第189話 心食われしもの
しばらくレダ視点で進みます
「これ【再演】したら僕も暗殺者かな?」
【再演】なら自分では使えない属性の仙術も使えるはず。
「相手の霊気の変動にその場その場で合わせる必要あるから、私の瞳がないと殆ど効かないと思う。グリューネさんが言うにはこの眼無しだと普通は会得に十数年、下手すると数十年だって」
特に動いている相手だと、未来視の能力まで使わないと無理だ。むしろこの能力無しでは、目をつぶって矢を動きまわる鼠に当てるようなもの、可能かどうかすら怪しい。
「なるほど、治療術の逆、かつ霊気版か。その瞳まで【再演】してたらこっちの霊力が足りないなあ……」
…………
複写できない、ではなく、足りない、だ。
以前のレダなら、彼女の瞳の【再演】はそもそもできなかった。ロイの【金剛】やエイドルフの再生能力もそうだが、本人にしか効果がない類の仙力は複写できなかった。
しかし仙力について理解を得た今なら、そうした自己強化の特性も複写できる。ただし、部分的な劣化版としてだ。
他の攻撃の力や、現象を複写する場合のようにそのままを写すことは、まだできない。今のところ、自己強化型、自己変化型能力は、最大で本人の五割程度か。かつ、一回あたり持続時間も最大30セグ(秒)ほどと短い。力によっては写せるのはもっと弱く、短い。
・・・
先日グリューネに「修行を積んだらそのまま写せたり、もっと長時間使えるようになるんですか?」と問うたところ。
「仙力における自己操作を写すには、本人の本質にまで踏み込まねばなりません。能力の階梯を上げて根源の【嫉妬】そのものに至れば完全に写すのも可能でしょう。そうなれば、場合によっては本来の使い手よりも上手く扱えることすらあります」
との回答だった。
「なるほど。それに写すほうは、複数の能力を写して組み合わせる、などもできますしね」
そのことを理解したからこそレダの戦闘力はかなり上がったわけで。自己操作の複写や複数現象同時再現はまだ結構疲れるが、慣れていけば楽になっていくはず……と思ったら。
「ええ。ですが、自己操作型仙力の複写は、当分おすすめできません。まだ何年かは訓練も控えた方がいいでしょう、下手すると心身が死にます」
冷や水を浴びせかけられた。
「……どういうことですか?」
「自己操作型は、起こっている現象だけでなく、肉体や精神自体の情報まで写さないと正しくは起動しません。そこが人間にとっては厳しい」
「写さないといけない情報が多いから、ということですか? 器を超えてしまう?」
「そういう意味もあります。【再演】、そして人間のままなら、自己操作型は八割写せれば上出来です。持続時間も今の数倍がせいぜいではないでしょうか。ですが、やるとしてもそこで止めておくべきです。その辺から上は【嫉妬】に至り、人間を辞めないと無理ですし、【嫉妬】の果ては『自己』の喪失と隣り合わせです」
「自己の喪失とは?」
「【嫉妬】はつまるところ、他者に成り代わる仙力です。単に姿や技術を写すだけならまだいいのですが……仙力は別です。仙力は魂の力、特に自己操作型仙力を再現するためには、一時的に魂の形まで書き換えねばなりません。やり過ぎると他人の情報に飲み込まれ、己が何者であるかを見失いやすいのです」
何者かを見失う……?
