ふわふわ29 ブルードラゴンとの戦い
山が迫って来る。私にとって精一杯、目の前で起きていることを形容した結果がそれだ。
私たちをにらんでいるそれの大きさを表したわけじゃない。いや、決して体高5mは軽く越えている生物が小さいと思っているわけじゃないのだが。
ただ、目の前のそれは恐ろしいほどの存在感と覇気を放っていた。そして、ただ向かい合っているだけで、息が詰まりそうな威圧感。
一歩、それが地面を踏みしめながら近づいて来るだけで、鋭利な刃物を首筋に近づけられたような緊張感が私を襲う。
目を見開いて、呼吸することが精一杯だった私の背後で、ジェシカさんが剣を引き抜く音がした。
「ジェシカさん動いちゃダメ!」
自分でも驚くほど大きな声が出た。
「けど、サーシャ。見つかった以上は、ここで倒すしかないよ」
ジェシカさんの言葉に、きゅっと心臓を握られたような気分になる。
倒すって、あれを?
ラピスラズリをそのままはめ込んだかのような、深く美しい蒼い瞳。私とジェシカさんをまとめて丸のみにできそうな、巨大な口と鋭利で鋭い牙。
全身を覆う蒼い鱗は岩石のように分厚く、ウミボタルのように明滅する淡い光を放っている。広げた巨大な翼は、端から端までで10mほどはあるだろう。
恐らく怒りと警戒を表しているのだろう、天に向けて鋭く立てた尾は太く長くしなやかで、尾だけでも長さが5mくらいはある。
ただ大きいだけじゃない。ステータスにも絶望的な差がある。あの見た目で、高いのがかしこさだけなんてことは、どう考えたってない。
全てのステータスが、確実に3000を上回っているはずだ。しかも、それは最低でもという話で、鑑定が失敗した以上、相手の強さは底が全く見えない。
変身した後のメフィスが比較にすらならないくらいの怪物。
その怪物が、その巨大な顎を開いた。
「ジェシカさん! 後ろにっ!」
私は慌てて両手を前に突き出す。そこから先は一瞬の出来事だ。
ブルードラゴンの口蓋がさらけ出され、蒼い光があふれ出す。光は膨大なエネルギーの束となって真っすぐに放たれ私たちに襲い掛かる。
地面を抉りながら突き進む蒼い光の束は、私の両手に触れた瞬間柔らかく弾け、代わりに周囲へ破壊をまき散らしていく。
衝撃で吹き上げられた土砂が、視界を塞いだ。
「ジェシカさん!」
私は目を閉じたまま後ろを振り返り、ジェシカさんにしがみつく。
ブルードラゴンを見失った。次に何を仕掛けてくるかわからない。
相手の攻撃力はこっちとは、文字通り桁が違う。私がふわふわのスキルで守らないと、ジェシカさんだってきっと耐えられない。絶対に守り切らなきゃ。
直後、凄まじい突風が私たちを襲った。
「うわっ!?」
「サーシャ、大丈夫!?」
軽くて飛ばされそうになる私の体を、ジェシカさんが何とか支えてくれる。
今のが次の攻撃か、と思った瞬間、私の背中がふわっとした感触に包まれた。
「あっ」
自分の判断が間違いだったと、その瞬間に気づかされる。
私の体は宙に浮き、ジェシカさんごと、前方に向かって吹き飛ばされていた。
ふわふわのスキルで空中停止する間もなく、ジェシカさんの背中が、進行方向にあった大木に叩きつけられる。
「げほっ!」
「ジェシカさんっ!!」
私を守るように抱きしめたまま、ジェシカさんが口から血を吐く。
私は荷物から薬草を引っ張り出して、ジェシカさんが負傷した場所に押し当てた。
まだ、回復系の魔法はほとんど練習できてない。魔法大全を引っ張り出して呪文を探してから詠唱するより、こっちの方が遥かに早い。
私はジェシカさんの手当をしつつ、背後を振り向いて確認した。
ブルードラゴンが翼をはばたかせ、低空を浮遊している。さっきの突風は攻撃じゃない。ただ、ブルードラゴンが飛び上がったときに起きた風圧だ。
そして、どうやらブルードラゴンの体勢から考えて、垂れ下がった尻尾をムチのように打ちつけて来たらしい。キックに適した足じゃないし、体当たりを食らったにしては受けた衝撃の範囲がおかしかった。
