ふわふわ36 魔法大全を追え、地の果てまで
「まぁぁぁぁてぇぇぇぇぇぇぇい!!」
ディオゲネイルの外。草原の中を、私は全力疾走していた。
正面には、私のカバンを奪った引ったくり。あの後、城壁を越えた私は、外の水路から出て来る引ったくりを発見したのだ。
向こうも、まさか街の外まで追いかけて来るとは思わなかったのだろう。ものすごく慌てた様子で、逃げ始めた。
しかし、ここには街のように障害物はなく、見失う心配はない。素早さも私の方がちょびっとだけ高い。
そして、私には切り札もある。
「エアロブラスター!!」
圧縮された空気の塊が、私の背中を強く前に押し出す。
引ったくりとの距離が一気に詰まる。
「捕まえ――たぁ!!」
すかっ。
私の両腕が空を切る。あれ?
私の体は、そのまま前方に放り出されていく。私の視界の端で、引ったくりは右の方に走り去っていく。
……ああ、そうか。エアロブラスター、真っすぐにしか進めないから、相手が曲がったらダメなんだ。
「へぶっ!!」
ずしゃー!! と地面に着地。す、スキルがあるから痛くないもん!
痛くないのになぜか涙が滲んでくる。女の子だからかな。
その間に、引ったくりはどんどん遠くへ。
「逃がすかぁー! エアロブラスター!!」
魔法の力で前方にぶっとび、引ったくりを慌てて追いかける。
真っすぐにしか進めないけど、距離が大きく空いているときは問題なく使える。相手が横に曲がったところで、目的地までの方向はほとんどずれないからだ。
けど、最後に確保するとき、この魔法には頼れない。さっきみたいに、滞空中に方向転換されたら簡単に逃げられるからだ。
つまり、私にできることは一つ。
「地の果てまで追いかけてやるぅぅぅ!!」
ある程度エアロブラスターで距離を詰めた後は、自分の足を使って全力疾走。
相手は、何度も方向転換をしながら、なんとか私を振り切ろうとする。私は、それに必死でくらいつく。
どんどん、ディオゲネイルから遠ざかっていくのがわかる。体力的にも超辛い。
引ったくりは諦める気配がない。距離もさっきから、離されることもない分、詰められてもいない。あと少しが届かない。
あぁ……魔法で……魔法でこの引ったくりをぶっ飛ばしたい……。
『ダメだよ、サーシャ! そんなことをしたら、またみんなに怒られるよ!』
この声はミオちゃん――じゃない。これはまさか、私の中の天使の声?
『今朝、ミオちゃんにも怒られたばっかりでしょ? どんなに苦しくても、ここは耐えて』
そ、そうだね、私の中の天使さん。私、今までやらかしまくってるもんね。これ以上やらかすわけにはいかないんだ。
『サーシャ! 悪魔の言葉なんかに耳を貸しちゃダメ!』
ん……また何か出てきた。え? あれ? 悪魔? さっきの、悪魔なの? 結構まともなこと言ってたと思うけど。
『サーシャ、あなたはすでにやらかしてるんだよ! 勝手に街の外に出たでしょう! 早く戻らないと、ミオちゃんたちに怒られるよ』
や、やめて! 目を逸らしていた現実を突きつけないで!
『悪魔の甘い言葉に惑わされないで! 一刻も早く引ったくりを捕まえて、カバンを奪い返さないと、元々ない信用をさらに失うよ!』
『そ、そこまで言わなくてもいいんじゃないかな……』
『あなたたち悪魔は、いつも耳障りのいいことを言って、人を惑わすんでしょ! 黙ってて!』
悪魔と天使逆じゃないかなぁ、配役がさぁ! 天使の発言から悪意しか感じないんですけどぉ!
『サーシャ! とにかく悪魔の言葉を聞いてはダメ! 攻撃するのよ!』
しないよ、天使さん!? 人間相手に魔法なんかぶっ放したら、フィアナの二の舞だよ!?
『違うよ、サーシャ! ぶっ放すのはふわふわビームよ!』
なんですと?
