第102話 蒼貌鬼
崩れてきたニンフィアを支え、横たえる。気を失ってしまっていたが、彼女の力と心は伝わってきた。そしてリェンファも……。
「それにしても……どう切り抜けるか。少しはマシにはなったけど」
力が沸いてくる。どうやら、ニンフィアは気絶したものの体が触れた瞬間から彼女と繋がり、【救世】が働き始めたようだ。
リェンファの時も触れあった時にそうなったので、どうやら【壊伝】による【救世】への阻害効果は、一度直接触れることで打ち破れるものらしい。
いつもの、皆に殴られた時には及ばないものの、ある程度は大技も使えるだけの霊力が得られた。
そして。
「何も見えぬ、分からぬ、どうすれば……どうすれば……」
「誰か! 誰か! 助けてくれっ!」
「だれでもいい、たすけろ、わしをたすけ……」
周囲の呻きが、言葉として聞き取れるようになった。二人分の霊力を得て励起した結果、ロイ自身に関しては【壊伝】にかなり抵抗できるようになったのだろうか。あるいは、元々効いていなかったニンフィアの霊力の影響かもしれない。
「何が正解か。逃げるのは……無理っぽいなあ」
ロイ一人だけなら【妖陰】で多少は逃げれるかもしれないが、仲間を見捨てるのは論外だ。特に女の子二人を。
もし彼女達を見捨てれば、その時は二度と【救世】の仙力は働くまい。そんな気がする。
目の前に七英傑(仮)と白衣の男がいる。蒼貌鬼などは、ギラギラした目で睨んでいる。【啓示】による感情の「色」も、少し赤みがかっていて、おそらくさっき弾いたことによって少し怒りを覚えているのか。
白衣の男のほうは表情が読めない。感情の色も、青系統の抑えられた感じで、おそらくこれは平静とか冷静とかを表しているのだろう。たぶん。
……リェンファはよくこんな極彩色の視界で混乱しないな。慣れか?
こいつらだけでも手ごわそうだが、最大の問題はその向こうにいる邪神のほうだ。色彩も複雑で、底がこの瞳でも分からない。霊気が何層もあるような? 変な感じだ。だがじっくり見ている余裕が……。
『面白い、そなたも余の力が効いていないな? ……うむ? どこかで会ったか?』
と思ったら向こうから話かけてきた。
「いや」
『くく。確かに、生者で余を前にして冷静でいられるだけでも尋常に非ず。左様な者、会えば忘れるはずもないか。だがその霊気、どこかで……』
もしかして、ジュゲア百卒長がやたら高揚してたのも、ニンフィアがひとりで思いつめて力を使おうとしたのも、こいつの霊気にあてられてのことか?
確かになんか、悍ましいというか、寒気がする感じがある。
「力を示せば猶予は貰えるのか?」
『……そうだな。そのつもりであったが……余もいささか疲れた』
疲れている? 本気なのかどうか分からない。
『まずはその者達相手に示してみよ、それ次第でいかにするか考えてみるとしよう』
「我ら八人であの小僧と戦えと仰せですか?」
『全員でやる必要はない、やりたい者だけでよいぞ』
彼らは顔を見合わせると……やがて頷き、ロイの前に七英傑と思われる戦士が二人……槍使いの「蒼貌鬼」と、茶髪碧眼の男が出てきた。
後者のほうは手甲のみで武器はなく、鎧も着ていない。昔の格闘家が着るような服装。そして口がへの字になった明らかに不機嫌顔の青年だった。
もし彼らが七英傑だというなら、あれはおそらく……無影の魔拳と呼ばれる「碧眼阿修羅」レクラーク。
多くの拳法系武術流派の開祖扱いされている伝説の格闘家。……まあ、その大半は流派の箔付けのために英傑にあやかっただけのウソだろうけど。
ロイの師匠ヴェンゲルが自流派立ち上げの前に学んだ流派は複数あるそうだが、そのうちの一つがその類いだったと聞く。ある男が修行中偶然洞窟でレクラークが書いた武術秘伝書を発見し、極意を得たことがその流派の始まり……とかそういう感じの。凄く眉唾である。
このレクラーク、伝説では余りの速さのため腕が六本に見えたとか、攻撃時影が見えなかったという話があり、それが二つ名の由来だったはず。本人が学んだ流派は不詳で、開祖伝説多発はそのせいもある。
見かけは若い、どう見ても二十前くらいに見える。伝説のレクラークなら三十路半ばのはずだ。
そして蒼貌鬼ジーシゥは、破岩の剛槍と唄われた剛力の槍使い。今目の前にある槍は男の身長の五割増しほどの短槍だが、太さは並みの槍より二回りは太い。しかもどうやら銀色のそれは金属製でかなりの重さの代物のようだ。
その槍を、まるで木製の投槍であるかのように機敏に扱う膂力は恐るべきものに違いない。そしてこっちも若い。伝承のジーシゥなら不惑過ぎの壮年のはずが、これも二十歳くらいにみえる。
「まずは我からやらせてもらおう」
蒼貌鬼が言う。二人同時かと思ったら一人ずつだった、案外律儀なのかもしれない。
「ゆくぞ」
次の瞬間、反射的にかわしたロイの居たところを、雷光が走り抜けた。
「ふんっ……!」
シュッ!
