ふわふわ46 ミスウォール解放作戦
偵察の翌日。日はすでに落ちており、城壁に焚かれたかがり火の光が、霧に反射し、ぼんやりと街を照らしている。
私は、中央の塔に来ていた。目的は、ミストウォールの解放。ミオちゃんを中心に立てた救出作戦を発動させるためだ。
ミオちゃん、マルセロ君、フィアナはもう配置についている。
ジェシカさんは拠点で待機だ。一人で残すのはちょっと心配だけど、作戦が始まれば街全体が大混乱に陥る。下手に連れまわすより安全だというミオちゃんの判断だった。
ジェシカさん本人は不服そうだったけど、私とミオちゃんで押し切った。ジェシカさんが戦ってくれれば、それはもちろん心強い。
でも、弱り切ったジェシカさんの姿を一度見ているから、絶対に無理はさせたくなかった。
というわけで、この救出作戦はジェシカさんの力なしで行うことになる。正直、成功確率が高いとは言えない作戦だけど、他に案もない。
ミオちゃんの作戦と、運を信じてやるしかない。私は、塔の裏側の壁に背をつけて隠れながら、魔法の構成を練り上げる。
「それは神の鉄槌。それは星の欠片。我が呼び声に応えて来たれ。マスダストフレアテイルフリクション、テラプラネットブレイクメルトコールドハーデン、フライフォールバーンインパクト」
極力小さな声で、詠唱を続ける。魔法の中でも最上位の元素魔法。詠唱破棄どころか、省略さえできない。
大丈夫、今、ハイトロールはみんな集会に出ている。このあたりにはトロールしかいないし、輸送部隊のトロールは塔の中で寝泊まりしているのがわかっている。
塔の入口に見張りのトロールが二体いるが、私がいる場所とは正反対。小声で詠唱すれば聞こえないし、そんなかすかな物音を不審に思って確かめに来るような機転は効かない。
手の中で、構成が完成する。私はそこに魔力を注ぎ込み、最後の呪文を唱える。
「落ちよ、落ちよ、落ちよ。紅炎の輝きにより彼のものを粉砕せよ。メテオストライク!」
霧で霞んだ遥か彼方の空が、ぼんやりと明るく輝く。そして、轟音を響かせながら、それは南門の指令塔に向かって飛来する。
メテオストライク。土属性と火属性、そして風属性を内包する魔法。その効果は、巨大な隕石を召喚し、任意の目的地に衝突させること。
私が呼び出した隕石は、南門の指令室に直撃すると、城壁の上部ごとそれをえぐり取った。
『テレレテテッテッテーン♪』
レベルアップのファンファーレ。久しぶりに聞くヘルメスくんの声。けど、今は時間がない。即座に、私はもう一度メテオストライクの詠唱を始める。
『随分強くなったじゃないか、サーシャ。ハイトロールとジェネラルトロールを一網打尽なんて』
二発目のメテオストライクを、今度は北門の指令室に叩き込む。
『テレレテテッテッテーン♪』
急いで三発目の詠唱を始める。
メテオストライクが巻き起こす衝撃は、他の門の指令室にも届く。指令室から、ハイトロールやジェネラルトロールが逃げ出す前に、全部の指令室を破壊しないといけない。
トロールが鈍重なのが救いだ。ジェネラルトロールの素早さもかなり遅かったし、指令室の入口は狭い。急いで後二発打ち込めば、逃げられない。
『テレレテテッテッテーン♪』
三発目のメテオストライクの直後、またヘルメスくんがレベルアップを告げるファンファーレを口にする。
自分のステータスを確認している余裕はない。即座に四発目だ。
『テレレテテッテッテーン♪』
最後に西門の指令室を粉砕したタイミングでも、ヘルメスくんはファンファーレを口にした。
ステータスの確認をする。自分のではない。サーチアイを併用して、南門を守っていたジェネラルトロール、ガイウスの生死を確かめる。
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名前:ガイウス
種族:ジェネラルトロール
年齢:621歳
職業:ティタン四天王
Lv:65
HP:0/3000
MP:0/0
攻撃力:1200
防御力:700
素早さ:120
かしこさ:220
【スキル】
統率(Lv6)
【備考】
死亡
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よかった、倒せてる。正直、ぶっつけ本番だったから、ものすごく不安だった。
フィアナは大丈夫だって言ったけど、HPがこんなに高い相手、メギド以外で倒したことないし。
