第145話 『リピート』
ルミナスが己の銀色の髪を少しむしり、口に含み、フッと吹いた。すると、吹かれた毛髪の欠片が、銀色の小さな無数の小さな異形へと変じた。それらは……。
例えば蠅、例えば蜘蛛、百足、螞蚱、飛蛾、蜂、虻、毛虫、蚯蚓、馬陸、椿象、天牛、蠍、真蜱……気の弱い者なら見ただけで卒倒しそうな異形の虫の大群……。
その群にグリューネが何かの術をかける。どうやってか【天遷】に対抗する手段の付与と……。
『……以木癲狂呪毒〈癲蟲〉』
「!!」
霊気が見えるリェンファが青ざめ、霊気が見えない者も、発生した気配に総毛立つ。虫の群は銀から赤黒い色に染まり、生命を否定する気配を漂わせるようになった。そのまま鼠の迎撃を始める。
異形の蟲たちの攻撃は霊体である火鼠たちにも何故か効いていて、そして紫や茶色の、あからさまに呪わしい瘴気を吐き出したり纏っていた。
「これ、は……」
「蟲毒……呪詛術の一種です、あの虫達に、触らないで、くださいね。呪われ、死毒に蝕まれ、ますよ」
鼠達の進行が止まる。止まったのはいいのだが……いかに見ても蟲の群のほうが、邪悪、とか悍ましい、とかいう感想しか出てこないような風体だった。
しかも蟲たちはやられるたびに一際強く謎の瘴気を吐き出し、それを残った仲間が吸収し、どんどん巨大化し、少数精鋭になっていっている……。
「相手が、不運を操るなら、こちらも凶運を振りまいて、相討ちで引きずり落とします……所詮、時間稼ぎ、ですが」
「あんな鼠には蟲がお似合いさ。キモいからあんまやりたくないけどねー」
「さすが見事なお手前ですね、うちの蟲仙の技よりも使い勝手が良さそうです」
「蟲仙のは蟲が殺された後の蟲霊の呪詛が本命でしょ? あの阿鼻叫喚地獄はなかなか芸術だね」
「おやそれもご存知で。これは参りましたね、我が方の仙力が筒抜けと見えます」
「なら新しい宝貝か、三十六仙以外の新しい人材を発掘することだね。ああ君らだと発掘というか、人攫いかな?」
「なかなか耳の痛いことをおっしゃる。仙力持つ者をもっと楽に増やせればいいのですが……同じ父母どころか、術で同じ肉体持つ赤子を量産しても、力は宿りませんしねえ」
「無駄な努力だね。魂を構成する心霊遺伝子は有機遺伝子とは全く違うし、有機遺伝子の複製だけじゃ魔術の素質すら劣化する」
「そのあたりは我らも何千年か前に通り過ぎたところでして」
「ハハッ! 崑崙の『廃棄物』が東方荒らしまくったの、今の歴史には残ってないんだろう? 大空白時代はああいう実験に都合が良かったねえ。屍の女王の被害なんてあれに比べたら……」
「お互い様でございましょう、あなたの伝説は当方にも……」
「その舌は少し回り過ぎるようだね、後でよい医者を手配しよう」
「その頭は螺子が外れておられるようだ、後でよい技師を手配いたしましょう」
「はははは」
「はっはっは」
「黙っていなさいポンコツ共、蟲の贄にしますよ」
(うわー……)
蟲よりもドス黒い何かが浮いている会話は置いておくとして。
……魔術にこんな疑似生命を操る術はないし、呪いを振りまく力を付与する、なんてやり方は知られていない。
残った学徒らは改めて理解する。仙術の奥深さと……彼女ら、護法騎士はそれ自体が劇薬、毒のような存在だということを。
禍津国の魔人と呼ばれ、恐れられる怪物たちにとって毒や呪詛も忌避するようなものでなく、ただの道具でしかないのだ。騎士と名乗っているが、騎士道精神の類はない。そしてそれに普通に対応する仙人。これも同類だ。
一人で何でもこなせる戦士であり術師、戦闘も暗殺も普通にやる。目的のために周囲を巻き込むのも辞さない、そんな連中だ。本質的には仲間ではなく、今はたまたま、冥穴に対して帝国と利害が一致しているだけに過ぎない。その事は改めて認識しておく必要がある。
毒も呪いも暗殺も、帝国の表向きでは忌み嫌われ、暗部、密偵たちだけが扱うような分野だ。というか、今の帝国では敢えてそのように分業されている、というのが正しい。
士官学校でも基礎的な毒への対処は教えるが、毒を使う側の話は一切ない。それは士官の役目ではない、とされている。学校でないところ、部隊や一族が伝え教える類のもの。
