第163話 万軍主の指輪
「……そのような事をなぜご存知で」
『私は魔の国の王族です。向こうでは王族にのみ、地上のあらゆる死者の記憶を知る手段があります。そして死人は嘘をつきません。少なくとも死者本人にとっては真実であったことを、知ることができます』
やはりな、あの図書館は王族が管理しているという話だったし。
『事実は小説より奇なりと言います。お話と違って現実の記録はとても理不尽で主観的で脈絡もなく、ままならぬものが多いですから、それゆえに面白い』
悪趣味なことだ。
……記録、記憶か。もしかしたら。
「……死者の記録というなら、あんたたちも、幻妖を作れるのか?」
『できるか否かであれば、是です。龍脈が幻妖を生み出すやり方を参考に、我々は死者を記録できるシステムを作りましたから。崑崙にもそのための宝貝がありますよね?』
崩仙が肩をすくめる。
「……不心得者が持ち出したため、そちらの騎士に壊されたようですがね」
『あら……一つだけだったかしら?』
「さあ……一つしか存じあげません」
『あらあら』
「はっはっは」
腹黒いやりとりに、ウーハンが割り込む。
「じゃあ、なんで死者に死者をぶつけないんですか」
『幻妖対幻妖だと、お互いに決め手のない不毛な戦いになりますよ。お互いに物理は効きにくいですし、幻妖の霊気は歪んでいて同じ幻妖には余り効きませんし、そのくせ瘴気が増えますし、大殺戒の終わりは縮まるどころか、却って長引きます。そもそも幻妖を作るという行為が、龍脈と冥穴を刺激してしまいますからね……状況が悪化するだけです』
「ですが、ある意味では死者を復活させられるってことですよね?」
食い下がるな、ウーハン。……会いたい死者でもいるのか?
『幻妖は肉体も魂も偽物です。復活した本人がその違和感に苦しむだけですよ? 尊厳のない仮初めの復活など、望むのは勝手すぎますね』
「……」
『幻妖は、自分が本物でないという飢餓と生前の後悔に苛まれ、さらに植え付けられた殺戮の使命に苦しむ、哀れな存在に他なりません。死者に逢えるかも、などという感傷は命取りになりますよ』
「……分かりました」
『とはいえ……その記憶は、技は、本物と同じかそれ以上。その事を忘れてはいけません。そして幻妖でも現界し続けていれば、経験を積み、より強くなることもあります。
「……成長することもあると?」
『肉体的、物理的な成長は原則としてありませんが、精神的、記憶的な経験はその個体に限り増えますからね。そういう意味での成長はありえます。倒されるとその経験の記憶も原則として初期化されますから、できるだけ早めに倒すことですね』
同じ存在が再現された場合も、そういう意味では「個体差」があるのかね?
『何より幻妖は霊力、魔力などを出し惜しまないですし、近くに指揮個体が多かったり、冥穴に近づくほど回復力も高まりますからね、基本的には生前より手強いですよ』
まだあの英傑たちも6人残ってんだよなあ……。
聞けばあいつらは「幻聖」っつー特別な上位幻妖で、生前より身体能力や魔力がかなり上がっているらしい。今も個体としては二度目の生の経験を積んでいる最中のはず。
レクラークは切り札の【天崩】で何とかなったが、逆に言えばあの時では倒すにも切り札が必要だった。あいつらが幻妖としての身体に慣れてきたら油断できない。幻妖だと寿命関係ないから、呪詛系術式での強化も躊躇せずやってくるだろうし、まだ底は見せていないと考えるべき。
ニンフィアの父親らしき幻妖も問題だ。どうも彼は古代の武器を使えるようだし、見かけよりは手強いはず。武器だけでなく古の忘れられた知識ももっている。
『幸い幻妖は、いくつかの条件を満たさない限り、敢えて存在を再現しないようにできています。ゆえに、出会ったならば、自分自身が以後際限なく再現される条件を満たさないために、確実に消しなさい』
「それでも、もし複写されてしまったら?」
『諦めて複写された時点の自分より強くなるしかないですね。複写無効化や記録消去の仙力は、どちらも人に扱えるようなものではありませんし』
うへぇ……。
『……あ、そこの仙人などはある意味大丈夫な例外ですね。複写は阻止できないでしょうが、力を使った瞬間幻妖としての自分が自壊するでしょうから』
それはそれで面白いな。
