ふわふわ18 長い長い夜
「これでよし、と」
エミルルモガニアの花畑から、宿屋の部屋に戻った私たち。ジェシカさんはずっとここまで担いで来たフィアナをロープで縛り、床に転がした。
「あの、それで大丈夫なの? その人、魔法使うよ?」
「アンチマジックフィールド」
「え?」
「ミオは知ってる?」
私が困惑していると、ジェシカさんはミオちゃんに視線を移す。
すると、ミオちゃんは頷いて、
「魔力を拡散させる結界を作る装置。その結界の中だと、魔法が使えなくなるの。トラブル防止のために、しっかりしたお店だと大抵設置してある。大がかりな装置だから、持ち運びはできないし、そこ以外で見かけることないけど」
「というわけで、心配はいらないってことだよ、サーシャ」
ミオちゃんの返答に対して、満足そうに頷きながら、ジェシカさんはベッドに腰を下ろす。
さすがミオちゃん、何でもよく知ってるなぁ。
「で、どっちが話してくれるの?」
私は全力で顔を伏せた。
フィアナの話題でジェシカさんの機嫌が直るのを待つ作戦、大失敗。いや、上手く行くとは思ってなかったけどさ。有無を言わさず、すぐ来るとは思わなかった。
今のジェシカさん、すごく怖い。淡々としてるのが余計に怖い。フィアナに腹パンして気絶させたときも、やられたのは敵だったのに震えあがってしまった。
け、けど、こういう聞き方をしてくれるのはありがたい。たぶん、ミオちゃんから話してくれるよね……? ちらぁ、と私はミオちゃんに視線を向ける。
ミオちゃんが意を決したように口を開いたのは、それとほとんど同じタイミングだった。
「ごめんなさい、実は私が――」
「やっぱりミオはいいよ。サーシャ話して。あと今謝るくらいだったら、すぐローズクレスタに帰ればよかったじゃん」
こっわ! ジェシカさんこっわ!? ミオちゃん、今のだけで泣いちゃってるよ!?
拳を握りしめながら目に涙をためて震えるミオちゃんを横目に見ながら、私は戦慄する。
こ、これ、私が話さないといけないの? もう心が折れそうなんだけど。
「あの後……宿屋で、ご飯を食べたの」
「で?」
「店員さんから……エミルの村の裏山にしかない……エミルルモガニアっていう花があるって聞いたの……」
「で?」
「ミオちゃんが……一緒に見に行きたいって……」
「で?」
ジェシカさん、で? しか言ってくれない……。
「さ、最初はね? 私はダメだって――」
「でもサーシャ外にいたよね? そういうのいいから」
「言ったんだけど……」
辛い。怖い。涙出そう。
「で?」
「わ、私が……ミオちゃんを抱っこして……ふわふわで……柵の外に出ました……」
「は?」
涙が出た。今のジェシカさん怖すぎる。自然と敬語になっちゃう。
「黙ってたらわからないんだけど?」
「ひぐっ……ごめんなさい……」
「ごめんなさいじゃわかんないんだけど?」
「うぐっ……ごめんなさい……ぐす……ごめんなさい……」
「私が悪いの! 私がワガママ言ったの! サーシャちゃん悪くないの!」
「ミオに今聞いてないから黙ってて。マジで」
「…………」
私をかばってくれようとしたミオちゃんだったが、ジェシカさんの威圧感により、一言で黙り込まされてしまう。
ジェシカさんが怖すぎて涙が止まらない。ちゃんと説明しないと許してもらえないってわかってるのに、頭がパニック起こしてて言葉がまとまらない。
けど、ジェシカさんの雰囲気はそれすら許さないと言ってるようで……私は無理矢理に言葉を口から引っ張り出す。
「外に出て……ぐす……お花畑について……ひぐ……遊んでたら……ひっく……お、襲われた……ぐす……」
「外行くなって言ったのになんで行ったの?」
「ジェシカさん……うぐ……か、帰って来る前に戻ったら……ぐす……大丈夫だと思ってぇ……」
「私が帰って来る前に戻ったら、なんで大丈夫なの?」
「…………」
