第150話 語りえざるもの
「……さっきからどうしたの?」
「なんでもない」
ついリェンファに目がいってしまうロイである。
あのオトナだった初代の魔女と、基本的にはよく似ている。だが、どこぞのサイズはわりと違うなあ、とか思ってはいけない。むしろそのほうが、今の彼女の体のバランスには合っているかも……ごにょごにょ。
まあリェンファがその気になれば、何を考えているかどうかくらいバレるのだろうけど、どうも、あの霊獣らの力に抵抗するためにリェンファも霊力をだいぶ使ったらしく、瞳の力も低下しているようだった。
……妄想するなら今のうちか?
「──顔がにやけていてよ?」
オカシイナァ、凍ッタ世界ハモウ解除シタノニ、何ダカトッテモ寒インダ、ヴァリス?
『自業自得かと』
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「さて問題はこいつだ」
「これ、なんですか?」
五大仙らが消滅した場所の後ろあたりに、謎の茶色い卵のような、あるいは繭のような物体が鎮座していた。中に人間がすっぽり入りそうなくらいの大きさ……となると。
「神器グレイプニルの保護形態です」
「つまり魔女はこの中ですか」
「こうなると外部からの干渉がほんとめんどくさくて。殆どの攻撃や探知を吸収してしまいます」
「五大仙が発狂したままだったの、これのせいだよねー。こいつのせいで、姫の体内に戻ろうにも戻れず、安否すら不明のままだから、報復モードを継続しちゃった。全部悪い方に噛み合っちゃって、まあ……」
「この仙人が殴ったら何とかなるんじゃないの?」
「これは『神器』、それも正式な主持ちのですからねえ……万全の状態でも難しいのに、今の消耗した私には対処しかねます。特にこの神器は、吸収と無効化の神器ですからね。具体的には私の仙力とは単純に相打ちの消耗戦になるんですよ、傍目からはとても地味かもしれませんが、かなりの苦行です」
霊気を改変する五大仙と、この神器。シァオファンに対して相性のいい戦力を持っていたからこそ、かの魔女はこの戦闘狂についてきて、目付役をやっていたのだろうか? それが予想外の事態でこうなってしまったが……。
「どうしたらいいんです?」
「俺が殴ればいいのか?」
「あなたは殴り倒すだけの脳筋から卒業してください。どちらかというと、あなたよりこちらの子たちですね」
リェンファとニンフィア、そしてレダを指差す。
「私たち?」
「少し危険ですが、たたき起こします」
「放置しては駄目なので?」
「放っておきたいのはやまやまですが、そうするとこの惨状の回復もできないので」
惨状……確かに。少なくとも見渡す限り森だったところの殆どが、焼けただれ、燃え尽きていて、酷く風通しのよい荒野になってしまっている。
そして向こうの山脈の山。
もくもくと巨大なキノコな雲が遥か上空に残って、いまだに上昇と拡大を続けていたが、下の方は少し薄れ、破壊の有り様が見え始めていた。どうも山肌が半分くらい、えぐりとられているような……。
あの辺の山は、軒並み高さ数千シャルク(m)はある高山ばかりだ。上のほうは夏でも極寒、永久氷河に覆われていて、下は無数の魔物が棲み、人跡未踏の魔境……とかそんな感じのところだったはずが……。
これ、ちょっと小さい地震でもあれば、残る上部も崩落して山が消えて、帝国側まで貫通するのではないか? このままだと国際問題にかりかねないのでは。
「単純に物理的に山が大変危険な状態であるほか、あのあたりの霊的環境が崩壊しています。このままだと本気で何十年か草も生えない死の地になりますね」
「どうしてそんなことに」
「あーうーん、霊気を見る【天眼】を邪魔するにはあれがベストの選択だったんだよ? あれなら周辺の霊気も木っ端微塵で」
「その目的にはあれの1%もあれば足りたはずですわ」
