ふわふわ28 ラピスの森突入作戦
「もう行かれるのですか?」
「うん、忍び込むならやっぱり夜がいいしさ。昼間だと見張りの目を欺くのは難しいしね」
心配そうに声をかけるペトラさんに、ジェシカさんは準備した荷物を背負いながら、そう返した。
私もなんとなく、ペトラさんに書いてもらった地図が入ったカバンをぎゅっと押さえた。この地図に、ルリオオマキツルクサが生えている場所と、ルリオオマキツルクサのスケッチが書いてある。
絶対に無くしちゃいけない大事なものだ。魔法で明かりを作り出せる私が持っていた方がいいと、ジェシカさんに託された。
責任重大って感じだけど、そもそも私がやりたいって言いだしたこと。これくらいの役割は果たして見せる。
「夜明けまでには戻ってくるから、朝日が昇ったら玄関を開けてみて。袋に包んで、ルリオオマキツルクサの根を外に置いておくから」
「え? うちに泊まってはいかれないんですか?」
「今からやること考えると、もうあたしたちは会わない方がいいでしょ? 朝一でガービー借りて村から出るよ」
「それなら、せめて冒険者ギルドが開くまで……」
「野宿は慣れてるから平気だよ。サーシャ、行こっか」
ペトラさんの言葉を振り切って、ジェシカさんがドアに手をかける。
私は家を出る前に、ペトラさんの方を向いて言った。
「絶対、ルリオオマキツルクサの根を取って来るから。信じて待っててください」
「サーシャさん……」
口元を抑えて、ペトラさんが目を潤ませる。
ジェシカさんがドアを開けて外に出た。私はその後に続いて、ドアを閉めた。
もう引き返せないし、引き返さない。私は、ジェシカさんを見上げて尋ねる。
「ジェシカさん、どうやってラピスの森に入ればいい?」
「しっ! サーシャ、誰が聞いてるかわからないから」
ジェシカさんが人差し指を唇の前で立てるのを見て、私は慌てて口をつぐむ。
そうだ。わかってはいたけど、ここから気を引き締めていかなきゃ。私たちは、誰にも知られず、ラピスの森からルリオオマキツルクサの根を取ってこないといけないんだから。
ジェシカさんは周りに視線を配った後、ささやきかけるように答える。
「こういうときに、ちょっと便利なものがあるんだ」
そういうと、ジェシカさんは自分の荷物から何かを引きずり出した。
黒い、大きな布――いや、マントだ。ジェシカさんはそれをバサッと羽織り、体をすっぽりと覆って見せる。
「どう? これだけで、夜だと結構見えないでしょ?」
「確かに見えにくくなったけど……ジェシカさん金髪だから、首から上は普通に目立ってるよ?」
自慢げにしているジェシカさんに対して、私は小首を傾げる。ジェシカさんが黒髪だったとしても、顔が丸出しだから、ある程度近づけば普通にわかるだろう。
それに、私は白のワンピースのままだから依然として目立ちまくり。これだけで、見張りに気づかれずラピスの森に入るのは難しいと思うけど。
「そうだね。だから、これも用意した」
ジェシカさんは荷物の中から、今度は黒い袋を取り出して、頭からスポッと被った。目の所に穴が開いていて、翡翠色の目が奥からこっちを覗いている。
だ、ダサい……っていうか、こんなものまで用意してたんだね、ジェシカさん。
「どう? いい感じ?」
「かなり見えにくくはなったけど……」
いい感じかどうかと聞かれれば、かなり残念な感じだ。
「っていうか、ジェシカさんはちゃんと周り見えるの? それで」
「いやー、結構きついかな。サーシャの顔しか見えない」
その言い方だと若干の誤解を生むよ、ジェシカさん。
「私もそれやるの?」
「いや、サーシャの分はないんだよね、これ」
「ダメじゃん」
「こうすれば大丈夫」
すると、ジェシカさんは私をぎゅっと抱き寄せて、マントで包んだ。
うん、真っ暗で何も見えない。
「……これでどうやって移動するの?」
「空を飛んでいこうと思ってさ」
「ぐっ!? い、いいよ……グリフィーネが嫌だとか言ってられないもん」