元素魔法ってすごいんだね。まあ、命中まで時間がかかる魔法だし、相手が素早かったりしたら逃げられちゃうんだけど。あと基本的に近距離では使えないし。自分がまきこまれるからね。
相手が室内にいて身動きがとれないから有効だった魔法だ。それでも、威力が足りないんじゃないかとかすごく不安だったけど、さすがフィアナって感じ。魔法のことに関してはやっぱりすごい。
『本当に、たった四人で人質二万人を救うつもりかい?』
頭の中でまた、ヘルメスくんの声が響く。私は、塔の正面へと回った。
指揮官であるジェネラルトロールとハイトロールは全員倒した。残っているのはトロールだけ。
今、フィアナたちがトロールを倒して人質を解放してまわっているはずだ。リーダーのいないトロールは、人質をどう扱ったらいいかなんてわからない。
だから、私は胸を張ってヘルメスくんに答えた。
「もちろん。ローズクレスタのときと同じ思いは、もうしない」
半分くらいは虚勢を張っていいながら、私は見張りのトロール二体にファイアボールを叩き込む。
火属性の魔法に弱いというのは本当らしく、トロールたちは一撃で消し炭になった。
塔の中が騒然とし始める。塔の一階で輸送部隊のトロール1000体が寝泊まりしていることは、事前の情報収集でつかんでいる。
一方、輸送部隊に配属されている人たち、4000人は地下の牢屋で管理されてる。
要するに、遠慮はいらない、ということだ。
「エクスプロード・ノヴァ!」
入口から塔の中に飛び込んで、火属性最強の魔法を放つ。
爆炎が一瞬で一階を包み込み、起き上がりかけていたトロール、まだ眠っていたトロール、区別なく全て焼き払う。
『テレレテテッテッテーン♪』
後は、地下にとらわれている人たちを解放してから、ティタンを倒すだけ。
私は、私たちは、このままミストウォールを解放する!
***
塔の最上階は大広間になっていた。そこに、ティタンはいた。
大きさはジェネラルトロールと変わらない。全身が赤銅の鎧で覆われていて、肌も真っ赤だ。
私は、ティタンと向かい合いながら、鑑定のスキルを発動させる。
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名前:ティタン
種族:トロルエンペラー
年齢:2121歳
職業:魔王軍四天王
Lv:92
HP:8000/8000
MP:0/0
攻撃力:1525
防御力:1305
素早さ:350
かしこさ:320
【スキル】
統率(Lv9 Max)
化身(Lv-)
状態異常無効(Lv9 Max)
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「ほう、お前が勇者か?」
いきなり私が現れたことに対して、ティタンに動揺した様子はない。静かに、玉座のような椅子に座ったまま、私を見下ろしている。
強い。メギドが命中しても倒せない。トロールなのにかしこさも高いし、素早さもある。攻撃力も防御力も、変身後のメフィスを越えている。
ジェシカさんを連れて来なくてよかった、と思った。こんなのと戦ったら、またブルードラゴンと戦ったときみたいに、ボロボロにされちゃう。
「ここに来るまで、少なくない数の罠を仕掛けていたはずだが?」
確かに、色々あった。吊り天井とか、落とし穴とか、槍衾とか、壁から矢が飛んで来たりとか。
だけど……。
「私、人よりふわふわしてるから」
「なんだそりゃ。まあ、勇者にはあんなもんは通じないってところか」
ギシギシと玉座をきしませながら、ティタンが立ち上がる。
座っていても大きかったけど、立ち上がるともっと大きい。両腕の太さが大木くらいある。腰に差した剣も、でかすぎてもはや斬るための道具とは思えない。
私は身構えたが、ティタンは剣の切っ先を、私ではなく自分の横に向けた。
「連れてこい」
玉座の奥から、一体のトロールが歩いて来る。まだ部下がいたのか。けど、トロール一体くらいなら……と、思いかけた矢先。
トロールは、縄を握っていた。縄には、二人の人間がつながれていた。男性と女性。ボロボロに薄汚れているが、元々の身なりはいいように思える。
「この街の領主とその妻だ。勇者、お前、マルセロと会ったろう?」
ティタンが、剣の切っ先を人質に向ける。ってことは、この人たちが、マルセロのお父さんとお母さん?