「だってさーストレスたまるじゃーんぐぎゃっ!」
今度は金鎚でなく、突如地面から生えてきた木の杭がルミナスにヒットした。
「可能な限り修復は試みますが、そのためにもこれがこんな所に転がっていると、修復する力が喰われてしまいます」
「でも迂闊にたたき起こしたらおこだろうねー」
木の杭の直撃で首が90度に折れたルミナスが呟く。早く治せ、怖い。
「おこ?」
「おこです。魔氷狼は知ってるね? 氷の力を持つ狼の魔物。で、この繭になってるこいつも同じくフェンリルと呼ばれるモノを宿している。正確にはそれを封じ、内包している」
「魔氷狼ならそこまで強敵ではないはずですが」
あれはあれで、準備時間無しに広範囲に氷結の吐息を吹いてくる凶悪な魔物だが……今の仙霊機兵たちなら二人もいれば倒せるだろう。
「それが、君らの知る魔氷狼は単に強い魔獣が、これの元ネタにあやかって名付けられただけの代物でね。こちらのほうが、もっと本来の伝承のフェンリルに近い」
「本来の伝承とは?」
「忘れられた大昔の神話だね。そこでのフェンリルは世界が終わるその時に、神々の王を喰い殺す怪物。それを再現しようとしたこいつも、暴走したら国一つくらい普通に滅ぶ」
「……とんだ危険物ですね」
「実際下手な異能は効かないからねえ……しかもグレイプニルの吸収能力のせいで、主からの供給なくても燃料切れになりにくいからね、こいつ」
「とりあえず皆さん、念のために距離をとってください。遠距離から仕掛けますよ。それでよろしいですね、『陛下』?」
『構いません』
「えっ!?」
「誰? どこ!?」
突如「聞こえてきた」念話に、ロイ達は辺りを見回すが……誰もいない。
『できるだけ急いだのですが、少し手遅れでした。思った以上にやらかしてくださいましたこと。対処する時間が足りずあの有り様です』
何もない荒野に、念話だけが響く。
「恐れながら、半端に物質界との干渉を残しておられるからかと」
『完全に絶ってしまうと何かあった時にもっと面倒です。仕方ありません』
そして、グリューネの視線の先から、黒い影が地面からせり上がってきた。人型の影絵。立体感がないほど真っ黒で、ただ瞳らしき所だけに、蒼と黄金の二色。
おそらくはとても長く長い、髪の毛のようなものが、風もなくうねうねと蠢いていた。
グリューネは膝を折って敬意を示しているが……どう見てもまっとうな存在には見えない。不気味としか言いようがない。
「なんだっ、これ……」
「あなたは……」
「さっき、陛下って」
「まさか魔人王……」
「違うよーコレはねー」
『ええ、違います。娘は地上には来られません』
「娘」
『はい』
「では……あなた様は……先代の魔人王?」
『いいえ。それは兄様です。私はセラフィナといいます。先代魔人王ラグシードの妹です』
「「……妹?」」
先代の王妹だというなら「陛下」呼びはおかしい。それは王ないし王の正妃の経験者向けの敬称だ。王妹、つまり王女なら「殿下」だろう。だが、当代の魔人王を娘と呼ぶ立場なら……。
『何か?』
「「……いえ……」」
しかもあの初代の魔女の言によれば、魔人王の一族で継承者が一人でなかったのは二回だけ。双子だった時のみ。
……深く突っ込んではいけない気がする。
「いやはや、我が老師らも人を辞めて久しいそうですが、さすがはファスファラス……」
(ぼそぼそ)「レダ、何か知ってる?」
(ぼそぼそ)「……先代魔人王ラグシードの名前は知ってるけど、その后とか妹まではさっぱり……そもそも外にろくに情報出さない国だから……」
「それでセラちゃんさー」
『あなたのほうが年上とはいえ、その言い方はやめなさい『光陰』』
「セラっちのほうが良かった?」
『せめて様はつけなさい』
「えー、要る? だっていまのセラぴょん様、無位無冠の亡霊でしょ?」
『だから亡霊ではありません』
