ふわふわ37 ミオ、恐ろしい子
「サーシャちゃんってさ、少し目を離したら絶対にトラブルに巻き込まれてるよね」
ボロボロになりながら、なんとかディオゲネイルの宿に戻った私に、ミオちゃんが投げかけた第一声がそれだった。
なんで泥だらけなのかとか、背中に背負ってる男の子は誰なのとか、こんな時間まで何してたのとか……色々聞くべきことはあると思うんだけどなぁ。
ただ、ミオちゃんの視線が思ったほど白くないのが救いだった。でも、思ったほどではなかっただけで、バッチリ白かった。
「今回は……私、そんなに悪くないと思うんだ……」
「ジェシカから聞いてる。カバン取られたんでしょ? サーシャちゃん、隙が多いもんね」
「わ、悪いのは盗まれた方じゃなくて、盗む方だよ、ミオちゃん!」
「そうだね。それは、サーシャちゃんの言う通り。でも、じゃあ、なんでその悪い泥棒をサーシャちゃんが背負ってるの?」
「……なんで、この人が泥棒だってわかったの?」
「ジェシカから、特徴聞いてたし」
だからって、そんなあっさり言い当てられないと思うんだけどなぁ。
ミオちゃんの勘の鋭さに感心しつつ、私はとりあえず、自分のベッドにマルセロを寝かせる。
この人、結局、私がここに運んでくる間ずっと目を覚まさなかったんだよね。あんなに元気に逃げ回ってたのに……せめて、途中で目を覚ましてくれたら、運ぶのももうちょっと楽だったのにな。
「私だって、別に連れて来たくて連れて来たんじゃないよ。ただ、この人が街の外まで逃げて、それを追いかけてたら倒れて動かなくなって。そこを魔物に襲われたから、仕方なく」
「街の外には出ちゃダメって私言ったのにー」
「こ、この人が水路から外に逃げ出したから、仕方なかったんだよっ!」
「だから、あたしに任せてくれればよかったのに、サーシャ」
ココアをはたきのようなおもちゃでじゃらしながら、ジェシカさんが口を挟んだ。
ジェシカさん、いつの間にあんなものを買ったんだろう。私が帰って来るのを待ってる間かな。
結局、あれからずっと置き去りにしちゃったということには心が痛む。でも……。
「ジェシカさんには休んでもらわないとダメだったから……」
「そうだね。それは私も仕方なかったと思う。ジェシカは一回倒れてるんだから、自分の体を大事にしなきゃ」
「そうですよ。サーシャ様の判断は正しいです」
「みんな、あたしに過保護だってば」
ジェシカさんは苦笑したが、その点に関しては、私たち三人の心は一つだ。同時に、私は二人に同意してもらえてホッとした。
勝手に一人で突っ走ったって叱られないかなって、心配だったんだよね。
「今回は……わ、私、頑張ったんだよ? 人に向かって魔法は使わなかったし、危ないこともしなかったし……街の外には出ちゃったけど」
「あたしは心配したよ。こんな時間になるまで帰って来ないしさぁ」
「まあまあ、ジェシカ。私も心配だったけど、連絡できる状態じゃなかったみたいだしさ。私は、本当に、サーシャちゃんなりに頑張ったんだと思うよ」
「はい! 引ったくり相手にも、魔法を使わず、我慢したんですよね? サーシャ様は立派です!」
ぼやくジェシカさんをミオちゃんがなだめ、フィアナは私を力強く褒めてくれた。
試験でルビンさんごと敵を吹き飛ばそうとしたフィアナには、私の葛藤がよくわかるのだろう。実際、ファイアボールの一発でも撃てたらどんなに楽だったか。
でも、今回のことについては、みんな私にあんまり呆れてないようだ。悪魔の言うことを信じてよかった。
『今までやらかしすぎて、みんなのハードルが下がってただけでしょ?』
うるさい、私の中の天使。今は悪魔がほほえむ時代なんだ!
