ふわふわ5 王との謁見
「あの、あたしも一緒に行っていいかな!」
受付のお姉さんと一緒に関所を出た私を、ジェシカさんが追いかけてきた。
「ジェシカ・ハイルブロントさんですね。すみませんが、私の判断で勇者様以外の方を国王のところへお連れすることはできません。身元保証人の手続きは済んでいますから、謁見の後、勇者様をあなたのところへお連れすることはできますが」
「そっか……わかった。じゃあ、また後でね、サーシャ。ごめんね」
ジェシカさんはそういうと、私たちを追い抜いて行ってしまった。
ジェシカさん、来ないんだ。何だか、すごく心細い。二回ほど辱めを受けたとはいっても、やっぱり頼りにしていたのに。
「ジェシカさん! あの、私どうすればいい!?」
「ちゃんと迎えに行くから大丈夫だよ。心配しないで」
大声で背中に声をかけると、ジェシカさんは一度だけ振り返って、そう返す。
大丈夫なのかな、待ち合わせ場所とか決めなくて。会えなかったらどうしよう。不安だ。
「勇者様、私たちも行きましょう。乗り物は用意してありますから、こちらの方へ」
「乗り物?」
この世界の乗り物ってなんだろう? 車なんてあるはずないし、やっぱり馬車かな? 熊がいたし、馬がいてもおかしくないよね。
受付のお姉さんに連れられて少し歩くと、視界に幌のかかった大きな馬車が映った。あぁ、やっぱり馬車なんだ。馬車なんて乗ったことないし、ちょっとワクワクする。
馬車を引く馬はどんな見た目なんだろう? 私は確認するために、ココアを抱えたまま、馬車の前の方へ回り込んだ。
「わぁっ!?」
思わず、声を上げてしまう。
馬車の前にいたのは、馬ではなかった。巨大な鳥だ。ずんぐりと体が大きく、足も丸太みたいに太く、短い。顔はカモによく似ていて、目は小さく、クチバシはひらべったかった。
全身を覆う羽毛は茶色くてもこもこしており、羽毛というより体毛に近い見た目をしていた。抱きついたらふかふかして気持ちよさそうだ。
「ガービーです。見たことありませんか?」
「ガービー……」
受付のお姉さんの説明を聴いて、私はじーっとガービーに魅入る。
馬車に繋がれているガービーは二羽。よくしつけられているのか、もともとの性格なのか、二羽ともすごくおとなしくしている。
「触っても大丈夫ですよ?」
「う、うん」
受付のお姉さんの言葉に顔を輝かせて、私はガービーに駆け寄った。そっと、もこもこした羽毛に手を押し付ける。
見た目よりも、随分硬い手触りだった。キレイに刈り取った芝生と似たような感触がする。ごわごわした弾力を、私は何度か楽しんだ。
「ガービーはハイルブロント王国で広く飼育されている家畜で、獣車や農耕にも使われますし、肉もよく食べられています」
「え、食べちゃうの?」
「はい。でも、その子たちは食べませんよ」
驚く私を見て、受付のお姉さんはクスクスと笑う。こ、子ども扱いされてるなぁ……確かに、今は子どもなんだけど。
「ガービーは卵も栄養豊富で美味しいんですよ。それに、羽毛は服や装飾、寝具に使われますし、骨も太くて上部なので色々な道具の素材になります。私たちの生活には欠かせない家畜なんですよ?」
「そうなんだ。すごいんだね、ガービー」
ごわごわの羽毛を手でぎゅっぎゅっと押していると、足元でココアが「ナァーオ」と鳴いた。何だか不満げな声だ。
「わかってるよ。ココアもすごいよ」
「ナァーオ」
ひょいっとココアを抱え上げてあげると、期限良さそうに顔を腕にこすりつけてきた。
うんうん、良い子だから、今度こそピンチになったら助けてね、ココア。
「勇者様、どうぞ、乗ってください」
受付のお姉さんは幌をめくってから、ご丁寧に足元には踏み台をおいてくれた。
いたれりつくせりで恐縮だったが、踏み台がないと今の体では馬車――お姉さんは獣車と言ってたっけ――に乗ることができないので、ありがたく使わせてもらう。
獣車の中は簡素な作りで、木製の座席にはクッションどころか革や布も貼られてはおらず、木の板がむき出しになっている。
ずっと座っていたら、お尻が痛くなりそうだな。私が席に着くと、お姉さんも御者台に上がって、二羽のガービーにムチを入れた。
すると、のっそりとガービーたちは歩調を合わせて歩き出し、力強く獣車が引っ張られる。
「わぁ、進んだ進んだ!」
「そりゃあ進みますよ」
思わず声をあげてしまった私を見て、受付のお姉さんはクスクスと笑う。あう、何だか恥ずかしい。これじゃあ、本当に子どもみたいだ。
だけど、気持ちが高ぶってしまうのを、私は抑えられなかった。
この獣車という乗り物は、私の世界にあった車よりもずっと遅いし、揺れも大きく騒音がひどい。