ブルードラゴンはしばらく羽ばたいた後、ズシン、と地面に降りる。またさっきの光線が来るのかと思って身構えたが、意外にも追撃はない。動かず、じっとこちらを観察しているように見える。
今度は何をする気なんだろう。不安に思いつつも、ジェシカさんの治療を続ける時間ができたのはありがたい。私は次々に薬草をジェシカさんの傷口に押し当てていく。
ブルードラゴンの攻撃は、私に直撃していたはずだ。ジェシカさんが受けたのは、木に叩きつけられた分のダメージだけ。なのに、ジェシカさんのHPは400も削られてしまってる。
絶対に、ブルードラゴンの攻撃をジェシカさんが直接受けることは避けないと。
「サーシャ、あたしが攻撃するから、援護して」
なのに、ジェシカさんは私を押しのけるようにしながら、剣を構えた。
「ダメだよ、ジェシカさん! あんな攻撃、ジェシカさんが食らったら殺されちゃう!」
「戦いっていうのは、普通そういうもんだよ、サーシャ。それに、攻撃しないと絶対に勝てない。あたしたちは、あれを倒さないとダメなんだよ。そうしないと、どうなるのかわかるでしょ?」
『その気になれば、一匹で人間の国なんて軽く滅ぼせる。それが、ドラゴンだよ。こんなこと、子どもだって知ってる』
ミオちゃんの言葉を思い出す。わかってたことだ。だから、絶対に見つからないよう、こっそりラピスの森に入って出ようって言ってたんだから。
けど、やっぱり私は、ブルードラゴンを甘く見てた。強いんだろうとは思ってたけど、メフィスとそこまで変わらないだろうという考えが頭の隅にあった。
ココアと――ケット・シーと同格と言われていたけど、私にとってココアは畏怖すべき対象じゃない。普段はごく普通のかわいらしい子猫でしかないんだから。
心臓が締め付けられる。息が上手くできなくなっていく。自分がやってしまったことの責任で押しつぶされそうになる。
頭ではよくわかってる。ここで絶対にブルードラゴンを倒さないといけない。けど、勝ち筋なんて何も思い浮かばなくて。私は逃げ出したくてたまらなかった。
自分が死ぬのが怖いんじゃない。ううん、それだって十分怖い。だけど、それ以上に、ジェシカさんが死んでしまうのが怖い。
ブルードラゴンがこっちの様子を見ている今なら、逃げられるんじゃないか。そんな私の甘さを突き放すように、ジェシカさんが剣を握りしめたまま、駆けた。
「頼むよ、サーシャ!」
「ロックバリスタ!!」
咄嗟に魔法の構成を練り上げて、魔法を放つ。我ながら、こんな精神状態でよく失敗しなかったものだと思った。
巨大な岩石がブルードラゴンに向かって、放物線を描きながら飛んでいく。
ブルードラゴンは動かない。私のロックバリスタは、吸い込まれるようにブルードラゴンの頭部に直撃。
しかし、私が魔法で作り出した岩石は粉々に砕け散り、ブルードラゴンは瞬きすらしない。
全く効いていない。陽動にすらなっていない。ブルードラゴンの視線は真っすぐに、ジェシカさんへ向けられている。
ジェシカさんは私を信じて、真っすぐにブルードラゴンへ向かっている。これじゃ、まともに反撃を受けてしまう。
何とかしなきゃ。一瞬でもいいから、ブルードラゴンの気を逸らさなきゃ。
でも考える時間がない。ブレスでも、尻尾での攻撃でも、体当たりでも。ブルードラゴンが動きだしたら、ジェシカさんはきっとそれをよけられない。
何でもいいから! ダメ元でいいから! とにかく、早く!! 思いつけ、私っ!!
今までこういうときあったっけ!? あった! 吸血鬼――カーミラと戦ったとき! 体当たりして、魔法が使えないように邪魔をした!
けど私のスピードじゃ、ジェシカさんを追い抜いて体当たりなんて無理! じゃあ、どうする!? どうやって、ジェシカさんより早くブルードラゴンに触れる!?
――そうだっ!!
