ふわふわ15 旅立ち
「また君か。もう勝負は着いたはずだよね? ここに来る必要はないと思うけど?」
私がノックもせずにドアを開けると、読書中だったライオネットくんが、心底迷惑そうにこっちを向いた。
「私、もう少ししたら旅立つから。聞けてなかったこと、今のうちに聞こうと思って」
「こっちの都合は無視と。相変わらずだよね、君」
「メギドのことなんだけど」
「会話する気あるのかい君?」
失敬な。会話する気はあるよ。ただ、皮肉とか嫌みを全スルーしてるだけで。
「メギドでメフィスを倒したとき、レベルが上がらなかったの」
「あれ? 教えてなかったかな?」
「私、ライオネットくんからまともにものを教えてもらったことないんだけど」
大体が、お仕置きの最中に、世間話でもするように聞かされたものばっかりだ。
「それは君が「他の宮廷魔術師の修行を終わらせてからここに来い」と言ってる僕の言葉を無視し続けるからだって、何百回言えばわかってもらえるかな?」
「もしかして、メギドで敵を倒すと経験値もらえないの?」
「その態度で僕がまともに答えると思っている君に神経を賞賛するよ」
「メギドで敵を倒すと経験値もらえないのですか! 教えてください! 偉大なる森羅万象の魔術師ライオネット様!」
体を直角に折り曲げて深々と頭を下げる。くーっ! ホント、この人めんどくさい! これくらいのこと、さっと教えてくれればいいのに!
「……ああ、そうだよ。理由は、はっきりとはわからないんだけどね。メギドで倒した敵の経験値は得られない。僕は、メギドが直接敵の生命エネルギーにダメージを与えるせいだと思っているけど」
「どういうこと?」
「強い魔物ほど多くの経験値を持っている。強い魔物は生命エネルギーを多く持っている。経験値は生命エネルギーに紐づけられているのかもしれない」
「ど、どういうこと?」
「だから、メギドはHPと一緒に経験値も吹き飛ばしてしまっているかもしれないということだよ。メギドは対象が持つ生命エネルギーを無差別に攻撃しているからね。通常の手段でHPを0にした場合は、紐づけられていた経験値が解放されて移動するんだろう」
「それって、何とかならないの?」
「メギドは完成された究極の魔法だよ。何ともならないね。ちょっとでもいじれば、構成が崩壊する」
なぜか自慢げに言うライオネットくん。この人、話すまではもったいぶるけど、一度話し出すとペラペラしゃべってくれるんだよね。オタク気質というか。
理屈の部分は今の説明だとイマイチ理解できないけど、要するにメギドで敵を倒してもレベルは上がらないってことだよね。そして、それはどうしようもないと。
私は別に魔術師じゃないし、細かい理屈のところはわからないままでもいいや。メフィスを倒した経験値がもらえなかったのはもったいないけど、メギドを使わないとどうしようもない相手だったし。
「メギドのせいでレベルが上がらなかったのはわかったよ」
「メギドのおかげで敵を倒せたくせに随分な物言いだね」
「そんなことよりね。私、魔法色々使ってるのに、魔法のスキルを覚えないんだけど。なんで?」
「君、今になって聞くことかい?」
心底呆れたという顔で私を見るライオネットくん。
仕方ないじゃん。今までずっと、ライオネットくんへの復讐しか考えてなかったんだから。
っていうか、まともに質問させてくれたことほとんどないじゃん。戦ってる最中か、お仕置きを受けてる最中のやりとりだけじゃん。
「そもそも、魔法のスキルを覚えるには、魔術師の職業につかないといけないんだよ。もしくは、魔物のように生まれつき持っているかだね。人間にも生まれつき持ってる人はいるけど」
「ライオネットくんはどっちだったの?」
「生まれつき全属性覚えてたよ。天才だからね」
「へー、どうでもいい」
「君が聞いたんじゃなかったかな」
「それで、生まれつき魔法のスキルがなくても、魔術師になれば魔法のスキルが覚えられるの?」
「正確には、魔術師の弟子ね。魔術師の職業を持ってる人の弟子になってしばらく修行を積めば、職業が魔術師の弟子になって、魔法のスキルを覚えられるよ」