しかし、それを引いているのは、私が今まで見たこともない生き物なのだ。早い話が、今になって私はようやく、メディオクリスという世界を純粋に楽しみ始めていた。
獣車は今、広い道の真ん中を進んでいる。左手には大きな水路があり、右手には露店や屋台が並んでいた。
店に売られている食べ物は、よく見ると見覚えのないものばかりだ。日本で食べていたものと似ているものもちらほらとはあったが、それでも形や色なんかが少し違って見える。
それに、剣や槍といった武器も普通に売られていた。私でも扱えそうな小さめのナイフや、綺麗なアクセサリーも置いてある。他に変わったものだと、青白く光っているランプとか。
「身を乗り出さないでくださいね、勇者様。危ないですから」
「は、はい! ごめんなさい!」
幌をめくり、夢中になって露店を眺めているのを、受付のお姉さんにたしなめられた。
お金がないから何も買えないけど、あとでじっくり見て回りたいなぁ。
「ローズクレスタは高さ20mの城壁と深さ5mの堀に囲まれた城塞都市です。城壁の中は、さらに二重の城壁と堀によって隔てられています。外側から順に、城壁、外壁、内壁と呼び分けられています。左手に見えている堀は、外壁の外側を囲んでいるものです。今は、外壁の南門にかかっている橋を目指しています」
「王様に会いにいくんだよね? 私」
「はい、国王がいらっしゃる宮殿は内壁の内側、その中央にあります。内壁の内側は貴族街と呼ばれていて、非常に地下が高く税率も高いので、名前の通り王族や貴族、もしくは大富豪しか住むことができないんです」
「普通の人はどこに住んでいるの?」
「人口が一番多いのは、城壁と外壁の間、ここ賤民街ですね。土地の値段が安くて税率も低いので、ローズクレスタの中で一番貧しい人たちの暮らす場所です。とはいえ、身元のしっかりしていない人間はローズクレスタに入ることすらできませんから、いわゆるスラムのような場所はありませんよ。治安もいいです」
「じゃあ、私が一人で歩き回っても大丈夫かな?」
「それは少し心配ですかね。他の都市に比べれば治安がいいといっても、犯罪がないわけではないですから。出歩くなら、内壁と外壁の間にある市民街にしておいた方が無難でしょう」
「そこにも、ここみたいな露店があるの?」
「いえ、市民街に住んでいる人も貴族街ほどではないとはいえ、かなり裕福な人たちですから。ここにあるような露店はありませんね。でも、市民街の店は由緒ある老舗ばかりですから、見ごたえはありますよ。置いてある商品の値段は、こことは桁が違いますけど」
「王様のところに行くまでに、市民街を通るよね? そこには、どれくらいで着くの?」
「ローズクレスタは広大なので……三十分程度で市民街には着きますが、王宮に着くまでにはそこからさらに三十分ですね」
受付のお姉さんは申し訳なさそうにしていたが、私は全然平気だった。
この街は面白いものばかりだし、一時間くらいなら退屈しそうにない。むしろ、観光ツアーに連れてきてもらったみたいでお得な気分だ。
あ、堀で小舟を漕いでる人がいる。お金を払えば、あれにも乗せてもらえるのかな。よく見たら釣りをしている人がいるし、魚も泳いでいるのかもしれない。
早く王様との話を終わらせて、ジェシカさんとこの街を歩きたいな。そんなことを考えながら、私は獣車の中で揺られていたのだった。
***
「お疲れ様でした。到着しましたよ、勇者様」
受付のお姉さんが手綱を引いて、ガービーを止める。
そして、御者台から降りると、幌をめくって私に声をかけてきた。
「勇者様、今、踏み台を用意しますから……勇者様? あの、どうなさったんですか?」
私の様子を見て、お姉さんは怪訝そうに眉をひそめた。
私は幌の中でうつ伏せになり、両手でおしりを押さえたまま、低く呻くように訴える。
「お、お尻が……お尻がぁ……」
泣きながら、私はヒリヒリと痛むお尻を私はさすっていた。
獣車の振動をなめていた。テンションが高い最初のうちは平気だったけど、絶え間なく与えられ続けた衝撃により、私のお尻は二十分ほど前から限界を迎えていた。
ただ、お尻が痛いから止めてというのも恥ずかしく、到着するまでの間に色々と体勢を入れ替えながら、だましだまし耐えていたのだ。五分ほど前にそれでも耐えられなくなり、諦めてうつ伏せになってお尻を突き出していたのだが……。
「大丈夫ですか!? ええと、降りられますか?」
「何とか……」
私はお尻へ衝撃を与えないよう、そろそろと立ち上がると、用意された踏み台をつかって獣車から降りた。もう二度と獣車になんて乗らない、絶対に。
というか、こういうときこそ役に立ってよ、スキルふわふわ! 何回もステータス確認したけど、MPがまったく減ってなかったよ! 発動してよ!