「例えばかつての竜人には『千の仮面』と呼ばれた強者が居たそうです。彼は無数の能力を、姿を、記憶すらも借りて使い分け、複写元よりも遥かにうまく力を使いこなす仙力の達人だったといいます。あらゆる敵を打倒し、竜人ながら上位種の竜王を凌駕するとさえ恐れられた。しかしそれを長く続けた結果、彼は本来の自分を忘れ果ててしまった」
「というと?」
「記憶が他人のものと混ざったり欠落していっただけでなく、魂が磨耗していった。やがて自身の肉体の感覚も喪い、それが自分のものだと思えないようになってしまったのです」
「……」
「その最期は、どうしても本当の己を思い出せない事に発狂し、自分以外の全てが死ねば己のみが残るはずと世界に戦をしかけての自滅だったそうです。数百万以上の竜人がその戦の犠牲になったといいます」
仙力に己を食われた、のか。自分にないものを欲しがり続けた結果、自分を見失ったか。
「根源に近い力、特に他者の力を使う【嫉妬】や【強欲】といった力は極端すぎるのです。かといって人を辞めても、たいてい解決しません。力は得られますが『本質』にさらに引きずられやすくなります。そのため一時的には活躍できても、正直幸福とは言い難い最期を迎える方が多いですね。大罪の名がつく類の仙力は、破滅と隣り合わせです。力を求めすぎず飼い慣らす事が大事ですわ」
……結局この仙力の「本質」が、借り物の力であることは変わらないわけだ。便利であっても依存しすぎてはいけないのだろう。
そう考えると自己強化系を写しきれないことは、ちょうどいい枷なのかもしれない。
ただ問題は、写しきれないだけでなく実質的に写せないも同様のものがあること。今のリェンファの瞳はそれに該当する。
どうも彼女の瞳は、複数の神様レベルの力の体験版セット、みたいな代物らしい。そのため階梯が非常に高く、本来同格のはずのレダの力よりも実際は格上扱いになってしまうのだとか。
そしてそうした格上の自己操作を複写しようとすると、劣化版にも関わらず霊力が凄い勢いで減っていく。時間も30セグどころか、数セグも保たない。これはロイの場合もそうだ、彼の力もそうした複数の高位能力の複合体らしい。
そしてリェンファやロイたち自身の力が跳ね上がっているのも問題だ。二人が以前のままなら、おそらくそこまでの難易度ではなかったのだろう。だが、今の二人はレダが複写するには「大きすぎる」ようだ。
どうやら自己操作については、一部だけを写す、というのは無理らしい。これについてのレダの力は、いったん全部複写してからそのうち必要な部分を切り出す、という手順であるようなのだ。質は写しきれずとも、いったん全てを捉えないといけない。
そんなわけでレダが味方の自己強化を複写する場合、ロイやリェンファの力は実質的に無理だ。エイドルフの回復能力くらいしか複写できない。
そして能力の記憶可能時間は、仙術の会得で以前よりは延びたが、それでも1日は保たない。毎日エイドルフに怪我を負って能力を見せてもらうのも忍びないところではある。
まあいい。とりあえずだ、リェンファの遠当て暗殺術に彼女の瞳の力が必要なら、レダには使えないと見なしてよい。
…………
「当面の相手は倒せたから、はやいところ、将軍を助けないと」
突如現れた二人組が幻妖を倒したのに、周りの連中の動きは相変わらず鈍い。何者だと尋ねる誰何の声をかけられたのも、気絶した将軍を引きずっていきはじめてからだった。
ずるずる、よいしょっと……
「お前たちは、仙力使い、か……?」
「ええ。我々は煌星騎士団員のマクナルドとガルフストラです。詳しくは後で説明いたします、今は一刻も早く将軍をお助けしなくては」
ずるずる……
「あ、ああ、そうだ、な……」
問いかけてきたのは、年齢と階級証を見る限りは千卒長であるらしかった。彼は頭を抑えながら呟く。
「いかんな、我々は何か、おかしくなっている、頭が重い……」
「『紅刃』の剣には、周囲の者を惑わせる効果があるようです。お気をしっかりお持ちください」
「……あの剣が、そうか。……チュン殿! 皆に精神防御を、お願いいたす!」
千卒長の声に応え、少し向こうにいた紫微垣魔術師団の灰色の制服をきた老人と、その取り巻きの魔術師らが近づいてくる……が。
レダたちを見て開口一番、老人の発した言葉ときたら。
「殺せ。こやつらは幻妖だ」
「……はあ?」
いきなり何を?
