ふわふわ7 ヴァンパイアとの決闘
視界いっぱいに広がる、雲ひとつない青空。燦燦と降り注ぐ太陽の光。私の長い銀髪をたなびかせる向かい風。そして、眼下に広がるローズクレスタの町並み。
宮殿を出て賤民街に向かう私は今、大空を飛んでいた。
「ジェシカさぁん! 下ろして、下ろしてぇー!」
「暴れたらダメだって、サーシャ! 落ちるよ! あたしにしがみついてれば大丈夫だから!」
「ココアを抱っこしてるから無理ぃぃぃぃぃっ!!」
片手でココアを胸に抱きしめ、片手でぎゅっとジェシカさんの腰をつかみながら、私は絶叫する。
すると、私の足のすぐ後ろで、巨大な翼がバサバサと動いた。
「ひぃうっ!?」
「サーシャ、グリフィーネの翼に足をぶつけないようにね! グリフィーネがバランスを崩しちゃうし、翼の力はすごく強いから吹っ飛ばされるよ!」
「下ろしてよぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
怖すぎて、私は涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら絶叫した。
宮殿を出てすぐ、ジェシカさんは私を、グリフィーネと呼ばれる魔獣に乗せた。ワシの頭と翼に、ライオンの体とヘビの尻尾を持った魔獣だ。
ジェシカさんは、この魔獣によって関所から宮殿まで来たらしい。獣車に乗った私よりずっと早く到着したのは、そういう理由らしかった。
あの乗り心地最悪の獣車に乗らなくてよかったことを、私は最初喜んだ。羽毛で覆われたグリフィーネの背中は柔らかかったし、空を飛ぶということが少なからず楽しみだったのだ。
……見通しが甘すぎた。飛行機に乗るような感覚で乗ってしまった。風よけもなく、シートベルトもない状態で、生き物に乗って空を飛ぶということの意味がわかってなさすぎた。
「あとちょっとの我慢だから、サーシャ。もうすぐ着くから」
「もうすぐだったら歩いていくからぁ! 下ろしてぇっ!!」
「本当にあとちょっとなんだってば! あ、ほら、見えてきた! 降りるよ、サーシャ」
「よ、よか――」
ジェシカさんの言葉に安堵したのも束の間、フッと、私の体を支えていた全ての感覚が消え去った。
目の前に石造りの町並みが飛び込んでくる。同時に、体が浮き上がるような感覚を覚えて、私は力の限り絶叫した。
「――ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
学生時代、強引に乗せられたジェットコースターでの体験を思い出す。九十度以上の角度で落ちているんじゃないかという感覚に、私はあのとき、死さえ覚悟した。
隣の席に座っていた友達にしがみつきながら泣き叫び、何とか無事にゴールした後はしばらく放心してから、態度を翻して友達に恨みつらみをぶつけたものだった。
でも、今なら思う。あんなのはまだ生ぬるかった。今度のこれは、本当に死んでしまう。
地上の人たち顔が何とか視認できるくらいの高さに迫ったところで、急降下していたグリフィーネが、ぐいっと首を持ち上げた。
「どうどう、グリフィーネ!」
「んにぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!?」
強烈なGを受けて、全身が後方にぐいーっと引っ張られる。振り落とされないように、私は腕だけではなく、必死に足でグリフィーネの体を挟み込んだ。
しばらくすると、どすん、という強い衝撃。気づけば私たちは地上に降り立っていた。
「ほら、着いたよサーシャ? あっという間だったでしょ?」
「あうあうあう……」
顔中から、色々な液体を垂れ流しながら、私はぐったりとグリフィーネの背中に突っ伏した。
腕の中からココアが抜け出して、地面に飛び降り、ぶるぶるっと体を震わせる。風と、私に抱きしめられていたせいで、毛がぐしゃぐしゃだ。ココアもそれが気になったようで、道端に座り込み、早速毛づくろいを始める。