「黙ってたらわからないんだけど」
「……バレなかったら……いいと……思った」
ものすごく惨めな気持ちで、私はそう言った。
言い訳がないのはわかってる。私だって中身は大人だ。なのに、そう答えるしかなくて、実際私がしたことはそういうことだったから、それが情けなくて仕方なかった。
「ミオもそう思ったの?」
「わ、私がそう言ったの! サーシャちゃんは本当にダメって言ったんだよ! 私がワガママ言ったの!」
「じゃあ、全部ミオのせい?」
そう言って、ジェシカさんは私の方を見る。私は、ブンブンと首を横に振る。
「二人とも、あたしにバレなかったら大丈夫だと思って、花畑を見るために外に出た。そういうことでいいんだね?」
今度は、首を縦に振る。ミオちゃんも隣で頷いた。
ジェシカさんはそれを見て、しばらく黙っていた。私とミオちゃんも黙っていた。気まずい沈黙の中、私とミオちゃんのすすり泣きが、部屋に響く。
「二人ともさ、何がダメだったと思うの?」
「「約束破ったこと」」
自然と声が重なった。
「なんで約束を破ったらダメなの?」
続くジェシカさんの質問には、私もミオちゃんも、すぐには答えられなかった。
ジェシカさんはじっと返事を待つ。すると、先にミオちゃんが口を開いた。
「その人の信用を裏切るから……」
商人らしいな、と思う一方で、裏切るという言葉が私の胸にチクリと刺さった。
私、ジェシカさんを裏切っちゃったんだ。私のために、いつだって必死に頑張ってくれるジェシカさんを。
「サーシャは?」
うながされて、私はぎゅっと拳を握った。
「……ジェシカさんは……いつも約束……守ってくれるから」
ツーっと、また目から涙が溢れた。全然、質問の答えにはなってない気がする。でも、私にとってはそういうことだと思った。
「ギルドで用事済ませて、宿に行ったとき、あたしは二人が待っててくれるもんだと思ってた」
ズキっと、今までよりも強く、胸の奥が痛んだ。
「部屋に行ったら、ココアしかいなくて。寂しかったし、心配だった。すぐ探しに行ったよ。宿にいる人みんなに聞いて回って。そうしたら、食堂の人が、裏山に行ったんじゃないかって」
いつの間にか、ジェシカさんのことを怖いと思う感情はなくなっていた。その声音から伝わってくるのは、怒りではなくて悲しみだった。
「それ聞いて、必死に走ったよ、あたし。何かあったらどうしようって。目を離さなければよかったって。そう思いながら必死に走ってさ」
ジェシカさんはそこまで言って、しばらくの間顔を覆い、声を震わせながら口を開いた。
「……間に合ってよかった」
なんて愚かなことをしてしまったんだろう。心の底から、私は打ちのめされた気分だった。
私が花畑ではしゃいでる間、ジェシカさんは必死になって私たちの心配をしていたんだ。
自業自得で、私たちがフィアナに襲われている間、ジェシカさんはずっと私たちを探してくれていたんだ。
私は、私を守るために、ジェシカさんが必死になって強くなったのを知っている。綺麗な体を傷だらけにして、自分を鍛えたのを知っている。
なのに私は……私にはこの人に守ってもらう資格なんてないよ……。
「ごめんなさい……ごめんなさい……ジェシカさん……」
情けなくて、申し訳なくて、私はただ謝罪の言葉を繰り返す。
ジェシカさんが必死になって私たちを探してくれたから、今私たちは無事でいる。もし、しばらくすれば帰って来るだろうとジェシカさんがこの部屋で待っていたら、私たちはいつまで経っても帰って来なかったはずだ。
だって、ジェシカさんが間に合ってなかったら、ミオちゃんはフィアナに殺されていた。私だって、たぶん連れ去られるか、殺されるかしていたはずだ。だって、あの時の私に打つ手はほとんどなかったんだから。
私はそんなジェシカさんを簡単に裏切ってしまった。そのせいで、ミオちゃんを危険にさらした。危ないから旅には連れて行けない、なんて偉そうなことを言ったくせに。