「サーシャちゃん、とりあえず休んだら? ずーっと走ってたんでしょ? もうヘロヘロじゃない?」
「ありがとう、そうするよ……」
どさっと、近くにあった椅子に座り込む。あー、足が痛いよぉ。疲れたぁ……。
「しかし、サーシャ様。この泥棒はどうするのですか?」
私がぐったりしていると、フィアナが声をかけてきた。
どうする、かぁー。
「……全然考えてない」
「サーシャちゃんらしいね」
ミオちゃんに笑われた。まあ、怒られるよりマシかぁ。私、なんで最近、仲間に怒られる心配ばかりしてるんだろう。
前世の悪い癖が出てるね。毎日怒られてたもんね。
「ん……くぅ……う……」
その時、部屋に小さなうめき声が響いた。私たちのものではない。
「あの子、もしかして気がついたんじゃない? サーシャ」
ジェシカさんに言われて、私は自分のベッドを見る。
マルセロはベッドに横たわったままだったが、苦し気にうめきながら、目を少し開けていた。
そして、しばらくうめいた後、ゆっくりと体を起こし始める。まだ相当辛いようで、体を起こした後はじっと額を押さえていた。
私はどうしようかと悩んでいたが、他のメンバーが声をかける様子はない。私がいかないといけないのか。まあ、そりゃそうだろうけど。連れて来たのは私だし。
「大丈夫?」
「頭が……ガンガンする……」
マルセロはとても辛そうだった。回復魔法でもかけてあげたいところだが、別に彼のHPは減っていない。
たぶん、酸欠でも起こしているんだろう。あれだけ走り回った後だし。私も、実はしばらくの間、頭痛がひどかった。
先日のジェシカさんと同じで、自然回復を待つくらいしか、できることはなさそう。
しばらくの間、沈黙。聞きたいことがないわけじゃないんだけど……苦しそうにしてる人に、声はかけづらい。
「なんで……お前……俺のこと、助けたんだ?」
すると、先に口を開いたのはマルセロの方だった。
「覚えてるの?」
「ぼんやりと……所々は」
私が少し驚いて聞き返すと、マルセロはややかすれた声でそう返した。
意識あったんだ。完全に気絶してると思ってたけど。でも、そういえば、カバン取り返すとき抵抗してきたもんね。
「どういうつもりなんだ……なんで、俺をここに連れて来たんだ? ……何が、狙いなんだ?」
「いや、狙いとかは別に……」
「サーシャちゃん、ちょっと待ってね」
私が椅子に座ったまま受け答えをしていると、急にミオちゃんが立ちあがった。
そのまま、マルセロくんの元へ歩いて行く。何か、気づいたことでもあったんだろうか? あの子、鋭いし。
様子をじーっと見守っていると、ミオちゃんはマルセロが寝ているベッドのすぐ隣に立って――
いきなり、口の中にその手を突っ込んだ。
「ミオちゃん!?」
「ねぇ、そんなことより先に言うべきことがあるよね、サーシャちゃんに? あるでしょ? ねぇ?」
「あが! あががががが!」
あれは、舌を引っ張っている。一目でわかるのは、以前同じ目に遭ってる人を見たからだ。
すぐそばで、フィアナが顔を真っ青にして、両手で口を覆っている。うん、やっぱりトラウマなんだね。
ミオちゃんは、マルセロの舌を引っ張りながら、額がつくくらい顔を近づけて続けた。
「泥棒したんだよね? 今日はさ、サーシャちゃん、ジェシカと一緒にゆっくり街を回って遊ぶはずだったんだよ? そんな日滅多にないんだよ? それをぶち壊したのわかってるかな? わかってないよね、今言ったもんね? わかってないから許されるとか思ってる?」
「し、舌が! はな、離せぇっ!」
「先に言うべきことがあるよねって聞いたよね? その答えがそれなんだね? じゃあ、もうこの舌いらないね?」
「がぁぁぁっ! あがぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
み、ミオちゃん……完全に、あのときのジェシカさんみたいになってる。
あの時は私と一緒に震える側だったのに! マルセロがどんなに叫んでも、顔色一つ変えてない!