「まさか。僕らが幻妖なのであれば、普通に言葉を交わすこともなく、さっきの奴等だって素通ししますよ」
「騙されるなよグェン千卒長。こやつの言葉は我々を油断させるための演技だ」
「お待ちください、いかなる根拠で、そのような」
「我々は生者ですよ。お疑いならば『凝核探知』の術でご確認ください」
帝国の仙力使いでも、霊覚だけで相手が幻妖か否かを判別できる者、そして凝核を認識できる者はまだ少ない。今のところは先日グリューネたちに指導を受けレベルアップした学徒達くらいだろう。
今の学徒達であれば、業魔型などの一部例外を除けば、普通の幻妖なら十シャルク(m)程度まで近づけば分かるようにはなった。でもそれは普通なら年単位の時間がかかるものを、気絶さえ許されない殺人的に高密度な訓練で詰め込まれた結果である。アレハモウイヤダ。
……そうした訓練した者がおらずとも、幻妖であるかどうかを判別することは可能だ。西の島から『凝核探知』の魔術が帝国に伝えられている。丁級ではやや厳しいが、丙級以上の魔術師ならそれで何とかなる。
実際、魔導大隊の魔術師たちはほぼ全員が使えるようになっていた。邪神本人の襲撃を受けるまでは、『凝核探知』による情報に従って幻妖を判別し戦っていたのだ。幻妖を倒したいなら凝核に霊撃を撃ち込むのが何だかんだで一番効率がいいわけで。
「あの術式は、魔獣のごとき知恵のないモノにしか効かぬ。人型の知恵あるものならいくらでも誤魔化せる」
「いえ、そのような事はございません。知恵のある者にも効く術式にございます」
「愚かな、我らを騙そうとしてもそうはいかん。あのような不可解な式が混じる術に信を置けると思うてか」
「その確認のための魔導大隊派遣だったはず、効果のほどは分かっておいででしょう」
『凝核探知』は古代の龍神自らが竜人向けに作った術を、数十代か前の魔人王が人間向けに作り直したものらしい。業魔型のような普通の魔術が効かないやつにすら効く。
グリューネからは、『あれは幻妖なら誰に対しても効きますよ。ただし幻魔王の場合はあの術だけでは全部の凝核を見つけられないでしょうね。彼に限っては極めた霊覚か、リェンファさんの眼クラスのものが必要です』と言われている。
ただ、この術は構成式の一部に現代の魔術師からすると原理不明のブラックボックス要素が入っている。霊気に干渉する要素の所を人間の魔術師も使えるように落とし込むと、どうしてもそうなるらしい。
だから半年ほど前、トリーニを通じ帝国側にこの術がもたらされた際には、本当に動くのかどうか検証が必要だということになった。魔導大隊の者たちは、その検証部隊でもあった。
そしてその結果は肯定的なものだった、と聞いている。この老人が紫微垣魔術師団の要人なら、それを知らないはずはない。
「彼等とて貴様等のような、知恵と怪しい仙力などという邪悪な力を持つ幻妖とは殆ど戦っておらん」
話が通じない。
効かないとする理由が推測でしかないし、こっちを幻妖だと決めてかかっている? いや、そもそも仙力を邪悪だと言ってるのか? このじじい。
「我々が幻妖なら、今頃ここの皆が死んでいますよ、あの『紅刃』とやりあう意味もありませんし、将軍をこのように避難させる必要もございません」
「だからそれは我々を信用させ、単純な破壊よりも被害を拡大させようとする罠だ。だが残念だったな。私には通じん」
だめだこいつ。
……ああ、あの熊が言っていた事を思い出す。やはり無理か、さて、どうやり過ごすべきか。
「だいたい、貴様らが幻妖でなければどこから現れたというのだ。このような戦場のど真ん中に」
「それは我々をここに送り届けた禍津国の方にお聞きください。幻妖にしばらくの間見つからないように隠形の術をかけていただいてたんですが、どういう理屈の術か我々も分かりかねます」
「そのような術式、それこそ聞いたこともないわ。それに禍津国だと! やはりこの幻妖事変は奴らの陰謀であったか。自白しおったなバカめ! くだらん問答はもはや無用……千卒長! こやつらを始末せよ!」