何が勇者だ……何が……。
「サーシャ、ミオ。今回のことは、あたし、本当に許せないから。だから、誓って欲しい。二度と約束を破らないって」
私もミオちゃんも、迷いなく首を縦に振る。ジェシカさんは、翡翠色の瞳で、じっと私たちのことを見つめる。
しばらくして、ジェシカさんはようやく相貌を崩した。
「よし、じゃあ、この話はおしまいね。怖かったでしょ、二人とも。よく頑張ったね」
私はブンブンと首を横に振った。見ると、ミオちゃんも同じようにしていた。
実際、怖かった。どうしようもないとも思ったし、生き残るために必死だった。ミオちゃんも閃光玉を使ってフィオナから逃げたり、投石で援護してくれたり、すごかったと思う。
けど、よく頑張ったなんて、褒めてもらえることじゃない。私たちは、ちゃんと反省しないといけない。
首を振る私たちを、ジェシカさんは微笑んで見ていた。その目は優しくて、見つめられていると、すごくホッとした。
「それでね、ミオ。これからの話なんだけどさ」
名前を呼ばれて、ミオちゃんが顔を上げる。
そう、元々はミオちゃんをローズクレスタに帰るよう、説得する予定だったんだ。けど……もう必要なさそうかな。
ミオちゃんも今回のことで、旅に同行することは難しいって、身に染みてわかっただろうから。賢い子だし、これ以上迷惑はかけられないって思うに違いない。
ミオちゃんと別れるのは本当に寂しいけど、その気持ちのせいで、今回失敗しちゃったところもある。私も、今度こそ気持ちを強く持たないと。
なんて、決心していたのだが、
「どうしても先に済まさないといけないことができちゃったから、その話はまた明日にしようね」
ジェシカさんの言葉に、私はきょとんとする。ミオちゃんも同じ様子だ。すると、ジェシカさんは視線を部屋の片隅に移した。
そこには、縛られたフィアナが転がされている。
「もう起きてるんでしょ?」
「……なぜ私を生かしている」
フィアナが目を開いて、ジェシカさんをにらみつけた。
先に済まさないといけない用事って、フィアナのことか。でも、そういえばどうしてジェシカさん、フィアナをやっつけずに連れて来たんだろう。
私は、見た目がほとんど人間と同じだから倒しにくいなっていうのはあったけど、ジェシカさんもそうだったのかな?
と思ったが、ジェシカさんは悪い笑みを浮かべた。
「色々、情報を教えてもらおうと思って」
「くっ! 殺せ!」
おお、生くっころだ。まさか実際に目の当たりにすることになるとは。
我ながら変なところで感動していると、ジェシカさんが言葉を続けた。
「ダークエルフって元はエルフなんでしょ? エルフは争いを好まない種族のはずだけど、なんで魔王のしもべに?」
フィアナが魔王のしもべだという情報は、宿屋に帰って来る途中でジェシカさんに伝えてある。
お説教の前に少しでもご機嫌を取っておこうと必死だったので、知ってることは全部ジェシカさんにペラペラ話したのだ。今思うと本当に浅ましい。でも、怖かったんだもん……。
「貴様にそんなことを話す必要などない! 早く殺せ! 覚悟はとっくにできている!」
フィアナは縛られているというのに、気丈な態度でジェシカさんに向かって叫んだ。
なんか、こういうふうに言われるとかえって倒しにくい。あとここまで見た目が人間に近いと抵抗が強い。今までカーミラとか、人型の魔物も倒しはしたけど、あれはコウモリモードのときにココアが食べちゃったもんね。
ジェシカさんどうするんだろ? と思って、その表情をうかがい、私は凍りついた。
「は? 殺さないけど?」
ベッドから腰をあげて、ツカツカと歩み寄り、冷たい目つきでフィアナを見下ろすジェシカさん。
さっき、私たちに向けていたのと同じ、いやそれ以上の迫力。さっきので怒りは収まったんじゃなかったの……?