「こいつらの首をはねる」
「待って!」
「ああ、そう言うだろうと思ったよ」
私が思わず声を上げると、ティタンは嬉しそうに笑った。邪悪な笑みだ。私の焦る様子を、心から楽しんでいる。
「おい、幕を引け」
ティタンはトロールに指示を出す。トロールはマルセロの両親をつないだ縄を手離して、大広間の左側にある、大きなカーテンに近づいた。
ティタンの刃はずっと、マルセロの両親に突きつけられている。隙をついて助け出すのは、今は無理。
トロールは、カーテンを引いた。中にあったのは、水がたっぷりたくわえられた巨大水槽。
「勇者の、お前のために作ったんだ。街の人間に砂を集めさせて、溶かして、ガラスを作るところからやったんだぞ? 随分と手間がかかった。まあ、やったのは全部人間どもだが」
ぐふふ、と下品な笑い声を漏らす。ミオちゃんが言ってた。砂を集めてる町の人もいたって。ガラスを作るためだったんだ……。
けど、私のために作ったって、どういう意味だろう? と私が困惑していると、水槽に備え付けられている梯子を、ティタンはあごでさして言った。
「その水槽の中に自分から飛び込め。そして出て来るな。こいつらの命が惜しければな」
剣をマルセロの両親に突きつけたまま、ティタンが笑う。
私のこと、溺れさせて殺そうってこと?
「考えたんだ、お前の情報を調べながらな。打撃は効かない、魔法も効かない。ならこうするのが一番いい。そうだろう?」
トロールが、マルセロの両親の元へ戻っていき、再び縄を掴んだ。
私はティタンをにらみながら立ち尽くす。両親を人質にとってマルセロ君に私の魔法大全を狙わせたこともそうだけど……こいつ、最低だ。
「早くしろ。俺は別に、今すぐこいつらの首をはねても構わないんだ。人質は二人いる。それに、お前と普通にやり合っても勝てるからな」
ぐふふ、とティタンは下品な笑いを零す。こいつは、本当に躊躇なくマルセロの両親を殺すだろう。なら、私ができることは一つしかない。
私は階段に足をかけた。
「そうだ、それでいい。大変だな、勇者は。守るものが多い」
水槽の縁に立ち、大きく息を吸い込む。少しでも長く耐えないといけない。耐えれば、チャンスが来るかもしれないんだから。
私は、意を決して水槽の中に飛び込んだ。
水は冷たくはない。目をしっかりと開いて、水槽の外の様子をうかがう。
ティタンがこっちに歩いて来る。トロールは相変わらず、マルセロの両親をしばった縄を握っている。ティタンが命令をくだせば、トロールはマルセロの両親を捻りつぶすだろう。
「ここまで部下にさとられずに来たのは大したものだ。だが、ここまでだったな。お前は何もできず、溺れて死ぬんだ」
嬉しそうに、ティタンがガラスの向こう側から私のことを覗き込んでいる。
腹を立てちゃダメだ。冷静になって、息を我慢するんだ。時間を稼がないといけない。チャンスが来るまで。
「お前が甘い勇者で本当に助かった。こんなに楽に倒せてしまうんだからな。魔王様も、あんなにご心配なさることなんてなかったんだ」
ごぽっと、口から泡が漏れる。何秒くらい経ったんだろうか。いちいち数えてないからわからない。
けど、苦しい。耐えないといけないけど、苦しい。泡が口から漏れるのを抑えられない。
「お前も愚かだな。わかってるんだろう? お前が死んだら、この街の人間は全て殺す。人質の価値がなくなるからな。つまり、お前は無駄死にするということだ」
肺が引っ張られているような痛みが胸に走り始める。もう、限界だ。これ以上は耐えられない。
ごめん、マルセロ君!!
