第166話 幕間 魔女の魔女語り
「確かこのあたりだったはずですが……目印が吹き飛んで分かりにくいですね……」
崩仙シャオファンは呟く。彼は気絶した魔女を肩に担ぎ、五大仙と護法騎士らの戦いの余波で荒野となっていたところを抜け、森の木々が残っている境目あたりを歩いていた。
「やれやれ、さすがにちょっと疲れました」
(……!……!……)
「……? ああ、いえいえ、単なる愚痴ですよ。今のあなた方には期待していません」
シャオファンが話かけたのは、周りを飛んでいる五つの淡く光球だった。
これこそあの五大仙のなれの果てであった。彼らは魔女フォンディエの魂と結びついている。魔女側の魂に残っていた断片だけは、かの少年の奥義を食らわなかったため現世に残ったのだ。
だがあくまで断片に過ぎない。本体側は綺麗さっぱり吹き飛んでしまった。
今の彼らは本来の魂を九分九厘削ぎ取られ、ろくに仙力も仙術も使えない。疲れたシャオファンを癒やす事も無理だ。しばらくは単なる賑やかしでしかない。
彼らが戦力に数えられる程度まで回復するには、いったい何年かかるやら。下手すると魔女の次の転生には間に合わないかもしれぬ。
「それにしても、恐るべしはファスファラス」
かの西の島の最高戦力とされる護法騎士……十数人というが、シャオファンが知るのは11人。
『闘神』シュラク、『巫神』ナギ、『氷雪』ラヴィーネ、『神樹』グリューネ、『界門』バーリ、『光陰』ルミナス、『福音』ランス、『天秤』エグザ、『灰燼』イレイズ、『破現』リュース、『万象』エルシィ……いずれも一騎当万といわれる怪物たち。
これに対する東の山の十岳仙の一人として、彼らの実際の力がどの程度なのか、常々知りたいと思っていた。だが彼らは滅多に向こうから出てこない。
十岳仙含め仙人が個人主義で、戒律に背かない限りは割と各人好き勝手やっているのに対し、護法騎士は王個人に従う者たちだ。命令なくば動けないし、普段は寿命を無駄にしないため「凍眠」している、という噂すらある。今回は実に貴重な機会だった。
『神樹』の騎士は本調子では無かったようだが、神器すら再現する『光陰』の騎士の力は存分に感じ取った。
雷仙ユンイン老師からは、「今のそのほう一人では勝てぬ。奴ら一人で十岳仙三人にも相当しよう、心せよ」と言われていた。相性もあるだろうが、確かにそれくらいの力の差はありそうだ。
だが今回会った中で最も恐ろしかったのは、護法騎士ではない。
暴走した神器すら抑え込んだ魔女。現魔人王の母……セラフィナ。彼女は、異能なくば存在しえない怪力乱神そのものながら、異能を壊す崩仙たる身にとってすら身震いがするほどの脅威だった。
異能の産物ならそれを崩せば滅びるはずだ。だが全く崩せる気がしなかった。底が見えない。……正直なところ、言葉を交わした際も意識して虚勢をはる必要があった。
「私もまだまだ修行が足りませんね」
かの魔女は、魔人王の代替わりで引退して以降、完全に消息不明になっていたと聞いていた。もう何百年も前の話だ。
それゆえに、あの学生たちは誰も知らなかったようだが……本名でなく、二つ名のほうであれば、聞いたことがあったかもしれない。
あのような影体の異形になっているとは知らなかったが、かつて、まだ普通に肉体があった頃の彼女はこう呼ばれていたらしい。
『天魔の魔女』
ファスファラスの魔人や関係者としては、先ほど挙げた護法騎士のほか、今ここで気絶している『彷徨の魔女』や、『西海の告死鳥』『銀狼』『蒼影の吸血鬼』『機巧の紡ぎ手』といった者たちが大陸でも名を知られている。
そうした護法騎士でない有名人の中でも現役当時の『天魔の魔女』は、真の怪物、最も怖れるべき戦ってはならない相手とされていたそうだ。
古書の記録に曰わく。
──かの魔女に砕けぬ鎧無く、かの身体に届く刃無し。されど真に怖れるべきは黄金なりし左眼なり。汝、未だ菩提に至らざるならば、見えること罷り成らず。縦しんば相対を避けえざれども、けして眼差しを交わすこと勿かれ。かの黄金に魅入られし森羅万象、夢想に淫し道に復すること能わず。ゆえにかの者をして天魔という──
単純な破壊力と防御力も別格でありながら、加えて、おそらく瞳を介する、精神に対する何らかの異能がある、との記述だ。
菩提とは、いにしえの宗教で「悟り」と呼ばれる概念、現世の欲得を超越した境地のことらしい。そこに至っていない限り、目を合わせてはならない、と。
彼女についての記録はこれだけだ。他の魔人のものと比べると具体性に欠けている。おそらくは、王族であった彼女は前線に出てくることも殆どなく、真の力を見て無事だった者も居ないのだろう。老師達ならば書物以上の事も知っているかもしれないが……。
今回彼女が行使していたのは殆どが破壊の力だけで、噂の『天魔』の力は見ることができなかった。使う必要がなかったのだろう。
大殺界とはあんな怪物が再び動くほどの事態だったか……それとも今回が特別なのか?
