第132話 西蘭公の故事
護法騎士たちの寸劇に、途中から加わったのは声音だけで妖艶さを漂わせる女だった。
おそらくは三十手前ほど、着崩した東方風衣装から僅かに覗く肌が艶めかしい。霊気の気配はないが……霊絶の使い手なのだろうか?
そしてその女の隣には、同じ年頃に見える長身の道士服姿の男が一人。服の上からでも分かる筋肉の厚みは、紛れもなく一流の闘士のそれ。
そしてこちらはかなりの霊気を感じる。霊絶を身につけていないのか、それとも敢えて出しているのか。
その男が話し始めた。
「こちらが帝国の若者たちの臨時訓練所ということで宜しいかな?」
「君は誰かな?」
「失礼、私は崑崙の『崩仙』シャオファン。こちらは……」
「崑崙に世話になっている、フォンディエという者どす」
「はあ、崩仙に加えて彷徨の魔女様とは。幻想絶対殺すマンと魔女が連れ立ってとは豪勢な、崑崙もこいつらを捨て置けないって事かい?」
崩仙というのは先ほどの十岳仙とやらの一人か。彷徨の魔女? 誰だ? ……ん、レダが驚愕顔で顎が外れそうだ、何か知っている?
「そうですね。あなた方は?」
「ボクがファスファラスのルミナス、そっちがグリューネ」
「音に聞こえし『光陰』と『神樹』の騎士にお会いできるとは僥倖。先日『破幻』の騎士が来られた時にはお会いできませんでしたからね」
「へぇ、当代は意外に丁寧だね。前に会った先代の崩仙は魔人絶対許さないマン過ぎてろくに会話もできなかったけどねえ」
「ふむ、私もあなた方と馴れ合うつもりはないのですがね、一つ、世間話と手合わせくらいはしたいものでして」
「さっきは、小さい娘はんにまずは話を聞こうかと思うて縛りあげようとしたら、ちょっとしばいただけで塩に変わってしもうて、うちもびっくりでしたわ」
世間話とは縛り上げてからするものだっただろうか?
「やはり最初の逢殺は大事ですからね」
こいつも言葉が何かおかしいのではないか?
「護法騎士の方々とも一席もうけたいのは山々です……だが私が本来戦ってみたいのは、そちらの彼なのですよ」
こっち見んな!
「つーかほんとは何しにきた?」
「一つは西蘭公の箍に」
「西蘭公の御供に、なりかね、ませんわね」
西蘭公の箍とは東方に伝わる故事の一つだ。
何百年か、もしかしたら千年は昔、まだ東方に多数の国があった頃、その一つに、西蘭という国があった。
西蘭の最後の王はとても猜疑心が強く、臆病だった。そして臣下達の頭に特殊な外すことのできない魔導具の箍をはめたという(要は、どこぞの花果山の石猿の頭にはまっている金具のようなアレだ)
臣下が失敗したり、王に対して諫言すると、その箍が絞まり、耐え難い苦痛に苦しんだとか。
ここから西蘭公の箍とは、現代では大勢の格下に対して釘を刺しまくるとか、人質を取るとか、勝手なことをしないようにあらかじめ警告しておく、という意味になっている。
なお、その次の西蘭公の御供は、その王自身の最期に由来する。
王の猜疑と非道によって西蘭国の人材は他国に流出するようになり、当然のように国は衰えた。
それを憂いた王の息子は、己の母すら死を賜ったのを機についに弑逆を決意。生き残った臣下らと共謀して、王を騙し、逆に王の頭に箍を嵌めることに成功した。そして王は頭が締まって泣き喚き、やがて頭蓋が砕け、己が頼った箍によって死んだ。
そして父を弑した息子も死んだ。王の箍は当然息子にもつけられていた。もちろん息子や臣下らは起動の呪文を防ぐ策を講じていたが、何故か起動してしまったのだ。あるいは末期の王の恨みの念が、屍となった口に呪文を紡がせたのだとも言われる。
そうして西蘭の王族と重臣らは皆ことごとく王の死途の供となり、西蘭は滅びた。
ここから転じて西蘭公の御供は、「因果応報」とか「人を呪わば穴二つ」「死なばもろとも」みたいな意味で使われる。
「ほう、東方の故事をよくご存知で」
