ふわふわ6 幼女と王女のイケナイ関係
「よし、じゃあまずは賤民街の冒険者ギルドに行こっか」
編み込みを解き、せっかく綺麗に梳かした髪を無造作に紐で縛ったジェシカさんは、開口一番そういった。
服装も、出会ったときに着ていた無骨なレザーアーマーに戻っていた。着ていた真っ赤なドレスや身につけていた装飾品は、まとめて天蓋付きのベッドの上に放り出されている。
「もう出かけるの!? 私、さっきついたばっかりなのに……」
「あっ、そうだったっけ? ごめんごめん。じゃあ、少し休憩してからにしよっか。ソファーでもベッドでも、好きなところに座っていいよ?」
私が悲痛な声をあげると、ジェシカさんは苦笑しながらそう言った。
私はほっとため息をついて、そばにあった大きなソファーに腰を下ろす。
……うわぁ、ふっかふかだ。お尻が痛くない。獣車の椅子とは全然違う。
ソファーの座り心地に私が満足していると、隣にぴょこんとココアが飛び乗ってて、こてんと横になった。ああ、ダメだよ、ココア。高級ソファーに毛が……。
「サーシャ、お腹すいてない? なにか、用意してあげよっか?」
「い、いいよ! そんなの!」
「遠慮しないの遠慮しないの」
私は慌てて首を振ったが、ジェシカさんはテーブルの上に置かれていたベルを拾い上げて、軽く鳴らした。
その瞬間、ドアが開かれて、若いメイドさんが3人中に入ってくる。
「勇者様にお茶とお菓子、出してあげて。ケット・シーは……何食べるんだろ。ミルクでいいかな? 任せるよ」
「了解しました」
メイドの一人がジェシカさんに頭を下げている間に、残りの二人のメイドが脱ぎ散らかされていたジェシカさんのドレスを片付ける。
三人のメイドは一緒に出口で一礼すると、部屋を出てから静かに扉を閉めた。なんていうか、ジェシカさんって本当にお姫様なんだ……。
「なにか言いたそうな顔だね、サーシャ」
「え!? ち、違うよ! 何でもないよ!」
いじわるな笑みを浮かべるジェシカさんに、私はブンブンと首を振る。
「別にいいんだよ、正直に思ったこと言って。おてんば過ぎて、お父さんにも諦められてるしさー。けど、そのおかげで自由にさせてもらってるし、サーシャのおともも許可してもらえたんだけど」
「で、でも! ドレス着てるときのジェシカさん、綺麗だったよ?」
「へぇー、別人みたいに? だから、あたしだって気づかなかったんだ? 普段のあたしはよっぽど綺麗じゃないんだねー?」
「あうあうあうーっ! そ、そういう意味じゃないー!」
ジェシカさんにほっぺたを軽くつままれて、私は手足をバタつかせる。実際、全くの別人に見えたが、本音を言ったらもっとひどい目に遭わされてしまう。
「あぁー♪ ほっぺまでふわふわ~……サーシャの抱き心地最高ぉ~♪」
「うぁー! 離れてぇ! おしりいたーい!」
ジェシカさんはそのまま倒れ込んできて、私の体をぎゅうっと抱きしめた。ソファーのふかふかで何とか守られていたおしりが、刺激を受けて悲鳴を上げる。
なんだこれは、本音を言わなくても結局ひどい目に遭うんじゃないか。私は必死に両手を伸ばして、ジェシカさんの体を押しのけようとする。
ふにっ。
「あんっ!」
手に柔らかい感触を覚えると同時に、ジェシカさんが上ずった声を漏らした。
なんだ、今の? ふと自分の手元を見れば、私の手はジェシカさんの脇から、レザーアーマーの隙間に潜り込んでいて……。
「ご、ごめんなさい!」
「あっ……」
私が大慌てで胸元から手を引っこ抜いたとき、ジェシカさんが漏らした甘い声が、妙に耳に残った。
女同士だし、わざとでもなかったのに、強い罪悪感を覚える。というか、ジェシカさんも変な声を出さないでよっ!
