第167話 イカロスの天蓋
第八章 音に聞こえし者 スタートです
帝都防衛のために、帝国に帰ろうとする学徒たちの前に現れたのは……
夕方近くになって、例の空飛ぶ乗り物とやらがやって来た。
最初は魔術か何かで偽装されていて、見た目は透明で、魔力や霊気の気配も殆どなかったため、降りてくる直前までリェンファにしか認識できなかったようだ。
そして着陸する寸前、頭上まできたところで偽装がとけた。
「おおぅ」
正直でかい。
全長は100シャルク(m)以上あるだろうか、やや平べったい潰れた金属質の楕円球の下に、小さい十数人乗りの船がくっついているような、変な形をしている。
「でけえな……」
「Subsonic Airship(亜音速飛行船)……? 図鑑でしか見たコトなかった。飛行機じゃナクテ、何故こんなキワモノ?」
ニンフィアがぶつぶつ呟いている。
「飛行機はまだ作っていませんの。この天浮舟が採用されたのは、空に浮くだけなら魔力霊力が殆ど要らないし、とても静かという特徴のゆえですね。世界を観察し続ける任務を持つ方々には、そうした事が大事なのです」
「こんなでかいのは、魔力や霊力無しに飛ぶためにそういう風に作らなきゃいかんから、ってことか?」
「そうですね。とりあえずこうしたものは、西の島の貴族が小さいものを所有したりもしていますが、大陸側に来るのは禁じられています。大陸側にあるのは、魔人王陛下直属の亜神の持つものだけ。これはその一つです」
その巨大な空飛ぶ船(?)がゆっくりと降りてきて、奇妙な車輪が下から生えてきて……荒れ地となっているところに着地する。
「じゃあ行きますよ」
「あんたたちは行くのか?」
「私達は乗りません。こちらでいろいろと後始末してからになります。今は皆さんだけです」
「そうなのか? だが……」
「中に操縦者がおられますので、詳しい話はその方に聞いてください。その方が皆さんを送り届けてくださいます」
「なるほど」
そうして巨体のすぐそばまでいくと……下の船部分の一部が内側からぱかっと開いた。
そこからするすると階段が生えてくる。階段から何者かが降りてきて……。
「あれは……」
最後にそいつが、ぴょんっと最後の段を跳んで着地した。その姿は……。
熊だった。
「……え?」
小さい、人間の子供くらいの茶色い熊が、直立歩行していた。
見たところ明らかに本物の熊じゃない。本物よりも目がぱっちり、クリクリしてていて、爪や牙なんかも丸みを帯びている。リボンのようなものまで首につけ、毛皮も不自然にもふもふしていて…。
これはあれだ、貴族の子供向けに作られている、毛絨のでっかいやつだ。熊を元にしたものは初めてみたが……。
「て、てでぃべあ……」
ニンフィアから謎のうめきが漏れた。……ああいうの、好きだったりする?
その毛絨熊が勝手に動き、なめらかに一礼する。魔術か仙術で作られた代物なのだろうか。まさかこいつが操縦者?
『兄様、遅い!』
黒い影体の先后が凄い速さで突撃し、髪と思われる部分がにゅるにゅると動いて、毛絨熊に絡みついた。
? 兄様!?
『仕方ないだろう我が妹よ、なにぶんイレギュラーな事態だったからね』
全方位向けの念話が毛絨熊から放たれた。
うねうねとした黒い触手のような髪にしばられ、持ち上げられてくるくると回されるもふもふ……。
「えーと?」
『ああ、置いてきぼりにして済まないね。私は先の魔人王ラグシード。この熊の体は霊具……仙術で作られた私の端末だ』
黒い影に逆さに縛られて抱きしめられながら、毛絨熊はキリッと親指を立てて牙を光らせた。
「「………」」
こんな時どう反応すればいいのか分からない。
『素直に嗤えばいいと思うよ?』
「ラグシード……史書に残る『陽蝕いの王』が、こんな……」
レダがぶつぶつと何か呟いている。
『霊具を介しているのは私本体が今は動けず、かつ本来の私を直結すると君らが正気ではいられないからで、姿がこうなのは妹の趣味だ』
『可愛いは正義です。聖山の聖書にもそう書かれています』
『それはおまえが勝手に改竄して聖山周辺にばらまいた偽聖書の、しかも註釈の記載だろう』
変な証拠捏造すんな!