そしてあの少年たち。
彼らの才能は正直いって崑崙にとって脅威だ。あそこにいた全員が、この短期間で昇仙した仙人なみに力を使えるようになっていたことも驚くべき事だが、特にかの【救世】の少年と少女二人の力は瞠目に値した。
そして五大仙を倒したあの神仙術。恐るべき素質というほかなく、さらに未だ成長の過程にある。双仙に詳しく報告し、見解を聞く必要があるだろう。あれが敵に回った場合にいかがするのかと、そして……。
「基準」は満たしていたようだが……本当にかの宝貝を渡すのか否かを。
思いふけっていたところで、遠くから声が聞こえた。
「あ、やっと見つけたー、ほんともー大変だったんですからー」
そしてかの少年らと同年代の、道士服姿の少年が、シャオファンのほうに走ってくるのを見た。
……気配を消し、仙術で姿を曖昧にしていてなお気付くか。この少年は、なかなかに侮れない。
「……やあ、シーチェイ君、無事でしたか」
「死ぬかと思いました! 割とマジにー! なんなんですかほんと、あれが神器って奴ですかー、何ですかあの、空に見事なキノコの雲! あと半里突っ込んでたら巻き込まれて死んでました、それにさっきから雷が雨のようにドガガガとしたあと黒い怪異が空を覆ったと思ったら、向こうは突然晴れから嵐になったし、煉瓦が虚空からいっぱい落ちてきて積みあがっていくし、わけが分かりませんー!」
そのように列挙されると確かにそうだ、端からみればわけがわからない事態だったろう。
シーチェイは元は映仙ランドーの弟子だったが、ランドーが行方不明になり……その後、幻妖の中で行動しているのが確認されて以後、輪仙が引き取って、十岳仙の身の回りの世話をする小坊主となっていた。
今回はシャオファンとフォンディエに同行し、荷物係と「運転手」をやっていた。そして離れた所で待機していたのだ。
簡単に経緯を説明する。
「……ひええ、怪獣大決戦だったんですね。しかしまー、ロイの野郎も凄い成長ですねー」
「君は確か彼らの学友でしたか」
「ほんのちょっとの間でしたけどねー、あいつなら英雄になれるとは思ってましたが、正直想像以上っすー」
糸目の少年はそう笑うが、どこまで本気で言っているのか、いささか分かりかねる。
良くも悪くもわかりやすい人間だったランドーやフェイロンと異なり、この少年は腹に一物二物を抱えていそうだった。
「……うう……」
「おや、お目覚めですか?」
「……うー……おろしとくれやす……」
降りたフォンディエがへたりこむ。
「……ああもう、えげつない目におうたような……」
「災難だったですねー」
「どれくらい覚えていますか?」
「……まずあの坊主を止めようとして……そっから曖昧やけど、うちの子らが張り切ってもうて……うちはあの子の中に取り込まれてもうて……うちの子らがその間に逆にやられてもうたん?」
「そうですね」
「そこから殆ど覚えてないわあ……けどこれ、だいぶうち自身がやられてもうていてはるね?」
彼女の衣装は扇情的かつ派手な、実用性より見栄え重視の代物に見えて、その実かなり強力な宝貝の衣だった。
普通の刃や矢なら軽く弾くような代物なのに、ボロボロだ。明らかに、不死身でなかったら何回死んでいるか分からないような攻撃を食らいまくっている。
「五大仙がやられた後は神器と合一したあなた自身が暴走していましたよ。最後は黒い巨大な狼になっていました」
「ああ、なるほど……それで。あの子も壊れて、とられてもうたんどすな。洒落にならん大損やわあ……しかし、そもそも、どうやってうちの子らやられたん? 普通の相手なら勝ちはともかく負けへんのに。あんたやって、うちの子らに勝ちきるのは無理どすよねえ? あんたら覚えてる?」
周りの五大仙の成れの果てに聞いても答えられない。こいつらは本体と遮断されていたから経験情報は残っていないし、知能すら低下しているのだ。
「そうですね、確かに私では足りませんでした。最後は、かの少年が急遽神仙術を授けられて、それを使いまして」
「……神仙術って、授けられたからって人間がおいそれと使えるようなものやあらしまへんよ? というか誰よ、そんなもの授けはったの。教えるほうも使うほうも頭おかしいわぁ」
「さあ……護法騎士たちが何をやったのか、正確には分かりかねます」
「はーん……あと、ようあの子を取り込んだうちに勝ちはったね? いくら護法騎士が2人おったとしても、あいつら正規の神器持ちと違うって話やし、そう簡単には勝てへんと思うんどすが」
