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ふわふわ27 やり直し

「ちょっといい?」


 亡霊のように彷徨っていたペトラさんの後ろから駆け寄って、ジェシカさんがその肩に手をかけた。

 ペトラさんは随分驚いたようで、弾かれたように振り返る。


「ごめんごめん。いきなり触られたらびっくりするよね。けど、話しかけても気づかなさそうだったから」


 ペトラさんの肩から手を離し、ジェシカさんはにこっと笑う。

 こういうこと、すごく自然にできるところ、やっぱりかっこいいなぁ。ジェシカさんの隣に並びつつ、尊敬する。

 一方、ペトラさんは困惑している様子だったが、ジェシカさんの態度に警戒心は抱かなかったらしい。

 探るようにジェシカさんと私を交互に見て、


「あの……私に、なにか?」

「さっき、ギルドの受付で揉めてたみたいだから気になってさ。あたしたち、冒険者なんだ。何か力になれるかもしれないし、良かったら話だけでも聞かせてもらえたらと思って」


 ジェシカさんの言葉に、私は隣でコクコクと頷く。私が言いたいことを全部代わりに言ってくれるから、それくらいしかすることがないのだ。

 すると、ペトラさんは大きく目を見開き、いきなりジェシカさんの手を両手で取った。


「ほ、本当ですか!? お願いします! 私、私本当にどうしたらいいかわからなくてっ!!」

「大丈夫だから、落ち着いて? とりあえず、話を聞かないと何もわからないし、ここじゃゆっくり話せないでしょ?」

「あ、そ、そうですね……」


 ジェシカさんに諭されて、興奮気味だったペトラさんは冷静さを取り戻す。

 こういうときのジェシカさんって、本当に頼もしいんだよなぁ。本当は私の方が年上なのに、私よりずっとしっかりしてる。

 こういうの見せられると、私も頑張らないとなぁ、と思う。ミオちゃんだって、10歳とは思えないくらい立派だし。

 そう考えると、フィアナが仲間になってくれてよかった。いや、フィアナがダメって言ってるんじゃないんだよ? ただ、いてくれると落ち着くというか安心するというか。

 なんてことを考えていると、ジェシカさんの手が私の背中に触れた。


「実は、私もこの子も朝から何も食べてなくて、お腹ペコペコでさ。もしよかったら、どこかの店で食事でもしながらどう?」


 朝から何も食べてないのは、ジェシカさんが全く休憩させてくれなかったからだけどね!!

 さっきまでの尊敬の念は一旦隅に置いて、心の中で抗議の声を上げる。

 しかし、今のジェシカさんのセリフ、かなり見事なナンパの誘い文句じゃないだろうか。とかゲスなことをふと考えてみる。


「あの、それでしたら、私の家にいらしてくださいませんか? 大したもてなしはできないので申し訳ないですが」

「家に? いいの、押しかけちゃって?」

「はい。来ていただいた方が、事情もお話しやすいので。もしよろしければ、泊まっていっていただいても構いませんので」

「それはありがたいんだけど、まだ話聞いてないし、あたしたちが本当に役に立てるかわかんないよ? それでもいい?」

「もちろんです。ギルドの人はほとんど私の話も聞いてくれませんでした。なのに、あなたはわざわざ追いかけてきて、私の話を聞いてくれると言ってくださいました。そのお礼です」

