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ふわふわ42 偵察開始

 夜明け。物置の壁にある隙間から、僅かに差し込む光で目を覚ました私の体は、全身バッキバキだった。

 休んだはずなのに、寝る前より体調がきつい。ヤバイ、今日動けないかも。

 地獄の苦しみを味わいながら、無理矢理目をこじ開けると、ジェシカさんの顔がすぐ正面にあった。


「おはよう、サーシャ。辛そうだね」


 全身バッキバキの一因は、ジェシカさんが私を抱き枕にしてることもあると思うけどね……。

 あ、でもジェシカさんの体は柔らかいな……。


「もうちょっと寝かせてあげたいけど、もうみんな動いてるからさ」


 ジェシカさんはそう言って、私の体を抱き上げると、支えるようにしながら立ち上がらせた。

 頭がすごくボーっとする。体中に、布団代わりにしていた干し草が張り付いていて気持ち悪い。

 ジェシカさんが、それを手で払って落としてくれる。あ、働かせたらダメだった、と思い出すのに数秒かかった。


「サーシャも起きたし、あたしも着替えようかな。うーわ、まだ湿ってるよ、あはは」


 つめたっ! とか言いながら、ジェシカさんが下着をつけ始める。

 ああ、そうか。服を着ないと、か。ぼけーっとしながら、私はパンツを履いて、


「つめたっ!」


 股間とお尻を包み込む、冷たい感触で、一気に目が覚めた。


「あはは、だから言ったじゃん、サーシャ。でも、これ風邪ひきそうだね。偵察の前に、乾いた服探しかな」


 ジェシカさんもブルブル震えながら服を着こんでいく。た、確かに、これは風邪を引きそうだ。

 昨日着ていた黒いローブもしっかり湿っている。いや、昼間に黒いローブってむしろ目立っちゃうかな? んー、でも、まだ霧出てるし……白のワンピ―スよりはマシだよね。

 悩みつつも、何とか着替えを終える私。うん、何だろうね、この絶妙な不快感。びしょびしょってわけじゃないんだけど、肌に張りついてくる、このひんやりした感じが言いようがないくらい気持ち悪い。


「他のみんなは? もう動いてるってさっき言ってたけど」

「夜明け前にミオが来てさ。街の一日の様子を見たいから、ミオとフィアナとマルセロだけで先に出るって。本当はサーシャも着いて来て欲しかったみたいだけど、よく寝てたし」

「わ、私、完全にお荷物じゃん……」

「あはは、あたしと一緒だね」


 事も無げに言ったジェシカさんの言葉に、私は一瞬言葉を失った。

 否定しなきゃとすぐ気づいたけど、先に口を開いたのはジェシカさん。


「火が使えないから、あったかいご飯は食べられないけど、朝はちゃんと食べないとね」


 そう言って、ジェシカさんは私に干し肉を手渡した。

 結局、私はタイミングを失って、何も言えずに干し肉をかじる。

 硬くてグニグニした食感。結構おいしいんだけど、子どもの力じゃ結構噛むのが辛いんだよね。


「あたしたちは基本的に待機だって」


 私が干し肉と格闘していると、ジェシカさんが不意にそんなことを言った。


「待機って、ここでじっとしてるの?」

「うん。ミオたちが帰って来るまでね」

「いつ帰って来るの?」

「今日中には、だって」

「一日中、ここで待ってるってこと?」

「ミオはそうして欲しいみたい」


 ものすごく信用されてないってことかな、私。

 まあ、昨日もやっちゃったしね……大人しくしてた方がいいのかな。


「けど、見張りが来るかもしれないから注意はしておいてってさ。後、この辺りは空き家ばっかりで魔物もほとんど来ないだろうから、注意さえしてれば少し移動するくらいは問題ないって。だから、乾いた服探しとかどうかなって」


