第144話 三十六策
少しだけ時間を遡る。
周囲が驚愕に止まるなか、昏倒したロイに何かの術をかけながら、グリューネは告げた。
「少し彼には、新技を会得してもらいます」
「新技?」
「それと今のにどういう関係が……」
「そのためにちょっと、臨死してもらう、必要がありまして」
「臨死」
「はい」
「……臨終じゃないですよね?」
「御安心ください」
「だいじょうぶ……なんですか?」
「大丈夫です。それより今は、彼が黄泉還ってくるまでにあなた方がやるべき事が問題です」
「今、黄泉還りって聞こえ」
「五大仙らは、限りなく神に近い、霊獣です。ですが神では、ない。そして古代の存在であり、そこから進化、していない。そこに、つけいる隙がある」
「まずガルフストラ(=リェンファ)さん、ユーウィッターヤ(=ニンフィア)さん、あなたたちの瞳と、破壊の力が鍵です」
「最初に、白木の杭のうち、色をつけた杭を、あなたの瞳で見て、必要な所に打ち込んでください。場所の選別方法を、お教えします」
「はあ……? っ!」
突然、知識を強制的に伝える術式をうけて、リェンファの脳が痛む、だが、それで霊方陣の構成が何となく理解できた。自分で作ることは無理だが、どこがどういう役割かが、分かる。
「そうして、キレた彼らが、【天遷】で霊気をリセットしようとしたらユーウィッターヤさん。色のある杭のところだけを、【憤怒】を使って、空間ごと破壊してください。それで敵味方の判定が、おかしく、なります」
「どういう事、デスか?」
「神仙術が敵味方判別ができなくなり、奴ら自身や、あの蝶にも影響が出ます。普通なら霊方陣の局所破壊は無理ですが、あなたの力なら可能です」
「そうして、霊方陣を逆手に取られたと、理解すれば、彼らは地上に霊方陣を仕掛けるのを諦め、仙術や固有仙力、あるいは上空にかける霊方陣を主力に使い始める。そこを何とか耐えて時間を稼ぎます。彼らが使う霊方陣はおよそ20種ほどですが、対応法は適宜説明します。そうすれば、彼らは最後には必ず、彼らの得意とする大技に頼る」
「この子の出番は、その段階になってから。その時までに戻っていてくればよい、それまではコレで誤魔化します」
グリューネの指さす先で、木片でできた人形がぎこちなく敬礼のような仕草をした。
「え、これで誤魔化せるんですか」
「可能です。マクナルド君(=レダ)、こちらの木人形にカノン君(=ロイ)の霊気を再現してください、それで彼らには区別できません。彼らは霊覚や熱源探知には優れていますが、視力自体は割と節穴ですから」
「な、なるほど……。ですが、僕の力では、貼り付けても長持ちしないですけど」
「一度再現してもらえれば、後は私の術で引き伸ばします」
「直接、私の力で、狙うのダメ、デスか?」
「あなたでは、【不幸】に襲われた時に、自身が耐えられない。彼らを直接狙うのは、避けなさい。そも、あなたの力はまだ彼らの星幽体に対して、致命傷を与えられない」
「アストラルボディ?」
「業魔もそうなのですが、神域に踏み込みかけた存在にとって、視覚的に見えている姿は、真の本体ではありません。ああいう連中の本体を滅ぼす、そのやり方をあなたに説明できる方が、本日中に来る予定でしたが、本件には、間に合わないとみなすべきでしょう」
「つーか、あの子が間に合っても助けてくれないでしょ、あの子ならこれも訓練あれも試練みんな試験って平気で傍観すると思う」
「でしょうね、そういうわけ、で、反撃に耐える意味でも彼が正解、です」
皆の見ている前でロイの姿がかき消える。
「あっ」
「ご心配なく、用事が終わったら戻ってきますよ。それまでは耐えなくては、なりませんね……」
「……【妖跳】の先にある【重界】、それは【勤勉】にも世界を加速させた果て、あらゆる試行を積み、己を重ねる力です、ならば」
「彼が得た、【怠惰】にも世界を隠す【妖陰】の先にある、のは──」
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『該死!!』
忌々シイ!!
蝶たちの出現が再び止まってしまったことで、五大仙はようやく通常なら破壊、改変など許さないはずの霊方陣が、人間たちの力で乱され、さらに改変されたことに気がついた。
これ以上の狼藉は許さない。
Kyyyeeeee!!!
