第176話 英傑伝承
『霊覚強化の仙力で位置を探知し、追尾機能を持つ矢を放ち、矢を虚数化して実体を希薄化し空気抵抗と重力の影響を仙術による加速で相殺できる範囲まで低減して超長距離狙撃を実現しているものかと。追尾対象の指定はおそらく霊力持つ生物ないし器物でしょう』
探知の仙力はいいとして、きょすうって何だ?
『うーん……要はですね、あの矢は全体の九割以上が、こことは別の世界にあるんです。先ほどの【憤怒】も、【空聴】で起動を知覚し【虚実】で限り無く虚数化して回避……正確にはごく一部の被害のみで耐えたようですね。【偏向】が効きにくいのも、ご主人様が虚数化部分を認識できていないからです。霊力の大半が無駄になっています』
あの古竜の透過能力みたいなものか?
『似て非なるものですが、これも透過能力ではあります。実数部を限りなく減らし存在確率を希薄化することで物質をすり抜けられる、だから壁や盾がほとんど意味を為しません。これに追尾付与と【空聴】とを合わせれば、いかに暗い闇夜でも、どんな城に籠もろうとも、この使い手の放つ矢からは逃げられない』
よく分からんが、それが「夜闇の射手」の正体か。
『しかし本来は……折角の貴重な虚数質量生成の仙力なのに、真価である超光速化による、観測可能になる前に当てる絶技でないのは何故? ……いやそうか、人間ではあれをやると虚数状態から戻せなくなって制御不可能になりますね、仕方ないのか』
……ほんと意味が分からん、だが、何であれ負けるわけにはいかない。弾くぞ、できるか?
『【偏向】の対象を修正し、効率を上げることで可能です。演算は私がやりますのでご主人様は仙力を励起させてください。今のままでは二の矢、三の矢があった場合に足りません』
分かった。
「すまん、俺を殴ってくれ!!!」
「ロイ!? ……頑張っテ!」バン!
「えーと、こめん!」パーン!
背中に感じるリェンファとニンフィアの視線と応援、ついでに張り手。……どこぞの鳥の加護よりも御利益がありそうだ。
「食らえぇ!」ドォン!
「往生せいやあああ!」ガツン!!
「リア充死すべしおるぁアア!」ドガァッ!!!
……男性陣からのはダメージの割に霊力増えねえんだけど。お前ら、何か霊力譲渡を阻害するような邪念載せてないか?
まあいい。守るべき者がそばにいるのなら、その力を受け取れるなら、彼の力は人ならざる域に跳ね上がる。
「はああ!」
ぐぐぐ……がりっ!
そしていざ目前に矢が来た瞬間、力を絞り込むことで【偏向】の力が僅かに勝り、青い矢は鈍い音を立てて舟から逸れた。
しかし、矢は空しく逸れた後、緩やかに曲がり始めた。また追尾を再開しようとしている。
そしてその前に、ニンフィアが動く。
「ええと……壁を作るのハ、【絶壁】? え、ダメ? こっちだとすり抜けチャウ? じゃあ……」
誰と話しているんだ?
「ええ、仕方ない……何者の通過も許さズ! 【虚壁】!」
先日のセラフィナからの「授業」にて学んだ、万物を破壊する虚無の攻性防壁を作り出す力。
まだニンフィアは未熟なため発動に時間がかかり、本来の瞬間防御用や罠としては使い物にならないが、時間的余裕があれば何とかなる。
そうして飛行する舟を位置基準として、舟と共に移動しつつ、矢の軌道を阻む位置に漆黒の盾が現れた。
ヒュン……。
対する矢は再び虚数化して盾をやり過ごそうとする。【虚実】による矢は壁や盾すらもすり抜けて内部を攻撃できる、恐るべき力だった。
だが虚数化は無ではない。単に存在の在り方を変えるだけだ。
同じすり抜ける力でも、幻霞竜の【透過】のような、「透過」という結果を押し付ける奇跡ではなく、存在が消えたわけでもない。
この能力の本質は慣性などの任意増減と、それを極めた果てにある超光速遷移であって、透過能力は副産物でしかない。
対する【虚壁】は、使い手の認識如何に関わらず、通り抜ける存在全てを無に変える力だ。だから実体がなくとも「在る」ものならば、無でないのなら、ただ等しく無に還る。
……
そうして遥か地上から駆け上がった燕は、天の涯てに届くことなく、音もなく空しく消え去った。
・
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「どうじゃ、カトー」