『大半はグレオ氏が書かなかった元ネタの原典のエピソードを追補してあげただけですのに。やはり預言者はハゲをからかってきた子供に獣をけしかけて殺したり、処刑前になぜ私を見捨てたのかと泣き言いうくらい人間くさくないと。グレオ氏の翻案した聖山製の聖書では聖人が聖人すぎてつまらないです』
いやあ、教典そのものに人間臭さは要らんでしょ。そんなのは別の本に残せばいいじゃん。
『後者は泣き言なんかじゃなく別の預言の断片であって、その成就を告げつつ、人類の原罪を背負う孤独を示したものと解釈したほうがよくないかい。グレオ師の翻案だとその辺りも分かりやすくなっている』
『つまらないです。泣き言だとした方が面白いじゃないですか』
経典なら面白さより有り難さが大事だろ。
『原典の書なんて大昔に散逸して大陸の人々は忘れて久しいのだから、単なる愚弄でしかない。あれが第四次聖戦の引き金だったと思うよ』
『うふふ、己の無知なるを知らざる輩の蒙を啓いてあげようとしただけです。改竄するなとの神の言葉を違えた時点で、グレオ氏の聖書もまた偽書でしかありませんわ』
『とても小さな親切だよ』
『元より大きなお世話のつもりでした』
なんというか、とても酷いことを笑いあっている気がする。やはりこいつら文字通りに人でなしなのでは。
ニンフィアがなんかげっそりしている、言っている事の意味が分かるらしい。
とりあえず縛られていた熊だが、なんか目が光ったかと思うと一瞬で影触手の束縛から逃れ、シュタッと空中で回転しながら降り立った。
『ふふ。ようこそ若人たち、この船は天浮舟ペレグリナス。私が操縦者となり、君たちを帝国まで送り届けよう、乗りたまえ』
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いざもうすぐ出発、というところでロイはグリューネたちに挨拶する。
「色々お世話になりました」
「今更あなたに丁寧語を使われると違和感がありますね」
「最後くらいはと思いまして」
「ところで、出発前になんですが……何か近付いてきていませんか?」
「来ていますね」
言われてから、後ろで乗り込もうとしていたリェンファたちがざわつく。
「ほんとだ、あっちにかなりの魔力と霊気の持ち主がいる……こっちに向かってる」
「誰だ?」
「まさか早速刺客が!?」
「あれはあなたたち向けではなく我々向けでしょう、聖山の者にここで色々やっていることを気付かれたようです」
「聖山……」
元竜王と手を組んだ魔人の宿敵、か。
『心配は無用ですわ。ここは彼等の地ではありません。大したことにはなりません』
「しかし」
「あなた達はまだ霊力も全快していません。厄介事は避け、休みつつ早く帝国に戻るべきです。そのためのこの舟です」
『戦場付近では民間人にも犠牲が出始めています。私にはどうでもいいですが、あなた達には大問題でしょう』
「わかりました」
そうして、学生たちがおそるおそる舟部分の中に乗り込み、中の椅子に腰掛けたところで、影体の先后からの念話が来た。
『最後に若人たちに、少しばかり話をしましょう』
先程までのどこか軽い念とは違う、腹にずしっと来るような圧を伴う真面目なものだ。
『時にあなた達は、あの中央山脈の山嶺、その連峰の頂に辿り着いた一般人は、未だ誰もいないことを知っていますか? 一般人というのは、私のような人間を辞めている者、極めて例外的な特殊事情の者は除く、という意味です』
中央山脈は北方大陸のほぼ真ん中を南北に走り、大陸の東西を分割する巨大山脈だ。殆どのところが10000シャルク(約7000m)にもなる高山の連なりである。
南北の両端と、真ん中付近のやや低い盆地気味になっているところ、その三カ所の「回廊」以外は人が通れる高さではないとされている。つまりは大半が人跡未踏である、ということ。
……ついさっき、一部の山の高さが半減した気もするが、どうにかして修復するのだろう、たぶん。
とりあえず、古より多くの者が、三回廊以外の道はないのかと、かの山嶺に挑んできた。しかし成功したという話は聞かない。
なにしろ余りに高い山々なので、飛び越すことはできない。
飛竜はどれほど鍛えようと高度三千シャルクがせいぜいで、飛行の魔術や魔導具も高さ方向に飛ぶのは酷く魔力を使うらしく、途中で力尽きてしまう。
あるいは魔術で隧道を掘ろうとした者もいた。しかし余りに掘らねばならぬ距離が長く、採算には全く見合わず、結局頓挫したと聞く。
『より高く飛翔しようとすると、必要な魔力が跳ね上がる……というのは確かにそうです。だがそれは本質ではありません。本当の問題はあの頂ほどの高さになると、殆どの魔術は消失するからです』
消失? 消費が増えるだけじゃなくて?
