第149話 エリクサー
霊薬は、生まれなおさせるもの……それ、薬なのか?
「これやっちゃうと、きず、やまいはなおるけど、しんたいかんかくがね、ぐっちゃぐちゃになる」
『複製体作製と魂魄移設術式の圧縮記録体ですか。完全治癒手法としては私の知る他の世界でも珍しくありません。そしてこの手の代物は当人専用に調整しないと、魔術回路、霊子回路、神経網も初期設定が適用されます』
もっと簡潔かつ具体的な例で説明してくれ。
『……治る代わりに、訓練や努力の成果が相当分無くなるとお考えください。人間の戦士なら……そうですね、筋力や無意識の反射神経、そして拳のタコなどによる皮膚の強化、痛みへの耐性などが無くなるかと』
なるほど、ろくに鍛錬できてないすっぴんの身体になるわけだな?
「すぐれたせんしほど、ふっきにてまどる、せんせんりだつさ」
「話は分かったが、それを体が縮んだり分裂する人間が言うのかよ?」
「しろうとめにはそうかもね。でも、ボクらとしては、それらはぜんぜんちがうものなの」
「他に治す手段はないのか?」
「いまはない、じょうたいがわるすぎる。それでも、しんでからふっかつするよりはマシだ」
「そういやあんたら、死んでも復活するんだったな……」
「するけど、そっちだとえりくさーよりたちがわるくてね。まあいいや、もうのませる」
飲ませる……といいながらルミナスが始めたのは、グリューネが着ている服に何かの術をかけることだった。
「何をやってるんだ?」
「このままだと、からだがおとなにもどるから、そのときにふくがふっとぶぞ」
「そういや元は幼児じゃなかったんだっけ」
「なに? みたかったのかしょうねんよ。おまえのりびどーはかなわない。ざ ん ね ん だ っ た な!」
「……そんなの思ってすらいなかったよ!」
リェンファ、ジト目はやめてくれ。そこの野郎ども、がっかりすんな。畜生、腕の断面が痛い。
次はグリューネの周りに土や木片を集めたりしはじめた。
「今度は何を?」
「しろうとはだまっとれー。だがきさまはよくみておけ。きさまが『めさいあ』であるかぎり、それがいずれひつようになる」
「え?」
「えりくさーはじんたいれんせいをおこなうくすりだっちゅーの、いしきないやつにつかうならじゅんびがいる。うまれなおし……むーざん、むざん、かごのあーかいなーかみはー、いーつーいーつーもーれーる……」
どこか不気味な、調子外れの奇妙な唄を歌いながら、ルミナスはグリューネの口をこじあけ、どこからか赤い石を取り出して……口の上で握りしめた。
「うしろのしょうめん、だーれ!」
「!!」
石が崩れ粉になり、粉が落ちていく途中で液体に変わり、グリューネの口内に入っていくと……。
突然、彼女の体のそばに無数の魔法陣が現れては消え現れては消え、その輝きの中に体が隠れる。
しばらくして光が消えると、幼女でなく大人の体になったグリューネが倒れていた。
「これが……霊薬ですか」
「あの赤い石、まさか、伝説の賢者の石……」
「凄いものなのか?」
「本物なら取り合いの争いで滅びた国があるくらいの秘宝。伝説だと身に付けていると寿命が倍になるとか、鉄を金に変える触媒になるとか色々」
「霊薬と賢者の石は同じものだったのか?」
「凄いんだろうけど凄さがもうわからん」
「最近色々ありすぎたわ……」
「………おーいおきろー」つんつん
「……うー……」
「おきなければむいていく」
「……起きますよ、ほんとに、もう、まったく、体が重い……」
むくっと起き上がり、軽く体操のように体を動かす。別に変な動きには思えない。
「もう大丈夫なのか?」
「大丈夫というか、初期設計状態に戻っていますからね。例えるなら、重傷を負って何十日も寝たきりだった状態からの復帰、みたいなものです。リハビリには最低半年はかかりますね、くそったれですわ」
そんな状態なのか? 普通に動いてるが……。
『あれは、仙力で強引に自身の体を操り人形にして動かしているんですよ。種族的にそれがやりやすいのでしょう』
種族って……魔人は人間の亜種みたいなもののはずだろ?
『いえ、再生過程を見て確信しました。彼女、種族として人間でも魔人でもないです。この人は、いや人と呼んでいいのかも分かりませんが、一番近いのは……木です』
木?
