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ふわふわ32 爪痕

 目覚めると、もうすっかり日が暮れていた。

 体が鉛みたいに重い。目の奥がズキズキする。視界がぼやけていて、周りがよく見えない。

 時計も見えなくて、今が何時かわからない。ただ、物音や人の声だけははっきりと聞き取れた。


「フィアナ、ここに寝かせて!」

「は、はい。この後、どうすれば……」

「私はお医者さん呼んでくるから、フィアナはここで見てて! あと回復魔法!」

「わかりました。でも、回復魔法はさっきから何度もかけてますが、効果が……」

「いいの! ダメ元だから! あと、今は熱ないみたいだけど、もし熱が出てきたら濡れタオルで冷やしてあげてね!」

「はい、了解です」


 ミオちゃんと、フィアナの声だ。随分、慌てているように思える。

 何かがあったのはわかるけど、頭がぼーっとして情報を整理できない。

 視界もぼやけたままで、何があったのか把握できない。

 ただ、ぴょこんと、私のすぐそばをミオちゃんのサイドテールが跳ねるのが見えたので、私は何とか声をかけようとしてみる。


「ミオちゃん……」


 かすれた、小さな声が出る。


「サーシャちゃん、起きたの!?」


 よく気づいてもらえたものだと驚いた。霞がかった視界の中で、ミオちゃんが私の顔を覗き込んできたのがわかる。

 喉がカラカラに乾いていて、声を出すのも億劫だったが、私は絞り出すようにして尋ねた。


「何か……あった……?」


 しばらく、沈黙。やっぱり、聞き取れなかっただろうか。でも、もう一度声を出す元気もない。

 瞼も重い。目の奥だけじゃなくて、こめかみまで痛み始めた。このまま、もう一度、眠ってしまいそう。


「サーシャちゃん、落ち着いて聞いてね」


 私がまた意識を手放しかけていると、ミオちゃんが真剣な様子でそう言った。

 いつもなら、余計に不安になるところだけど、今の私にはそんな余裕もない。

 返事をすることもできず、大して役にも立ってない目を薄っすらと開いている。


「ジェシカが急に倒れたの。今、そこのベッドに寝かせてる」


 えっ?

 戸惑いの声は、口から漏れることがなかった。


「私は今から、お医者さんを呼んでくるから。ここにはフィアナがいてくれるから、安心して。何かあったら、フィアナに言ってね」


 なんで、ジェシカさんが? 何があったの? 聞きたいのに、声が出ない。頭が痛い。

 眠い……眠い……。


「フィアナ! サーシャちゃんのこともお願いね! じゃあ、行ってくるから!」

「わかりました! ですが、できるだけ早く戻ってくださいね!」


 ミオちゃんが駆け出す足音と、勢いよくドアを閉められる音が聞こえた。

 私も、起きないと。そう思うのに、体は動かない。むしろ、どんどん、意識は沈んでいって。


「熱が出たら濡れタオル……ああ、でもここには水道がありませんでしたね。どうしよう……部屋からは離れられないし……魔法で水を出しましょうか? でも、私は水属性の魔法は使えませんし……」


