第135話 彷徨える魔女
『地神器・欺き貪る枷・定常駆動・構成・『沼狼聖餐』』
それは、奇妙な鈍い足音を伴っていた。
それは、長く黒い縮れた髪のようにも見えた。
それは、石でできた根のようにも見えた。
それは、動物の肉片のようにも見えた。
それは、生臭い吐息を伴っていた。
それは、乾いた唾のような香りがした。
その鞭の軌跡は、狼のような影を象った。
それこそは地神器グレイプニル。神を食らう沼の魔狼フェンリルを封印するために作られた枷、その再現。あらゆる力、あらゆる暴威を貪り喰らい、欺き、押さえ込むもの。
一瞬にして、縦横無尽に紐のような何かが灼熱の空間を疾走し、燃え上がる世界を切り刻み、喰らい尽くす。そうして灼ける大気と溶岩の沼は消え、そこはただの暗い穴と化した。
『──Der gefangene Wolf hat das Futter gefressen. "Ich habe nach langer Zeit etwas Leckeres gegessen. Danke schön !" 79 % Restkapazität──』
──囚ワレ狼 餌食ベタ 『久シブリ 美味イノ喰エタ アリガトヨ!』 空腹率 79%──
紐はさらに落下していくシャオファンを捕まえ、地上へと引き上げた。
「あんまし手間をかけさせへんでくださいな?」
「……すいません、助かりました」
熱気の消えた穴の縁で、少し焦げたシャオファンの襟首を彷徨の魔女フォンディエが掴み、手首の返しだけで土の上に放り投げた。……この女、見た目に反してかなりの腕力がありそうだ……。
「まーたもう、思ったよりさくっと無効化されちゃった。また厄介なもの拾ったものだね、今回の貴女は」
ルミナスが少し疲れた声で呟いた。
「やっぱり、昔のうちも知ってはりますの?」
「前に遭った時の貴女はもっとお淑やかな引きこもりだったよ。姿も口調ももっと清楚だったね」
「引きこもり……何巡り前のうちやろか?」
「400年くらい前だから、3巡りか4巡り前じゃないかなー。どっちにしろリセットされる貴女にとっては意味がない話だろうね」
「せやねえ、覚えてないわあ。どうも西の方々はうちの知らんうちを知っててやりにくいわあ」
「はー、その意味なら輪仙や雷仙のほうがよっぽど歯抜けなしに貴女を知ってるでしょ鳳蝶……『アゲハ姫』」
「ろくに記憶はないんやけどねえ、その名で呼ばれるんもえらい久しぶりな気がしますわあ」
「あの女、有名人なのか?」
「……彷徨の魔女フォンディエといえば、不死身と言われる伝説の存在だよ。歴史書に何度も出てきて、でもその度に姿も言動も違うから、個人じゃなくて同じ名を継ぐ何らかの一族だって言われてる……けど」
「個人ですわ。あの方は不死、不滅の、彷徨える魔女。【輪廻】……赤子として産まれ、成長し、老い、六十の歳をもって逆に若返りはじめ、やがて赤子に戻ると消えうせ、またどこかで別の母親から赤子となって産まれ……という、人生を何度もやり直す特殊な仙力を持っています」
えええ?
「前の生の記憶や能力は大半は忘れてしまわれます。容姿も魂の宿った赤子の親に依存して変わる。……そうして既に数千年以上この地上をさ迷っておられるのです」
なんとまあ……奇妙な能力だ。生まれ変わり続けるだけならまだしも、人生を二度、一つは順方向に、ついで逆方向に過ごし、そしてまた別の生を繰り返す? それは能力なのか? もし自分の意志で終わらせられないなら、能力というより呪いではないのか?
そして「貴女」「姫」という言い回し……そこに混じる微かな敬意のようなもの。もしかしてこの魔女、本来は西の島出身者か?
「昔の事は適度に忘れるのが長生きのコツどすえ」
「そこは否定しないけど貴女は少々忘れすぎだねえ」
「赤子になるとだいたい忘れてしまうんは、うちにはどうしようもあらへんですわあ、そういうもんとしか」
「さっきの、炎を消したのは……」
「あれは神器だよ、その前に、怪物の封印に使われてたって言っただろ? 吸収や束縛の力があるめんどくさいやつさ」
「神器……!」
「めんどくさくはあらしまへんわ、かわいい子どすえ」
「で、どうする崩仙にアゲハ姫、まだやるかい? 正直さあ、これ以上はほんと洒落になんない壊し合いになるよ」
いや、今のも充分洒落にならない殺意の高さだった。とロイは思うが……。
「……ははっ……。我が身の未熟具合を知れたのはよいことでしたが、まだ私の本来の役目は終わっておりません」
「やっぱり?」
「老師より、そこの彼が、託すに足る相手かどうかを確かめよと言われております」
やっぱり俺かよ。何を企んでるんだあの雷野郎。
「しゃあない、選手交代だ。行け我が弟子(期間限定)よ!」
「……説明してもらえるか?」
行けと言われても何故戦う必要がある。何を確かめるというのか。
「この度の大殺戒、そしてそれに続く計画に限り、老師らは魔人王と手を組むとおっしゃいました。いくつかの条件付きで」
「どんな条件で?」
「全ては存じませんが、その一つに、冥穴を終わらせる際に、崑崙が持つある宝貝を使用するというものがあります。そしてその使い手もまた、いくつかの素養を満たさねばならない」
なんじゃそりゃ?