「そこまで言ってくれるなら、甘えちゃおうかな。ね?」


 ジェシカさんが私の顔を見る。私はとりあえず、こくり、と頷いておいた。さっきから頷くしかしてないな、私。

 しかし、家に呼んでもらってご飯を食べさせてもらった上に、泊まらせてもらえるなんて。ナンパだったら大成功なんじゃないだろうか。

 天才ナンパ師ジェシカさんという失礼な称号を、心の中で私は送った。


「遅くなっちゃったけど、あたしはジェシカ。この子はサーシャ」

「私はペトラと言います。では、家に案内しますね」


 こうして、私たちはペトラさんの家に向かうことになったのだった。


 ***


 ペトラさんの家は、これといって特徴のない木造の民家だった。

 近くに畑があったので、たぶん農家なんだろう。ペトラさんはドアを開けて、私たちを中に招き入れる。


「狭いところですが、どうぞ」

「おじゃましまーす」

「お、おじゃまします」


 ずっと黙って二人についてきてたせいで、ちょっとどもってしまった。

 そういえば、メディオクリスに来てから、普通の民家に入るのは初めてだ。

 日本人には抵抗があるが、メディオクリスには室内で靴を脱ぐという文化がない。

 私も王宮で過ごしていたときは、高そうなカーペットの上を土足で歩き回ることに、凄まじい良心の呵責を抱いていた。さすがに今は慣れたけどね。

 けど、この家に入って、さすがに私は驚いた。だって、これじゃあそもそも靴を脱ぐなんて選択肢は生まれない。

 この家、床がなかった。ドアをくぐった先の足元は土だった。正面に、たぶん炊事に使うんだろうかまどがあって、左手は板間になっている。

 家の左半分だけがちょっと高くなってて、そこにだけ床が作ってあるって感じ。あとは、奥にトイレとお風呂がありそうだ。

 そして、左手にある板間。そこにはベッドが置いてあって、男の人が横になっていた。

 私たちが家に入ると、その人は体を起こして、


「ペトラ、その方たちは?」

「お客様よ。私に任せて、あなたは寝ていていいから」

「そういうわけには――げほっ! げほっ!!」

「あなたっ!?」


 急に激しく男の人がせき込み始めると、ペトラさんは血相を変えて板間に駆け上がった。

 必死にその背中を撫でながら、心配そうに声をかけている。

 呆気に取られて私はその様子をただ見つめることしかできなかった。

 すると、ジェシカさんが板間に上がって、


「できることある?」

「お湯を! 喉を温めると、少し楽になることがあるらしくて!」

「わかった」


 いや――違うじゃん。

 傍観者になろうとしていた私は、私に言った。

 ジェシカさんは行動力がある。なんだかんだで、色んなことをそつなくこなすのはすごいと思う。

 けどさ、今、目の前で起きてることは何? 私は何だった?

