五十二話
ノエルside
マグナスの手にした紅剣がライザの胴を貫いた。ごぶ、と大量の血を吐き出して倒れ込むライザ。途端にナメクジのように這いずり回っていたマグナスの動きが良くなる。
何が起きたのか未だに理解出来ていないシルヴィがマグナスの一閃に反応出来ないまま切り伏せられる。ばたり、と地面に倒れ込んだシルヴィの身体からは赤い水溜まりが出来上がっていく。
二人を治そうと反射的に近寄ろうとした時に、蛇のような陰湿な目をしたマグナスの瞳と目が合った。
狙われている──そう私は直感した。
両足が折れていた筈のマグナスはいつの間にか立ち上がり、覚束無い足取りながらもこちらにゆっくりと近寄ってくる。
「メインディッシュはお前だ……ノエル」
「─────!!」
ギラついた瞳に映る私の姿は硬直し青ざめていた。ライザとシルヴィの血を啜った魔剣は今度は私を鮮血に染めようと襲い来る。
しかしすんでの所でその軌道がズレる。空振りした剣は地面へと吸い込まれていく。ライザとシルヴィが、瀕死の身体を引き摺りながらマグナスにしがみついていた。
「貴様ら……! 死に損ないが邪魔をするな!」
振りほどこうともがくが、まだ体力までは回復出来てないのかそれとも彼等二人の最後の抵抗が思いの外強いのか、マグナスは拘束から逃れられていない。
正に決死の覚悟でマグナスを止めようとすがりつく彼等と目が合う。口から血を吐き出しながらライザが叫ぶ。
「ノエル……逃げろ!」
「どうして……?」
思わず疑問の声が浮かぶ。何故逃げなければならないのか、ではなく何故彼等が命を賭して私を逃がそうとするのかが分からなかったからだ。
テイルが私達のパーティーから追放されてからは私が彼の役割を担う事になっていた。罵られ見下されボロ雑巾のように扱われてきた(それでもテイルが受けていた虐待に比べれば遥かに軽いものだったが)
そんな彼等が何故……。
戸惑いが足を鈍らせる。彼等が命を懸けて稼いでくれている貴重な時間がどんどん無駄に浪費されていく。
「アンタまで死ぬ事は無いわ……会いたいんでしょ」
シルヴィが蒼白な顔を無理矢理微笑みの形に変えてそう言った。誰に、とは言わなかった。脳裏にくっきりと浮かんだのはテイルの姿だった。
会いたい──その想いがようやく足を動かし始める。
「チッ無駄な抵抗を……アノン!!」
マグナスが苛立ちに顔を歪ませながら戦闘奴隷のアノンに声を掛ける。
「ボサっとしているんじゃない! ノエルを捕まえろ!」
「!!」
アノンの身体がぴくり、と反応して、しかしそれ以上動く事はなかった。
「逆らうつもりか……なら」
「うぐあぁぁぁぁああっ……!!」
隷属の首輪から強力な電流がアノンの身体に流れ込んでいく。激痛にもがくアノンの身体からは煙が上がっている。主人であるマグナスの命令に逆らったアノンには今凄まじい苦痛が味わわされている筈だ。マグナスはひとしきり電流を流した後に再び命令を下した。
「さあ、アノン。命令を聞け。ノエルを捉えるんだ」
「…………こと……わ…………る…………!」
息も絶え絶えの状態なのに、それでも彼は拒絶した。その瞳には、変わらぬ強い拒絶の意志が込められていた。
「どうして……」
ライザの時と同じく、疑問の声が上がる。彼は戦闘奴隷だ。私達は彼を使い捨ての道具として扱ってきた。酷い扱いを受けさせてきたのだ。私を救う理由などない筈。
「俺は……自分の命などどうでもいい。だが……人の命が自分のせいで奪われるのはゴメンだ。もう二度と……!」
それは、どんな扱いをされても従順に受け入れてきた彼が初めて見せる強い抵抗だった。それに、と彼が二の口を継ぐんだ。
「彼女の治癒魔法で俺は何度も命を救われてきた。彼女は人を救える人間なのだ。俺などとは違って……失われていい人では無いのだ」
心臓を鷲掴みにされたような気がした。喜びや感動からではない。申し訳なさと罪悪感の為だった。
私が彼からそんな評価を受けるに値しない人間である事は、私自身が誰よりも知っている。
「行け! 俺達の……仲間達の命を無駄にするな!」
アノンから叱責の声が飛ぶ。
仲間──そうだ。過去に何があったとしても、生命を賭けて私を助けようとしてくれた彼等は紛れもない仲間だ。
走り出す。涙がポロポロと後から後から湧いて流れ出ていく。私は、何故こうなってしまったのかと思わずにはいられなかった。
ライザは、ガサツで大雑把で短気で乱暴者だった。だが、戦闘では頼りになったし心を開いた者には面倒を見る兄貴分的な所があった。
シルヴィは、傲慢で意地が悪く金遣いも荒いいけ好かない女だった。だが、彼女の強力無比な魔法には何度も助けられてきたし、気分屋で甘えて来る時には仕方ないなあと思わせるような猫のような魅力があった。