ココアもジェシカさんもなんで平気なの? 私は腰が抜けて、動けそうにない。
「サーシャ、涙と鼻水が……ちーんってして?」
「んぶぅぅぅぅぅっ!」
ハンカチを顔にあてられて、せめてもの腹いせにと、私は思いっきり強く鼻をかむ。こんな目に遭わされた恨みは一生忘れない。少なくとも、今後絶対、グリフィーネには乗らない。
「喜ぶと思ったんだけど……怖かった?」
「…………」
「ま、まだ歩けそうにないなら、抱っこしてあげよっか?」
「一人で歩く!」
ぷいっと顔を背けて、私はグリフィーネから飛び降りる。胸を触らされたときといい、さっきからジェシカさんにはひどい目に遭わされてばかりだ。そばにいたらろくなことがない。
私は毛づくろい中のココアを抱き上げて、目の前にあった大きな建物に入る。たぶん、ここが冒険者ギルドというところなんだろう。
中は巨大な大衆居酒屋のような作りになっていて、いくつもの大テーブルの奥に、受付らしき、これまた大きなカウンターが設置されていた。
壁には掲示板がいくつも設置されていて、そこには無造作にたくさんの紙が貼り付けられている。中にいる人たちは、テーブルに座って食事をしていたり、立ち話をしていたり、掲示板の紙をはがしてカウンターに並んだりしていた。
「怒らないでよ、サーシャ。そんなに怖かったの?」
私がギルドの入口でまごまごしていると、ジェシカさんが追いついて、声をかけてきた。
正直、心細いのですぐにでもすがりたいところだったが、ここで甘えてしまうとまた酷い目に遭わされるかもしれない。だったら、勇気を出して今頑張った方がマシだ。
ジェシカさんを無視して、私はズンズンとカウンターに進んでいく。
――ゴチン!
「へぶぅっ!?」
「サーシャ!?」
物の見事に、目の前を横切った恰幅のいい男性に、顔面から激突した。
痛い。鼻の頭をまともにぶつけた。こ、これくらいじゃ、ふわふわのスキルは発動しないんだね……。
「いた――くねぇ? なんかふわっと……」
くるりと振り返ったその人は、目と頬、それに鼻の頭に深い切り傷があった。うっ、怖そうな人だ……。
「おい、ガキ。お前ぶつかっといて侘びもないのかぁ?」
「ご、ごめんなさ――」
「そんな言い方しなくたっていいでしょ、大人気ないわね!」
ブルブル震えながらなんとか謝ろうとすると、ジェシカさんが私たちの間に割り込んできた。
ジェシカさん、私のために言ってくれてるのはわかるけど、これはありがた迷惑だよ! 謝って穏便に済ませようよ! 前見てなくてぶつかっちゃったのは事実なんだし!
「なんだてめぇ!?」
ほら、案の定怒っていらっしゃる!
しかし、覆いかぶさるようにしてガンを飛ばす男に対して、ジェシカさんはツンを顔を上に向けて睨み返すと、
「だいたい、そっちだっていきなり飛び出してきたじゃない! 君こそ、サーシャに謝ったらどうなのよ!」
「なんでぶつかられた俺が頭を下げなきゃならないんだよ! そもそも、そんなガキをこんなところに連れてくるんじゃねぇよ! もしかしてお前の子どもか? このアバズレが!」
「あ、あばず――っ! 違うわよ!」
男の言葉に、今度はジェシカさんが目を吊り上げた。あぁ、あなたもそのくらいにしておいた方が! きっと知らないんだろうけど、その人、この国のお姫様だよ!?
今にも腰の得物を引き抜いてお互いに斬りかかりそうな雰囲気に、私はただただおろおろしていた。何とか場を収めたいけど、二人を落ち着かせる方法が全然思い浮かばない。
すると、不意にジェシカさんが、ひょいと私の体を抱き上げた。
「この子はサーシャ・アルフヘイム! 予言にある聖域の勇者よ! これからあたしと、魔王を倒す旅に出るんだから!」
「は? 勇者?」
ジェシカさんの言葉に、目の前の男がきょとんとする。同時に、周りの人の視線が私に集まった。
こ、これ、すごく恥ずかしい。ジェシカさん、お願いだから下ろして!