 今は勇者のサーシャ・アルフヘイム。けど、へっぽこでも新米でも私は――看護師の愛川美優あいかわみゆだ。


「ファイアボール!」

「サーシャ!?」


 火球を竈に叩き込む。フィアナみたいに家ごと吹っ飛ばすようなドジはしてない。普通にやったらそうなったかもしれないけど、構成をわざとスカスカにして威力を下げたのだ。

 言ってみれば、これもオリジナル魔法。火をつけるだけならこれで十分。魔法で作った炎は魔力が散ればすぐに消えるけど、薪に着火した炎は別だ。

 私は鍋に水を汲んで、竈の上に乗せる。


「ジェシカさん、鍋に手を入れて、温度見てて! 十分あったまったら、タオルをお湯につけて、搾って持ってきて!」

「わ、わかった!」


 ジェシカさんとすれ違うようにして、私は板間に駆け上がる。そして、ペトラさんが背中をさすっている男性の表情をじっと見つめた。

 まず唇の色を見る。あまり以上はない――ように見える。次に爪の色。こっちも大丈夫そう。チアノーゼ(血に酸素が足りてない状態)は起きてない。

 意を決して、私はせき込んでいる男の人に声をかけた。


「大丈夫ですか? 横にはなれそうですか?」

「大丈夫です――げほっ! げほげほっ! い、いつものことですから――げほっ!」


 せき込みながら、男の人はペトラさんに支えられつつ、ゆっくり横になろうとする。

 私の浅い経験から判断すると、たぶん喘息の発作と同じ症状。しかし、幸いにも軽度。普通なら、吸入薬を使って安静にさせておけば大丈夫。

 なんだけど――


「ペトラさん、薬はありますか?」

「そ、それが……」


 ペトラさんが辛そうな表情を浮かべる。薬を取りに行く様子がなかったから、それは何となく察してた。もし薬があったとしても、日本にあったものとは全然違うものだろう。

 だとしたら、今できるのは楽な姿勢を取らせて、発作が収まるまで待つことだけ。


「足、触りますからね」


 声をかけてから、私はまず両足をまっすぐに伸ばさせてから、軽く膝を曲げさせる。


「なんだか今すごくふわふわして――げほげほっ!」

「喋らないでくださいね!?」


 せき込んでいる最中の人にも感想を言わせてしまうとは、なんと恐ろしい、私のふわふわ。

 なんてバカなことをいつまでも言ってられないので、私は膝の下にカバンを入れて、姿勢を固定する。


「ペトラさん、上半身を後ろに倒して、支えてあげてください! こんな感じで!」


 私はリクライニングシートを倒してもたれかかるような姿勢を取って見せる。当然、私はリクライニングシートに座っているわけではないので、腹筋で体を支えていた。

 お願い! 私の腹筋が耐えている間に伝わって! と祈ること数秒。ペトラさんは私が思っていた通りの姿勢を、男の人に取らせてくれた。


「サーシャ、お湯できたよ!」


 そのとき、鍋を抱えてジェシカさんが板の間に上がってきた。

 そばにあったテーブルに鍋を置き、ペトラさんからタオルのある場所を聞いて、お湯につけてからきつく搾る。


「首に緩く巻いて欲しい! 一枚じゃなくて、何枚も!」

「わかった、任せて!」


 ジェシカさんが、私の指示した通り、搾ったタオルを男の人の首や胸元に重ねていく。こうしておけば、気管が開いて少し呼吸が楽になるはずだ。

 これで、今できることは全部やったはず……なんだけど、本当はクッションのような柔らかいもので体を固定したい。

 体から力を抜いてくれた方が楽に呼吸できるんだけど、後ろからペトラさんが手で支えたり、私のカバンをクッション代わりにしているせいで、どうも無駄な力が入っているみたいだ。

 これは……あれの出番か。私は男の人に向けて、すっと手を伸ばした。

 


「サーシャ?」

「ジェシカさん、ちょっと離れてて」


 不思議そうに、声をかけてくるジェシカさんに、私はそう指示を出す。

 四天王のメフィスと戦ったとき、私は魔物の軍勢を一人でやっつけて、レベルアップした。

 その時、ステータスはほとんど上がらなかったのだが、スキルのレベルが上がっていた。

 ふわふわのスキルレベルが5に上がって、新しく使えるようになった特技。

 フィアナと戦ったときには効果がわからず、ジェシカさんが途中で助けてくれたのもあって、使えなかった新技。

 ディオゲネイルに着くまでの移動中に、効果は確認しているから、今なら自信を持ってこの技を使える。


「ふわふわビーム!!」


 私の手のひらから、勢いよく白い光線が射出される。

 光線は真っすぐに男の人の胸元目掛けて突き進んでいく。狙われた男の人も、ペトラさんも、驚愕に目を見開いていたが、回避などできるわけもない。

 やがて、命中した光線は弾けるように拡散すると、男の人の全身を包み込んで――


「なん……だ……これは……まるで綿の海に沈んだような底なしのふわふわ感――ごほっ! ごほっ!」


 喋らないでって言ってるのになぁ。

 しかし、白い光に包まれた男の人の表情は穏やかだった。少しせき込んだみたいだけど、呼吸が随分落ち着いてきたように感じる。

 これが私の新しい力、ふわふわビームの効果だ。

 当たった相手は、5分間、全身を私に触られているような感覚になる(ジェシカさん談)。

 一発撃つのに消費するMPは10で、連射可能。ただし、ふわふわビームと叫ばないと発動しない。

 食らうとめちゃくちゃ気持ちいいらしく、野宿のときは寝る前に撃って欲しいとみんなにせがまれた。

 野宿のとき、私が枕にされたり硬い地面の寝心地の悪さに苦しんでいる中、みんな5分で安眠していた。

 なお、効果時間中は全身がふわふわに包まれているものの、敵の攻撃を食らったりすると普通にダメージを受ける。あと、他人が触っても肌触りは普通で、別に本人がふわふわになるわけではない。

 あくまで、食らった人がふわふわな感触を楽しめるだけ、という技である。

 いや、あの、これ魔王との戦いでどう役立つの? 何に使うの?