私が柔らかい感触の残る手を抱きしめていると、ジェシカさんはなぜか身につけていたレザーアーマーを外し始めて――
「サーシャ、甘えたいんだったら、遠慮しなくていいんだよ?」
「え? え!?」
布製のシャツとショートパンツという格好になったジェシカさんは、私の手を取ると、熱っぽい視線を向けてきた。
潤んだ目と唇、その隙間から漏れ出す艶のかかった吐息。
ど、どうしちゃったんだろう、この人。私が困惑していると、ジェシカさんはぐっと手を引いて、
私の手のひらを、自分の胸に強く押し付けた。
「ななな!? なななななな!?」
「ふわぁ~♪ 胸がふかふかに包まれて……これたまらないよぉ……」
「ジェシカさん!? ダメだってばこんなこと! ジェシカさーん!!」
再び手を包み込んだ柔らかい感触に、私は頭を沸騰させる。
私にこんな趣味なんてないのに! け、けどこれ、すっごく柔らかい! おっぱいってこんな感じだったっけ? い、いけない気分になっちゃう……っ!
「はう……いいんだよ、サーシャ……一人で寂しかったんでしょ……? あたしには、いっぱい甘えてもいいから……ふわふわ気持ちいい……」
「だ、だめぇ……」
口では抵抗してみるものの、私の手はジェシカさんのおっぱいを掴んで離さない。あろうことか、ジェシカさんはもう片方の手も掴んで、自分の胸元へ持っていこうとしている。
これ以上は本当にダメだ。踏み込んではいけない世界に踏み込んじゃう。けど、抗えない!
「サーシャ、もうちょっと強くしても――」
残った手が、ジェシカさんの胸に押し当てられる。こ、このままじゃ本当にイケナイ関係にっ!!
コンコン。
「姫様、お茶のご用意ができました」
ガチャリとドアが開かれて、さっきのメイドさんたちが顔をのぞかせた。
メイドさんたちは、私に覆いかぶさるジェシカさんと、ジェシカさんの胸を揉みしだいている私を交互に眺めると、
「そういう関係でいらっしゃいましたか」
「ち、違う!?」
私は慌ててジェシカさんの胸から手を離し、下から這い出した。
っていうか、そういう関係ってどういう関係!? いや、今のはやっぱりなし! 聞きたくない!
「ちぇっ、いいところだったのになぁ」
一方で、ジェシカさんは唇を尖らせながら、脱ぎ捨てていたレザーアーマーを身に付ける。
いいところじゃないよ、危ないところだったよ。というか、ジェシカさんは見られて恥ずかしくないの!?
私が非難の目でジェシカさんをにらんでいると、何を勘違いしたのか、
「……あたし、こういうことが好きなわけじゃないよ? サーシャに触られるのが気持ちよすぎたからで……そもそも、あたし処――」
「姫様、お茶の準備をさせていただいてもよろしいでしょうか」
メイドさん、ナイスインターセプト。
っていうか、十歳の女の子に向かって何言ってるのかな、ジェシカさんは! 中身が大人だからよかったけど! いやむしろ良くないよ!