「違うよサーシャ。冒険者ギルドが閉まっちゃったから、もうグリフィーネは借りられないしさ」
「え? じゃあ、どうやって飛ぶの?」
「サーシャ、空飛べるでしょ?」
何を今更、という感じでジェシカさんが言う。
た、確かに私は飛べるけども……。
「ジェシカさんを抱えて飛べるかどうかわかんないよ?」
「エミルの村のときは、ミオを抱えて飛んだんでしょ? いけるって」
「ミオちゃんは小さいもん」
「えー? あたし、そんなに重くないよ? とりあえず、ちょっと試してみよ?」
渋る私を、急かすジェシカさん。
ちなみに、この会話をしている間も、私はマントに包まれたままだ。そして、私からは見えないけど、恐らくジェシカさんも袋をかぶりっぱなし。なかなかシュールな状況である。
ミオちゃんを抱えて飛んだときも、割と腕痛かったんだけどなぁ。本当に大丈夫かな? 心配しつつも、私はジェシカさんを抱きしめて、ふわふわのスキルを発動する。
「おっ、やった! サーシャ、浮いてるよ!」
「うぅー! う、腕がきついよ、これ!」
「え、ウソ? そんな重い?」
「む、無理! 滑って落ちそう!」
「じゃあ、これでどう?」
私がマントの中で、顔を真っ赤にしながら唸っていると、ジェシカさんが私の肩に覆いかぶさるようにもたれてきた。
や、やめて! そんなことしたら肩に腕がめり込むっ!
んぶぅ――悲鳴を上げる前に、レザーメイルの胸元が顔に押し付けられた。ごわごわした革の感触の奥に、ふわふわを感じる。
あれ? けど、思ったより肩は痛くないや。ぐっと引っ張られる感じはするけど、これならまだ何とか。
ただ、この体勢は苦しすぎる。顔がごわごわなのにぷにゅぷにゅで息できない。
「一回! 一回降ろす!」
「わかった、ほいっと」
私がレザーメイルの谷間で叫ぶと、ジェシカさんは私を離して、自分からひょいっと飛び降りた。
一息ついてから、私はふわふわと地面に降りる。そして、くるりとジェシカさんに背中を向けてしゃがんだ。
「おんぶだったらいける気がする」
「オッケー。けど、自分より小さい子におんぶされるのって変な感じだね」
苦笑しながら、バサッと私にマントをかけつつ、後ろからジェシカさんが覆いかぶさってくる。
さっきは私が抱っこしてたと思うけど、それはいいのか。まあ、私が抱っこしてるっていうより、ジェシカさんが私を抱きしめてるみたいな体勢だったけど。
それはそれとして、今、真っ黒の袋を被った黒マントの人が10歳の子どもに覆いかぶさってるって状態なんだけど……傍から見ると結構ヤバイ状態じゃない?
とか言ってる場合じゃないんだけどさ。とりあえず、ふわふわ発動。
「おぉっ! 浮いたよ、サーシャ。どう? いけそう?」
「ん、これくらいだったら大丈夫そう。けど、もっと上に乗っかる感じで」
「こんな感じ?」
「うん。けど、もっと前に体重かけて」
私とジェシカさんは声を掛け合いながら、体勢を調整していく。
結果、おんぶというよりも、空中でうつぶせになった私の上に、ジェシカさんが覆いかぶさっているという感じになる。
この体勢が一番かかる力が分散されて楽なのだ。ジェシカさんが滑り落ちないように、ちょっとだけ腰を丸めないといけないのが、少しきついかな。
「ジェシカさん、MPがきついから、一回降ろしていい? 空飛ぶのは消費が激しくて」
「あ、ごめん。昼間も結構魔法使ったもんね。あたし、勝手に決めちゃったけど、一晩休んだ方がよかった? MP、あとどれくらい残ってるの?」
「今ので40くらい使って、あと4900くらいしか残ってない」
「ものすごい残ってるじゃん」
ジェシカさんは呆れたが、冗談じゃない。MPは私の生命線なのだ。MPが尽きた私は、たぶんミオちゃんにだって勝てない。
だって、ミオちゃん、私よりステータスの高いオオカミ倒してるしね。MP0の私じゃ、あのオオカミに勝つのは絶対無理。
ともかく、MPは貴重なので、一旦ジェシカさんと一緒に地上に降りる。ちなみに、どうやら空を飛ぶのに使うMPは1秒につき2みたいだ。