私が涙目になりかかっていると、不意に、目の前の男が笑いだした。
「そんなちんちくりんが勇者だって? くだらねぇホラ吹きやがって! そいつが勇者になれるんだったら、俺はなんだ? 神様か?」
「嘘じゃないわよ!」
「お前らみたいな女のガキ二人が魔王と戦うなんて、冗談以外のなんだっつーんだよ!」
全く信じようとしない男に対して、ますます顔を真っ赤にしながら震えるジェシカさん。
この男の反応、当然といえば当然なんだけど……鑑定スキル持ってないのかな? かしこさ低そうだし。
私みたいに、持ってるけど使ってないだけかもしれないけど。一応、スキルの練習も兼ねて、この人のステータス見とこうかな……こういう強面の人って見掛け倒しのことも多いし、案外弱かったり。
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名前:ベルセリオ・アルフヘイム
種族:人間
年齢:32歳
職業:冒険者/戦士
Lv:35
HP:535/535
MP:0/0
攻撃力:406
防御力:381
素早さ:321
かしこさ:34
【スキル】
剣術(Lv3)
打撃術(Lv3)
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つよっ! このおじさんつよっ!! かしこさ以外全部ジェシカさんよりずっと高い! あとどうでもいいけど、私と同じ苗字なのがなんか嫌!
とにかく、こんな人にこれ以上楯突いたら殺されちゃう。すぐに謝らないと。私は、ジェシカさんのズボンの裾を引っ張った。
「ジェシカさ――」
「だったら冗談かどうか、試させてあげるわよ!」
腰の剣を引き抜いて構えるジェシカさん。
何をしてるのかな、この人は。バカなのかな? かしこさが68なのかな?
「じゃあ、試させてもらおうじゃねぇか!」
こっちもこっちで、背中に背負っていたロングソードを引き抜くかしこさ34。この人たちに、こんな建物の中で決闘なんかしたらダメという常識を求めることは不可能なようだ。
でも、さすがにこんな騒ぎになったら、誰かが止めてくれるよね? 少なくとも、冒険者ギルドの職員さんが……。
「お、喧嘩か喧嘩か?」
「いいぞ、やれやれー!」
「毎回恒例、冒険者ギルド投票権、販売開始いたします。一口100モースから」
「男の方に2000モース!」
「女の方に1000モースだ!」
煽ってる!? しかも、ギルドが賭けを主催してる! いいの!? 巻き込まれたり、建物が傷ついたりしちゃうかもしれないんだよ!?
きっとこのギルドの中には、かしこさがふた桁以下の人しかいないんだ。私がしっかりしなきゃ!
「ジェシカさん、ダメだよ! やめようよ!」
「サーシャ、危ないから下がってて。あと、これの中身、全部あたしに賭けてきて」
ジェシカさんは懐から金貨の入った袋を取り出して、私に押し付けてくる。
意外に抜け目ない! っていうか、ジェシカさんお姫様なんだから、お金に困ってないよねきっと。あと、勝つ気満々みたいだけど、その人ジェシカさんより強いからね!?
「ダメだよ、ジェシカさん! 逃げ――」
――ザシュっ!
「え?」
びちゃっと、私の顔に暖かい液体が飛び散った。同時に、重いものがごとっと床に落下する。
それはコロコロと転がって、私の足にぶつかり、こちらを見上げた。
それは、さっきまで私たちと向かい合っていた男の首だった。
「ひぃっ!? や、なんで……っ」
青ざめて、私はジェシカさんにしがみつきながら後ずさる。
剣を構えていたままだったジェシカさんも、転がる首を呆然と見下ろしている。
首を失った男の体は、どすんと膝をつくと、私たちの目の前に倒れ込んだ。
その傍らに立ち、真っ赤な液体をしたたらせる剣を握った女が、私の方に顔を向けて笑う。
「驚きました。本当に勇者とは、こんなに小さな子どもだったのですね?」
女は艶やかな長いロングヘアを揺らしながら、怪しく輝く紫の瞳で私をまっすぐに見つめ、革製のブーツで靴音を響かせながら歩いてくる。
あまりに凄惨な状況に、周りの人たちは動くことも、声をあげることもできなかった。
女は私の目の前で立ち止まると、すっと手にしていたロングソードを持ち上げて、その切っ先をジェシカさんに向ける。ふわりと、女が着ている黒いドレスのすそが舞った。
「初めまして。わたくしの名はカーミラ。気高きヴァンパイアの一族ですわ。魔王様の命を受けて、ローズクレスタに潜伏しておりました」
カーミラ、そう名乗った女性の持つ剣先からポタポタと赤黒い液体が滴り落ちる。
すると、周りで見ていた他の人たちが、騒ぎ出した。
「ヴァンパイアだって!? に、逃げ――」
「ああ、そうそう」
ひゅっ、と風切り音を鳴らして、カーミラの剣が閃いた。直後、出口に向かって走り出そうとしていた人たちの首が三つ、宙を舞う。
残った体から噴水のように吹き出した血が、私や周りにいた人たちの体を汚した。
「動かないでくださいね? あまり無意味に人間を斬りたくないんですよ。わたくし、若い乙女の血でなければ口に合わないものですから」
カーミラがぐるりと周囲を見渡すと、逃げ出そうとしていた人たちはみんな体を膠着させた。
ただジェシカさんだけは、私のことを守ろうとして背中に隠し、剣を構え直す。
「ローズクレスタに潜伏なんて、できるわけない。城壁は兵士と結界で守られてるし、強引に突破しようとすれば絶対にわかるわ。関所を通ろうとしても、鑑定のスキルで……」
「ただの雑魚相手なら、その対策で十分なのでしょうけどね。わたくしのような最上位の魔族は、色々と手段を持っておりますの」
鑑定のスキル? そ、そうだ、この女の強さは――
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名前:???