「ミオこっわ……」
いえ、それでもあなたの方が怖かったです、ジェシカさん。
「ごめんなさいは? ねぇ、ごめんなさいは?」
「あが! はな、がぁぁぁぁ!」
「ごーめーんーなーさーいーはー?」
「ごべんばばいっ!!」
ついに涙をこぼしながら、陥落するマルセロ。
ジェシカさんも怖かったけど、10歳児があれやる絵面はやばい。
ローズクレスタで出会った頃の、純粋なミオちゃんはどこへ? と不安になってくる。
「私に言ってもダメだよね? 謝るのは私じゃないよね? 誰に謝ればいいのかな? よく考えてね?」
「あががが! あがーっ! ごべ、ごべんばばっ! がぁぁぁぁぁぁ!」
「ミオちゃんストップ! ストーップ!!」
一瞬、私は自分の疲労を忘れて、ミオちゃんのところに駆け寄った。
違う! 私の知ってるミオちゃんじゃないよ! この子はもっと優しくて純朴でいい子なんだ!
すると、ミオちゃんはようやくマルセロの舌から手を離して、
「サーシャちゃんは優しいね、こんな人助けてあげるなんて。ほら、サーシャちゃんに、なんて言えばいいと思う?」
「すいませんでした……そして、助けてくれてありがとうございました……」
「そのくらいでサーシャちゃんが納得すると思う? 自分が何したかまだわかってない? そんな言葉しか出ないなら、やっぱりその舌はいらな――」
「ミオちゃんストップぅー!! 許す! 納得した! 超納得したからぁ!」
私はミオちゃんにしがみついた。マルセロのためじゃない。このままだと、私の大好きなミオちゃんが取返しのつかないところに行ってしまう気がする!
「サーシャちゃんが本当に優しくてよかったね。サーシャちゃんがそこまで言うのに、私が何かするのはおかしいし、このくらいにしておくね」
「あ、ありがとう……ミオちゃん」
「なんでサーシャちゃんがお礼言うの? お礼を言うべきなのはこの人だよ? おかしなサーシャちゃん」
「ミオこわぁー」
いや、だからジェシカさんが元凶だからね。あなたがお手本だからね。
さて……どうしようか。マルセロと、ついでにフィアナは怯え切っている。ミオちゃんは笑顔が怖い。ジェシカさんは、ココアとはたきで遊んでいる。
私だな。私がやるしかないな。物凄く疲れてるんだけど……。
「えっと……さ。なんで、私のカバン盗ったの? お金は入ってないし、狙うなら、ジェシカさんの荷物の方がよかったと思うんだけど」
とりあえず、ずっと気になっていたことを尋ねてみる。
明らかに、マルセロは私のカバンに執着していた。水に飛び込んででも、持ち逃げしようとするくらい。
あれだけしつこく追いかけられるくらいなら、普通は手放す。なのに、マルセロは倒れた後も、カバンを離そうとしなかった。
私の質問に対して、マルセロはうつむき、
「……言えない」
「ミオちゃん落ち着いて! ここは私に任せて!」
「私は落ち着いてるよ、サーシャちゃん? どうしたの、急に?」
ミオちゃんはキョトンとしていたが、私はその右手がピクリと動いたのを見逃してないからね!
「なんで言えないの? ええと……マルセロくん、だよね?」
「どうして、俺の名前がわかるんだ」
「私、鑑定のスキルがあるから。職業も見たよ」
「……そうか。でも、言えない。絶対に」
彼の決意は固いようで、暗い顔をして口を閉ざす。
困ったなぁ。この人、魔王のしもべなんだよね。何もなく、解放するわけにもいかないよねぇ……。
と、私が悩んでいると、
「……覚悟はできてる。殺せよ」
「ミオちゃん! 落ち着いて! 冷静になって!!」
「えー? 今のは言いたいよぉ、サーシャちゃん」
だってあれでしょう!? ジェシカさんの「は? 殺さないけど?」でしょ!? 既視感ありすぎる流れですぐ気づいたよ!
