第181話 災厄は(めったに)降ってはこない、だから
天浮舟は帝都に向かって速度を上げた。だいぶ高度も下がっているようで、景色の移り変わりが速い。なんでも馬の全速力の数倍の速さで、飛竜でも追いすがれない速度らしい
明らかに向こうの山より低いところを飛んでいるようだが、これは目立つのでは?
『今は仙術迷彩をかけている。高度な霊覚持ちにしか分からんよ。さて……』
毛絨熊が説明を始めた。
『もうすぐ到着になるが、その前に君達に先方の現状と、クィシン殿との間の合意、そして君たちがすべき事について教えておこう』
そうして聞かされる現状。
中にはため息をつかざるをえない事態も……。
「……では、徴用された仙力持ちが、ろくな訓練もなく?」
『そうだね』
ロイ達は帝国において初めて組織化を意図して集められた仙力使いであり、さらに言えば、上澄みだ。
仙力も強く、多少下駄をはいたとはいえ士官学校に入れるだけの教育を受けている者が選抜されている。
しかし、帝国の識字率は半分に満たない。つまり人民の半分以上は帝国公用語の東方語の読み書きすらできない無学者である。
さらに言えば、広い帝国内には統一前の言葉が複数残っていて、辺境では未だにそれらのほうが使われていたりするし、東方語の読み書きどころか、喋る事もできない奴もそれなりに居る。
自分の生まれた村落から殆ど出ないまま一生を終える者だって珍しくない。知識や常識の範囲が狭い奴が多いのだ。
上の「お上」が、かつての国から帝国に代わっても、自分たちには関係ないと気にしないような田舎者たち。そういう連中には国への帰属意識や忠誠心なんて、無い奴のほうが多い。
そうした者が命数計の測定で仙力の素質があると分かっても、戦力化には時間がかかりすぎる。有用な固有仙力持ちとも限らない。
そも、学校の仙霊科自体が手探りのところから始まったばかりなわけで、さすがに言葉や常識からの教育が必要とされるレベルの者を召集するのは見送られた。
準備が整っていない現状、そうした者は当面の間、仙霊予備員として登録だけしておくことになっていた。クンルンに勝手に奪われないように唾だけつけておくというか、そんな感じで。
そして予備員らは、いずれ仙力持ちの組織がある程度大きくなったら、教育と訓練を受けられる環境を用意して、改めて召集。教育終了後仙霊機兵として各方面軍に組み込んでいく……ということになっていた。
ただ、これはあくまで構想段階の話でしかない。ロイ達が活躍して仙力の有用性を示さなければ立ち消えになる程度の代物だったはず。
だが、帝都の寸前まで幻妖が迫るという逼迫した戦況に、畿内方面軍のお偉方は近場にいた予備員を強引に招集してしまったようだ。
50人足らず程度だったようだが、彼らはろくな訓練もなく対幻妖戦に投入されてしまった、ということらしい。
「訓練無しには霊撃すら無理でしょう、固有仙力も戦闘向けとは限らないのに……」
『極めて好ましくない事態だ。仙力持ちは希少で補充は容易ではない。そして仙力持ちが幻妖に殺されれば幻妖として復活しかねず、そうすると仙力や霊撃に耐性を持つケースがある。生前自分の才能に気がついていなくとも、幻妖化した後で気がつくこともある』
「もしかして、ですが」
『なんだね』
「そうなったのは、ナクシャトラの精神干渉のせいですか?」
『原因の一端だな。増幅された仙力使いへの敵意が、この無体な徴兵の背景にある。これで哀れな予備員が使い捨てられて死ぬのは、幻妖と、それに知らず使嗾された魔術師らにとって計算通りの展開だ』
「「…………」」
……くそったれ。
『彼らのうち何人かは不幸にももう亡くなったが、生き残りの中には、極めて偶然にも、戦場で神隠しに遭って行方不明になった者もいるようだ。やはり素人など戦場に送り込むものではないね』
「かみかくし?」
『突然人がいなくなってそのまま帰ってこなかったり、あるいはしばらくすると何事も無かったかのように現れたりする現象のことだな。本人はいなくなっている間のことは何も覚えていないというよ。奇妙なこともあったものだね?』
「「……」」
それってさあ……?