「仙力使いであるからには、専門バカになるのは勿体ない、ですね。固有仙力そのものが、他に代えがたい専門能力ですが、仙術はむしろ細かい応用力が、ものを言います。そこを生かさないと、仲間は増えませんよ? ただでさえ仙力持ちは少なく、固有仙力は、戦闘向けでない者のほうが多いのですから」
「東方は分業するやり方が主流ですから……」
「そうですか? 東方でも、魔術師は上に行くほど、専門特化を、バカにするでしょう?」
「……確かに、そうですが」
「従来の魔術を生かそうとすれば、それも最適解の一つですから。帝国の魔術師は、伝統的に特殊な階級社会を構築している。知識を秘匿し、継承し、独占的に生かせば、子々孫々優位に立てる仕組みがある。魔術衰退で少し揺らいだとしても、長年紡がれた既得権は、なかなか消えない」
「むむ……」
「知識が無意味な力、継承できない異能は、その仕組みを生かせない。彼らが精霊術を忌避し、仙力を属人的と謗るのも本当はそのせいです。しかし、それは結局、精霊と仙力の何たるかを知らぬが故。目の前の危機から目を逸らし、土中に首を突っ込む駝鳥や、井中の蛙の論理に他ならない……まあいいです、これでの時間稼ぎも、ここまでか」
五大仙のほうに動きがあった。
今度は巨大な蛇、柳仙の頭上にある雲が巨大化、拡散し、虫の群れの上まで移動してきていた。そして雲から、光る煙や靄のようなものが降り注ぐ。
──【泡沫】──
靄に包まれた虫が消えていく。
靄は皆の頭上にもやってくるが、そちらは途中で何かに弾かれるように消えた。
「今度はなんだ!?」
「時間経過、記憶消失、強制老化、感覚改変……正確にはそのように錯覚させる、精神系の幻覚仙力です。ただの幻覚ではなく、魔術や仙術での、一時的創造物にもよく効きます。術式の記録が吹っ飛ぶので」
「本来は、発動自体が確率で、敵味方関係なくかかり、かつ効果もどれが発生するのかランダムっつーとんでも迷惑な、場を混乱させるだけの能力だけどね……あいつら、【幸運】だから。確実に発動して、味方を巻き込むことなく、効果全部入りで炸裂しやがんの」
「記憶に老化……俺達は大丈夫なんですか?」
──瞬技・罠根の帳/Veil of Traproot──
──瞬技・玉虫色の魔法円/Iridescent Circle──
気がつくと、皆の周りに奇妙な木が複数立っていて、万色に煌めく結界らしきものを作っていた。
「対精神防御底上げの結界で、防御していますわ。発動を阻止できませんから、それ以外に手段がありません」
「あの煙をまともに食らったら一瞬で精神がボケ老人になり、肉体も引きずられて相応に老化する。古のタロー・ウラシマの伝説のようにね」
「……よくわかりませんが、防御はできるんですね」
「幸運な攻撃に対して、できなくなるのは回避さ、防御で耐えるのは可能だ。これでもまあ、実際に時を加速する【経歳】でないから楽。あれの最大威力を普通寿命の人間が食らったら即死しかない。防御しても、白骨の風化具合くらいしか変わんないし、万一生き残れても元に戻らない。所詮幻覚の【泡沫】とは格が違う」
「そんな仙力が……まさか、奴らが!?」
「くしゅん! ……誰か噂してないよね?」
どこぞの王大子妃がくしゃみをしたのはこの瞬間だったかもしれない。
「あー、【経歳】が【幸運】と組み合わさったらマジ最悪だったけど、あいつらは使えないから。まあ、あいつらは手の内が分かってるからまだマシなんだよ、造られた頃から変わってないから……」
「そこまでです。早く退避しますよ、もうあと少しのはずですが……ああ、ついに本気になりましたね」
「!!」
虫の群が崩壊して鼠の群が侵攻を再開すると同時に、魔女のそばに残る四柱のうち、巨大な狐の霊獣が前に出てきた。
Corrrrn!!! Corrrrn!!! ……。
一声啼くたびに、狐の尾が増える。二つ、三つ、四つ………そして最後に八つにまで増えた。
八尾の天狐と化した狐仙が人間たちを睨むと……それぞれの尻尾の先から放電が始まる。
「来ますよ、ニンフィアさん、レダ君、ウーハン君、いいですね!」
「は、はい!」
尻尾の先から生じた放電が、空に向かって放たれた。すると青空がみるみるうちに曇り、つむじ風が巻き起こり、ゴロゴロと雷鳴が大気を切り裂き始める。
『神仙術……〈九天応元雷声普化天尊〉……』
古の雷の最高神の名を冠するその術は、かの雷公鞭の霹靂をも遥かに凌ぐ、神罰の具現である。
『『放下雷霆!』』
墜チヨ!!