『魔導具も僚器以下のものは力を失います。ああ、精霊術であれば少しマシですね、あの山の頂くらいまでは保ちます。それとてさらに数千シャルクほども上に行けば完全に消えますが』
精霊術のほうがもつのか。まあ元々、個人に可能な分野がひどく限定され、かつ儀式魔術みたいな技術的伸びしろがないだけで、基礎能力は高い手法らしいからなあ。
『そんなわけで魔術を用いて空から越えんとしたものは、悉く墜死します。一度消えた魔術が戻るにはしばしの時がかかり、地に落ちるまでに間に合わぬゆえ』
それは怖い。
『魔導具を用いて地から登らんとした者たちも、悉く凍死します。それらが逆にただの錘となり、さらに冷気への守りの力が突如消える落差ゆえに』
『これまで凍てつく神々の山嶺に挑まんとする者の殆どは、入念に魔術での守りを用意し、そのために死んでいきました。必要なのは、魔術のみに依存しない手段と知識ですが、大陸にはまだそれはありません』
『飛竜も飛翔の補助を固有魔術に頼るため、山を超えることは叶いません。超えられるのは、一切の魔術に頼らず高山に適応したごく一部の鳥のみ』
何故そうなっている? あの山に何かあるのか?
『魔術は龍脈に由来するもの、という話は、以前しましたかね? 龍脈からある程度離れると、魔素は急速に機能を停止し休眠します。再起動のためには龍脈の近く……平地に戻り、在る程度の時間が過ぎるのをまたねばなりません』
『そして中央山脈の山体内に龍脈は通っていないため、山に居続けていては、いくら待とうとも魔力は戻りません。だから魔術頼みで登った者は、下山できず息絶えます』
『そのため魔術で生き長らえておる病人などは、そうした高所に登っただけで死にます。あとは優れた魔術師も、実はそれに近い状態になっています。魔素密度が濃すぎると生きるだけで魔術を使うように体が変質するゆえですね』
『甲級の魔導師ともなれば、高山では急速に体調を崩します。狭心症、気管支喘息のような症状から始まり、やがて心機能低下や呼吸困難に至ります。何の手だてもなくその状態が続けば数日で死にますね』
「えっ」
レダが驚きで腰を浮かす。
そういやこいつ魔力自体は結構多いと判明したんだっけか。仙力のせいで目減りしてるけど、本来甲級魔導師級というか。となると、まさかこのまま飛んだらヤバい?
というかロイの魔力とやらだとどうなるのか? 元々機能してないとかいう話だし、異世界の魔力だというなら、ここの龍脈とは関係ないのか?