今の私だと、40分くらいはふわふわ飛んでられる計算になる。移動速度が遅いから、大した距離は移動できないけどね。
「それで、これからどうするの? ジェシカさん」
「とりあえず、徒歩で近づけるところまで近づこう。そこからは空を飛んでこっそり侵入。幸い、今夜は月も出てないし」
すぽっと、黒い袋を頭から取りつつ、ジェシカさんが説明してくれる。
やっぱり、空から見張りの上を越えていくのか。確かに黒ずくめだったら夜空には溶け込めるだろうけど、基本的に丸見えだもんなぁ。本当に大丈夫かな。
「見つからないかな?」
「たぶん大丈夫だよ。あたし、子どもの頃、グリフィーネを真っ黒に塗って同じことしたことがあるんだ。そのときは誰にも見つからずに、城を抜け出せたよ? グリフィーネの体に塗った墨が落ちなくて、後でバレたけどねー」
「それはグリフィーネがかわいそうだよ!」
「あれ? サーシャ、グリフィーネ嫌い克服したの?」
「グリフィーネに乗るのが嫌なだけで、グリフィーネ自体には何の恨みもないよ!」
「ほらほら、サーシャ。そんなに騒いだら怪しまれちゃうから」
こ、これだけ騒ぎまくって置いて今更……。
全然納得できなかったが、私は言い返さずに口を閉じる。
すると、ジェシカさんはポニーテールを揺らしながら歩きだし、
「じゃあ、行こっか、サーシャ。夜明けまでに終わらせないとだから、ちょっと急がなきゃね」
「う、うん。ここから、遠いの?」
「徒歩だからね。40分はかかっちゃうかなぁ……そうだ、サーシャ、おんぶしてあげるよ。クエスト、一日中頑張ったから疲れてるでしょ?」
「え!? だ、大丈夫だよ! 自分でちゃんと歩くよ! それにジェシカさんだって疲れてるでしょ?」
「遠慮はいいってば。あたしは三ヶ月きっちり鍛えて来たし、これくらいの無理は平気だから。それに、着いてからはサーシャにも頑張ってもらわないといけないし。今のうちに体力を温存して欲しいんだよ」
そう言って、ジェシカさんは私の前で腰を屈める。
私の精神力も、前世の経験で鍛えられているつもりなんだが……こういうときのジェシカさんは、言いだしたら聞かない。
それに、この体だと歩幅が小さくて、ジェシカさんのペースに合わせて歩くのが地味に辛いところはある。
ラピスの森に着いてからが本番というのは確かだし、大事なときに迷惑をかけないよう、ここはお言葉に甘えることにした。
「着くまでの間、寝てていいからね。着いたら起こすからさ」
「さ、さすがにそこまで厚かましくないよ」
「遠慮はいいって言ってるじゃん」
私が背中にしがみつくと、ジェシカさんはそう言って苦笑しながら歩き出した。
見た目は子どもだから、こういう扱いは仕方ないけど、私の中身は立派な成人。ジェシカさんよりも年上なのだ。
夜の街道を歩くわけだから、色々危険もあるかもしれないし、周囲の警戒役としてきちんと役に立とう。
体力面で甘える分は、ジェシカさんに足りない頭脳でカバーするんだ。私は固い決意とともに、ジェシカさんにおぶられたまま、ラピスの村を出るのだった。
***
結論から言えば私は爆睡した。笑ってしまうくらい、あっさりと寝た。
ジェシカさんに起こされても、しばらくぼーっとして、目的のことすら完全に忘れてる状態だった。ここどこー? って感じ。
意識がはっきりしたときには、顔から火が出そうだったけど、ジェシカさんは笑わなかった。
すでに真剣な表情になっていて、私と一緒に物陰に隠れつつ、遠くに焚かれているかがり火を指さす。
「サーシャ、見える? あそこに小さな関所ができてる。見張りも結構いるし、これ以上近づいたらバレるかも」
ジェシカさんに言われて、物陰からあまり体を出さないように注意して、かがり火の方を見る。
ジェシカさんの言う通り、街道を封鎖するようにバリケードが張られていて、そのそばには木造の小屋が立っていた。