種族:???
年齢:???
職業:???
Lv:???
HP:???
MP:???
攻撃力:???
防御力:???
素早さ:???
かしこさ:???
【スキル】
???
______________________
ど、どうして!? 何もわからない!?
私が動揺していると、カーミラは視線をジェシカさんから私に移した。
「知らなかったのですか、勇者? 鑑定スキルを使われても、自分と相手のかしこさに大きな差がある場合は、ステータスを隠すことができるんですよ。特に、魔族にとって真名を知られることは厄介なことですからね。中には、ステータスを偽装できるスキルを持ったものもいます」
うっ、スキルを使ったことまでバレてる。まさかこの人、相手の心を読めたりしないよね?
それにしても、鑑定のスキルにそんな弱点があるなんて。前にココアのステータスを鑑定したとき、名前と種族しかわからなかったのもそういうことだったのかな。
「そうそう、別にステータスを隠しても関所は抜けられませんわよ? ステータスが見られない、という時点で怪しまれてしまいますし」
「おしゃべりだね。随分余裕じゃない? ローズクレスタの冒険者ギルドでこんなことして、無事で帰れると思ってるの? 早く逃げた方がいいんじゃない?」
カーミラの視線を遮るように、ジェシカさんは一歩前に踏み出す。カーミラが突き出した剣の切っ先と、ジェシカさんの構えた剣の切っ先が僅かに触れ合う。
「もちろん無事に帰れると思っていますわ? この場にいる人間を皆殺しにするのに、時間はいりませんもの。今、厄介な冒険者がクエストで出払っているのは確認済みですし、将軍クラスの騎士や宮廷魔術師を動かすにもまだまだ時間がかかりますわ。それまでに仕事はすみますもの」
「仕事ね……サーシャに何かするつもりなんでしょ? させないわよ」
「今までのは冥土の土産のつもりだったのですけれど、ついでにもう一つ教えてさしあげますわ」
「へぇ、何をかしら――っ!」
ザシュッ!!
「ジェシカさん!?」
「かは……っ!」
ジェシカさんの左肩を、カーミラの剣が深々と貫いていた。
吹き出した鮮血が、真後ろにいた私の顔にかかる。真っ赤に濡れた剣がゆっくりと引き抜かれると、ジェシカさんは肩を抑えながら、私の足元に倒れ込んだ。
「剣と剣が触れ合う距離、それはすでに、間合いに入っているということですわ。格下のあなたの方から、策もなく間合いに踏み込んで来るのは、あまりにも愚かではなくて? あんまり隙だらけだから、我慢ができませんでしたわ」
「ジェシカさん、大丈夫!? ど、どうすればいいの!? どうすればいいの、私!?」
私は倒れたジェシカさんに慌ててかけよった。肩の傷口は深く、血がとめどなく溢れ出している。
……どうすればいいの、じゃない! 私は看護師だ! 私が助けるんだ!
止血をしなきゃ。心臓と傷口が近すぎる、直接圧迫するしかない。綺麗な布が欲しい――けど、そんなもの持ってない!
仕方なく、服の一部を引き裂いて、ジェシカさんの傷口に押し付ける。布はあっという間に真っ赤に汚れて、必死に抑えているのに、脈打つように大量の血が溢れ出る。
これ……動脈まで傷ついてる。ダメだ、こんなの……すぐ手術しないと間に合わないよ……。
たった半月くらいの経験が、残酷な未来を私に悟らせる。あんなに苦しい思いをしたのに。必死に仕事をしてきたのに。私は、私を守ろうとして傷ついた人も助けられないの!?
