ふわふわ33 亀裂
結局、あれから私とジェシカさんの間で会話はなかった。
といっても、ジェシカさんはほとんど寝ていたので、会話のしようがなかったと言えばそれまでだ。
ただ、ジェシカさんが時折目を覚ましたときも、私から声をかけることはしなかった。ジェシカさんも、ベッドのそばに置いてある水差しとコップで水を飲むくらいで、すぐにまた眠ってしまった。
ミオちゃんとフィアナが帰って来た時には、ジェシカさんは目を覚ましていたが、相変わらず元気はなかった。
いつもはポニーテールにまとめている髪も下ろしたままで、じっとベッドに横たわっている。ミオちゃんとフィアナはジェシカさんに声をかけていたが、私は離れたところで見ていた。
で、そういう状況になると、当然、
「サーシャちゃん、ジェシカと何かあったでしょ」
勘のいいミオちゃんには即座にバレるわけだ。
「別に、何も……」
「当てていい?」
なんで何もないと言ってるのに、当てるという選択肢が出て来るのか。
っていうか、何も言ってないのに、当てるってなに? エスパー?
「もし間違ってたら謝るよ。でも、合ってたらきっちり話して欲しいんだけど」
「だ、だから、何もない……」
「言ってもいい?」
まるで話を聞いてくれない。一欠片も信用がない。
でも、朝にした私とジェシカさんの会話の内容なんて、ミオちゃんにわかるわけないしなぁ。
引いてくれる気配はないし、とりあえず、頷くしかなさそうだ。
「いい、けど……」
「フィアナも来て、一緒に聞いて」
「は、はい」
フィアナが自分のベッドから移動してきて、そばの椅子にちょこんと座る。
今のフィアナ、ミオちゃんの忠犬って感じがしてちょっとかわいい。私は猫派なんだけどさ。
フィアナが近くに来たのを確認して、ミオちゃんは改めて口を開いた。
「二人ともラピスの森に入ったんでしょ? 一昨日の夜」
あぁ、そっちを当ててきますか……。
「ミオ様!? それは絶対にないと、ギルドマスターに対して怒っていたじゃないですか!?」
目を丸くしているフィアナの言葉に、ぐりぃっと心の傷を抉られる。
元々後悔していたところに、仲間の信頼を裏切ったという事実が重くのしかかって来る。
胃腸が……胃腸が痛い……。
「そうだよ。サーシャちゃんは、とんでもないことはするけど、善悪の区別はできるもん。だから、絶対やらないって思う。エミルルモガニアを見に行った時だって、サーシャちゃんは最初ダメって言ったし」
うん、最初だけね。その後、ミオちゃんに言葉巧みにYESの方向へ持って行かれたけどね。
後、中身は大人なのに、10歳児に「善悪の区別はできる」とか評価されるの結構へこむというか情けないんだけど。
「けど、それは何の理由もなかったらって話。まさかとは思ったけど、どうしてもラピスの森に入らないといけない理由ができたんじゃないの?」
じーっと、ミオちゃんが私の目を見つめてくる。
どうしよう……普段なら、ジェシカさんに助けを求めたい。でも、ジェシカさんは今、ベッドに横になったまま、ボーっとしている。
この会話を聞いてるのか、聞いてないのかわからない感じ。どっちにせよ、今のジェシカさんに助けなんて求められないよ。
結果、私ができることはうつむいて沈黙することだけだった。だって、言っていいのかどうか、わかんないし。元々、誰にも言わないっていう約束だったし……。
「例えば……誰かを助けるためとか。ラピスの森にしかないものっていうと……ルリオオマキツルクサくらいかな? あの植物の根っこって薬に使われるよね? ラピスの森が封鎖されてから品薄だし、病気の人に頼まれた?」
ひぃぃぃ! エスパーだぁぁぁ! ミオちゃん、何も言ってないのにどうしてわかるの!?