「ふわぁ……急に全身がふわふわに包まれて……力が入らない……」


 あ、やばい。ペトラさんに貫通してる。


「いいなー、あたしも食らいたかったー」


 一方、口をとがらせているのはジェシカさん。さっきまでの緊張感はどこに行ったのか。


「それにしても、サーシャって常識はないのに、変なことはよく知ってるよね?」

「常識がないんじゃなくて、記憶がないんだもん……変なことって?」

「色々指示してたじゃん。あの人の咳、収まったみたいだし」


 ジェシカさんに釣られて視線を向けると、男の人の症状はどうやら収まったようだ。

 規則的に上下する胸元を見て、私は一安心する。軽い発作でよかった。


「すごかった。サーシャ見てると、あたしも頑張らなきゃなーっていつも思うよ。こんなにちっさい子に、いつまでも負けてちゃダメだよなーってさ」


 しみじみとした感じで、ジェシカさんはつぶやいた。

 それはむしろ、いつも私がジェシカさんに抱いてる感情。だって本当は、私の方がジェシカさんより年上なんだから。

 私こそ、この見た目にいつまでも甘えてちゃダメだよねって思う。


「ジェシカさんはカッコイイよ」


 素直に、思ったままの気持ちを口に出す。

 すると、ジェシカさんは呆気にとられたように目を見開いて、直後に嬉しそうに笑うと、


「サーシャ♪ もー、ホント可愛いんだから君って子はさぁー♪」

「く、苦しいって、ジェシカさん!」


 思いっきり抱き着いて頬ずりしてくるジェシカさんを押しのけながら、やっぱり言わなきゃよかったと深く後悔する私だった。


 ***


「このイモすっごく美味しい。あたし、この味付け好きだなぁ」

「お口に合ってよかったです」

「サーシャ、お肉の方が好きでしょ? ガービーの肉とおイモ交換してあげよっか?」

「い、いいよ! 私もこの料理全部好きだからっ!」

「多めに作りましたから、もしよければおかわりどうですか?」

「あっ、じゃあ、あたしもらっちゃおー」


 ジェシカさんが煮物が入っていた器をペトラさんに手渡す。私も今つついている、肉じゃがに似たこの料理は、ガービーポルテというらしい。

 ガービーの肉とラピスポルテというイモを煮た料理だから、ガービーポルテ。名前の成り立ちまで肉じゃがと似ているから面白い。

 さっきせき込んでいた男の人は、今では完全に落ち着いたらしく、ベッドの上で寝息を立てている。

 彼はケヴィンさんというらしく、やはりというか、ペトラさんの旦那さんらしい。病気にかかっているのは明らかなのだが、その辺りの話をする前に、ペトラさんが食事の用意を始めたのだ。

 なので、詳しい事情はまだ聞けていない。もちろん、冒険者ギルドでペトラさんが何をしようとしていたのかという話も。


「こんなにご馳走になっちゃって、なんか申し訳ないね」

「いえ、そんな! さっきも助けていただきましたし、これくらいのことは全然!」


 ガービーポルテが盛られた器を受け取りながらジェシカさんが言うと、ペトラさんがブンブンと首を振った。

 けどジェシカさん、申し訳ないって言いながら全然遠慮してる感じないけどね。器受け取ってすぐ食べ始めてるし。

 私も食べてるから人のことは言えないんだけど。おかわりはまだしてないけどさ。

 ジェシカさんはあっという間に二杯目のガービーポルテも平らげてしまうと、さらにおかわりを要求。三杯目まで平らげて、ようやく箸を置いた。

 本当に申し訳ないと思ってたのかな、この人。


「ふぅ、美味しかった。じゃあ、そろそろ話聞かせてもらおうかな。サーシャは食べてていいからさ」


 もぐもぐ口を動かしている私に微笑んでから、ジェシカさんはペトラさんへ視線を戻す。

 ジェシカさんが食べるの早すぎるんだよ……あと、私は体がちっさくなってるから時間かかるの。

 ペトラさんだって、今ようやく食べ終わったところだし。


「……冒険者ギルドには、この依頼を出しに行ったんです」


 すると、ペトラさんは一枚の羊皮紙をこちらに差し出した。

 ジェシカさんはそれを受け取ると、私にも見えるように広げてくれる。私はイモをハフハフしながらそれを覗き込んだ。


______________________


クエスト名:

クエストランク:

報酬:50000モース(+出来高)

