ふわふわ3 ココア失踪
「辛い……耐えられないぃ……」
大冒険が始まってから、半日ほどが経過した頃。私の心は、ぽっきりとへし折れていた。
お腹が空いた。喉が渇いた。足が痛い。もう歩きたくない。
「ナァーオ」
座り込んでうなだれる私に、ココアが体をこすりつけながら、可愛らしく鳴く。
でも、そんなココアの姿は、私を癒すどころか苛立たせただけだった。
「ココア……なんで戦ってくれないの……」
そうなのだ。冒険がスタートしてから、私は何度か道でモンスターに襲われた。
ベトベトしたアメーバみたいなモンスター(スライムという名前だった)や、緑色の肌をした小人(ゴブリンという名前だった)なんかと遭遇するたびに、私は言ったのだ。
『ココア! やっつけて!』
『ナァーオ』
……いずれのときも、ココアは可愛らしく鳴くだけで、小さい猫の姿のままだった。
話が違いすぎる。ヘルメスくんは、ココアがいれば大丈夫って言ったのに。いや、ココアがいなくてもヘルメスくんのサポートなんかいらないけど。あんなやつともう話したくもないけど!
とにかく、ココアが戦ってくれないので、私は自分でがんばってみたのだ。
鑑定のスキルでステータスを見ると、能力値は私の方がちょびっとだけ高いみたいだった。これなら勝てると、スライムやゴブリンに殴りかかってみた。
でも、私のパンチはふわふわだった。
何なのかな、あれ! 殴っても相手にダメージないし! しかも、こっちのMPはなぜか減るんだよ! あんなの攻撃じゃないよ! 遠回りな自殺だよ!
結局、私はモンスターから走って逃げ回るしかなかったのだ。幸い、出会ったモンスターのスピードは私よりも遅かったので、毎回逃げ切ることができた。
でも、今の私は十歳の幼女である。そんな幼女が、猫を両手に抱えて走りまくったのだ。体力なんてあっという間に尽きるし、ふとももだってパンパンだ。
それでも何とか進んできたけど……森を抜けられる気配がない。日もそろそろ傾きかかっていた。明かりなんか持ってないし、食料も水もない。
正直……泣きそうだった。
「せめて、あの泉から水を汲んで、果物をとってきていたら……」
「ナァーオ」
ココアが長い声で鳴く。心配してくれているのだろうか。でもね、ココア。あなたが戦ってくれていたら、もうちょっと楽だったんだよ?
……いや、ダメだ。ココアを恨むのは筋違いだ。ココアは、私のことを熊から助けてくれた。今だって、ココアが横にいてくれるから、私は寂しい思いをせずに済んでる。
それに、一番悪いのはヘルメスくんだしね。恨むのはヘルメスくんだけにして、とりあえず、これからどうするかよく考えよう。
けど、いいアイデアなんて簡単に思い浮かぶわけもない。代わりに出るのは、出るのはため息とお腹の音ばかり。ぐぅー、という音に、私の思考はいちいち中断されていく。
それでも、私が一人悩んでいると、不意にココアが私から離れる。
「ココア?」
すると、ココアはぴょんと跳ねるようにして、木々が鬱蒼と立ち並ぶ森の奥へ走り出していった。
「嘘でしょ!? ココア、待って! どこに行くの!?」
私は慌てて立ち上がって、ココアを追いかける。もう走る体力なんて残ってない。けど、ココアと離れ離れになるのがどうしようもなく怖かった。
泣きそうになりながら、私はココアを追いかける。
でも、体は所詮、十歳の女の子だ。いや、大人の体だったとしても、とても追いつけなかっただろう。
結局私は、あっという間にココアを見失い、一人でポツンと取り残された。
「う……」
目頭が熱くなる。押さえ込んでいた感情が一気に溢れ出た。
怖い、寂しい、辛い。どうにも抗えず、私は声をあげて泣き喚いた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁん! ココアぁぁぁぁぁぁぁぁ! 帰ってきてよぉぉぉぉぉぉぉ!」
一人ぼっちで、私は泣き続けた。いつまでもいつまでも、涙が止まらなかった。
生きていたときの、あんなに辛い毎日の中でも、こんなふうに泣いたことはなかった。いろんな感情が体の中でごちゃまぜになって、爆発していた。
ただ、泣くことしかできなかった。赤ん坊だ。無力で、誰かが助けてくれることを期待して、泣き続けることしかできない。