「止まって! 止まってよ!」
「けなげですね、勇者。そして、無様ですね」
涙をこぼしながら、ジェシカさんの応急手当を必死にする私の傍らに、カーミラが立つ。
勇者……そうだ、何が勇者だ。流されて、よく考えもしないで、魔王討伐を引き受けた。魔王を倒そうとするってことは、魔王にも狙われるんだってこと、考えもしなかった。
今の自分のことばっかり考えて、だからジェシカさんを巻き込んだんだ! ジェシカさんごめん、私のせいで!
「助けてあげましょうか、勇者? その子を」
「え?」
思わず顔を上げて、カーミラを見下ろす。
カーミラは楽しげに、残酷な笑みを浮かべていた。
「条件があります。わたくしと一緒に、魔王様の元にいらっしゃい。そうすれば、その子は助けてあげましょう」
ぞくり、と私の背筋に寒気が走る。
ジェシカさんのことは助けたい。でも、魔王のところに連れて行かれるのは……怖い。
けど、だけど! 血が溢れて止まらないジェシカさんの傷口を抑えながら、私は――
「わ、わかった! わかったから! ジェシカさんを助けて!」
泣きながら、私は叫んでいた。
この世界に来てから、ずっとずっと心細かった。ジェシカさんは見ず知らずの私に、たくさん優しくしてくれた。出会ってからの、すごく短い時間で、たくさん。
この人は、この人だけは絶対に助けたい! そのためなら、どうなったって!
「あら、いいんですか? 忠告ですが、あとでやっぱりなどと断ることはできませんよ?」
「いいの! 私はどうなってもいいから、ジェシカさんは!」
必死に訴えかける私の言葉を聞いて、カーミラはにんまりと口元を歪め、笑った。
「ふふ……あはははは! 全くもって無様ですね! これが勇者ですか? 魔王様が唯一恐れた、予言の勇者がまさかここまで脆いなんて! 仲間一人助けられず、挙句、敵であるわたくしに助けを求める! 仲間を刺した張本人であるわたくしに!」
「いいから! そんなのどうでもいいから! 助けてよ、ジェシカさんを!」
「――どう……でも……よくない……よ……」
私の声を遮るように、倒れ伏してしたジェシカさんが声を漏らした。
「ジェシカさん!? 喋っちゃダメだよ!」
「サーシャ……逃げて……君は……勇者なんだか――げほっ!」
「ジェシカさん!!」
びちゃっと、ジェシカさんが血を吐き出す。意識を保っているのも不思議なくらいの怪我だ。喋ったりして体力を使ったら……。
でもジェシカさんは、首を傾けて、私に視線を向ける。
「魔王を倒せるのは……君だけなんだよ、サーシャ……あ、あたしがこいつは食い止めるから……げほっ!」
「無理だよ! ジェシカさん、すぐに治療しないと! ほら、こんなに血がっ!」
「……大人しくしていれば、命は助かったというのに。人間とはやはり愚かなものなのですね」
悪寒を感じて、私は顔をあげる。カーミラの表情から笑みが消え、血の滴るロングソードを逆手に構え直していた。
「血を吸って眷属にしてあげようかと思いましたが、これほど心が強いと歯向かわれる可能性もあります。勇者など力尽くで連れて行けばいいですし……憂いは断ちましょう」
ジェシカさんを殺す気だ。
直感的にそう理解して、気づけば私は――拳を握って、カーミラに殴りかかっていた。
「――あぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
「あら、可愛い抵抗ですね」
カーミラは私のパンチを、簡単に剣で受け止め、嘲笑うように笑う。
しかし、その直後――ぐにゃりと剣が粘土のように折れ曲がった。
「これは……」
ずっと余裕を浮かべていたカーミラの表情が引き締まる。
私は続けて左手も突き出したが、カーミラは変形した剣を投げ捨てながら飛び退いて、それをかわした。
渾身の一撃をかわされて、私はバランスを崩してたたらを踏む。
「勇者と呼ばれる理由がないわけではない、ということですか。妙な力を使いますね。接近戦は避けた方が良さそうです」
カーミラは私と距離をとったまま、胸の前でさっと両手の平を向かい合わせた。
「魔法で焼き払ってあげましょう」
魔法!? その言葉に驚いていると、カーミラの手の間に、真っ黒な炎の塊が出現する。
あれが魔法? どこからどう見てもやばそうだ。私は慌てて、カーミラに向かって突っ込んだ。
「深淵より来たれ、地獄の業火。ヘル・ファ――」
わぁーっ! こ、このままじゃ間に合わない! えぇい、何でもいいから突っ込め!