内容:ラピスの森に自生しているルリオオマキツルクサの根、10本以上の採取。


______________________ 


 クエスト名とクエストランクが空欄なのは、ギルドが受理した後に記入するからだろう。

 だから、そんなことは些細な問題で。一目見ただけで、私たちにはなぜこの依頼をギルドが拒否したのかがわかった。


「ラピスの森が立ち入り禁止になってるのは知ってる?」


 依頼書から顔を上げて、ジェシカさんが尋ねる。

 その瞬間、さっと、ペトラさんの顔に絶望の色が浮かんだ。


「知って……ます……冒険者ギルドでもそう……言われたので……」

「そっか。じゃあ、なんでこの依頼を?」

「え?」


 ジェシカさんの質問に、今度はなぜか困惑するペトラさん。

 ジェシカさんも、その態度が腑に落ちなかったようで、怪訝な顔をしながら続ける。


「知ってたのにあえて依頼出したんでしょ? じゃあ、よっぽどの理由があるんじゃないの?」

「き、聞いてくれるんですか?」

「そりゃそうでしょ? だからついてきたんだしさ」


 同意を求めるように、ジェシカさんが私の顔を見たので、私はガービーの肉をくちゃくちゃ噛みながら頷いた。

 ……いや、結構硬いんだよ、ガービーの肉。美味しいんだけど。


「冒険者ギルドでは、ラピスの森の名前を出しただけで、けんもほろろでしたから……」

「んー、まあ、それは仕方ないよ。立場とかあるからさ。受付の人を責めないで上げてね。けど、あたしたちはちゃんと聞かせてもらうから」

「あ、ありがとう……ございます」


 今にも泣きだしそうな感じで、ペトラさんが口元を抑える。

 まだ、話を聞くって話しかしてないんだけどな。ガービーの肉をくちゃくちゃ噛みながら、過剰な気がするペトラさんの反応に、私はちょっと不安になる。

 いや、だから硬いんだって、ガービーの肉。


「ルリオオマキツルクサの根が欲しいみたいだけど、何に使うの?」

「……夫の病気に効く薬を作るのに、どうしても必要なんです」


 たぶん、そういう話なんだろうなぁとは思ってた。

 あんなに必死に食い下がるんだから、よっぽどの理由じゃないとおかしいもんね。


「他の方法で薬は手に入らないの? ルリオオマキツルクサの根の方でもいいんだけど」

「私にできる範囲で必死に探しました。ですが、ルリオオマキツルクサはラピスの森でしか取れないらしくて……世界中の同じ病気の人が、同じ薬を必要にしているんです。ですから……あっという間に在庫はなくなってしまったそうで」

「同じ病気の人、そんなにいるんだ?」

「いえ、珍しい病気らしいです。先天性の病気らしくて、感染うつることもなくて。けど、そのせいで元々作られていた薬の量も多くなかったみたいで」

「そっか……じゃあ、旦那さんと同じ病気の人たちも同じように苦しんでるんだね」

「……恥ずかしい話ですが、そこまでのことを私は考えられません。私はただ、目の前の夫を助けたい一心です」

「ああ……そうだよね。恥ずかしい話なんかじゃないよ。あたしだって、自分にとって大事なもの一つ守るので精一杯って気持ちはわかるからさ」


 その言葉を聞いて、いつか、ジェシカさんがミオちゃんに言った言葉を思い出す。


『サーシャのことは絶対守るつもり。でも、ごめん。あたし、ミオまでは守り切れない』


 ジェシカさんがなんでここまで私を助けてくれるのか、理由は正直まだわからない。でも、ジェシカさんが必死に私を守ろうと頑張ってくれていることは、今まで何度も思い知らされてきた。