バリケードのそばには、金属製の鎧を着た人が数名立っている。ここから確認できるのはそれだけだが、小屋のサイズを考えると、見回りに出ている人もいそうだ。
しかし、一番驚いたのは、その人たちの出で立ちに、私は見覚えがあるということ。
「あの人たち、もしかしてお城の兵士?」
「そうだと思う。ローズクレスタから派遣されてきたんだろうね。てっきり警備はギルドの職員だと思ってたんだけどなぁ」
「まずいの?」
「そりゃ、ギルドの職員よりはきっちり警備してると思うよ。本職だしさ。あと、あたしの前例があるから、空も警戒してるかも」
「ダメじゃん」
「まあ、でも大丈夫だと思うよ。警戒してるのはグリフィーネだろうし、まさか生身の人間が空飛んでくるとは思わないって」
私が白い目を向けると、ジェシカさんは苦笑しながら、黒い袋を頭にかぶって準備を始める。
「そういえば、眠ってMPは回復できた?」
「満タンにはなってないけど、5000は越えた」
「良かった。よく眠ってたしね。じゃあ、サーシャ、想定より見張りは厳重みたいだし、ここからちょっと頑張ってもらうよ?」
「う、うん」
そう言われてしまうと弱い。いや、元々頑張るつもりだったけどね。
私はしゃがんでジェシカさんを背負うと、ふわふわのスキルを発動した。
上昇を開始しつつ、出発前に練習した体勢を取る。私の上に覆いかぶさったジェシカさんが、黒いマントで目立つ私の全身をすっぽりと隠す。
これで、私の視界はマントで完全に塞がれるから、移動はジェシカさんの指示頼りだ。
「サーシャ、そのまま真っすぐ上に向かって」
「うん」
バレないように頭上を越えるという作戦を取る以上、できるだけ上空を目指した方が見つかりにくい。
私は言われた通りに上昇を続ける。みるみるうちにMPが減っていくのを見るのは心臓に悪いけど、こればっかりは仕方ない。
「あたしがストップって言うまで、ずっと上に向かってね」
「うん」
スピードが出ないのがもどかしい。スキル名通り、ふわふわと私たちの体はゆっくり浮き上がっていく。
それにしても、周りが一切見えないというのは、すごく怖い。言われたまま上昇しているけど、今どれくらいの高さにいるのかさっぱりわからない。
淡々と消費されていくMPが正確な時間を教えてくれるが、体感ではもっと長く時間が過ぎているように感じてしまう。
あと、人を背負って浮いているというプレッシャー。グリフィーネと違って、私はジェシカさんを落っことしたら素早く拾い上げに行くことができない。
ロープかなにかで体を縛って置けばよかったと、今更ながらに思う。というか、ジェシカさんの方は怖くないんだろうか。
なんて考え事をしているうちに時間は過ぎ、どんどん高度は上がっていく。
いや、ちょっと待って。おかしい。いくら何でもおかしい。
MPの消費量的に、もう5分は経ってる。ふわふわのスキルの飛行能力は、決して移動スピードは遅くないけど、そこまで遅くもない。5分も上昇し続けたら、相当な高さまで来ているはずだ。
心配になって、私は目の前にあるマントの合わせ目を手で少しだけ開き、ちらぁっと真下を覗き見た。
バリケードの周りに焚かれていたかがり火が、豆粒よりも小さくなっていた。
「ジェシカさぁん! ストップって言うって言ったよね!?」
「ちょっと、サーシャ! 声大きいよ! 聞こえたらどうすんの!」
「こんな高さまで来てるのに聞こえるわけないよ! 見張りがどこにいるかも見えないんだけど!?」
「けど、昔、グリフィーネで城を抜け出したときはもっと高いところまで飛んだけどなぁ」
「もう十分だよ! だってこっちからあっちが全然見えないんだもん!」
「サーシャがバレるかどうか心配だって言ったんじゃーん」
顔が見えないのに、ジェシカさんが口を尖らせたのがわかった。
確かにそうは言ったけども! 私だってこんな上空まで上がるとは思ってないから! 今日、グリフィーネに乗って飛んでた高さ、今の半分くらいだったじゃん!