ドガガガガガガガガガンッ!!!
【幸運】と共に発生する稲妻はそれ自体が「雨」の如く。そしてその雨は、狙いを誤ることなく、天より人間たちに向かって降り注がんとする。何十もの稲妻が漏斗状に集中するそれはもはや、竜巻よりも太い光柱であった。
本来ならば命中は不可避。だが。
『『……你這個混蛋!……』』
貴様ラ!
直撃を約束されたはずの雷柱は、人間たちから少し逸れたところに突き刺さった。
ニンフィアたちの防御によるものだ。
ニンフィアに宿る【境界】の力は、本来であればその派生である【拒絶】のように、いかなる物理現象をも遮り、さらに霊的な力さえも一撃なら遮断できるはずのものだ。
しかし、今のところニンフィアは、この力を完全に防御的には使えなかった。どうしても【憤怒】の力が混ざってしまい、何らかの破壊現象を伴ってしまう。身に宿す【境界】の力の一部が、どうしても開放できない。
『・・・』
──それは、魂の奥底で眠るナニカを、凍りつかせる為に使われているから。
そこでグリューネは、「攻撃を破壊する」方向性での防壁作成を提案した。
今回のような物理的、霊的両方を伴う神仙術の雷撃であれば、荷電粒子の破壊と、霊気の破壊、という方向性だ。霊子式神の助けを借りて演算し、自分たちの周辺の雷の経路と霊気を破壊する。
そのために必要なのは、落雷という現象への理解。そしてグリューネは相手が落雷技を使うことを知っていた。さらに【幸運】の特性も。ならば対策も可能。幸い、使い手であるニンフィアには多少の科学知識もある。
まず空気を「破壊」し極薄の真空の壁を作る。半端な真空は放電の餌食だが、超高真空までいけば電離すべき粒子がなく、空間は最上位の絶縁体と化す。
「聖槍」の境界に挟まれ、完全破壊された空間に無理やり放電しようとすれば、界面からの荷電粒子の放出しかなく、それは「聖槍」を越えられない。
そして落雷という現象は一見一瞬だが、実際は複数段階を経て進む。大まかには空気の絶縁を破壊してイオン化し経路を作る小さな先駆放電と、そうして通った経路を爆走する亜光速の主雷撃とだ。
【幸運】によって、先駆放電の道筋は良くも悪くも集中する。そこを一括で破壊すれば主雷撃は【幸運】ではない。そこまでくれば他の手段で誘導可能だ。
そしてここにちょうどいい「避雷針」にして「避霊針」がある。
【迷路】のために各所に刺さった刺猬の金針。これの位置を【入替】することで主雷撃を僅かに逸らす。そこからの二次的な爆風や誘導電流などは通常の防御仙術で対処可能だ。
「やった……!」
学徒らは歓声を上げる。だが大人たちは無表情のままだ。
これで終わらないと分かっているがゆえに。
神仙術とは、霊方陣とは、領域に対する干渉である。ゆえにその多くは持続時間を持ち……。
『請重複』
「!」
再び迸る雷光の嵐を、ニンフィア達は再度防御する。
『請重複』
「……くぅっ!」
再度防御、しかし……。
先日西方方面軍を壊走させた雷撃の塔、あれらを上回る大雷撃が、僅かな人数に対して連続して繰り出される。
イニュメラブル……「数え切れない」 そのコードを持つこの術は、特に量という点において王器の全力起動すらも上回る。そしてこの陣はさらに、発動で破損する陣を放電の一部を利用して補修することで、変化する状況に応じての再利用を容易に実現する。
加えて今この空間では魔術での防御は許されず、仙力や高位仙術といった燃費の悪い力でしか対処できない。一方天地の霊気を利用する神仙術は、莫大な演算能力が必要なものの、威力も燃費も魔術以上に優れている。
それに直接対抗しようとすれば、人間の霊力では早晩耐えきれなくなる。
『請重複』
肩で息をするニンフィアの次に、今度はレダが【再演】する。だが彼の霊力はニンフィアより少なく、再演は元々本来の使い手よりも燃費が悪い。
『請重複』
「いつ、まで……!」
──無論、汝らが死ぬまで。
狐仙は思考する。
──この人間たちは極めて小癪だ。人間にしては手強い。人間にしては知恵が回る。だが所詮人間である。
──下手に小細工を弄するとつけいる隙を与えるだけだ。物量での圧殺こそが正解である。
『請重複』
「はあ、はあ、あ……」
『請重複』
「あう……」
──思ったよりはしぶとい。だが、それもうすぐ終わる。もうすぐ奴らの霊力は尽き……
『請──
「──地に幻の寄る辺なく、偽りの天に憚る道理なし」
『?』
「故に此処に奇跡は果てる。我が名は『崩仙』、その名は怪力乱神を崩す者なればなり!」
『!!!!』
ヴン!!
