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第170話 幕間 嗚呼、されど(1/3)

 その男は焼けた落日を背負って現れた。


「──邪悪の徒が、このように我が大陸の奥でまで蠢動(しゅんどう)するとは、まこと嘆かわしい」


 男の声が荒野に響く。


「しかし我が神は寛大にして、悪にも一度は懺悔の機会を与えよと仰せだ。疾く西海の果てに戻るがいい、さすれば命までは取らぬ」


『我が大陸というごく自然な傲慢さが素敵ですね』

「どちらさまですか?」


 荒れ野の真ん中にどうやってか円卓を出し、優雅に紅茶(?)のような何かを飲んでいる影体と護法騎士グリューネ。


 その前に立つ男が一人。そう、独りだ。


 供はおろか、馬の姿もない。身に付けているのは革に薄い金属の鱗を貼り付けた軽装鎧と外衣(マント)に、見るからに高価そうな長剣と盾。さらに少し向こうにはそれなりの大きさの背嚢(はいのう)までおかれている。


 総金属の甲冑よりはマシだろうが、だからといって徒歩で長時間歩くには辛い重さがあろう。ここは最寄りの人里まで、徒歩で普通なら半日はかかるのだ。


 だが、実際この男は、その人里からさらに半日ぶん以上遠くにある都市からここまで徒歩でやってきた。それもせいぜい一刻半(約3時間)ほどで。


 見るものが見れば、それも可能と一目で分かる。男の履く靴はかなり強力な魔力を帯びた魔導具であり、さらに鎧のそれぞれの鱗の表面には薄く複雑な紋様が刻まれている。


 そして鎧も含め白と金に彩られた色調と翼持つ十字(フェザードクロス)の意匠。そんなものを着る事を許されるが何者か、大陸にて知らぬ者はいない。即ち‥…。


「問われたならば答えよう。我はアントニオ・アリギエーリ。アナトにて聖騎士を拝命している者だ」


 北方大陸の西半分の殆どの国において、国教かそれに準ずる宗教として扱われている「グレオ聖教」


 その本拠地は大陸北西部の聖なる山アナトにあり、山の周辺が聖山アナトとして独立国家となっている。


 そこの王は世襲ではなく、通称聖者ないし聖女と呼ばれる25人の高位司祭から一人が選ばれて即位し、聖王として神の代理人を名乗る。この聖王と聖者らが大陸各地の教会組織を統率している。


 そして聖山アナトには軍事力として聖司祭団、聖戦士団、聖騎士団があり、特に最後の聖騎士には武術と人格が優れた者のみが選ばれ、人数も定員47名と少ない。


 聖者、聖女、聖騎士はアナト以外の各国の教会に派遣されることも多く、その場合は聖王の代理人として扱われる。


 さらにこの72人の中には、特別な力を与えられた者がいる。


「ごきげんよう、『調伏師』アリギエーリ殿。私はファスファラスのグリューネ」


 『名持ち』の聖騎士。聖山アナトの誇る聖騎士団と聖司祭団において、特に優れた12名に、聖王が『秘儀』を授けた『使徒』たる証だ。


「こちらにはこの国の王の許可を得て、訓練所を作っておりますの。此度はいささか計算違いがあり、やりすぎましたが」


「ふむ、この国の上層が『汚染』されていることは分かっていたが、これほどとは誠に遺憾だ。速やかに『除染』する必要があるな」


『おや、毒物扱いとは遺憾な』


「邪悪の徒よ。貴様らを放置するは、無辜の民の為にならぬ。確かに貴様らには人ならぬ力がある、あるいはそれに魅せられ、あるいは己の不幸への救いと見なす者もいるのかもしれぬが……」


『おや、聖騎士にしては柔軟な』


「そは世界よりかすめとった盗人の力である。例えその行いに三分の理があろうとも、いや、あるからこそ、それに耐えるが人への試練である。罪に魅せられる子羊を救うも我らの試練。我々は神のため、信仰忘れぬ者のため、魔を断つ剣を()る者なり」 


