第13話 幕間 冥穴の幻妖
竜の出現をうけて帝国軍はタンガン峡谷付近を捜索していた。旅団規模の人員を動員し、五人一組で哨戒班を作り、森を、峡谷を回る。
倒せる程度の魔物がいればそれも倒す。倒せないようであれば応援を呼ぶ。そうして、明らかに常ならざる魔物やその痕跡がないかどうか、確かめる。
だが調査開始から10日以上を経た今のところ、成果らしい成果はなかった。魔物はそれなりにいたが、普通に倒せる程度のものばかり。地図上では大半を探したはずなのに。竜の足跡もたどってみたものの、忽然と途切れていてそれ以上を追えず、手詰まりになりつつあった。
……本当はそうではなかった。彼らが探せていないところがあったのだ。そこは計画としては捜索範囲に入っていた。しかしそこに行こうとする班は、無意識に道を違えてしまい、そのことを忘れてしまったのだ。そこは此界ならざる異界になりつつあったがために、常人は本能的に忌避してしまう。
だが稀に、そこに踏み込んでしまう者もいた。そして、ある一人の兵は……帰ってこなかった。だが彼が正確にはどこで消えたのか、同じ班のものでも分からなかったのだ。上層部が不可思議に頭を悩ませていたころ、もう一人、はぐれた者が現れようとしていた。
──────────────────
その兵は、悩んでいた。
……おかしい、ここは、どこだ。
俺は単に小用を足すために、少しだけ茂みに入っただけのはずだった。だが終わってから振り返っても、仲間はいなかった。
慌てて探そうとして、気がついた。空がおかしい。まだ昼過ぎのはずなのに、梢から見える空は赤紫色で……雲はないのに太陽らしきものはなく……。なんだこれは。一体どこに紛れ込んだ。山中異界? ばかな、仙人どもにでも化かされたのか?
戸惑いながら、周りを見下ろすために少し上を目指した。本能的に違和感がする。なんだ、行くなとでもいうのか? ……その上にあるのは……そこも捜索範囲だった……はず……あれ……あれは。
山頂に続く尾根の上に、誰かがいた。あれは、数日前に行方不明と言われていた、あいつじゃないか? あいつ……誰だったか……なんだ、ぼんやりする、思い出せない、でもあいつなんであんなところにぼおっと……。
近づいていくと、向こうも気がついた。こちらにむかって走り下りてくる……槍を構えて……お前どうした、いったい何が……。なんで俺に槍を向ける、おい、待て、やめ……やめっ!
──────────────────
槍を構えた兵が無表情にもう一人を追いかけ刺し殺そうとしたとき、槍兵の首に線が走り……首が落ちる。そして逃げようとしていた兵のほうは、背中に痛みを覚えて意識を失った。
「……『炎嵐』」
女性の声で呪文が唱えられ、炎の魔術が起動する。そして槍兵の屍体は首と共に焼き尽くされた。人体を瞬く間に火葬し尽くすその威力は、魔術衰退前の魔導師たちとしても上位、現代ではほんの一握りの超高位術師にしかなし得ないものだった。
炎が消えたあと、意識を失った兵をそのままに二人組が姿を表す。ニンフィアが眠っていた古代遺跡にて仙人たちと相対した男女だった。
「完全にこの辺から空が変わって見えますね、麓からだとこうじゃなかったのに」
「ここまで異界化が進行していたか……せっかくあの時に塞いだはずだったんだが。やはり聞いたとおり封印が緩んだのか。このままじゃ業魔どもまで出てきかねんな……。まずいな、本国ならまだしも、この国の連中だとあいつらを抑え込むのは……あの時の二の舞に」
そこで男は何かに気がつく。
「……ああ。そうか、そういうことか。相変わらずうちの主は若い奴に無茶をやらせる」
「ところで、さっきの槍持ってたあれ、やっぱり『幻妖』ですか?」
「そうだ。まだ『幻聖』や『幻魔』でないだけマシだが。いいか? さっきも言ったが、霊威使い以外があれらと戦うときは凝核……大抵、2つか3つあるが、全て完全に破壊しろ。そこが残っていると、元の姿に戻って再度変化してくるぞ」
「めんどくさいですね……ところでこいつどうします?」
「『操身』で暫く下に向かって歩かせてから術を解け。この異界から出たら下界に戻れるだろう」
「了解」
兵士は意識のないまま魔術によって操られ、山の麓に向かって歩いていく。その姿が見えなくなってから、二人は山頂付近にある窪み……死火山の火口を目指して歩き始めた。
「うわーもう何ですかこの瘴気……ヤバすぎませんか」
「本国の冥穴にはまだ行ったことがなかったか?」
「封印されてる状態のは見ましたが、こんなんじゃなかったですからね」