あと言いたいってなに、ミオちゃん!? 楽しんでる!? この子、さっきから拷問を楽しんでる!? 違う、ミオちゃんはそんな子じゃない!
「フィアナ、どうしてさっきからずっと顔色悪いの?」
「自覚ないんですか、ジェシカ様!?」
あっちはあっちで騒いでいる。ジェシカさん、怒ったときの自分がどれだけ怖いか全然わかってないんだなー。
それにしても、どうしたものだろう。ミオちゃんは脅迫で聞き出す気満々だけど、私はそんなミオちゃんを見たくない。
いや、ギルドマスターと交渉してたときも半分脅してたけど、あれはまだ見てられる範囲だったし……私は優しいミオちゃんが大好きなんだ。
「マルセロくんは、魔王のしもべなんだよね? 脅されて、何か命令されたんじゃないの? 私に関することで」
しばらく考えて、私はそんな質問を口にした。
私が魔王のしもべに襲われることは、今までよくあった。私が魔王を倒すと言われている勇者だから、狙われているのだ。
そんな中で、今回のことはフィアナのケースとよく似ている気がする。舌を引っ張られたとかそういうことじゃない。魔物ではないものが、魔王のしもべになっているという状態が似ているのだ。
フィアナは仲間たちを人質に、エルフでありながら魔王に協力させられていた。結果、ダークエルフになってしまったわけだ。
そして、今、目の前にいる彼は人間だ。何の理由もなく、魔王のしもべをしているとは考えにくい。あの時のフィアナも、最初は情報を話すのを拒んでいた。ジェシカさんが怖かったから、あっさり全部しゃべってたけど。
「俺は何も言えないんだ」
随分、頑なだ。でも、表情を見ていると、的外れでもなさそうな気がする。
私はさらに続けた。
「このカバンの中身を知ってたんじゃないの? 私から、魔法大全を奪って来いとか、命令されたんじゃないの?」
「だから、何も言えないって言ってるじゃないか! いいから殺せよ! 失敗した時点で、どうせ、俺はもう!」
ここで、初めて、彼は声を荒げた。
失敗。その言葉が、私の言葉を肯定しているように感じた。
少なくとも、ただの引ったくりじゃないことはもうわかった。一体、どうするべきか。魔王と関係しているのは間違いないから、ここで放置するわけにはいかない。
隣で、ミオちゃんがソワソワしているのを感じつつ、私は再び口を開いた。
「知ってると思うけど、私は勇者なんだ。魔王を倒すための旅をしてるの。だから、あなたがもし魔王に苦しめられてる人なら、助けたい」
私の言葉に、彼は顔を上げた。驚いたように目を見開いた後、すぐその目には愚蔑の光が宿る。
「俺からカバン一つ取り戻すのに……あんなに苦労しておいて……どうやって、魔王なんか倒すんだよ」
「それはあなたがすごかっただけだよ。半日追いかけ続けて、あなたが本当に必死だったのはよくわかった。そこまでして、何か守りたいものがあったんでしょ?」
「あんた……俺は、あんたのものを盗もうとしたんだぞ……?」
「わ、私からも、一ついいでしょうか?」
名乗りを上げたのは、後ろで私たちを見守っていたフィアナだった。
「魔王のしもべ……なんですね。私も、かつてはそうでした。里の仲間を人質に取られ、忠誠を誓わされました」
悔しそうな感情を顔に滲ませて、フィアナは語り出す。
今でもはっきりと覚えている。エミルの村で、真実を知った時のフィアナが、どんなにショックを受けていたか。
フィアナは表情に影を落としながらも、絞り出すようにして続けた。
「しかし、人質にされていると思っていた仲間たちは、実はもう魔王軍の手で殺されてしまっていたのです。私は騙されたまま、勇者様を――サーシャ様を襲いました。その後、真実を知り、恥ずかしながら魔王を倒す旅に同行させていただいているのです」
話を聞いていた彼の顔が、青ざめるのを感じた。やっぱり、この人も似たような状況にいるのだろう。