いや、うん、あくまで偶然ですね間違いない。
『そういうわけで神隠しにあった者の中には、戦闘が終わった後に現れる者がいるかもしれない。保護してやるといずれ君達の助けになるのではないかな。崑崙の者たちが見つける前にね』
「そうさせていただきます」
『よろしい。では次は……』
そうして色々と説明があったあと、ヤバめの話が待っていた。
『……最後に、今、帝国の魔術師団がやろうとしていることを説明しよう。君達も理解しておいたほうがいいからね』
「というと……『万里長城』と『隕石招来』で、幻妖を一網打尽にしようとしている、という話の件ですか?」
『そうだね。いずれも人間が使える範囲では最高となる第七段階の儀式魔術で、特に問題なのは後者だ。単純破壊力においてはこの世界において最大の魔術といえる』
「業魔には効かないんですよね」
『効かないね。業魔や業魔の幻妖は君達が討伐するしかあるまいよ。その、業魔が生き残ることによる後の影響や、落下位置への干渉などの可能性も大変だが、それは問題の最大のものではない。『隕石招来』の作動原理に由来する副作用や、今この時期この場所で使われる事による問題のほうが厄介だ』
え? 待って。業魔のせいで全滅させられないから魔術師団が丸ごと複写されかねないとか、隕石が帝都に落ちるかも、とかが最大じゃないって? より厄介な事がある?
「作動原理といっても……『隕石招来』は伝説の禁術です。詳しい原理や式も、ごく一部の家だけに伝わる秘伝としか」
『あれは我が国でも秘伝だ、王族と護法騎士しか知らないよ。様々な意味で極めて危険な術だからね。だがそれでも、我々から説明を受けた君達は気がつくべきだ。本来、隕石を呼んでくる魔術など有り得ない、と』
「どういうことですか?」
『隕石はどこから来るものか考えれば分かる。あれは空のさらに彼方、虚空と呼ばれる星々の世界から来るものだ』
「空の彼方……」
「……そうか、封魔天蓋! 魔術は、例え精霊術であろうと、空の果てには届かない……」
「ああ、確かに。なら、その向こうに存在する石を引き寄せるのもできるわけが……」
『その通りだ』
「しかし、実際に隕石を落とす魔術はあるんですよね?」
『あるし、東方ではジュゲア君が若い頃に使っているね。威力、つまり呼んだ隕石はかなり抑えたものだったが』
都市が一つ滅んだという話だけど、それでも抑えた威力なんだなあ。……いかん、なんかそんなもんか? という感想が。最近どうも邪神の力や神器の破壊やらの天変地異を目の当たりにしたせいで感覚が狂っている気がするぞ。
「そうであれば……」
グァオ先輩が何かに気付いた。
「そうか、隕石招来の術は、空の向こうに魔術を放っているのではない、ということなんですね?」
『ほう、ではどうしていると?』
問い返されてグァオ先輩は言葉に詰まった。
「……途中の空で下向きの風を起こして引き寄せていたり?」
「すいまセン、グァオさん、それ有り得ないデス……」
珍しくニンフィアが呟いた。空の向こうのことは彼女のほうが俺達より詳しいのだろう。
『そうだね、それは有り得ない』
「実は魔術じゃなくて仙術だとか?」
『厳密には色々あるが、『隕石招来』自体は魔術で間違いない』
「えーと、それじゃあ……」
……皆がうーんと悩むが、答えが出ない。毛絨熊がくつくつと笑いながら言った。
『では、種明かしをしよう。あの術は、上でなく下に働きかけている。その発想の逆転が肝だ』
「んん?」
『運動とは相対的なものだ。向こうを呼べないなら、こちらから行けばよい。あれは極論で言えば大地のほうを動かして、空の向こうを漂う石に自らぶつかりにいく術だ』
「「……はああ!?……」」
んなアホな話があるのかよ!?
『挙動はもう少し複雑だが、基本思想はそちらだ。だから、準備に時間がかかるし、落ちてくる石には地表寸前までは何の制御もかかっていない。途中までは自然に落ちてくるだけなのさ』
落ちてくるだけって……ええー……。
『この大地のほうの制御がね、術者も分かっていない秘匿回路を利用している。この術は本来、八大竜王が一、奈落竜の術式で『天より降る神鳴る拳』という、神罰の力だ。自分から当たりに行っているのに拳が降るなどとの表現は失笑ものだがね』
笑えるというか呆れる……が、これ、地上からだと区別できねえのか?
