第1話 仙力使いの少年少女
「……第二十四小隊より連絡、『人狼型業魔』の出現を確認!」
「幻妖か? 本物か?」
「現時点では判別不能。至急仙霊機兵の派遣を要請すると」
「フーシェン様、壱番班はまだ……」
「弐番班、連続になるが行けるか? カノン」
豪奢な甲冑を纏った貴人が、機導霊装服ーー魔術回路を織り込んだ制服姿の、まだ十代半ばに見える少年に問うた。
「——はい」
短い返答。そして少年は同様の霊装を纏った仲間たちと共に、指示された前線に急行する。疾風となって進む影は6人。
魔術と仙術の併用によって加速され、常人には出せない速度で山麓の岩場を通り抜け目的地へと向かう。
「今日は午前でもう二件目か、増えてきたナ」
「いよいよ本体が増えてくるのかもしれないね」
「さっさと終わって欲しいもんだがな」
「油断しないでよ? 人狼の速さは洒落にならないんだから」
「でも、やるしか、ないデス……」
「ああ。大丈夫?」
班長の少年は他の者に比べると疲れの見える少女を気遣う。彼女は本来前線に出るような娘ではなかった。
——だがその身に宿る異能は、安穏な生活を許さない。
「大丈夫、デス」
「無理はするなよ……見えてきたぞ」
視線の先、森が少し開けたところで、十数名の正規兵たちが標的の周りを取り囲んでいた。周りには既に倒れ伏した者も十名近く。中には一目でもう手遅れと分かる者も……。
残った兵らは魔術も織り交ぜながら、槍と盾を構え防戦を試みている。対する標的の大まかな姿形は、人狼と呼ばれる魔物に似ていた。つまりは人に倍する巨体持つ、直立する狼だ。
人狼は大猩々を超える怪力に猟豹以上の瞬発力、そして魔力無き刃を通さぬ強靭な毛皮を持つうえに、ある程度の知恵を持ち固有の魔術すら使う。
そして本来ならば……遠い過去に南海の彼方に去ったとされる神代の魔物だ。
そして目の前の魔物は、その人狼とも似て非なるものだった。その体は毛皮ではなく黒い鱗で覆われ、鱗の隙間からは奇怪な緋色の光が明滅し、目や耳が機能しているのかどうかも定かでない。
あの黒鱗こそ、奴がただの魔物でなく——『業魔』と呼ばれる力を宿す証。剣や槍どころか、攻城兵器ですら貫けない悪夢の絶対防壁の象徴。あれを貫くには——。
そして少年たちが辿り着いた瞬間、魔物の姿がブレる。人狼の『瞬動』、凄まじい瞬発力が見せる残像だ。
魔物が残る兵たちの一角に向かって凄まじい速さで突進し、鉤爪を……振るおうとしたところで、魔物と兵の間にひとりの少年が何の前触れもなく突如出現した。
「……よっ、と!」
そして魔物の足に少年の持つ杖が叩き込まれる。完全な不意打ちに加え、仙術により霊力を込められた一撃をうけて魔物は反応できずに転倒し、顔面で地面を大いに削った。
「おおっ!」
「仙霊機兵か、助かった!」
兵士らの安堵の声か響く。
「後は任せてください」
先行した少年に他の班員が合流する。仙霊機兵とは対魔物専用の特務兵。特に業魔と呼ばれる特異な魔物やその写しと戦うことができる、帝国には殆どいない「仙力使い」からなる部隊。彼らはその一員だった。
「ウーハン、お見事」
「これ幻妖のほうだわ。『凝核』がある」
「そうか、じゃあさっさと終わらせないとナ」
「エイドルフ、頼む。動きを止めろ」
一際体格に優れ、両腕に巨大な籠手を身につけた禿頭の少年が魔物の前に出る。立ち上がった魔物は怒りの唸りを上げ、目の前に現れた獲物に向かって突進した。
「ふんっ!」
常人なれば、魔術の補助を得ても吹き飛ばされ骨が砕けるであろう突進を、少年は籠手をもって受け止め、少し土に足がめり込むだけに留める。そして黒髪の少女が班長の少年に告げた。
「ロイ! 凝核は頭と左腕の付け根!」
そして班長の少年の背中に思いっきり少女の平手が決まる。『力』を込めながら。
「……分かった、リェンファ」
班長の少年が、受け止められて動きの止まった魔物に向かって、凄まじい速さで近づき……跳躍。
まるで空中を駆け上がるかのような動きで彼に噛み付かんとする魔物の顎を紙一重でかわし、朱色の短杖の一撃を左腕の付け根に叩き込んだ。
仙力を込めた一撃は、魔物の凝核と呼ばれるモノ……幻妖なる魔物の弱点に届く。
「…GRRRUUAA…!!」
魔物の呻きと共に、鱗から漏れる光が、緋色から白色に変わり……一瞬その姿がぼやける。さらに少年は魔物の体を駆け上がり、その頭部に向かって今度は仙力を込めた蹴りを放った。
鈍い音と共に本来なら人間の蹴り如きで揺らぐはずのない黒鱗の絶対結界が綻び、強靭な首が有り得ない角度に折れ曲がる。さらに頭部の凝核にも仙力が伝わって……。