「魔王の、魔王軍の言葉を信用してはいけません。私も捕まったときは、仲間の身に危機が及ぶことを危惧して、口をつぐもうとしました。でも、あの時、全てを打ち明けてよかったと思っています」
だから、最初フィアナは、殺せって言ってたのか。その後、ジェシカさんにビビって全部ベラベラ喋ってしまったのは、今は忘れておいてあげよう。
「……俺は、ここからずっと南に行った先にある……ミストウォールって街を治めてる……領主の息子なんだ」
フィアナの説得は、どうやら、彼の心に響いたらしい。
フィアナも彼が口を開いたのを見て、どこかホッとしたような顔をしている。きっと、放ってはおけなかったのだろう。
私の仲間は、みんな優しい人たちばかりだ。ミオちゃんも本当は優しいんだ。若干残念そうな顔をしているように見えるのは、きっと私の心が歪んでいるだけだ。
「そこに……突然、魔物の大軍が攻めて来た。街はあっという間に占領された。一週間前の話だ」
「一週間前? そんなに前なら、とっくにここまで情報が来てると思うけど……」
目を丸くしていたのはミオちゃんだ。今の口ぶりだと、ミオちゃんは少なくとも知らないらしい。
ミオちゃんが知らないことを、フィアナが当然知るわけもない。私だって知らない。
ジェシカさんはと思って視線を向けると、それを待っていたかのように、難しい顔で口を開いた。
「ミストウォールは他の街や村とは離れた場所にある、陸の孤島のような土地だからね。それも、山に囲まれた盆地にあって、連絡が取りにくいんだ。行商人も行くのが大変だからほとんど立ち寄らない。魔物に占拠されても気づかないっていうのは、ありえる話かも」
「魔物たちは、街の人たちを捕まえて、閉じ込めて、働かせてる。誰も逃げられないように、厳重に監視してるんだ」
つまり、こっそり侵入してきた魔物の大軍が、ミストウォールっていう街を占領して好き勝手にしてるのか。
そして、それには誰も気づいてないから、助けも来ない。助けが呼べないように、住民は厳重に監視されている。
「じゃあ、なんでマルセロくんはここにいるの?」
「あんたから、カバンを奪い取るように命令された。もし持って帰って来られなかったら、親を殺すと脅された」
ぐっと、胸の奥から熱いものがこみあげて来る。
またか。また、そういうことをするのか、魔王軍。ミオちゃんのパパも、フィアナの仲間も奪って……今度は、この子の……。
「けど、そっちのダークエルフが言う通りなら……もう、うちの親は殺されてるんだな……それどころか、もしかしたら、街の人みんな……」
「街を占領している、魔物たちのリーダーは誰?」
その言葉を遮るようにして、口を挟んだのはミオちゃんだった。
「ミオちゃん、急にどうしたの? なんで、そんなこと聞くの?」
「たぶん、大事なことだから。ねえ、答えて。たぶん、とても有名な魔物だと思うんだ」
真剣な目をして、ミオちゃんは再度問いかける。ミオちゃん、どうしたんだろう。また、何かに気がついたのかな。
すると、尋ねられた彼は、少しの間ためらった後、口を開いた。
「……ティタン」
シーン……と、場が静まり返る。
この空気は何だろう。たぶん、みんなわかってるんだろうけど……私には全く聞き覚えがない名前なんですが。
そんな私の戸惑いを察してくれたらしく、ミオちゃんが私の顔を見ながら言った。
「ティタンは魔王軍四天王の一人だよ。トロルエンペラーって種族の魔物で、昔あった人間の国を、いくつも滅ぼしたって聞いてる」
「メフィスと同レベルの魔物ってこと?」
「メフィスは四天王の中では新参者です、サーシャ様。ティタンとは格が違います」
私の質問に、フィアナが緊張した面持ちで補足をくわえる。
元魔王のしもべだったフィアナが言うと、説得力がある。この人、ドラゴンのことは何も知らなかったけど。
けど、要するに……メフィスより強い魔物がハイルブロント王国に攻め込んできてるってことだよね?