『ふわふわビームなら、傷つけることなく足止めができるわ。そして、周りに被害を受ける他の人もいない』
天使、やるな、おぬし。
『待って、サーシャ! ふわふわビームを使っちゃダメだよ!』
『黙りなさい、悪魔め! サーシャ、やるのよ!』
「ふわふわビーム!!」
私は手を突き出して、ふわふわビームを放つ。
悪魔には悪いけど、これは素晴らしい作戦だ。覚悟しろ、引ったくり!!
ひょい。引ったくりはビームをかわした。
あれ……?
『サーシャ……ふわふわビームも、エアロブラスターと同じで真っすぐにしか飛ばないんだから……ジグザグに走って逃げてる相手にあてるのは難しいよ……』
『また甘言を!! そんなのは甘えでしかないよ! サーシャ、次は確実にあてるんだよ!』
『しかも、外れたらビームが消えるまで動けないから、その間に逃げられちゃうし……ふわふわビームは使うMPも多いし……』
『そんなものは勇気でカバーするんだよ、サーシャ! あなたは勇者なんだから! 早く捕まえないと、ミオちゃんたちに合わせる顔がなくなっちゃうよ! いざとなったら、ロックバリスタで進路を塞いで、ふわふわビームを当てればいいから!』
『人に向かって魔法を撃ったらダメだよ、サーシャ! 事情を話せば、ミオちゃんたちならわかってくれるよ!』
『惑わされないで、サーシャ! 今のあなたにそんな信用はないんだから!』
やっぱりこの天使は悪魔なんじゃないかな。悪魔の方がずっとまともなこと言ってる。ふわふわビーム外したら、実際結構な時間ロスになることもわかったし……くそう、引ったくりめ。もうあんなとこまで。
私はエアロブラスターで距離を詰めてから、悪魔の言葉を信じ、愚直に引ったくりを追い続けることにした。
『サーシャ、考え直して! このままでは時間も経つし体力が切れるわ! やるのよ!!』
『サーシャ、自分を信じて! 自分が辛いときは相手も辛いんだよ!』
『黙りなさい、悪魔! サーシャを惑わせないで!』
いや、黙るのはお前だよ、天使。私を支えてくれるのは悪魔の声援だけだよ。
『サーシャ、ふわふわビームで仕留めてー!』
『サーシャ、諦めないで最後まで走ってー!』
***
朝から始まった追いかけっこ。気づけば、東にあった太陽が、西に沈みかけていた。
『……悪魔、あんたが余計なこと言うから、取り返しがつかないことになったわよ』
『だって……だってぇ……私はサーシャを信じたかったんだもん……』
「ぜぇ……ぜぇ……」
悪魔、あんたは間違ってないよ。だって、ほら。
あんたの言うことを信じたら、何とか引ったくりを捕まえることはできたんだから、さ。
私の前でぶっ倒れている引ったくりを見下ろしながら、私は膝に手をついて息を整えていた。
一体、何時間走ったんだろう。こんな体力が自分にあったことに驚きだ。そして、逃げ続けていた引ったくりの方も、異常だと思った。
けど、ついさっき、奇跡が起きた。引ったくりが、草の中に隠れていた、大きな石につまづいて転んだのだ。
そして、そこで緊張の糸がぷっつりと切れてしまったらしい。引ったくりはそこから起き上がることもなく、地面に倒れている。
ありがとう、悪魔。あんたは私の天使だよ。まあ、天使の言う通り……こんな時間まで街の外を走り回ってたなんて知れたら……どんなお説教が待っていることか。
でも、まあ……何とか、カバンは取り戻せたし、それはよしかな。
私は、引ったくりからカバンを取り上げようとする。
「……ん?」
カバンが、取れない。引ったくりが思い切り抱きしめて、守っている。
「ちょっ……返してよ……これ、私の!」
両手でしっかりカバンを持って、思いっきり引っ張る。攻撃力のステータスは私の方が高いのに、カバンは剥がれない。