動揺を必死に隠そうとするけど、心臓は早鐘を打っている。
「あと、ずっとおかしいと思ってたことがあるんだ。サーシャちゃん、ここに帰って来るとき、ココア抱いてたでしょ? 朝起きたら、部屋からココアがいなくなってて、私、すごくびっくりしたんだよ。必死に探してたのに、戻って来たサーシャちゃんが普通に抱っこしてて。あのときはサーシャちゃん眠そうだったから、怒らなかったけど、本当に心配したんだよ?」
それは大変悪いことをしました。
ココア、ミオちゃんたちに面倒見て置いてって言いながら、召喚で呼び出しちゃったからね。
今、言われるまで気づかなかったけど、そりゃミオちゃんたちはびっくりするよね。
「ルリオオマキツルクサの根を取りに、警備をくぐり抜けてラピスの森に入ったけど、ブルードラゴンと戦闘になった。見張りの人たちが聞いた、すごい音っていうのはそれでしょ?」
名探偵ミオちゃんが止まらない。私はただ、沈黙を守ることしかできなかった。
推理ドラマの犯人なら「面白い推理だ。しかし、残念ながら、その推理には証拠がない」とかいうところなんだろうけど、私にそんな度胸などない。
「だけど、さすがにブルードラゴンには敵わなくて、ココアの力を頼った。ビーストテイマーって使い魔の召喚できるんだよね? だから、帰って来たサーシャちゃんがココアを抱いてたんだ」
こっちから証拠の話題出してないのに、ぬかりなく証拠突きつけてくるんですけど、この名探偵!
完全にバレきってる。私にはもはや口を貝のように閉ざすことしかできない。
だって、ジェシカさんに朝、あんなこと言われたばかりなのに……ミオちゃんに愛想尽かされちゃうの、怖いよ。
じーっと見つめて来るミオちゃんの視線に、ただ耐える。すると、しばらく無言で私を見つめていたミオちゃんが、再び口を開いた。
「違うなら、違うって言ってくれればいいよ、サーシャちゃん。謝れって言うなら、ちゃんと謝る。私だって、ルドルフさんに怒ったし。私はサーシャちゃんの言うこと信じる」
そんなことを言われて、飄々とウソをつけるくらい器用に生きられるなら、私は前世であんなに苦労していない。
かと言って、認める勇気もなくて。小市民な私は、ただうつむいて、手元を見つめるだけ。
そんな私に、ミオちゃんはこう言葉をかけた。
「でも、私たち仲間だよね? だから、私たちだけには、本当のこと話して欲しいな」
「う……ふっ……ぐっ……ふぅぅぅーっ!」
「サーシャ様!? だ、大丈夫ですか!?」
突然、うめき声を漏らしながら泣き出した私に、フィアナが動揺していた。
でもさ、こんなの……こんなの泣くよ! ミオちゃん、ほぼ全部わかってるのに! 私たちが隠し事してるの、わかってるのに優しいし! 私の方はウジウジしてて情けないし!
ものすごく惨めだけど、仲間って言ってくれるの、今はすごく嬉しい! 見放されるかもって怖かったんだもん!
こんなの、こんなの! 本当のこと、言うしかないよ!
「ごべんばばいー(ごめんなさい)! らびぶぼぼびばびああああああ(ラピスの森入ったー)!!」
「え? ちょっ、ごめん! 何言ってるのか全然わからないよ、サーシャちゃん! 一回、一回落ち着いて!?」
「サーシャ様! これで鼻をかんでください!」
私が覚悟を決めてやった告白は、二人に何一つ伝わらなかった。
***
「そっか……大体、私の予想通りだね」
ようやく落ち着いた私の説明を聞いて、ミオちゃんが納得した様子で頷いた。
うぅ、全部しゃべっちゃった……ジェシカさんと何の相談もしてないけど、よかったのかな。今更気にしても遅いんだけど。
「あの……そういうことでしたら、ジェシカ様、むしろ倒れて当然だったのでは?」
フィアナが、心配そうにジェシカさんの方を見る。
ジェシカさんはベッドで横になったまま、ボーっと目だけ開けてどこかを見ていた。
今の言葉にも反応しない。ずっとあの調子で、やっぱり心配だ。
「ジェシカが倒れた理由はわかったけど、あんなに元気ない理由はよくわからないね」
ミオちゃんもジェシカさんの方を見ながら、怪訝そうな顔をする。
私がしたのは、ラピスの森を出て、ここに帰って来るまでの話で、今朝のやり取りについてはまだ話してない。
隠し事じゃないんだけど、何ていいかわからなかった。それに、ジェシカさんに黙って言っていいものかもわからない。
「ジェシカ、どうしたの? まだ、疲れが残ってるの?」
ミオちゃんがベッドの方へ歩み寄り、その顔を覗き込んだ。
フィアナもそれにつられて、ジェシカさんのそばに近づく。
私だけ離れているのも居心地が悪くて、ミオちゃんの後ろ辺りまで移動した。
「そうだね……まだ、体に力が入らない……かな」
「話すのは平気?」
「あんまり……かな」
沈んだ様子で、ジェシカさんがミオちゃんの質問に答える。
もう頑張れない。ジェシカさんの様子は、あの言葉通りに見えた。