「じゃあ、もうこれくらいでいっかぁ。サーシャ、そのまま前に進んで」
「わかったけど……高度落としながらじゃダメ?」
「今落としたら上げた意味ないじゃん。いいからそのまま真っすぐー」
私の嘆願に、無情にもそう返したジェシカさんの指示に従って、私は仕方なく高度を保ったまま前進を始める。
ここからラピスの森に入らないといけないんだよね。どれくらい前に進まないといけないのかわからないけど、MPが心配。帰りの分も残しておかないといけないのに。
「サーシャ、次、左ね」
「わかった」
「あっ! ちょっ! 曲がりすぎっ! もうちょっと前寄りの左!」
「え? こ、こっち?」
「今度も行きすぎだってば! もうちょっとこっち!」
「わぁっ!? ジェシカさん、お願いだから上で動かないで! 落ちたらどうするの!?」
「これくらい平気だってばー」
ヒヤヒヤしつつ、私は進路を調整する。なんで、空を飛べる私の方がビビってて、ジェシカさんは平気なんだろう。
「サーシャ、ここでストップ」
それから10分程度移動したところで、ジェシカさんから停止の合図が出た。
結構時間かかっちゃった。降りるのにも5分かかるの考えると、MPギリギリじゃん。MPポーションいっぱい持ってくればよかった。獣車に積んだままなんだよね。
とりあえず、時間がもったいないから、私は下降を開始する。
「じゃあ、サーシャ。スキル解除して」
そして、ジェシカさんが意味のわからないことを言った。
「は?」
「だから、落ちるだけならスキルいらないじゃん? 私がストップって合図するから、そのタイミングでスキルを発動したらMPも節約できるし、時間も短縮できるじゃん」
何をバカなことを言ってるんだろうかこの人は。
スキルを発動するタイミングがズレたら地面にたたきつけられるんだけど。
いや、私は無事かもしれないよ? ふわふわあるし。私は平気なんだけど、ジェシカさんが危ないじゃん。ジェシカさんのためにもこの提案は飲めないよ。
「サーシャ、怖いのはわかるけど、ゆっくり降りたら見張りに見つかるリスクも高くなるからさ」
「怖いとか言ってない」
私はジェシカさんを心配してるだけだ。私はふわふわのスキルがあるから大丈夫だし。
「ちゃんと合図するから。しっかり抱きしめててあげるし。勇気を出して、ね? お願いだよ、サーシャ。サーシャの魔法、森の中で必要になるかもしれないし、MPはたくさん残しておいた方がいいと思うんだ」
いや、だから、私はジェシカさんが危険だから――
「どうしても怖くて無理なら仕方ないけど、頑張って欲しいなぁ」
やってやろうじゃねぇかぁぁぁぁぁぁ!!
私がスキルの発動を切ると、私とジェシカさんの体は勢いよく落下を始める。
やっぱり怖い怖い怖い怖い!! 何も見えないからめちゃくちゃ怖いーっ!!
ジェシカさんちゃんとストップって言ってくれるんだよね!? 言い損ねたら一生末代までたたってやるからぁ!
