第199話 幕間 烙印の獣(1/4)
※本幕間は血なまぐさい表現や倫理的に問題ある行動、思考の表現が出てきます。また、視点移動も多めです。全四話ほどを予定。
※本幕間は、第64話「黒き大樹が燃え尽きた時」および第109話「霹靂の墓標」からの派生となります。
冬も深まり、まもなく新年を迎えようとする頃。煌星帝国の帝都グァンシンはかつてない混乱の中にあった。
「くそったれがっ」
「どうしてこんなことに……うう」
「掏摸だっ捕まえてくれっ!」
「諦めろ間抜け!」
「ちくしょうっ」
大通りに怒号と罵声、愚痴と恨み言が飛び交う。
本来なら年末も間近なこの頃、庶民の殆どは仕事も休みになり、親族や親しい友人らで集まって、忘年と新年の祝いやその準備のために過ごす。貴重な長期休みの時期だ。
大通りの人混みも少なめになり、慌ただしいのは年越しと新年のための道具や縁起物を売る人々や、新年の宴を主催するような大物の従者達くらいのもの……のはずだった。
だが今年は違う。年末の大通りに、人、人、人が溢れている。
殆どの者が体型も分からぬほど何重もに服を着込み、大きな荷物を背負い、荷車に食糧や生活用具を積み込んでいる。
帝都から脱出しようとしている人々だ。
脱出、ではあるのだが、彼らの歩みは遅々として進まない。さながら牛歩のごとし。道幅に対して人が多すぎるのか、あるいは行き先のどこかで足止めを食らっているのか。
とりあえず現状、帝都の西南北の街道と門は封鎖され、開いているのは東の街道に続く青龍門のみ。
一般に帝都グァンシンとは、低い塀と浅い水堀に囲まれた区域の事を指す。形はおおよそ正方形で、一辺は17デシャルク(約12km)ほどと巨大だ。大陸最大の都市と呼ばれるのは伊達ではない。
塀と水堀の周りは農地が広がる。魔術衰退直後の荒れた頃には家を失った者どもによる貧民窟が出来かけたが、先代皇帝が存在を許さず、流民たちは住み着いたそばから捕らえられて四方に放逐された。そうして帝都だけは見栄えのいい都市であり続けている。
帝都外縁の塀と水堀は基本的には一部の魔物や野生生物避けのためのもので、高さや厚み、幅や深さも大したことはなく、抜け出すのも容易い。跳躍の魔術が使えるなら簡単に飛び越えられる程度のものだ。そして普段なら飛び越えても犯罪扱いでもない。
だが今は違う。年末の帝都に、いつもに倍する兵がうろついている。
戒厳令が出ていた。許可無き出入りは禁じられ、帝都防衛隊と警邏隊が巡回して各所を見張っている。
青龍門以外のところから出ようとしてそれが見つかったなら、即座に問答無用で拘束される。手向かうと罰金や禁固刑を受けたり、最悪殺される事すらありえるようになっていた。
噂によれば青龍門で検問があり、そこで「幻妖でない」と確認された者だけが行き来を許されている、とのこと。
何故だ。どうしてこうなった。
つい先日まではいつも通りの年末のはずだった。西のほうで奇怪な魔物が現れたとか、街道の町が襲われたとか、西の砦が竜に襲撃され落とされたとかはあったものの、その影響は帝都にまで届いていなかった。
それも今月に入ってからは奇怪な魔物についても、順調に西に押し戻している、という話だったはずだ。
だが半月ほど前から少しおかしくなった。
魔物の奇襲を受けて先遣隊が壊滅したとか、砦が包囲されたとか、西方方面軍も敗北したとか……さらには伝説の邪神が復活した、という定かならぬ噂まで。
そうこうしているうちに、畿内方面軍が大動員され、彼等が黄色の軍旗を掲げ帝都西に陣取り、幻妖なるものたちとの戦いが始まった。
……それでもその時点ではまだ、人々には余裕があった。
奇怪な魔物というが、敵は二千もいないというではないか。数万の軍勢で食い止められないはずはない。どれ、少し戦いとやらを見てみよう……。
娯楽に飢えていた都民の多くは、戦場を遠巻きに野次馬しようとしていたくらいだ。
そして彼らは見た。
数万の大軍が、後退していく様を。敵は少数なれど、凄まじい攻撃を何度も何十度も受けて滅びることなく、逆に帝国側の防衛線をじわじわと侵食し、だんだんと帝都に近づいてくる。
野次馬たちの所にも流れ矢や敵の魔術が着弾し、上空から飛竜やそれを駆る騎士の死体が落ちてくる。
戦場からは遠いはずなのに、巻き込まれて負傷する者、幻妖に襲われる者まで現れ始めた。
ついには帝都西側に巨大な壁が作られ始めるに至って、ようやく人々は理解した。
これは本当にヤバい、と。
あれほど巨大な壁を作るということは、相応の大技を使うということ。そしてかつてのジュゲア大導師の『隕石招来』の逸話は有名だった。それこそは滅国魔術、空の果てから隕石を呼び寄せ叩きつける秘技は、一撃で都市を滅ぼす威力を見せたと……。
そんなもの、余波が漏れただけでも大変な事になりかねない。あの壁でどこまで防げるというのか?
