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ふわふわ30 絶対強者

 すぐそばで、ブルードラゴンが羽ばたく音が、妙にゆっくりと聞こえた。

 視界の端には、垂れ下がった尻尾が、しなやかに揺れている。

 私とジェシカさんが会話している僅かな間に、再生してしまったのだと、ぼんやりとした意識の中で悟った。

 その尻尾が、私を薙ぎ払うように迫るのも、まるで他人事のように眺めた。

 私の体が宙に放り出される。木々が私のすぐそばを駆け抜けていく。巨大なドラゴンの体が、あっという間に小さくなる。

 ふわふわにより空中浮遊を発動し損ねた私は、木の太い幹に背中を打ちつけて、ようやく止まった。

 ドスン、と落ちた場所のすぐそばには、ジェシカさんが横たわっている。


「ジェシカさん……」


 倒れているジェシカさんに、這って近づく。ジェシカさんは答えない。ピクリとも動かない。

 心臓が早鐘を打つ。私はジェシカさんを仰向けに寝かせる。

 どうやら頭は打たなかったようで、体も鎧に守られたのか、流血はない。眠っているだけとしか思えないくらい、綺麗な顔だ。

 ジェシカさんの手を取る。人差し指と薬指で手首の皮膚を左右に軽く広げて、中指をその中心に押し付ける。

 何度も練習させられた、正しい脈の取り方。それでも、脈は感じられない。

 レザーメイルの胸当てを外し、私は両手をジェシカさんの胸の前に重ねる。胸骨圧迫。全体重をかけて、力強く。胸が5㎝沈み込むように、深く、深く。

 リズムは1分に100回。30回ごとに2回の人工呼吸。

 空気が漏れないように、目一杯口を開き、ジェシカさんの口を覆う。軽く顎を上げさせて、胸が膨らむのを確認しながら、空気を送り込む。

 口を放して、もう一度両手をジェシカさんの胸に重ねたとき、視界の端で、何かが光った。


 ――その時、私の中で何かが切れた。


「命を救う邪魔を!! するなぁーっ!!」


 片手で胸骨を押し込みながら、私は迫りくるブルードラゴンの光線に向けて、右手をかざす。


「ふわふわビーム!」


 二つの光線がぶつかり合い、霧散する。

 ブルードラゴンにかすかな動揺があった気がした。別に、私だって勝算があったわけじゃない。

 ただ、ジェシカさんがこのビームを受けたとき「全身を私に触られてる感じがする」と言ったから、私が触るのと同じ効果がビームにあるのかもと思っただけだ。

 私はすぐに右手を左手に重ね、ジェシカさんへの心臓マッサージを再開する。

 HPが0になっていた。それがなんだ。呼吸も心臓も止まっても、命は戻って来る。

 私は見て来た。戻って来た命も、この手をすり抜けていく命も。けど、いつだって選択肢は一つ。

 戻って来るまで全力を尽くす。私はどんくさくて、ミスばっかりで、怒られてばっかりの新米看護師。

 でも、命の前ではいつだって真剣だった。疲れ果ててて、辛くて辞めたいって何度思っても、そこだけは胸を張れる。

 だからっ!!


「ふわふわビーム!!」


 翼をはばたかせ、飛び立とうとしたブルードラゴンにふわふわビームを放つ。

 ビームを受けたドラゴンは墜落。その振動が地面を揺らし、こっちまで届く。

 飛ばせちゃダメだ。一歩も動かせない。ジェシカさんが戻ってくるまで!