すると、ジェシカさんはフィアナの髪をむんずと掴み上げて、
「いたっ!」
「なんで、死ぬ程度で済むと思ってんの? 君さ、自分がしたことわかってる? ほら見てよ。あんなに小さい子だよ? あの子たちに何した? ねぇ?」
ぐいぐいと髪を引っ張り、無理矢理フィアナの顔を私たちの方へ向けさせるジェシカさん。
怖すぎて、私は思わずミオちゃんに抱き着いてしまった。すると、ミオちゃんも私に抱き着き返してくる。
魅惑のせいかと思って表情をうかがうと、ミオちゃんの顔は真っ青になっていた。
うん、本気でビビってる。気持ちはわかるよ。だって私もマジビビり中だから。
「ほらほらほら。見てよ。あんなに怖がってるじゃん。ねえ、君のせいでさ」
いえ、あなたのせいです。とは言えない。
「わ、私は、勇者を殺すかさらうかしろと命令されただけだ!」
「は?」
「ぐぇっ!?」
フィアナがえづいたような声を漏らす。ジェシカさんが、皮手袋をはめたままの手をフィアナの口に突っ込んだのだ。
そして、舌を掴んで引っ張っている。結構強めに引っ張っているらしく、フィアナは目に涙をためながらうめいていた。
「やったの自分だよね? ねぇ、さっきの話もほとんど最初から起きてたんでしょ? サーシャもさ、ミオに誘われたけど、ミオのせいにはしてなかったじゃん? あんな小さい子たちでも自分のしたことはちゃんと受け入れてるんだよ? 恥ずかしくないの? いい大人だよね?」
「ふぁぐ……あが……がぁ……」
舌を引っ張られながら問い詰められ、まともに受け答えすることすら許されず、ただアップアップしているフィアナ。
いや……ミオちゃんのせいにしなかったっていうか……させてもらえなかったっていうか……言い訳しようとした瞬間にシャットアウトされたというか……。
命を狙われた相手なんだけど、なんだか同情心が芽生えてしまう。
「自分がしたことなんだからさ、自分で説明できるよね? 子どもでもできることだよ? 君、大人だよね?」
「あぐぅ……ぐぅ……ふぁがぁ……」
「できないって言うならさ、舌とかいらないんじゃない? 抜いていいよね?」
「あうがぁ! えぐっ! あがぁっ!」
にわかに、フィアナが激しくうめき声を上げながら、もがきだす。
ジェシカさん、本気で舌を引きちぎろうとしてる!? 無理無理無理! そんなの、ちょっと刺激が強すぎるよ!?
ミオちゃんとより強く抱きしめ合って震えていると、不意に、ジェシカさんが腕に込めた力を弱めた。
「もう一回聞くから、答えてね? あの子たちに何をしたか説明できる?」
「んぐっ! んぅぅっ!」
舌を掴まれたままのフィアナが、必死に首を縦に振る。
さっきまで殺せ殺せ言ってたのに……まあ、舌を引っこ抜かれるのは痛いし怖いよね……。
フィアナの態度に満足したようで、ジェシカさんはようやく舌からその手を離した。ただし、髪は乱暴に掴んだまま。痛そぉ……。
「はい、喋っていいよ」
「げほっ……わ、私は命令を受けて、エミルの村に入った勇者たちを見張っていた。そして、チャンスがあれば勇者を殺すか生け捕りにしろと言われていた」
「やっぱり舌いらない?」
「なんでだ!? やめてくれ! 順を追ってるだけじゃないか! 別に他人のせいにしてない!」
さっきまで殺せって言ってなかったっけ……髪をずっと引っ張られてるのに、必死にイヤイヤしている。あんなに暴れたら痛いだろうに、それより痛いんだね、舌引っ張られるの。
「仕方ないなぁ。じゃあ、早く続けてよ。あんまりダラダラしゃべらないでね?」
「勇者たちが村を抜け出すのを確認したから、バレないように後を追いかけたんだ! 隙を見て背後から勇者に斬りかかったけど、勇者にはなぜか効かなかった! だから、隣にいた子どもを人質にして、ついてくるように言った!」
ジェシカさんの言葉を聞いて、まくし立てるように話すフィアナ。結構理不尽な扱い受けてると思うけど、文句を言う勇気すら出ないんだね。
「何してくれてんの?」