そして戦に巻き込まれて家が吹っ飛んだり死んだりしても国は補償などしてくれない。被災したら皇后の名の元に炊き出しくらいはあるかもしれないが、それで終わり。ここはそういう国であり、そういう時代だ。
造られ始めた『万里長城』を見て最初に逃げはじめたのは帝都西部の者たちだった、家財道具を荷車に積んで、東と南北に分かれて脱出しようとした。
その数が千を遥かに超え、三千に届こうかという辺りで、帝都防衛隊や星衛尉部(=近衛騎士団)などの軍人たちが動き出し、避難路を東方方面向けのみに制限した。それが三日前のこと。
そして制限がかかったことが、却って他の都民の危機感を煽った。
帝都の民は二百万と言われる。これは多少の誇張含みで、籍が都内にない……つまりは家を持たない、仕事や観光などの一時滞在者まで含めての話ではあるが、仮にこの1/10でも民や商人らが家財道具ごと一気に逃げだそうとしたらどうなるか。
道も門も、そんなイレギュラーに耐えられるようにはできていない。
いや正確には耐えられなくなったというべきか、魔術衰退以前なら、魔術の補助により帝都の大通りや主要街道だけは下手な瀝青舗装道路よりも優れた耐久性と排水性を備えていた。
しかし魔術的強化補修能力が低下した現在では以前の性能を持たず、補修も人力で何とかするようになった。その結果色々と間に合わなくなり、そこら中で敷石が削れたり砂利層が崩壊して陥没しまくっている。
そこに数万単位の大荷物の避難民が押し寄せ道の状態はさらに悪化した。さらに検問も始まり、門の処理能力は限界を超えた。
そうしてそこら中で壊れたり窪みにはまって立ち往生した荷車や、遅々として進まない大渋滞、そして食料や排泄処理などの諸問題が発生した。人は生きている限りは飯は食べるし便はするものだ。
その日のうちに帝都を出られるはずが、寒い冬に路上で野宿する羽目になることになり、体調を崩す者も多数現れた。
実は大渋滞の中で流感系の感染症も広がりつつある。まだ潜伏期間内の者が多いだけで、あと数日で大惨事になるだろう、と医療の心得がある者たちは真っ青になっていた。
そもそも生粋の帝都民は逃亡や緊急避難が必要な事態など知らない。この辺りは戦乱はもとより地震や大嵐もなく、気候が安定している。火災なども区画を焼くほどの規模になる前に魔術師団が食い止めてきた。そういう意味で実に平和で安定した土地だったのだ。
そのため降ってわいた非常事態に、各人の動きもまるでバラバラで、右往左往するばかり。はっきりいって見るに耐えない惨状、そこに襲いかかるのが幻妖と、人間の悪意であった。
「幻妖が出たぞっ!!」
「どっどこだ!」
「どんなやつだ!?」
「あいつだ!」
「逃げるんや!」
「逃げるな!!」
帝都の内外で、避難民の隊列がはぐれ幻妖に襲われる事態が発生していた。まだ魔物の幻妖ならいい、明らかにこんな帝都近辺にいるのはおかしいと分かる。
「お前かっ!」
「ちゃうんや聞いてけろっ」
「こいつだっ言葉がおかしい、大昔の幻妖だ!」
「やってしまえ!」
「ちゃうべっうち化けもんちゃうべっ」
「殺せっ!」
「うわあああ!」
問題は人間型の幻妖だ。そこを区別する手段を人々は持たなかかった、疑心暗鬼が人々の間に蔓延し、幻妖だろうと疑われた無実の者が襲われる事件も多発している。