「……逸らされ、壊されたな」
「ほう。あれをか」
憮然とする弓使いを前に、相手もなかなかやるのう、と禿頭の若者が笑った。
「やれやれ……生前より桁違いの、それこそ雲上にまで届くようになったのだがな」
生前でも【空聴】と【虚実】持つ彼の弓の射程は優に1500シャルク(m)を超え、いかなる障害物も暗闇もものともせず、霊力あるもの……対生物において百発百中を誇った。
それだけでも弓使いとして破格であろう。戦場の戦力という意味において、生前の能力では、七英傑のうちカトーこそが最も高かったと言える。幻聖化によりその力がさらに極められ、特に射程と威力が大幅に増えた彼の弓は、敵対する者にとって悪夢であった。
だが今回は防がれた。距離が遠すぎて対処する余裕を与えてしまったか? だとしても、並の力では防ぎ得ない代物だったが……。
「それを防いだと。向こうも仙力持ちか」
「おそらくは。かなり高階梯のものだ」
「反撃は?」
「今の所無いな」
「ふむふむ」
発端はカトーが己の仙力で、空の異変に気がついた事だった。先程まで、目には見えないが酷く巨大な何かが空を飛んで近づいていた。
……その巨大な何かは、上空にくる寸前に西に引き返したようだが、その近くに、より小さな何者かが残っており、そのまま峡谷の上に侵入してきた。とはいえ雲より高く、余りに遠く、最初の巨大な何かがなければ気付かなかったであろう。
残った方はおそらく空を飛ぶ宝貝的な何かで、冥穴を監視しようとしている何者かの手先か、とあたりをつけ、撃墜を試みたのだが……うまくいかなかったようだ。
「仙力なら、崑崙絡みか? あの空の奴ばらが何者か、貴様の師なら知っておるのかのう?」
男は刺青の入った禿頭をペシャリと叩きながらカトーに尋ねた。
男こそは七英傑の一人、破戒の羅漢『紫雲頭』ラハン。
生前、自己強化術に関して右に出るもの無しと言われ、奴を縛る戒めなし、と言われたこともあった。それと元々属していた宗教と喧嘩別れし破門されたという逸話ゆえに、後世、破戒という二つ名が付けられた。
英傑としてはレクラークをはじめ仲間たちにも自己強化の術を教えたことで彼らが英雄と呼ばれる一端を作った者だ。
亡くなった時には五十歳手前の壮年であったが、今の彼は二十歳ほどに若返り、凄まじく分厚い筋肉を備えていた。
ただし、頭は輝いている。亡くなった時そうだったように、いや、それ以上に。
(……儂、この年の頃にはフサフサだったんじゃが? というか死んだ時もここまで輝いておらなんだはずじゃが? これ絶対伝承のせいじゃよなあ。……誰じゃ、儂を後世で紫雲頭などという名で呼んだ奴は! ちょっとこう、お礼参りしたくてたまらんのじゃが? 幻妖でよいから生き返って儂に殺られてくれんかの?)
ラハンが内心そんな事を考えているとはつゆ知らず、カトーは真面目に質問に答えた。
「私の知る限り崑崙にはあれほどの高さを飛ぶ宝貝は無かった。おそらくは西の禍津国の手のものだろうが……老師達なら何かご存じでもおかしくはない。だが聞けん、私には老師達に合わせる顔がない」
「なぜじゃ」
「そも、崑崙から出るな、諸国連合軍に合力など馬鹿らしい、と仰られたのを……力を持ちながら無辜の民をお見捨てになるのかと反発し、戦いに参じ……この有り様よ。老師らは全てを分かっておいでだったのにな」
「愚かしい。浅ましい。今更恥いって何になる」
岩場に魔術で草木の吊床を作り、そこで寝ていたローブ姿の、男とも女ともつかない誰かが、ハンモック内で目を閉じたまま呟く。
「拙ならば、訪ねる、尋ねる。所詮この偽りの生など余興の旅。掻き捨てる恥そのものと何ら変わりなし」
声もやや高めの、男か女か分かりかねる中性的なものだった。彼はかつて双金の賢者『金重瞳』ナクシャトラと呼ばれた者。
優秀な魔導師であった彼は、幻妖英傑らの中で一番生前の状態に近いかもしれない。ステータスは底上げされたが、魔術が衰退したぶんと相殺されたせいだ。
それでも当時の一流であれば、今ならば超一流であるのは間違いなく、戦力としては申し分ない。しかし幻妖として再臨した彼は、外部からはひたすらぐうたらしているだけに見える。