『おや、聖騎士としては模範的な』


 影の女の揶揄に、アリギエーリは怒りを滲ませて告げる。


「覚悟せよ。未だ神のご威光を理解せぬ辺境であろうと、ここはこの地の民のもの、お前たちの如き魔の者の(ほしいまま)にして良い地ではない」


 やや一方的ではあるが、彼の言にも理はある。


 聖教はことに魔人を悪なるものとして目の敵にするが、それ以外でも権力者や力ある者の横暴から民を守るという大義を掲げ、他の宗教より優れた現世利益を提供している。


 具体的には弱者救済をうたい、寄付を通じた富の再分配、安価な医療の提供のほか、初歩的な読み書き算術を教える学校の運営、孤児の保護、場所によっては農業技術の指導や道具の貸し出しなどまで行っている。


 教会の聖戦士や聖騎士は魔物討伐なども行うし、商業契約の保証人や、冠婚葬祭の取り仕切りなど、聖教の果たす役割は多岐にわたる。


 実際、聖教が広まっている西方地域は大陸の他地域より識字率が高く、福祉や医療が相対的に充実し、商業も発展している。さらに宗教関連の芸術や建築などにもまとまった予算が付くため、芸術振興や建設技術の向上、雇用の確保にも繋がっている。


 もちろん人間のやることだから組織に腐敗や瑕疵はあり、汚職に溺れる聖職者も多い。だが総合的にはグレオ聖教は世俗権力の暴虐に対抗する選択肢の一つとして機能している、と言える。


 その点、聖教の影響が少ない帝国やラベンドラ王国などは相対的に弱者に厳しい地域である。救済のための公共の制度も薄く、教育や医療は経済力に露骨に比例しており、底辺層はかなり酷い。


 一方、ファスファラスは制度的に福祉はあり、医療も発展しているが、社会の価値観が基本的に強者、異能者優先のお国柄だ。


 暴を以て暴に()え、その非なるを認めぬ者達の国だ。さらに鎖国しているため外部との交流もなく、澱みも多い。これはこれで、力無き者にはかなり生きにくい国だ。


 そして聖教の聖騎士は弱きを助け、強きをくじく事を求められる。守るべき対象は多岐に渡る。人、土地、信仰、そして契約だ。


 聖教のうたう唯一神という絶対者の存在と、それによる平等や契約の概念は、様々な約束事を地域を超えて広く行き渡らせていた。人間同士の契約より神を介した契約のほうが感情的に安心できるし、聖教の信徒が使う神聖術(聖教独自の魔術形式)は、約束の遵守や守秘、嘘の看破など、契約関連に優れていた。


 どの土地にいっても、国を違えても、信徒同士なら神の教えが共通知識となり、言葉も通じやすく、基礎的な倫理観も近い。こうなると人やモノの流動性が上がり、商工業も発達し易い。統治者としても様々なメリットがある。


 そうした聖教の持つ側面のうち、正義ある力、力ある正義の体現者、聖騎士たるアリギエーリにとって見れば、西の島の魔人たちは異能にものを言わせて横紙破りを繰り返し、他者の都合を省みない邪悪である。


 魔の約束など信じるに値しない。そんなものに協力する王侯貴族らは、力に魅せられて目が曇った者、信仰と民を蔑ろにする不実者だ。


 アリギエーリは思考する。


 ……まこと悪辣なる魔人どもめ。己の島に引きこもっているならまだしも、大陸までやってきて何をしようというのか。


 およそ半年ほど前か。グレオ聖教の聖王猊下より、聖騎士たちに命がくだった。


 曰わく、魔人が西方だけでなく、帝国をはじめとする大陸の東方から中央にかけて蠢動している。これにより、六十年ぶりの魔物活性化の気配もあるため、各地に聖騎士を派遣するものとする。大陸にはびこる魔人と魔物を討滅せよ、これは神命である……。


 アリギエーリの担当地域がここラグナディアだった。ラグナディアは大陸南西部の中小国家群の最東端の小国で、その東は中央山脈に繋がる、正直なところ僻地、辺境の部類だ。


 しかし二十五年前の魔神降臨の舞台であり、その前後にもこの国で様々な事件があったため、聖山としても注視している地域である。


 当時は、魔神なる怪物のために、この地域に派遣された聖者や聖騎士が相次いで死亡したこともあったという。


 その魔神と戦ったのがファスファラスの魔人どもで、以来この国の上層部が魔人とつながっているというのは公然の秘密だ。


 これは聖教にも責任があると言える。当時、悪同士の潰し合いは結構なことだ、という意見があった一方で、この国で起こっていた国王弑逆(しいぎゃく)の混乱や、その後の魔神の暴威に対し聖教のものが有効な手立てをうてなかったのも事実だった。