 遠くに、フィアナの独り言が聞こえる。何かツッコミどころがある気もするけど、私の意識を繋ぎとめるには至らない。


「あ、そうだ。サーシャ様から、魔法大全を借りましょう」


 フィアナが何やら解決策を見つけたらしきところまで聞いて、私の意識はストンと落ちた。


 ***


 朝、目を覚ますと私は全裸だった。


「へっくしゅんっ!!」

「サーシャちゃん! だ、大丈夫!?」


 大きくくしゃみをすると、両手にタオルと服を抱えたミオちゃんが、心配そうに駆け寄って来た。

 昨夜ほどのだるさはない。代わりに、全裸なので肌寒い。私が垂らした鼻水を、ミオちゃんがハンカチで拭いてくれる。


「……なんで、私、裸?」

「フィアナのせい」

「すいません! すいません!」


 声の方を見ると、フィアナがペコペコと頭を下げていた。

 フィアナのせいって……一体何をやったら、私が急に全裸になるんだ? 布団も無くなってるし。代わりに、フィアナが普段着ているローブが体の上にかけてあった。


「フィアナが、濡れタオルを作ろうとして水の魔法使って、部屋中ぐしょぐしょにしちゃったんだよ」

「部屋中じゃなくて……部屋半分は無事だったのですが……」

「サーシャちゃんも、ベッドも、着替えもついでにココアもびっしょびしょにしちゃうし」

「一番弱い魔法を使ったのですが……」

「なんで普通に水を汲んでくる発想にならないの!!」

「だって、離れちゃダメだと思ったんです……」


 怒られてシュンとしているフィアナを眺めながら、私はミオちゃんが抱えていた服を受け取って着替える。

 そういえば、昨日寝る前に、フィアナがなんか言ってた気がするなぁ。っていうか、私、水ぶっかけられたのに起きなかったのか。


「サーシャちゃん、大丈夫? 風邪引いてない? ごめんね、夜遅かったから新しい布団借りて来ることもできなくて」

「私は火の魔法で乾かそうとしたのですが……」

「やらせるわけないってなんでわからないかな?」


 ミオちゃんにまた怒られて、再びシュンとなるフィアナ。フィアナの方が年上だし、かしこさのステータスも高いはずなんだけどな。


「私は平気。昨日は全然体が動かなかったけど、今は元気だよ」

「本当? 一応、フィアナからローブを剥ぎ取って布団代わりにはしたけど、寒かったでしょ? ちょっと、熱測るね?」

「私だって、いきなり脱げと迫られなければ抵抗せずにローブを渡したのに……」


 フィアナのぼやきは無視して、ミオちゃんは私のおでこに小さな掌をあてる。

 ちょっとひんやりして気持ちいい。もしかして、本当に熱があるのかな? と思ってしまう。

 ミオちゃんはしばらく、私のおでこに手を当ててから、今度は私の体を包み込むように抱きしめた。

 そして、自分のおでこを私のおでこに押し当てる。その後、さらに私の体温を確かめようと、体を密着させながら私の頬に頬を押しつけてきた。

 うん、間違いなくこれ魅惑チャームにかかってるな。


「ディスペル」

「――はっ!? ご、ごめん、サーシャちゃん! 久しぶりだったから、つい夢中に!」


 顔を真っ赤にしながら、ミオちゃんが離れた。相変わらず、罪なふわふわだ。


「そういえば、ココアはどこに行ったの?」


 話題を変えるついでに、私はココアの行方を尋ねた。昨夜は、確か私の枕元で寝ていたはず。

 あの後、フィアナにびしょびしょにされたらしいけど、今は姿が見えない。


「珍しく、ジェシカのベッドで寝てるよ。ケット・シーもやっぱり猫なんだね。水がよっぽど嫌だったみたい」


 ミオちゃんの言葉に、私は少しホッとする。

 もう魔獣使いのスキルはないから、ココアがいなくなってしまったら、呼び戻すことができない。

 このまま、どこかへ行ってしまうんじゃないかと不安に思っていたが、今のところは概ねいつも通りみたいだ。


「あっ、そうだ。ジェシカさん、昨日倒れたって」

「そっちも安心して。昨日、あの後、お医者さんに見てもらったから。ただの動き過ぎだってさ。ジェシカらしいよね」

「こんなことで呼びつけるなと、お医者様に怒られてしまいましたね」

「寝てるところ叩き起こしちゃったから、仕方ないね」


 フィアナの言葉に苦笑するミオちゃん。この子、寝てるお医者さんを叩き起こしてここまで連れて来たのか。

 相変わらず10歳児とは思えない度胸だ。けど、それはまあ、いつものこととして……。


「何があったの? ジェシカさん?」

「昨日、サーシャちゃんが寝た後、私たち三人で、試験会場を直しに行ったんだよ。その時はジェシカも元気で、私たちより働いてたくらいだったんだけど。ジェシカ、スピードも力もあるし」

「作業が終わって、宿の食堂で夕食を取った時もいつも通りで。その後、三人でお風呂に入ったんですが……」

「その時に倒れたの?」

「いえ……その時は、私の胸を触って来たり……げ、元気でした」


 元気すぎだよ、ジェシカさん。女同士でもセクハラって成立するからね、ジェシカさん。いや、メディオクリスだとどうなってるのか知らないけど。


「けど、じゃあ、どうして?」

「わかんないの。お風呂から出て、さあ寝よーってなったときに、いきなり倒れたんだよ」

「急に静かになったと思ったら、後ろですごい音がしたんです。振り向いたら、ジェシカ様が倒れていて。焦りました」


 びっくりしたよねー、とミオちゃんとフィアナがお互いに苦笑している。


「あんなに元気だったのに、疲れすぎで倒れたなんて思わないから、大変なことがあったのかもしれないって思って。すぐ、フィアナに回復魔法かけてもらったけど、目を覚まさないし。だから、すぐにお医者さん呼びに行ったんだよ」