ちょっと怪しい動きをしたとか、言葉が聞き慣れない田舎の訛りをしているとか……その程度の理由でも、防衛本能が過剰になった集団にとっては警戒の対象になり、集団心理で犠牲になり、最悪殺される。時に警邏隊の者すらそれに荷担した。
面倒なことに、これは全く根拠のない妄想というわけでもなく、幻妖と化した人間が事件や流言飛語の源になっている場合もあったのである。
ナクシャトラは工作の一環として、元帝国兵の幻妖を帝都側に送り込み、正体を隠して有ること無いこと吹聴させていた。
下級幻妖は感情や知能の再現度が低いが、それは見方によっては寡黙で冷静そう、とも言える。そんな者がぼそっと「実はここだけの話だが……」と呟く言葉のほうが下手な扇動より信じ込まれやすい。しかもその服装は正規の兵や騎士であったりするわけで。
それにより疑心暗鬼を、帝国という国への不信感をさらに増やす。無論情報戦だけでなく、実際に手を下す幻妖もいる。そうして気付かれないままに、少しずつ死を積み上げていた。
だが、そうした工作を加味しても、絶対的な数において恐るべきは幻妖よりも生きた人間のほうだった。
誤解、誤認による冤罪の犠牲者のほか、火事場泥棒というか、家人の逃げ出した家や店に押し入る空き巣は100や200ではきかなかった。
幻妖の襲撃の混乱にかこつけての窃盗、日頃の恨みを晴らそうとする復讐者による殺人、幻妖のふりをして人を襲う強盗や強姦魔なども枚挙に暇なく。
警邏隊もかつてなく多忙となり、さらに彼ら自身が幻妖への恐怖にピリピリしていた。微罪、冤罪での過剰処罰や誤認逮捕も頻発し、さらには苛立った民衆の一部が警邏隊の詰め所を囲んだり、暴動寸前の地域もあったりした。とても逃げようとする者たちの護衛などまで手が回らない。
だからこんな事も起こる。
帝都西部の大通りから外れた人影のない路地裏を、三名ほどの若者が荷車を曳いていた。それだけなら今この情勢では珍しくはない。
だが、その荷車の向かう方向が東でなく西であり、荷台の荷物の底のほうに大きな麻袋が隠されていて、耳を澄ますとそこから微かに寝息の音がする、というのは、さすがに普通ではない。
「早くしろ」
「場所はこっちでいいのか?」
「ああ、そのはずだ……」
「警邏の狗が巡回ってくるにはまだ余裕はある」
「薬が切れる前に……」
小声で確認しながら荷車を乱暴に引き、目的地を目指す。避難民のふりはしていても、向かう方向は門のほうでなく、この辺りではもう人影はなくなっている。三人の眼光も、逃げようとする民にしてはギラギラしていた。
だがそこを気にする余裕のある者はいない。
ドン! ガラァッ!!
「なんだっ!?」
荷車の車輪が突然壊れた……いや、車輪が外れたのだ。
「これは」
ちょうど、軸のところに突き刺さり、周りを破壊した「矢」によって。
「奴が近くに……」
グサッ
何かを言おうとした男は首を貫いた矢によって白目を剥きながら倒れ、そのままこの世から旅立った。
「ちっ!」
残った男らはそれぞれとっさに荷車に積んでいた板と、「麻袋」を掴んで盾とする。仲間が殺られたというのに、彼らの顔は酷く冷静だった。まるで恐怖を感じていないかのよう。
「このまま「ソレ」を盾にして逃げるぞ」
「逃げられるのか?」
「まともにやりあったら俺達じゃ勝てない。上の人らに任せる」
「だが奴は足を壊してるんだろ、なら……」
ドゴォ!!