「ふわふわビーム! ふわふわビーム! ふわふわビームっ!!」


 ビームを連発しながら、片腕だけで必死に胸骨を押し込む。でも、この小さな体と小さな手じゃ、ジェシカさんの胸骨は硬すぎる。

 私は右手で素早く構成を練ると、頭上――正確には、ジェシカさんに覆いかぶさっている自分の背中に向けて放つ。


「エアロブラスター!」


 発動した魔法が風を生み出し、私の体を下へと押し込む。風の力を受けて、私の手がジェシカさんの命に触れる。

 ふわふわビームと、エアロブラスターを右手で交互に放つ。左手は休まず、ジェシカさんの胸を押し続ける。

 人工呼吸をする余裕はもうない。ブルードラゴンを一歩だって動かしちゃいけない。


「ふわふわビーム! エアロブラスター! ふわふわビーム! エアロブラスター! ふわふわビームっ!!」


 左手が悲鳴を上げている。額から汗が噴き出す。喉は枯れて息が上がる。

 ジェシカさんは目を覚まさない。息を吹き返さない。いつだって元気で、怒ると怖くて、だけどやっぱり優しかったジェシカさんは、こんなに激しい戦いの中で残酷なくらい静かだ。

 視界が滲んでいく。鼻の奥がツンと痛くなる。魔法の構成を失敗しそうになる。ふわふわビームを外しそうになる。

 いやだいやだいやだ。泣くな泣くな泣くな。焦りと絶望が胸を締め付ける。

 ポタリ、ポタリと、頬から伝い落ちた涙が、ジェシカさんの頬に当たった。

 ジェシカさんはピクリとも動かない。一気に涙があふれ出す。胸の中を支配した気持ちを吹き飛ばすように、私は魔法の構成を放りながら叫んだ。


「エアロブラスター!」


 風が、今までより強く、私の体を押し込む。

 流し込む魔力の加減を間違えた。圧力を支えきれず、左腕が折れ曲がりそうになる。

 それでも、歯を食いしばって、私は腕を伸ばし続ける。

 私の手のひらが、ジェシカさんの心臓に触れた、そんな気がした。


「――げほっ!!」


 ジェシカさんが突然、せき込んだ。

 頭が真っ白になりそうになる。限界以上に酷使していた左手を、反射的に、ジェシカさんの胸からどける。

 瞬間、言葉にはできないような気持ちが溢れて来て。ぐしゃぐしゃになった視界を無理矢理、右手の甲で拭って、私はジェシカさんのステータスを見る。


______________________


名前:ジェシカ・ハイルブロント

種族:人間

年齢:18歳

職業:王女/冒険者/流星剣士

Lv:61

HP:1/2701

MP:0/0

攻撃力:806

防御力:586

素早さ:878

かしこさ:68



【スキル】


 流星剣(Lv6)

 剣術(Lv9 Max)

 打撃術(Lv7)

 騎乗(Lv9 Max)