助けてくれる? 誰が? 誰でもいい。誰か、誰か私を助けてよ。
泣き続けた。一歩も動けずに、ずーっと泣き続けた。もう何もしたくなかった。涙と声が枯れるまで、ただただそうしていようと思った。
ふと、大きな手が私の肩に触れた。
「うおっ、ふわふわ!?」
「え?」
びっくりして私が振り返ると、毛むくじゃらの顔が私を見下ろしていた。
「すまん、驚かせたか。お嬢ちゃん、どうした? こんな道のど真ん中で」
遅れて私は、それがひげを伸ばした中年の男性だと理解する。
動物の毛皮でつくった帽子や服を身にまとい、腰には大きな鉈を下げていた。手にはカンテラを持っていて、その光がおじさんと私の顔を照らしている。
泣いているうちに、すっかり日が落ちてしまったらしい。私が何も言えずに見つめ返していると、おじさんは優しく微笑んだ。
「親はどうした? お嬢ちゃん一人か?」
「ぐす……ひ、一人……街に、街に行きたいけど……ぐすっ」
「街に? 街にどうして行きたいんだい?」
「ぐすっ! ひ、人に……会いたかったぁ!」
感情が涙になって溢れ出る。おじさんはそっと私の背中を撫でた。
「そうかそうか、もう安心だからな。おじさんが街まで連れて行ってやろう。ところで、お嬢ちゃんはどうしてこんなところに一人でいるんだい?」
「き、気づいたら、泉にいて……ずっと一人で……えぐっ! 猫はいたけど、いなくなってぇ!」
「よしよし、大丈夫だ大丈夫だ。おーい! お前ら!」
おじさんは私の頭をわしゃわしゃと撫でてから、後ろの方に大声で呼びかける。
すると、ガサガサと草木をかきわけて、カンテラを持った男たちが近づいてきた。
人数は四人。全員、おじさんと似たような服装をしている。
「大将、どうしたんです?」
「おう、やっぱり子どもの泣き声だったよ。このお嬢ちゃん、どうやら一人らしい」
「家出でもしたんですかい? それにしても、随分かわいらしいお嬢ちゃんじゃないですか。身なりもいいし、貴族の娘でしょうかね?」
「俺もそう思ったんだけどな。お嬢ちゃん、あんた親は?」
おじさんにそう聞かれて、私は首を左右に振った。
大将、と呼ばれていたから、おじさんはこの人たちのリーダーみたいな人なのかな。他の人たちも強そうだし、あの熊はともかく、スライムやゴブリンなら簡単に倒してしまいそうに見える。
「親はわからない。気づいたら、泉にいたから」
「記憶が混乱してるのかねぇ。そうだ、お嬢ちゃん。お腹は空いてないかい?」
もちろんペコペコだったので、私は頭をぶんぶんと縦に振る。
すると、おじさんは袋からパンと水筒を取り出して、私に手渡した。。
「遠慮せず食うといい。こんな森に一人だと心細かっただろう」
「あ、ありがとう!」
ぐぅ、とお腹が激しく鳴る。私は急いで水筒に口をつけると、中身を一気に飲み干した。
全身に、冷たい水が染み渡る。私は息もつかず、握り締めていたパンにかじりついた。
硬い、ぼそぼそした食感のパンだった。生前、コンビニで何度も買った惣菜パンの方が、ずっと美味しい。
なのに、目から涙が溢れて止まらなかった。口いっぱいに小麦の甘味が広がっていくのが、この上なく幸せだった。
ポロポロ涙をこぼしながら、私は硬いパンを歯で引きちぎるように食べ続ける。あっという間に、パンはなくなってしまった。
「かわいそうに、よっぽどお腹が減ってたんだなぁ。さあ、お嬢ちゃん、こんなところはさっさと出て、あったかいベッドのある街に行こうや」
私が空っぽにしてしまった水筒を差し出しても、おじさんは嫌そうな顔一つせずにそう言った。
「心配すんな、ここからなら、街まではすぐさ。よく子どもの足で、ここまで歩いたもんだ。街までは俺がおぶってやろう」
ひょいっと振り返ると、おじさんはしゃがんで、私の方に背中を差し出す。大きな背中だった。お父さんの背中よりもずっと広い。
私はおじさんの肩に手をかけようとして――ふと、その手を引いた。
「ダメ……ココアが……ココアが、帰ってきてないから」
「ん? なんだそりゃ?」
「えと……猫なの」
「ペットとはぐれちまったってことかい? わかったわかった。おい、お前ら、お嬢ちゃんのペットを探しておいてやれ」