くそ、こっちは疲れてるのに……。
「エアロブラスター!!」
自分の腹にエアロブラスターをぶつけて、思い切り後方に吹っ飛ぶ。その凄まじい力で、ようやく引ったくりの腕から、カバンが取れた。
ま、まったく……もう私だってヘロヘロなんだから、余計な体力使わせないでよね。
それにしても……なんだって、この人、こんなに必死になって私のカバンを取ろうとしたんだろう? 魔法使いには見えないし……っていうか、魔法のスキルもなくて、MPも0だった。
お金目当てなら、もっといい標的はいると思うんだけどな。まあ、いいや。疲れたし、帰ろ……。
「グルルル……」
「わっ!!」
私がディオゲネイルに帰ろうとして振り返ると、正面にいたオオカミが唸り声をあげた。
び、びっくりした。いつの間に? 心臓がバクバクいっているのを感じながら、私は周囲を見渡す。
すると、同じようなオオカミが10匹くらいで、私と引ったくりを取り囲んでいた。
これ……確か、ワーウルフって魔物だよね。ミオちゃんが試験で戦った相手だ。
ステータスを見てみると、どれもレベルは10くらいで、ステータスも大したことはない。
数は多いけど、普通に戦って勝てる相手だ。疲れてるから、戦いたくないけど……それなら、ふわふわのスキルで飛び越えちゃえばいいし。
問題は――私は振り返って、視線を背後へと向ける。
「グルルル……」
倒れている引ったくりに、数匹のワーウルフが近づこうとしていた。
どうしたものかと思いつつ、私はカバンの中身を確認する。
持ち物はほとんどグチョグチョに濡れていた。メモ帳とか、お菓子とか。おかげでカバンの中がべとべとだ。もう最悪。
でも、魔法大全だけは不思議と無事だった。表紙すら濡れた様子もなく、中のページにも被害はない。ミオちゃんのしおりも無事だ。……よかった。
「グルルル」
さっきよりも、はっきりとワーウルフの唸り声が聞こえる。
近づいて来ている証拠だ。別に、私にとってはどうともないことなんだけど。
倒れている引ったくり――マルセロは、今襲われたらひとたまりもないだろう。
カバン取られて、楽しいはずのジェシカさんとのお出かけもぶち壊しにされて。その上、クタクタになるまで走らされた。
きっと、この後、ジェシカさんたちにも怒られる。けど、なんでなんだろう。
私は、魔法大全のページを開きながら、近づいて来るワーウルフの群れを眺めた。
「冥府より来たれ、死者の腕」
「ガルゥッ!!」
ワーウルフたちが、一斉に飛び掛かって来る。私と、マルセロを狙って、同自に五匹ずつ。
こういうときは、出てこないんだね、天使と悪魔。それって、まるでさ。
「彼の者をとらえよ」
葛藤の必要すらないって、言われてるみたいじゃん。
「シャドウ・ハンズ!!」
漆黒の腕が、飛び掛かってきた10匹のワーウルフを捕まえた。
胴体を掴まれて、それぞれのワーウルフが激しくもがく。けど、この魔法は闇属性の上級魔法。レベル10くらいのワーウルフじゃ抜け出せない。
かといって、効果もそこまで長く続くわけじゃない。私は、ふぅっとため息をついて、魔法大全をカバンにしまうと。
「……ここから、運ばなきゃいけないのかぁ。よい……しょ」
マルセロのそばに歩み寄って、担ぎ上げた。年上だし、男の子だし……ちょっと重い。
そして、私はふわふわのスキルを使って浮き上がる。
ディオゲネイルの城壁は……あっちか。半日走り続けたから、随分遠くに来ちゃったよ。
絶対、途中で日が落ちるし……また魔物に襲われるかもしれないから、MPが尽きる前に徒歩だなぁ。
この疲れ切った体で、男の子を背負ったまま街まで歩いて、その上、魔物の襲撃にも警戒しないといけない。
先のことを考えて、とても憂鬱になりながら、私は深くため息を吐いたのだった。