______________________


 戻って来たんだ。安堵で、その場に倒れ込みそうになる。

 しかし、その瞬間、視界の端で閃光が瞬いた。


「ふわふわビ――っ!?」


 反射的に右手を向けようとしたが、光線はもう目前まで迫っていた。

 このままじゃ、間に合わない。私は、光線の中に飛び込んだ。

 全身をふわっとした感触が包む。少しでも大きく散らそうと、私は光線の中で泳ぐように手足をバタつかせた。

 一瞬だったはずなのに、随分長い時間、宙を泳いでいたように思える。

 落下して、地面に体を打ちつけた私は、震える手で体を持ち上げながら、ジェシカさんの方を振り向いた。


「げほっ! げほっ! ……はぁ……はぁ……」


 仰向けになったまま、ジェシカさんは苦しそうにせき込み、息を荒げている。

 よかった……巻き込まれなかったんだ。

 まだ休めない。私はカバンから魔法大全を引っ張り出す。

 ドラゴンに背を向けて立ち、ジェシカさんを守りながら、痙攣している手でページをめくる。


「癒しの光よ。親愛なる友の傷を治したまえ。正しく、勇敢なる者に救いの手を。グロリアスヒール!!」


 詠唱中、背中を柔らかい感触が包み込み、衝撃波が私の髪をなびかせた。

 でも、余波はジェシカさんに届いていない。私の詠唱が完成し、魔法が発動する。

 柔らかな光がジェシカさんの体を包み込み、HPを回復させていく。

 中級クラスの魔法だから、四分の一程度までしか回復しなかったけど、ジェシカさんはせき込みながら立ち上がった。


「やっば……意識飛んでたよ……げほっ! サーシャ、ありがとね」


 意識が飛ぶどころではなかったのだが、ジェシカさんはレザーメイルの胸当てを付けなおしながら、また前に出ようとする。

 私は、回り込んでそれを止めた。


「ジェシカさん、ダメ!」

「大丈夫だって。ちょっと油断しちゃっただけだから。さっき言ってた作戦、やるんでしょ?」


 軽口をたたくように言いながら、ジェシカさんは私の後ろにいるブルードラゴンをにらんでいる。

 さっきの作戦。私が、ブルードラゴンに触って、ジェシカさんが斬る作戦。

 あのときは、いい案を思いついたと思ったけど。


「無理だよ! ジェシカさんが危なすぎる!」

「何とかするから。他に手もないし――サーシャ! ドラゴンが動くよ!」


 ジェシカさんに言われて、慌てて振り向く。ブルードラゴンは大きく羽ばたいて、上空に舞い上がろうとしていた。


「ふわふわビーム!!」


 私はさっきから何度もやっていたように、ふわふわビームをブルードラゴンに命中させる。

 ブルードラゴンの素早さはすごいけど、体が大きすぎるから、ビームを当てるのは難しくない。それに木が邪魔すぎて回避もできないようだ。飛び立った直後を狙えば、ほぼ確実に撃墜できる。

 心臓マッサージをしながらでもあてられたんだから、今だったら余裕だ。ブルードラゴンは思惑通り落下。その振動で足元を揺さぶられ、私は思わずたたらを踏む。


「今だ! サーシャ、行くよ!」


 ドラゴンの落下を見て、ジェシカさんが声をかけてきた。

 私が触って柔らかくするという作戦だから、私がジェシカさんより前に出ないといけない。

 その辺りをわかってくれているらしく、ジェシカさんは一人で突っ込んでいく様子はなかった。

 だから、私は動かない。


「サーシャ、チャンスだよ! 早く!」


 焦れた様子で、ジェシカさんがもう一度叫ぶ。

 でも、私は行かない。この作戦は無理だ。さっきは運よく尻尾を切れたけど、それだってすぐに再生してしまった。

 現状、ダメージを与えられる唯一の手段ではあるけど、さっきみたいにジェシカさんが攻撃を一撃でも食らったら全部終わり。

 あんな思いはしたくない。必死に手繰り寄せたジェシカさんの命はもう絶対手放さない。


「サーシャ! 他に方法ないんでしょ!?」


 ブルードラゴンは、完全に体勢を立て直している。すぐに動く気配はない。私たちをどう始末するか、考えてるんだろう。

 他に方法はない……か。


「ないことはない、よ。ジェシカさん」

「へ!? あるの!?」


 よっぽどびっくりしたのか、ブルードラゴンから完全に目を離して、私の方を見るジェシカさん。

 でも今度は大丈夫。私がちゃんと見てる。ブルードラゴンが動いたら、ふわふわビームで動きを止める。

 右手を突き出して、ブルードラゴンを牽制しながら、私は言った。


「あと、一つだけ」

「どんな手? あたしは、どうすればいい?」

「ジェシカさんは、何もしなくて大丈夫」

「何もしなくってって……サーシャ、まさか危ないことしようとしてるんじゃないよね?」


 今、ブルードラゴンに突っ込んで行こうとした人が何言ってるんだろうか。

 なんて、心の中でだけ文句を言っておいて。


「私は危なくないよ。ギャンブルではあるけど」


 これ以外はもう出し尽くした。

 はっきり言って神頼み。しかも、今まで一度だって上手くいったことがない。

 それでも、私はもう、このスキルに賭けるしかない。

 

______________________


スキル名:魔獣使い


【レベル別効果】

 レベル4:使い魔召喚獲得。

______________________

 