 きっと同じくらいの熱量で、ペトラさんは旦那さんを助けたいんだと思う。


「ずっと夫に助けられてきたんです……」


 ポツリと、ペトラさんが言葉を零した。


「私、農家の娘なのに、小さい頃から虫がダメだったんです。畑仕事の手伝いが何もできなくて。両親からは怒られてばかりで、周りからは怠け者って軽蔑されていました」


 すごく沈んだ表情で、ペトラさんは出会ったばかりの私たちに、たぶん心の深い傷になっているだろうことを話し始める。

 前世で働いていたとき、私は仕事の失敗とか悩みとか、師長や先輩に怒られたこととか、誰にも言えなかった。

 残業続きできついって話は愚痴で言えたけど、一番深く心に刺さってた傷は親にだって見せられなかった。

 ヘルメスくんが、私は一年後に精神病にかかって仕事を辞めるって言ってたけど、たぶんそういうのが原因なんだと思う。

 だから、今ペトラさんがしているのは、私にとっては異常な行為で。

 でも、彼女をそう駆り立てるものが何なのかということも、ひしひしと感じられた。


「だから、私は居場所がなくて。一人で隠れるように生きていて。でも、当時近所に住んでいた夫は、そんな私に手を差し伸べてくれたんです」


 辛いときに手を差し伸べてもらえる嬉しさ。前世ではあまり実感することができなかったけど、転生してから私はそれを何度も経験した。

 街を少し出れば魔物に命を狙われる、殺伐とした世界だけど。この世界の私には仲間がいる。


「自分だって生まれつき病気なのに。私が畑仕事をできるように、虫を探しては取り除いてくれたんです。そこまでしてもらっても畑に近づけない私を、怒ることもせず寄り添ってくれたんです」


 私に仲間がいるように、ペトラさんには旦那さんがいる。弱音を吐くこともできないほど弱い自分を、救ってくれる人が。


「今でも虫は苦手です。でも……皮肉ですよね。薬がなくなって、夫が働けなくなって……私、やっと一人で畑仕事ができるようになりました……」


 ペトラさんは、旦那さんを助けたいんじゃない。失いたくないんだと思う。それは、本当に恐ろしいことだから。

 前世でたくさんの人の死に触れた。命って簡単に無くなってしまうものだって知っている。あんまり簡単に失われてしまうから、仕事が忙しくて辛かったことにかまけて、いつの間にか命を軽く見るようになっていた。

 自分で看護師になりたいって決めたくせに、勝手に現実に幻滅して、大事なことからも目を背けるようになった。患者さんが亡くなることを当たり前のことだと受け止めて、心を動かさないようにした。