『『隕石招来』はその神罰の記述式の一部を古代の竜人が盗んで不完全に複写したもの、龍脈の持つ巨大な霊方陣機能に魔術側から介入し、それを少しねじ曲げる術式だ』
龍脈に介入? しかも不完全? うわあヤバい予感しかしねえ。
『この星は自転と公転が本来の物理的に自然な状態にない。本来なら一日はもっと短く、一年はもっと長い。そうなっているのは龍脈が大地を操作して、生命に都合のよい環境にしているからだ。魔術としての『隕石招来』はその操作の変更コマンドでしかない。それゆえにこの術は、使い手からすると発生する現象に対して極めて低コストだ』
言っている意味はよく分からんが、とにかく凄いことなのだろう。これも何かの反則くさい感じがする。
『だがこの術式には多数の副作用がある。率直にいって龍脈のエネルギーの無駄遣いだし、そのうえ元の神罰にはあった副作用軽減のための安全装置が、『隕石招来』の式には殆ど残っていない。低コストなのはそのせいもある。……これの副作用の放置は余りにも危険だ』
「どのような副作用でしょうか」
『まず、自転と公転軌道が若干狂うことによる、一日や一年の長さ、日の出、日の入り時刻の変化や季節の変化などがありえる。式の起動から発動までは最短で半日ほどかかるが、その間に朝が数回来るかもしれんし、今は冬だが、発動の翌日から夏になるかもしれん。他にも粉塵による塵の冬や地震や津波など、付随する天変地異は盛り沢山だ』
なんだそれ!? 若干じゃねえよ!
隕石が帝都のど真ん中に落ちても死ぬのは多くて数十万人(それもとんでもない悲劇だが)だろう、だが、季節が変わるのは桁が違う。
農作物を扱う商家に産まれたロイにはその恐ろしさの一端が理解できた。
冬がいきなり夏になるとか農民は憤死ものだ。米や麦、芋や豆などの主要作物は全く育たず、代わりになるような作物では余りに足りない。途方もない大凶作、大飢饉が起こり、帝国だけで何百万という人が死ぬことになる。しかも全世界でそうなる。
大規模農業という代物は、来年も再来年もだいたい同じ気候が続く事が前提なのだ。それが成り立たないなら、みんな農業なんかより他人から奪う襲撃者か狩猟者になる。ひゃっはー! という叫びが聞こえてきそう。
『仮に本日夜に起動する場合、半日後発動する頃には朝と昼が高速で過ぎ去って夕方となり、季節は春になる。沿岸部には津波が生じる地域もあり、山間部は突然の急速な雪解けで近日中に大洪水が起きるだろう。その辺がどうなるかは起動時間によって違う』
「……老ジュゲア大導師の伝説だとそんな事は無かったようですが」
『それは当時の彼が、解読した秘伝を試してみたいが失敗するわけにはいかないと入念に準備し発動に1ヶ月以上かけたからだね』
さすが慎重だな……ん? 試してみたい? ……つまり、都市を一つ滅ぼした大魔術の動機が、単なる好奇心だったのかよ!? やっぱり天才ってのは度し難いな!
……ルミナスが神器ぶっぱしてキノコ雲作ったのもそうだが、天才やそれと紙一重の何かに力を持たせるとろくな事しねえ。
『時間をかけるのが副作用を軽減するもっとも簡単なやり方だ。実はその時でも季節は半月ぶんほど狂った。世界的に作物の栽培適期がずれて凶作気味になったし、星空も少しずれて大問題になったようだね。殆どの者が原因に気がつかなかっただけだ』
はた迷惑すぎる。
『さらには龍脈の活性化がおこる。昔ならともかく、今なら幻妖出現頻度の増大に瘴気の噴出などがあるだろう。仮に直接落ちなくても瘴気だけで体の弱い者は死ぬ。万里長城に穴が空いたら、そこから西風が死を運び、帝都は老人と幼児の死屍が累々とする地になるだろう』
目標の位置に落としてもそれか!
『そもそも落ちる位置の精度が悪い。5デシャルク(約3.5km)くらいは普通にバラつくし、効果範囲も最低まで絞るとして、そちらもバラツキが多い。今の戦場から帝都西端まではおよそ10デシャルク(約7km)だが、余りに近すぎる。『万里長城』が万全だったとして、守れる場合もあれば、帝都の西半分くらい吹き飛ぶ場合、どちらもありえる』
なんじゃそりゃあ。不安定すぎる。
『あれは元々戦場で思いつきで使うようなものでない。長らく警告してなお従わない国家や民族を見せしめで滅ぼすための神罰の術なのだ。警告から発動まで数ヶ月単位の時間をかけるべきものだし、絞らずに通常威力の場合なら、半径20シャルク(約14km)の範囲で地上に残る建物は存在しない。最大威力なら普通に人類滅亡の危機だ。物理破壊だけなら先日『光陰』がぶっぱなした神器より酷い』
おお、さすが神様の術、見せしめの規模半端ねえな(現実逃避)
『だがバラツキの可能性などは術式の定義要件に記述されているので、術を主導する魔導師ならある程度理解できているはず。以前ジュゲア君の術が意図通り成功したのはかなり幸運なほうだった、ということも、薄々は分かっているはずだ』
なんですと? 不安定で予測困難なものだと分かっている? それをろくな準備もなく使おうなんて頭おかしい。そこまで狂っているのか?