「あなたにとっては、故事や歴史でも、私や、あの双仙にとっては、体験した、過去でしか、ありません。そも、かの王の箍は、崑崙を追放された、仙人が作った、宝貝もどき、だったことは、ご存知ですか? そしてその箍の、最初の犠牲者こそ、口封じに殺された、当の仙人であったことを」
「……それはそれは。今度時間があれば老師にうかがってみるとしましょう」
「ボクらとしては今ちょっかいうけるのは嫌なんだよね」
「あなた方の立場として、冥穴と幻妖とやらを放置できないというのは分かりますが、その手段が仙力使いの育成であり、その知識を帝国に与えるというのは我々としては唯々諾々と看過しえるものではないのです」
「はいはい。つーかさー、双仙からこいつらに手を出すなって言われてない?」
「老師らは此度の『試し』については、『殺すな』とだけ。ならばそう、多少の味見は構いますまい?」
やっぱり言葉が何かおかしい。
「はー、結局それか、崩仙というのはやっぱ代々度し難い! 建前の理由なんてどうでもいいんだろう? いや箍をはめるなんて建て前にしても無理矢理だしさあ! この戦闘中毒者め!」
崩仙シァオファンが歯を剥き出して獰猛な笑みを浮かべる。なまじ元の顔立ちが端正なだけに、崩れたその笑顔は凶相と呼ぶべきものであった。
「あなたがお相手してくださってもよいのですが?」
「はー、原則殺すな、なのはこちらも同じだけどねえ」
「ルミナス、可能ですか?」
「さあねえ、相性悪すぎる。手加減してたらこっちがやられるよ。ほんともうやっぱリュースこっちに呼ぼ? 対仙人だとあいつが最適じゃん、いざとならばホノコに『変神』してもらえばいい、死んですぐなら生き返るはず。エルシィでもいいよ」
相性が悪いとはどういうことか? そしてあたかもリュースが伝説の奇跡、「蘇生」の力を持っているかのような?
「無茶を、言わないで、下さい」
「あーもう、ボクに【重界】か【選定】が使えたらなー、速攻で終わらせるのに」
「おお、伝説の力ですね。一度拝見したいものではありますが」
いつの間にか、崩仙の指がポキポキと鳴っている。
……ロイはじめ、仙霊科の皆が戸惑っているうちに戦闘の口火は切られていた。
「それではどうも光陰の騎士よ、一つ手合わせ願いたい」
ええ?
「ドーモ、イマジンスレイヤー=サン、ルミナスデェース! 死んでも知らんからねバカヤロー!」
結局受けるのか?
そして風が激突した。黒い風と桃色と銀の風が。
「……!!」
ロイ以外の者に、その風の中身が見えたかどうか。神速の無数の拳撃と、転移にみまがう高速移動、それらが作り出す砂嵐の中を。
「あーもーくっそ効いてねえ、これだから崩仙は!」
「はっはっはっ! しかし、あなたも上手い、旨い、美味い!!」
砂嵐から愚痴と嗤いが響く。
その嗤いは闘争を心の糧とする戦闘狂の哄笑だった。
常人には何をやっているのかも分からない超高速戦闘だが、ロイにはその奇妙な有り様が見えていた。
シャオファンの動きは素晴らしく滑らかで流麗だ。武術家として超一流なのが一見して分かる。正当な型を無骨に学び、極めた者の動きだ。常に攻防一体の合理があり、隙らしい隙がない。1対1ならとてもやりにくい相手だろう。
だが、ルミナスのような人外の速度や威力ではなさそうに見える。元々速度よりも剛柔兼ね備えた技が持ち味なのだろう。
そう、速度ではルミナスに劣っている。
それなのにだ、手数も含めシャオファンのほうが明らかに優勢だった。
何故か。ルミナスの動きに無駄が多すぎるのだ。彼女は明らかに銀色の右半身を庇いながら立ち回っていた。
彼女はシャオファンの拳や蹴りを、右半身では絶対に受けないように無理矢理にかわしていた。また、右腕右足は受けにも攻撃にも使っていない。
(どういうことだ?)
あの仙人の仙力か宝貝に何かあるのか?