それには熊が答えた。
『レダくんの方は確かに問題だ。だが心配しなくとも、この舟の中にいる限り、命に関わるようなことにはならないよ。ロイくんのほうは関係がないね。君の魔素の大半はむしろ最初から機能停止していて、体がそれを正しい状態と見なしている』
『そんな次第で、高山を人が超えるのは至難の技です。大体海抜にして6000シャルク(約4200m)、中央山脈でいえば、およそ六合目から七合目ほどに相当する魔術減衰の境界。それが我らがイカロス限界と呼び、東方では魔巧元帥フーイェンが封魔天蓋と呼んだものです』
リェンファが念話相手にも関わらず呟いた。
「フーイェン……七百年ほど前の、大魔導師ですね。数多の魔導具の基礎を考案し、最後は星の世界を目指して行方不明になった、という伝説の」
『そう。彼は優れた魔工師であり、ことに観察力に優れ、多くの新たな魔導具を生み出し、魔素が機能する限界をも見いだしていました』
「でも、封魔天蓋というのは正直初耳です……」
『フーイェンはシュタインダール王国軍の技師長でしたからね、彼の業績は、主に同国の魔工師らが継承していました。あの王国が帝国に倒され滅びた際に、多くの知識が人材ごと消滅したのは、なかなかの損失だったと思いますよ。魔導具は接収しても、その製造手法や基礎理論は失われてしまった。今もまだ当時の水準を取り戻せていない分野もあるようです』
……初期の帝国って、逆らう者は皆殺し、建物も根こそぎ焼き尽くして更地にしてから帝国仕様で再建、みたいな、正直野蛮極まる侵略で拡大したからなあ……。
『フーイェンは駆動と維持に魔力を一切使わぬ巨大な気球を作りあげ、それを用いて山を超えようと試みました。魔導具で身を立てた大家が魔導具を捨てる、これはなかなかに敬意を払うに値する勇気と言えましょう』
『ただ……残念なことに、大陸東方からでは上空の風向きが常に西からになるのです。それへ対処している途中で力尽き、最終的に彼は出発地点から遥か東の大海原で墜落死しました』
勇気あるのに救われねえオチだ……。
『南方の海上までいけば逆に常に東からの風になるんだが、彼にはそうした天空の知識まではなかった。いや、そもそも大空に至れない以上、そんなものあるほうがおかしいがね』
『彼の死因は空中での減圧症による脳浮腫と、魔素機能停止による心筋梗塞の併発により昏倒して操縦不能に陥っての墜落死です。墜落でなく不時着なら場所によっては助かった可能性はありますが』
げんあつしょう? しんきんこうそく? よく分からんが……事前に実験とかしなかったのかよ。
『彼は事前に助手にやらせて目処をつけての実行だったのですが、若くて魔術の才に劣る助手のほうは耐えられても、本人はダメだった次第です。己を過信していたのですね。そして助手は理不尽にも後日責任をとらされ王より死を賜り、研究もそこで途絶えました』
……いるよなー、まだ若いものには負けんと言いながら実際のところ危なっかしいご老人……。
『高空の低気圧と低酸素に、魔術も仙術も予圧技術も減圧訓練も無しでは耐えられるはずもない。さらに当時本人は80歳を越えた老人でした。優れた魔導師であったゆえに、肉体年齢は50代だったはずですが』
『彼は魔術と魔導具の機能停止は予測していた。しかし彼ほどの魔工師であっても、魔素を豊富に持つ人体そのものが一種の魔導具と化していた事には気がつかなかった。魔導師の老化が遅いのはそのせいなのにね。己自身が機能停止するとは思わなかったわけだ』
……え? そういうことだったの? なんかそれ、在る意味無茶苦茶怖くね?
コロナ感染(一年ぶり2回め) 症状は軽いものの、だるいです
頻度はおちますがゆっくりと書いてはいます……
今回の中国風人名
呼延 圓明 フーイェン・ユェンミン
七百年前の魔導師
東方の魔導具開発史上の重要人物
冒険家としても知られていた
魔素機能停止について
この世界では魔素は地表(厳密には地下の龍脈)の付近にしかなく、魔術にて空を飛べる高さに限界があり、宇宙船なども魔術によるものは宇宙に行けません。
この世界の魔術とは、以前リュースが言ったとおり、「通信の才能」であり、高空ではいわば、WiFiの電波が足りず通信を確立できない状態、となります。そして魔素密度が濃いところに戻っても、魔導機構への再接続には1日数回しか機会がないため、それまでは魔術は使えません。
また、経路の問題なので、高空で自分の周りだけ魔素を濃くしてもやはり魔術は使えません。ラグシード達は言っていませんが、正確にはフーイェンが失敗したのは、問題は自己の周囲の魔素密度にあると誤解したためです。
彼は自分の周りだけは魔素を維持できる道具を開発していました。この方法は短時間は有効なので、弟子の結果からも彼はいける! と思い込んだのですが、実は時間経過で突如接続が切れます。そこまで事前にテストできていなかったのです。
魔素が希薄ないし存在しない場所でも魔術を使う手段がないわけではないですが、現在の大陸の技術ではまだ不可能です。