ふむふむ、つまり私が他の宮廷魔術師の修行をちゃんとやってれば、魔法のスキルを覚えられてたのか。
ん、でも……。
「私、ライオネットくんと修行したのにスキル覚えられてないよ?」
「君、いつから僕の弟子になったんだい?」
「事実上弟子だったと思うんだけど」
「なりたいの? 僕の弟子に」
「絶対嫌」
「僕も絶対嫌だね」
思いが通じあってるみたいで何よりだ。
「君、そんなこと聞くってことは、もしかして魔法のスキルを覚えたいの?」
「魔法使うなら、あった方がいいかなって」
「なくていい」
私の言葉を、ライオネットくんはきっぱりと否定した。
「君、魔法大全の魔法はもう全部覚えた?」
「ぜ、全部なんて覚えられるわけないじゃん……」
「僕は覚えてるけどね。まあ、その話はいいや。魔法大全にはね、スキルで覚えられる魔法の名前と効果と呪文が全部載せてあるんだよ」
「なんで全部ってわかるの?」
「全属性の魔法のスキルを極めた僕が書いたものだから」
あれって、ライオネットくんが書いたんだ……広辞苑みたいに、そこら中に出回ってるものだと思ってた……。
あ、でもライオネットくんが書いたってだけで、一点ものではないのかもしれないね。著者がライオネットくんってだけだし。
「だから、魔法のスキルを覚えたところで、新しく君が覚えられる魔法はないんだよ。そりゃ、魔法のスキルはスキルレベルをあげれば、魔法を覚える以外にもメリットはあるけどね。その属性の魔法威力があがるとか」
「じゃあ、やっぱり覚えた方がいいんじゃないの?」
「スキルレベルを上げるのに手間がかかるし、そもそも君、魔法の威力に困ってる?」
全然困ってない。だって、かしこさ2754あるし。
「それに魔法大全に載ってる魔法ってことは、魔王軍の四天王クラスには通用しないからね。メフィスとの戦いでわかっただろう?」
「それはそうだけど……でも、なんか、魔法のスキルがないのに魔法使ってるっていうのがなんか……」
「不合理だね。スキルなんて覚えてる暇があったら、詠唱破棄できる魔法の種類を増やした方がいいよ。あと、大事なのがオリジナル魔法の開発ね。君なら、もうそろそろできるんじゃない?」
「え?」
「ん、なに?」
いや……まさか、そんなわけがない。ライオネットくんに限って。いや、でも……今のって……。
「もしかして……今……褒めてくれた?」
「いちいち不愉快だね君は。褒めてないよ」
よ、よかった! びっくりした! なんか安心。でもちょっと残念。
「だ、だよね」
「むしろ大いに不満だね。仮にも僕に勝った人間が、まだこんな低レベルな段階にいるなんてさ」
忌々し気に吐き捨てるライオネットくんに、私はきょとんとしてしまう。
「勝ってないよ、私?」
「君は本当に不愉快なやつだね。勝ったじゃないか。僕が君のMPを削り切る前に、君はメギドの呪文を完成させただろう」
「でも、あのときライオネットくんが「参った」って言ったから、私がメギドの構成壊したら「ひっかかったね」ってMP0になった私にお仕置きしてきたじゃん」
「……あぁ、君はあれをそういうふうに取るんだね」
何やら呆れるライオネットくん。ん? どういうこと? あれって、私がライオネットくんの負けた振りに引っかかったってことだから、私の負けなんだよね? めちゃくちゃお仕置きされたし。
結局、メギドを完成させてライオネットくんを降参させる作戦も失敗して、私には打つ手がなくなっちゃったんだよね。あれからも諦めずに挑戦したけど、いつも私のMPが先に尽きるし。
だってライオネットくんってば、MP10くらいの消費でこっちのMP100以上削ってくるんだもん。こっちの魔法はメギド以外消してくるし。MPがライオネットくんの10倍ないと勝てない。
「まあ、でも君はメギドの使い手としては、これ以上ない適格者だと思うよ。MPの多さとかしこさは規格外だし、物理攻撃も魔法攻撃もMPがある限り効かないからね」
ん? あれ? 褒めて……る? 褒めてる、よね、これ? あ、でもやっぱり勘違いかな?