『あとは、ごく稀にですが、一度記録された幻妖の記録が消えて再現されない現象が発生することかあります。解脱と呼ばれるそれは、幻妖が全ての未練を昇華した時に生じると言われています。もし可能ならば、それを狙ってみるのもいいかもしれませんね』
全ての未練、ね。殴り倒したら満足してくれるようなのは殆どいないだろうなあ……。
『まあとにかく、今後あなたたちは良くも悪くも狙われます。敵対者らは冥穴の件が落ち着く前にも行動に出る可能性があります。いや、むしろ落ち着いた後のほうが危険かもしれませんけどね』
「要は、俺達が前より危険ってことだな」
『はい』
「上等だ、返り討ちにするだけだ」
英雄を目指すならそうなるのは分かっていたことだ。ロイはまだ何も為せていない。田舎で引退を考えるような年齢でもない。成し遂げる前に逃げるのは早すぎる。
学生らには何かを言いかける者もいたが、結局は口を噤んだ。彼らとて、何も為す気がないのならこんな所に来ていない。多分に流された面はあるとしても、力を得られるなら多少の危険も仕方ないと分かっている。
ニンフィアは顰めっ面のままだが、彼女とて異能ある限り、注目や危険がつきまとうことは理解している。その中でよりマシな選択を選ぶしかない。
『宜しい。事はそう単純ではありませんが、若者はそれくらい気概あるほうが私には好ましい』
「んで、結局どうやって帝都に向かえばいいんだ」
『夕方まで待ちなさい、あなた方を乗せ明朝には帝国に戻れるる乗り物を用意します』
「乗り物とは」
『天浮舟……まあ空を飛ぶ舟ですよ』
「飛行の魔導具ですか?」
空を飛ぶための魔導具の小舟、というものが魔術衰退以前はあったらしい。ただし当時でさえ乗客よりも飛ばす為の乗員の魔術師のほうが多い必要がある代物で、効率は悪かった。
魔術衰退後は乗員が乗客の10倍必要なほどになってしまい、採算が合わず消えてしまったとか。
代わりにお貴族様向けとして、複数の飛竜で籠を吊り上げて飛ぶ、というやり方があるそうだ。こちらは頻繁に休憩が必要なのが難点らしい。少なくとも明日までに帝国までいけるような代物ではない。
『……まあ、そのようなものです。色々な工夫で消費魔力の少ない代物になっていて空に浮き、中央山脈を直接越えられます。西の島では市販品もありますが、既製品では山を超えるだけの性能もなく、無駄に大きくて目立ちますし防御力も皆無なので、特別なものを借りることにしました』
「本当に、面倒な事この上ないですね……さっさとジェットはともかく、レシプロ型なら今でも内燃機関型飛行機を作れるでしょうに、試作すら止めているから……」
『太古の借り物の設計図で作れてもそれは技術とは言えません、母なる星とは重力や大気組成も違うのですから、自ずと最適解も異なります。それらは技術者達に自ら見いだしてもらわなくては』
「それはそうですが……最適である必要もないかと」
『それでもまだ時期尚早です。誰でも大海や山嶺を容易に越えられるものを実用化すると、世界が狭くなりすぎます。今は飛竜や天浮舟くらいで丁度いいのです』
作れるのに作らんのか? よくわからん……。
『その前にまずここの後始末の端緒を開いてからですが……ここの女王とは後で摺り合わせるとして……』
影体がうろうろと不気味に歩き回って……。
『……『死神』と『審判』に働いてもらいましょう。『死神』のほうは逆位置の反転状態で。『神樹』、あなたはしばらくヴィムシャティヒの下で森の回復を助けなさい』
「反転……トラヨーダシャ様がそれで納得されますか?」
『納得させます』
「誰だよ」
「あなたたちもトリーニ様には会った事があるでしょう、あの方の同僚にあたられる方々ですが……トラヨーダシャ様は、物体の破壊と再生を得意とされておられます。ただし再生を使う場合人格がちょっとこう、普段と反転したものになり……本人はその状態を疎んでおられるもので」
……あの女の同僚か。まあ俺たちには関係なさそうだ。後始末頑張ってくれ。
『後はそうですね、ここの被害の大半は、魔神の残党の暴走ということにしましょう』
魔神って何だっけ、ええと、魔術衰退の原因、だったか?
ヴァリスが補足する。
『そのはずです。……が、具体的にどうなのかは、もう思い出せません。ただでさえ私が得た記憶は御主人様のもので、それ自体具体的情報は少なかったですが、それさえ今は消えかけていますね』
何故だ?