決して最初から悪人だった訳では無い。少しずつ歯車がズレていき、いつしか目も当てられないような事態にまで堕ちてしまった。
何がいけなかったのだろうか……そんなものはもちろん分かりきっている。彼を捨てたからだ。
テイルを見捨てパーティーから追放してから私達の堕落と崩壊が始まった。
どんなに悔やんでも悔やみきれない。どんなに後悔しても時は巻き戻せない。
彼を捨てたのだという事実は、一生消えない。
ライザ達の拘束を振り切ったマグナスはアノンに命令するのを諦め自らの足で追ってきた。両足が折れていた筈が、今は完全に治って二本の足で立っていた。
私を追いかけようとした矢先に、横から暴風雨のように割り込んできたプリメインさんが凄まじい蹴りをマグナスに浴びせた。
これまでのマグナスならただただその凄まじい力に翻弄され吹き飛ばされていただろう。だが、今の彼は奇襲とも言うべき風の勇者の横槍に瞬時に対応し交差させた二刀の腹で攻撃を受け止めていた。
これまで通用していた攻撃が通らなくなった事を訝しむプリメインさんは、倒れている二人を見て事態を把握したようだった。
「仲間を喰らい力を得るとは……下衆め!!」
怒りに膨れ上がった魔力が風となり唸りを上げてマグナスに叩き込まれていく。しかしマグナスも負けじと応戦し今や二人の力は拮抗していた。
そして時間が経つ事に少しずつ少しずつマグナスの力が更に増していく。どうやらあの紅剣は直接人の身体を斬らなくても間接的に力を風から吸い取っているようだった。
プリメインさんからどんどん余裕が失われていく。それと反比例するようにマグナスの二刀流はどんどんその切れ味を増していく。少しずつ手傷が増えていき、それに比例してどんどんマグナスの力が増していく。
「逃げろ聖女……! 僕も長くは持たない……今のうちに逃げるんだ!」
彼女までもが私に逃げろと言う。何故皆私を救おうとするのだろう。そんな価値など私にはないのに。聖女という役割の重みに押し潰され、自分を殺し言われるがままに暴虐に手を貸し続けてきた愚かな人間なのに……
こんな時でもウジウジ思い悩んでいる自分に腹が立つ。
私がなかなか逃げようとしない事に業を煮やしたのか、プリメインさんは衝撃の事実を告げた。
「近くにテイル君達がいる! 巨大なスライムの中だ! 早く行って助けを求めるんだ!!」
「──テイル君が……!」
テイルが、テイル君がいる。慌てて周囲を見渡すと、確かに彼女の言う通り全長十メートル近くもある巨大なスライムが佇んでいた。よくよく見てみると、その周囲では何十匹もの蟻型の魔物達や空を滑空する大きな鳥型の魔物がスライム達と戦っている。
あれは彼が使役している魔獣達ではないのか。
喜びに足が軽くなり再び私は走り出す。
会える。
会えるんだ。
テイル君と、もう一度──
不意に脳裏によぎる光景。彼が絶望に全身を染めて私に助けを求めて縋りついたあの時。
「ね、ねえ……ノエル、君もなの?
君まで僕が居なくなればいいと思ってるの?」
彼にとってそれは正真正銘最後の砦だった筈だ。彼は、誰よりも努力し誰よりもパーティーの為にその身を犠牲にして尽くし続けてきた。一番讃えられ労われなければならないのは彼だった筈だ。
それを、自分達の勝手な都合で突き放した。捨てたのだ。
私は、絶望し嘆願する彼に顔を合わせられなかった。謝るだけで助けようとしなかった。
何もしようとはしなかった。
私が、トドメを差したのだ。
それを、自分が殺されそうになったからとのうのうと助けを求めに行くのか?
縋りついた彼を捨てた癖に今度は自分が彼に縋りつこうと言うのか?
どの面を下げて?
勢いよく走り出していた足がどんどん遅くなり、止まる。
これが、聖女の姿か?
これが、なりたかった私の姿か?
私は、今まで一体何をやってきたのだろうか?
分かっている。
助けを求めに行くのが最善だという事は。
自分に出来る事などないという事も。
それどころか、命を懸けて私を救おうとしてくれた仲間達の心意気を踏みにじる行為だと言う事も。
「それでも」
足が完全に止まる。
「それでも私は……」
身体が反転する。
「私は! もう逃げたくない! 私は! 立ち向かいたい!」
私は叫んだ。
ここが分水嶺だ。
償いたいなら、戦え。
勇気を持って、前に踏み出せ。
甘えるな! 自分の力で乗り越えろ!
彼と再開したいのなら……戦って勝って彼に誇れる自分になってからだ!
逃げた足ではなく、前に踏み出した足で彼に会いに行くのだ!
ずっと自分を見失っていた私が、本当の自分を取り戻す為の戦いが始まった。
ノエルの本当の償いがこれから始まります(*゜▽゜*)