「メギドの詠唱が終わるまでに、君のMPを削り切るのは無理だ。実際、メフィスが失敗してる。魔王でも無理じゃないかな」
「あの、もしかして褒めてくれてる?」
「そのくだりはもういいから」
そのくだりとか言われた。やっぱり褒めてないわ。
「ただ、メギドは発動させてしまうと後がない魔法だからね。効果範囲は広いから、敵が複数なのは問題ないけど、メフィスみたいにHPが0になっても復活してくるような相手だと使いにくい。何が言いたいかわかる?」
「MPポーションをいっぱい持ち歩け?」
「あれ一本飲んで回復するMPは40だよ? メギド使う度に100本飲むのかい?」
無理だ。別の理由で死んでしまう。
「メギド以外に通用する魔法を早く覚えろってことだよ。一冊しかない魔法大全まで貸してあげてるのに、いつまでかかるんだい」
ん?
「え? 一冊しかないの?」
「そうだよ。だから、早く暗記して返してくれないかな」
「なんで、そんな大事なもの貸してくれたの?」
「勇者の指導をしろとかいう面倒くさい仕事を、本一冊で済ませられるなら安いと思ったからだけど?」
「あー……うん、そんなことだとは思った」
実際、渡されたとき、そんな感じだったし。
「なのに、結局毎日顔を出されるし。最悪だったね」
「最悪だったのはこっちだし……毎日毎日ひどい目に遭わされて……」
「それでも懲りずに毎日来るんだからね。呆れ果てるよ、全く」
だって復讐したかったんだもん。なんて言ったら、またいじめられるかもしれないから言わない。
「おっと……随分話が逸れたね。けどまあ、もう用事は済んだんだろう?」
「ま、まだ一個!」
「なんだい、まだあったのかい? 早くしてくれよ」
心の底からめんどくさそうな顔で私を見るライオネットくん。
くっそぉ……こんな態度を取られると、物凄く言いにくい。言いにくいんだけど……。
私は、ぺこっと頭を下げた。
「魔法のこと、今までたくさん教えてくれて、ありがとうございました」
しっかり最後まで言い切ってから、顔を上げる。
ライオネットくんは驚いたような顔をしていたけど、すぐに口元を緩めた。
あ、これは意地悪を言うときの顔だな。
「君が自分で頑張った成果だよ」
今度は、私が驚く番だった。
「もしかして――」
「そのくだりはいらないからね」
インターセプトを食らった。
「魔法大全の呪文をそのまま唱えれば、MPさえあれば誰にでも魔法が使える。それは事実だけど、そこから自力で構成の存在に気がついたり、魔法の原理を理解できる人間なんて、そうはいない。少なくとも、僕は知らない」
いつもと変わらない口調で、いつものように私を見つめながら、ライオネットくんは話す。
「魔法のスキルを持たずに、詠唱破棄を使えるようになった人間も、僕は知らない。理論上可能だとは思っていたけどね」
最後の一言が、ライオネットくんらしいな、と思う。
「魔王には、僕たち宮廷魔術師が束になっても敵わないって、前に言ったよね。でも、君ならひょっとしてと思っているんだよ。だから、世界をよろしく頼むね、勇者サーシャ」
覚悟が足りないと、以前は言われた。一方的に気持ちを押しつけられるのは迷惑だよねと、同情された。
そんなライオネットくんが、私に期待をかけてくれた。勇者と呼んでくれた。
我ながら単純だけど、認められるのは素直に嬉しい。散々茶化そうとしたけど、褒められるのはやっぱり嬉しい。
魔法を使えるようになったのは、なんだかんだライオネットくんのおかげだったから、最後にお礼くらいは言おうと思ってここに来た。
来てよかった、と思う。
「うん、がんばる!」
それだけ返して、私は部屋を出た。
がんばろう。大事な人を守るために。期待に応えるために。魔王を倒すために。
***
ライオネットくんの部屋を出た後、他の宮廷魔術師たちにも会いに行った。
最初に逃げ出したきり会ってなかったけど、そのことを怒る人はいなかった。ライオネットくんの修行を私が受けていたことが伝わっていたのと、私がメフィスを倒したことを知っていたからのようだ。
ローズクレスタを旅立つつもりだという話をすると、みんな応援してくれた。中には、私を弟子にできなくて残念だと言ってくれた人もいた。この人たちの弟子になるのは絶対に無理だけど、気持ちは嬉しかった。