『この世界の守護者が、記憶を含めた存在消去を仕掛けたから、と思われます。復活の芽を完全に摘むためかと。やがて世界の全てで、その魔神がどんな姿や能力だったのか、忘れられることになるはず。残るのは、ただ悪行を為した何者かがいた、それを魔神と呼んだらしい、という程度になるでしょう』
……怖い話だな。
『たぶんその術式発動のための、最後のトドメを刺したの、御主人様ですよ』
何のことだ、知らんぞ。
そうこうしていると、影体の背後に再び実体化していた時のような後光が出現し、ぐるぐる周りだした。
ただなんとなく模様が違う気もする、よくわからん。
「あ、ああう……」
変なうめき声が聞こえたほうを見ると、リェンファの目のハイライトが消えていた。
「どうした」
「あ、あれ、ちょっと」
震える指で後光のほうを指差そうとするが……。
『ああ、すいません。人の身でなまじ視えると危ないですね、これ。かといって瞼を閉じた程度では視えてしまいますか。仕方ない──盲いよ』
──【盲目】──
「あぅ!」
「リェンファ!」
『すいませんが、少し見えないようにしますね』
「何を……」
『少しばかり、その眼で人間が直視するにはきついものですから』
後光の回転が止まる。今回のそれは、五芒星でも六芒星でもなかった。紡ぎ出すはかつて生命樹と呼ばれた樹木にも似た図案。
影体が右手とおぼしき影肢をかざす。そこに光っているのは、金色の指輪のようなもの。
ロイに分かるのは、この指輪も後光も、とてつもなく『重い』霊力をもっている、ということくらい。
そして指輪から光る三角形が次々に放たれ、目の前に大地に魔法陣を作り──
──我は万能に満ちたるものの眼
──我は七十二の御名を持つものの耳
──我は叡智を統べるものの右腕
──我は戦いにて裁くものの左腕
──我は在りて存りしものの右脚
──我はかの地に至りしものの左脚
煌めく後光が切り替わり、輝く巨人を象った直後、それがかき消えてやがて多数の小円が並んで一つの巨大な円を作る。
幾何学的なような、どこか有機的なような奇怪な紋様。古き宗教の知識を持つエイドルフだけは、それを宇宙の法理を示す曼荼羅に幻視した。
ただし一つ一つの小円の中にあるのは、神聖なる阿羅漢でも菩薩でも如来でもない。黒い七十二の奇妙な紋様。それは──
──我、黒鉄に輝く刻印に命ず。汝ら、一切の希望の棄て去られたる地より、其の門を越え顕れよ
──仮初めの万軍の主たる我が命ず。黒き悪霊達よ、来たれ
──来たれ。汝、鮮血に囀る妖鳥、26の軍団を率いし城塞の構築者、兵装を以て闘争を祭典と為すもの……
『天神器・万軍主の指輪・定常駆動・構成・『召喚・伯爵級・第38柱ハルファス』』
──来たれ。汝、時見渡す獅子の王、36の軍団を率いし晴嵐の征服者、隠されし秘儀を詳らかとするもの……
『天神器・万軍主の指輪・定常駆動・構成・『召喚・伯爵級・第45柱ヴィネ』』
黒い魔法陣が彼女の左右に現れ、それぞれから巨大な人の子供ほどもある鳩と、古めかしいが豪奢な鎧を着た直立する獅子が現れた。
「……これは?」
「えーと、魔物、ですか?」
グリューネが召換していた、「自然」にはいない魔物たち、それと少し似た気配がある。
『少し違います。こやつらは、神器により再現された、上級の使い魔、のようなものです』
『使イ魔扱イハヤメヨ、実態ガソウデアッテモナ』
獅子が低い声で呟く。……知性があるのか。
『ハルファス。あなたには、いかにも邪悪な魔神の使徒が使いそうな小さな砦を作ってもらいます。ついでに適当な騎士級以下の魔物も100ほど用意しなさい。魔物は幻体でなく実体で必要です』
『承知シマシタ』
『ヴィネ。あなたには、嵐をもってハルファスの砦と向こうの山を隠してもらいます。そしてその後、砦にて魔物を統べる魔神の使徒として振る舞い、ここの軍勢に討ち果たされる演技をしなさい』
『ハン? 余リ面白イ仕事デハナイナ』
