ふわふわ16 ミオの機転
「大人しく獣車を置いていきな。そうすりゃ手は出さないでいてやるよ」
盗賊たちのリーダーらしき男が、曲刀をこちらに向けて構えながら言う。
相手の人数は八人。とりあえず、鑑定を発動させてリーダーのステータスを確認する。
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名前:ジョセフ・ルベリオ
種族:人間
年齢:38歳
職業:盗賊団の頭
Lv:20
HP:301/301
MP:0/0
攻撃力:168
防御力:145
素早さ:156
かしこさ:102
【スキル】
剣術(Lv1)
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やっぱり、この人がリーダー見たい。だけど……あれ? 思ってたより弱い?
他の人も鑑定してみる。しかし、当然というか、リーダーみんなリーダーよりも弱い。中にはレベルが一桁の人までいる。
「サーシャ、相手の強さわかる?」
「今しゃべってた人がレベル20で、一番強いよ」
「マジ? 盗賊にしては強いなぁ」
私の言葉に、ジェシカさんが目を丸くする。
盗賊って、普通はそんなに弱いの? 最初に私を騙そうとしておじさんたちも、もしかして弱かったのかな? だとしても、あのときは私もレベル低かったし、絶対勝てなかったと思うけど。
「おい、聞いてるのか? 獣車を置いて行けば、命はとらないでやるって言ってんだよ」
「サーシャ、ミオちゃんをお願いね」
ジェシカさんが腰の剣を抜き放って、構える。
私は頷いて、ミオちゃんを守るために近づき、周りに視線を配る。
「やろうってのか」
「もちろん」
「だったら、容赦はしねぇ! かかれ!」
盗賊たちが一斉に動き出す。ジェシカさんは剣を構えたまま、それを迎え撃つ。
そんなジェシカさんの後ろで、私は自分がどうすべきか考えた。敵はみんなジェシカさん狙いみたいだけど、とりあえず近い敵は倒しておいた方が安全だよね?
でも、私の魔法が直撃したら、たぶんこの人たち死んじゃう。ダメージを与えずに相手を拘束する魔法はあるけど、呪文を暗記してないんだよね。詠唱間に合うかな。
仕方ない、とりあえずやってみよう。いざとなったら詠唱破棄でファイアボールを足元にでも撃てばいいや。そう思って、私は魔法大全の入ったカバンに手をかける。
その時だった。
「ミオちゃん!?」
あろうことか、ミオちゃんが一番近くにいた盗賊に向かって走り出していた。
慌てて引き留めようと伸ばした手は空を切る。ミオちゃんの接近に気づいた盗賊が足を止めて、ターゲットをジェシカさんからミオちゃんへ切り替える。
「やばっ!?」
ジェシカさんもすぐに気づいたが、その隙をついて盗賊のリーダーが斬りかかって来た。
ジェシカさんはそれを難なく剣ではじき返したけど、次々に他の盗賊たちが迫ってくる。ミオちゃんのところへすぐには行けそうもない。
ミオちゃんを襲おうとしている盗賊を倒せるのは私だけだが、ミオちゃんと盗賊の距離が近すぎる。私の覚えてる魔法じゃ、ミオちゃんまで巻き込んでしまう。
私はすぐに走って、側面に回り込もうとしたが、すでに盗賊は曲刀をミオちゃんに向けて振りかざしていた。
必死に走りながら、ファイアボールの構成を練る。こうなったら、もう盗賊に直撃させるしかない。でも、ダメだ、間に合わない!
諦め、目を閉じそうになってしまった瞬間、ミオちゃんが盗賊に向けて何かを投げた。
「うわっ! げほっ! げほげほっ! がはっ!」
直後、ぶわっと黄色い粉塵が舞い、盗賊の顔を覆う。
盗賊はたまらずせき込んでいたが、突然その場に倒れこんだ。全身をまっすぐに伸ばしたまま、うつぶせに横たわり、体を小刻みに痙攣させている。
え? あれ、なに? ミオちゃん、何したの?