 力無き正義は無力だ。やはり神の威光とは、言葉だけでなく力を示してこそ受け入れられるものだろう。今回アリギエーリには、そうした先人の失敗の尻拭いも使命として与えられていた。


 大陸の北西端にある聖山からここまではおよ八千デシャルク(約5500km)ほどにもなる。ここまで船や馬車、飛竜なども使いつつ、数ヶ月かかった。思った以上に長い旅であったが、見聞を深めるよい機会でもあった。やはり本国に籠もったままでは分からない事も多いのだから。


 そうしてこの国に着いて早々に山脈のほうにて奇怪な巨大爆発や地震が発生したため、急行してきたのだ。どう考えてもろくな事ではない。案の定、魔人どもがうろついていた。


 こやつらが何事か企んでいるとして、周囲の迷惑など考えていないのは明白であろう。いかに人里離れた場所とはいえ、もしかしたら巻き込まれた民草もいるかもしれない。


 力あるものは慎み深くあるべきだが、魔はそうした倫理観に薄い、と聖教は見なしている。秩序があるように見えてもそれは単に、より力あるものに従っているだけだ。


 そして神への信仰はおよそ皆無。そのような理無き暴虐を許してはならない。


 長耳の女は資料で見たことがある、樹木操作や魔物召喚術を操る強敵だ。その隣の影体については不明だが、式神か、呼び出した上位の魔物であろう。いか見ても悪霊というほかない姿形と、こちらを愚弄してくる言動はまさしくかの国の邪悪を体現している。


 何よりこいつらは現在進行形で容認できようもないことをやっている。阻止しなくては人類のためにならない。


「貴様らを退けるが我に課された試練である。今もまた貴様らが蠢動し、性懲りもなくこの大陸に魔物を放たんとしているのは分かっている。西方では既に多くの地域で魔物が増えている‥…ここに来てみれば、このような奥地でまで魔物を放たんとしている、まこと許し難い」


『……あっ』


 ……西方で魔物が増えているのは、ファスファラスのせいではない。だが聖教の建前としてはファスファラスのせいである、ということになっていて、真相を知るのは聖王とその側近くらいのものだ。使徒とはいえ枢機に(あずか)るわけでない聖騎士がそう解釈するのは仕方ない。


 問題は後者だ。

 確かにいま、彼女達のせいで魔物が大量発生していた。


 大規模破壊とその修復作業を誤魔化すためハルファスに命じて魔物を用意させている真っ最中なのだった。


『あらどうしましょう神樹……客観的に否定できないわ』

「思いつきで即行動なさるからではないでしょうか、もう少し後からでも良かったかと」

『あなたも光陰ほどではないですが言いますね』

 

 なおルミナスはまたしても消されていた。一度消されたことに対して恨み言と罵詈雑言を垂れ流したからである。


『うーん、ここは仕方ないですね。……よくぞ見抜いた聖なる騎士よ!』


 開き直った影の女は男に問うた。


『あなたの神にとって、我らが人を試すための悪であるとして。ならば試される者にとっては神こそが苦悩の源と言えます。そのような神が個々の人間にとって善であると、どうして言えるのです?』


 聖騎士は答えた。


「神は至善なり、神こそが善なり。いかなる運命も神の思し召しのままなり。仮に苦難があろうと、それには非才なる我らが知り得ぬ理由があるのだ。貴様の如き善の欠けたる悪が存在する理由も(しか)り」


『あなた達が信じるが偽神(ヤルダバオト)でない保証は何処に? 聖山(アナト)の『霊』が神使であるとの証拠は何処に?』


 聖山の塊山竜(ナーザールアナト)の霊……かの存在は一般に秘されているが、一定以上の地位の者には知らされている。

 

 もちろんその本来の姿、八大竜王が一、黄の王としてではなく、グレオ聖教の教義に沿う形で定義されたものだ。本霊(ほんにん)もそのように演じている。わく、かつて神が大聖者グレオを助けるため地上に遣わされた神使の残滓である、と。