それにルミナスの速度自体も、ロイと手合わせしていた時より若干遅い気がする。
そう思った次の瞬間、シャオファンの掌打がルミナスの右側の頭をかすめる。そして。
一部の髪の毛が光と共に消滅した。千切れたのでもない、燃え尽きたのだ。
「おのれ許すまじ崩仙! このルミナスの貴重な銀髪が100本は死んだぞ!」
「いやいや、脳細胞を十万個は殺すつもりでしたが、なかなかうまくいきませんね」
ルミナスの拳から爆風が吹き出す。
ロイとの訓練でも見せた〈爆塵〉の仙術だ。訓練の時より遥かに絞り込まれ、そのぶん破壊力を増した一撃は、お返しとばかりシャオファンの頭部を捉える。防御術無しには人間の頭など吹っ飛ぶであろう一撃は……。
しかし直前で霧散した。髪をそよがせすらしない。
「間接の風のぶんすら効かないか、先代より上だなお前!」
「はっはっ、老師にもそう言われております」
こいつの仙力は、まさか。今の一連の現象、そして奇怪な、異世界の産物だという銀色の右半身を庇うルミナスの動きからすれば……。
さっきルミナスは何といった? 幻想絶対殺すまん、だったか?
ということは、まさか、仙力や魔力を、それらが関わるものを破壊するのが「崩仙」の仙力か?
だがこいつの動きは明らかに高度な霊力の制御が伴っている。魔力も感じられる、纏勁に近い自己強化もしているようだ。
ということは……。
「分かりました、か。それが崩仙を継ぐ者の、仙力、【純潔】です。己に及ぼす、あらゆる他者の異能を、破壊する。魔術も、仙力も、それらの産物も。しかし、己自身の力、輝きは、失わない」
つまり、相手の魔術仙術は無効化しつつ、自分は魔術仙術使い放題なのか? 何だよそれ、無茶苦茶狡くない?
「当代はよく、功夫を積んでいるようで。先代は、ここまででは、なかった。使いこなす、のは、なかなか、難しい、力なのです」
「静謐の魔眼の仙力版か?」
「あの魔眼は魔術にしか、効きませんし、自分も否応なく、対象になります、代わりに範囲がとにかく広い。こいつの【純潔】は範囲が狭い代わりに、効果の程度や対象選択を、非常に柔軟に、変えられます。仙力を共有する類の術とも併用できたり、極めると恐ろしい力、です」
「この前俺に使った仙術はダメなのか?」
「あれは、彼相手に手加減は、難しい、殺してしまいます。それにあれは、奥義の類、手合わせ程度で、あの方とその僕に、詳細を見られる危険は、冒せません」
あの方? 僕?
「くっそがー。だいたいさー、あんたらも今は大変でしょ、幻妖化仙人が二人もいるっしょ、どう落とし前つけるの?」
二人?
一人は七英傑に確か仙人が一人いたはずだ、そちらだろう。もう一人は?
「それはそれ! これはこれ! あいつは私の担当では! ございません、なあ!」
「ほんと十岳仙の連中はっ、自己中な!」
「あなたに、言えた事ですか、ルミナス」
「仕方ないグリューネ、ちょっとでっかくやるよ!」
「加減は、しなさいバカ」
「なーに死にはしないよ、そこに姫やあいつらもいるし、たぶんきっと!」
ルミナスの銀色の右腕が振り回され、背後に、いくつもの何かが生じた。
霊力か魔力か、どちらかだけでも分かる者なら、誰しもが身構えるほどの、何かが。
花果山の石猿 = 西遊記の孫悟空のこと。もちろんサ○ヤ人ではない。
その頭にはまっている輪(箍)は『緊箍児』といい、つけると頭に根を生やし外せなくなる呪いのアイテム。
西遊記中では三蔵法師が特定の呪文を唱えるとこれが締まり、悟空に耐え難い痛みを与えていた。基本的には悟空が悪さをすると三蔵が呪文を唱え懲らしめるのだが、三蔵の勘違いで冤罪で締めあげることもあった。ひどい。
その痛みは文字通り石頭の持ち主であり無双の豪傑である悟空が、痛さの余り七転八倒する程。常人なら普通に死ぬと思われる。