「い、いい! 街まであとちょっとなら……私、自分でいけるから! ココアは、私が自分で探すから!」
おじさんの厚意を、なぜか私ははねつけてしまった。
すぐに、後悔する。そもそも、ココアの方が勝手に行ってしまったのだ。あんな子のことなんて気にせず、おじさんたちに甘えればよかった。
それに、真っ暗になった森の中に私が一人で残っても、ココアを見つけられるわけがない。
「大丈夫だよ、お嬢ちゃん。猫はおじさんたちがちゃーんと探してやるから。それより、夜の森は危険なんだ。だから一緒に行こう、な?」
おじさんの言うとおりだ。
熊はやっつけたけど、この森にはたくさんモンスターがいる。あの熊みたいに危険なモンスターもいるかもしれない。
それに私は、もう疲れきっていて、歩くのもやっとだ。
「やだ!」
なのに、私の口からは、そんな言葉が飛び出していた。
「ココアと一緒じゃなきゃ嫌なの! 私は行かない! ココアを探す!」
何を言っているんだろう、私は。ココアは私を置いていったのに。おじさんは、私のことを思って言ってくれているのに。まるで、おじさんが悪者みたいな言い方をして。
おじさんは面食らったような顔をしていたが、やがて諦めたようにため息をついた。
ごめんなさい、おじさん。違うの。私、今なんだかおかしくて……。
心の中で必死に言い訳をする私の肩に、そっとおじさんは片手を置いた。
「……そういうわけにゃあ、いかねぇんだよ」
ぼそっと、耳元で、底冷えするようなおじさんの声が響く。
直後、私はお腹に、ふわっとした感触を覚えた。
「「え?」」
私とおじさんは、同時に驚きの声を漏らす。
何が起きたのか、私には理解できなかった。
直後、おじさんは私のそばから飛び退いた。
「な、なんだ、今の手応えは……お前、何をやった!」
おじさんからは、さっきまでの優しい表情など消え失せていた。
肉食動物が獲物を見るような獰猛な目で、私のことを睨んでいる。
遅れて、私は今さっき、おじさんに腹を殴られたのだと理解した。無意識にステータスを呼び出す。
______________________
名前:サーシャ・アルフヘイム
種族:人間
年齢:10歳
職業:勇者/ビーストテイマー
Lv:2
HP:14/21
MP:12/28
攻撃力:10
防御力:8
素早さ:14
かしこさ:105
【スキル】
ふわふわ(Lv1)
魔獣使い(Lv1)
鑑定(Lv1)
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道中でのモンスターとの戦闘で、HPとMPは随分減らされていた。それでも、最後にモンスターの攻撃を受けたとき、どれだけMPが残っていたかは覚えている。
さっきまで、14ポイントあったはずだ。減った2ポイントは、おじさんの攻撃を防ぐために使われたものだ。
「おじさん、なんで……」
「なんで? お前みたいなガキは、奴隷として金持ちに高く売れるからさ! 見た目もいいし、親もいない、最高の商品だと思ったのによぉ!」
おじさんは態度を豹変させて、呆然とする私を嘲笑うようにそう言った。
奴隷? この世界には、まだそんな制度が残っているの?
私――私このままだと、奴隷として売られちゃうの!?
「ダダをこねやがるから、気絶させて連れて帰ろうと思ったのに……お前、何をしやがった。なんで、お前は無傷なんだ? 答えやがれ!」
乱暴に怒鳴りながら、おじさんは腰の鉈を引き抜いた。
カンテラの明かりを受けて、サビのかかった刃が鈍く輝く。それがまるで、鉈にこびりついた血のように見えて、私は背筋に寒気を覚えた。
「おいおい大将! 傷つけたら売りもんになんねーよ!」
「うるせぇバカやろう! 傷つけやしねーよ! こいつがおとなしくしてればな!」
「大将は仕方ねぇなぁ、頭に血が上るとこれなんだから。おい、嬢ちゃん。怪我したくなかったらおとなしくするんだぞ」
おじさんにならって、周りの男たちもそれぞれ刃物を取り出す。
ナイフ、手斧、鎌、曲刀……獲物は様々だった。ただ、間違いがないことは、そのどれもが私の命を刈り取るには十分すぎる力を持っているということ。
ココア……助けて、ココア!