「合一したあなたに対しては、天魔の魔女が来ましたからね」
「……ほえ? 天魔? うっそやろー! ……うわぁ、ほんまやった! あっちにあの気持ち悪い影娘がいてはる! なんであの娘がこないな所に!? 当分はこの世界からいーひんようになったはずやのに、戻ってきとったんどすか」
「今の生で面識がおありで?」
「なんでやか知らへんけど、うちが転生して十五の歳になるたんびに、その時点で王族の誰かがうちに挨拶にくるしきたりがあるんどす。今のうちの時はあれとその兄やった。でもあの二人、自分らを死んだ事にして、仕事全部娘にほうって、普段は他の世界で遊び歩いとるんよ」
「他の世界。それはつまりこの星の外ということで?」
「せや」
「どうやって外に?」
「知らしまへん。本人に聞きはりなはれ」
「では、彼女の能力を知っていますか? 私は書物で断片的に知るだけで、名の由来を知らぬのですよ」
「……由来のほうのはむしろ知らへんままのほうがええどすえ。知ったら逃がしてくれへんかもよって。……うちかて、切られたり砕かれたりはまだええけど『天魔』を食らうのは堪忍や」
この魔女には珍しい、真顔での発言だった。
「ふぅむ? ……まあいいでしょう。彼女は元々かの少年らの指導のために来る予定だったようですね」
「そうどすか、そら……ついとったのか、ついてへんかったのか……そもそも、うちから『見える』ってことは、別にうちがどうしようとかまわんって思うとるんや。侮られたもんやけど、仕方ないどすね……」
「どういうことです?」
「その気になったら、あの娘は気配も何もかもも消せはるんよ。誰からも見えへんようにできるんどす」
「……『光陰』の騎士をどこかに消していましたが、その力ですか?」
「それは、消える能力を攻撃に応用したやつやねえ。それ、あんたでも抵抗できへんはずよ」
「我が仙力でも無効化できないのですか」
「あんたはまだ人間やからね。あんた、うちが止める前にあの坊主にぐらつかされたやろ。あれ食らってもうてるようでは、あの娘のをかわすのんは無理や」
「ええ……あの技も何かご存じで?」
「あれは向こうの仙術奥義の一つ、霊的防御をすり抜けて霊撃を叩き込む技や。あの坊主のはまだ未熟やけど、護法騎士の一部はあれの完成形を使いはるはずよ」
「仙術でしたか……あれはどうやって守ればいいのですか?」
「同種の技で相殺するんよ。そのためには、自他の霊気の音色を、五感でなく魂で感じ取って、さらに自分の霊気の音色を変えれるようにならなあきまへん。才能と修行、両方いるわあ」
「私にもできますか?」
「分からへんね。うちかて、他人に教えられるほどうまくあらへん。雷仙の旦那に聞きはりなはれ」
「分かりました」
「で、あの影娘は、あれの完成形のさらに上のを固有仙力として使えるんよ。在るに非へんもの、形質喪失、個性剥奪、意味消失……世界に溶けて消えてまう力や。誰も認識できへんから、無効化も避けるんもできへんの」
「……むむ。……では、私では無理として、誰なら避けられるので? 老師たちなら……」
「……せやなあ。旦那らでも避けるのは無理やろなあ。でも、効かへんやつならおる。基本的には、死んでも死なへんやつやね。それも肉体やのうて魂が不死なやつ。いや、魂が不死でもそれだけやとあかんか……」
ぶつぶつとしばらく考えたあと、フォンディエはかぶりを振りながら答えた。
「……うん、あれに対抗するには、うちみたいに元々の魂自体が変なやつか、魂が複数あるような上位の神様にならへんと無理やろね。人の範疇ではまず耐えられへん」
「聞けば聞くほど、あの魔女は怖いですね……」
「あの娘はマジものの怪物やよ。つまるとこ、あれとやりあうんなら、本人やなしに兄のほうを何とかするほうがまだ可能性あるんちゃう? あの兄妹は負傷や命を共有した一蓮托生の比翼の鳥やから。でもあっちもあっちで怪物やから、無理さの種類がちゃうだけで、無理なのは変わらへんけど」
「とりあえず私から彼女と戦うつもりはありませんよ。今のところは、ですが」
フォンディエははあ、とため息をついて続ける。
「……それにしても、いったいあの坊主は何者なんどすか。あの若さで不完全とはいえ奥義に手をかけとるし、神仙術もつこうたって? ありえへんわあ……何より、あないなけったいな魔力、うちは知らしまへん」
「というかなんであの時霊獣たち暴走したんですー? ロイに触った直後に暴発しましたよねー?」