そして今、私は王宮の入口にいる。私が宮廷魔術師たちに挨拶をしている間に、獣車の準備が済んだらしい。ジェシカさんに、これから出発すると声をかけられたのだ。
急だとは思ったけど、反対はしなかった。すぐに旅立つことはわかってたんだから。
「荷物の積みこみは終わってるから、このまま出発できるよ。踏み台置くから、先に乗って」
獣車のそばに立って、ジェシカさんが言う。私は、ジェシカさんが置いてくれた踏み台に足をかけながら、尋ねた。
「ミオちゃんは?」
「声はかけたんだけどね。一人にして欲しいって言われちゃってさ」
「そっか……」
王様との謁見を終えた後、私たちはミオちゃんがこれからどうするかについて、話をした。
孤児院に入るか、王宮で客として暮らすか、それとも働くか。いくつか選択肢は用意できるということ。いずれにしても、私たちは旅立たないといけないから、一緒にはいられないということ。
ミオちゃんは、ゆっくり考えて決めたいから、それまではここでお世話になりたい、と言った。それから、私はライオネットくんの部屋に、ジェシカさんはそのことを伝えに王様の書斎に向かった。
ミオちゃんにも、きちんとお別れしたかったな。見送りに来てくれるものだと勝手に思っていたけど……でも、ミオちゃんがそう言うなら、今から会いに行くのも悪いよね。
どうか、元気でいてくれますように。心の中でそう祈って、私はココアを抱え、獣車に乗り込む。
「サーシャ、これお尻の下に敷いたらいいよ。お尻痛くならないから」
「ありがとう、ジェシカさん」
後から獣車に乗り込んできたジェシカさんが、座席の後ろにある荷台から、布製のクッションを取って手渡してくれる。
初めて獣車に乗ったとき、ひどい目にあったから、これは本当にありがたい。試しに座って見ると、とてもふかふかしていて座り心地がよかった。
「柔らかくて気持ちいいでしょ? ガービーの羽毛が詰まってるんだよ」
「ガービーってこんなに柔らかかったっけ?」
「大人はごわごわしてるけど、子どもの羽毛はフカフカなんだ。大人の羽毛を使ったやつもあるんだけどね。今サーシャが使ってるのは、つまり結構いいやつってこと」
「へぇー……」
手でクッションを押してみる。ガービーの子どもも、これぐらいふかふかってことだよね? 触ってみたいなぁ。
クッションに夢中な私を見て、ジェシカさんはにっこり微笑むと、御者台に座った。
「じゃあ、出発するよ、サーシャ。忘れ物はない?」
「うん、大丈夫」
元々、私の私物なんてほとんどない。布製のカバンに入れた魔法大全と、最初から着ているワンピース、あとはココアくらい。
着替えとか、日用品とか食料とかはジェシカさんが積みこんでくれたし。私が用意しなければいけないものは、もうない。
「よし、出発!」
ガービーに、ジェシカさんがムチを入れる。ゆっくりと獣車が動き出す。
私は獣車から身を乗り出すように、後ろを見た。三ヶ月そこで過ごした王宮が、ちょっとずつ、ちょっとずつ遠ざかっていく。
ミオちゃんが追いかけて来てくれないかな、なんて期待をしてしまう。けど、王宮の入口は閉じられたまま。
「また会えるよ」
私の心を見透かしたように、ジェシカさんが御者台から声をかける。
「だから、ちゃんと帰って来よう? ね?」
背を向けたままのジェシカさんにこくりと頷き、私は獣車から身を乗り出すのをやめて、クッションに座った。
魔王を倒して、二人でここに戻って来よう。強く、そう思った。
***
「ガルバルディアに行くには、ここからずっと東にあるウォーロックっていう砦で手続きをしてから、クリミア平原を抜けないといけないんだ」
ローズクレスタの城壁を出てしばらく、これからの予定について私が聞くと、ジェシカさんがそんな説明をしてくれた。
「そこまでどれくらいかかるの?」
「ハイルブロントを端から端まで行かないとダメだからなぁ。グリフィーネだと速いんだけどね。毎日野宿して、ほとんど休憩なしで行っても10日くらい」
「普通に行きたい」
「そうなると、倍はかかるねぇ」