他の英傑らが植え付けられた殺戮の使命感に煽られて心ならずも時折戦っているのに対して、ナクシャトラは何故かぐうたらできていた。この時点で普通ではなく、何かあるはずなのだが。
「貴様は何もやらんのか、ナック」
「やらぬ。動かぬ。まだその時ではない」
「その時とはいつじゃ?」
「詰まる所、帰する所、世に闇の晴れ昇龍の天に登らんとする時よ」
「だからいつじゃ?」
「拙には分からん、誰にも分からん。ゆえに待つのみ」
またゴロリとハンモックの中に転がるナクシャトラを後目に、ラハンは嘆息した。生前から変なやつではあったが……。
「なぜ貴様はこの狂気に悩まされておらんのじゃ」
「この殺戮衝動の縛りか。知りたいか、聞きたいか」
「おうとも」
「どうしてもか」
「答える気になったのか?」
「ふうむ。本来なら、かつてなら、言葉には礼を、知恵には対価を取るところだが。今となっては是非に及ばずか。よかろう」
そうしてナクシャトラは指をくるくると回しながら答えた。
「要は拙でなくともよいのだ。それが思いの外うまく効いてしまってな。いや効き過ぎか、笑えるほどに」
「んん?」
「この縛りは存外緩く、案外柔い。求められるは結果だけだ」
「いかなることか?」
「だから、拙自身がやらずともよいのだ。仕組みを作れば、あとは勝手に動く」
そうしてナクシャトラは片目を開く……が、そこには何もなかった。虚ろな眼窩がぽっかりと昏い。
彼の二つ名『金重瞳』の由来は、そこにはまっている特殊な魔導具の義眼にあった。瞳が2つある奇怪な眼……それが、無くなっていた。
「…………ああ、そういうことか! それで……それは結局儂らには出来んという事ではないか!」
「だから言わなんだのだ。その代わり、差し代わり、お前たちは自身が強くなっているだろう」
「かーっ! 全くもって面倒じゃわい」
「諦めよ、受け入れよ。ジーシゥとフォン、フィッダは腹をくくったぞ。せいぜい、今の世の者共に、語られる、謳われる通りの姿を見せようとな」
『紅刃』フォンと『白皙小姐』フィッダは魔物たちを率いて帝都のほうに向かった。……彼らの知る時代では片田舎の小国であった地に、今では百万を超える民がひしめいているという。
かつて最も強国であったシュタインダールの首都でもその三分の一もいなかったはず、今の煌星帝国とやらの隆盛が計り知れるというものだ。
その帝都に、伝説の英傑が蘇って死者の軍勢を率い、今度は殺戮を求める侵略者として攻め込まんとする。かつて民を屍鬼の群れから守るのだと気勢をあげ、魔女や邪神と戦った者の末路にしては皮肉に過ぎよう。
だが出立前にフォンは言った。
「折角なので。私が今や、伝説の剣士とやらと呼ばれているというのなら、せめてその伝説が真であったと喧伝したほうが、私達自身への供養になると思うのですよ」
分からなくもない。虚名であったとしても、その名に相応しい実力が今はあるのだから、英傑の伝承は正しかったと伝わるほうがさらに後世に名は残るやもしれぬ。
いま力を示すということは生者を殺すということ、悪名になろうか? いや、幻妖と化せば命刈り取る悪鬼となるのは誰でも同じなのだし、そこは彼らの責任ではなかろう。強さのみでも記憶に残るなら、語られる限り彼らは不滅である。
そしてジーシゥは……。
「ジーシゥ殿は未だに出てこぬか」
「そうだな」
「律儀すぎるのも考え物よ」
ジーシゥとレクラークを破った少年に、今のままでは勝てぬと考えたジーシゥは、邪神と白衣の男の元に向かったまま帰ってこない。修行か、あるいはさらなる力を得るためか。
向かう前にジーシゥは言った。
「彼の者に対するには全力を尽くさねばならん」
確かにあの少年は強い。魔術は大したことないようだが、武技においてレクラークに匹敵し、さらにその仙力はかの邪神殿も手強いと認めるほどのもの。人の身では最大級のものかもしれぬ。
今のままの彼らでは、単身では勝てまい。だから強くなって立ち向かうとする、として……所詮は仮初めの彼らが、そこまで律儀に努力する意味があるだろうか?
生者を手に掛け、魂を星に捧げるのが必要なのだというのはわかった、納得しがたいが、仕方のないことなのだろう。
だが幻妖はそれこそほぼ無限に湧いてくるものだ。別にかの少年らと戦うのが、この彼らである必要はないではないか?