「へゲッ……」「ぐヴァ……」
矢の飛んできた方向ばかりを警戒していた男たちは、背後ががら空きだった。
ほぼ同時に二人とも、首が生きた人間では有り得ない角度に曲がり、そのまま倒れて先程の仲間の後を追った。
二人を手刀と肘打ちの連技で倒したのは……黒髪の壮年の男だった。中肉中背、帝都では一般的な長袍服姿で、特に目立つ容姿ではない。年の頃は40代か50代といったところ。
「……出て来ないのか?」
黒髪の男は麻袋を確認しつつ呟く。
ぱちぱち
「……『牙猫』の腕、衰えてはいなかった、と」
手を叩きながら、路地の影から男がもう一人現れる。
やや茶色がかった黒髪に長袍服、こちらの年の頃は30才前後か。痩せた長身で、黒髪の男より頭一つぶんは高い。
「自分でそう名乗った事はないんだがな」
「二つ名なんぞそんなものさ……だが、あんたは足を壊して引退したと聞いてたんだが」
「壊れたままだと誰か言ったかな」
「なるほど確かに」
「ヴェンゲルが探していたぞ、ルーゲル」
黒髪の男……ロイの父、アッシェが長身の男に告げる。
長身の男の名はルーゲル。ロイの体術の師匠でもある『黒虎』ヴェンゲルの次男だ。だが……。
「俺は勘当された身でね。もうあいつとは関係ない」
そう、ルーゲルは何年も前に家を出奔し、父親からは勘当されていた。
「できるなら自分の手で始末をつけたいそうだぞ」
「ははっ……あいつが? 無理だな」
「俺はもうあんな糞野郎よりずっと強い」
「強い、か。黒社会の凶手に形果てたのが強さだと?」
黒社会の始末屋、『百爪虎』ルーゲル。それが彼の今の呼び名だ。
「おうとも。いい『経験』を積ませてもらってるからな」
「下手な『経験』など誇るようなものじゃない」
「はは……そういうあんたは? 俺たちと違って、いくらなんでも白昼堂々はまずいんじゃないか?」
「誤魔化しようはいくらでもある……それに」
アッシェが肩をすくめながら言う。
「官憲に見つかっても、『薬』を飲んで恐怖を無くした中毒者が、この騒ぎに乗じて誘拐を図ったのを阻止するため、となれば彼らも大目にみる。彼らも今は大変だからな。そしてこういう時のため日頃から信頼關係を作っておくものだ。……本来なら、貴様らの上とも話をつけていたんだが」
アッシェ、そしてアッシェの所属するフェンモン商会は帝都で問屋業をやっている。そして帝都で大規模に商売するからには、官憲だけでなく、どうしても黒社会とも在る程度の繋がりはもっていなくてはならない。
構成員になるほどではなくとも、「盗賊」に襲われないために、取引先が「事故」に遭わないために、保険としてみかじめ料の支払いは避けられない。アッシェはそうした裏の対応もやっていた。
だから普通なら有り得ない事態だ、フェンモン商会の身内が狙われるなど。
「これも時代の流れってもんさ。死人の威光がいつまでも通じると思うなよ」
ルーゲルはせせら笑う。
その様をみてアッシェは嘆息した。
(青大老も失敗したな)
要は黒社会内部がおかしくなっているのだ。
帝都には大きく分けると3つの黒社会の組……団体があり、それぞれが区域ごとに睨み合ってバランスをとっていたのだが……今、そのうちの一つの組が揺れていた。
アッシェたちが対応していた組だ。通称を「石花幇」、元を辿れば帝国ができる前から存在する古い組織の一つ。
石花幇では先日、トップであった老頭目……通称、青大老と呼ばれていた老人が亡くなり、新たな頭目に代替わりした……のだが、その直後に、長老、幹部たちが何人も相次いで亡くなった。
青大老の死は、もう90過ぎという年齢からして普通に老衰か病かだったと思われるが、長老たちのほうは明らかに暗殺だった。
つまりは、代替わりに伴う内部抗争。そこに他の組も介入し、泥沼になりつつある。
そんなわけで新頭目は正式な襲名披露さえ済んでいない。暫定頭目ということになる。
そしてどうやら団体内でアッシェらがつきあっていた重鎮……つまり暫定頭目の派閥は劣勢になりつつあるようで、その敵対派閥の幹部から「自分たちに乗り換えろ」という要請が来ていた。ルーゲルはこの下剋上を狙う幹部の手先だ。
だがこういうものは、そうほいほいと乗り換えるべきものでもない。これまでの義理もあるし、一般的にも部外者としては決着がつくまで静観していていいはずだった。
だが問題はアッシェ自身の存在にあった。
アッシェは亡くなった青大老から一目置かれていた。かつては護衛として荒事対応していたこともあり、その頃に名と恩を売った相手の一人だ。
それでアッシェと、アッシェが勤めるフェンモン商会は、組として手を出してはならない相手として扱われていた。青大老の生前は。