「ふわふわビームっ!!」
片手を伸ばして、白色の光線をブルードラゴンに向けて撃ち出す。
同時に、ブルードラゴンが翼をはばたかせて飛び上がった。頭部を狙って撃った私のふわふわビームは、ブルードラゴンの腹部へと向かう。
そして、ブルードラゴンがジェシカさんに向けて尻尾を叩きつけようと、大きく後方へ尻尾を振り上げた瞬間、私のふわふわビームがブルードラゴンに直撃した。
ガクン! とブルードラゴンの高度が落ち、その四肢がズシーンと地に着く。
初めて、この戦いの中でブルードラゴンが動揺のようなものを見せた。
ジェシカさんがそれを見逃すことはなかった。
「天体衝突ォォォ!!」
ジェシカさんが、メフィスを貫いた必殺技を発動する。
剣を前に突き出した瞬間、ジェシカさんの体がブレる。土煙を上げて、その体が超高速で前へと滑っていく。
そして、その切っ先がブルードラゴンの眉間に衝突した。
ガギィィィィィン!!
響き渡るのは鈍い金属音。
蒼く輝く龍鱗に、ジェシカさんの一撃は無情にも弾かれた。
体を仰け反らせ、たたらを踏むジェシカさん。それに対して、ブルードラゴンはわずかに体を捻る素振りを見せる。
「ジェシカさん! 尻尾が来るっ!!」
叫んだ時にはもう遅かった。5mもある尻尾が、土を巻き込みながら唸りを上げて迫っている。
後ろにも前にも逃げられない。地面をこすっているから、屈んでよけるスペースもない。
「流星剣!」
しかし、ジェシカさんは上に跳んだ。
間一髪で、ジェシカさんの足元を尻尾の薙ぎ払いが通過する。
ジェシカさんは空中を蹴り、私がいる方に急加速しながら戻って来る。
ザザザザっ! と地面を足で踏みしめ、急停止しつつ、ブルードラゴンに向けて剣を構えなおした。
「サーシャ、ありがと! けど、ダメだ! 硬すぎて剣が通らない!」
「あのドラゴン、たぶん攻撃力も防御力もけた違いに高いんだよ!」
「サーシャの魔法で何とかならない? 四天王倒したときに使った、あのすごいやつ! あたしが何とか時間稼ぐから!」
「無理だよ! ダメージは与えられると思うけど、MPが足りないから倒せない!」
私のMPはもう4000を切ってる。ブルードラゴンのHPがどれだけあるかわからない以上、下手にメギドは使えない。
かといって、他に手があるわけでもないから、イチかバチか試す手もなくはないけど、さすがに博打が過ぎる。
それに、今まで見て来た感じ、ステータスの中では特にHPとMPの数値が高くなりやすい。ジェシカさんなら、攻撃力は800くらいだけど、HPは2600もある。
私みたいに超アンバランスなステータス配分になってない限りは、ブルードラゴンのHPは3000より大幅に多いはずだ。正直、10000くらいあってもおかしくない。
そんな予想は外れてて欲しいけどさ。
「じゃあ、MPポーションで回復しながらは?」
「ごめん、そんなにいっぱい持ってきてない」
っていうか、そんなにいっぱい飲めない。100本飲んでもMP満タンにはならないから、私。
「あたしが戦ってる間にサーシャが寝てMP回復」
「絶対に不可能な案出さないでよ」
「そう言われても、あたしの剣じゃ歯が立たないんだよねぇ……」
要するに万策尽きている。
けど、諦めるわけにはいかない。諦めたら、この怪物にハイルブロント王国が滅ぼされる。
魔法は全然効かない。メギドは使えない。ジェシカさんの剣も通用しない。ふわふわビームはちょっと効く。
まだ試してないことはないだろうか。私は必死に自分の覚えているスキルのことを思いだす。
しかし、そこまでの猶予を、ブルードラゴンは与えてくれなかった。
今までの比較的ゆったりとした動きがウソみたいに思えるほど、一瞬でブルードラゴンは私の目の前に迫って、
「うぐっ!?」
視界が完全に塞がれた。何が起きたのかわからなかった。
少し遅れて、巨大な丸太のようなものが自分の上にのしかかっているのに気づいた。そして、自分の背中が地面に押し付けられているのも。
上から尻尾をたたきつけられたのだ、と理解したとき、全身を激しい痛みが襲った。
ステータスを確認する。HPが減っていってる。MPに変化はない。攻撃を受けてるのに、ふわふわのスキルが発動してない。