「ナァーオ」
獣車を降りた私の足元に、すたっとココアが着地して、長い声で鳴いた。
いいね、ココアは平気そうで。そのふわふわした毛が今は羨ましいよ。
「勇者様、どうぞこちらへ」
先導するお姉さんに、私はココアを抱き抱えてからついていく。
ふと顔をあげれば、目の前には巨大な宮殿が立っていた。大学の卒業旅行でフランスのベルサイユ宮殿を見に行ったが、あのときの気分を思い出す。
こんなに大きな家に住むのって、いったいどんな感じなんだろう。私は建物に入るというより、飲み込まれるような心持ちで、受付のお姉さんに続いて入口をくぐった。
「うわぁ~……」
入口をくぐった先は、吹き抜けの大ホールになっていた。あちこちに、真っ赤な軍服を身にまとった衛兵が立っていて、そのそばを身なりの良い貴族らしき人たちが行き交っている。
目の前には大きな階段があって、階段の先には存在感のある大きな扉が待ち構えていた。
「正面の扉が謁見の間です。国王様がお待ちですので、このまま参りましょう」
「は、はい!」
歩きだしたお姉さんの後ろを、私は小走りで追いかけた。今から、王様に合うんだ、私。言われるままについてきちゃったけど、大丈夫かな。
階段には真っ赤な絨毯が敷かれていて、一段上るたびにふわふわが私の足を支配する。この絨毯すごい。誰も見ていなかったら、この上を思いっきりゴロゴロ転がってみたいくらい。
あっという間に階段を登りきると、お姉さんは大きくて重そうな扉を、ゆっくりと押し開いた。
「国王様! 勇者様をお連れいたしました」
凛とした声でお姉さんが言い放ったのと同時に、部屋の中が一気に静まり返ったのを感じる。
私はココアをぎゅっと抱いて身を縮めながら、部屋の中に入った。
同時に、私の耳に割れんばかりの拍手の音が飛び込んでくる。
「わわっ!」
「勇者様、どうぞ前へ」
お姉さんは道を譲るようにして脇にどくと、前に向かって手を差し出した。
ひ、一人で行けってこと!? お姉さんついてきてくれないの!? 涙目で訴えてみたが、お姉さんはニコニコと微笑んでいるだけだ。
覚悟を決めて、私は一人で赤絨毯の上を歩いていく。左右には、この国の大臣や将軍だと思われる人々がずらりと並んでいた。みんなの視線が、興味深そうに私へ注がれている。
「あれが勇者?」
「どう見ても子供じゃないか」
「あんな子どもが魔王と戦えるのか?」
私を見ている人たちの小さなつぶやきが、次々と耳に入ってくる。
ごめんなさい、見た目通りです。全然戦えないです。ただふわふわしてるだけです。
この上ない居心地の悪さを感じながら、私は何とか、玉座までの道を歩ききる。
私がいる場所より一段高いところに備え付けられた玉座に座っていた王様は、たっぷりとした白いヒゲをなでながら、目を細めて微笑んだ。
「ようこそ、ローズクレスタへ。わしはハイルブロント王国国王、アレキサンドラ・ハイルブロントじゃ。それにしても、聞いていた以上に可愛らしい勇者様じゃな」
「さ、サーシャ・アルフヘイムです」
「同じ名前のものが、このローズクレスタには三百と二十六人おる」
聞いてはいたけど、多すぎるだろサーシャ・アルフヘイム。
「じゃが、勇者サーシャという呼び名は唯一無二、そなただけの名前となるじゃろう」
癖なんだろうか。何度も自分の髭を撫で付けながら、王様はじっと私を見つめてきた。
背後からも、たくさんの人たちの視線を感じる。どうすればいいのか、なんて返せばいいのか何もわからなくて、私はただぎゅっと腕の中のココアを抱きしめた。
「これはまた、可愛いお友達じゃな」
「こ、ココア!」
「ほうほう、ココアという名なのか」
私が叫ぶように名前を教えると、王様は目を細めながらうなずいた。
「不思議なコンビじゃな。勇者様もそうじゃが、ココアの方も、とても神獣ケット・シーには見えん」
「え?」
