第10話 やめろみんなその視線は俺に効く
未だかつてなかった討魔遠征から帰宅して三日目の朝。ロイたちの姿は士官学校の教室にあった。
「オハヨ、ロイ、レダ、……ウー?……エイダ?」
「おはよう、ニンフィア」
「俺はウーハンな。おはよう、ニンフィアさん」
「エイドルフだヨ、よろしく」
片言で喋るニンフィア。まだ帝国語が殆ど分からず、周囲は古代語を話せる者が誰もいないとなると、意志疎通のためには彼女が言葉を覚えるしかない。古代語については文字は少しは伝わっているが、そちらさえロイたちはさっぱり分からない。そして文字の読み方などは実のところ誰も知らなかった。
そのため一昨日から帝国立智星学院のほうから言語に詳しい教授がやってきて、ニンフィアと発音と意味についてすりあわせをやっているが、まだお互いに理解は進んでいないようだ。今日も日中の大半はその作業をやるらしい。言語教育のための絵を見ながら、これはこれ、あれはこれ、と指摘したり書いたりしあっている。
正直これまで古代語についてまともな資料もなく、予算もろくに付けられてこなかった不人気分野の教授としては望外の春が来た状態のようだ、興奮に眠れず目に隈を浮かべながら笑っている様は少し怖い。
なお、読心の魔術で何とかならないのかと思ったのだが、少なくとも魔術による読心は、お互いがお互いの言葉を理解していない場合、明確には分からないのだそうだ。どちらか一人でも両方の言葉が分かっていれば何とかなるそうなのだが。もう少し理解が進まないといけないということだ。
現在ニンフィアは士官学校の宿舎にて、リェンファと一緒に生活していた。そして当面は士官学校内で言葉と帝国に関する知識を勉強するという。レダが言うにはその大元は皇帝の指示であるらしい。
「ルーティ大姉によると、貴重な仙力の持ち主であるからには、いずれ帝国の力になるべきで、そのためには同じ異能持ちで年の近そうな僕らと過ごす環境を用意したほうがいい、という事らしいよ」
強大な仙力は戦において切り札になりえるため、できるだけ味方にしたいが、何せ得体のしれない状態だ。だからといってあからさまに捕虜や研究対象のような扱いにすると、後々それを根に持たれても困るし、帝城内に住まわせて何かあっても困る。ロイ達が第一発見者であること、そして士官学校という機関が国の機関であること、それらを鑑みた結果であろうと思われた。
なお今のニンフィアの設定は「偶然高い仙力を持つ孤児を、帝国の貴族が異国で見つけ保護し連れてきた」というもので、リェンファの父が仮の身元引受人となっているそうだ。
「それで、僕らは彼女の秘密と身を守らないといけない」
「クンルンの仙人どもが目をつける可能性があるか」
「知ったら放ってはおかないだろうしナ……」
遠巻きに監視と護衛を兼ねた大人はいるらしいが、少なくともすぐ分かるような至近にはいないようだ。強大な異能持ちのニンフィアを刺激しないように、との配慮なのだろうが、そのため何かあったらまず対処するのはロイ達ということになる。そして本来乙科のリェンファが、当面ニンフィアにくっついて、暫定的に甲科にいることになった。
「カケル、メイワク」
「あー、大丈夫だから。これもよい経験と思えと父様や教官らは言うし。うん」
「ダイジョーブ? ケーケン?」
「大丈夫」(ぐっ)
「Sure……ダイジョーブ」(ぐっ)
現時点では言葉は殆ど通じないので、仕草も交えて意志を伝える。
何であそこで眠っていたのか、どれくらい昔からなのか、そういった事情は今のところ一切分からない。ただ、あの竜を倒した力については、彼女にとっては意図的には使えるものの、使うたびに倒れる、ものであるようだ(睨む、どーん、ばたん、などの仕草による)
食事や生活習慣についても帝国式は未知であるようだが、多少は分からないでもないらしい。古代から変わっていない分野はあるのかもしれない。
(…… It's similar to Chinese style, but there's some difference……)
「とりあえず、呆然としてるんじゃなくて、積極的に今を知ろうとしてくれてるから、早いうちにもっと意志疎通できると思うよ」