突然の事態に、私だけでなく、盗賊たちも、そしてジェシカさんも動きを止める。
すると、ミオちゃんは自分のカバンから何かを取り出し、手にもって掲げながら叫ぶ。
「キングバジリスクの唾液! 空気中にまくと、猛毒の霧になる! 吸い込むと数十秒で意識不明になって、十分で命を落とす!」
ミオちゃんの言葉に、盗賊たちが一斉に後ずさりした。私も後ずさりする。思わず、口と鼻を両手で覆った。
ミオちゃんは小瓶の蓋に手をかけながら続ける。
「私は解毒薬を持ってる! だから毒を吸っても平気! 仲間の分の解毒薬もある!」
いや、待ってミオちゃん! いくら解毒薬があっても、そんな毒吸い込むの嫌だよ!? あとジェシカさんは盗賊に囲まれてるから、解毒薬飲ませるの間に合わないかもしれないよ!?
大声でそう言いたかったが、現状、ミオちゃんが無防備すぎる。下手に、こっちに不利な情報は口にできなかった。
ミオちゃんは小瓶の蓋に手をかけたまま続ける。
「この毒はかなり遠くまで広がるよ! 今すぐ逃げるなら見逃してあげるけど、そうしないなら容赦しないから! あなたたちの分の解毒薬はないからね!」
小瓶を掲げつつ、ミオちゃんが盗賊たちに一歩にじり寄る。
盗賊たちが一斉に、リーダーの方を見る。リーダーは目を見開いて、ミオちゃんの手元を見ている。
「女と子どもばっかりで、美味しい獲物だと思った? こういうときの対策、何もしてないと思った? だから、襲ってきたんでしょ? 今から、後悔させてあげる!」
「ひ、引け! 引けぇー!!」
リーダーが叫んで、真っ先に逃げ出した。
後を追いかけて、必死に他の盗賊たちも逃げて行く。ミオちゃんのそばで倒れていた盗賊も、仲間に回収されていった。
ミオちゃんはそれをじっとにらみつけて、盗賊たちが視界から消えるのを確認すると、手を下ろしてこっちに歩いて来た。
私は、あんまりにも無造作に毒の入った瓶を持つミオちゃんに向かって叫ぶ。
「ミオちゃん待って! そ、それしまって! 危ないから!」
「え?」
きょとんとするミオちゃん。え? じゃないよ! そんな猛毒を出しっぱなしにするなんて危ないでしょ!?
ミオちゃんはなぜか困惑しながらも小瓶をカバンの中にしまう。ふぅ、これで安心……ではない。あんな危険な物ミオちゃんが持ち歩いてるなんて。
獣車の揺れでこぼれたりしたら大変だ。とりあえず、私が預かった方がいいかな? でも、怖いなぁ……い、いや! 私は元看護士! 薬品の管理くらいできる。
意を決して、私はミオちゃんに歩み寄った。
「ミオちゃん、やっぱりさっきの瓶渡して。中身、絶対こぼさないように気をつけてね!」
「あの、サーシャちゃん。これはね……」
何か言いづらそうにしながら、おずおずと小瓶を取り出すミオちゃん。
絶対に落とさないようにしなきゃ。でも、ミオちゃんの手も私の手もちっさいんだよね。
万が一にも落とさないように、下からそーっと手を近づける。片手を小瓶の底にあてて、もう片方の手で小瓶をしっかり掴んで……。
「それ、香水だよね?」
慎重に、慎重に私が小瓶を受け取ったとき、こっちに歩み寄って来たジェシカさんがそう言った。
へ? 香水?
「私が荷台に積みこんでたやつ。あと、さっき盗賊に投げたの、ピーコックバタフライの鱗粉が入った袋でしょ?」
「ピーコックバタフライ?」
「大きなチョウチョの魔物。羽にでっかい目玉模様がついててさ。敵に襲われると鱗粉をまき散らすんだけど、それを吸い込むと体がしびれて動けなくなるんだよ」
あぁ、だから、あの盗賊いきなり倒れたんだ。あの黄色っぽい粉が、その鱗粉だったんだね。
ミオちゃん、小さいのにそんなこと知ってたんだ……。というか、知ってたとしても、普通刃物を持った男の人に突っ込んで行かないよ。なんて無茶するの、この子。
私が目を丸くしてミオちゃんを見つめていると、ジェシカさんがひょいっと私の手から香水を取り上げた。
「キングバジリスクの唾液は確かに透明だから、香水と見分けはつかないけど……よくあんな大嘘ついたね。バレてたら殺されちゃうところだよ? わかってた?」
大嘘……ってことは、あれ、毒じゃなくて本当にただの香水? 香水一本持って、盗賊を脅してたの?