「あぐぅっ! うぇっ! ぐぅぅぅっ!」
そして、またジェシカさんに舌を引っ張られている。それが嫌だったから話したのになぁ。あーあ……泣いちゃってるよ、あの人。
「あんな子どもに、後ろからいきなり斬りかかるとか許されると思ってる? ミオの方だったら死んじゃってるんだけど? しかも、人質ってなに? ねぇ、なんでそんなことできるの? ちょっと理解できないなぁ、あたし」
「あがぁぁぁ! んぐぁぁぁ! がぁぁぁぁ!」
「ジェシカさん! 本当に千切れちゃうよ!」
壮絶なうめき声を上げるフィアナを見ていられなくなって、私は思わず叫んでしまった。私としては、いくら敵だからとはいえ、なんでそこまで容赦なくできるのかという方が理解できない。
すると、どうやら私の声はジェシカさんに届いたらしく、ハッとしたようにジェシカさんは舌から手を離した。
「ぐす……あ、ありがとう……」
敵から感謝されてしまった。
「じゃあ、サーシャとミオにまずはごめんなさいしよっか? できるよね? 大人だもんね?」
「できます! したいです!」
敬語になってるよ。よっぽど怖かったんだなぁ。見てるだけの私でも、ものすごく怖いから当たり前だけど。
「サーシャさん……ミオさん……いきなり斬りかかったり、魔法で攻撃したりして……怖がらせて……本当にすいませんでした」
「は? 魔法で攻撃? さっき言わなかったよね? やっぱり舌――」
「許すー! 私許すー! 全然もう気にしてないよ、ジェシカさん! ミオちゃんもそうだよね!?」
「うん! 私も気にしてないから! 許すから!」
フィアナを救うため、私とミオちゃんは必死になってジェシカさんに訴えた。
なんで私たち、敵を助けるためにここまで一生懸命になってるんだろう。けど、これ以上残虐な目に遭うフィアナを見るのは耐えきれない。
私たちの必死の説得はどうやら通じたらしく、ジェシカさんはフィアナの口に伸ばしかけた手を引っ込めて、ついでに髪からも手を離してくれた。
「サーシャとミオがそこまで言うなら、まあ、これくらいにしておいてあげようかな。ほら、二人にちゃんとお礼言いなよ」
「サーシャさん、ミオさん、ありがとうございます……うぅ……」
涙ぐみながら、私たちに対して、フィアナがお礼を述べる。割と本気で感謝されてないかな、これ。何度でも言うけど、敵だよね?
「じゃあ、最初の質問に戻るけど。なんで、魔王のしもべになったの? ダークエルフになったのもそのせい?」
「話せば長くなるのですが……」
ジェシカさんがベッドの方に戻ってから話しかけると、フィアナは最初とは別人のように、殊勝な態度でそう言った。
やっぱり、ジェシカさんは怒らせちゃいけない人だ。二度と怒らすまい。
「長い話聞くの苦手なんだよねぇ」
「ひぃっ! すいません! み、短くします!」
「ま、待ってジェシカさん! 聞いてあげようよ! 話す気になってるんだから!」
さすがに気の毒なのでフォローを入れてあげる。今のは脅す気はなかったと思うんだけど。ただ、ジェシカさんのかしこさが68しかないというだけの話で。
「あはは、わかってるって。けどできるだけ短くまとめてくれた方が嬉しいかな」
「全力で努力します!」
かわいそうなくらい絶対服従してる。よっぽど怖かったんだな、舌引っ張られるの。
「私は、元々あるエルフの里を治める、長の娘でした」
「そんな立場なのに、ダークエルフになって、魔王のしもべなんかやってるの?」
「す、すいません! 反省します! 本当に申し訳ありません!」
「ジェシカさん、一回最後まで話を聞いてあげたらどうかな!? 途中で口を挟んだら、話しにくかったりするし!」
「んー、確かにそうだね。ごめんごめん。続けて続けて? っていうか、なんでそんなに謝ってるの?」
あんたのせいだよ、とジェシカさん以外の全員が思ったはずだが、誰も口には出さなかった。
「……ええと、それで、里が魔王軍に襲われてしまいまして。私たちも必死に抵抗したのですが、力及ばず……みんな捕らえられてしまったのです」