「サーシャストップ!!」
ジェシカさんの鋭い声に、私はスキルを発動した。
ふわっと体が浮き上がり、背中をぐーっとジェシカさんに押される感じになる。
上と下から体を押しつぶされる感じ。ぐぇっとうめいてしまうくらい苦しい。
しかし、無事に緊急停止は成功。私はジェシカさんのナビに従いながら、今度こそゆっくりと下降していく。
「ラピスの森到着、だね」
私の上から降りたジェシカさんが、頭から黒い袋を取り去り、辺りを見る。
私もつられて周囲を観察した。
5mくらいはある大木が立ち並び、足元には膝位の高さまで草が生い茂っている。
鬱蒼とした森、という表現がしっくり来る場所で、夜だからなおのこと不気味に感じる。
情けないことに、私はきゅっとジェシカさんのマントを掴んでしまった。
すると、ジェシカさんはポンと私の頭に手を置いて、
「サーシャ、明かりと地図、お願いできる?」
「わ、わかった」
私はまずカバンから地図を引っ張り出してから、明かりをつけるために魔法の構成を練る。
そういえばジェシカさん、最近は結構自然に、私の体に触ってくるようになったな。出会ったときなんて、興奮しすぎて門番の兵士に声をかけられるくらいだったのに。
まあ、慣れてくれたなら、私も毎回ディスペルかけなくていいから助かるんだけど……あ、いや、でもまだ心配だし後で余裕があったらかけとこうかな……。
「導きの光よ、我が元へ来たれ。ウィル・オ・ウィスプ」
呪文を唱えると、私の手元に青白い光球が出現する。
光属性の下級魔法だ。便利な魔法なんだけど、私はまだ構成を覚えられていないので、詠唱破棄はできない。こういう魔法の構成も、おいおい覚えていかないとね。
ちなみに呪文の方も覚えてなかったのだが、ラピスの森で必要になるのはわかっていたので、移動中に確認して覚えた。まあ、そのまま寝ちゃったんだけどね!
「サーシャ、地図見せてくれる?」
「うん。これでいい?」
「ありがと……今、たぶんここなんだよね。地図に書いてある場所はここだから、方角だとあっちか」
少しだけ地図を確認してから、ジェシカさんは迷いなく歩き出した。
これが冒険者としての経験値ってやつなのか。スマホのアプリに頼って生活してきた私にとっては、もはや超能力にすら見える。
地図アプリと同じ効果のある魔法があればいいんだけど、少なくとも魔法大全には載ってない。どうしても必要なら、オリジナルで作るしかないわけだ。
当然、そんな魔法よりも魔王を倒すための攻撃魔法を覚えなきゃいけないので、開発に着手する予定はない。私は迷子にならないよう、頑張ってジェシカさんに着いて行くだけだ。
しかし、それにしても――
「静かな森だね」
「ん? そうだねー。こんなに大きい森なのに、虫の鳴き声も聞こえないなんてね」
邪魔な草を剣で斬り払いながら、道を作りつつ前を進むジェシカさんも、私の違和感に同意する。
後から来る私が歩きやすいようにという、さりげない気づかい。こういうところ、本当にイケメン。女の人だけど。
けど……なんか、この感じ既視感あるんだよね。こういう雰囲気の場所を知ってるような。
「ジェシカさん。この森って、普段でもこんな感じなの?」
「いやー、あたしもここには初めて来たから。あ、でも心配しないで。空から、目的地はちゃんと確認したしさ」
気になってるのはそのことじゃないんだけどな……。
とは思いつつも、自分でも違和感の正体をはっきりと口にできないので、結局はジェシカさんに着いていくことしかできない。
ちょっとでも役に立とうと、ウィル・オ・ウィスプの光を放って、ジェシカさんの前を照らしてあげる。自由に操作可能なのが、この魔法の便利なところだ。
ありがとう、とジェシカさんは振り向いて答えてから、淡々と目的地に向かって進んでいく。
ルリオオマキツルクサが自生しているポイントは、ラピスの森の中心部付近。私たちが目指しているのは、その中で最も外側にあるポイントだ。
ブルードラゴンがどこに巣を作っているのかわからないが、できるだけ中心部には近づかない方が安心だろうというジェシカさんの判断だ。経験上、強力な魔物は奥にいることが多いかららしい。
できるだけラピスの森に滞在する時間を減らすという意味でも、そのポイントを目指すのが合理的だった。
ルリオオマキツルクサの根は短くて抜けやすいので、自生しているポイントにたどり着きさえすれば採取は簡単らしい。