 逆に言えば、この辺りからは出るなってことだよね。

 でも、その方がいいかも。体だるいし、足は痛いし、何よりジェシカさんは今戦えない。

 いや、そもそも魔物と戦闘になっちゃダメなんだけど、私がジェシカさんのこと守るって決めたんだから。

 じゃあ、私の役割は、ここでジェシカさんを守ることなんじゃないか。

 私はミオちゃんみたいに頭はキレないし、マルセロくんみたいに土地勘もない。

 フィアナは体力もあるし、魔法剣士だから剣が使えて、三種類の属性魔法を詠唱破棄して使えし、おっぱいも大きい。

 最後は全然関係ないけど、私が行く必要はないよね……。


「ジェシカさん、ミオちゃんは、私たちは絶対にここから出たらダメって言ったの?」


 なのに、私の口から出た言葉は、考えていたこととは全然逆のことだった。

 ジェシカさんは少しだけ驚いたようだったけど、どこか、やっぱりという顔をして、


「サーシャがそういうこと言い出したら、南東のエリアを調べて欲しいって言ってたよ」


 私、ミオちゃんに大人しくできないやつだと思われてる。


「南東のエリアって、この辺りだよね?」


 ミストウォールは中央に本丸に当たる塔が立っており、そこが領主の住居でもあるらしい。

 そこから、東西南北に一本ずつ大通りとなる通路が走っており、街は中心の塔とその大通りによって四つに分けられている。

 そして、今私たちがいるのが、四つに分けられたエリアの南東、その端っこなのだ。

 つまり、ミオちゃんが私に探索許可したのは、塔から南に走る通りと、東に走る通りに囲まれたエリアということになる。


「そうだね。でも、大通りと城壁には見張りが多そうだから、できる限り近づかないようにってさ」

「ん、わかった」

「やっぱり、勇者としては、人任せにはしておけない?」

「え? いや、そういうわけじゃないんだけど……」


 むしろ、私が余計なことをして台無しにしちゃわないか、心配なくらいだ。

 前世でも、失敗が怖くて動けなかったことはよくあった。そのせいで余計に大変なことになったことも、事なきを得たことも両方あった。

 だから、自分がどうするべきかは判断が難しい。でも、ミオちゃんたちに任せた方がうまくいきそうだとは感じてる。

 それでも、行こうと思ったのは……。


「サーシャ?」

「わ、私も何かしたいなって思っただけ」


 綺麗な翡翠色の目で覗き込まれて、私は慌てて誤魔化し、うつむいた。

 本当の理由は、さっきジェシカさんに言い損ねたこと。

 ジェシカさんはお荷物なんかじゃない。戦えなくても、一緒にいてくれるだけで安心する。かけがえのない人。

 私に何ができるかわからないけど、私たち二人で何かができればジェシカさんも自信を取り戻してくれるんじゃないかって。

 そう思ったから行きたくなったとか、本人には言えなかった。


 ***


 物置を出て、私とジェシカさんは細心の注意を払いながら、まずは近くにあった廃屋を探索した。

 目的は乾いた服とか、毛布とか。霧のせいでとにかく濡れた服や荷物が乾きにくいので、そういうものが見つかれば今夜以降がすごく楽になる。

 ただ、結果はあんまり芳しくなかった。廃屋だからか、服とかの日用品は全然残ってなかったんだよね。家具の類は結構あったんだけど、タンスなんて持ち帰っても邪魔なだけだし。

 それでも、使えそうなものもチラホラ見つかったので、ジェシカさんと二人で拠点の物置に運び込んだ。ミオちゃんたちが帰ってきたら、仲良く分けようと思っている。

 そして、今、私たちは――


「おらー! サボるな人間ー! 働けー!」


 魔物に労働させられている街の人たちを発見した。

 街の人たちが集められているのは、土肌が露出している空き地のような場所。20人くらいの人たちが、5匹の魔物の指示で仕事をしている。

 私とジェシカさんは、建物の影に隠れてそれを見ている状態だ。ここから空き地まで、50mくらいは距離がある。結構離れているけど、近づいてバレるとまずいので我慢だ。

 あと、この距離からでも魔物の方は割とはっきり見えている、ということもある。

 めちゃくちゃ大きいのだ。3mは余裕である。全身が緑色をしていて、ぶっといこん棒を握りしめて、街の人たちを見張っている。

 あんなので殴られたら、一発で全身の骨がぐちゃぐちゃになりそうだ。

 とりあえず、この距離で使うのは初めてだけど――鑑定スキル!