『彼女は生きている樹木です。身体構造が植物なんですよ。それも、普通の……というのも変ですが、ただの樹人でなく、吸血樹です』
マジかよ、その発想はなかった。魔物の樹怪の一種? それも吸血樹? 聞いたこともないな。
『設計と言っていますし、後天的な変化でしょうから、この世界の既存種ではなくユニーク存在かもしれません。仙力のためでしょうね。【神樹】は植物を統べる仙力、ならば自分自身を植物に作り替えるのは極めて合理的です』
力に合わせて自分を作り替えた? 合理的? そうか?
そして植物だろうと治るのか霊薬。万能薬ってのは嘘じゃねえのな。しかし作り替える前には戻らないのか? 基準がわかんねえな。
「さっさとボクらもなおしてちょーだい」
「ああもう、分かっていますわ。とりあえずそちらの腕からですね」
無造作にロイの千切れた腕を繋いできて……密度がひどく高い魔法陣が発現し、そして。
「あちっ……おっ、おお」
熱い、と思ったら繋がっていた、そして感覚もある。特に違和感もなく、傷跡すらない。すげー。
「神業の大盤振る舞いだあ……」
「第七段階の治癒魔術『復元』……儀式魔術化せず、一人で使えるんですね。四肢接合なんて、一流の治療術師が十人掛かりでも繋ぐこと自体に失敗することも多く、繋がってもその四肢に感覚が戻らないのが過半数だと聞きますが……」
レダが呟く。
えっ、聞いてなかったそんなの。
「西の聖山の聖女たちなら、成功率も高いそうですが」
「あいつらのたいはんは、ちょっとまりょくがあるか、かねもちか、どっちかだけ。なかみがない。あいつらだけじゃ、ふくげんなんてろくにせいこうしない」
「え、しかし、成功率は高いと……」
「それは、はーみーずのせいだ」
「はーみーず?」
「その辺は色々と絡繰りがあります。大陸の治療術師にはありがちな事ですが、優れた魔力を持ち、魔術には詳しくても、その割に生命には詳しくない。だから形だけは取り繕えても、中身の治療に失敗するのです」
「ええ? 専門の治療術師の殆どは優秀な医者でもありますが」
「その医者達は、何故手足が意志に合わせて動くのか、何故繋いだだけではその先が動かない事があるのか、答えられますか? 『復元』の術がどのように作用しているか、答えられますか?」
「……答えられないんですか?」
「9わり9ぶのれんちゅうは、むりだね。せいじょであってもね。それでも、あいつらがせいこうしやすいのは、ほぼ、はーみーずのせい。あいつがたすけなかったら、ほかのくにとかわんないよ」
「だからはーみーずとは……ああ、あの、聖山にあるという神器、聖杖ハーミーズ、ですか」
「あいつりくつっぽいし、うちらのてきだし、きらい」
「『彼』はそういう役割だからいいのです。とにかく、生命を理解しないで『復元』を教本通りに使っても完璧には治りません。もし治るとしたら、それは治った本人とその怪我が、偶然に術式の標準モデルに近い状態だっただけです」
「つまり問題は、大陸の医術がまだ未熟な点にあると?」
「それだけの医術が西の島や、神器聖霊にはあるんですね?」
グァオやレダの質問には、それだけの技術、知識をどうして秘匿するのか、そんな非難が僅かに滲んでいたかもしれない。
「遍く人を救う博愛に興味はありません、何しろ我々、邪悪な魔人ですので。今の治療も我々の任務に関係あればこそ無償でやっていますが、そうでなければ余程の対価なしにはやりませんよ」
「…………」
「いいからはよボクをなおせやスッゾコラー!」
「対価を」
「おまえをなおしただろさっき!」
「あの薬は今上陛下がくださったものでしょう。といいますか、さっきやりすぎてあちらの『陛下』の手を煩わせましたよね?」
??