「強いよな。例えば俺が、ある朝起きたら一人だけ別世界、もう戻る事も出来ない、となったらヤケになって暴れて終わるかもしれん」
「えー、そう? 独りでもいいじゃんー。無知な蛮族しかいない異世界に転移してそこで異能と現代知識で成り上がってハーレム作って俺は新世界の神になるッとか考えたりしないー?」
「しねーヨ何だヨそれ」
「つーかシーチェイいつの間に来たんだよ、大丈夫なのか?」
シーチェイはこの二日、学校を休んでいた。彼はこの間の遠征で比較的魔物が多いところを割り当てられ、異能を使って対処するよう班長に命じられた結果、力を少し使いすぎて体調を崩していたのだ。彼の能力は、沸騰させたり凍らせたりと、使い方が一見分かりやすいうえに霊力消費が重いので、ついそうなりやすい。
「もう大丈夫だよー。この娘が例の娘? うん俺はシーチェイね、よろしくー」
「オハヨ、シーチェ。ニンフィア、ワタシ」
これで仙霊甲科全員がニンフィアとの顔合わせを終えた。ニンフィアは、今日は仙霊科の隣の部屋を確保して、そこで古代語と絵の睨めっこをやるらしい。
「じゃあね、ロイ。行くよニンフィアさん」
「サヨナラ、ロイ」
「ああ、さよなら」
「顔がにやけてんぞロイ」
「なっまさかそんなわけなななな」
「カマかけに引っかかってんじゃねーヨ、アホウ」
「でもまあロイの好きそうな感じはあるよね、お淑やかっぽくて……大きいしさ」
「春きたー?」
「来てねえよ!」
「リェンファも複雑だろうナ」
「なんでだよ、だからあいつとは、そんなんじゃねえし……」
「「…………」」
(この前から微妙にリェンファの雰囲気も変わってんだよナ)
(そうだね、元々嫌ってなかったけど、そこから少し進んだ感じがするよ)
(新しい子が現れて危機感を覚えたとかー?)
(自力で戻る前の一晩は一緒だったんだろ? 何かあったんじゃね?)
(そこまで行ってはないと思うゼ)
(手を出してたらあーはなってないと思うよーそういうとこあいつクソ真面目だからねー)
(何にせよからかいかい甲斐がありそうだ)
どうやら同級生らからロイへの奇妙な視線はまだしばらく継続しそうであった。
(やめろその視線。……だってよ、今更気になってるなんて、いえるかよ……しかもあんなのがきっかけじゃ、あいつに失礼だろ……それに一人だけでも、なのに)
「しかし実際、仙人が来るかもとなったら結構洒落になんねえゾ」
「俺ら実戦経験足りねえしな」
「仙人についてもっと知識が必要だよね、分かってるぶんだけでも」
「教官に公開情報聞かないとねー、流石に軍機は無理だろーけど」
「有名どころだけでも押さえとこうゼ」
「有名っつーと、『輪仙』ウーダオ、『雷仙』ユンイン、『錬仙』スンウェン、『化仙』ガルマ……『闘仙』フェイロンあたり?」
「ウーダオとかユンインって向こうでもお偉いさんって話じゃん、こっちまで来ねえだロ」
「人攫いに来るかもってことならガルマとフェイロンあたりは押さえとかないと」
「ガルマは変身するんだっけ? 老若男女に犬猫まで生き物なら大抵化けられるってやつ」
「そうらしいな。あとフェイロンは異様に速くて肉弾戦鬼強らしい」
「他にも透明人間になるやつとか、ウーハンみたいな転移っぽいことするやついたはずー」
「僕らがいうのもなんだけど、面倒だよね……」
「どう対策するんだヨ」
「まずロイとエイドルフを盾にするー」
「妥当」
「おイ」
「次にレダが後ろから二回攻撃な。その間に俺が後ろに回って足止めするから」
「んで俺が服を蒸発させて爆殺するー。完璧だー」
「待ておい」
「お前の力だと俺らまで巻き込まれるじゃねえか」
シーチェイの力は無生物に対して強力だが現時点では強制的に範囲指定で、絞り込みも大ざっぱだ。だからどうしても周辺を巻き込むし消費も激しい。遠くから地面ごと爆発させたり凍らせたりならともかく、足止め役がいるならそちらまでほぼ犠牲になる。
「はあ。もっと緊張感持てよナ……」
「一番緊張しなくていいお前が言うと説得力がない」
「【賦活】があっても別に不死身ってわけじゃねえんだゾ、首斬られたら死ぬはずだ、たぶん」
「よし試そう」
「殺すゾ」
戦いの予感の前に、余計に馬鹿をいう一同。今までの日常の終わりが近づいていた。