フィアナの表情が曇る。よっぽど苦い思い出だったんだろう。それからしばらく、口を閉ざしてしまった。
さすがのジェシカさんも空気を読んでくれたようで、フィアナの次の言葉をじっと待っている。
「……私も捕まってしまいました。そして、魔王軍の者から言われたのです。私が魔王軍に忠誠を誓うなら、捕まえた里の者たちを全員解放してくれると。私は、そうしてダークエルフになりました……」
沈んだ様子でそう語ると、フィアナはまた黙り込んでしまった。
ジェシカさんは、考え込むようにうつむいている。ミオちゃんは私に抱き着いたままだ。ココアは私が使う予定のベッドで寝ている。
私はそっとミオちゃんの腕の中から抜け出すと、床に転がっているフィアナに近づいた。
そして、その体を縛っていたロープを解いた。
「何を……?」
フィアナはきょとんとした様子で、私を見上げている。
「あなたも被害者だってわかったから」
私が倒さないといけない魔王。その魔王のせいで苦しめられた人。
だからって、この人がしたことは本来許されないんだろうけど……幸い、私もミオちゃんも無事だった。
不自然なくらい、私に降伏勧告をしてきたのも、今の話を聞いて納得した。本当は、彼女だってあんなことはしたくなかったんだ。
そう思うと、フィアナにこんな扱いをするのが嫌だな、と思ったのだ。
ジェシカさんがどう思うかなと心配になったけど、幸いと言っていいのか、咎められはしなかった。
ただ、代わりに一言、ポツリとつぶやいた。
「ノースウッドの森」
「え? ご存じなんですか?」
ジェシカさんの言葉に、フィアナは目を丸くする。すると、ジェシカさんはこくりと頷いて、
「フィアナって言うんだよね? 君は、魔王軍に捕まってから、同じ里のエルフに会ったことはある?」
「いいえ……結託して反乱を起こさないようにと、バラバラに捕らえられていたみたいですから」
「一緒に捕らえられた人たちとはいつ別れたの?」
「……捕まってすぐです。その場で引きはがされました」
「そっか……」
「あの、どうしてそんな話を? もしかして、ノースウッドの森を訪れたことがあるんですか?」
「あるよ。ごく最近」
ジェシカさんがそう答えると、フィアナの顔が、ぱぁっと明るく輝いた。
「里のみんなは元気でしたか? 魔王軍が約束してくれたんです。私が忠誠を誓えば、仲間はすぐ解放してくれると。きっとみんなで里の復興を頑張っていると思うんですが、どれほど進んだんでしょうか」
身を乗り出すようにして、ソフィアは声を弾ませながら、ジェシカさんにそう尋ねた。
でも、ジェシカさんの表情は暗い。いい話じゃなさそうだけど……。
ただ、幸い、フィアナはそれに気づいてないみたい。これなら、適当にはぐらかすこともできそうだけど。
「里にエルフは一人もいなかったよ」
「え?」
しかし、ジェシカさんは私が期待していたのと全く違う対応をとった。
「ジェシカさん!」
「サーシャ、あたし、この人に対しては優しくなれない」
「けど! いくらなんでも!」
「待ってください!」
抗議する私の言葉を遮って、フィアナが叫ぶ。
思わず私が口を閉じると、フィアナはすがるように、ジェシカさんが座っているベッドににじり寄った。
「それは……ど、どういうことなんですか?」
「あたしがノースウッドの森に行ったのは、修行の一環。冒険者ギルドで依頼を受けたんだ。そこに巣くってる魔物の集団を倒して、元エルフの集落だった場所を解放することが、依頼の内容」
元、の部分をジェシカさんが強調して言う。フィアナの顔が青ざめていった。
ジェシカさんの語りは止まらない。
「20人くらいでチームを組んで挑んだんだけど、強かったよ。こっちもかなり被害が出ちゃったかな。けど、あたしたちは勝った。そのとき、そこのボスだった魔物とあたし、戦ってさ。そこが元々エルフの集落だっていうのは知ってたから、そいつに聞いたんだよ」
それ以上言わないであげて。必死に目で訴えても、ジェシカさんは私の方を見ていない。