あまりにも衝撃的なジェシカさんの言葉に、私は二の句が継げなかった。鱗粉を頼りに、いきなり盗賊に立ち向かっていったこともそうだけど、無謀が過ぎるよ、ミオちゃん。
さすがのジェシカさんも怒っているようで、怖い顔をしてミオちゃんを見下ろしている。
しかし、ミオちゃんは真っすぐにジェシカさんを見上げて言った。
「自分の身は自分で守ります! だから、一緒にいさせてください!」
ポカーン、としてしまった。
この子、そのためにあんな無茶したの?
信じられない。一歩間違えたら、本当に殺されちゃうところだったのに。
実際、私もジェシカさんも、あの状態からは助けに入れなかった。
じっと、ミオちゃんはジェシカさんをにらみつけるように、視線を合わせている。
ジェシカさんもじっとそれを見つめ返していたけど、不意にふぅっと息を吐いた。
「わかった。ミオ、サーシャ、獣車に乗って。出発するから」
「ジェシカさん!?」
「エミルの村までね。ここでいつまでも話してたら、また盗賊が戻ってくるかもしれないし。ここからなら、城に戻るより、そっちに行く方が近いから」
獣車に乗るまでの踏み台を用意しながら、ジェシカさんは早口でそう言った。
不本意、という態度がありありと見て取れる。けど、ミオちゃんの説得は難しいと感じたんだろう。
もう一度、盗賊に狙われるなんてことになったら、今度こそミオちゃんが危ない。私も仕方なく、獣車に乗り込んだ。
後から乗って来たミオちゃんが、私の隣に座る。私が自分のふかふかクッションを差し出すと、ミオちゃんは首を横に振った。
私は座席の背もたれを乗り越えて、荷台に移動する。クッションもう一つないかなーと思って探していたら、幸いなことに同じものが二つ見つかった。
座席の方へ戻り、とってきたクッションを差し出す。ミオちゃんはまた首を振った。
しかし、獣車にクッションは必須である。経験者は語るのだ。
「おしり痛くなって、歩けなくなっちゃうよ? 使った方がいいよ」
「……ありがとう」
ミオちゃんは遠慮がちに、クッションを受け取って、お尻に敷いた。
「ジェシカさん。クッション使うー?」
「んー? あたしはこれくらい平気なんだけど、じゃあもらおっかなぁ」
ジェシカさんがそう答えたので、私はジェシカさんにもクッションを手渡した。
そして、自分の席に戻る。ぽふっ、うん、ふかふか。
隣を見ると、ミオちゃんが落ち込んだ様子でうなだれている。御者台のジェシカさんは、こっちに背中を向けたまま何も言わない。
何となく、居心地の悪い時間。私は何となくココアを拾い上げて、背中を吸った。
「ナァーオ……」
嫌そうにしないでよ。さっき、休憩あげたじゃん。
気を紛らわせるように、子猫吸引に集中する私。いや、集中したところで効果は全く変わらないんだけど。
そのまま、五分くらいは揺られていただろうか。
「……ごめんなさい」
耐えかねたように、ポツリとミオちゃんがつぶやいた。
「じゃあ、今すぐローズクレスタに帰ってくれる?」
ジェシカさんの返事は冷たい。初めて、ジェシカさんのことを怖いと思った。
私でさえそうなのだから、ミオちゃんはもっと怖かっただろう。返事もできず、うつむいたまま黙り込んでしまう。
私の意見はジェシカさんと同じだ。でも、脳裏にミオちゃんが盗賊に立ち向かっていった、あの姿がよぎる。
すごい迫力だった。10歳の女の子が、言葉だけで、大勢の大人を圧倒していた。
それも、ただ私たちといたい一心で……。
会話もなく、重苦しい雰囲気で獣車は進む。ローズクレスタを出て初めて訪れる村、エミルの村へと向かって……。
***
日が傾きかかった頃、私たちはエミルの村に到着した。獣車から身を乗り出して、村の様子を確認した私は、その異様な風景に思わず声を漏らしてしまう。
「すごい柵……」