燃え盛る鼠、灰仙が唸り、走り出す。
──【獄衣】──
それは常に身の表面が灼熱と化す、人では使いえない仙力。力を高めれば炎を発し、その炎は三昧火、仙力で作られた特殊な炎となる。
走る赤熱した巨大な鼠の姿がブレて、少し小さな二体に。二体はさらに少し小さな四体に。四体は八体に。八体は……。さらに倍に、倍にと増えていき、瞬く間に数え切れないほどの子鼠に分裂した。
──【群体】──
これもまた普通の生身しかない者では生かせない仙力、己を分裂させる力。
個々の能力は低下するものの、その全てが「本体」であり、あらゆる経験と知覚を情報として共有し、しかし負傷は共有しないという反則の力。そして分体は殺してもしばらくすると別の場所で蘇る。つまり一体でも残せばそこから再生復活する、無限の軍勢と化す力だ。
そうしてほんの僅かな時間で四千を超える火鼠の軍勢が現出し、地表を埋めて進軍を開始した。しかも鼠の種類は多種多様で、中には皮膜を持ち飛翔する鼯鼠すらいた。そのため空に逃れようとも振り切るのは難しい。
「くそっ、こいつらっ!」
燃える鼠の群れの突進や飛翔を止めるものはない。草木や倒木も、まだ水気があり普通なら燃えるべき物でないもの、さらには石や瓦礫など燃ええざるものすら燃えていく。
一度突進が当たれば、この炎は相手に必ず燃え移る。そして空気が無くとも消えはしない。酸素ではなく霊気で燃える炎なのだ。三昧火は仙力、仙術でなくば消すこと能わず、そして今この地は【天遷】により、下手な仙術は起動しない。
対抗するには相応の上位仙力か、それに類する仕掛けが必要だが……。
「正直バカ正直にあいつらとつきあってたら、勝ち目ないんだよね。この軍勢だけなら何とかなるけど、その後似たようなのがまだ四体もいるんだから」
「じゃあどうするんです」
「こういう時はボクらとしてやるべき策はたった一つだけ」
「というと」
「走るを是れ上計とす」
「どういう策ですか?」
「──逃げるんだよォ!!」
猛然とダッシュで去っていく。
「ちょっ」
「最善策なんだよこれが!」
「あ、奴らと姫への攻撃や反撃はするな、絶対するなよ! それが【不運】発動のトリガーの一つだから! 迂闊に【不運】の対象になったら、その場から動くのも無理になっからな!?」
「攻撃しなきゃいいんですか?」
「攻撃しなくても目に付いたらやられることあるけど、その場合不運の強度が低くてすむ、自力で覆せる。でも攻撃に対する後の先の反撃時の不運は強度ヤバい。だからあの子鼠の群れにも攻撃ダメ絶対!」
「いやそれこそ無理です! 向こうからこっちきてるじゃないですか!」
「気合いだよキアイ!」
「まあどっちにしろ、逃げ切るのは無理なんだけどさあ! できるだけ時間稼ぎしないとね!」
「なんで逃げ切れないと?」
「それはですね」
グリューネの指差す先で、巨大な刺猬が無数の針を飛ばしていた。
──【迷路】──
針の突き刺さったところから、景色が歪みねじ曲がっていた。それは、定められたルート以外を拒絶する迷路の結界だ。そして正解のルートは都度変動する、つまりは運であり……。
「この辺は既に、あいつらの迷路の中。【不運】とのコンボが決まると脱出は実質不可能。そうなると脱出には、あいつらが正気に戻るか、あいつらを倒すかしかないの! でも今のボクらだとねえ、【幸運】と【不運】に【共命】を突破しようとすると、本気で差し違えないと無理なレベルだから」
「回復していればなんとかなったんですか?」
「うーん、全快でも無理かも。もともと相性よくないんだわ。ボクらの主力である召喚術や具現化術は、【不運】に弱い。失敗率が激増する、ボクのも、グリューネのも。気合いいれないと発動できなくて、手数がだいぶ減るんだ」
「結局、カノン君に倒してもらうのが、一番なのですわ、彼が戻るまで時間を稼いで生き延びなさい」
そこからの逃走が問題だった。