 天神器ハーミーズについても同様だ、あれも神が授けたものとされている。そして聖山以外の所にある神器や王器は、かつてグレオ同様の信仰持つ者に神より与えられたものの、持ち主の殉教などの事情により別人らが入手したもの、というのが聖山の公式見解だ。


 現時点の所持者である「善意の取得者」から敢えて奪うことはないが、正式な所有権は聖山にある、との主張だ。なお「取得者」が魔人である場合に限り、むしろ積極的に『回収』すべきである、とされている(回収成功例はまだない)


「人が神を疑うなど不埒である、人が神を試すなど不敬である。人が神の意をはかるなど不遜である。神はいつも我々を見守りくださっている、かの霊達もその御手の一つに過ぎぬ」


 模範的な、あまりに模範的な回答であった。だが回答するだけ聖騎士としては「マシ」なほうだ。魔とみなすものからの問いかけになど、内容に関わらず答える価値を認めず、無言で切りかかってくる聖騎士は歴史上珍しくない。


 その意味でアリギエーリは礼をわきまえた騎士である、と言える。なればこそ影の女は笑う。


『ならば、あなたを試しましょう。あなたが真の信仰持つ者か否かを』


「笑止、貴様などに試されるまでもない」


 聖騎士アリギエーリが宣告する。


「聖王猊下の命により、我ら(・・)はこれよりこの国における『聖伐』を開始する……『装着』( インストゥルレ )!」


 聖騎士が、目前の地面に剣を突き立てた瞬間、周辺の大地から凄まじい霊力と魔力が吹き上がった。


 吹き上がった力が聖騎士を中心に収束する。全てはほんの一瞬、人間の認識しえない極短時間に、それは完了した。


 聖騎士の姿が変化した、

 先ほどまでは茶色の髪の壮年の男性だった、装備も普段の聖騎士としては珍しいものではなかった。


 だが今の姿は違う。明らかに20代に若返り、髪は黄金色に、兜と鎧は光り輝く白銀の甲冑に変わり、盾は一回り大きくなり黄金に輝く。背には外衣(マント)の代わりに輝く三対の白翼を背負い、神々しい霊気(オーラ)を吹き上げる。



 ──我が神の他に神なし

  ──我が神の上に神なし


 ──嗚呼、此処に神の御姿はあらず

  ──嗚呼、されど神はいませり


 ──神は天にあらせたもう

  ──神の眼は其処に、神の御手は此処に



 おお、光輝なるものよ、それは──



『『我』はグランニュエル、神の剣なり』



 ──我が神に敵う者なし

  ──神は我に刃を与えたもう



「──『天使(アンゲロス)憑き(ヌンツィオ)』と相対するのは久々です」


 ──『天使』と呼ばれる聖山の切り札、極めて高度な霊子式神。選ばれた聖騎士や聖者に与えられた秘儀であり、各種の知識や術式発動を補助する優秀な相棒である。


 そしていざというとき、天使を使い手自身と合一させることで『神剣化(グラディウス・ディ)』の神威が発現する。


 使い手の肉体を一時的に全盛期まで若返らせ、人間には行使できない規模の霊力と魔力を与える。背後の白翼は、セラフィナが受肉時に背負っていた後光同様の余剰霊力と魔力の塊だ。


 彷徨の魔女が極めた憑獣術や〈神衣〉に近いが、霊獣などよりも機能を限定し、憑依強化専門とすることで、より純粋に力を引き出すことができる。


 さらに聖王が持つ神器ハーミーズ……即ち伝令神ヘルメスの力あるものの補助により、遠方に居ながらにして聖山のリソースを使用した超強化を実現する。


 さらにハーミーズの権能を借りることで、超高速飛行や流体制御を始めとする様々な異能を一時的に得て、それでいて〈神衣〉のように寿命を縮ませることもない。神聖術と呼ばれる聖山の者が使う特殊な術式系統の神髄である。



 ──我が刃に断てぬ魔なし

  ──刃は敵に慈悲を与えたもう



〈降魔霊装封印解放──第参式『神剣( アッキペ・グラディ)抜鞘』(ウム・サンクトゥム )



 グランニュエル=アリギエーリの合わさった掌が離れるとともに、左の手のひらから光り輝く剣がその姿を現した──



 コロナが治ったと思ったら連続してインフルエンザにかかったでござる、苦しいでござる。なんで晩夏なのにインフルエンザまで流行ってるでちか……

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