______________________


名前:ポポロン

種族:トロール

年齢:6歳

職業:魔王のしもべ

Lv:33

HP:850/850

MP:0/0

攻撃力:600

防御力:200

素早さ:35

かしこさ:30


【スキル】


______________________


 は、初めてジェシカさんよりかしこさが低い、人間以外の生物を見たよ……。

 でもHPたっか! 攻撃力もたっか! レベル33でこれなの? レベル上がったらどうなるのこれ? っていうか私より年下なんですけど?

 しかも、これが5匹もいるし……あれ? なんか、一匹だけ他のよりでかいのがいるような。

 あれも鑑定してみよ。


______________________


名前:ボルボル

種族:ハイトロール

年齢:20歳

職業:魔王のしもべ

Lv:45

HP:1600/1600

MP:0/0

攻撃力:800

防御力:350

素早さ:37

かしこさ:50


【スキル】


______________________

 

 

 待って待って待って! おかしいって! レベル45ってフィアナと同じだよね? フィアナのHP900くらいだよ? 攻撃力だって600くらいだよ?

 素早さとかしこさはすごく残念な数値だけど……マルセロくん、ここにいる魔物五千って言ってたよね? え、こんなのがそんなにいるの?


「トロールだね、あれ。ハイトロールまでいる」


 ぼそっと、私の耳元でジェシカさんがささやいた。


「ジェシカさん、知ってるの?」

「何度も倒したことあるからね。HPと攻撃力は高いけど、魔法に弱いんだ」

「ジェシカさん、魔法使えないじゃん」

「動きは遅いし、防御力は大したことないから、最初のうちはよけながら斬って倒してたかな。今なら、流星剣技で一発だけど」


 た、頼もしい。い、いや、しっかりしろ、私。ジェシカさんはお休み中なんだから、戦えないんだ。そうじゃなくても、そもそも戦っちゃダメなんだ。

 ん? ちょっと待って。最初のうち?


「ジェシカさん、初めてトロールと戦ったときって、レベルいくつだったの?」

「28だったかな」


 バカなんじゃないかなこの人。


「倒すのに時間はかかったけど、動きは遅いし、もらえる経験値も多いみたいで簡単にレベル上がったから、修行し始めた頃は世話になったなぁ」

「もう二度とやらないでね」

「あはは、さすがに今だとトロールは弱すぎるかなぁ」


 そういう意味じゃないというのに。

 私がジト―っとにらんでいると、ジェシカさんは急に真面目な顔になって、


「でも、トロールは群れると厄介だよ。サーシャ、ゴブリンは知ってるでしょ?」

「あ、うん。ローズクレスタに行く途中で戦ったよ」


 実際は逃げただけだったけど。あの頃、私にはふわふわパンチしか攻撃手段がなかったのだ。


「ゴブリンが成長すると、あれになるんだよ」

「う、うそぉ……」


 私は目を丸くして、トロールを見る。うん、ゴブリンも肌が緑色でこん棒を持っていたけど……身長は60㎝くらいしかなかった。


「何食べたら、あんなサイズになるの……」

「ゴブリンのエサはよく知らないけど、トロールのエサだったら知ってるよ」

「何食べるの?」

「大型の動物。人間とか。特に、エルフが好きみたいだよ」


 は?


「トロールは普通、森に住んでてね。森の巨人って呼ばれてるんだけど、エルフと住む場所が被ってるから、よく争いになるんだよ。エルフの天敵って言われてて、フィアナの里を占領してた魔物もトロールだった」

「ジェシカさん、じゃ、じゃあ、あの働いてる人たち、すぐ助けないと食べられちゃうんじゃ」

「それは大丈夫。トロールは群れると厄介って言ったでしょ? ゴブリンも群れをつくる魔物だから、その習性が残ってるのかな。群れのリーダーの指示はよく聞くんだ。ああやって働かせてるってことは、食べたらダメって命令が出てるんだと思う」

