裏切られ陥れられて裏社会に入ったと聞く。そうした経験で得た眼力だろう。あるいは、「同類」の匂いをアッシェから感じ取ったのかもしれない。
いずれにしろ、本気で父親に反発し超えようとするなら、ルーゲルは闇に沈むより、外に出て世界を知るべきだった。
未熟としか言いようがない。だからこんな風にやられる。二人とも、だ。
「ひぶっ!」
悲鳴とともに、アッシェの背後、壊れた荷車の裏側から鮮血が吹き出した。
隠形の術……魔導具によるものが解けて姿が露わになる。ルーゲルとは別の凶手が潜んでいたのだ。そいつの首のうなじのあたりがパックリと裂けていた。完全に致命傷だ。
そうして、打ち出そうとしていた毒吹き矢を取り落としながら凶手は白眼を剥いて倒れ、相方たちの後を追った。
「ふん」
この面は……確か蠍だったか蜂だったか、そんな感じの名で呼ばれていた毒使いの凶手か。隠形に相当に自信があったようだが、目標に近付き過ぎ、己を過信し過ぎだ。こちらも凶手として未熟。
彼らが属していた石花幇の始末屋は、仕事の場合、必ず正副の二人組以上の複数人で行動する。しくじった時の保険と証拠隠滅のために。
腕だけでなく仕事の心構えすら足りていない。どうせ複数なら連携して戦い、無理なら相方を盾に逃げればいいものを、個別に手柄を独り占めしようとするからこうなる。
ぐしゃっ……。
首を踏み潰しておく。警邏の者に「これ」の切断痕を見られるのはよろしくない。ルーゲルの手首のところも同様に……と。ああ、矢も抜いておかねば。あれも少々特殊なやつだ、足がつくと面倒になる。
一応はこれで十分な警告になったはずだ。アッシェ達に手を出すな、と。
こいつらにボスと呼ばれていた幹部は、数年前に石花幇に入ってから頭角を現して今の地位を得た。冷酷に自分の利益を追う男だ、割に合わないと分かれば深入りはすまい。始末屋や下っ端の仇を討とうとすることもないだろう。
あの男とは、長くは商売できない。あれは短期的に成果を出せる代わりに組織の潜在力を食い潰す、収奪者型の人間だ。
口は上手く、一見合理的で決断力があるように見えるが、他人を道具としか見ておらず、使い捨てるだけで育てたりもしない。薬を広めているのも奴だろう、自分以外が潰れても痛痒を感じないからできるのだ。
実働部隊を任せるにはいいが、組織の最上部に立つべき人間ではない。
一方、暫定頭目のほうはやり方が政治屋より過ぎて現場の支持が弱いのだろう。政治の源は金だ。金の切れ目が縁の切れ目、この動乱で資金源に打撃がいくと厳しくなる。幹部のほうはそれを見越して資金源に攻勢をかけているのだ。
もし暫定頭目でなく幹部側が跡目争いに勝つようなら、石花幇は一時的には伸びるかもしれないが、長期的には保たない。そして幹部本人は潰れる寸前に全ての責任を他人に押し付け逃げのびるだろう。
まあ、それはいい。
今の問題はそこではない。
……いる。
こいつらとは格の違う奴らが、まだいる。
石花幇とは関係なさそうだが。戦いを見物されていたのはわかっていたため、本気は出さなかったが……これは?
──構築『戦乙女の投槍』
突如アッシェの背後に、魔力で編まれた輝ける光槍が発現し、背中からアッシェの腹部を貫く──
と見えたが、アッシェは僅かに身をずらして回避した。対象を外した槍はそのまま地面に突き刺さり……霧散する。
「……いきなりだな。何者だ」
問いかけはするが、アッシェにはもう分かっていた。この術式の事はよく知っている。
高速で隙がなく、戦士が戦いながら行使する術として洗練された構築は、分業化が進む東方の魔術師たちには無いもの。
術を放った者達が姿を現し、アッシェに向けて呟く。
『見つけたぞ、『逃亡体』』
東方語ではない。西方の魔導王国オストラントの言葉だった。
「……招いてもいないのに、今日は客人が多いな」
寝息の漏れる麻袋を壊れた荷車に戻しながら、アッシェはやれやれと呟いた。
200話に到達しました。ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。
もし感想などありましたら、お気軽にお書きください。よろしくお願いいたします。
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駄文でもさすがに100万字、200話超えとなるとようここまできたなあ、という気分になります。しかもその殆どがPCでなくスマホぽちぽちで書いたもの、いやはや。
このまま残り数章、頑張って終わりまでいきたいところですが、当初予定だとこの字数ならもうとっくに終わってて後日談モードになっているはずだったのですよね、どうしてこうなった。プロット自体は当初のから大きくは外れていないのに……あれぇ? 見積もりが甘かったか。
本話内の設定補足
本作は魔術がある世界のため、麻薬や酒の依存症なども高位の魔導師が施術すればある程度回復可能です。ただし、完治はしません。
ルーゲルや手下たちは、依存症になっても金を出せば治る、という認識ですが、作中段階の帝国の魔術と医療技術では、どうしても後遺症や治療の副作用が残ります。もちろん、この施策を進める幹部本人はその事をよく知っています。
治療すれば廃人化は避けられますが、以前より無気力になったり、鬱気質になったり、他人の意見に流されやすくなったりします。そんな不完全な治療でも作中時代時点では無茶苦茶高価、高額です。庶民に支払えるものではありません。
支払えない場合は結局体で払う()となります。娼館落ちや裏闘技場の駒といった定番から、生きた「研究材料」を欲しがるマッドで倫理観壊れた人々はそこそこいますし、帝国には奴隷制度もあります。ただ、正式な奴隷は法律上の制約が案外面倒で足がつきやすいため、奴隷化はよほどの「訳あり」でない限り選択されません。
なおルーゲル本人も薬は少しだけ使っており、そのせいでややハイになり、自信過剰気味になっています。そういう意味でも凶手として未熟でした。
首の後ろをトンと叩いて気絶させるのはロマンですが……まあ折るほうが簡単だよね、と。それでも常人がやるのは難しいでしょうけれど。
余談として、絞首刑などで、死因が脊髄破壊の場合意識はすぐに途絶えるようですが、出血がないなら、そこから心停止に至るまでは結構時間があるらしいですね。長い場合は十数分かかるとか。その間はあるいは、死者は末期の夢を見ているのかもしれません。
そしてロダンの「考える人」は「地獄の門」の一部なのは有名かと思います。何を見て考えているのでしょうかね、彼は。
アッシェの本気を引き出すこともできずやられた凶手たちですが、客観的にはかなり強いほうです。並みどころか、大半の騎士や魔導師に勝てますし、闘仙と戦う前のロイなら勝てないでしょう。
アッシェも散々にダメ出ししていますが、これは「才はあるのに磨く方向を間違えたな、もったいない」という意味です。そうでなければ論評自体しません。
そしてこの後の相手は……。
最後に出てきた戦乙女の投槍、どこぞのヴァルキリー・ジャベリンっぽい術は、秘儀ではありますが、精霊魔術ではなく、精霊に憑かれなくても使うことができる代物です。そのかわり必中ではありません……やはり無謀と慢心の精霊がいないと駄目ですかね。