必死に念じたが、あの巨大な怪物も、小さな茶色い子猫も私の前には現れない。
五人の男たちは、私が逃げられないように取り囲みながら、ジリジリと距離を詰めてきた。
「動くんじゃねぇぞ、お嬢ちゃん。良い子にしてりゃあ、何もしねぇんだから」
おじさんが、鉈を突き出したまま、私の目の前にやってくる。鉈の切っ先が、鼻先に触れそうなところまで来た。下がろうとしても、後ろには鎌を持った男が立っている。
恐怖心に負けた私は、思わず手で、目の前の鉈を払い除けた。
「いやぁ!!」
「ぐっ! お前!!」
いきりたったおじさんが、鉈を頭上に振り上げる。私はしゃがみこみ、両手で頭を抱えた。
怖い怖い怖い! 死にたくないよ! 助けて! 助けてココア!
必死に祈るが、ココアは帰って来ない。私は何もできずに震えていた。
――なのに、私に死は訪れなかった。
「大将!? 鉈が!?」
「なんじゃこりゃあ!?」
おじさんの叫び声を聞いて、私は顔をあげた。そして、思わず目を丸くする。
おじさんが振り上げた鉈は、まるで粘土細工のように、刀身がぐにゃりと曲がっていたのだ。
「おま、お前、何をしたぁ!?」
怪物を見るような目で、おじさんが私を睨む。その目にははっきりと恐怖が浮かんでいた。
同時に、私は直感する。即座に振り向くと、後ろで鎌を構えていた男に近づいて、その刃を掴んだ。
すると、掴んだ鎌は水飴のように、くにゃりと折れ曲がる。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!? 俺の鎌がぁぁぁぁぁぁ!?」
男は鎌を放り出して尻餅をついた。その隙に、私はステータスを確認する。
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名前:サーシャ・アルフヘイム
種族:人間
年齢:10歳
職業:勇者/ビーストテイマー
Lv:2
HP:14/21
MP:8/28
攻撃力:10
防御力:8
素早さ:14
かしこさ:105
【スキル】
ふわふわ(Lv1)
魔獣使い(Lv1)
鑑定(Lv1)
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MPが4ポイント減っている。うん、きっとこれは、ふわふわの効果なんだ。ふわふわっていうより、ぐにゃぐにゃだけど。
相手が持っている武器は、あと三つ。MPは何とか足りる。けど、ここは……。
「ふふふ……あはははははは!」
私は両手を天に向けて広げながら、高らかに笑い声をあげた。
「愚かな人間どもめ! わらわのこの姿に、まんまと騙されおったわ!」
「なんだと!? な、何者だお前は!」
「頭が高いぞ、跪け! わらわこそは、この聖域の主! 伝説の神獣、ケット・シーである!」
心の奥底にある恐怖を必死に押し殺して、私は尊大に宣言した。
大昔に見たアニメのセリフのアレンジだ。今、おじさんたちは私のふわふわにビビっている。きっと騙されてくれるはず。
……いや、騙されて欲しい。お願いだから騙されて。騙されてくれなかったら、私、反撃の手段がないんだよ! 大人五人相手だったら、普通に腕力で負けるんだよ!
「け……け……ケット・シー……?」
そして、男たちはポカンとしていた。
……大げさな嘘をつきすぎた! やばい、バレる! どどど、どうしよう! 今からどう修正しよう!?