反撃するな、というが、蝶と違って鼠たちは、小さくとも一つ一つが『本体』なのだ。逃げるためにそれを倒してしまうと、倒した者が【不運】に狙われる。狙われている間は、まともに走ることもできない。
例えばグァオが、追いつかれそうになって、仕方なく仙力で追ってきた数匹の鼠たちを吹き飛ばすと……その後から大変なことになった。
突如ぬかるみに滑ったり、突風が吹いたり、地割れが局所的に発生したり、倒木が倒れ込んできたり、とにかくありえない不運がバリエーション豊かに続いて身動きできなくなったのだ。
このままでは後続の鼠に追いつかれる、となったところで「ひぎゃっ!!」ルミナスがグァオを蹴り飛ばし遠くに吹っ飛ばしたことで、いったん不運の連鎖は途切れた。
要は他人の力を借りないと不運のループから抜けられないのだ。
仕方なく逃走のための手段として、各人は鼠でなくその周辺への攻撃を行う。
例えば、グリューネが土壁を用意し、ニンフィアとレダがその手前側を削って塹壕のようなものを用意し、ルミナスがその削った部分に水の魔導具で水を満たし、即席の掘とする。
またあるいはニンフィアが何十シャルクもの深さのある地割れを作り出し、飛行型以外への防壁とする。
土壁の表面をハーマンがつるつるにして登らせないようにしたり、グァオが爆破で水に勢いをつけて押し流したり、リーが飛んでくる鼯鼠の前に網を張って撃墜したり(どうやら、間接的攻撃や、向こうから罠に突っ込んでくるぶんには攻撃扱いにならないようだ)
とはいえ攻撃、反撃はしなくても、個人でなく環境を対象にした【不運】や【幸運】は時折発動しているようだった。
『神仙術……〈太白陰経巻九遁甲〉……』
巨大な鼬の頭上に、奇怪な文字を刻んだ光の占星盤のようなものが出現し、くるくると廻る。その盤から奇妙な光が時折発され、その光に従って鼠……分裂した灰仙の群が移動しはじめる。
それに従った鼠達を邪魔しようとするとうまくいかない。土壁は何故か地震で崩れたり、水が地割れに呑まれたり、穴となっている所は謎の上昇気流が発生して、鼠たちが跳躍回避してきたり……
「占術に【幸運】を適用してきたか。これは壊せんねー、陣の発生が向こうの手元すぎる」
「どうするんです?」
「どうにも……あー、次はアレか」
『神仙術……〈陰陽方術封緘陣〉……』
大蛇から放たれた白と黒の波動が交互に衝撃波のように広がり、それを浴びたハーマン謹製の土壁が消え去る。
「げっ」
「魔術の妨害陣だね。単純な魔術はしばらく発動不可、仙術などと複合させないと起動すらしない……これも【幸運】のせいで効果最大限だからなー」
「や、やばくないですか!?」
「仕方ないなあ……グリューネ! いい加減『霊薬』飲め! 今更副作用気にしてる場合か!」
「霊薬!?」
大陸の伝説にいう、飲めば万病を癒やし、いかなる怪我も治すという万能薬の名前がぽろっと出てきたことにレダとハーマンは驚く、だがそれがそのまま使われることはなかった。
「まだです、それは、私の分体らが全滅した時に、してください。それに何より、カノン君に、見せるべきでは、ないですか?」
「……そうか、確かにそうだね。仕方ないなーこちらからやるよ。ウィザーズベインと【天遷】のせいでめんどくせー、あんまやりたくないけどさあ」
『以土金外身招来百蟲変化』……〈身外身地煞変化〉』
ルミナスが己の銀色の髪を少しむしり、口に含み、フッと吹いた。
すると、吹かれた毛髪の欠片が、銀色の小さな無数の小さな異形へと変じた。それらは……。
ようやく春の兆しが感じられる季節になりました。主人公の帰還はもう少しお待ちください。ともあれ杉花粉は滅びるべきである。
身外身の術 …… 西遊記で孫悟空がよく使っている仙術。体毛を分身や小動物、虫などに変じさせ、一時的に使い魔のように扱う技のこと。
そして本話の術にはさらに百蟲や地煞(ちさつ、地殺ともいう。悪鬼、邪悪などの意味)という単語が。これはもう間違いなくそらもうアレよ。怨。ともあれ杉花粉は滅びるべきである。