衝撃的な現場を目の当たりにしているのに、さすがはプロといったところだろうか。メイドさんたちは、粛々とティータイムの準備を進めてくれていた。
メイドさんたちが運んできたワゴンには豪華なティーセットと、二人ではとても食べきれないほどの、美味しそうなお菓子が乗せられている。
それらを手際よくテーブルに並べると、メイドさんたちは一礼して立ち去っていった。
「サーシャ、お腹すいてるよね? いっぱい食べていいよ?」
「…………」
ニコニコとお菓子を手で指すジェシカさんと、テーブルを挟んで反対側に移動すると、私はショートケーキによく似たお菓子を手づかみで食べる。
ん、甘い……空腹のお腹に染み渡る……。
「さ、サーシャ? あの……そんなに離れなくても、こっちで食べたら?」
「…………」
気まずそうに声をかけてくるジェシカさんの言葉を聞き流しながら、私は次に、シュークリームと似たお菓子を口に運ぶ。
ん、これクリームと一緒に、甘酸っぱいジャムが入ってる。生地もサクサクしてて、シュークリームよりもデニッシュに近いかも。
こんなに美味しいお菓子を、この世界で食べられると思わなかった。ここに来る間に見た露店の料理も楽しみだなぁ。
「サーシャ、手で食べたら汚れちゃうよ? ほら、お皿にとってあげるから……」
「ナァーオ」
「ココアもお腹すいた? ミルク飲む?」
サーシャさんが差し出してきたお皿を受け取って、上に載っていたフルーツタルトっぽいお菓子を口に放り込む。
ん、私の知ってるクリームタルトより生地がパンに近い。乗ってるフルーツも、マンゴーかと思ったけど、ちょっとすっぱいね。
私は空になったお皿にミルクを注いで、ココアの前においてあげた。ココアはくんくんとミルクの匂いを嗅ぐと、やがて美味しそうに舐め始める。
「サーシャ……」
「ココア、ケーキのクリームも食べる?」
「あの、サーシャ……」
「ケーキも食べられるんだ、ココア。クッキーも食べるかな? あっ、食べた。美味しい?」
「サーシャ! 無視しないでよ! 謝るからぁ! もうしないからぁ!」
……そろそろ許してあげるか。ココアの傍らにしゃがみこんでいた私は、ようやくジェシカさんの方へ顔を向けた。
「聞きたいことがいっぱいあるんだけど」
「な、何、サーシャ? 何でも聞いて?」
「なんで、お姫様がそんな格好でお城の外にいたの? 出会ったときに、冒険者だって言ってたし」
「さっきも言ったでしょ? おてんば過ぎて、お父さんにも諦められてるって。あたし、お城の暮らしが性に合わないから、冒険者やらせてもらってるんだ。城の外にいたのは、受けていたクエストの帰りで、たまたまね」
「関所を出て別れたあと、どうやってお城まできたの? 私、獣車に乗ってきたけど、一時間くらいかかったわ。ジェシカさん、私よりずっと早くついてたように見えたけど」
「あたしは、別の乗り物に乗ってきたから。獣車よりずっと速いやつにね。また、あとで見せてあげるわ」
「じゃあ、その……」
次の質問を口にするかどうか、私は少し迷った。
鑑定スキルを持っている人は、相手のステータスを見ることができる。それはつまり、鑑定スキルを持っていれば、私が勇者であることはわかる、ということだ。
そして、鑑定スキルを使ったかどうかは本人にしかわからない。つまり、ジェシカさんが私に親切にしてくれたのは……。
「……ジェシカさん、最初に出会ったときから、私が勇者だってわかってたの? 勇者だったから、優しくしてくれたの?」
「サーシャ、鑑定スキル持ってるんでしょ? あたしのステータス、見てみてよ」
私の質問に答える代わりに、ジェシカさんは私にそう返してきた。
鑑定スキル……ココアのステータスを見たときと、スライムやゴブリンのステータスを見たとき以外は使ってないや、そういえば。
私は言われた通り、ジェシカさんに対して鑑定スキルを使用する。
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名前:ジェシカ・ハイルブロント
種族:人間
年齢:18歳
職業:王女/冒険者/戦士