「ですが、今思うと無理もないですよね。ここまでずっと、御者台にはジェシカ様が乗ってましたし。その上、昨日は一日グリフィーネを乗り回していたみたいですから……本人も気づかないうちに疲れがたまってたんでしょう」

「倒れるまで気づかないなんてジェシカらしいよ、もー。けど、これからは無理矢理にでもこっちで休ませないとダメだね」


 無理もない、フィアナは今そう言った。

 私もそう思う。けど、二人は知らない。

 ジェシカさんは、昨日から一睡もしてない。一日中、グリフィーネで飛び回った後、そのままラピスの森でドラゴンと戦った。ラピスの村から戻って来るまでの間、私は少し寝たけど、ジェシカさんはずっとガービーの手綱を握っていた。

 その上で、ジェシカさんは試験会場を修理する手伝いをしていたのだ。そんなの、ぶっ倒れない方がおかしい。私なんて、今朝になるまでほぼ眠りっぱなしだったんだから。

 けど、なんでそんな無茶したんだろう。ディオゲネイルの街に戻って来た時、そのまま私と一緒に休めばよかったのに。


「サーシャちゃんも、体大丈夫? フィアナの舌の心配して、遠慮してるなら、ジェシカには黙っておくから」

「え? だ、大丈夫だよ?」


 心配そうに顔を覗き込んでくるミオちゃんに、私はそう返す。

 ナチュラルにバレたらフィアナの舌が引っこ抜かれることになってるけど、ジェシカさんだって、そんな何でもかんでも暴力に訴えないと思うけどな。

 基本的には優しい人なんだし。怒らせると怖いだけで。


「じゃあ、私とフィアナは、試験会場直しに行ってくるから。サーシャちゃんは、ジェシカのこと見ててくれないかな?」

「え? うん、いいよ」

「ありがとう。じゃあ、朝ごはん取ってきてあげるね。フィアナは出かける準備して」

「はい。あの、サーシャ様……私に関する色々なことはくれぐれも内密に……」

「サーシャちゃんはそういうことしないからっ! そんな心配するくらいなら、フィアナは言われたら困ることをしないようにしてっ! 全然反省しないんだから!」

「す、すいません……」


 ミオちゃんに叱られて、またシュンとなるフィアナ。小さい子どもに説教される大人は、なかなかにシュールだ。

 でも、反省かぁ……ミオちゃんだって、ついこの前、エミルルモガニアの花畑を見たいってわがまま言ったばっかりなのに。

 元々しっかりしてる子だったけど、今は、見違えるくらいたくましい。きっちり反省するっていうのは、今のミオちゃんみたいな状態を言うんだろう。

 その点、私はダメだなぁ。似たような失敗を何回も。今回のことだって……。

 前世で仕事をしていたときと、何も変わってない。毎日のように、失敗ばっかり。


「じゃあ、サーシャちゃん、行ってくるね。ご飯すぐ持ってくるから」

「あ、うん。ありがとう……」


 ミオちゃんは、フィアナを連れて部屋を出て行った。

 ジェシカさんと、ココアと私。二人と一匹だけが、部屋の中に残される。

 私は久しぶりにベッドから降りて、ジェシカさんのベッドへと近づいた。

 ジェシカさんの足元で、ココアが丸くなって寝ている。


「ココア」

「ナァーオ」


 喉をなでると、ココアはいつものように鳴いて、ゴロゴロと喉を鳴らした。

 嫌がられるんじゃないかと少しだけ不安に思っていたので、その反応に安心する。

 嫌われたわけじゃないんだろうか? でも、ならどうして、私の使い魔であることをやめたんだろうか?