「無理だって、どう見ても亡霊だって。これぞ禍津国の悪霊だと言ったら誰もが納得するくらい邪悪な姿だってばよ」
ルミナスにしては珍しく全くもって同意できる発言だった。口には出せないが。
『亡霊は白かったり透けていたり足がなかったりするものでしょう? 今の私はいかなる波長帯域、いかなる感覚で視ても『黒』と認識されるはずです。透けていませんし足もあります。霊気も抑えていますし』
確かに透けていないし真っ黒ではある。リェンファやアレジの特殊な眼で見ても真っ黒である。霊気や寒気の類も感じられない。
しかし亡霊呼ばわりと黒いのとは関係ない、それ以前の問題だ、と突っ込む者は誰もいなかった……一人を除いて。
「ないわー、その怪しさ満点の姿で亡霊悪霊じゃないなら、おーん、そらもうアレよ、魑魅魍魎悪鬼羅刹冥府魔道餓鬼畜生奇々怪々邪知暴虐の無貌、さなくば狭間の世界に居座ってる玉虫色球体群やら魔眼触手塊、大蛸海坊主やらの仲魔っしょ。百歩譲っても、ワレ外道セラぴー、コンゴトモヨロシクって言いそうなアレ……
すぽっ
ルミナスの足元に真っ黒な輪が現れて、彼女は悲鳴もなくそこに吸い込まれて消えた。
「「・・・」」
「……大丈夫なんですか?」
『彼女はもう消しました』
「消した?」
『はい。どこにもいません』
「はい?」
『だいたいが、彼女はやり過ぎなのです。先程の山を穿った技、あれがもしまともに五大仙に着弾していたら、今頃皆様は全員生きていませんよ? 下手な熱核兵器より上ですからね、あれ。最大出力だと隕石招来よりも危ないものです』
「は……い……?」
『それどころか、余波だけでも普通に皆様から死人が出たでしょうし、世界全体で気候に影響がでかねないところでした。私がぎりぎりで間に合って多少弱めたから良かったとはいえ……しばらく死を直視して反省すべきです』
どうやら思っていたより酷い事態だったらしい。
「いっそそのままずっと消せないものでしょうか?」
『あれでも現役の騎士でしょう、私に騎士を真に消す権限はありません。なにせ無位無冠なのはその通りですからね、表向きは死んでいますし、仮初めの肩書きも単なる評議会の非常勤顧問でしかありません』
「先后陛下がなさることであれば、今上陛下も無碍にはされますまい」
『それに甘えるわけには参りません。しばらくすれば復元しますので、お守りはあなたにまかせます『神樹』』
……やはり寸劇じみていたが、恐ろしいのは、何をやったのかまるで分からないことだ。
黒い影には一切の気配がなかった。霊気も、魔力もなく、像として認識はできるが、まるで実体感がない。
強いていえば、金と蒼の虹彩異色の瞳らしいもの、そして指とおぼしき場所に輝く金色のような指輪、それらだけが存在感があった。
そしてルミナスに対して何かやったはずなのに、それについても霊力、魔力の変化さえなかった。
今も仙術の念話を使っている、そのはずだ。それなのに発信位置が分からない。普通、遠距離への念話術は、中味は対象にしか読み取れずとも、霊気の動きに気を配ればどこで使っているかくらいは分かるものなのに、そちらも分からない。
(ヴァリス、あの陰形はどういう技なんだ?)
『ご主人様。私単独の知覚では、そこには誰もいません。何もありません。何も聞こえません』
(?)
『私には、ご主人様経由でないと、彼女が認識できません。念話も私は対象外です、私には聞こえていない』
(……なに?)
『おそらくは、ですが。私も見るのは何千年ぶりかですが……知られざるもの、捉えざるもの、語りえざるもの……【非在】の仙力でしょう』
???
『誰でもない者。存在を禁じる者。存在を禁じられた者。……許可した者しか、その存在を認識できない。彼女に私に見せる意志がないために、私には彼女を認識できない。あのルミナス殿も、存在を禁じられて消えた』
なんだそれ、もしかしてヤバい力か?