「あれも大殺界の時期になるとこんな風になる。しかも向こうのほうがでかい……今頃はあっちも活性化し始めているだろう、もうすぐ大殺界の巡りだからな」
二人が話していると、昏い瘴気の漂う火口の奥から何かが多数蠢く音がしはじめる。
「もうそれなりに溜まっているか……間引かんといかんな」
……何者かが、這いだしてくる。冥き穴より生命の気配に惹きつけられた怪異たちがやってきたのだ。やがて姿を顕したそれらは。
例えば地響きを響かせるそれは、火岩竜だった。
例えば巨大な筋肉と刃弾く毛皮持つそれは、人狼だった。
例えば武器……光線式突撃銃を持ち強化外骨格を纏うそれは、改生体電機兵だった。
それらは、幻妖なる写しの怪異に姿を写された過去の残照、龍脈に遺された記録より再生されたもの。かつてこの地上にあり、その力を振るい、今はいない者たち。
「業魔はまだ奥か。……少し隠れろ、お前を【嫉妬】で複写されると面倒だ」
「はい」
そうして男のみが異形の集団の前に立つ。
男の前に無言の異形たちがたどり着いたあと……そこにいた、機兵が、人狼が、竜が。姿を白煙に変え……そして白煙は、男と同じ姿を取り始める。
生ける存在に【嫉妬】し、その存り様を真似る幻妖なる怪異は、そこに今までに得た姿よりも明白に強者である生命を見た。
銃器持つ機兵よりも、驚速の人狼よりも、爪牙ある竜よりも、その男のほうが遥かに強いと認識したのだ。
「やはりな、俺が冥穴に近づくとこうなる……」
十数人の「自分」と対峙しながら男は嘆息した。少なくともこいつらは滅しておかないと、こっちの龍脈にまで記録されてしまう。そうなると後でここで立ち入った者が酷い目に合うだろう。
以前本国で取りこぼした時も皆には迷惑をかけた。というか過去形ではない。今回もエルシィやイーシャら、妻たちや同僚たちが苦労することになるのだろう。すまん。
人間大で竜より手強い存在など、自分でも面倒なのに他人にとっては面倒どころではない。……まあ、まだ得物がかつてのように銃でないだけマシか。あとこの刀の中身までは、複写されてもいない。
「ホノコ!」
男の持つ刀から男にだけ聞こえる声が響いた。
『了解ー!』
『天神器・瀬織津比売・定常駆動・構成『天眞名井』』
構えた刀が煌めく水気を帯び、狭霧を纏う。その刀は世界でも十数個しかない意志持つ神器の一つ。帝国にある光剣イルダーナハと同格とされる古代からの秘宝、水の聖刀と呼ばれる一振り。
周りの「男」たちも見かけと材質は同じ聖刀を構え……自分たちの複写元を消すために動く。
瞬転。端で見ている人間がいたとしたら、まともに像としては見えず色のある風としか認識できなかっただろう速さ。
怪異達は男の持っている仙力すらも写しとっていた。男のそれは、法を破り、理を超え、世界に己の意志を押し付ける異能。
燃費の問題はあるものの、それに対抗できるのは魔人の王その人しかいないとすら言われる、魔人が扱える範囲では最強格の仙力だ。それが単なる自己強化に使われているうちに、もっと使い方を学習される前に仕留める必要があった。
ゆえに一閃。
それで終わらせる。
ただの人間には有り得ない疾風と化した集団は、やはり有り得ない斬撃によって、全員の首が同時に胴からとんだ。だが、かの少女に倒された竜のように消滅したのではなく、先の槍兵のように焼き尽くされたのでもなく、ただ分かたれただけでは怪異にとって滅びではない。白煙の妖に戻る事もできる……。
……できるはず、だった。しかし狭霧がその断面に纏わりついて白煙に戻ることを阻害し、次なる力を呼び起こす。
『夷つ者の日に向かうこと能わず』
『天神器・瀬織津比売・励起駆動・構成『天疎向日』』
穢れ祓う聖刀の神力は、相手がただの怪異であるならば、あるいは誰かの姿を写しているだけならば、効果を持たない。だが怪異に戻る前の屍であるならば、それは穢れであり祓いうるもの。
異界化が進行し赤紫色に染まっていた空が割れ、天照らす太陽の白光が降り注ぐ。その光を浴びた男たちの屍は、元の白煙の怪異に復する前に灰と化し、崩れて風に溶けた。
「……これでしばらくは大丈夫だろうが……次が湧く前に退くぞ。俺がとどまるとろくな事にならん」
「はい……」
まだ若く常識に縛られている従者としては、自分と同じ顔を容赦なく斬ってのける主の神経が怖かったが、そんなことを言っている場合でもなかった。二人はまた異界に戻っていく火口から立ち去り、次の目的地へと向かった。
12/28 表現微修正