「……猫って、本当に何考えてるのか、わからないよ」


 もっと撫でろと体をこすりつけてくるココアをしばらく構ってから、私は手を離す。

 ココアは腹を向けて続きをせがんで来たが、私にその気がないのを悟ったのか、元の姿勢に戻った。

 気まぐれに人を振り回すけど、人の気まぐれに振り回されても気にしない。

 私は、猫のこういうところが好きなのかもしれない。

 そんなことを思いながら、ココアから離れ、ジェシカさんの枕元に近づいた。


「ジェシカさん」


 声をかけてみる。

 ジェシカさんは目を閉じていた。いつもはポニーテールにしている長い金髪が、ふわっとベッドに広がっている。

 いつも快活に笑っているイメージが強いけど、こうして静かに眠っている顔は、人形のように整って見えた。

 思わず触れたくなるくらいに、綺麗だ。


「ジェシカさん、どうして倒れるまで、無茶したの?」


 枕元に立ったまま、その美しい寝顔を見下ろしつつ、私は尋ねる。

 白雪姫の寝顔も、きっとこんなふうだったんだろう。この無防備な唇を奪ってしまいたくなる気持ちは、少しわかる。

 あぁ、そういえば、ラピスの森で人工呼吸をしたんだったな。唇の感触なんて覚えてないや。


「ジェシカさんは、いつもボロボロだね。カーミラのときも、メフィスのときも、今だって」


 ジェシカさんはいつも私を助けてくれる。

 メディオクリスに来てから、ローズクレスタに着くまで、私は不安で仕方なかった。

 異世界だからとか、魔物が襲って来るからとか、魔王を倒さないといけないからとか、そういうのじゃない。この世界に私は一人ぼっちだってことが怖かった。

 でも、ジェシカさんと出会ってから、そういう気持ちはどこかに行ってしまった。それより前から着いて来てくれたココアには悪いと思うけど、それでもそうなのだ。

 離れ離れだった三ヶ月は寂しかった。


「ジェシカさんは約束を守ってくれてる。私のこと守るって約束、必死に守ってくれてる。そのせいで、いつもボロボロになってる」


 ジェシカさんがどうして、倒れるまで休まなかったのか。私には理由がわからない。

 でも、私のためのような気がする。自惚れだったらいいんだけど、ジェシカさんが無茶するときは、いつも私のためのような気がしてるから。

 なんで、ジェシカさんがそこまでしてくれるのかは、わからないけど。


「私だって、ジェシカさんのこと守りたいよ」


 もう、ボロボロになるジェシカさんを見るのは嫌だよ。


「ん……」

「っ!?」


 ジェシカさんの目が開いた。

 私は慌てて、こぼれかけてた涙を拭う。

 聞かれてしまっただろうか? 今の恥ずかしい独白を。

 本人の目の前で話したのは自分の癖に、顔が熱を持ってしまう。


「サーシャ……? 起きた……んだ……」


 ジェシカさんの声は、昨日の私みたいに、かすれてて聞き取りにくいものだった。

 私はハッとして、水差しからコップに水を注ぐ。


「ジェシカさん、飲める?」


 私がコップを差し出すと、ジェシカさんは少し体をもぞもぞと動かした。

 しかし、やがて力なく目を伏せる。

 それならと、私は一旦コップを置いて、ジェシカさんの体を優しく起こした。

 背中から抱きかかえるようにして支えつつ、改めてコップを手に取り、ジェシカさんの手に握らせてみる。

 ジェシカさんがコップを口元に持って行こうとしたので、私は一緒にコップを握ってそれを手伝う。

 ゆっくりと、ジェシカさんは水を飲み始めた。でも、半分も飲まないうちに、コップを下ろそうとした。

 私はジェシカさんからそのままコップを受け取り、脇にある台に置く。


「サーシャは気持ちいいね」


 さっきよりは聞き取りやすくなった声で、ジェシカさんがつぶやく。


「昨日、フィアナの胸触ったって聞いた」

「あれは甲乙つけがたかったなぁ」


 いつもみたいに軽口をたたくジェシカさん。でも、いつもみたいな元気はない。

 こうして座っているだけでも、どこか辛そうで。私は、もう一度、ジェシカさんを仰向けに寝かせた。


「ありがと、サーシャ」


 私の顔ではなく、じっと天井を見上げながら、ジェシカさんはつぶやいた。

 やっぱり、様子がどこかおかしい。


「ジェシカさん、疲れてるんでしょ? 寝てていいよ。私も昨日、ずっと寝ちゃってたから」


 昨日は何もできないくらい体が重かった。今のジェシカさんもきっと同じだ。それなら、ゆっくり寝れば元気になる。

 けど、なぜかジェシカさんは、目を閉じようとしなかった。


「体が動かないんだよね」

「無理し過ぎだよ。お医者さんが言ってたらしいよ、動き過ぎで倒れたんだって。休まないとダメだよ」

「違うんだよ、サーシャ」


 笑いながら言った私の言葉を、ジェシカさんは否定した。

 違うって……違うわけがない。ジェシカさんが過労で倒れたのは、どう考えても事実だ。

 ご飯は食べてたけど、睡眠不足にドラゴンとの戦闘でのダメージ。その上で試験会場の修復作業で、一日中肉体労働。

 私だって、倒れない方がおかしいと思う。


「これくらいなら、平気なはずなんだよ、あたし」

「いや、何言ってんの、ジェシカさん! 実際、倒れてるじゃん!」


 そういう考え方してるから、ぶっ倒れるんだよっ!