木の柵――いや、もはや壁と言った方がいいかもしれない。エミルの村は入口以外が、がっつりと柵で覆われていた。
柵の周りには穴が掘られており、そこには水が引かれていて、城のものほど立派ではないものの、堀になっている。
村の入口には橋がかかっていたが、門は閉められており、門の脇にある見張り台らしき場所に人影が見えた。
「魔物対策だよ。メディオクリスで人が住んでいる場所は、大体こんな感じ」
随分、久しぶりにジェシカさんの明るい声を聞いた気がした。今まで張り詰めていたものが、ふっと解けたような気分になる。
獣車は村の入口にかかっている橋に向かって進む。そして、門の前で停止。見張り台の人が声をかけてくる。
「何者だ!」
「冒険者のジェシカ・ハイルブロント! これギルドカードね!」
「少し待て!」
見張り台の人がそういうと、ギギギギ……とロープを巻き取る音が聞こえてきて、それにあわせてゆっくりと門が開けられた。
人が一人通れるくらいの幅まで門が開くと、中から見張り台にいた人とは別の人がやってくる。
「ギルドカードは?」
「これ。あと、後ろに子どもが二人いるよ。一人は冒険者でギルドカード持ってるけど、もう一人は一般人」
「確認しても?」
「どうぞ。サーシャ、ギルドカード出しといて」
言われた通り、ギルドカードをカバンの中から取り出して、その人に見せる。
私とミオちゃんの姿を確認すると、その人はまたジェシカさんのところに戻って、
「子ども一人で、入村料は500モースです」
「はーい、これでちょうどね」
ジェシカさんが100モース銅貨を五枚手渡すと、受け取った人が見張り台の人へ合図を送る。
するとロープが再び巻き取られて、門が完全に開いた。ジェシカさんはガービーにムチを入れて、獣車を村の中へと進める。
ジェシカさんは途中で獣車を停車させると、私たちに獣車を降りるようにうながした。
「あっちにあるのが宿屋だから、三人部屋を取ってきてくれない? 出発は明日の朝って言っておいて。私は獣車を冒険者ギルドに預けてくるから」
「うん、わかった」
返事をしたのは、私ではなくてミオちゃんである。なぜ私が答えられなかったのかというと、宿に泊まったことなんか一回しかないので、ちょっと自信がなかったから。
中身22歳なのに、10歳児に負けてしまった。人知れず私がプライドを傷つけられているのを尻目に、ミオちゃんがジェシカさんに近づいて、手に握った何かを差し出す。
「これ、さっきの入村料」
「いらない」
ピシャッとジェシカさんが拒絶する。うっ、また怖いジェシカさんに戻っちゃった。というか、ジェシカさんの方が実年齢だと年下のはずなのに、なんでこんなに怖いの?
私は絶対ジェシカさんを怒らせないようにしよう。強く、心に誓う。
「ミオ、さっきのこと、宿できっちりお話するからね。いい?」
「……はい」
しゅんとしながら、ミオちゃんが返事をする。仕方ないんだけど、かわいそう……。
「ただ、冒険者ギルドで手続きとか、あと情報収集とかしないといけないから、結構遅くなっちゃうかも。夕食は先に食べてて。8時過ぎには宿に行けると思うから」
カバンから、冒険に出る前にジェシカさんからもらった時計を取り出す。今が6時前か。ご飯食べて、お風呂入ってくつろいでたらすぐかな。
ジェシカさんが帰ってくるまでは、ミオちゃんと遊んであげよう。すごく落ち込んでるし、せめてジェシカさんに叱られるまでは、楽しい思いをさせてあげた方がいいよね。
上げて落とした方がショック大きいかもしれないけど……。
「村を見て回ってもいいけど、村から出たらダメだよ?」
まるで私の心を読んだかのように、ジェシカさんがそんなことを言う。
ひょっとして、ジェシカさんもミオちゃんのこと気にしてるのかな? だから、気晴らしできるように、そう言ってくれたのかな?