「彼に宿っている魔力が普通ではなかったようですね、普通の魔術には使えない、むしろ魔術を阻害する特性があったようです。それに霊獣らが反応してしまった」
「そんな魔力がありえるんですかー?」
「分からへんなあ……ちょっと後で昔のうちが残した記録を、読んでみますわ。あんたこそ、何か知らへんの? 知り合いなんとちがう?」
「いやー、すいません。あいつの魔術については分からないとしか。魔術師になれるような素質はなかったはずですし、魔力が変って話も聞いたことないですー」
「あの子の血縁になんか変なのおらへんの?」
「血縁……うーん、確か親父さんが、西方の出身だとは聞いたことがありますねー」
「……聖山か、湖国あたりの関係者かもしれへんね。あの辺は人体改造で変な能力付与してる例が結構あったりするんよ。……もうこんなんこりごりやし、後でよう調べときやす」
「まあいったん崑崙に帰りましょう、私も報告すべきこと、調べたいことがありますからね。またしばらくあいつでの旅ですが、今の状態で耐えられますか?」
「もうええよ、良くも悪くも、うち不死身やからね……でも、もう帰るん? あれほっといてええの? 見なくてもええ?」
フォンディエが荒れ野の向こう、ロイ達がいる方角を指差す。
そちらに向かって遠くからでも分かる、強大な何かが移動していた。西の島の連中とは明らかに違う、己をむしろ誇示するようなそれは、フォンディエにとってはお馴染みの感覚だ。
「ええ、放っておきましょう。結論は変わりようがないですからね」
「天魔のがおるんやったら、アレでも相手にはならしまへんか……ついとらんなあ、アレも」
「ここはアレにとっても己の土地ではないですしね。私達十岳仙とならいい勝負かもしれませんが」
「ゆうて、あんたなら相性で楽勝やろ」
「かもしれませんが、今は少し自信喪失中ですね。私ももっと仙力を高めなくては。神器にも負けないほどにね」
「何がどうしたんですか?」
「なに、連中への客です。私たちにはもう関係ありませんよ」
「帰ろ帰ろ、もう疲れたわあ……とりあえず崑崙に戻ったら、この子等もここよりははよ治るはずやし」
魔女は五大仙のなれの果てをつつく。
「ではシーチェイ君、あいつを呼び出してください」
「はいはい分かりましたー」
シーチェイが懐から小さな笛を取り出して吹いた。耳に聞こえる音は鳴らない、霊気を震わせる霊奏を引き起こす宝貝だ。
そして笛を吹き終わってから十数えるほどののち……。
突如、彼らの側の地面から何かが音もなくせり上がってきた。土を押しのけるわけでなく、不思議にもすり抜けて地下から上がってきているのだ。
やがて全容をあらわしたそれは、巨大な土竜を思わせる長球型の木製の籠だった。これもまた、宝貝だ。名を土竜六合星車という。
「はいはーい……起動:万里潜地行」
土竜六合星車は【地行】の仙力を再現する宝貝である。これの中に乗り込むと、土や石を任意に透過して移動できるのだ。
これにより巨大で万年雪に覆われた中央山脈の高峰も単なる平地同様にすり抜けられる。地上が嵐だろうと関係ない。
……まあ真っ暗な土の中で、迷わなければ、だが。
後は霊力が尽きると「つちのなかにいる!」状態のまま動けなくなる(そこからの再起動は必要霊力が跳ね上がる)ほか、重金属のいくつかは透過しないので、そうした金属の鉱脈に紛れこむと大変である。
耐熱性もなく、うっかり溶岩溜まりまでいってしまったら燃えてしまうので、長距離をいく際の運転手役はなかなか気が抜けない。
休み休みしつつ、方位磁針や崑崙謹製の地中図と睨めっこして移動することになる。
それでもまともに行けば中央山脈を越えるのは何十日もかかるところ、これなら数日で超えられる。しかも極めて目立たない。
崑崙ではこれを用いて東方全域の地中図を作成しており、各地の地下資源や水脈を把握している。かくて帝国との取引材料には事欠かない。備えあれば憂いなしだ。
「では乗りましょうか」
「お先に……まだ疲れ全然とれてへんの、ゆっくりさせてもらうわあ」
シーチェイが操縦席につき、フォンディエが一番いい椅子を独占し、そして最後にシャオファンが乗り込む。内側から扉を閉める寸前に、彼は小さく呟いた。
「……少年よ」
口角を上げて、崩仙と呼ばれる男は嗤う。
「次に会うときは、敵か否かは分かりませんが……叶うなら、手合わせでなく、死合いとしたいものですね」
八章は今月後半からの予定です
それにしても 暑い
あつ い
あつ
うま