「けど、頑張らなきゃ……さ」

「試験会場のことは、ミオちゃんとフィアナがしてくれてるよ! ジェシカさんが今、無理しないといけない理由なんてないから!」

「だってさ……」


 私とは目を合わせず、天井だけを見つめながら、ジェシカさんがつぶやく。


「あたし……また、約束守れなかったからさ……」


 何、言ってるの?

 呆気に取られて、私は声も出せない。

 天井を見上げたまま、ジェシカさんが続ける。


「あたしなりに、必死にやって来たんだよ? サーシャのこと守るって約束、言ったからには絶対守りたかったんだ。サーシャが勇者だってわかったからって、投げ出したくなかった」


 そんなこと、痛いくらいわかってる。カーミラと戦ったときだって、ジェシカさんは血塗れになりながら、私を逃がそうとしてくれた。メフィスと戦ったときは、約束通り物凄く強くなって、駆け付けてくれた。

 なのに、なんでそんなことを言うの? どうして、過去形なの?


「今までは……もっと強くなろうって……頑張ろうって思えたけど」


 宝石のように輝いて見えた、翡翠の瞳が、今はくすんでいるように見えた。


「あたし……もう……頑張れないみたい」


 小さな声で、途切れ途切れに、ジェシカさんは言葉を絞り出した。

 疲労が重すぎて、弱気になっているだけだ。そう思いたかった。

 でも……と、私は今までのジェシカさんを思い出す。

 カーミラと戦った後、ジェシカさんは三ヶ月の修行で、カーミラより強くなって戻ってきた。

 メフィスとの戦いでは、変身したメフィスに負けてしまったけど、さらに自分を鍛えるためガルバルディア帝国を目指している。

 いつだって、私のことを本気で守るために、ジェシカさんは私が戦う相手より強くなろうとしてきた。

 じゃあ、今回は? どうすれば私を守れた?

 簡単だ。ブルードラゴンより強くなればいい。


「今回のは、特別だよ、ジェシカさん!」


 気づけば私は叫んでいた。だって、バカげてる。あんなのより強くなるとか、人間にできるわけがない。


「もう、ああいうのとは戦わないよ! 魔王さえ倒せばいいんだから! 四天王のメフィスは倒せたんだしさ!」

「同じことがあったら?」

「え?」


 質問の意図がわからず、私はポカンとしてしまう。

 ジェシカさんは天井を見上げたまま、続けた。


「同じことがあったら、サーシャは、今度は違う選択をするの?」

「す、するよ! もう、あんなのは――」

「それじゃ……あたしが嫌なんだよ……サーシャ」


 絞り出すような声で遮られ、私は思わず言葉を失った。

 ジェシカさんの瞳から、涙が零れ落ちていた。


「サーシャはさ……勇者なんだからさ……目の前に苦しんでいる人がいるのに……平気で見捨てて行く人は……勇者なんかじゃないんでしょ?」

「それは……」

「あたし……サーシャの足手まといになりたくないよ……」

「そんなこと! 一回だって思ったことない!」

「けど、あたしは、結局何も……」

「ジェシカさん、疲れてるんだよ! 今は休憩! そもそも、過労で倒れてるんだから! この話も、おしまいっ!」


 私は、ジェシカさんに背を向けて、強引にこの話題を打ち切る。

 ジェシカさんはどうするだろうと思ったが、意外にも、何も言ってはこなかった。

 私はジェシカさんのベッドに背中を預けるようにして座り込む。

 ジェシカさんの方は見られなかった。声をかけられるのが怖かった。

 あんなに助けたかったのに、ペトラさんに手を貸したことを後悔し始めていた。ジェシカさんと、ここでお別れになるんじゃないかと思えて怖かった。

 もしそうなったら、私は魔王を倒す旅を投げ出してしまうかもしれない。ミオちゃんとも、フィアナとも、絶対魔王を倒すって約束したのに……。

 もう私には、どうすればいいのか、何が正しいのか、何もわからなくなっていた。

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