第19話 さらば友よ。でも俺はお前の千倍は痛かったんだけど?
あれから二日。ロイは昨日は寝込んでいたが、今日は起き出して日課の朝練をやろうとした。しかしまだ体の節々が思った以上に痛い。治るにはそこそこ時間がかかりそうだ。
能力が発動しているうちは高揚感もあり痛みを忘れていられたが、収まってからは結構痛い。骨は大丈夫なようだが、全身青痣だらけで洒落になってないやられっぷりだった。能力に目覚めて以来、これだけやられたのは初めてだ。
ロイとしては能力の覚醒段階が上がったことで、色々と考えねばならないことが増えた。まず、自分一人だけでは今までより感覚が鋭くなったり、使い方は増えたものの、最大出力自体はさして変わっていないようだ。あの男は本人だけでは引き出しきれないといった。ロイの力は【金剛】という強化の力に似ているからそう呼ばれていたが、実は別物だったらしい。
そして、あの場にニンフィアとリェンファがいて、自分を応援してくれたから、力を引き出せたということか。守る対象が自分一人だったり、独りよがりの守ってやる、では大して使えないらしい。なんとなく他にも条件がありそうに感じる。
……あと、なんか殴られるたびに最大出力が増えたような? ……い、いや、自分に被虐趣味はないし、今までそんな経験はなかったが……。
あとは、あいつはなんと呼んでいたのか……メサー? メサイだっけ? 多分、古代語だろう、意味が分かればもう少し能力の手がかりになるかも知れない。
そういえば、子供の頃最初に力に目覚めたときもそうだったのだ。あの時は、理由を忘れたが父母たちの商隊と共に移動していて……山賊に襲われた。子供ながらに母さんを守らなきゃ、と思って震えながら山賊に立ち向かった時に、思いがけない力が出て……。その後その力の一部がそのまま使えるようになったのだ。
誰かを背中に守る時に強くなれるのなら、それこそ、護衛騎士を目指しているリェンファのほうに適した特性だと思うが、自分の立場でも使い道はあるだろう。
「……ますます肉壁扱いになる気もするけど」
身体能力強化以外の方向性もあるのだろう。意識付けをしっかりすれば、魔術などにも応用できるのかもしれない。今までその発想は無かったが、試してみる価値はありそうだ。
あとは応援されていることを己の異能はどうやって認識しているのか? その辺にも鍵があるかもしれない。霊力や気配への感覚が鋭くなったのにも関係しているかも。自分のことなのに、まだまだ分かっていないことが多いと痛感する。
仙人やあの禍津国の男にはその辺りの知識があるのだろうか。特に後者のほうが気になる。古代語に堪能、仙力についてもあの三人よりも詳しそうだし、クンルンの重鎮とされるウーダオらを完全に同格扱いして喋っていた。断じて本人が言うような使いっ走りの態度ではない。
まあ、いくつか手がかりを教えて貰えただけでよしとしよう。おそらくそれも何か意図があるのだろう。あの男にとっては、仙人よりロイがニンフィアを守る状態が望ましい事情があったとみるべきだ。
どちらにしろ。自分は変わらないといけないとロイには分かっていた。今のままではやりたい事ができない。今までは漠然と、この仙力と武の才を生かして出世したいと思っていた。士官学校を選んだのもそのためだ。でもどうやら、ただそれだけでは駄目だ。それだけでは足りない。やりたいこと、やるべきことは……。
思考の沼に沈んでいるロイに、近づく影があった。彼がロイの朝練の場に顔を見せることなど珍しい。だからロイのほうから問うた。
「なんだ……別れの挨拶でもしにきたか?」
「まいったな……なんでそう思う?」
当たって欲しくない予測ほど当たるものだ。
―――今回、ルイシェン湖を目的地に含めたのは。そしてロイたちの能力について欠点なども含めて知っていて、あの場所に誘導できる人物は、誰か。
そしてあの仙人、ランドーの鏡を使う力。おそらく、ランドーは鏡を使って移動したり、鏡に映っているものを認識できるのだろう。そして、鏡とは何か。金属や硝子でできているとは限らない……光をそれなりに反射するものなら何でもそう見なせるのではないか。
そう。よく磨かれたボタンや、凪いだ水面、そして……氷なども、鏡になり得る。瞬間的に作り出すことも彼ならできたのだろう、そしてその証拠はすぐに消せる。
「あの仙人たちだけなら、ウーハンが逃げられずにやられたのは解せない。誰があいつの邪魔をしたか、となるとな」
同期たちの中で一番敵に回したくないのは誰かといえば、ウーハンだ。用心深さ、判断の速さ、容赦のなさ、そして能力の性質において一番手強い。彼の能力【転移】は攻防どちらにおいても強力で隙も少ない。
それがあっさり無力化されたということは、弱点を知り、それを実行できる者が至近にいたということ。敢えて巻き添えを食らう環境に身を置くことで、その状況を作り出した者が。
「……やっぱこういうのって座学とは別物だよねー」
「最初からか?」
「そうだね、元々俺はあっちに拾われたほうが早かったんだー」
シーチェイが苦笑いする。