「たぁーっ!!」
カーミラが炎を放とうとした瞬間、私はカーミラの腰めがけて体当たりを食らわせる。
同時に、ふわっとした感触をおでこに感じた。あっ、これダメージ与えられてないやつだ。ゴブリンを殴ったときに何回も同じ感じあったもん。
やぶれかぶれの攻撃が失敗したことをさとって、私は絶望したが、待っていた結果は予想していないものだった。
「ふわぁ……」
カーミラが情けない声を漏らすと、手の中の黒い炎が消失する。
これって……もしかして、魔法防げた?
「な、なんなのですか、今の名状しがたき冒涜的なふわふわは!?」
慌てて、もう一度飛び退いて距離を取るカーミラ。
私の体って、正気を喪失しそうなレベルにふわふわなんだろうか。いや、確かに関所のときは、みんなおかしくなっていた気もするけれど。
と、とにかく、私でも戦える。やっつけられないかもしれないけど、向こうの攻撃も効いてない。うまくすれば、森で戦ったおじさんたちのときみたいに、追い払えるかも。
「こ、これが勇者の力だよ! お前もふわふわにしてやろうかぁ!」
一体、何を言ってるんだろうか私は。
「確かに、宇宙的恐怖すら覚えるふわふわではありましたが、先ほどの接触でダメージはありませんでした。魔法を使うための集中は乱されてしまうとしても、それならば接近戦で片付けてしまえば問題ありません」
カーミラが軽く腕を振るうと、ジャキン、と右手の指から五本の巨大な鉤爪が生えた。一本一本がナイフと同じくらいの長さがある。
でも、ああいうタイプの武器なら、さっきの剣と同じ感じで防げるはず。
「ズタズタに引き裂いてあげます!」
踏み込んで、なぎ払うように腕を振るうカーミラ。私はその攻撃を腕でガードした。
ふわふわのスキルが発動して、衝撃が吸収される。すかさず、鉤爪を手で掴むと、ぐりっとひねるようにして折り曲げた。
「金属だけを変形させるわけではないということですか」
あてが外れたようで、カーミラは顔をしかめる。いける、今のところ、攻撃は全部防げてる。
直後、ふわっとした感覚が私の左頬に触れた。
「……そして、効果があるのは腕だけではない」
「なっ!!」
私は慌てて、左頬に押し付けられていたカーミラの爪を手でつかみ、折り曲げる。
カーミラは飛び退いて後ろに下がると、両手を左右に広げた。すると、ぐにゃぐにゃに折れ曲がっていた爪が再びまっすぐに伸びる。
「この爪はわたくしの体の一部を変形させたもの。変形させられたなら、もう一度変形させればいい。軟化させられたなら、もう一度硬化させればいい」
それって、何回折り曲げても治っちゃうってこと!? そんな――す、ステータスっ!
______________________
名前:サーシャ・アルフヘイム
種族:人間
年齢:10歳
職業:勇者/ビーストテイマー
Lv:2
HP:21/21
MP:18/28
攻撃力:10
防御力:8
素早さ:14
かしこさ:105
【スキル】
ふわふわ(Lv1)
魔獣使い(Lv1)
鑑定(Lv1)
______________________
ふわふわが使えるのは、あと9回。相手の爪は何度でも治せるみたいなこと言ってたし、どうすればっ!?