まあ、その後たっぷり怒るんだろうけど……。
「わかった」
私がそう返事をすると、ジェシカさんはガービーにまたムチを打って、獣車を走らせていった。
さて、ミオちゃんと二人きりだ。と言っても、ココアも一緒だけどね。もちろん、いつものように抱っこしている。
まずは、宿屋に行かないとね。
「ミオちゃん、行こ?」
「う、うん」
冴えない表情ながらも、ミオちゃんは頷いてついてくる。ただ、足取りは少し重い。
私はミオちゃんに歩調を合わせながら、村の中を見渡してみた。
エミルの村の敷地は結構広い。ただ、王都は足元がタイルで舗装されていたが、この村は地面がむき出し。建物もまばらで、あちらこちらに畑がある。
ただ、行き交う人の服装は、賎民街の人たちとあまり変わりはなかった。レザーメイルをまとった、冒険者らしき人たちもチラホラ見かける。
王宮での暮らしも悪くなかったけど、私、こういう雰囲気結構好きかも。そんなことを考えながら、ミオちゃんと二人、ジェシカさんから教えてもらった宿屋の入口をくぐるのだった。
***
「ミオちゃん、すっごく美味しいね。この野菜炒め」
チェックインを済ませた(手続きは全部ミオちゃんがしてくれた)私たちは、荷物を部屋に置いてすぐ、食堂に来ていた。
メニューを見てもどんな料理かよくわからなかったので、注文は店員さんに丸投げした。王様にもらった報酬があるから、お金には困ってないもんね。
運ばれてきたメニューの中で、私は特にこの野菜炒めが気に入った。ゴロゴロしたお肉と、色んな種類の野菜が、恐らくバターで炒めてある。
説明がざっくりしてるのは、肉が何の肉かわからないし、野菜も見たことないのばかりだし、この世界でバターを見たことがないからだ。
お城ではこういう料理出なかったしね……材料の原型がわからない料理ばっかりだった。いや、美味しかったんだけども。
「それ、パナチョラータって言うんだよ、サーシャちゃん」
「パナチョラータ?」
「スモールボアの肉と、スフィアリーフと、レッドルートと、バニシングオニオンと、エミルマッシュルームをムーの脂で炒めた料理」
どれ一つとして、食材に聞き覚えがない。見た目的には、肉とキャベツとニンジンと玉ねぎとキノコをバターで炒めた感じが一番近いんだけどなぁ。
でも全部の野菜がしんなりしてて食べやすくて、肉とキノコはジューシーだし、脂も旨味たっぷりでフォークが止まらない。あっ、箸がないのが難点だよね、この世界。
「ミオちゃんって物知りだよね。ピーコックバタフライの鱗粉? だっけ。それの効果も知ってたし。あと、キングバジリスクとか」
「パパに教えてもらったんだ」
ピシッと、私のフォークが止まる。
地雷を踏んでしまった……。
「うちはアクセサリー屋だったけど、冒険者の人向けに、冒険に役立つアイテムを売ったりもしてたの。それに、パパ、昔は冒険者だったんだよ。それで、道具のこととか、魔物のこととか、他にも色々教わったんだ」
「そ、そうだったんだね」
ぎこちなく料理を口に運びながら、私は相槌を返した。
やってしまった。ミオちゃんの様子に変わったところはないけど、この子のことだから、そう取り繕ってるだけかもしれない。
早く話題を変えないと、と思いつつも、ミオちゃんのおしゃべりは止まらなかった。
「冒険の話もいっぱいしてもらったんだよ? パパも盗賊に襲われたことがあったんだって。その時にね、持ってた水筒の中身がキングバジリスクの唾液だって……私がやったのと同じようにして、追い払ったんだって」
へぇ、あれはお父さんのエピソードが元ネタだったんだ? 10歳児の発想じゃないとは思ったけど、そういうことか。
いや、それを実行しちゃう度胸は10歳児のレベルじゃ絶対にないけどさ。もちろん、ピーコックバタフライの鱗粉を武器を持った盗賊に投げつけるっていうことも。
「お待たせしました」
新しい料理が運ばれてきた。まだ野菜炒め――じゃなかった、パナチョラータを食べ終わっていないけど、こっちの料理も美味しそう。
そうだ、これは話題を変えるチャンスかもしれない。まだ話し続けようとしている様子のミオちゃんにはちょっと気が引けるけど――
「あの、この料理はなんていう名前なんですか?」
「ゲリゾドリアータです」
「ゲ、ゲリゾン?」
「ゲリゾドリアータだよ、サーシャちゃん。ムーの乳と油、あとオーツの粉を混ぜて作ったソースに、肉と野菜を入れて石窯で蒸し焼きにした料理」
困惑する私に、ミオちゃんがクスクス笑いながら訂正してくれる。とりあえず、話題を逸らすことには成功したようだ。
見た目は、ほうれん草が入ったグラタンって感じ。作り方的にも間違ってないかな?