20日もかかっちゃうのかぁ。ハイルブロントってすごく広いんだね。
「とりあえず、今日はエミルの村ってところに寄って休憩だね」
「エミルの村?」
「いいところだよー? 村にしては結構広いし、住んでる人は優しいしさ。そこを拠点にしてる冒険者も結構いるから、冒険者ギルドの支部もあるしね。あっ、そうだ」
突然、ジェシカさんは何かを思い出したらしく、腰につけたポーチを漁り始める。
そして、一枚のカードを取り出すと、御者台に乗ったまま、私の方へ差し出した。
「これ、サーシャのギルドカード。これがないと村に入れてもらえないからね。無くしちゃダメだよ?」
「え? いつの間に……っていうか、ギルドカードって、冒険者ギルドで試験を受けないともらえないんじゃなかったの?」
「メフィスを倒した勇者に、今更何の試験するのさ」
ケラケラ笑いながら、ジェシカさんは私にギルドカードを手渡した。
石を薄く削って作られているらしいそのカードは、手に取ると結構重かった。
一番上に、私の名前と職業が彫られている。中段には「この者をS級冒険者と認める」と刻まれていて、あとは一番下には冒険者ギルド発行という文字と、発行された日付があるだけ。
何だか、思っていたよりずっとシンプルだ。
「ジェシカさん。このS級冒険者ってなに?」
「冒険者のランクだよ。ランクによって、ギルドで受けられる依頼の種類が変わるの。最初はFから始まって、E、D、C、B、A。で、一番上がS級なんだ。どんな依頼でも受けられるよ」
「なんで、私がSなの? Fからスタートじゃないの?」
「だから、それはサーシャがメフィスを倒したからだって。四天王倒すより難しい依頼なんて、冒険者ギルドにないから」
「ジェシカさんもS?」
「そうだよー? サーシャと出会った頃はDだったけどね」
おぉ……ジェシカさん、物凄いスピード出世だ。私は尊敬のまなざしを送りつつ、ギルドカードを無くさないように、しっかりとカバンにしまう。
「ところでさ、サーシャ。ずっと気になってたんだけど」
「なに?」
「何やってるの? それ?」
酸素吸入器のように、ずっとココアを鼻と口に押し当てている私を見て、ジェシカさんが呆れたような顔をする。
「修行」
「ココアの?」
「私の」
「ココアかわいそうじゃない、それ?」
「魔王を倒すためだから」
会話しながらも、私はしっかりと子猫吸引を維持する。移動時間長いからね。有効活用していかないとね。
よーしよし、暴れないでねー、ココア。あとで美味しいもの食べさせてあげるからねー。
「よくわかんないけど、そろそろ下ろしてあげたら? ローズクレスタ出てからずっとそうしてるじゃん」
「んー……わかった」
ちょうど、ついさっきMPとかしこさが増えたところだったので、一旦ココアを足元に下ろしてあげる。
ココアはぶるぶるっと体を震わせてから、大きく体を伸ばした。そして、体を捻り、ペロペロと毛づくろいを始める。
かわいいなぁー……。
「ジェシカさん、ココアにおやつあげてもいい?」
「いいよー? 荷台の樽に保存食が入ってるから。でも、あげ過ぎないようにね」
「わかった。ありがとう」
ごそごそと、座席の背もたれを乗り越えて、後ろの荷台へと移動する。
ごちゃごちゃと積まれた荷物の間を縫うように移動して、目当ての樽を探す。
樽……樽……いくつかあるけど、まあとりあえず、一つずつ開けてみようかな。
カパッ。
「あっ」
「え?」
樽を開けると、中にミオちゃんが入っていた。
***
「じゃあ、ずーっと樽の中に隠れてたの!?」
「う、うん」
ジェシカさんに言って、獣車を止めてもらってから、私たちは密行者を問い詰めていた。
っていうか、まあ、ミオちゃんなんだけど。
「あんな狭い樽の中で、何時間もよく我慢できたね、ミオ」
「感心しないでよ、ジェシカさん! 怒るところだから! っていうか、なんで気づかなかったの!?」
「だって、まさか樽の中に人がいるとは思わないじゃん……」
ミオちゃんの手口はこうだ。
部屋を抜け出して、獣車に積む荷物を準備しているジェシカさんのところへ行く。
ジェシカさんが樽に食料や水を詰めている隙に、まだ中身を入れていない樽に忍び込んで、蓋を閉める。
