第2話 魔術は衰退しました
魔術は衰えた。
ある日、突然多くの人間が魔術を使えなくなったのだ。使える者もかつてほどの力を失った。
それまでは才能の優劣はあれど、火起こしや飲み水の浄化くらいは道具も無しに誰にでもできた。当然生活から軍事まで、万事に魔術を生かす仕組みが出来上がっていた。
だが、二十数年前のある日。ロイ達の棲む北方大陸の中央を南北に縦断する中央山脈の西の麓の小国にて、凄まじい力を持った異世界の魔神とやらが出現した。
この魔神は身の丈数十シャルク(数十m)ほどの巨体で、万を超える異形の軍勢を従えていたという。
そしてそいつは奇怪な丸太のように巨大な無数の触手を操り、ただ睨みつけただけで生者の魂を抜き取って捕食する力を持ち、降臨と同時に周囲の命を悉く食べ尽くそうとした。
だが、魔神が軍勢と共に進撃しようとしたところで、大陸の西の果てにある禍津国と呼ばれる島国から魔人と呼ばれる異能の者たちがやってきて、彼らを迎撃した。
そうして戦地となった一帯の地形が変わるほどの戦いの果て、魔神達は滅ぼされたという。
しかしこの魔神は最期に極めて余計なことをやっていったらしい。死の間際に何かしらの手段で世界法則に傷をつけたとかで、その結果、その国どころか世界全体で魔術が衰えた。
そのためこの日のことは歴史書では、大陸の歴史の転換点、「魔壊の刻」などと書かれている……らしい。
まあそんなわけで、魔術は昔より使いにくい力になったのだ。
なにぶんロイにとっては生まれる前の事なのでよく分からないが、大人達がいうには、庶民の生活は大きく様変わりしたそうだ。
大半の庶民は魔術が使えなくなった。使えるとして、極めて限定的な自己強化術くらい。ロイもその類だ。
高価な魔導具があれば何とかなる者はそれなりにいるが、庶民が買えるような代物ではない。
つまり魔術は庶民の手から離れ、金持ちの貴族や、一握りの才能ある専門家の扱うものになった。
そして彼らが使う魔導具や呪符もかつての性能には届かない。自動魔機などを利用できていた土木工事や農業も、大半が人力のみに逆戻り。作物の育成促進や害虫対策などもろくにできなくなり、当然収穫は激減した。
そのため殆どの国が飢饉に襲われた。大陸の東方を支配し、世界最大の国家であった煌星帝国も例外ではなかった……むしろ生活や軍事に魔術を使いこなしていた強国ほど、大きな被害を受けた。
代わりに元々魔術に劣り蛮族と見なされていた国や民族が相対的に台頭し、誰も予想していなかった混乱の時代が到来した。
そして時が過ぎても、一向に魔術は回復しなかった。仕方なく各国は、それぞれ魔術衰退を前提にした社会を作りはじめた。そのやり方は国や地域によって異なり、未だどれが正解であるのかは見えていない。
例えば魔術だけでも、直接魔術を使うのでなく工業技術に魔術資源を投入する、あるいは複数人で力を合わせて出力を上げる儀式魔術を進化させるなど……様々な試みが各地で始まっている。
そして帝国もまた、新時代に対応すべく様々な手をうってはいた。だが充分とは言い難い。
件の魔壊の刻の頃、帝国は領土拡大も一段落し大平による爛熟と腐敗の中にあった。そんな平和ボケしていた時に降ってわいた災難に、すぐには対応できなかった。事件がちょうど皇帝の代替わりの直後だったことも混乱に拍車をかけた。
さらに東方で主流だった魔術方式である呪符術は、他の手法よりも性能低下の度合いが大きく、主力であった安価な呪符は殆どが文字通りの紙屑と化した。
これにより帝国を支えてきた軍事力は大幅に弱体化。そしてそれに不穏分子や外敵が気がつき、隠してきた牙を剥き……。