「強い魔物はガルバルディア帝国と戦ってるんじゃなかったの?」
「メフィスのときと同じだよ。たぶん、サーシャを狙ってるんだ。ガルバルディアの小さな砦が落ちたニュースを結構前に聞いてたけど、たぶんそこを足掛かりに、山越えしてきたんだ」
今度は、ジェシカさんが私の疑問に答えてくれる。
私を狙って……その言葉に、胸の奥がズキリと痛む。
思い出した。メフィスのときだって、そうだった。私のせいで、ミオちゃんはパパを亡くした。
そして、今度は、この人の両親が……いや、街の人たちみんな……。
「それならたぶん、街の人たちは無事だと思う」
しかし、そんな私の考えを、ミオちゃんが隣で即座に否定した。
その言葉には、私だけでなく、その場にいた全員が驚いている。いや、ココアは毛づくろいしてるけど。
全員の注目を集めながら、ミオちゃんは続けた。
「相手の狙いは絶対にサーシャちゃん。四天王が出てきてるなら、たぶん、直接サーシャちゃんに手を下そうとしてると思う。けど、メフィスはローズクレスタに奇襲をかけて失敗した」
そうだ、あの時は、街の人を人質にして私と一対多数で戦おうとしてきたんだ。
相手はココアを警戒して、人質を盾に、置いて来るように命令してきた。ジェシカさんが駆け付けてくれたのと、メギドがうまく決まったおかげで倒せたけど。
「メフィスと同じ失敗をしないよう、ティタンはたぶん、今度は自分の本拠地にサーシャちゃんを誘い込もうとしてるんだと思う」
「本拠地って、ミストウォールのこと?」
「そうだよ、サーシャちゃん。ローズクレスタの奇襲は、サーシャちゃんを一人で誘い出すことはできたけど、その後は結局正々堂々の力勝負になっちゃった。ローズクレスタの人たちが手元にいるわけじゃなかったから」
正々堂々ではなかったけど……物凄い数に取り囲まれてたけど……。
けど、確かに、戦いの最中に人質を取られたリはしなかったもんね。
「でも、ミストウォールにサーシャちゃんを誘い込めれば、いくらでも罠を仕掛けられる。あの時の戦いより、ずっと有利に戦える」
「ティタンって、強いんだよね? そんなズルいことするの?」
「今まで、魔王軍がしたこと思い出してよ、サーシャちゃん」
「ごめん、バカなこと言った」
むしろ、何も仕掛けて来ないわけがないと言い切れるレベルだ。
「それでね。私、ティタンが本気で、こんな作戦成功すると思ってるとは信じられないんだよ」
「え? じゃあ、私をミストウォールに誘い込むつもりはないの?」
「ごめん、そうじゃないんだ。私が言ったのは、サーシャちゃんの魔法大全を盗ませる作戦のこと」
あ、ああ、なるほど、そっちか。混同しちゃった。
……こういうと情けないけど、割とうまく行きかけてたと思うなぁ。
「勇者を相手に、ごく普通のステータスしかない子どもが、物を盗んで逃げきれるわけがないんだよ。こうやって捕まっちゃうのは目に見えてる」
何度も言って申し訳ないんだけど、逃げ切られそうでした、実際は。とても危なかったです。
自信満々なミオちゃんに、とてもそんなことは言えない。
「私、思うんだ。わざと捕まるようにしたんじゃないかって」
「え? 待ってミオちゃん。よくわかんない」
「だから、わざとこの人をサーシャちゃんに捕まえさせて、ミストウォールの現状を伝えさせようとしたんだよ」
「ん? んん? け、けど、バレないようにこっそり占領したんだよね、その街を? 何の意味が?」
「大勢の人が、魔物に捕まってるって知ったら、助けに行くでしょ? 勇者なら」
「あ、あぁー……なるほど……」
確かに、こんな話聞いたら、助けなきゃって思っちゃうよね。しかも、四天王がいるなら、なおさら。倒さないといけない相手だし。