『正直、恐ろしい力です。認識できない者にとって、彼女は、本当に存在していない。例えば、今私が単独で伸びて攻撃しても、彼女には絶対に当たりません。そして彼女に禁じられたものは、存在をやめてしまう』
どういうことだ?
『文字通り、存在していないし、存在しなくなる。存在を認識できない、ではなく、物理的にも霊的にも時空に存在していない。いかなる攻撃も、存在していないものには当たらないし効かないですよね? それなのに、向こうからの攻撃は通るんですよ』
………あの古竜どころじゃない反則能力だな、それは。どういう理屈なんだ。
『不明。単純な次元や相の違いなどでもありません。間欠的に現界しているわけでもない。少なくとも私やご主人様のレベルの生命からは理解の埒外にあります、そういうものなのです。仙力には非常識で特異なものも数多いですが、あれはその中でも理不尽さでは指折りの力です』
強引に認識する手段はないのか?
『知覚特化系の仙力でも、物理系のものでは一切分からないと思います。霊的知覚系の仙力なら、不自然に「ない」と認識できれば、あるいは……。それもいくらでも誤魔化しようがあるでしょう』
きっついな、それ。
『そもそも、あの仙力は普通はありえないものなんです。あれは、彼女が許可した者しか彼女を認識できないという特性があります。まず彼女の自意識が必要なんです。だから有り得ない。例えばまず母親の胎内に宿ったとして母親はそのことを認識できないので、生まれる事さえできない。つまりは、本人自身が、生まれる前に生まれていないと生まれない』
全く意味が分からんぞ?
『矛盾の塊ですよ。私が知るこの能力を持っていた者は、創造主自らが直々に特別なやり方で造った私たちの遥か上の情報収集担当の神、一柱だけでした。世に仙力は数あれど、これは生み出すコストも維持コストもとんでもなく高いそうですよ。うっかり気を抜くと、世界から認識されなくなって消滅してしまうらしいですから』
は? 消滅?
『本人が意識を失った場合、予め許可しておいた外部観測者……それも相当な仙力持ちからの認識がなくなるとそのまま世界に溶けて消滅してしまうそうで……うっかり一人で寝ることもできない能力なんです。だから常に、眠ることなく存在を認識してくれる『楔』が外部に必要らしいです』
そういう代償がないと存在できない、と。
ところでそれ、さっきの霊獣達に対して無茶苦茶有効じゃね?
『【天眼】を誤魔化せるかどうか次第ですね。おそらく可能だと思います。……たぶん彼女はもう少し前からこちらに到着してご主人様を観察しています。そしてあの再現神器による攻撃を弱めた』
俺を見物してた、か。
……高山が半分吹っ飛んだんだが、あれでも弱めたって言ってたっけ?
『発動した時の威力からすると、あの山は半分消失していなければおかしいんです。あれだけ残っているのが変なんですよ。山に着弾する直前に、彼女の介入で相当に減殺され、反対側までの貫通を阻まれた。あれはそれができる存在、少なくともさっきの霊獣らの一匹ずつより格上の存在です』
あいつらより上か。
『それさえも『手加減』したはずです。本来、あんなキノコ雲が出るほどの被害を出したくはなかったでしょうからね。完全には消せない事情があったと見るべきでしょう』
こわー、怒らせんとこ。
『……まあ、それでも【傲慢】の担い手であるご主人様なら、当てられるはずですよ。……何らかの手段でわずかなりとも認識できれば、ですが』
可能性があるとしても、できるだけやりあいたくはないな。まあ、今のところ敵ではないようだし、話を聞くしかないだろう。
今年こそはそれもうアレよ、あかんアレしてまう(関西で学生時代を過ごしたおっさん並感) ……まあ打線面で無理っぽいけど。
→ 追記 あかんほんまに阪神優勝してもうた!?
ちょっと執筆速度低下中です。この悪霊さんの能力と、それによる結果が思うように書けず……。とりあえず、グレイプニルの後始末をつけたのち、舞台は帝国に戻ります。そして帝国で発生している事態の解決後、第一話の状況から、終わりに向けてのエピソードに入る……はずです。