……要は、旧体制の覚えの良かった有力者を屈服させる事が陣取り合戦において重要だと、そう見なす馬鹿がいたわけだ。
そうしてアッシェとフェンモン商会が狙われた。なんと傍迷惑なことか! 部外者を内輪もめの駒に含めるなと言いたい。亡き頭目も本人は良かったが、後継の育成には失敗したと見える。
それでも昨日まではこいつらも仕掛けてこなかった。それは帝都がさほど混乱していなかったのもあろうし、そしてもう一つの理由は、アッシェの周りに何者かの見張りがついていたことだ。
暗部と思われる見張り……おそらくは息子のロイの関係か。ロイが裏切らないように、あるいは人質にするために、家族の動向を抑えておこうという、皇帝側か兵部省側かの手の者たちだろう。
あれらは見張りでもあったが、同時に黒社会勢に対しての牽制にもなっていた。それが昨夜何故か外れた。
息子に何かあったのか、それとも国のほうに何かあったか。おそらくは後者か、あそこまで攻め込まれていては余裕などあるまい。
ロイのほうは……今は気にしても仕方がない。あいつの才は自分より上だ、あいつなら降りかかる火の粉は自身で何とかするだろう。
とにかく見張りがいなくなったと見るや、東に疎開するため移動し始めていたフェンモン商会長一家とアッシェの妻子らにこいつらの手が伸び……うち一人が誘拐されてしまった、それが麻袋の中身というわけだ。
さらにその誘拐の際に、気がついて食い止めようとした護衛と従業員が三名ほど半殺しにされた。一人は今も意識が戻らない。官憲も忙しくてまともに対応できないときた。
慌ててアッシェに連絡が来た。既にアッシェ一家は青龍門の目の前まで来ていたのに、彼だけまた舞い戻らねばならなくなった。くそったれめ。というか『誘拐対象』もなんでそんな後ろにいた、両親の近くにいないと思ったら……。
おそらくはこの誘拐、商会自体への脅しというよりは、商会の中で一番腕の立つアッシェをこうして一人だけ引きずり出すための餌なのだろう。
──生産にも流通にも寄与せず、争いと享楽に耽る破楽戸風情が、やってくれる。お前たちが上納金としてかすめとっている金がどれだけの血と汗の産物か、それが何のための対価か、理解できているのか?
面倒なことだ、だがいい機会でもある。
これからは自分達の時代だと言っては年長者を蔑ろにする者どもに。目先の金のために、長年の仁義を踏みにじる者どもに。尻尾すら増えていない身で虎を騙る愚かな狐に。
教育してやらねばならない。
いかに爪牙を磨こうと、狐では虎になれないことを。そして何より、貴様等が誰を敵としたかを。
──もしも本気で俺と対するのなら。下っ端の命だけでは支払いが足りんぞ、若造ども。
ボツタイトル発表ドラゴン
「幕間 帝都幻闘譚 ~ 冴えない中年のおっさんが実は壮絶な過去を持つかつて最強のXXだった件」
本幕間は、まあ、そういうお話です
ただこの中年のおっさん、善人かというとそうでもないです。本話にあるように、必要と見なせば自ら敵対者を殺すのも辞さないタイプなので。
作中時代の価値観的に、裏社会絡みになると命はだいぶ軽くなります。アッシェ本人が言っている通り、被害者が裏社会の者であり、加害者に口と金とコネがあれば、殺人を実質無罪にするのは難しくありません。
基本的に商人といっても過激で逞しい人びとです。「商人の本懐はナメられたら潰す、尻の毛までむしり取る」、裏社会は、「一人前の本懐とはナメられたら殺す」みたいな世界なので。
要は、本幕間は、善と悪の戦いではありません。
また、石花幇は、第82話「屍の女王と失われた秘宝」において、女王の国の残党が作った組織を源流としていますが、構成員の殆どはその歴史を知りません。もちろんルーゲルも知りません。
「言葉が聞き慣れない田舎の訛りをしている」
……恐怖にかられた人間にとっては、これだけで人を殺す理由になりえます。福田村事件とかがその一例ですね。
作中のこの時代、商人は自前の護衛を整えます。フェンモン商会は食料問屋系なので、規模だけなら帝都の商人として最大級の護衛団を雇っていますが、戦力の質はあまりよくありません。
これは、強い盗賊はもっとかさばらない貴重品の輸送を狙うことが多く、一方食料を狙うのは食いつめた小物が多いため、護衛も質より量という感じでいいためです。
だからルーゲル達もたかが食料問屋と舐めており、怖いのはアッシェだけと見なしています。実際下っ端でも護衛を出し抜き、あるいは蹴散らしての要人誘拐に成功しかかりました。
あっさり殺された下っ端でも常人からすると手強いほうだったのです、それを瞬殺できるアッシェが色々と異常なのです。