「報告はすでに受けていたが、自分で鑑定スキルを使ってみても、まだ信じられんのぉ」
いつの間にか、王様は私とココアのステータスを見ていたらしい。
王様は落ち着いていたが、脇に控えている人たちは動揺していた。中には、ココアを見ておびえている人までいる。
王様は騒いでいる人たちの方へ視線を向けた。
「静粛に」
その一言だけで、部屋が水を打ったように静まり返る。
「勇者様、そなたをここに呼んだのは他でもない。ハイルブロント王国の国王として、この国を、いや――この世界、メディオクリスを救っていただきたいとおねがいをするためなのじゃ」
静寂に包まれた謁見の間に、穏やかな口調で紡ぎ出した王様の言葉が、妙に大きく響いた。
「百年ほど前のことじゃ。この世界に、ある強力な魔族が現れた。その魔族は他の魔族や魔物をあっという間に統率し、より強大な力を手に入れ、いつしか魔王と呼ばれるようになっていった」
まるで自分の思い出話を語るように、王様は話し始めた。百年前か……じゃあ、魔王も百歳くらいなのかな。それって、魔王としては年寄りなんだろうか、若いんだろうか。
「力を持った魔王は、軍勢を率いて、人間の土地に攻め込んできたのじゃ。もちろん人間も手を取り合って抵抗したが、魔王の軍団は強く、次々に住む土地を奪われていった」
辺りに、重い沈黙が流れる。将軍らしき人たちは、悔しさを顔ににじませていた。どう見ても百歳には見えないから、きっと今でも、人間は土地を奪われ続けているということなんだろう。
「人間は今、このローズクレスタのような城塞都市を築き、何とか魔物たちから身を守って生活しているという状態じゃ。かつてはたくさんあった国々も魔王に滅ぼされ、今ではこのハイルブロント王国と、東の大国が一つ残っているだけなのじゃ」
「え!? この世界って、人間の国は二つしかないの!?」
「……記憶がないというのは、どうやら本当のようじゃのう」
驚く私に、王様は気の毒そうな視線を向けてくる。
あれ? 私、自分の記憶の話なんて王様にしてないのに、なんで知ってるんだろう? 受付のお姉さんにも話してなかったと思うけど……。
「正直、気はひけてしまうんじゃが……勇者様、人間はもうそなたに頼るしかないほど、追い詰められておるのじゃ。魔王を倒すことができるのは、予言の中にある伝説の勇者様だけなのじゃ」
「予言?」
「魔王が現れたときに、ある預言者が残したと言われる予言じゃ。百年後、聖域より猫の王を従えた勇者が現れ、世界を救うだろう。まさにあなたこそ、予言にあった通りの、神に選ばれし勇者様なのじゃ」
「あんな神様に選ばれても嬉しくない……」
「む?」
「あ、な、何でもないです!」
怪訝な顔をした王様に、私は慌てて誤魔化した。でも、王様もヘルメスくんのことを知れば、私の気持ちはわかるはずだ。というか、世界の存亡を賭けのネタに使っていることを知ったら、怒り狂うと思う。
「とにかく、そういうわけなのじゃ勇者様。どうか、魔王討伐を頼まれてはくれまいか。もちろん、今すぐにとは言わんし、引き受けてくれるなら国を上げてできる限りの援助をしよう。勇者様だけが頼りなのじゃ」
そう言って、王様は私に向かって頭を下げた。
一国の王様が、どこからどうみてもただの子どもにしか見えない私に頭を下げている。これって、すごいことなんじゃないだろうか。
働いていたときは、頭を下げることはあっても、頭を下げておねがいされたことなんて一度もなかった。
「わ、わかりました! やります!」
「おぉ!? 引き受けてくれるのか! ありがとう、ありがとう勇者様!」
思わず、勢いで頷くと、王様は玉座から立ち上がって私の前まで駆け下りてきた。
そして、私の手を取ると、ぎゅっと強く握る。
「これで我々にも希望が――ほわぁ……」
あっ! 一国の主がしちゃいけない表情をしてる!