「なんで言い切れるの?」

「もしそうじゃなかったら、あの人たちとっくに食べられてる」


 ジェシカさんの言葉に、体が震えてしまう。

 人を襲う魔物とは今まで何度も戦ってきたけど、食べる目的で襲って来る魔物なんて初めて見た。

 ……あれ? もしかして、今まで戦った魔物の中にも、そういうやついたのかな? 気づいてなかっただけで。


「トロールは頭が悪くて鈍いけど、その代わり命令されたことはきちんとやるんだよ。気をつけていれば見つからないと思うけど、見つかったらすぐ報告されちゃうだろうね」

「……あの、ジェシカさん。フィアナは、大丈夫かな」


 ジェシカさんの言う通り、フィアナの里をトロールが占領していたのなら、トロールはフィアナにとって仲間の仇だ。冷静ではいられないかもしれない。


「大丈夫だと思うよ。ここに来る前から、トロールがいるのはわかってたはずだから」

「え? どういうこと?」

「ここにいる四天王のティタンは、トロルエンペラーって魔物だって言ったでしょ? ティタンはトロールたちの王様で、トロールの軍隊を率いてるんだよ」


 じゃあ、フィアナは知ってた上で、何も言わずに着いて来てくれたんだ。

 もっと気にかけていてあげれば、何か気づけたかもしれない。でも、マルセロくんとミオちゃんの関係とか、ジェシカさんのことに気を取られて、フィアナのことは頭から抜けちゃってた。

 大事な仲間なのに、悪いことしちゃったな。昨日、溺れそうなところを助けたのに怒られたのも、そういう精神状態だったのなら頷ける。あの件については、寛大な心で許すことにしよう。