「それで、あなたはあと何回、今の力でわたくしの爪を防げるんでしょうかね? 勇者」
私の不安を見透かしたように、カーミラはそんな質問を投げかけてくる。
だめだ、逃げるしかない。外に出て、グリフィーネに乗って空に逃げれば追ってこられないかも。
「忠告しますが、逃げ出せばここにいる者の命はありませんよ?」
ジリジリと下がろうとしていたところに、そんな言葉を投げかけられて、私は体を硬直させる。
攻撃は効かない。あっちの攻撃は、あと9回しか防げない。おまけに、逃げることもできない。もう、打つ手がないよ。
「もう一度提案しましょう。わたくしと一緒に来なさい、勇者。抵抗をやめるなら……あの娘を助ける気はもうありませんが、他の者は見逃しても構いませんよ」
表情に余裕を取り戻し、カーミラが私にそう告げる。
……ここで私が大人しくついていけば、ジェシカさんは治療を受けられるかもしれない。この国の王女様なんだ。何としても助けようとするはずだ。それに、私がついていけば、他の人たちも殺されなくて済む。
ごめん、ジェシカさん。私はもう、こうすることしかできないよ。
私が諦めて頷こうとした、そのとき、
「か、かかれぇ!」
「ファイアボール!」
「アイスニードル!」
周りに居た人たちが口々に叫ぶと、カーミラに向けて魔法を放った。
無防備に立っていたカーミラは、彼らの魔法の直撃を受ける。
「くっ! ……何のまねです?」
カーミラはわずかに顔をしかめただけで、自分を攻撃してきた人たちをにらみつける。
全然効いている気配がない。それでも、周りの人たちはもう一度、魔法の準備をし始めた。
「命惜しさに、そんな子どもを見殺しにしたとなったら、冒険者の名折れなんだよ!」
「そうよ! その子が立ち向かっているのに、私たちが戦わないわけにはいかないわ!」
「俺には、その子と同じくらいの歳の娘がいる!」
「その子は勇者だ! 世界の希望だ! こんなところで奪われてたまるか!」
炎の弾丸。こぶし大の氷柱。肌を切り裂く真空波に、壁に穴を穿つ光線。
様々な魔法がカーミラに向けて放たる。一発一発はほとんど効いていない様子だったが、立て続けに打ち込まれる攻撃の衝撃で、カーミラはふらつき、反撃に出られない様子だった。
「勇者様! ここは私たちで食い止めますから、逃げてください!」
「俺たちのことは気にしないで! 早く!」
「そ、そんな、ダメだよ!!」
必死にカーミラを攻撃しながら、私に呼びかけるみんなの言葉に、思いっきり首を振った。
やめて、こんなことしたら本当にみんな殺されちゃう。私が勇者なのに弱いから。勇者なのに、何もできないから。
「食い止める、ですか。勘違いさせるのは申し訳ないですね。魔法で一気になぎ払ってあげましょう――漆黒の茨よ。愚者の魂を絡めとり冥府へと導け」
カーミラは片手で襲いかかる魔法をガードしながら、もう片方の手のひらを床に向ける。
魔法! 私が防がなきゃ!
「咲き誇れ、イービル・プラ――」
「させるかぁーっ!!」
「ふわぁ~……」
ぽふん、とタックルして詠唱をキャンセル! ……真面目にやってるんだよ、これ?
「「「チャンスだ、いけぇ!」」」
「くっ! ひ、卑怯ですよ! うぐっ!」
ふわふわで脱力したカーミラに、容赦ない追撃が襲いかかる。
今のところ優勢だけど、今のでまたMPが……。カーミラから少しだけ離れて、また魔法を使った瞬間に飛び込めるよう準備していると、後ろから肩をちょんちょんとつつかれた。
「あの、勇者様。よければこれを、飲むとMPが回復するポーションです」
「え!? そんなのあるの!? も、もらう!」
魔法使いっぽい格好をした女性が差し出してきた小瓶を、私は半ばひったくるようにして受け取り、中身を一気に飲み干した。
う、うっげぇ、にっがぁ……ゴーヤの汁をそのまま飲んだみたいな味がするぅ……。
ええと、肝心のステータスは……。
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名前:サーシャ・アルフヘイム
種族:人間
年齢:10歳
職業:勇者/ビーストテイマー
Lv:2
HP:21/21
MP:28/28
攻撃力:10
防御力:8
素早さ:14
かしこさ:105
【スキル】
ふわふわ(Lv1)
魔獣使い(Lv1)
鑑定(Lv1)
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すごい、全回復してる! あ、でもこれだったらもっとギリギリになってから飲めばよかった!
「まだまだありますから、勇者様!」
「ホントに!? もらっていいの!?」
「もちろんです、どうぞ!」
女性はポーションを5つほど、私に手渡してくれる。すごい、こんなにあったら、いくらでもふわふわできるよ!
「もうしばらく持ちこたえろ! 助けを呼びにいったやつがいる! 城の兵士や魔術師がかけつけてくれるはずだ!」
続けて、また嬉しい知らせが。このままカーミラの動きを封じ続ければ、助かるかも知れない。
そのとき、魔法の攻撃を受け続けていたカーミラが、ポツリと呟いた。
「……忌々しいですが、潮時ということですか」
直後、カーミラの体から、黒いもやのようが漏れ出した。
同時に、カーミラの体がボロボロと崩れ落ちるように消えていく。
な、何これ!? とりあえず、ふわふわを!
