九十一話
「え? 逃げられちゃったんですか~? 引渡しした翌日に?」
冒険者ギルドの建物にセラフの間の抜けたような声が響き渡る。朝になって目覚めるとアノンの姿がない事に気付いた僕らは急いでギルドに報告した。
するとセラフがすぐにトンボ帰りして来た。彼としても、自分が引き渡した戦闘奴隷が次の日にいきなり脱走するなど予想出来ない事であり、いても立ってもいられなくなったのだろう。
「まあ確かに~隷属の首輪は契約した主人が命令しない限り発動しませんし……寝てる間に逃げられたならどうしようもないですからね~」
そうなのだ。隷属の首輪は主人が念を送ればいつでも電流を流す事が出来る、とはいっても射程範囲というものがあり、寝てる間にその範囲内から逃げられたのでは念を送っても届かない。
完全に油断していた。臥龍鳳雛としては有り得ない失態だった。
「しかし、あんな死んだような目をした人が逃げ出すとはね~……夢にも思いませんでしたね。拷も……詰問を受けた時も何も抵抗を見せる気配はなかったのに~」
そうなのだ。アノンは尋問を受けた時も何も喋らなかったらしいが、されど何も抵抗らしい抵抗もしなかった。全てを投げ出したかのような態度を取る彼に逃げ出そうと思う程の原動力があるとは誰も思わなかったのだ。
「逃げてしまったものはしょうがないさ。管理責任を問われる前に急いで連れ戻す必要がある。本部で探査をかけて貰えるかな?」
「そうですね~逃げ出してからまだ半日も過ぎてないでしょうし、今から追えば追いつけるかもですからね~」
そう言ってセラフは姿を消した。そして幾許かの後に再び姿を現した。
隷属の首輪には電流を流す以外にもう一つ逃亡防止の為の機能がある。奴隷の現在位置を探査する為の魔術的な目印が付いているのだ。
セラフは一度ギルド本部に戻って術者に探査魔法をかけてきて貰いに行ったという訳だ。
「お待たせしました~アノンさんの現在位置が判明しましたよ」
「彼は今何処に?」
「王都ネフタルから南に50キロくらい行った所ですね~」
「南……と言うと……」
一晩で50キロも移動したのか。夜通し走り続けたんだろうが、それだけの執念を持って彼が逃げ出そうとするのはやはり彼らしくないと感じる。
王都周辺の地理を頭に思い浮かべる。その辺りには荒地ばかりで特に何も無かったように思えるが……
「ハム二キリ国に向かっているんだろうさ。大陸内で聖皇国の威光が通じない唯一の場所だ」
「ハムニキリ国……先住民族の住む所だね」
ハム二キリ国とは、スピルネルの南に位置する広大な範囲を住処とする民族国家だ。かつてこの大陸じゅうを支配していた彼等は大陸の名であるクラウディアを冠した名で呼ばれている。彼等は聖皇国の台頭と共に住処を追いやられ、南に移り住んだという歴史がある。
「ハム二キリ国とはまた厄介な所に逃げ込んだでありますなあ」
「マグナスですら一度も足を踏み入れた事がなかった場所だものね……」
彼等先住民族は僕ら大陸人を憎んでいる。かつて住処を奪われ同胞の多くを殺された恨みがあるからだ。南の僻地に追いやられてから100年近くは過ぎているが、彼らの恨みは決して薄らいではいない。
先住民族であるクラウディアンは先祖を何よりも敬い大切にする習慣がある。先祖への畏敬の念と共に先祖が受けた謂れのない仕打ちに対する強い憎しみも共に受け継いでいる。
大陸人がハム二キリ国内に侵入するのは死と同義だと言われている。それだけ危険な場所なのだ。彼等はジャングルを根城にし土地勘に優れゲリラ戦法を得意としている。
かつての侵略戦争では敗北した彼らだが南のジャングルに住処を移動してからは地形の利を活かして聖光国軍を何度も追い払い打ち倒していた。
そういう過去があるからこそ、旧臥龍鳳雛時代のマグナスも決して南の地には近付こうとはしなかった。新たな魔王が誕生する地としては大いに可能性のある土地だったにも関わらず、だ。
今では大陸人にとって南は不可侵領域と化し、人族以外の種族にとっては安住の地となっている。彼等は迫害を受けた魔族や獣人族に対しては胸襟を開き受け入れているからだ。
フランベルグ帝魔国が滅ばされた後生き残った者達の多くがハム二キリ国へと移っていったという。恐らくは世界で最も多くの種族が混在する地だろう。
「確かに厄介な場所ではあるけれど、丁度いいと言えば丁度いいんだ」
「「「?」」」
プリメインさんの思わせぶりな発言に皆の視線が集まる。
「南には六体目のS級モンスター『麒麟』がいる」
「ほう、六体目とな。それはそれは素晴らしい~もうそこまで仲魔を増やしていらっしゃったのですね~」
セラフが賞賛の声を上げるが、僕らはとても喜ぶ気分にはなれない。セラフの前で言ったらダメなやつでしょ、それ。
このくそ真面目な監査官はすぐにでも本部へ情報を流してしまうだろう……そうしたらますますやりにくくなってしまう。
「時にセラフ君……君に相談があるんだがね」
「……何ですか?」
セラフの目が細まった。プリメインが何を言い出すのかと警戒している。プリメインさんはどこ吹く風と言った所で飄々と話を進めていく。
「君もアノン君の捜索に加わってみないかい?」
プリメインさんの申し出は、誰にも予想出来ないものだった。
ついに次なるS級モンスターが……!