さっきニンフィアに向けた槍とは比較にならない速さだった。幻妖となっても、女の子に槍を振るうのは気が進まなかったのか?
並みの人間なら、何があったのか分からぬまま串刺しになり焼き焦げていただろう。
蒼貌鬼ジーシゥ、その手に持つ槍の銘は確か「雷光竜牙槍」 雷撃を纏う魔導具であり、必殺の威力と雷撃による火傷や麻痺の特性を併せ持つ。それでいて使い手本人は傷付かない。顔の青い刺青はその雷撃防御のためのものという話があった気がする。
「はっ!」
槍が横薙ぎに振るわれ、雷光が糸を引く。ロイの肌を放電がかすめ、不快な痛みをもたらす。
この雷光はただ槍がまとうのみならず、槍の軌跡に一瞬残るほか、その穂先から飛び出して相手を撃つことも可能。
──だが、ロイにとっては運がよいことに、人の手になる魔導具であるからには魔術衰退の影響は免れえない。
生前のジーシゥに比べると、雷撃による追加効果は威力も範囲も半減していた。だから強固な霊鎧を持つロイにとっては、さっきの放電も耐えられる程度で済む。
(なお一般人にとっては雷撃防御の術が使えない者が増えたため逆である。かすっただけで痺れと火傷で動きが鈍くなり、三合と保たずやられることになるだろう)
一方ロイにとって運が悪いことに、それ以外の単純な速さと威力では生前を遥かに上回っていた。彼ら七英傑は単なる幻妖ではなく、いわゆる幻聖……それも上位の座天使級や智天使級であった。
上位幻聖として顕現した肉体はもはや人間の枠を逸脱していた。破岩の剛槍はもはや岩どころか鋼をも砕く槍となり、その皮膚は下手な刃すら通さない強度だ。それは【金剛】の仙力持つロイに匹敵、ないし上回るほどのもの。
「ふっ!」
「はっ、はぁっ!!」
竜牙槍と如意棒が次々に激突。銀と赤の風が乱舞し、雷光が飛び散り、お互いの得物が唸りを上げて大気を切り裂く。
体格と膂力、体重は明らかにジーシゥが優位、雷撃の追加効果もある。総合的な速さはロイが優位。本来生じる体格による間合いの差は、如意棒という道具でロイが優位。そのためややジーシゥ優勢ながら、一方的な戦いにはならない。
そうして、一撃一撃が必殺になり得る突きや払いを何十合かかわし、はねのけたところで、だいたい分かってきた。
おそらく、この男は。
(どう思う)
『ご主人様の予測で合っていると思います。こいつは自分の体を持て余していますね』
そう、持て余している。
幻聖である、ということをロイは知らない。だが、おそらくこの英傑は、生前そのままではないというのはわかった。たぶんだが、生前よりも肉体能力が上がっているのだろう、と。
まず伝説における破岩の剛槍、蒼貌鬼ジーシゥは壮年の戦士で、屍の女王を討伐した七英傑一行のまとめ役として語られる。だが目の前の男はどう見てももっと若い。
肉体は身体能力的な全盛期が再現されているのだろうが、技のほうはおそらく死んだ時点のものではなかろうか。体に染み付いた技は達人の域だが、肉体の強化と若返りに対応できていないように思える。
技を鍛え上げ、己に最適化すればするほど、肉体の状態の僅かな違いが大きな狂いとなって現れるものだ。その一方で、魔術は覚えているものより劣化している。
それらが組み合わさってか、動きがちぐはぐなのだ。一撃一撃は重く凄まじい速さ、だが、うまく連技が繋がってこない。一つ一つの技の間に一拍の隙がある。
そんな状態だから、相手が英傑かつ幻聖であっても仙力による補助のあるロイなら何とか対応可能だ。だが、しばらくすれば狂いにも慣れてくるだろう、そうなればいっそう手強くなる。それまでに倒したい。
今なら何とかなるはずだ。いかに速く重い攻撃であろうと、今のロイにとっては対応できる範囲。なぜなら。
……視える。
相手の感情が。意図が。