「ごぼごぼごぼっ!(アイスニードル)」
「っ!?」
私が放った魔法が、ガラスを粉砕し、ティタンに迫る。ティタンはとっさに身をかわして、アイスニードルを回避する。
大量の水が、大広間へと流れだす。私も水と一緒に、砕けた水槽から吐き出される。ふわふわのスキルがあるから、ガラス片に触れても怪我はしなかった。
「げほっ! げほっ!」
少し、水を飲んでしまったらしい。床に手をついて、激しくせき込む。やや霞む視界でティタンを見上げると、元々真っ赤だった顔がさらに真っ赤になっている。
「本性を出したな、勇者。自分の命が一番惜しいか。いいだろう! おい、そいつらを殺せぇ!」
ティタンが高らかに命令を出す。トロールが、右手に握っていたこん棒を振り上げる。
トロールの左手には、縄。マルセロの両親と繋がれていたそれは――根本でズタズタに引き裂かれていた。
「父さん! 母さん! こっち!」
縄で手首を縛られたままの両親を、マルセロが先導し、安全な階下へ逃がそうとしている。
ティタンの目が見開かれた。
「おい、なぜ縄を解いている! なぜ、そのガキがそこにいる!!」
トロールは答えない。後者の質問には答えようがないだろうが、前者はわかるはずなのに。きっと理解が追い付いてないんだろう。さすが、トロールって感じだ。
縄が切れているのは、私が放ったアイスニードルのせい。あれはティタンを狙ったんじゃなくて、その奥にある縄を狙ったのだ。
万が一外したら両親に直撃してしまうので、思わずごめんマルセロ君と心の中で叫んだが、うまく縄に命中してよかった。
マルセロ君がいるのは、もちろん、それがミオちゃんの作戦だから。この塔には秘密の隠し通路がある。敵に包囲されたときに、領主が脱出するための通路だ。
そこから、マルセロ君が最上階にこっそり侵入した、というわけだ。隠し通路の出入り口は玉座の裏側。トロールとティタンに気づかれず、両親を救出するためには、絶好の位置だった。
ミオちゃんは、最上階にも人質がとらわれていることは予想していた。最上階に奇襲をかけられたときの備えとして、ティタンは手元に人質を置いているだろう、ということだった。
そして、それはたぶんマルセロの両親だと。影響力のある人間を手元に置いておくのは、指示を出すとき色々便利だからという。
結果的に、ミオちゃんの読みは見事に当たった。おかげで、マルセロの両親を救出することができた。
できた、はず、だった。
「なめるな、ガキがぁ!」
ティタンが、咄嗟に剣を投げた。剣というより、もはや鉄の塊と表現した方が適切なほど巨大な剣。
唸りをあげ、回転しながら、剣がマルセロ君と両親に迫る。私も予想してなかった行動で、咄嗟に対応できない。
まずい、このままじゃ三人とも潰されちゃう! 成功を確信したのか、私の目の前でティタンがにやりと笑う。
「スパイラル・フレア!!」
しかし、突如響き渡った声と同時に、螺旋を描く炎の渦が、ティタンの剣に直撃した。
渦の力で剣は壁際に吹き飛ばされ、マルセロ君と両親は守られる。
私は驚いて、魔法を放った主を見た。
「ファイア・ボール!!」
「ぎゃあああああああ!!」
彼女は立て続けに魔法を放ち、トロールを始末する。炎の魔法が使える仲間は、一人しかいない。
「サーシャ様! ティタンは強敵です! 協力して当たりましょう!」
「フィアナ!? もう人質を助けたの!?」
「まだだよ、サーシャちゃん! ある程度解放したけど、ここの戦いが一番大事だからね!」
フィアナだけじゃない、ミオちゃんまで玉座の影から顔を出す。
作戦だと、私とティタンで一騎打ちする予定だったはずだけど……。
「敵を騙すにはまず味方からね」
ミオちゃんがいたずらっぽくウインクする。
いや、びっくりするからやめてよ、もう……けど、来てくれて本当に助かった。
私はぶるぶると頭を振って、水気を飛ばした後、髪をかきあげながらティタンをにらみつける。
「ティタン! 絶対倒して、私たちはミストウォールを解放する!!」