別人みたいに元気がなくて、ぐったりしている。疲労だけのせいじゃないって、私はわかってる。
「ジェシカ様、試験会場の修復はもう一日はかかります。その間、ゆっくり休んでください。ジェシカ様の調子が戻らないと、出発できませんし」
「それなんだけどさぁ……フィアナ。獣車の操作、できる?」
「え? は、はい……私は騎乗のスキルを持ってませんが、獣車なら何とか……背に直接乗るわけではないので」
「じゃあ、お願いしていいかな……」
「は、はい! もちろんです! ジェシカ様は、座席の方で休んでください!」
フィアナは自分の胸をたたいて、頼もしい返事をした。
でも、私はジェシカさんの言葉が不安で仕方なかった。
そして、その不安はすぐに的中する。
「……あたしは置いて行って」
「え? お、置いて? どういうこと、ですか?」
わけがわからない、と言った様子で動揺するフィアナ。
ジェシカさんは口をつぐんで答えない。フィアナは助けを求めるように、ミオちゃんを見た。
ミオちゃんは私を見る。フィアナの視線も、自然と私に向けられた。
「サーシャちゃん、どういうこと?」
「わ、私が言っていいのか、わかんない……」
「ジェシカ、サーシャちゃんに話してもらっていい?」
私が胸の前で指を突き合わせていると、ミオちゃんが今度はジェシカさんにそう尋ねた。
こういう判断の速さというか、思い切りの良さにはいつも驚かされる。
ジェシカさんはしばらく反応を見せなかったが、やがて、小さく頷いた。
「サーシャちゃん」
「……ジェシカさん、もう、頑張れないって」
ミオちゃんみたいに上手に話せない私は、ジェシカさんとの会話の中で、一番記憶に残っている言葉を口にした。
「もう頑張れない? どういうこと?」
「今まで、強くなろうとして、いっぱい頑張ってきたけど……ドラゴンは強すぎて。もうそう思えないって」
「……ドラゴンより強くなるのは無理だと思ったから、やる気がなくなっちゃったってこと?」
「そ、そういうのじゃない……と思う……けど……」
ジェシカさんは、私のことを守るって言う約束を果たしたいんだ。
でも、そのためには途方もなく強くならないといけないとわかって。今までは歯を食いしばって頑張ってきたけど、もうそれができなくなっちゃった。
みたいな……感じ……だとは思うけど。でも、私はジェシカさんじゃないし……これを、私にうまく説明できるかどうか。
私がまごまごしていると、ミオちゃんは私から視線を外した。
「ジェシカはもう頑張れないから、ここで旅をやめたいの?」
ジェシカさんの綺麗な翡翠の目を覗き込みながら、ミオちゃんが尋ねた。
返事も、反応もない。ただ、ツーっと、ジェシカさんの頬を涙が伝い落ちる。
あのかっこよくて頼もしいジェシカさんの、弱り切った姿。今、一体どんな気持ちで、彼女は泣いてるんだろう。
あんなに助けてもらったくせに、私は、ジェシカさんが一番辛いときに何も言ってあげられない。
「そ、それは……それは、ダメですよ! ジェシカ様なしで、魔王討伐は無理です! どうか、どうか思い直してください!」
慌てた様子で、フィアナがジェシカさんにすがりつく。
フィアナが私たちについてきた目的は、魔王への復讐。ジェシカさんの力がよくわかってるフィアナにとって、ジェシカさんがここでいなくなることは、看過できない痛手なんだろう。
でも……私は違う。ジェシカさんの力をまだ借りたいとか、まだ守って欲しいとか、そんな気持ちはない。
お別れしたくない。まだ一緒にいて欲しい。戦わなくていいから、何もしなくたっていいから。
けど、そんな理由で、こんなに辛そうにしているジェシカさんを魔王討伐の付き合わせるのは……。
「フィアナ、やめて」
「ミオ様! い、嫌です! 私は! 私はどうしても、里のみんなの仇を!!」
「落ち着いて。それはフィアナの目的で、ジェシカの目的じゃないんだから」
「魔王討伐のための旅だったのではないのですか! 魔王を倒すためにどうしても必要だから、冒険者の試験も受けたのではないのですか! そうじゃなければ、私だって……私だって! 差別されるとわかってて、こんな町に来たくなかった!」
「フィアナ……」
「街中での白い視線にも、毎日気づかない振りをして耐えていたのに! もう頑張れないなんて言われたら、私、今まで何のために……っ!」
フィアナがついに顔を覆ってしまう。
そんなふうに、思ってたんだ。フィアナの本音を初めて聞いて、私は衝撃を受けると同時に、もうダメかもしれないと思った。
小さなヒビがあっという間に広がって、一気に大事なものが壊れていく。ヒビを入れたのは私だ。ラピスの森に入るという決断をした私。
「サーシャちゃん。サーシャちゃんは、魔王を倒すのやめるの?」
突然、話を振られて、私はビクっと震えた。
魔王を倒すのを、やめる?