『今回の主導者曰わく、一度できた事が再びできない道理はない、だそうだよ』
そりゃ、骰子で同じ出目を意図して連続で出せるやつだけが言える話だな。つまりは如何様ができるやつだけ。
この場合なら神様やら目の前のこの熊とかだな。人間には無理だろ。
『率直にいって、今の帝国魔術師団は追い詰められすぎて危険から目を背け、運良く成功しただけの先人の前例にすがってそれを再現できると根拠なく信じたがっているに過ぎない。やはり下手に成功するのは良くないな、痛くなければ人は覚えない』
何となく分かるな、勝ちに不思議の勝ちありというし。
『そしてちょっと昨夜予測演算をしてみたが……現在の予定通り明後日朝に起動するなら、季節は晩夏に逆戻りし、かつ90%以上の確率で万里長城は耐えられず、帝都に破壊が及ぶ。50%以上の確率で10万人以上の即死者が出るだろう、最終的にはもっと増える。しかもこれは、幻妖側から術式への干渉がないと仮定した場合だ』
ちょっと想像したくない。
『さらに最悪なことに、大殺界渦中にある現在では、落ちた後に残るクレーターが新たな冥穴となりえる。そうなる確率は78%と出た。これも無視できない』
次から次へと! 一体誰だこんな阿呆な事を目論んだのは!
『主導者は帝国魔導院長官のジュゲア家現当主だ。そしてさすがにその父親はやった事があるだけに危険が分かっていて止めさせようとしたが、息子に『これはあなたがやった事だろう。それを私には許さないと? 愚かな、臆病風に吹かれた老害は黙って見ているがいい』と軟禁された。表向きは末子だった魔導大隊長の戦死をはじめ、帝国を襲う危機への心労の余り倒れた事になっている』
……長官って60歳過ぎてるだろ、それでなお父親への対抗意識バリバリか! 自分も老害の範疇じゃねえか! あと父親は半分名誉職とはいえ現職の宮廷魔術師長で元英雄だろ、そんな人が「危機に際して心労で倒れました」なんてなったら味方の士気だだ下がりだろ! ちょっとは考えろ!
「じゃあ何としても阻止しないと!」
どの副作用もヤバすぎる!
『そこで、ここからが本題だ。阻止すべきではない。予定通り落とさせたまえ』
「「はいっ!?」」
『何故なら……』
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うわああ。
やっぱりこの熊、邪悪の国のナニカだわ……。
災厄は(めったに)降ってはこない、だからぶつかりにいくんだね……なんでやねん! まこと人生はワンツーパンチや
『隕石招来』
作中世界にて人間が扱える中で最高位の第七段階の儀式魔術の一つで、その中でも最大の破壊力を持つ術です。
余りにも非効率なことに、招来という名前のくせに、大地のほうが迎えにいくというアホらしい構成の術となっています。そうでないとこの世界の魔術の設定上このような現象を起こせないのです。
プロセスとしては以下の経過を辿ります。
・光学系術式にて適切な隕石を捕捉し、ロックオンする
・当該隕石が当たる軌道に公転コースを変更(自動)
・指定時間に指定位置に当たる(落ちる)ように地軸の傾きと自転を制御(自動)
・隕石が落下軌道にのったら、そのコースの大気を変質させ大気圏で燃え尽きないようにする(自動)
・魔術が届く所まで近付いたら直接干渉し、落下位置を微調整する
自動とあるのは術者の意志に関係なく発動するブラックボックス要素です。最初と最後以外全部そうともいう。
したがってこの術は、季節の変更や昼夜の切り替え、大気への干渉なども含むものであり、そうしたもの単独の術も存在します。しかしそれらは人に使える魔術の術式としては伝わっていません。第八段階という亜神以上にのみ許された高位術式になります。
本来の神罰の式では公転や地軸を元に戻す操作や、舞い上がった粉塵の回収、霊方陣を用いて目的以外の隕石を弾く操作などまで入っているのですが、魔術としての『隕石招来』にはそうした安全装置がありません。
また、これの破壊は結局のところ単純な質量の位置エネルギーに依存した物理攻撃であるため、高階梯の仙力の防御を貫けませんし、一部の上位仙力や神器であれば発動後でも対処可能です。