なんで? どうして? とパニックになりながら、私はふと、ふわふわのスキルについての一文を思い出す。
『レベル1:全身ふわふわ化獲得。物理衝撃無効化獲得。武器軟化獲得』
これ、尻尾を叩きつけられる衝撃は防げても、尻尾と地面に挟まれる圧力までは防ぎきれてないんだ。私の体は、今ものすごい力で押しつぶされてるんだ。
これを何とかしないと、殺されちゃう。私は尻尾を押しのけようと、両手でそれを掴んだ。
しかし、当然びくともしない。口の中に血の味がにじむ。
「サーシャ!!」
ジェシカさんの声がすぐ近くで聞こえた。私のことを助けるために、駆け寄ってくれてるんだとわかる。
けど、ジェシカさんの攻撃はブルードラゴンに通用しない。HPが尽きる前に、私自身で何とかするしかない。
「すぐ助けるからっ! 彗星円舞!」
恐らく無意味とわかりながら、ジェシカさんが剣を振るう。
――しかし、ジェシカさんの剣はバターのようにドラゴンの尻尾を切り裂いた。
「「え?」」
「グギャァァァァァァ!!」
初めて、ブルードラゴンは絶叫しながら、前のめりに倒れて行った。
なんで斬れたの? もしかして、尻尾だけ以上に柔らかいの?」
「サーシャ、大丈夫!?」
ジェシカさんが私を助け起こしてくれる。
さっきのダメージで、少しアバラが痛んだが、何とか立ち上がれた。
「けほっ……ジェシカさん、今の……」
「あたしもよくわかんない。とにかく必死だったから……もしかして、極限状態で秘められた才能が目覚めちゃった?」
この状況でボケないで欲しいんだけど、表情がマジだ。だから、レベルが上がってるのにかしこさが68なんだよ、ジェシカさん……っ!
「ジェシカさん、ちょっと、この残った尻尾斬ってみて」
「ん? わかった。彗星円舞! んぎゃんっ!?」
かっこいい技名の後に残念な悲鳴を上げて、ジェシカさんは体勢を崩す。
切断した尻尾に負けてる……とりあえず、才能が目覚めたわけではなさそうだ。
そして、尻尾が極端に柔らかいというわけでもなさそう。それに、これだけ分厚い鱗で覆われてる尻尾が柔らかいわけもないよね。
尻尾が柔らかいせいではない。ジェシカさんが急に強くなったわけでもない。そうなると、あと原因になるのは……私?
考え込んで、私はまた、スキルの一文を思い出した。
『レベル2:魔法攻撃拡散獲得。装甲軟化獲得』
「あっ! あぁぁぁっ!」
今まで、魔法で戦ってたから、全然使う機会も役立てる機会もなかった! そもそも、攻撃が効かないほど防御力の高い敵なんかいなかった!
けど、これなら攻撃が通るようになる! 私がブルードラゴンの体に触って、そこをジェシカさんが斬ればいいんだ!
さっき尻尾が斬れたのも、私が尻尾に触ってたせいだ!
「ジェシカさん、わかった! 私、触ったら敵を柔らかくできる!」
「え? ごめん、ちょっと意味がよくわかんない」
「いいから! 私が触ったところをジェシカさんが斬って! そうしたら、勝てるよ!」
「よくわからないけど、何か思いついたんだね、サーシャ。そういうことなら、任せて」
一筋の光明が差し、ジェシカさんが翡翠色の目を輝かせながら、剣を握りなおす。
――直後、ジェシカさんの姿が目の前から消えた。
「え……?」
バサッ! バサッ! と羽ばたく音がすぐそばで響き、風に髪が煽られる。
しばらくして、ドシャッ! という、耳を塞ぎたくなるような音がこだまする。
ズルリ、と遠くの木から、ジェシカさんが滑り落ちてくるのが見えた。
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名前:ジェシカ・ハイルブロント
種族:人間
年齢:18歳
職業:王女/冒険者/流星剣士
Lv:61
HP:0/2701
MP:0/0
攻撃力:806
防御力:586
素早さ:878
かしこさ:68
【スキル】
流星剣(Lv6)
剣術(Lv9 Max)
打撃術(Lv7)
騎乗(Lv9 Max)
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ステータスを確認した瞬間、私の全身から力が抜けた。