解ける。人狼を模した業魔なる魔を、さらに模していた幻妖……"写しの怪異"は、蹴りに込められた仙力によってその姿を留めるための現世への錨を揺るがされ、本来の姿である白煙に戻っていく。
黒鱗の姿が消え去り、実体無き白煙の塊がそこに現れた。このままであれば、いずれ再び何かの生命を模して再臨してしまう……が。
「ニンフィア! レダ!」
「いきマス! 離れて!」
後ろにいた少女と少年が、『力』を行使する。まず少女の琥珀の瞳が、深紅に輝き、白煙の怪異の大半が、円の中に区切られて閉じ込められたかのように見え……。
「えぐれなサイ!」
ゴリィッという、石臼を挽くような音と共に、白い煙の大半が消滅する。
「はあっ!」
そして間髪入れず。今度は少年のほうの力によって、同じ破壊が場所を変えて再現され、周辺に漂っていた残滓までも消え去った。
「……ありがとデス」
若干片言気味の少女の言葉に、隣の少年が応える。
「うん、残らず仕留められてよかったよ」
少女に向かって班長の少年が声をかけた。
「ニンフィア、平気?」
「大丈夫デス、まだいけマス」
「うん、レダのおかげだな。一発あたりの規模を減らせたらニンフィアの負担も減らせるしな」
「もう少し【再現】の自由度が上がると確実なんたけどね」
「まあそれは今後の課題だろ。……リェンファ?」
「視える範囲に残敵はいないわ」
「……了解。みんな、よくやった。任務達成だ。さあ戻ろう」
「今回はうまくはまったね、『恐哮』を使われる前に倒せた」
「あれをやられると面倒どころじゃないからな、先手必勝しかない」
恐哮は人狼が魔物とされる所以の一つ、相手の精神を揺さぶる魔術的な咆哮。魔術か仙術による防御無しでは、耳栓をしていても恐慌に陥って身が竦み、狩られるのを待つだけになる。
仙術を修めた少年たちには完全には効かないものの、一度貰うと術を使うための集中が難しい。ただ恐哮の発動には溜めが必要らしく、その隙を与えずに倒すことが肝要だ。
「幻妖だったのが残念だナ、本体なら手当も出るのに」
「それでも業魔を模す頻度が増えてきたわ。多分もうすぐもっと出てくるでしょ」
「そろそろ本尊との戦いも近いか?」
「……正直まだ怖いけどナ、アレに挑むのは」
「仕方ない、もうそんなに猶予は残ってないだろうしな。覚悟を決めないと」
……班長の少年——ロイはずきずきする背中を気にしつつ答えた。下手な魔物よりもこっちのが効く。彼の異能の特性上、仕方のないことだが……。
まあ、男連中に殴られる事態にならなくて良かった。敵は段々増えつつあるのに、この程度の相手に霊輪の多段励起を必要とするようでは困る。
そしてできるだけ『こいつ』の助けも借りたくない。常に余力を残しておかないと……。
『…………』
ロイは周辺にいた哨戒小隊の長に声をかける。
「要請に従い、魔物は駆逐しました」
「仙霊機兵の諸君……助かった。……だが」
「……被害は?」
「……死者は四人だ、仮に幻妖であろうと業魔を模されると、我々の力では傷一つもつけられんとくる……」
「……兵部省のほうでも霊機武装の開発を進めているといいます。いずれ『仙力』無しでも通じるようになるかと」
「まだ当分先の話だろう。それまでは君たちに頼らざるをえん……今後も頼む」
「分かりました。……それでは、我々は本部に戻ります」
「……ああ」
本当は残っていて欲しい、と目が言っていた。例え幻妖であっても業魔の鱗には通常の武器や個人で使える規模の魔術では全く通じない。
だが現時点では、あれに通じる『仙力』や『神器』を持つ者は、極めて少なく……奴らの出現頻度もまだそこまで高くない。それぞれの哨戒部隊に配置することなどできるわけもなかった。
哨戒部隊の彼らにできるのは、相手がソレであると判明次第本部に連絡して、救援までひたすら耐えることだけ。
業魔やその写しでない魔物であれば彼らの攻撃も通じるが、素の人狼であっても手強いうえに、それ以上の強さの魔物も出没している。
それでもとにかく、奴らや怪異が人里にまで来ることだけは阻止しなくてはならない。
そして、十代半ばの少年少女たちからなる仙霊機兵隊の者は本部に帰還する。彼らは本来ならまだ学校に通っている年齢であり、このような致命的な魔物が跋扈するような地に派遣されるような年ではない。
それがこうして魔物対応の切り札として運用されているのには、やむを得ない理由があった。
一つは彼らの宿す力が、この地に現れる奇怪な魔物に極めて有効なこと、そして……魔術に、もはやかつての力が無くなったからだった。
本話の時間軸は第五章終了後に相当します
そこまでは平均週一ペース更新予定
5/15 レイアウト修正と、業魔の説明補足
12/24 一部表現修正