「あなたたちは姉妹?」
料理を持ってきてくれた店員さんが声をかけて来た。ジェシカさんと同い年くらいの、若いお姉さんだ。
ニコニコと、微笑ましそうな笑顔をこちらに向けている。
「ええと、友達です」
「王都から来たの。もう一人、お姉さんと一緒に」
私が答えると、ミオちゃんが後からそう付け足してくれる。
ミオちゃんは勝手についてきちゃったんだけどね、とは言わないでおいた。
「そう、エミルの村は初めて?」
「初めてです」
「じゃあ、エミルルモガニアは見たことないのかしら?」
「エミルルモガニア?」
店員のお姉さんに聞き返しつつ、私はミオちゃんの顔を見る。ミオちゃんは首を横に振る。ミオちゃんも知らないらしい。
私たちの様子を確認したお姉さんは、ニコっと笑って、
「エミルルモガニアは、エミルの村の裏山にしか生えてない、珍しい花なのよ? 青紫色の花なんだけど、夜になると光りだすの。本当に綺麗で、私が初めて見たのはあなたたちくらいのときだったけど、とても感動したわ」
「そんなに綺麗なんですか?」
「ええ、ちょっと言葉では言い尽くせないくらい。エミルルモガニアを見るためだけに、この時期にエミルの村を毎年訪れる人もいるくらいよ?」
へぇ……観光名所って感じかなぁ。確かに、ホタルみたいに夜光る花なんて珍しいだろうしなぁ。それも、ここにしか生えてないんだから。
「あの、その裏山って遠いの?」
すると、ミオちゃんが何やら真剣な目をして口を挟んだ。
「いいえ? 村の門を出てから、10分も歩けばエミルルモガニアの生えている花畑に着くわよ?」
「道ってわかりにくい? 案内してくれる人がいないと行けない?」
「そんなことないわ。裏山に向かって真っすぐ歩くだけで簡単に見つかるはずよ。エミルルモガニアはいっぱい生えてるし、光ってるから、すごく目立つもの。村の裏から続いてる道をまっすぐ行けばいいわ」
「そうなんだ……」
お姉さんの言葉に、ミオちゃんの口元がほころんでいる。
なんだか、嫌な予感がする。
「じゃあ、ごゆっくり」
お姉さんが会釈をして離れていく。それとほぼ同時に、ミオちゃんが身を乗り出すようにして、私に言った。
「サーシャちゃん! エミルルモガニア、見に行きたい!」
「だ、ダメだよっ! ジェシカさんが言ってたでしょ!? 村から出ちゃダメって!」
「今はまだ7時前だよ? ジェシカさんが帰ってくるのは8時! 片道10分なら十分間に合うよ!」
「けど、ジェシカさんがそれより早く帰って来るかも……」
「それなら、8時に帰って来ると思ってたから、村の中で遊んでたって言えばいいよ!」
うぅ、10歳児にことごとく言い負かされちゃう。でも、これはきっぱり断らなきゃ。約束を破るのは悪いことに決まってるし。
何とかしてミオちゃんをなだめようと、必死に言葉を考えていると、ミオちゃんは突然顔の前で両手を合わせて、
「サーシャちゃん! 一生のお願い! 私、サーシャちゃんとエミルルモガニア見に行きたいの!」
懇願するように、目をぎゅっと閉じて手を擦り合わせるミオちゃん。
こ、この子、ジェシカさんが帰ってきたらお説教されるってこと覚えてないのかな?
いや、だからこと……だろうか。本当は冒険についてくることをもう諦めていて、せめて最後のお願いってことだろうか。
でも、夜に子どもだけで村の外に出るなんて危ないし……けどさっきのお姉さん、私たちくらいの歳で見に行ったって言ってたし……。
だ、ダメだ! やっぱりダメ! ジェシカさんとの約束はやっぱり守らなきゃ! それに、子どもの言う一生のお願いは一生のお願いじゃないもんね!
よし、気持ちを強く持って断わるぞ。私は実年齢22歳。10歳児の説得なんて朝飯前だ。
強い決意を胸に、私はお腹に力を入れて、ミオちゃんと向かい合うのだった。