私は慌ててカーミラにタックルしたが、手応えはなく、私の両腕はもやになったカーミラの身体をすかっと擦りぬける。
黒いもやは少し離れたところに集まると、形をつくり、
『時間切れです。今回だけは引いてあげましょう』
一匹の小さなコウモリへと変化した。
「な、なんだあれは!?」
「聞いたことがある! ヴァンパイアは色んな姿に変身できるんだ!」
「ってことは、あのコウモリがあの女ってことか! なら攻撃だ! いけぇ!」
すかさず、冒険者たちはコウモリになったカーミラへ向けて魔法を放った。
しかし、カーミラは巧みに空中を飛び回り、全ての魔法を回避してしまう。
『無駄ですよ。こうなったわたくしを捉えることはできません。体の強さは変わりませんし、当たったところで効きませんが。そもそも、ヴァンパイアは不死ですし』
カーミラの言葉を聞いて、冒険者たちは攻撃をストップする。
今の話を信じるかどうかは置いておいて、無駄打ちしすぎてMPがなくなったら大変だし、攻撃を中断するのは間違った判断ではないだろう。
私たちがじっと見上げていると、カーミラはひらひらとはばたきながら、私の方を向いた。
『この退却は、確実に魔王様の命を果たすためのもの。次に遭うときは、あなたが死ぬときです、勇者。その日を震えて待ちなさい』
ぞっとするほど冷たい声。その奥には、はっきりと怒りの感情が込められていた。
私を殺せなかったことが、よっぽど悔しいんだ。それはつまり、次こそは本当に、何があっても私を殺そうと思っているということで……。
何も言えずに立ち尽くしていると、カーミラは出口に向かって飛び始めた。ただ一匹のコウモリを、ギルドの中にいる誰もが、なすすべもなく見送っていく。
そのときだった。小さな影がぴょん、と飛び上がり――ぱくっとカーミラの身体をくわえて着地した。
影がくるっと私の方を向く。茶色っぽいクリーム色のふさふさした顔と、まん丸のつぶらな瞳。影の正体はココアだった。
『は?』
カーミラが、呆然として声を漏らす。
私もびっくりしていた。というか、今の今までココアのこと忘れてた……。
『は、離しなさい、汚らわしい獣め!』
「ナァーオ」
翼をばたつかせるカーミラを、ココアは両手で床に押さえつける。そして、ココアは口を開きながら、ゆっくりとカーミラに顔を近づけていった。
あの感じは……ま、まさかココア!? 食べる気!?
『わ、わたくしを食べようというのですか、愚かな獣め! いいでしょう、わたくしは不死です。腹の中で人の姿に戻り、中から引き裂いてあげましょう』
「だ、ダメー! ココアやめて! 食べちゃだめー!」
私は慌てて叫んだが、ココアは止まらず――
ボキっ!
『かひゅっ』
カーミラの脊髄が砕ける音がすると同時に、カーミラの息が漏れる音が聞こえた。
そして、それっきりカーミラは静かになり、ボキボキとココアがコウモリの頭蓋を砕く音だけがギルドに響く。
ぐ、グロイ……じゃなくて……えっと、あれって本当に生きてるのかな?
私は確認のために、カーミラに対して鑑定スキルを使ってみた。
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名前:カーマイン・レ・リファーニュ
種族:ヴァンパイア
年齢:450歳
職業:魔王のしもべ/暗黒魔剣士
Lv:62
HP:0/1650
MP:722/1952
攻撃力:756
防御力:662
素早さ:723
かしこさ:855
【スキル】
闇属性魔法(Lv9 Max)
剣術(Lv9 Max)
不死(Lv-)
変身(Lv9 Max)
【備考】
死亡
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ステータスに備考欄ってあるんだ!? あとそれ備考に書く事じゃないよ!? そもそも不死じゃないの!? 死んでるけど!?
っていうか、めちゃくちゃ強いよ、カーミラ! こんなの、普通に戦っても倒せるわけない!
と、私が心の中で突っ込みまくっていると、
『テレレテテッテッテーン♪』
頭の中に鳴り響いたのは、随分懐かしく感じる、彼の声だった。