風が吹いた。あらゆる神秘を否定し崩壊させる、滅びの風が。
崑崙流仙術奥義 ──〈無空掌〉
崩仙シァオファンの手のひらから放たれた風は、周辺に展開した霊方陣ごと、五大仙たちを飲み込んだ。
『『……GA!? AAAAA!!!……』』
・
・
・
〈無空掌〉……崑崙における〈霊穿〉の強化版、霊気の大規模超遠距離「砲撃」術。これに崩仙の固有仙力を載せれば、それは全ての奇跡を滅ぼす風となる。その風が吹き荒れたあとには……。
「……やあ、参りましたね、これは」
分裂により個々が弱体化していた灰鼠や、大蛇、刺猬の姿がない。元が霊体であり、奇跡の産物である彼らは今の一撃にて崩壊した。
「案の定、足りません、でしたか」
しかし、天狐と鼬を屠るには至らなかった。むしろ、こいつらは逆に強くなっているように見える。
手前側にいた三柱が先に盾となり、この二柱は三柱の崩壊に伴う【共命】によって、三柱の霊力を吸収して強靭化して耐えたのだ。
まともにやるとそうなるのは分かっていた。シャオファンの力では五大仙全員を倒しきるには量が足りない。それでも、霊獣らが高位神仙術にかかりっきりになる瞬間ならば、あるいは……と考えギリギリまで機を待っていたが、やはり無理だったようだ。
もし彼が崩仙でなかったならば、強化された【不運】の反撃にて心臓を止められていたかもしれない。そういう意味では彼単独なら相性は悪くはないが……。
「ここまでですか……」
霊力が枯渇しかけている。回復もなく、もう今の攻撃はできない。
そうして、生き残った巨鼬が吠える。
──【再起】──
記憶している状態に、物質や生物を復元する力。生物の場合、死亡直後で魂魄がその場に残っているなら復活さえ可能だ。
魔女からは、この存在記憶は毎日深夜、日の替わる時と共に更新され、それ以前には戻れない、と聞いたことがある。
少し前に彼の宝貝を直した力だが、敵に回ると厄介極まる。
そして、みるみるうちに、倒れたはずの三柱が復活する。倒れる前よりも怒りに燃え上がりながら。
『神仙術……〈天仙聖母碧霞玄君弔魂歌〉……』
そして疲労困憊する人間達に、トドメとなる神仙術が放たれる。
Aaaaaa……Ooooaaaa……Ooaaaaa……
場違いにも涼やかで麗しく物悲しい響き。それはあらゆる狐仙を統べる、死に誘う慈悲深き泰山府の女神の歌。
その歌は空を震わせる音でなく、耳栓でも真空の壁でも止められず、相手の心に届く霊子の響きからなる妙なる調べ。
本来は霊鎧持つ者を確殺できる技ではない、防御もできるはずの技だ。しかし彼らは【幸運】にして【不運】の運び手である。時間をかければ防御に失敗する瞬間を作れる。その冥府の唄を聞いた者は、徐々に眠気を得て、魂が体から……。
「あ、ああ、あ……」
「うそ……」
霊鎧がまだ未熟な学徒たちから、徐々に効果が現れ始める。
「あ……たすけ……」
「寝るな! 寝ると、しにゅぞぉ……えへ……」
「お前こそ、ねる、な……あ……」
「いや……いやだ……」
「まだよ!」
未来を【選定】する力。リェンファの瞳が蒼く輝き、破滅の未来を破棄する。
だが霊方陣は持続時間を持つ。皆のぶんをずっと抵抗し続けることはできない……。
「うっ……」
霊力が尽きていく。
ついに彼らは膝をつき、耐え難い眠気と共に、魂が体から引き剥がされていく感覚に、死の深淵を覗き込む。
「あっ……あ……」
「助け、て……」
『『你們死在這裡』』
死ヌガヨイ
「……あ……」
「いや……」
霊力の弱い何人かが白眼を剥いて倒れ、断末魔の痙攣とともに、その口から魂が抜け出しはじめた。他の者も弱々しく崩れ落ち……。
「……たすけ…て……ろ……」
轟!!
天から巨大な霊圧が五大仙らの目前に着弾し、霊方陣を粉砕し、死の唄は途絶えた。
『『!! 發生了什麼!?』』
何事ダ!?
「……悪い、待たせた」
かの少年の声が響いた。
主人公の帰還
対五大仙編、あと二話の予定です
ともあれ杉花粉は滅びるべきである




