第179話 個の力
『これ以上は後だ。投下ポイントについた、皇帝殿に頼まれた資材を砦におろして戦場に急ごう』
毛絨熊がガチャガチャと何か操作すると、舟が少し揺れ……舟底の一部がぱかっと開いた。
そこから、巨大な傘のようなものがついた、でかい木箱が次々と出てきて、ゆっくりと砦めがけて落下していく。
……ちょっと、この舟に複数入る大きさと量じゃないんだが? どこに入っていた?
ヴァリスが呟く。
『舟の中には入っていませんよ』
どういうことだ?
『予想してはいましたが、妹が破壊神なら、こちらは創造神ですね』
創造神?
『【神智】、【創造】、【形成】……万物を認識し、無から有を創出し、存在を作り替える。【啓示】の力を持つ者が神域に至った場合に得る、創造神の権能です。それに加えておそらくは【影界】による存在置換術……』
凄いのか?
『分かりやすい神の力、ではありますね。ただし、規模は相当に制限されています。それこそこれ単独では【啓示】と変わらない程度に抑えられていますが、【啓示】と違って視界に依存していないのでそれと分かります』
それだとリェンファの目が神の力っぽく聞こえるな。
『正確な理解です。あの目は創造神系権能の複合版かつ機能限定版です』
へえ……。
『今更ですよ。ご主人様の力もだいぶ頭おかしい部類です。まして向こうの娘の本質ときたら、いつ霊基融解を起こしてもおかしくない、正直怖いです』
……ニンフィアか。自分で爆弾とか言ってるからな……思い詰めて自暴自棄にならないように気をつけないと。
『そしてこの大量の資材は、積み込んでいたのではなく、今、この場で展開、変造、ないし創造された代物です』
は? 今創造した?
『この舟の倉庫には殆ど何も入ってなかったです、あったのは『影』です。普通の影ではなく、存在情報を圧縮保存する特殊なもので、エネルギーを追加することで、内包する存在を実体化できます。一方落ちていく箱は、食糧、飲み水、矢、砲弾、呪符、油などが満載です。600人ならこれで二月は戦えるかと』
……神様半端ないって。
無から兵糧弾薬めっちゃ作れるとか、そんなん反則やろ普通……。
『……ん? ああ今回は無から創ったのは殆どないよ。全部創成するのはとても面倒だからね。殆どはちょっと空気と土を近場から調達して影にしていたのを展開して変質させただけだ』
大して変わんねえっす! あと個別念話を盗聴しないでください!
『やあそれは済まないね。盗聴というか、勝手に聞こえるというか、むしろ聞かないために努力が必要なんだ』
『【神智】ならば、そうでしょうね……世界のあらゆる情報が、勝手に入ってくる』
『そのせいで、普段から処理能力が不足気味でねえ。知り過ぎるのもなかなか困ったものさ』
『……【神智】が、【非在】なる者が在るための条件ですか?』
『それだけでは足りないね』
『では他に何が?』
『それはもちろん愛だよ』
『…………』
『おや、嘘くさいと思っているね? だがね君、無を拒むに愛に勝るものはないよ。なにしろ愛は永遠だからね』
『…………はあ』
巨大な傘をさした箱たちは、何故か風に流されることもなく、砦に向かって軌道を変えながら落ちていく。
途中、下にいる幻妖たちが上空の舟と荷物に気がついて、吐息やら魔術やら投石やらで攻撃してきたが、それらは謎の結界のようなものに阻まれた。
『【聖域】、拠点防御の力ですね。先ほどの虚数の矢にも効きますよ、これ』
俺らが防げなくとも問題は無かったんだろうな、まあ修行みたいなものか。
そうして箱の群れは次々に砦の中に着地。わらわらと兵が箱に群がって、さらにこちらに手を振っているのがわかる。手を振りかえすが、下からは見えないだろうなあ、これは。
「……資材支援でなく、直接助けるのは、やはりダメですか」
『私はやらないし、君達もすべきでない。こんなところで時間と霊力を消耗するのは下策だ』
分かってはいたが、現時点で直接介入するつもりはないらしい。
『替えの効く資材や情報の支援なら考えるが、直接の戦力や火力を投じるつもりはないよ。今回グリューネらが君達を守ったのは、ギリギリの特例だ』
……仕方ないな。この神様らの方針を変える手段は、今のロイ達にはない。
そして天浮舟が砦上空から立ち去ろうとするところで……。
「煙?」
砦から三つ、煙が立ち上がった。
「火事か?」
「いや、これ五色烽火だよ。魔術通信が使えない場合にやるやつ、学校で習ったでしょ」
「ああ思い出した。えーと、赤と黄色と白の三筋だけの場合は……」
「『現在異常ナシ。今後ノ幸運ヲ祈願ス』特に問題ない状況の場合に通信の最後にやるお約束だね」