「答えて、サーシャちゃん。魔王を倒すのはやめるの? もう魔王のことはどうでもいい?」
「ど、どうでもよくない! 魔王は倒す!」
詰め寄るように尋ねられて、私は首を振って言い返す。
色々起き過ぎて、頭がごちゃごちゃしてるけど、その部分は変わらない。
ローズクレスタの人たちが傷つけられた。ミオちゃんのパパも殺された。フィアナの里の人たちも殺された。フィアナは騙されて、やりたくもないことを強要されていた。
魔王は許せない。倒さないといけない。
「私も同じ気持ちだよ、フィアナ。私のパパも、魔王軍のせいで死んじゃったから。サーシャちゃんと一緒にいたくて、旅に着いて来たけど、魔王を許せないって気持ちは一緒。魔王は倒す」
「ですが、ジェシカ様は違うのでしょう……? 今の戦力でも、魔王討伐は恐らく厳しいです……なのに……ジェシカ様がいなくなってしまったら……」
「じゃあ、ジェシカと同じくらい強い人を仲間にしよう。S級冒険者ってあと三人はいるんでしょ? それで解決だね」
「「え?」」
私とフィアナが、同時に、呆気に取られて声を出した。
ちょっと……ちょっと待ってよ、ミオちゃん。
「それは違いますよ、ミオ様!」
信じられない、と言いたげな顔でフィアナが叫ぶ。
私も、全力で同意するように、首を縦に振った。
フィアナの気持ちが私と同じかはわからないけど、少なくともミオちゃんの言ってることは絶対違うから。
「魔王を倒すためには強い人が必要なんでしょ? じゃあ、ジェシカじゃなくてもいいよね?」
「本気で、本気で言っているのですか!? ジェシカ様の代わりなんていません! 単純な強さなんかじゃない! 私はジェシカ様の意志の強さを、同じ剣士として尊敬しています!」
剣呑そうな目で見つめるミオちゃんに、フィアナは必死に食ってかかる。止めないとミオちゃんが危ないんじゃないかと心配してしまうくらいの剣幕だ。
フィアナがジェシカさんのこと、そんなふうに思ってたなんて知らなかった。舌を引っ張られたトラウマで、苦手意識を持ってて、言うことをよく聞くのも怖いからなんだと思ってた。
フィアナはさらに続ける。
「それに……ジェシカ様は、私のことをよく叱りはします。けど、私をダークエルフどころか、エルフとして特別視もしない。人として接してくれます。サーシャ様とミオ様を傷つけた私のことを、仲間とも言ってくれました」
本人がすぐそばで聞いていることを、わかっているのかいないのか。そして、その言葉を聞いて思う。私って、フィアナのこと全然わかってなかったなって。
「強ければいいわけではないのです。私は……ジェシカ様と一緒に戦って欲しいのです。サーシャ様も、ミオ様も、そうだと信じてました」
「わ、私だって! ジェシカさんじゃないと嫌だよ! ジェシカさんに着いて来て欲しい!」
ジェシカさんにとって、残酷なワガママと知りながら、私は叫んでしまった。
すると、ミオちゃんは私とフィアナを交互に見てから、
「私もそうだよ。ジェシカの代わりなんていないと思うし、ジェシカと旅をしたい」
「ミオ様! なら、なんでさっき、あんなことを! もし冗談とでも言うなら、許せません!」
最近、ずっと素直にミオちゃんの言うことを聞いていたフィアナが、許さないなんて言葉を口にした。
よっぽど怒っているんだということが伝わって来る。けど、ミオちゃんは一切動じずに答えた。
「フィアナが魔王を倒す戦力が欲しいだけなのか、ジェシカに着いて来て欲しいのか、はっきり確かめたかった。怒らせちゃったのはごめん」
「見くびらないでください! 魔王を倒したい気持ちは当然ありますが、そんな節操のない考えはしていません! 私がこの旅に同行しているのは、あなたたちを信頼できる人たちだと思えたからです!」
「本当にごめん。でも、大事なことだったから」