「「…………」」
千卒長や周りの兵もさすがに困惑している。
「何をしている! 私は紫微垣魔術師団副長にして県侯爵だぞ! 私の命が……」
「失礼ながら、チュン殿、あなたに、軍への指揮権は、ありません。無論要請として尊重は、いたしますが……」
「千卒長。ならば要請するが、そも常識的に考えろ、こやつらは滅ぼすべき敵だ!」
「彼らを、幻妖だとみなす根拠は」
「根拠は既に言った!」
「あれでは根拠とまでは……事故以外での味方殺しは、重罪、その可能性がある以上は」
グェン千卒長が、重く鈍くなっているらしい頭を抑えながら答える。
「少なくとも始末せよとの要請には、応えかねます」
「ならば『事故』を起こせばよい」
「流石にそれを公言されるはいかがなものか」
「先程リンフーの奴が幻妖に入れ替わっていただろう、同じ愚を繰り返すか!」
「だからといって、証拠無しに味方を殺していては、戦線が保ちません。それにあそこで戦っている彼は、既に七勇者の一人を、倒したというではありませんか」
「あんなもの、あからさまな嘘ではないか。伝説の碧眼阿修羅があのような小僧の手にかかるはずがない、紅刃も含めた演技、こちらへの工作の一環だ」
「いえ、あの戦いを見れば、その言葉には説得力があります。あれぞまさに英傑、まさに勇者ではありませんか。とても演技とは……」
DoGAAaaaaaaa!!! BwonBwonWon!!!
赤と朱の激突は未だにやまない。余波だけでも並みの兵では死に至る暴風が、位置を変えながら吹き荒れている。
「彼と、この者達が仙力使いなら、それこそ対幻妖に有用なはず、それを根拠の薄い疑いで無くすのは、惜しいかと」
──本来武統派であり、仙力使いに否定的な立場の一人であったグェン千卒長らが、レダ達を敵とみなすチュン副長の言葉に頷かないのは、チュン副長の言い分が極端過ぎることに加え、皮肉にも『赤霄剣』の精神干渉の影響下にあるゆえだった。
今のグェン千卒長や周りの兵士らは、剣の持ち主であるフォンの言葉を信じやすくなっている。
そしてフォンがロイを、レクラークを倒した強者、戦いたい敵、と評していたため、グェン千卒長らもそれを信じてしまっているわけだ。彼がそう言うのなら、この仙力使い達は幻妖にとって難敵であるはずだ、と。
一方、既にナクシャトラの影響下にあるチュン副長に、剣の精神干渉は余り効いていない。ゆえに彼は仙力使いを、フォンの言葉を否定する。自分は正気であると信じつつ。
「話が通じんな。そうか、そういうことか、貴様らも既に幻妖の精神干渉下にあるわけか」
「今の我々は、確かに少しおかしいですが、チュン殿こそ、何かおかしいと思いますぞ」
変な方向に進みつつある睨み合いに、レダが割り込む。
「……おまちください。今は将軍の手当てが先決です! このままでは亡くなられますよ。副長殿、早く将軍に治療術をおかけください」
「確かに。チュン殿、意見の相違あれど、こればかりは急ぎお願いいたす」
ひゅー、ひゅーと、ファ将軍の息はか細い。下手すると肺を折れた骨が傷つけている可能性がある。
ロイと紅刃達はまだ互角にやりあっているが、その均衡がいつ崩れるかも分からない。こんな状態では遠くに連れて行くのも難しい。急いで最低限の治療を施して、今のうちに、将軍を動かさねば……。
「愚かな。幻妖とそれにたぶらかされた者らの願いなど聞くはずがなかろう」
「「……は?」」
期せずしてレダとグェン千卒長の声が重なった。
ええ? それで将軍を見捨てると? いや願いとかじゃなく、常識の問題ではないか。さすがに唖然とした二人だったが……。
リェンファが顔をしかめながら言った。
「レダ。この人の魔力と精神おかしいというか……たぶんこれ、ナクシャトラにやられてるわ」
「あー……そうかー……そりゃ話通じないよね……っ!」
ドン!
爆音と共に、いやそれより速く、チュン副長の杖から閃光が放たれレダ達に襲いかかった。
ともあれスギ花粉は滅びるべきである