 看護師としてはそれが正しいんだって。命に関わる仕事をしているのに、命と向き合うのをやめた。

 メディオクリスに来て、大勢の人たちが岩に潰されて殺されるところを見た。パパを失ったミオちゃんが、一人隠れて泣くところを見た。

 ペトラさんの独白を聞きながら、私は今、強く思う。


「薬が……薬さえあれば夫は治るんです……でも、このまま薬が手に入らなかったら夫は……私……ずっと助けられてきたのに、こんな大事なときに何もできない……」


 せっかく転生したんだから、もう一度やり直そう。


「私、この依頼受けます」


 はっきりとペトラさんに向かって、私は宣言した。

 信じられないといった様子で、ペトラさんが顔を上げる。


「それはダメだよ、サーシャ」


 ピシャリと、ジェシカさんが隣で言った。

 当たり前のセリフだ。ジェシカさんは何も間違ってない。

 でも、私は折れない。


「私は受けたい」

「ギルドを介さずに依頼を受けるのは重大な規則違反なんだよ、サーシャ。そんなことしたら、冒険者ギルドを敵に回すことになる」

「そ、そうなの?」


 いきなり折れかけてしまった。だ、だって知らなかったんだもん。

 私がうろたえていると、ジェシカさんは畳みかけるように続ける。


「サーシャは勇者でしょ? 魔王を倒すって決めたんでしょ? 冒険者ギルドの協力なしじゃ、魔王の居場所どころか、ガルバルディアにたどり着くのすら難しくなるよ」

「ゆ、勇者? え? こ、こんなに小さい子が!?」

「あ……言っちゃった」


 動揺するペトラさんを見て、ジェシカさんはしまったという感じで口元を抑えた。

 そんなジェシカさんに、私は真っすぐ向き直る。


「目の前に苦しんでいる人がいるのに、平気で見捨てて行く人は勇者なんかじゃない」


 ジェシカさんの目が鋭くなる。

 怖いと思った。でも、私はぎゅっと拳を握って耐える。

 だって、ジェシカさんは怖いときもあるけど、私の味方だって知ってるから。


「じゃあ、どうするの、サーシャ? ここで依頼を受けてギルドの規則を破るってことは、魔王討伐をやめるって言うのと一緒だよ?」

「……じゃあ、依頼は受けない」


 ペトラさんの顔に失望の色が浮かぶのが見えた。

 けど、私の言葉はここで終わらない。


「依頼は受けずに、ルリオオマキツルクサの根を勝手に取ってきて、ペトラさんにあげる。それならいいんだよね」

「それじゃ足りないよ、サーシャ。もっと徹底的に隠さないと。なぜかわからないけど、ペトラの手元にルリオオマキツルクサの根がある。それが最低条件」

「……それがすぐに言えるってことは、ジェシカさんも最初からやる気だったんじゃん」

「あたしは、サーシャならどうせやるって言うと思ったから方法を考えてただけだよー」


 ジェシカさんの言葉に、思わずうつむく。それなりに色々考えて決意したのに、どうせやるとか言われるとなんかもにょるんだけど。

 結果的には図星だったから言い返せないんだけどさぁ」


「けど、他にも問題はあるからね。ルリオオマキツルクサの根を薬屋に持ち込んだ時点で、これをどうやって手に入れたって話になるから。ペトラが勝手にラピスの森に入ったってことになったら、最悪だよ」

「別の場所に生えてたことにする」

「その嘘はさすがに通らないと思うよ、サーシャ……」

「じゃあ、薬を私たちで作る」

「作り方わかんないし、素人が作った薬を人に飲ませるわけにはいかないでしょ」

「あ、あの、それでしたら」


 私たちのやり取りを見守っていたペトラさんが身を乗り出してきた。

 私たちは自然と、ペトラさんの方へ視線を向ける。


「いつもお世話になっている薬屋さんとは、随分長い付き合いですし……その辺りは、何とか誤魔化すことができると思います。たまたま持っていた行商人から何とか高額で譲ってもらったって」

「それにしたって確実じゃないよ?」

「夫が助かるなら、そのくらいの危険は喜んで引き受けます」


 ペトラさんは迷いない目で言ってから、


「それに、ルリオオマキツルクサの根を取ってきていただくことに比べれば、それくらいのことは危険なんて言えません。ほとんど見ず知らずの私たちのために、ギルドが立ち入り禁止に指定している場所に行ってもらうのですから」

「あたしはまだやるとは言ってないんだけどなぁ」


 苦笑するジェシカさんだったが、もう結論が出ているのはわかり切っていた。

 すると、ジェシカさんは再び私の方を向いて、


「サーシャ。一応、しっかり確認しておくよ。なんでラピスの森が封鎖されてるのか、よくわかってるよね?」

「うん」

「もし下手を打ったら、どんなことが起きるのかもきっちりわかってるね?」

「うん」


 しっかりと私はジェシカさんに頷いた。

 ラピスの森にはブルードラゴンがいる。万が一見つかって怒らせちゃったら、ラピスの村やディオゲネイルどころじゃない。ハイルブロント王国が滅ぼされる。

 ミオちゃんの、ドラゴン一匹で国一つ軽く滅ぼせるという言葉を信じるなら。もちろん、私はミオちゃんの言葉を疑ってなんかない。

 だから、絶対にブルードラゴンに見つからないよう、こっそり行ってルリオオマキツルクサの根を取って来る。


「……本音を言うと、サーシャの気が変わってくれるのを期待したんだけどね。そこまで言うなら、やるしかないか。まずは見張りの目をどうかいくぐるかだなぁ」

「ごめんなさい、ジェシカさん」

「謝らないでいいよ。サーシャが覚悟決めてるのに、あたしの方がまだビビっちゃってるの恥ずかしいなって話だからさ。ドラゴンがどれだけ強いか正直わからないんだけど、サーシャのこと守り切れるかなぁ」

「ドラゴンとは戦わないよ。大丈夫」

「万が一のときだよ」


 ポンポン、とジェシカさんが私の背中をたたく。

 ジェシカさんがどうしてここまで私のワガママに付き合ってくれるのかは、正直やっぱりわからない。

 でもそれをありがたいと思うから、このクエストは絶対ジェシカさんに迷惑をかけない形で終わらせたいと強く思う。


「サーシャさん、ジェシカさん……どうか、どうかよろしくお願いします」


 深々と頭を下げたペトラさんに対して、私たちは無言で大きく頷いたのだった。

 

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