「健在なようなら良かった」
とりあえず帝都側の幻妖たちを押し戻せれば、ここに戻ってこられるだろう。そのときまで粘ってもらいたい。
……押し戻した時点で足止めの意味がなくなるから、そこであの古竜が砦を瓦礫にしてしまうかもしれないが、何とか逃げられる事を祈る。
・
・
・
「いっちゃいましたね」
「あの中にカノン達が?」
「いーなー空飛べるの羨ましい」
「そこの塀から飛べばいつでも飛べるぞ」
「そいつはちょっと時間が短すぎるね」
「大丈夫、走馬灯が流れて長く感じるはずだ」
シンイーら、若手の騎士団員が飛び去っていく舟を見ながら言う。
そんな軽口が叩けるのも、この資材の到着により精神的な余裕ができたところが大きい。
魔導大隊の者どもの一方的な離脱、それに伴い資材の大半が勝手に持ち出され、さらに通信の魔導具が破壊されていたのが判明した時は酷かった。怒号が飛び交い疑心暗鬼が蔓延した。
幻妖の軍勢が近づいていることが分かっていたため、砦を放棄すべきという意見も出たが、結論が出なかった。
魔導大隊が離脱して半日後、幻妖の先鋒が砦に取り付きはじめたころに、フーシェンら煌星騎士団幹部らが到着、幻妖を蹴散らして入砦した。
元々フーシェンはロイ達の敗北の報をうけ、騎士団の生き残りをまとめて幻妖を可能な限り押し止めるために出陣したのだが、この魔導大隊の者たちの行動は予想外だった。
事情を確認したフーシェンは魔導大隊内部に幻妖が入り込んで破壊工作を行った可能性を疑い(さすがに連鎖呪詛に汚染されているとは予測できず)、畿内方面軍首脳陣に警告の文を送り、それと別口で帝城の皇帝に支援を求めた。
皇帝に支援を求めたのは、魔導師がいない現行の砦の戦力では、押し寄せてくる幻妖が帝都側に相当数雪崩れ込むのを阻止できないと判断したためである。
そして畿内方面軍が迎撃するとなれば、切り札となる魔導師側の言い分を聞かざるを得ないだろう。ただでさえフーシェンがいない状態では、方面軍首脳陣内部の力関係は、敵対派閥側に傾いている。こちらに不利な判断となるのは想定できた。
それにフーシェンは、下手に砦を放棄して急いで方面軍に合流しても、逆に魔術師達に盾にされて貴重な仙力持ちの騎士団員が使い潰されるだけになると考えた。籠城して脱出の機を伺ったほうがまだ生存率が高い、とみなしたのである。
また、籠城にあたり隊を分けた。このままでは資源が保たなくなるおそれがあり、籠城は仙力使いと精鋭のみに絞って、他の団員は帝都方面に撤退させることにした。
ただし畿内方面軍の本隊とは敢えて合流させず、少し離れたところにある詰め所で待機するよう命じた。うまく反撃の際に力になればよし、最悪の場合は皇帝を守り落ちのびさせねばならない。それらのための予備兵力だ。
とにかく今後を考えると幻妖との戦闘経験がある兵を間違っても使い潰されないようにしなくてはならない。後は方面軍首脳陣のお手並み拝見、だ。
そして幻妖の本隊が到着した。防衛線を守るにも彼我の戦力差は圧倒的で、早々に足止めを諦め、砦に籠もることになる。
幻妖を率いているが誰なのかは分からないが、そいつもここで砦の攻略に時間をかけたくはなかったらしい。こちらに数百体を割いて、残りは街道沿いに帝都方面に向かった。
残った連中は、数だけなら籠城した者たちより少なかったが、大型幻妖が多かった。一方ここにいる騎士団のうち、仙力持ちは30人ほどしかいない。
竜などの大型幻妖に優位に戦うには、一体に対し仙力持ち数名を含む小隊規模の戦力を要する。単独で撃破できるロイやニンフィアのような戦力は籠城する騎士の中にはフーシェンしかいなかった。
そのフーシェンもロイやニンフィアには劣るし、使える切り札には回数制限もあった。簡単には切れない。現状では、砦の弩や大砲、火炎弾などの武装無しには厳しい。それを捨てて打って出る余裕は無かった。
敵も包囲した後は特に急いでいないのか、戦線は膠着した。当初は多少の隙は作れるはずと思っていたが、幻妖は眠りも食事も不要で、昼夜を問わず見張りを続けられる。これが意外に厄介で、打開策がなかった。
その状態で皇帝との情報伝達役になったのが、皇帝配下の諜報部隊「闇星」の者どもだ。一応は皇族であるフーシェンにも彼らは常時張り付いている。
彼らの技術があれば、資材や増援を送るのは難しくとも、人を一人、文の何枚か程度なら、幻妖の群れをどうにかして誤魔化すことができた。
闇星の者に託した文のうち、畿内方面軍への警告には回答がなかった。まあこれは後で不都合があれば「届かなかった」としらばっくれるつもりだろうが、やらないわけにはいかない。