「国が仙力使い探し始めたの、ここ数年からだもんな。その前から目立つような力は、そりゃ向こうのほうが先に唾つけるよな」
それにシーチェイは以前冗談めかして言っていた。確か……『ふっ……家を追い出された俺はいずれ真の仙力に目覚めて無双する。そうなってからあいつらが帰って来てくれと懇願しようがもう遅いー』……。
……言い回しは非常にふざけているが、彼が親類縁者と断絶しているのは、この数ヶ月の付き合いでも分かった。才能ある者もそれなりにいて社会の一部になっている魔術と違って、仙力という特殊な異能を持つことに世間は優しくない。ことにシーチェイのように、わかりやすい破壊をもたらす力には。それでここに柵がなく、他から手を差し伸べる人がいるなら、それはそちらにいくだろう。
……きっとニンフィアにも、これから沢山の問題が降りかかる。シーチェイには間に合わなかったとしても、彼女は自分が支えなくては。
「何事もなければーずっとそのままでいられたかもしれないから、少しあの娘が恨めしいなー」
「ニンフィアにしろ、お前にしろ、こうなったのが誰かのせいってわけじゃないだろ、そういう流れだったんだ」
「お前がこのまま軍人になったら、帝国以外にとってはすげーこわい、脅威になると思うんだよね」
「俺の力は何百人もを相手できるようなもんじゃないし、人や国の生き死には、上の人らが決めることだろ」
「いやいや。お前はただの兵じゃない、その上の人に―――英雄になれるよ」
……よく分かっているじゃないか我が友よ。そう、英雄にならねばならない。この力を生かすために、守るために、我を通すために、得るためにはそうでなくては。
「本当は俺みたいな立場なら、もっと容赦なく邪魔すべきなんだよ、でもねえ。あの人らも甘いし、俺だってそこまで割り切れないんだー」
そうだ。甘い。あのフェイロンにしろ、刃物を持ち出していれば、ロイは力を自覚する前の最初の数撃でやられていたただろう。かの異能は素手の戦いよりも、間合いの広い武器を使った場合遙かに手強くなる。実際、戦場での彼はそのような武器の『宝貝』を使っていたそうだ。
だが彼らは優れた仙力をもっていても、軍人ではなく、目的のために若者を手に掛けるほど手段を選ばない性質でもなかった。その甘さは人としては美徳だろう。目的を達成するという意味では駄目かもしれないが。
「それはそれで、悪いことばかりじゃない。でもケジメは必要だからな」
飄々としたこの同期のことは嫌いではない。だが間諜と確定してしまえば、一緒にはいられない。本来は通報するか、叩きのめして上に突き出すのが軍人志望としては正しい在り方なのだろうが……。
仮に真面目に捕らえようにも、満身創痍の現状では捉えきれるかは怪しい。シーチェイは、おそらくロイ達にまだ底を見せていない。
だから、今はお別れだ。
もしかすれば再会は戦場になるかもしれないし、あるいはあの仙人が言ったようにいつかは敵味方が変わる日も来るかもしれない。先のことはまだ分からない。
「まあ次はもっと心を鬼にすべきときはするんだな、俺もそうするから。あのランドーとかいう奴は、そういう意味じゃ見習ったらダメな類だぜ」
「そうだねえー。じゃあ俺からも最後の忠告。ご高説の鋭さと割り切りを女心にも振り分けなよー?」
「痛いところを……」
「で、どっちなのさー」
「どっちだろうな」
「あ、認めるわけ?」
「遺憾ながら」
背中に彼女らを背負ってようやく自覚せざるをえなくなった。二人とも気になっている。そうであるならもっと真面目に向き合わないといけない。
二人とも守りたいし、二人ともを……というのは贅沢だろう。特にニンフィアのほうは、きっと近くに居続けるだけでも難しい。だがこの際、それが許される者……英雄を目指してみてもいいではないか。
力の意味、想い、野心……それらを自覚したからには、前に進まないといけない。
「おお一歩前進だー、しかしロイにもそんな神経があったなんてー」
「精神攻撃されてるみたいでむかつく」
「ロイみたいなのは、体よりも心が問題だろうからねー。……じゃあ、さよならだ」
「待て、体も問題ないわけじゃねえぞみろこの青痣を。一部はてめえのせいだともいえるし、最後にてめえもこの痛みの半分くらい味わっ」
「さよならー!」
霊気の高まり。一昨日から、その辺も少し分かるようになった。力の発動範囲から、何をやろうとしているかを察してとっさに伏せる。そしてシーチェイの周辺で、小さな爆発が巻き起こり……粉塵が収まった頃には、彼の姿は消えていた。速い。やはり、まだ底を見せていなかった。
しかし、ああ畜生、急に動かすとやっぱ痛いんだけど。……能力の出力は変わらず、か。やはり単に攻撃を受けるだけでは駄目か。何か条件がある。それが何なのか……。
爆発音に何事かと起き出し、騒ぎ出す学生や教官たち、そして……慌てて二人がやってくる。
「大丈夫? 何があったの?」
「ダイジョウブ!?」
「……俺は大丈夫だよ」
さて……どうしたら、もっと女心というものが分かるのだろう。それは能力の解明以上に難題に思えた。