Lv:24
HP:381/381
MP:0/0
攻撃力:242
防御力:178
素早さ:309
かしこさ:68
【スキル】
剣術(Lv2)
打撃術(Lv1)
騎乗(Lv1)
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強い! レベル高い! あ、でもMPが0でかしこさも68……私より低い……。
それに、職業が三つもあるけど……うん、やっぱり本当に王女様だ。
「あたしのステータス見た?」
「うん」
「鑑定スキル、なかったでしょ?」
「あっ……」
言われてからようやく気がつく。そっか、だからジェシカさん、ステータス見ろって言ったんだ。
鑑定スキルがないってことは、ジェシカさんは私が勇者だって知らなかったということ。
「サーシャのことは、ここについてから、お父さんに色々聞いたんだ。エルザが鑑定スキルで見た情報をお父さんに報告してたみたいで、ココアがケット・シーだっていうのもそれで知ったの。そのときに、私が知ってるサーシャのこともお父さんに話したんだけど」
だから、王様、私の記憶がないこと知ってたんだね。
「ただ、サーシャが鑑定スキルを持ってるって聞いたときは焦ったよ。王女だってことバレちゃってるのかなって。けど、そんな様子なかったし、鑑定スキル使ってないのかなとは思ってたけどね。なんで使わなかったの?」
「魔物相手だったらいいけど、人間に使うのは……秘密を勝手に盗み見るみたいで……」
「偉いね、サーシャは。けどね、身を守るためには使った方がいいよ? 悪い人かどうかは、職業やスキルを見ればわかることが多いから。鑑定スキルを持ってる人の中では、初対面の人にはまず鑑定スキルを使うのが常識らしいしね」
「う、うん。次からそうする」
素直にうなずいたのは、森での経験を思い出したからだ。あのおじさんに鑑定スキルを使っていれば、あんなふうに騙されることもなかったかもしれない。
「鑑定スキルは珍しいスキルじゃないけど、誰でも覚えられるスキルってわけじゃないから、大切にした方がいいよ? かしこさが他の能力より高い人しか覚えられないらしいから」
「だから、ジェシカさんは覚えてないんだね」
「あはは……そういうことはいちいち言わなくていいの。それで、聞きたいことはそろそろ終わりでいいかな?」
「えっと、さっき王様が王位継承第三位って言ってたけど、ジェシカさんって兄弟が――」
「あー、もう! 百聞は一見にしかずだよ、サーシャ? 質問ばっかりしてないで、自分で色々見て確かめた方がはやいって」
質問を続けようとした私をジェシカさんはひょいっと抱き上げた。
ふぐっ! お、おしりがまだヒリヒリしてるのに!
「はふぅ、ふわふわ……とりあえず、もう一回賤民街にもどるよ。さっきも言ったけど、冒険者ギルドにいって、冒険者としての登録をしなきゃ」
「頬ずりしないで……登録するって、冒険者になるってこと? なんで私が冒険者にならないといけないの?」
「色んな街に行くには、冒険者になるのが一番いいんだよ。ギルドカードを見せれば、手続きなしでどんな街にも入れるし。魔王を倒す旅をするなら、まずは冒険者にならなきゃ」
へぇ、そんなに便利なカードがもらえるんだ。それなら確かに、冒険者になった方がいいと思うけど……。
「私でもなれるのかな?」
「サーシャは勇者なんだから大丈夫。お父さんが話を通してくれてるみたいだし。試験は受けてもらわないといけないけど、あたしも手伝うから」
「え? 試験があるの? どんな試験? それなら、ちゃんと勉強してからでないと――」
「大丈夫大丈夫」
「せ、せめて、残ってるお菓子食べたい!」
「あとでいくらでも食べさせてあげるから」
「紅茶も全部飲んでないー!」
「あとでまた淹れてあげるから」
私の訴えを完全に無視して、ジェシカは私を抱き抱えたまま、強引に部屋を出る。
締まりかけた扉の隙間から、ココアが小走りに走り出してきて、ナァーオと文句を言うように鳴いた。
結局、私は宮殿で過ごす時間をゆっくり楽しむこともなく、賤民街へとトンボ返りするのであった。