ミオちゃんが入った樽を、ジェシカさんはそうと気づかず獣車に積む。
そして、今の今まで息をひそめて、樽の中に隠れていた。
「いや、おかしいよね!? 空っぽだったはずの樽の蓋が閉まってたんでしょ!? 普通気づくよね!?」
「いやいや、用意しなきゃいけない荷物いっぱいあったから、そんなところまで気がつかなかったんだって!」
「気づいてよ! もー、どうするの!?」
「どうするって、そりゃあ、引き返すしかないけど……」
「い、嫌っ!」
ジェシカさんの言葉を聞いて、ミオちゃんはがしっと樽にしがみついた。
いや、樽にしがみついたところで、ジェシカさんなら樽ごと持ち上げられると思うけど。
「私も一緒に行きたい!」
「ダメだよ、ミオちゃん。私たち、今から魔物と戦いに行くんだから」
「そうだよー? 死んじゃうかもしれないんだよ?」
「それでもいい! 一緒に行きたいの!」
相変わらず、樽にへばりつくミオちゃん。けど、こればっかりは聞いてあげるわけにはいかない。
「良くないよ。それに、お城の人たちだって今頃心配してるよ。ミオちゃんがいきなりいなくなったって」
「ちゃんと書置きしてきたから大丈夫!」
なんて抜け目のない10歳だ。
「それでもダメ! 私たち、街を襲ってきた魔物より、強い魔物と戦わないといけないんだよ? 危なすぎるよ! 絶対ダメ!」
「わかってる! それでも、サーシャちゃんと一緒がいいの!」
「全然わかってない! ダメったらダメ!」
聞き分けのないミオちゃんを、私は思いっきり怒鳴りつけた。
そういえば、前世でも、私たち看護師の言うことを聞かない患者さんがいた。
絶対安静だと言っているのに、大丈夫だから、別にいいから、そうなったらそうなったとき……色んな言葉で、ワガママを貫いた人たちがいた。
中には、そのせいで本当に容体が悪化して、命を落としてしまった人がいた。
治そうと思っていたのに。助けようと思っていたのに。
「私はミオちゃんに元気でいて欲しいの! 魔王を倒したらちゃんと帰るから! お願いだから、お城で待っててよ!」
「だって……だって……」
息が切れるくらい力いっぱい叫ぶと、ミオちゃんは泣きそうな顔でうつむいて、
「だって……サーシャちゃんがいないと……私、一人ぼっちになっちゃうんだもん……」
ちくり、と胸が痛む。
私だって、お城を離れるとき、寂しかった。ミオちゃんが一目顔を見せてくれないかと期待して、獣車から身を乗り出すくらいに。
でも、私にはココアがいる。ジェシカさんがいる。けど、お城に残されるミオちゃんは一人ぼっちだ。
だからって連れて行くのは絶対に無理だけど。そんなふうに言われたら、返す言葉が見つからない。
「そっか。そうだよね。うん、ミオの気持ちはわかったよ」
私が何も言えないでいると、すぐそばで私たちを見守っていたジェシカさんが口を開く。
ジェシカさん、まさか、ついて来ていいって言うつもり? そんなの、絶対にダメだよ。
必死に目で、ジェシカさんに訴える。でも、ジェシカさんの目は、ミオちゃんにだけ向けられていた。
「あたしね、サーシャと約束してるんだ。絶対、サーシャのことは守るって」
けど、ジェシカさんが口にしたのは、私の予想と全然違う言葉。
なんで、今、その話?
「だから、サーシャのことは絶対守るつもり。でも、ごめん。あたし、ミオまでは守り切れない」
きっぱりと、ジェシカさんは言い切った。
その強い口調に、ミオは何も言えないでいる。
すると、ジェシカさんは少し表情を緩めた。
「絶対、サーシャは無事に連れて帰るから。だから、信じて待っててくれないかな」
ミオちゃんは、黙って拳をぎゅっと握りしめている。
わかった、と言ってくれそうな気配はない。でも、ミオちゃんを連れて行くわけにはいかないんだよ……。
私が困り果てていた、そのとき。不意に、いくつもの、ざざっという足音が耳に飛び込んできた。
「面倒なのに目をつけられちゃったね……ごめん、ちょっと話をしてる場合じゃないかな。っていうか、悠長にしゃべりすぎたね」
ジェシカさんが、腰の剣に手をかける。
いつの間にか、私たちは獣車ごと、盗賊らしき集団に取り囲まれていた。