私は即座に、握られた手を振り払った。
「王様っ!」
「はっ!? こ、これは失礼を……勇者様の手は随分と柔らかいのですな」
私の声で我に返った王様は、バツが悪そうにヒゲをなで始めた。
王様までトリコにしかけるなんて、スキルふわふわ、恐るべし。
「あの、それで私は何をしたらいいんですか?」
勢いで引き受けてしまったものの、魔王を倒せる自信は全くない。というか、スライムやゴブリンにも勝てないのに、魔王と戦えるわけがない。
ココアが言うことを聞いてくれたら何とかなるのかもしれないけど……いや、本気のココアより魔王の方が強いかもしれないし。
そんな不安を感じ取ったのか、王様は私を安心させるように微笑んだ。
「さっきも言ったように、すぐ魔王を倒しに行って欲しいと言うつもりはない。しばらくは、このローズクレスタに滞在して、魔物との戦いの経験を積まれてはいかがかな? 城壁と外壁の間にある賤民街には冒険者ギルドがある。そこで魔物退治の依頼を受ければ、訓練をしながら日銭を稼ぐことができるじゃろう」
「その……泊まるところは……」
「もちろん、この宮殿の空いている部屋を使ってもらって構わない。ただ、賤民街とこことでは距離があるからのぉ。金銭に余裕があるなら、賤民街や市民街に宿を取るほうが便利かもしれんが」
「だ、大丈夫です! お、お世話になります!」
ぺこっと頭を下げると、王様はにこっと笑い返した。よし、これで泊まるところの心配はない。図々しいけど、たぶんご飯も出してくれるよね? できる限りの援助って言ってたし。
魔王と戦わないといけないっていう大きな悩みはあるけど、この世界に転生して初めて、ようやくまともな寝床で寝られるのが嬉しかった。昨日の夜は、おじさんたちが置いていったキャンプセットがあったとはいえ、野宿だったしね。やっと柔らかい布団で眠れるよ。
「それからのぉ。勇者様に、おともとして連れて行ってもらいたいものがいるのじゃ」
「え? おとも?」
「身の回りの世話をするものがいるじゃろうし、いくら勇者様とはいえ、一人では魔王の元へたどり着くのも難しいじゃろう。いずれにせよ、仲間は必要だと思うのじゃ」
「それは、そうだけど……」
私にはもう、ジェシカさんがいるんだけどな……はっきり断ることもできず、もごもごと口の中だけでつぶやいた。
どんな人なのかわからないけど、いくら強くても、気難しい人だったら嫌だな。ジェシカさんのこと追い返したりとかしないかな。
「早速紹介しよう。エルザよ、連れて参れ」
「はい」
返事をしたのは受付のお姉さんだった。へぇ、エルザさんって名前だったんだ。ずーっと一緒だったのに知らなかったよ。
受付のお姉さん改め、エルザさんは一礼すると、謁見の間から出て行った。
閉じられた出口を見つめながらしばらく待っていると、エルザさんが「お待たせしました」と声をかけてから、扉を開いた。
扉の向こうにいたのは、私が想像していたものとは、随分かけはなれた印象の人だった。
左右を編み込んだ、流れるように美しく艶やかな長い金髪に、燃えるように真っ赤なドレスとハイヒール。頭には緋色のティアラ、耳にもルビーのイヤリングをつけていて、胸元にまで真紅のブローチが輝いている。
足元の赤い絨毯よりも、さらに赤い女性だったが、派手すぎるという印象は受けない。むしろ気品に溢れていて、私は思わず彼女に見とれてしまっていた。
この国のお姫様だろうか。真っ赤な女性は顔を伏せたまま静かに、こちらに向かって歩いてきた。
後一歩、という距離で私たちは向かい合う。女性の透き通るような翡翠の瞳が私を見下ろした。
「紹介しよう、勇者様。ハイルブロント王国第一王女。王位継承者第三位。わしの娘、ジェシカ・ハイルブロントじゃ」
「よ、よろしくお願いしま――」
ん? 今、ジェシカって言わなかった?
私が言葉を詰まらせ、緋色の女性を見上げていると、彼女は突然にんまりと笑って、
「やっぱり、鑑定スキル使ってなかったんだ?」
「え? え!? ジェシカさん!? えっ!? お姫様!?」
「そうだよ? ね、ちゃんと迎えに来たでしょ?」
言ったけど! 別れたときは、一緒に来られないみたいなこと言ってたのに!
「そういうわけで、よろしくね、サーシャ。とりあえず、あたしの部屋に行こっか? あたし、この服嫌いだから早く着替えたいんだよね」
「え? ちょっ、ちょっと!? いいの!?」
さっさと踵を返すジェシカを、追いかけていいものか迷いながら、私はわたわたと王様を振り返る。
王様は苦笑しながら、よいよいと頷いていた。
「いくよー、サーシャ。この家、無意味に大きいから、迷っちゃうよー?」
「ま、待ってー!」
結局、私はバタバタと、謁見の間を後にしたのだった。