『仕事が無いよりはよいのではないですか?』
『ツマラヌ仕事デハ、無イヨリナオ悪イ。コチラニ帰ッテキテヨリ、退屈ニスギル。早ク龍脈案件ヲ終ワラセ、旅ヲ再開シテモライタイ。コノ星ハ我ラニハ狭スギヨウ』
次に嗄れた声で鳩が喋った。
『我ガ君、夫君ヲマタズトモ、我ガ輩ガコ奴ラヲ東ニ運ンデモヨイノデスガ?』
『あなたの運び方では龍脈に察知される危険があります。それにあなたに運ばせると、戦場の真ん中に放置するでしょう? 狂乱のデバフ付きで』
『スルナト仰セナラバ、イタシマセントモ』
『するなと言わなければ余計な事も辞さないあなただから、そもそもやらせません』
『ソレハソレハ、残念至極』
くつくつと鳩が奇妙に嗤う。
……うわー、こいつら使い魔なのかもしれないが、一癖も二癖もあるぞ。命令や契約にない事は勝手にやっちゃう類いのアレだ。高度な知性を持つのも良かれ悪しかれだな。
『全ク……ムウ?』
獅子がギロッとロイを睨んで……嗤った。
『面白イ者ガイルデハナイカ。我ガ君ヨ、退屈シノギニコノ小僧ドモト、手合ワセシテモヨイカ?』
おお、やる気か?
『やめなさい。これ以上消耗されても困ります』
『ツマラヌ。仕方ナイ、嵐ヲ呼ブトシヨウ。往クゾハルファス』
『承知』
獅子人と鳩の姿がふっとかき消える。そして。
「あっ……」
『仕事を始めただけです』
影体が後光を消して言う。
……いや仕事ってさあ……。
彼らが消えた次の瞬間、向こうの中央山脈の空がゴゴゴコと曇って稲光が煌めき始めたり、その手前の荒野化してるところに砦らしきものが、空から謎の煉瓦塊っぽいものがドドドドと落下する形で作られかけてるんだけど、早すぎだろ。
派手なのを派手なので隠すってか……やっぱこの神も豪快というか、何というか……。
『──出発までいましばらく時間があります。休憩にしましょう、食事のほか、修行を復習されたり、今後どうするかを相談されるのもいいでしょう』
用語説明
今回は某旧約な書物とヘブライ語由来
万能なるもの、全能者 エル・シャダイ
…… とある唯一神の呼び名の一つ。そんな装備で大丈夫か?
知識の主たる神 エロアー・ヴェ=ダアォト
…… とある唯一神の呼び名の一つ
戦いの神 エロヒム・ギボル
…… あるいは裁きの神。とある唯一神の呼び名の一つ
七十二の名を持つもの シェム・ハ=メフォラシュ
…… とある唯一神の呼び名の一つ
在りて存りしもの エヘイエ・アシェル・エヘイエ
…… 過去、現在、未来の全てに在るもの。とある唯一神の呼び名の一つ
かの地に至りしもの アドナイ・ハ=アレツ
…… とある唯一神の呼び名の一つ
軍勢の長 ツァヴァオト
…… いと高きゼバオト、あらゆる天使と聖霊と悪魔の主。とある唯一神の呼び名の一つ
万軍主の指輪 ラメレク・ツァヴァオト
……ラメレクとは印章のこと。リングオブスレイマン、通称ソロモンの指輪をモチーフとした神器。ソロモンの指輪は、それを持つものはあらゆる天使と悪魔を使役できるという代物で、真鍮と鉄からできており、天使に対しては真鍮部分を、悪魔に対しては鉄部分を投げ当てることで使役することができるという。要はこれは判子だなと思ったので印章とした。
天神器としてのラメレク・ツァヴァオトは、最大で72の天使と72の悪魔を使い魔として顕現させる力を持つ。天使や悪魔はそれ自体がそれぞれ下級の部下を多数召喚でき、理論上は万軍を超える軍勢となりえる。同時顕現させられる天使、悪魔の数や力は、使い手がどの程度の霊力を込めたかで変化する。
天神器としては最高ランクの多様性を持つが、顕現した天使や悪魔は己の性格に合わせて自立行動するため、非常に扱いが難しい。天使サイドは融通の効かない性格が多く、悪魔サイドはねじくれた性格の者が多い。さらに天使と悪魔を同時召喚すると喧嘩を始めるので、どちらかだけで運用することになる。
なおこの世界には、この神器によるものとは別の「天使」も存在する。