「どんな素養だよ」
「それも言えませんが、その素養全てを満たせるものが、今の崑崙にはおりません。そして部外者を含めても君が一番可能性があるというのですよ。しかしまだ可能性に過ぎない。そこで」
「一つ、試してこい、と」
「左様」
「何をどのように試すって?」
「矛盾を止揚できるか否か」
「しよう? なんだそれは」
「さて? 正直なところ私にもよく分からないのですが、【救世】の力とはそうでなくてはならない、のだそうです。罪過の坩堝を飲み干し、啓示を得て混沌を切り分け天地を繕うものなり、と」
やっぱりわかんねえ。長生きしてる連中はどいつもこいつも、勿体ぶった言い回しが好きだな!? それっぽい事いえば頭がよく見えるわけじゃねえんだぞ、むしろうまく説明できなくなってるだけ、ボケてるだろ!
「その、よく分からないものをどうやって試すんだ?」
「私が相手した場合は、基準を越えているとこうなる、というのは教えていただいております。原理は存じ上げませんが、その基準に届く結果が得られるか否かをもって試しとさせていただきます」
ああ、まったく。
このところ人の都合も考えずに勝手に訓練だの試しだの、好き勝手言ってくれるものだ。かといって、ロイ達がとれる選択肢もろくにない。
一応は騎士、軍人なのだから、本来なら判断を下すべきは上の階級の者なのだが、ここにはいない。現場で勝手に判断するぞちくしようめ。
「他人にいいように干渉されて憤懣遣る方無い、といった風情ですねえ? だがそれは異常な力をもって生まれた者の宿命ですよ、それが嫌なら強く偉くなるか、全て捨てて逃げるかですねえ」
「どっちもそれはそれで問題多そうだけどな。そういうあんたはどうなんだ?」
「ふーむ、崑崙は比較的おすすめですよ? 仙力を呪われた力だと言う馬鹿もいない、力さえあれば割と自由に道を邁進できる。かく言う私も世俗の妬みと恐れと偏見の鬱陶しさに呆れ果てて国を捨てたくちでして」
あの鏡の仙人も似たような事を言っていた。ロイ達の世代よりも前は、仙力持ちへの偏見はかなりキツかったはずだし、一理はあるのだろう。
「ああ、しかし同好の士の少なさはいかんともしがたい。ゆえにこういう機会は逃せません、ましてあなたのせいで減りましたからねえ」
こいつの言う同好の士って……単なる仙力使い、仙人というより、仙力を持つ武の修練相手、と言う意味だろうな……。減ったというのはフェイロンのことか。ロイだけのせいにされても困る。
「そっちの戒律とやらだってろくなもんじゃないだろ」
「そこは見解の相違というやつですね。最強に未だ至らぬなら、多少の制限は仕方ない。窮屈に、行ける先も、生ける先も、力の使い先も制限されているそちらの護法騎士殿らよりは自由だと思いますよ」
「窮屈なのは確かに。だけどねえ、崑崙じゃあボクらにはもっと小さいからねえ。君、異世界いったことある?」
「我が山中ならば、こことは異界のようなものですよ」
「違う、そうじゃない」
「胡蝶の夢に遊びたいなら『睡仙』の奴が見たい夢を見せる能力を」
「違う、だからそうじゃない……いや、大して変わらんかもね」
「……まあいいや、俺もまだまだ足りてない、今はまだお前らに色々されるのも仕方ないんだろうよ。で、何をどうするんだ」
「もちろん手合わせですよ」
戦闘狂め、ロイも遺憾にも脳筋と呼ばれるが、死にかけてすぐに、こんなにも戦いたいってほどじゃねえぞ。
「あんたも消耗してるだろうし、宝貝も壊れてるんじゃないのか? 日を改めて……」
「ああ、大丈夫です。もう直りましたから」
「は?」
「……あっ、てめえ黄仙! お前そいつの宝貝直しやがったな!? せっかくボクが痛めつけたのに!」
ルミナスの指差した先、シャオファンの足元に、小さな四つ足の動物がいた。声と同時にそいつはフォンディエの大きな谷間に潜り込んで消えた。
でかい、ニンフィアと同じ、いや彼女よりも……いやそんな事はどうでもよい、小さい鼬のように見えたが……? 使い魔か?