所詮彼らは既に死した者の影法師、残照なのだ。むしろ鍛えるなどせずさっさと戦い、倒されたほうが、今を生きる者と彼らと、どちらにとっても楽な話なのではないか。
ナクシャトラが呟く。
「意味はあるが、旨味はない。苦難であるが、見返りもない。正と言うには血腥く、邪と呼ぶには酌量の余地があろう。それらの如何に関わらず、信ずるままに進むが『英傑』であろうよ。即ちかつての拙らがついぞ至れなかったものよ」
「なるほどのう。この期に及んで報われることを望むが愚かか」
ぺしゃり、と禿頭を叩いて、ラハンが立ち上がる。
「ならば儂らもそうするか、カトー」
「今からでは間に合わんかもしれんがな」
「次に間に合わずともその次があろう」
「そうだな」
「行くか」
「行こう」
そうして、弓使いも腰を上げた。
吊床に揺れながら魔術師は仲間たちを見送り、呟く。
「おお、人よ。生あるうちに食べよ飲め遊べ、死後に快楽なし! 古の格言はまことであったな……」
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「二の矢はないようですね」
『彼らも気がついたから試しにやってみた程度なのだろうね』
「気がついたのはあの鳥のせいですか」
『そうだね、やっぱりこう、でかいからね彼女』
本当に要らんことを……。
『幻魔王は疲れを癒やすべく寝ているようだし、このまま西宿砦の上空を経由して、帝都西の戦場に向かうよ』
「何故西宿砦を?」
『そこに君達以外の煌星騎士団員が籠城しているが、幻妖に包囲されて補給が途絶えており、兵糧や資材が心許ないそうだ。援軍も期待できない。そこで皇帝殿から資材を届けられないかという打診があったので、高値で売りつけることにした。この舟から投下する予定だよ』
援軍のない籠城とか絶望しかないだろ。仙力持ちの重要性を、畿内方面軍のお偉方は本当に分かっていないというのか?
地上からは厳しくても飛竜なら届けられるし、救出も可能かもと思うんだが、おそらくこれも派閥争いの結果なのか。実利より面子か、ほんともう腐ってんなうちの国!
そしてそのまま舟は冥穴の異界化領域を抜け出す。
……あの昏い穴にいつかは挑まねばならないのだろう。
それがいつになるのか、その時何が起こるのか、この時のロイ達にはまだ十分に分かってはいなかった。
昨今、英雄やら英霊やらが伝承や逸話によって強くなったり生前にない技を身につけたり女体化するのはもはや常識。頭部含む容姿がその影響を受けるのも必然です。
フォン「確かに私は生前より美形になっていますね。武装もピカピカかつ高性能に」
フィッダ「私も元以上に白い美肌になっています。若返ってもいますし、他にも(体型とかごにょごにょ)……うん、いいと思いますよ伝承の影響!」
ナクシャトラ「拙も元々より美男になっておる。あと持病だった腰痛がないどころか、よく曲がるので有り難い、伝承の拙は軽業師的な身軽さがあったことになっておるようでな。他の奴がやったことと混ざったせいであろう」
カトー「そういえば私も幼少の頃の病で得た痘痕がなくなっている」
ジーシゥ「私は刺青部分が綺麗になっているな。昔の負傷の影響でひきつれていたところが治って色も鮮やかに」
レクラーク(幽霊)「俺は若返ったくらいだったかな? いや言われてみたら目が元より鮮やかな碧眼になってたわ、元はもう少し黒かった」
ラハン「……なんで儂だけこうなっとるんじゃあ!」
【虚壁】の呪文について
アシスタント・ヤンジェンくん「こちらの力ならあの矢を止められます」
ニンフィア「わかった、でもこっぱずかしいポエムは無しで発動して」
ヤンジェンくん「ポエムでなくともコマンドは必要かと思います。コマンドを決めてください」
ニンフィア「No thoroughfare(通過を禁じる)でいいじゃない」
ヤンジェンくん「もう一声。この壁は万物を通さない事に意味があります」
ニンフィア「Nobody but nobody should pass through(いかなる者も通過してはならない)」
ヤンジェンくん「それを東方語で」
ニンフィア「なんで?」
ヤンジェンくん「周りの人に理解していただかねば」
ニンフィア「めんどくさい……」
「おお、人よ。生あるうちに食べよ飲め遊べ、死後に快楽なし!」
Ede, bibe, lude, post mortem nulla voluptas.ラテン語の格言です。
虚数質量
計算上の存在。質量が完全に虚数のみのものは、光速以下の速度になれないとされます。超光速状態だけなので、光速度に縛られた世界から見ると、観測する前に当たるという状態になり、人間からすると観測する前に向こうにいってしまうので制御できません。
重力はじめ、通常空間の力学的効果は虚数軸方向に発生するはずですが、実数軸には関係ないので、見かけの慣性はないという状態に……まったくわけがわからんでち! とりあえず普通じゃない奇跡の存在なんです、ということで。
超光速の存在は、計算上だけなら時間遡航なども生じえますが、作中世界では発生しません。