「けど、あのトロールたち、街の人たちに何させてるんだろう?」

「え? 見ればわかるじゃん?」

「ここからじゃよく見えないもん。って、まさかジェシカさん、はっきり見えるの?」

「普通に見えるけど?」

「マサイ族の人ですか?」

「え? なんで敬語? ハイルブロント人だけど、あたし」

「そんな情報はいいから、街の人たちが何させられてるか、詳しく教えて!」

「サーシャが聞いたんじゃん……えっとね、木を削ってるみたい」


 ジェシカさんが不服そうにしながら、目を凝らして答える。

 木を削ってる……そうか、なるほど。


「わかった。こん棒を作ってるんだ。トロールの武器作りをさせられてるんだね」

「んー、いや……違うかなぁ? って言っても、あれ何に使う道具かわからないけど……一つ一つ形もサイズも違うし」


 ジェシカさんが悩まし気に眉をひそめている。むぅ、絶対こん棒だと思ったんだけどな。

 けど、ジェシカさんの説明では、イマイチどんなものかイメージできない。私も直接見られればいいんだけど……あ、そうだ。


「サーチアイ」


 私は魔法を発動して、作業中の人を俯瞰視点で見下ろす視界を手に入れる。

 よし、これで何を作っているのかがはっきりと見え……ないな……ちょっとカメラさん、ズームできませんかね、これ。

 くそう、いいアイデアだと思ったんだけどな。でも、ここから肉眼で見るよりは遥かによく見えるぞ。

 街の人たちが木を削って作っているものは、ジェシカさんの言う通り、形も大きさもバラバラだ。

 ただ、同じ人が作っているものは同じものに見える。日本語がかなり不自由になってしまったが、要するにそれぞれの人がそれぞれ同じ部品を作り続けてる、みたいな。


「あ、そうか。わかった、あれ部品だ。そのまま使うんじゃなくて、組み合わせて何かでっかいものを作るんだよ」

「なるほどね。よく気づいたね、サーシャ」


 ふふん、私はかしこさが高いからね。


「けど、何の部品なのかはわからないんだけどね……」

「ああ、それならサーシャが言ってくれたから、何となくわかったよ」

「え、本当?」

「うん。たぶん、あれ攻城兵器の部品だと思う。ガルバルディアで魔物が使ってきた投石器が、あんな感じの部品でできてた気がするんだよね」

「投石器? なんでそんなもの?」

「準備が整ったら、ディオゲネイルに攻め込むつもりなのかも」

「そんなことになったら大変だよ!」

「そうだね。だから、ここで止めないとね」


 ジェシカさんの頼もしい言葉に、いつもならうんとうなずける。

 でも、私は返事ができないでいた。ジェシカさんは弱音を吐かない人だ。そんな人が、私の前で「もう頑張れない」と言った。

 それでも、頑張らなくていいからと、私はジェシカさんに着いて来てもらっている。一緒にいてくれるだけでいいからって。

 けど、私は今、ジェシカさんにすごい無理をさせているんじゃないだろうか。

 ジェシカさんは、一緒にティタンを止めようと言ってくれている。必要なら、戦おうと思っているのかもしれない。けど、私はそれをさせたくない。

 だけど、ジェシカさんが自分はお荷物だとか、そういうふうに思うのは絶対に嫌で……頼っても、頼らなくても、ジェシカさんは辛い気がして――


「おいこらー! おまえ、またサボったなー!」


 堂々巡りを始めた私の思考は、トロールのこっちまで響いて来る大声で打ち切られた。

 ハッとして、サーチアイの視界を確認する。私が見ていた若い男の人が、トロールに掴まれて持ち上げられている。

 そういえば、この人はさっきから度々、手が止まっていた気がする。明らかに衰弱しきっていて、体力の限界という感じだった。


「サボるやつは、こーだぞー」


 トロールは自分の胸くらいの高さに持ち上げた男性を、いきなりパッと手放した。

 2mくらいの高さから落とされた男性は、うまく着地する体力もなかったらしく、強く全身を地面に打ちつけられた。

 地面に横たわり、苦しそうにしている男性を、トロールはまた持ち上げる。


「働かないと、こーだぞー」


 同じことを、もう一度トロールは繰り返す。

 地面に叩きつけられる男性。男性に、トロールはまた手を伸ばそうとする。

 あのままじゃ、あの人、殺されちゃうよ。


「サーシャ」


 グッと、私の手が掴まれた。

 集中力を乱されて、練りかけていた構成が霧散する。


「ダメだよ、サーシャ」

「だって、ジェシカさん! このままじゃ、あの人っ!」

「ダメ。あたし、もう間違えない」


 さらに強く、手首を握られるのを感じた。

 痛い、と思った。ふわふわのスキルは衝撃を消してくれるけど、押しつぶすような力に対しては効果が発揮されない。

 けど、全身がふわふわしているせいで、私に触った人は普通力が抜ける。ジェシカさんなんて、特に脱力しやすいタイプだ。

 それなのに、手首が痛い。私の手首を握るジェシカさんの手が、少し震えているのを感じた。


「……ごめんね、サーシャ」


 何に対して、謝ったのかわからない。でも、ジェシカさんは絞り出すような声で、そうつぶやいた。

 私は構成を練るのをやめて、肩を落とす。

 わかってる。ここで見つかるわけにはいかない。私たちは二万人の人質を取られてるんだ。

 でも、目の前であんな目に遭っている人がいるのに、何もしないなんて。

 私がやるせなさに、拳をぎゅっと握りしめていると、


「おい、お前。それぐらいにしろ。死んでしまうだろ。殺すなって上からの命令なんだ」

「あー、はい。すいませーん。おまえー、もうサボるんじゃないぞー」


 リーダーのハイトロールに注意され、トロールは掴んでいた男性をそっと地面に下ろした。

 私も、同時にホッと息をつく。さっき落とされたダメージがあるから苦しそうだけど……ちゃんと生きてる。

 しかし、トロールには、うずくまったまま動かない男性が気に入らないようだった。男性を指さしながら、ハイトロールに訴える。


「ボルボルさまー、こいつまだサボってますよー」

「何? うーん、これは困ったな。わかった、今夜の集会で報告して、新しい指示をもらってきてやる」

「ありがとうございますー。うへへ、こういうやつは食ってもいいっていってもらえたらいいんだけどなー」


 じゅるり、と舌なめずりするトロールに、私はゾッとした。

 トロールって、本当に人間を食べるんだ……。


「サーシャ……戻らない?」


 いつの間にか、私の手首から手を離していたジェシカさんが、小さくつぶやいた。

 私は少し迷ってから、こくりと頷いた。

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