「使い魔召喚サモンビースト!!」


 私の足元に大きな魔法陣が現れる。

 グリフィーネに乗って飛び回らないといけないと知り、抱っこしている余裕はないと悟って、ディオゲネイルの宿に置いて来た。

 冒険者ギルドでのミオちゃんの言葉を信じるなら、これがブルードラゴンに対抗できる唯一の方法。

 魔法陣の中心に浮かび上がるのは、森の暗闇では目立たない、茶色の小さな影。


「来て!! ココア!!」

「ナァーオ」


 私の最後の切り札はのんきに鳴いて、毛づくろいを始めた。


「え? ココア……?」


 ジェシカさんが隣でポカンとしている。

 なんで、と言いたげだけど、ジェシカさんだって知っているはずだ。ココアは神獣ケット・シー。ミオちゃんが言うには、ドラゴンと同格。

 戦えば、ドラゴンと同じくらい強いはずなのだ。ただ、ココアが戦ったのは、今まで二回だけ。でっかいクマを倒したときと、吸血鬼のカーミラを倒したとき。

 どっちの時も、私の指示とは関係なく戦っていた。というか、食べてた。聖域の森からローズクレスタに行く途中も、いくら命令しても戦ってくれなかったし。

 けど、今はもうココアに賭けるしかない! お願いだよ、ココア! 私たちを助けて!


「ココア! ドラゴンを倒して!」


 ブルードラゴンを指さして、私は叫ぶ。

 すると、ココアは毛づくろいをやめて、ぴょこんと耳を立てた。

 そして、猛然と疾走を始める。


「やった! ココア、行っけぇー!!」


 ついに、ついにココアが私の指示で戦ってくれた!

 私は疾走するココアを後ろから見守る。

 ココアは獲物に駆け寄ると、大きく跳躍。

 なんと、たったの一撃で獲物を仕留める。


「あの、サーシャ」


 ジェシカさんが呆気にとられた様子で、声を漏らした。


「ココア、コオロギ捕まえて遊んでるみたいだけど……」


 そうなんだよなぁ! 獲物が間違ってるんだよなぁ!

 しかし、ココアは誇らしげだ。いつもみたいに、仕留めた獲物を口にくわえて、私のところに戻って来ようとしている。

 っていうか、獲物を飼い主に見せびらかすのが猫の本能なのは知ってるけどさ! びっくりするから本当にやめて欲しいんだけど! 野宿のとき、枕元にネズミの死骸が置かれてたときは本当にビビったんだからね!


「ココア! 違うって! ドラゴン倒して! ドラゴンー!!」


 必死にブルードラゴンを指さすが、ココアは全然言うことを聞かない。真っすぐこっちに戻ろうとしている。

 そのとき、ブルードラゴンの口元が光った。光線でこっちを狙ってる!?