「普通なら宝貝をその場で修復などなかなかできませんからね、彼女はまことに頼りになります」
「ああいうんを直すんは普通のよりずっと疲れるんどすえ? できるだけ壊さんようにお願いするわあ」
レダが頭を振りながら呟く。
「……ありえない」
ロイはレダほど魔導具には詳しくない、だが宝貝を直すのがありえない、というのは分かる。
宝貝が魔導具に準じるものであるとして、壊れた魔導具を瞬間的に直す手段は存在しない、とされている。あるとすれば未知の仙力か?
何故なら、機能不全を起こすほどに壊れた魔導具は通常の『修復』の魔術では直せない。魔術による瞬間修復はかなり大雑把なのだ。魔術回路のような繊細な構造を刻んだものに使うと、回路が逆に壊れてしまう。
それに高位の魔導具であるほど、他の魔術に対する抵抗力を付与されていることが多く、それも補修の邪魔をする。だから魔導具の修復調整は専門の魔工師が専用の工房で何日か、ものによっては何十日とかけてやるもののはず。
呪文無しに魔術を起こせる魔導具の最大の欠点はそうした繊細さ、壊れやすさにある。そのため戦闘に使えるような魔導具は付与された能力の割に高価になりがちだ。回路部を極めて丈夫な素材や守りの術式などで固める必要があるためだ。
王器以上の魔導具が珍重されるのは、その威力もさることながら、魔術回路を含めた自己修復能力を付与できる事が大きい。ロイは理由までは知らないが、僚器以下の市販の魔導具には、回路部の修復能力は付与できないらしい。
そんな修復をこんなところで一瞬でやったというのなら、おそらくは魔術でなく仙力によるもの。ではあの使い魔が仙力をもっている? あるいは魔女本人か? ……神器も持っているそうだし、こっちの魔女も底が知れない。
「その試験とやらに合格しなかったら?」
「今回は時期尚早だったとしていずれ再度試験があるか、あるいは別の候補者を探すか、あるいは崑崙が冥穴に関して今回は魔人王と合力せず、ただ不戦のみとなるか、そのどれかでしょうね」
あんまりロイ個人の利点がなさそうに思えるが、大局的に考えれば、冥穴の事態を解決しないことには、帝国自体が大変なことになる。
その事態解決に関与できなければ、栄達も、欲しいものを手に入れることもできないどころか、今あるものすら失うことになるわけで、選択の余地はない、か。
それに、崑崙の双仙が作る宝貝とやらには少々興味がある。この如意棒もなかなかにとんでもない代物だが、それ以上かもしれない。
「仕方ない」
それに結果がどうあれ、これだけの力の持ち主との手合わせならいい経験になるだろう。
「その前に、だ」
みんなのほうを振り返って……。
「……頼む」
「えーと、やっぱりやらないと、ダメ?」
「ああ」
ボコッガスッペシッドンドンドン!!!
「……待たせたな」
「へええ、あんま大したことあらへんと思ってたのに。しばかれまくったら、こんなに力あがるんやねえ、びっくりやわあ」
「実に被虐的な趣味をお持ちですね?」
おのれ。その減らず口、閉じさせてやる。
「手合わせ、とか試し、とかいうが……別にあんたを倒してしまってもかまわないんだろ?」
「できるものなら、ですね」
後ろで旗がたつとか言ってるエイドルフは放っておいて、ロイは如意棒を構えた。
サンスクリット語のサンサーラは、輪廻、転生、徘徊、彷徨、流転、循環、反復、世界などを意味する言葉。ヨーギニーは「異能、魔力を持つ女性」の意。つまりは彷徨えるオランダ人ならぬフライングウィッチ。
彼女の『呪い』の如き能力が解除される条件も、ワーグナーのフライングダッチマンのオペラがそうであるように、どこぞのフルヘイスヘルムの黎明卿が言うところのアレです、アレなのですよおやおやおや。いやその彼のアレは純粋に歪んでるので駄目か。
本来のサンサーラであれば、人間以外の存在への転生を含む。フォンディエの転生が人間限定なのは、そのように操作しているため。
どうもこのところ筆がほんとに進まんとです。腰も痛いし、年かな……来年復刊するというブラックロ○ドでも読んで厨二成分を補給しよう……。
それでは皆様、よいお年を。