皇帝に対してのものは数回に分けて回答と指示があった。
事情は了解したので、まずはできるだけ仙力持ちを生き延びさせることを優先せよということ。まもなくロイ達が修行を終えて帰ってくるということ。そしてそれにかこつけて、先方に資材の融通を頼んだ、空から投下するらしいから受け取れ、受け取れたら烽火を上げろということ。
畿内方面軍の防衛は長くは保ちそうにないこと。北方方面軍と東方方面軍から表向きの増援とは別に、一部の精鋭だけを密かに急行させているということ。ロイ達には直接帝都防衛に加わってもらうということ。救援は幻妖撃退後まで待て、場合によっては砦の放棄もやむなしということ……。
「資材は確かに約束された種類が入ってる模様です。量はこれから確認いたします」
「ご苦労。これだけのものを空から運び、竜の吐息すらものとのせず届けてのけるか。かの国の力は恐ろしいな」
「まさに……」
フーシェンとその側近達が嘆息する。
かの西の島が大陸を侵攻しないのは、やれないのでなく、やらないだけなのだろう、というのがよく分かる。
つい昨日も巨大な爆発とキノコ雲が山脈のほうで発生していた。あれも奴らの仕業なのだとしたら、今、敵対するのは愚かとしか言いようがない。
あのような人外魔境どもと対するには、帝国の武は、質の面で圧倒的に足りない。
「我々は慢心していたと言わざるをえん」
人間相手なら帝国は大陸最強の国だった。最大の人口を持ち、温暖で肥沃な穀倉地帯を領有するがゆえの補給、継戦能力があり、それを運用するノウハウがある。軍隊同士の戦いならどこに対しても優位にある。
だがその言説は結局、人に非ざる域に至った怪物たちを見ないふりをしていたが故だ。
彼らは時に一人で一軍を破りうる。それが継続しにくいものであるとしても、帝国を一時的に打ち負かすには充分な力がある。そして今の帝国には全盛期の回復力はない。さらに折角の軍組織も硬直化が激しく、実力を発揮しきれていない。
しかし、帝国にもかつてはいた、そしてあったはずなのだ。
衆を圧倒する個を持つ者が。
その個を討つための大いなる武器が。
例えば、皇族に連なるフーシェンは知っている。帝国創建の頃、高祖を支えた初代七剣星の本当の力を、彼らが本当は史書に残る記録よりも強大であったことを。
さらに……その裏にいたもう一人のことを。
七剣星の『番外』、『八番目』の七剣星。『輔星』という符丁で呼ばれ、最強の剣星とされながら、歴史から忘れられた英雄。歴史家どもの掌から零れた一握の砂。
帝都の南に広がるルイシェン湖は彼の力が発動した結果、平地や丘陵だった所がえぐり取られて生まれたものである。その秘密を守るために、あそこには皇族しか行けない場所があるのだ。そうして後世の調査を禁じた。
──飛鳥尽きて良弓蔵められ、狡兎死して走狗烹らる──
まさにそのようにして、個は歴史から消され、武装の多くは蔵に秘された。皇帝が法をもって統治する世には不要であるとして。
それから200年余、帝国が盤石の間は、確かにそれで良かった。突出した個や武器は混乱の元になる、という考えは間違いではなかったのだろう。
だが、その統治が揺らぐ今こそ、混乱が外からやってきた時こそ、それを鎮める力が必要になる。その力を帝国は取り戻す必要がある。仙力や神器がその鍵となるならば、何とかしてたどり着かねばなるまい。
ロイ達、若く才ある仙力使いはそのための重要な手がかりとなる。
「対策は急務ですな」
「その前に幻妖を退けねば舞台に立つ資格もない」
「確かに。まずはそこからです」
と、側近らと話していたところ、砦の塀の一角が騒がしくなった。
……何奴……!
……ぐわっ!……
……応援を呼べっ……
……速いっ……
輔星……ほせい、もしくは、そえぼし
北斗七星の七星の一つ、開陽星ミザール(大熊座ゼータ)のすぐ側には、やや暗い輔星アルコルという星があります。八番目の七星、どこぞの漫画でこれが見えた者は死ぬという死兆星の元ネタとなった星です。やはり北斗七星由来の名称を使うならこの星は必須で(偏見)
さらに輔星の対になる位置に弼星なる星を加えて北斗九星とする場合もあるようですが、こっちはどの星が該当するのかよく分からんアレです。少なくともその辺に肉眼で見える星はありません。
なお本来の中国の伝承だと死兆星とは逆で、開陽星より暗いこの輔星(前者=二等星、後者=四等星)が肉眼で見えなくなると死期が近い証だそうで。
それ、老眼で見えなくなっとるだけや。
なお作者は眼鏡つけてもそんなもの見えません。おお、もう……火をつけろ。なんかもうとにかく全部に。