本当にズルいこと考えるな、魔王軍。こっちはふわふわしてるだけの10歳児だっていうのに。
「ミオ様はすごいですね……今の話だけで、そんなことまで考えつくなんて。末恐ろしいです」
「あたしも、最近のミオは怖いなってよく思うよ」
「ミオちゃんが怖いのはジェシカさんのせいだと思うけどね……」
「え? あたし? なんで? あたし全然怖くないじゃん?」
「わ、私だって怖くないよっ!」
私たちの言葉に、ミオちゃんがブンブンと手を振って怒る。こういうところはすごくかわいい。
「とにかく、私が言いたいのは、だからミストウォールの人たちはたぶん無事ってこと」
「え? ミオちゃん待って。今、そんな話してた?」
「サーシャを誘い込むって言ったでしょ? なら、人質がいた方がいいじゃん。それもたくさんいた方が、こっちは救出が大変になるし」
「あ、あぁー……なるほど……」
ミオちゃん、本当に鋭いなぁ。でも、やっぱり怖いなぁ。
「……それは、本当なのか? 俺の親は、無事なのか?」
ずっと口を閉ざして話を聞いていたマルセロ――いや、マルセロくんと呼ぼう。とにかく、彼は、ぼそっとそうつぶやいた。
絶望の中で、小さな希望を見たような、そんな顔をしている。それに対して、ミオちゃんは力強く頷いた。
「絶対、無事だと思う。サーシャちゃんを倒すのが目的なら、絶対そうした方がいいから。それに万が一、マルセロくんが成功してた場合に困るしね。ミストウォールから出られない以上、フィアナみたいに、直接会わせないって方法は取りづらいし」
ミオちゃんの言葉に、マルセロくんは心底安堵したような表情を浮かべる。絶対、なんて本当は言えないんだろうけど、ミオちゃんの言葉に迷いはなかった。
私も、ミオちゃんが言うことなら信じられる。絶対に、ミストウォールを救わないと。
「それでね、サーシャちゃん。私たちでこれから、考えないといけないことがあるんだけど」
「ミストウォールの人たちを助けるための作戦だね?」
「え?」
「え?」
ミオちゃんがきょとんとしたので、私も同時にきょとんとしてしまう。
ち、違うの? 私また、恥ずかしいミスをしたのかな?
「あはは、やっぱりサーシャは勇者だよ」
「ええ、サーシャ様はさすがですね」
急に、ジェシカさんとフィアナまで笑いだす。
なになに? え、本当にわかんないんだけど? 二人とも、わかってるなら、笑ってないで教えてよ!
「あんた……今の話聞いて……ミストウォールを救いに行ってくれるのか?」
私が焦っていると、今度はマルセロくんが信じられないといった顔で私を見て来た。
え? 何言ってるんだろう、この人。
「だって……私のせいで、巻き込まれたんだよね、ミストウォールの人たち。そりゃ、助けないと……っていうか、マルセロくんこそ、どうして怒ってないの……?」
「は?」
「あ、ご、ごめんなさい! 怒ってるに決まってるよね! 私、何言ってんだろ……わかってる! わかってるから!」
「ぷふーっ! あははははは!」
「ジェシカさん、なんでそんなに笑うの!?」
「ジェシカ様、そんなに笑っては、サーシャ様に悪いですよ」
「フィアナも笑ってるじゃん! 何なのさ、さっきから!?」
「みんな、サーシャちゃんはすごいなって思ってるんだよ」
「ウソだそんなの! 絶対バカにしてる笑い方じゃん! こういうの、いじめって言うんだからね!」
「バカになんてしてないよ。いいからいいから、サーシャちゃんはそのままがいいな」
ニコニコ笑ってる三人と、何やら呆然としているマルセロくん。
結局、誰もネタバラシ的なことはしてくれず、夜も遅くなってきたから今日は休もうという話になった。
しかし、疲れ切っていたはずの私は、その夜を悶々としたまま、あまり眠れずに過ごすこととなったのである。