まくし立てるフィアナに対して、ミオちゃんがしっかりと頭を下げる。
その態度に、フィアナもようやく落ち着いたようで、少し罰が悪そうに目を逸らした。
それを確認してから、ミオちゃんは顔を上げて、ようやくジェシカさんの方へ向き直る。
「ジェシカ、聞いてたよね。私たち、みんなジェシカに着いて来て欲しいの」
ジェシカさんは何も答えない。
よっぽど打ちのめされてるんだと伝わって来た。だって、ここまで言われたら、私ならうんって言ってしまう。
なのに、ジェシカさんは黙っている。断ることもできずに、じっとしている。
もう頑張れない。ジェシカさんの言葉にウソはないんだ。ジェシカさんにとっては、もう限界なんだ。
ミオちゃんはしばらくジェシカさんの返事を待った後、もう一度口を開いた。
「その代わり、ジェシカは、もう頑張らなくていいよ」
ミオちゃんの言葉に、その場にいた全員が目を見開く。
どういう意味? もう頑張らなくていいって。着いて来なくていいってこと? いや、でも、今、着いて来てって言ったよね?
ジェシカさんも、ミオちゃんが何を言いたいのかわからなかったようで、ずっと焦点の合っていなかった目が、初めてミオちゃんの方を向いた。
ミオちゃんは続ける。
「もう頑張れないのはわかった。でも、私たちはジェシカに着いて来て欲しい。だったら、ジェシカは何も頑張らなくていいよ。ただ、一緒にいて」
「じゃ、じゃあ……あたしは……何のために着いて行くの? 着いて行って、何をするの?」
「私たちのために着いて来て。何をするかは、ジェシカが決めること。別に何もしなくてもいい。いてくれればそれでいい」
「何もしなくていいって……そんなわけない……じゃん。魔王……倒さないといけないんだよ? やらないといけないこと……いっぱい……」
「ジェシカは頑張りすぎて倒れたんでしょ! だから、もう頑張るの禁止! やらないといけないことは、私たち三人でする! ジェシカが頑張り過ぎてた分を私たちでやるだけだよ!」
ミオちゃんが頼もしく、なだらかな胸を張る。
何もしなくていいから、一緒にいて欲しい。私も思ってたことだ。
たくましくなったミオちゃんとは対照的に、ジェシカさんは弱弱しく言い返す。
「危ない戦いが、この先、いっぱいあるんだよ……? あたし、戦えないのに……足手まといになっちゃうよ……」
「サーシャちゃん」
そこで、ミオちゃんが私のことを見た。
今朝、私が逃げた話題。足手まといだなんて、一回も思ったことないと、あの時は言ったけど……それじゃ、ジェシカさんは納得しなかった。
でも、ミオちゃんの「もう頑張らなくていい」って。その言葉で、私には一つ、答えが見えた気がしている。
「ジェシカさんは今まで、ずっと私のことを守ってくれた。ジェシカさんがどんなに違うって言っても、私はそうだと思ってる」
「サーシャ……」
「だから、今度は私がジェシカさんのこと守るよ。だから、着いて来て、ジェシカさん。お願い」
「…………」
美しい翡翠の目が、潤んで揺れた。
私は勇者なんだから、お姫様を守ってもいいよね。
「ちょっと、サーシャちゃん、やり直し」
トン、とミオちゃんに小突かれた。
何のことだと思っていると、ミオちゃんは眉間にシワを寄せて、
「私たちで、守るんでしょ」
「そうですよ、サーシャ様」
ミオちゃんとフィアナが不満げに私を見据える。
少し悩んで、私はもう一度、ジェシカさんの方を向いて、
「私が! ジェシカさんを守る!」
「ちょっと! サーシャちゃん!」
「私たち、仲間じゃないんですか、サーシャ様!」
顔が耳まで熱くなる。ミオちゃんとフィアナに体を揺さぶられたが、私は絶対に言いなおさない。
そんな様子を、じっと見ていたジェシカさんが――
「……あはは」
今日初めて、小さく笑った。