「ふわふわビーム!!」


 光線を相殺するために、私はビームを放つ。

 しかし、私のビームは光線から外れた。

 そんなわけがない。だって、私はブルードラゴンの口に向けてビームを撃ったのだ。私とジェシカさんを狙って撃ったなら、正面衝突しないとおかしい。

 しかし、光線はビームの下を潜り抜けていった。あれじゃ、私たちのところには届かない。しかしすぐ、光線の向かう先に気がついて、私は叫んだ。


「ココア!!」


 コオロギをくわえて、こっちに戻ろうとしているココアの背後に、蒼の光が迫っていた。

 私は慌ててココアに駆け寄ろうとするが、それはあまりにも遅すぎた。

 光はココアを飲み込み、地面をえぐって土砂をまき散らす。


「ココアーっ!!」


 眩みそうになる目を手でかばいながら、私は叫ぶ。

 距離は離れていたのに、ブルードラゴンの光線が巻き起こした破壊の余波で、私の軽い体は浮きそうになる。

 それを、ジェシカさんが抱きかかえるようにして、支えてくれた。

 風が止んだ後、私たちの前には深くえぐれた地面だけがあった。


「ココア……え? ウソ……ど、どこに行ったの?」


 ジェシカさんに抱きかかえられたまま、私は必死にココアの姿を探す。

 でも、目の前にいるのはブルードラゴンだけ。小さな子猫の姿は、どこにも見えない。


「ココア! ココア!? どこ!?」


 ナァーオ、といういつもの返事は聞こえない。メディオクリスに来てすぐ、ローズクレスタを目指す途中で、ココアがいなくなったときのことを思いだす。

 でも、あの時は勝手に走り出して行ったのを、私ははっきりと見ていて。そして、今は、光に飲み込まれるのをしっかりと見ていて。


「ねぇ、なんでいつも勝手にどこか行くの!? ココア! 私、怒るよ! お願いだよ、出て来てよ!」


 こうなることなんて考えてなかった。だって、ココアは神獣ケット・シーなんだから。子猫に見えても、とても強い魔獣なんだから。

 だけど、ブルードラゴンはそのココアと同格の存在で。

 同格だから対抗できると思って、私は呼び出したわけで。

 それはつまり、逆のことも言えるということで――

 ズシン、とブルードラゴンが足を踏み出す音を聞きながら、私は膝から崩れ落ちて、両手で顔を抑えた。


「ごめん……ココア……私が……私がよく考えもせずに呼び出しちゃったから……」


 シャン、シャン、シャン。

 鈴の音が聞こえた。

 私は顔を上げた。私は、透き通るような水の上に座り込んでいた。


「……は?」

「え? なに、ここ?」


 呆然とする私を抱きしめたまま、ジェシカさんも私と同じように、呆気に取られたような声を漏らす。

 私が座っている水面の下を、錦鯉に似た魚が泳いでいる。水底は白かった。いや、水底だけじゃない。この空間はどこまでも白かった。壁もなく、空もなく、水平線すら白に溶け込む曖昧な世界。

 そして、私たちの前には、赤い鳥居と大きな社があった。メディオクリスで神社なんて見たことがない。いや、そもそも私たちは、ラピスの森でブルードラゴンと戦っていたのではなかったか。

 そう思った直後、鳥居の前で向かい合うように、ブルードラゴンと――かつて一度だけ見たことがある、全身を鋭い槍のような毛におおわれた巨大なココアが座り込んでいた。


「ココア……よかった」


 思わず安堵の息を漏らす。でも、ココアは私の声に反応しなかった。

 ただじっと、ブルードラゴンと見つめ合っている。

 何というか、妙に穏やかな時間だった。さっきまで、命がけの戦いをしていたのがウソみたいに。

 何となく見惚れてしまっていると、まるでスライドショーのように、目の前の景色が切り替わった。

 背景は何も変化していない。変わったのは、向かい合っていた二匹の姿だけ。

 ブルードラゴンが座り込んでいた場所には、羽衣をまとった長い蒼髪の女性が立っている。

 それと向かい合う場所には、古代ローマの貴族が纏っているようなウールの布を体に巻いた、茶髪の男性が立っている。

 誰? という声を漏らす前に、蒼髪の女性が口を開いた。


「わらわの巣に潜り込んで来たのは、こやつらじゃ。それを誅したところで、貴様に咎められる謂れはないぞ、ケット・シー」 


 明らかな怒りを孕んだ口調で、蒼髪の女性は茶髪の男性をにらみつける。

 彼のことを、ケット・シーと彼女は呼んだ。つまり、この人はココアってこと?