「せ、正確にはその、ケット・シーを使い魔に――」
「うわぁぁぁぁ! 逃げろぉぉぉぉぉ! 殺されちまう!!」
「実在したんだ! この森には本当に、ケット・シーがいたんだぁぁぁぁぁぁ!」
「おかあちゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!」
私が訂正しようとした矢先、男たちは大パニックに陥った。
大の大人が……おかあちゃんって……ここまでキレイに信じられると、逆にこっちが戸惑うよ……。
「え? あの、えと……?」
「ゆるしてくれぇ! 助けてくれぇー!」
「もう二度と森には入りませんからー!」
困惑する私をほったらかして、男たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていった。その結果、私はぽつんと一人、夜の森に取り残される。
よっぽど慌てていたらしく、男たちは荷物を全部、その辺に放り出していた。落ちていた袋を一つ拾って見ると、食料や水、それにこのあたりの地図とコンパスも入っている。
カンテラも放り出していったので、明かりにも困りそうにない。
「って、大変。このままだと、森に火がうつっちゃう!」
ハッとして、私はまずカンテラを拾い集める。とりあえず、一つだけは残して火を消した。
ふぅ、よかった。せっかく助かったのに、火事で焼け死ぬなんて絶対に嫌だしね。
とりあえず、今夜はここで夜を明かすしかないかな。あの人たち、簡易テントっぽいものも置いていってくれたし。カンテラの明かりがあれば、一人でも組み立てられるかな。
私は残った体力を振り絞って、テントを組み立て始める。作りがすごく単純だったので、テントはあっという間に完成した。
とりあえず、一休みしよう。朝になったら出発……で、いいよね。ココアは、見つからないだろうし。
「ナァーオ」
「っ!? コ、ココア!?」
久しぶりに聞いた鳴き声に、私は弾かれるようにして振り返った。
見ると、カンテラの明かりに照らされたココアが、私の真後ろに立っている。
私はココアを両手で抱き上げた。
「あなた、今までどこに――」
言いかけて、私はココアが口にくわえているものに気がついた。
モグラだ。ココアの頭くらいのサイズがある、でーっかいモグラ。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
私はココアをぽーんと放り投げてしまった。
ココアは空中でくるりと一回転して、すたっと着地。一旦、モグラを地面において「ナァーオ」と鳴く。
お、お見事……思わず拍手をしそうになった。
「って、違う! ココア、何よ、そのモグラ!」
「ナァーオ」
ココアはもう一度鳴くと、はむっとモグラをくわえて、私の足元に戻ってきた。
そして、モグラをぽてっと私の足元に落として、私の顔をじーっと見つめる。
な、何なの……この子。こんなに心配かけて……急にどこか行ったと思ったら、今更戻ってきて……しかも、モグラの死体なんて持って帰ってくるし。
でもそこで、私はハッと気がついた。
「ココア、もしかしてそれ、私に食べさせようと思ってとってきたの?」
「ナァーオ」
言葉が通じている、なんて思ってなかったが、私にはココアが「そうだよ」と言っているように感じた。
私のお腹が鳴るのを聞いて、ココアは森の奥に言ったんだ。私のために食べ物を取ってこようとして。
そのせいで、私はすごく心細かった。たくさん泣いて、おかげで悪い人たちに見つかって、すごく怖い思いをした。
とってきたモグラだって、私には食べられない。さっきまで、火もなかったのだ。ココアは、このモグラを、私に生で食えというつもりだったのだろうか。
迷惑でしかなかった。私は何も助かってない。そして、こういうことは……前の人生でも、たくさんあった。
仕事場で、私がよかれと思ってしたことが裏目に出て、叱責を受けたことが何度もあった。その度に、もう余計なことはしないと自分に言い聞かせた。
言われたことだけしていればいい。私なんかが気をつかったって、迷惑をかけるだけなんだ。バカを見るだけなんだ。
だけど、だけど……今、私は涙が止まらなかった。
「ありがとう……ありがとう、ココア!」
「ナァーオ?」
私はココアを強く抱きしめる。何の役にも立たない善意だったけど、私の心は満たされていた。
ヘルメスくんも、あのおじさんたちも、私が助かることはしてくれたけど、そこには打算や悪意が満ちていた。
だけど、ココアは私のことを考えてくれた。どんなに不器用で間違ったやり方でも、ココアだけは私を思ってくれたんだ。
一人ぼっちのこの世界では、そのことが何よりも私の心を救ってくれる。
「戦わなくてもいい! 一緒にいてくれるだけでいい! だから、ココア! もう勝手にどこにもいかないで!」
ココアを抱きしめたまま、私は泣き続ける。でも、胸の奥には暖かさを感じていた。一人ぼっちで涙を流していたときとは全然違う。私は今、とても幸せだった。
「ナァーオ」
「あっ、ココア」
ココアは苦しそうに身をよじると、ぴょんと私の腕から飛び出す。
私はまたどこかに行ってしまうんじゃないかと思って、ココアを追いかけようとした。でも、ココアはどこにもいかず、ぱくっと足元のモグラをくわえる。
「ナァーオ」
「……ごめん、ココア。それは本当に食べられないから」
しつこく私の足にモグラを乗せて来るココアに、私は苦笑いを浮かべることしかできないのだった。