「うまくいったんだからいいじゃん!」
「いっていません、面倒なのはこれからです」
そうして指差す先、遥か山脈の向こうの空には見事なキノコの雲。距離からしてとんでもない大きさのはずで、しかもまだ成長中のようだ。その下の山脈がどうなっているかは雲に隠れて見えないが……。
「ドクサレッガー! ザッケンナコラー! よるのおうきゅうまどがらすこわしてまわったる! このしはいからそつぎょうしてやる!」
「そんな口を叩いていたら治しませんよ」
「くっそさっきこいつのふく、はれんちでひごうりなぬのめんせきの、かくごをみせつけるえぐいやつにしておけばよかった! さもなくばしたぎをみせるようにすればよかった、それがだいうちゅうのほこり!」
「やるなら自分だけでやりなさい。……やはりこのまま封印しましょうか」
「おのれ! ああ、こういんがいく……。のぞまれることなく、なかまからきらわれしボクをうごかすもの、それはどしがたいしゅみをもつもののゆえつにほかならない!」
「自分で度し難いのがわかってるじゃないですか」
幼女ルミナスは頭を抑えつけられながらジタバタともがく。
「ですがじっとしていなさいアホ」
「おお、このうらみをうけてくれ、どうぞなみなみとくらうがいい! いかりにくしみのろいもあるぞ、さよならだけがじんせいだ! かにこうせんはっしゃー!」
「はいはい」
──【譲与】──
グリューネがルミナスに何かやった。どうやら他人に霊力を融通する仙力のようだ。
ちびルミナスの霊気が強くなり、ぴかっと光ったかと思うと、周辺から小石のような何かが無数彼女めがけてとんできて……。
ぽんっ
「さっさとやればいいんだよ!」
ルミナスが大人に戻っていた。ほんとに冗談のような体である。
ハーミーズ
いわゆるヘルメス神。この世界では天神器であり、聖霊を宿していて、その性格はかなり理屈っぽく、マイルールに妥協しないタイプ。そしてその姿はヘルメスの杖、伝令杖ケリュケイオン(カドゥケウス)を模している。
なお蛇を杖としたケリュケイオンは古代ギリシャでは「伝令」の識別具でしかないが(ケリュケ=伝令の、イオン=所有物)、伝令の神たるヘルメスのそれは、翼が付いていたり、蛇も一匹でなく二匹の二重螺旋だったりと豪華に描かれることが多い。
アスクレーピオスの杖も似た意匠だが、あちらは基本的には翼はなく、蛇も一匹であり、杖に蛇が絡みついているのであって杖自体は蛇ではない、というものになる。とはいえ、その違いは厳密でなく、歴史的にも混同したケースも多く、正直どっちでもいいところ。
ところで杉花粉の次は檜花粉だが、これも地上から滅びるべきである。つらい。
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かにこうせん (民明書房刊)
あらすじ……冬の味覚として知られるカニは極めて美味なれど、脚からビームを乱射する凶悪な生命体であるのは周知の通りである。旬の季節になると、各地よりカニと戦うための荒くれ者や労働者が集められる。彼らは攻性甲殻類機動捕獲船……通称蟹攻船に乗り込み、極寒の海での死闘に赴くのだ。
だが、所詮この世は弱肉強食、強ければ生き弱ければ死ぬ。そして必ずしも人が強者とは限らない。カニとの戦いで労働者達は次々に力尽き、逆にカニの餌となっていく……。
いつしか彼らは自分達がこんな地獄にいるのは銀座の料亭で高級カニ肉に舌鼓をうつブルジョワのせいだと逆恨みを募らせるようになり、やがてカニよりもアカくなり、革命だ、万国の労働者たちよ団結せよ! とオホーツクの中心で共産党宣言を叫んでストライキしたところ、それを鎮圧せんとした船長が呼び出した帝国の駆逐艦と戦闘になり、イカんともし難くタコ殴りにされた。
ブルジョワと軍隊、即ち金と暴力に敗れ全てを失った彼らは、簀巻きにされ海に蹴落とされ、まさにカニの餌にされんとする死の絶望の中で、カニと和解して覚醒する。カニの寄生を受けいれて石蟹面を身につけ、背にカニアーマーを纏い、穏やかな心を持ちながら激しい怒りによって人間をやめた伝説の超バルタン星人となってプロレタリアート革命のために立ち上がるのだっ! Уллаaaaaaaaaa!!
……なんかおかしいな? え? おかしさしかない?
ともあれ蟹光線である。分かる人ももう少ないかもしれない。TRPG好きなおっさんしか覚えていないであろう、亡きRPGマガジンにて、アルセイルの氷砦の連載が始まった頃、なぜ蟹光線でイブセマスジーなんだよ、せめてコバヤシタキジーであるべきだろ、と誰もがツッコミいれたあの頃からもう30年以上過ぎているという事実に驚愕せざるをえない。いやほんと後年の正式版でも名前がそのままだとは思わなかった。おおらかな時代であった。
なお「さよならだけが人生だ」の原文は、その井伏鱒二氏の名訳なわけですが、あのような格調高い文を書けるようになりたいものです。……本話のようなネタ回を書いているようでは無理ですね。