 しかし、ココアだと思われる男性は、穏やかな表情で蒼髪の女性を見つけるだけだった。

 

「薬に使う植物がラピスの森にしかないから仕方なく? なぜわらわが人間なぞの事情を汲まねばならぬのじゃ。その気になればまとめて踏みつぶせるものを、生かしているだけ慈悲と思え」


 ココアは何も言っていないのに、女性の方には意志が伝わっているらしい。


「ただでさえ、身重でわらわは気が立っておるのじゃ。オスの貴様には女子おなごの苦労などわかるまい。しゃしゃり出るでないわ」


 女性の――いや、ブルードラゴンの言葉を、ココアはただ笑顔で聞いている。

 ブルードラゴンは明らかに敵意むき出しなのに、なぜかこの空間を支配する雰囲気は穏やかだった。

 ブルードラゴンの棘を全部、ココアがふんわりと包み混んでしまっているような、そんな感じ。

 しばらくして、ブルードラゴンが不意に表情を変え、呆れたように溜息をついた。


「はぁ……何を言いだすのだ、貴様は。自分の聖域をわらわに貸す? 正気か? なぜ、こんな人間のためにそこまでする」


 ブルードラゴンの視線が、初めて私の方に向けられた。

 思わずびくっとして身構えてしまうが、ブルードラゴンはすぐにココアの方へ視線を戻す。


「まあ、よかろう。貴様の聖域なら、煩わしいことも起こるまい。身重の体で貴様と事を構えたくもないしのぅ」


 ブルードラゴンの言葉に、ココアは満足そうに頷いた。


「勘違いするなよ。わらわの貸しじゃからの。せっかく巣の準備をしたのに貴様のせいでご破算じゃ。いずれは返してもらうからの」


 ココアはブルードラゴンに対して、微笑みながら、もう一度頷く。

 それを確認すると、ブルードラゴンは再び、私の方へ目を向けて言った。


「人間。貴様の働いた無礼は万死に値する。卵を抱いた大事な体を傷つけおって。我が子の身になにかあったら、国一つでは済まさぬところじゃ。詫びよ」

「……す、すいませんでした」


 冷たい目で見下されて、私は小さく頭を下げた。

 すると、ブルードラゴンは私の方にツカツカと歩み寄ってきて、


「その程度の詫びで済まされると思っておるのか? 万死に値すると言ったはずじゃがのぅ?」


 ほっぺを両手で挟まれてもみくちゃにされた。


「はぶっ! す、すみまふぇんでひたっ!」

「おーおー、戦ってたときから思っていたが、随分とやわっこい人間じゃのぉ」

「す、すびばぜん! ほっぺを伸ばさないでくだひゃい!」

「サーシャ! ちょ、ちょっと! 触りすぎっ!」


 ブルードラゴンに好き勝手される私を、ジェシカさんがかばってくれる。

 まあ、ジェシカさんが興奮したときの触り方に比べたら、まだマシではあったんだけど。守ってくれたことに、今は素直に感謝だ。


「ふん、この程度で許してやろうというのに。人間はやはり好かん。恩知らずめ。よいか、二度はないぞ」


 ブルードラゴンは鼻を鳴らすと、またココアの方に向き直る。


「ケット・シー、貴様の聖域に行ってやろう。さっさとこの場所から出せ。巣作りをせねばならんからのぅ。それから、次、不届きな人間がいたら問答無用で滅ぼすが、構わんの?」


 ココアはただニコニコと笑っている。

 そして、不意にさっと、ウール布をまとった腕を横に払った。

 直後、景色が塗り替えられる。

 私たちは、ラピスの森に戻ってきていて、ブルードラゴンと対峙していた。


「ナァーオ」


 私の足元で、子猫に戻っているココアが鳴く。

 同時に、ブルードラゴンが私たちに背を向けて、羽ばたいた。

 その蒼い巨体が、上空へと消えていく。

 あちこち破壊された森の中で、虫の鳴き声が妙にはっきりと響いていた。


「……一応、助かったのかな」


 ぽふっと、ジェシカさんの手が私の頭に乗せられる。

 私は思わず、ジェシカさんを見上げた。


「けど、作戦は大失敗だね。どうしたもんかなぁ……これ」


 困り果てた、と言いたげな様子で、ジェシカさんが珍しく苦笑いを浮かべた。

 ただ、私は、ジェシカさんもココアも無事でよかったって。

 無責任にも、そんな感想しか出てこなかった。

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