一本一本の根が短いから数が必要になるのが難点らしいが、スコップでザクザク掘らなくていいのはありがたい。
「サーシャ、これじゃない?」
しばらく歩いたところで、ジェシカさんが立ち止まり、足元に生えていた植物の葉を手に取って見せる。
私は地図を近づけて、その上にウィル・オ・ウィスプの光を乗せた。
地図に添えられているスケッチと、その植物を見比べる。
「うん、これだと思う。特徴一緒だし」
「よし、早く抜いて持って帰ろう」
ジェシカさんの言葉にうなずき、私はジェシカさんと一緒に、付近に生えているルリオオマキツルクサを抜き始めた。
ペトラさんから聞いていた通り、私の力でもあっさりと抜ける。拍子抜けすると同時に、私は胸をなでおろした。
ここまでトラブル続きで来たけど、今回はうまく行きそうだ。
二人で採取したルリオオマキツルクサは、私のカバンにしまう。依頼は10本だったが、多い方がいいに決まっているので、目につく分は全て採取しておいた。ちゃんと数えてないけど、20本以上は抜いたはずだ。
あとは、ここに来た時と同じように、空を飛んで帰るだけ。魔法もウィル・オ・ウィスプを使っただけなので、MPは十分残っている。
『こんばんわ、サーシャ。久しぶりだね』
そのとき、突然、頭の中に懐かしい声が響いた。
「ヘルメスくん……?」
「サーシャ?」
ジェシカさんが怪訝そうな顔をするのを見て、私は慌てて口をつぐんだ。
そうだ、ヘルメスくんの声は私以外に聞こえない。けど、いきなりどうして、このタイミングで? レベルアップのファンファーレくらいでしか、もう話しかけて来ないんじゃなかったの?
『声を出して返事をする必要はないよ。君の考えていることはわかるから、心の中で返事や質問をしてくれればいい。といっても、そんな時間もないんだけどね』
時間がない? 何の時間? ヘルメスくんに何かあったの?
『いいや? 何かあるのは君の方だよ、サーシャ。全く、本当に無茶をするよね。さすがにこれはってことで、警告するくらいの許可はもらえたよ』
警告? 警告って、何の警告?
『いい線はいってたんだよ。動物が一切いないことに、既視感を覚えたのはよかったんだけど、もう一歩足りなかったね。既視感の正体は聖域だよ。君が転生した場所だ』
ヘルメスくんに言われて、ハッとなった。そうだ、あの場所と雰囲気が似ていたんだ。あそこは美しい楽園って感じで、この場所とは随分イメージが違うけど……生き物の音がしない奇妙な空気感はそっくりだ。
『聖域に動物が入ってこないのは、主がそれを許さないから。動物たちもそれをわかっている。文字通り、虫一匹存在を許さないんだよ。聖域の主たる、神に近しい力を持つ魔物たちはね』
心臓が早鐘を打つ。私は本能が叫ぶままに、森の中心部の方へと視線を向けた。
『聖域の主はね、侵入者に敏感だ。君たちの存在はとっくに気づかれている。今までは観察していただけだ』
奥の奥。生い茂った木々の遥か彼方。ただの暗闇にしか見えなかったそこで、何かが蒼く輝いた。
『健闘を祈るよ、サーシャ。でも安心して欲しい。死んでしまっても君はまた、始まりのあの場所でやり直せるんだから』
「ジェシカさん! 伏せてぇぇぇぇぇぇ!!」
叫びながら、私は光に向けて手を伸ばした。
一瞬、本当に一瞬の出来事だった。
目の前にあった木々が、生い茂った草が、全て消滅した。視界が蒼で塗りつぶされた。
蒼い光の塊が、私が目いっぱい伸ばした掌に当たって弾けた。
フィアナのエクスプロード・ノヴァを受けたときと、似たような光景が作り出される。
しかし、規模が違い過ぎた。競技場にクレーターをつくるどころではない。私と光の発信源を結ぶ場所とその周囲は、森から荒野へと変わり果てていた。
地形が変わるほどの一撃を軽く放ったそれが、暗闇の奥でその巨体をわずかに動かす。
______________________
名前:???
種族:ブルードラゴン
年齢:???
職業:???
Lv:???
HP:???/???
MP:???/???
攻撃力:???
防御力:???
素早さ:???
かしこさ:???
【スキル】
???
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かしこさが3000に迫った私ですら、鑑定不可能。
種族だけ見せたのは、自分の愚かさを思い知らせるため。
暗闇の奥で、蒼く輝いた瞳が、雄弁に物語っているように感じた。