そして実像にかぶさって。相手がどう動こうとしているかを表す影が。
『【啓示】の派生の一つ、【予見】です。簡単に言えば短時間未来予知の力。戦士や賭博うち垂涎の能力ですね』
この前からリェンファの攻撃がやたら速いと思っていたら、先読みの力に目覚めていたわけか。
あの感じだとおそらく彼女なら、数セグ(秒)以上先の未来が見えているのだろうが……ロイではせいぜい1セグ先くらい。それ以上を見ようとすると頭痛が酷い、借り物の力の限界か。それでも見えないのとは大違いだ。
『【啓示】は派生いっぱいの力ですからね。彼女は普段から【霊視】や【情視】は使えていたようですが、本来は単に『視る』だけじゃない、もっと怖い力ですよ。人間では全部は使いこなせないでしょうけれど』
使いこなせない力の事を考えても仕方ない。今は目の前の男をどうするかだ。いくら重く、速くとも、相手の攻撃が読めれば誘い込んでの大技や、応酬技もできる。その隙を焦らずに待つ。
膠着にじれ、先に動いたのはジーシゥだった。
「………!」
口元から小さく呪文が漏れ、彼の顔に刻まれた蒼い聖痕が薄く光を放つ。
「……殺!」
ジーシゥの体と、槍からバチバチと雷光が漏れる。そのまま踏み込んで下段に神速の突き……いや。それは雷光を用いてロイの目に焼き付けんとした幻、輝ける残像だ。
残像の位置から放ったかのように雷撃をロイの足元に放出、土埃を立てて両者の視界を妨げつつ……ジーシゥ本体はロイも使う跨歩の技で背後に転じ、その過程で槍を水平に払って回転。穂先に遠心力と雷撃を載せる。
それは、直接相手を見ず心眼にて捉え、神速にて天地と人を分かつゆえに「天地夢想」と呼ばれる大技。
ビュンッ!!
槍の先端が余りの速度に大気を砕き、水蒸気の雲を引く。それは雷と合わさって一閃の弧を描き、鋼の鎧すら破砕する円環と化す。くるくると、相手を破壊するまで終わらない死の輪舞は、生前から鬼と謳われた男の真骨頂。
「!」
如意棒という武器のことを、ジーシゥは完全には理解できていなかった。それも当然だろう、こんな武器は魔術全盛期にもなかった。
ロイの身体は一瞬で伸びた如意棒によって僅かに槍の軌道より上に跳びつつ、如意棒で槍を受ける。如意棒は鋼をも両断するはずの一撃に耐えきり、槍の運動量をそのまま利用しロイはくるりと宙で回転。
そうして回転のさなかで如意棒は突如逆方向に伸び、地面に突き刺さってジーシゥの動きを阻害。手を如意棒から離したロイ自身はジーシゥの背後に回り込む。技が軌道まで完全に読めていたからこその反撃だ。
「むぅ!」
如意棒に妨げられ一瞬動きが止まったところで、ジーシゥの背中にロイの連技が突き刺さった。
ヴェンゲル流奥義、名を「猛虎天輪墜」 左掌底から服を掴みつつ踏み込んで左肘打ちで後ろから心臓を撃ち、さらに潜り込んで右肩の体当たりで打ち上げてから首へ後ろ回し蹴り……霊撃を載せた一連の技はジーシゥの六つの凝核のうち、背中から当てられる四つまでを一気に破壊。
「がっ!?」
最後の回し蹴りでそのまま踵で首を引っ掛けつつ大地に叩きつけ、頸椎を折り頭蓋を破壊せんとする。
ロイの速度と仙力を載せたそれは、常人なら何が起きたかも分からず心臓が破裂し首がへし折れて即死する殺人技だが、豪傑にして幻聖であるジーシゥの強靭な肉体はそれに耐え、意識すら保つ。
(! これに耐えるのかよっ!?)
前転して逃れるジーシゥを、如意棒を掴んで追撃しようとしたところで、ロイは殺気を得て飛び退く。
「……!」
「ちっ!」
レクラークが横から乱入してきたのだ。手甲がロイをかすめ、霊装服の袖がパックリと裂ける。
「勘がいいな、てめえ」
「…………」
一対二か。力の温存は……難しい。いつもに比べると霊力も少なく、無駄にはできない。どうするか考えつつ、ロイは少し飛び退いて体勢を整えた。