現在ではようやく帝国の畿内、中核地域こそ落ち着いてきたものの、西部は叛乱による自称独立国が樹立されたままだ。他にも辺境は頻繁に蛮族や外敵の侵入を受けていて安定しない。
そして数年前、先帝がまだ四十過ぎの若さで崩御した。臓腑を癌に冒されていたと言われる。
若いほど進行が速く、優れた魔術治療があった時代ですら完治できず進行を遅らせるのみ……という病に対して、現代の劣化した治療術は無力であり、先帝は病の発覚から半年ほどで帰らぬ人となった。
治世の大半をこの事態の収拾にあけくれ、領土を取り返せぬままに病に倒れたのは、本人にとっては無念であったに違いない。
飢饉や疫病の発生は衰えた魔術では対処しきれず、さらに軍事的な敗北が相次ぎ……。難題は新たに即位した若き新帝に引き継がれた。新帝は矢継ぎ早に改革を進めているが、国勢の衰えは覆せていない。
軍人を養成するための帝国立烈星士官学校で一昨年に新設された仙霊科も、そうした状況に対する帝国の模索の一環だ。ロイたちはその第二期生にあたる。非軍人向けの帝国立智星学院にも同様の学科が新設されている。
これらは各地からある素質を持つ若者たちを集めたもので、その素質があれば、従来よりもかなり緩い基準での特例入学を認めるというものだった。平民でかつ座学に難のあるロイなどは、そうでなくては入学できなかっただろう。
「仙力」……魔術よりも遥かに属人的で汎用性も低いかわりに、魔術衰退の影響を受けず、さらに魔術では出来なかったことを可能にする才能。
だがこの才能は希少だ。ロイたち、士官学校仙霊科の生徒は、甲乙の二種と一期から三期生を合わせても僅か40名ほど。他の学校を合わせてもまだ三桁いるかどうか。
そもそも、仙力の才能があるかどうかを検査できるようになったのもつい最近のこと、そして見つかる割合は数万人に一人。
一方魔術は、衰退したとはいえ実用的といえる才能持ちが数十人に一人くらいはいるため、未だに重視されてはいる。ただ質、量ともに昔ほど頼れる力ではなくなった。
従来仙力は、その希少さと属人的すぎる欠点ゆえに、国としてはろくに発掘に取り組んで来なかった。何せ才能の発現に血筋なども関係なく、人によって在り方がバラバラで、どうやって磨くかも不明な力なのだ。
そんなものに継続して予算を割くのは難しい。だから帝国近辺で組織として仙力に注目していたのは、西の外れの、とある山に住む者たちだけだった。
それでも仙力を持つ才能の探索に国として取りかかり、何とか人をかき集めて学校という教育の段階から始めるに至ったのには、それなりの事情があった。
それは、仙力という異能の有用性を示す複数の事例……ひとつは、西方にてたった一人のとてつもなく強大な仙力使いが、何千人もの人間を操って国を滅ぼす寸前までいった事例が、魔神降臨の直前に確認されたこと。
さらに魔神との戦いにおいて禍津国の戦士たちに信じられないほど強大な仙力使いがいたという目撃談。
何より、自国における蛮族との戦い、そして叛乱において、まさに仙力使い……主に西の外れの山、『崑崙』に住む『仙人』たちに、帝国が大いに苦しめられたからであった。
そうして現在。帝国は、集めた仙力の才能もつ若者たちを学校卒業を待たずに学徒動員して、早々に強大な魔物相手の実戦の場に投入せざるを得なくなっていた。
劣化した魔術では遠い過去から蘇った伝承の魔物たちと戦うことができなかったのだ。いや、仮に劣化していなかったとしても……黒鱗の業魔には、殆ど通じなかっただろう。
……何故そんな魔物が溢れ、少年少女らが駆り出される事態になったか。それを語るには、およそ半年前。ロイと少女の出会いの頃まで遡らねばならない。
魔神と魔人たちとの戦いについては、
拙作「死せる令嬢と二輪の花」参照
同世界の少し過去のお話です。
12/24 表現微修正