翡翠色の目は真っすぐ、力強く、フィアナをじっととらえている。
ジェシカさんは言った。
「ここに住んでたエルフはどうしたの? って。そいつは言ったよ。長の娘だけ捕らえて、それ以外は皆殺しにしたって。エルフの肉は美味しいんだってさ」
表情を変えずに言い放つジェシカさんに、私は言葉が出なかった。
ただ殺されただけじゃない。食べられたんだ。
もうとっくにいない人たちを守るために、フィアナは魔王軍で必死に働いてたんだ。
「あ……あぁ……」
フィアナが頭を抱えてうずくまる。その頭上から、ジェシカさんは言葉を続ける。
「長の娘を生かしてたのは、その里で一番強い力があったから。利用できると思ったんだって。今も、何も知らずに魔王軍で働いてるって、そいつは笑ってた。だから、ピンと来たんだ」
「ウソ……ウソだ……あぁ……あぁぁ……」
「ウソじゃないよ」
「ジェシカさん! もうやめてあげてよ!」
耐えきれなくなって、私はつい叫んでしまった。フィアナは確かに敵だけど、私とミオちゃんのこと殺そうとしたけど、ここまで追い詰めなくたって……。
「やめないよ、サーシャ。あたし、この人に優しくはできないけど、そこまで残酷にもなれないから」
「残酷……?」
「本当のこと何も知らないまま、自分さえ耐えてれば、大事な人たちはきっと幸せなんだって信じさせ続けること。魔王軍がやったことだよ」
迷いのない目をして、ジェシカさんは言う。
確かに……その方が残酷だとは思う。騙されて、魔王軍の言いなりになってやりたくないことをして、しかもそれが結局誰のためにもなってないんだから。
けど、フィアナの様子を見ていると、素直にジェシカさんの言葉を受け入れられない。
きっと唯一の希望だったんだと思う。それを打ち砕かれて、フィアナは頭を抱えたまま、嗚咽を漏らしている。
かわいそうだ……あんまりにも……。私は、フィアナの背中に手を伸ばして、さすった。
「ふぁ……」
小さく声を漏らしてから、フィアナは驚いたように私を見た。
構わず、私はフィアナの背中をさする。
私はこの痛みを知っていると思う。フィアナが抱えているものは大きすぎて、比べるのは笑ってしまうほどおかしいかもしれないけど、それでもわかる気がする。
よかれと思って一生懸命頑張っていたことが、全部否定される辛さ。空回ってミスをして、叱責ばかり受けていた前世の自分。
必死に頑張ったことが報われないのは、すごく辛いよ。
私があの頃求めたのは、癒しだった。ふわふわのココアの体を、思い切り抱きしめたいと思った。
だから、今、私はこうしている。今の私はふわふわだから。傷ついた心を少しでも癒せるように、一生懸命背中をさする。
「いいなぁ、うらやましい」
私とフィアナを見下ろしながら、ジェシカさんは苦笑した。
フィアナは頭を抱えて、顔を伏せたまま泣いている。私はその背中をさすり続ける。
すると、ミオちゃんがそばに来て、私と同じようにソフィアの背中に手を乗せた。
「サーシャちゃんみたいに、ふわふわじゃないけど」
二人でフィアナの背中をさする。さっきまで命のやり取りをしていた相手の背中をさする。
「あーあ、あたし悪者だね」
一方、私たちの命の恩人は、拗ねたようにそう言って、ベッドに倒れ込んでしまった。
私とミオちゃんは顔を見合わせ、一旦フィアナから手を離す。
そして、二人でベッドによじ登ると、うつぶせになって枕に顔を埋めているジェシカさんの背中を、一緒に撫でまわす。
「ふわぁ……ちょっ、急になに? あ、ダメ……これ気持ちいい……堕ちそう……」
なんでそういう言葉のチョイスになるかな、この人は。
そのまましばらく撫でていると、ジェシカさんは本当に陥落して、スヤスヤ寝息を立て始めた。
その頃には、フィアナも少し落ち着いていたので、ミオちゃんのベッドを貸して休ませてあげた。
私とミオちゃんは、ココアがずっと陣取っていた、私のベッドで一緒に眠った。
やっと、長い長い夜が終わった。