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ふわふわ11 初めての友達と勇者の自覚

「光よ、彼の者を魂の戒めから解き放ちたまえ。ゆめうつつに還る。ディスペル!!」


 ベンチに座ったサーシャちゃんに向けて、私の手のひらから光が打ち出される。

 光はサーシャちゃんの胸に吸い込まれていき――彼女はハッとしたように目を見開いた。


「あ、あれ? 私……」

「――よし、成功」


 鑑定のスキルを発動し、サーシャちゃんの備考から魅惑チャームが消えていることを確認する。

 あの後、私は何とかサーシャちゃんを引きはがし、近くにあったベンチに座らせた。そして、魔法大全で魅惑チャームを解く魔法を探して、サーシャちゃんの魅惑チャームを解いたのだ。


「ごめんね? わざとじゃなかったんだけど……大丈夫?」

「大丈夫って、なにが?」


 サーシャちゃんは不思議そうな顔をする。たぶん、魅惑チャームにかかってた自覚がないんだな。


「サーシャちゃん、私のせいで魅惑チャームにかかってたんだよ」

魅惑チャーム? あぁ、だからさっきまで、サーシャちゃんを見てるだけで心臓がドキドキして切ない気持ちになってたんだ」


 それだけ自覚症状あってどうして気づかないのかな?


「と、とにかくね。私に触ったら魅惑チャームにかかっちゃうから、気をつけて」

「私は全然いいけど……?」

「よくないと思うけど!?」

「サーシャちゃんふわふわで気持ちいいし、あれに比べたら魅惑チャームにかかるくらい全然」


 初対面の距離感バグってない? おかしいな、もう魅惑チャーム切れてるんだけどな。


「と、とにかく! 魅惑チャームはもう解いたから! 帰って大丈夫だよ、サーシャちゃん」

「え? なんで? 案内するって約束したよね?」


 約束はしてない気がする。というかしてない。


「それは、魅惑チャームにかかってたから言ったことでしょ? 無理に案内してもらうのなんて悪いよ」

「ううん、関係ないよ? サーシャちゃん、ここのことよく知らないんでしょ? 子どもだけだと危ないところもあるから、私、案内するよ」


 サーシャちゃんがいたところで子どもだけなのは変わらないと思うんだけど……避けて案内してくれるって意味なのかな?

 正直、全然道とかわからないから、案内してもらえるのはありがたいけど……。


「本当にいいの?」

「うん、もちろん!」


 屈託なく微笑むサーシャちゃん。首をちょこっとかしげると、短いサイドテールがぴょこんと揺れた。

 か、可愛い。ぎゅってしたい。ダメだ、また魅惑チャームをかけてしまう。っていうか私が魅惑チャームされてどうする。

 ふるふると頭を振って邪念を吹き飛ばす。


「でも、お互いサーシャじゃややこしいね」

「じゃあ、私のことはミオって呼んで。30(ミオ)だから」

「わかった。じゃあ、よろしくね、ミオちゃん」

「うん、よろしく!」


 私はサーシャちゃん改めミオちゃんと、笑顔で握手を交わした。


「ふわぁ……えへへぇ……サーシャちゃん、最初はどこに行きたいー?」


 やっちまったぜ……私は腕に抱き着いて頬ずりしてくるミオちゃんを引きはがし、もう一度ベンチに座らせるのだった。


 ***


「ここがダウンタウンで一番にぎやかな通りだよ。露店も一番多いんだ。色んなギルドの本部もここにあるの」


 無事、魅惑チャームから解放されたミオちゃんは、無邪気な笑顔を浮かべながら、大通りの真ん中で両手を広げて見せた。


「冒険者ギルドなら行ったことあるよ」

「他にもギルドはたくさんあるんだよ? 商人ギルドでしょ? 職人ギルド。魔術師ギルドもあるよ。あとは、占い師ギルドに、絵師ギルドでしょ? それからペットギルドでしょー」

「ほ、本当に色々あるんだね……」

「パパと私は商人ギルドに入ってるよ。ギルドに入ると、色んな情報が入って来たり、依頼を出したり受けたりできたりするし、色々特典があって便利なの」


 10歳の幼女とは思えないくらい、スラスラと説明してくれるミオちゃん。これが話術のスキルなのかな? さすが、ジェシカさんの倍のかしこさを持つ幼女だ。

 いや、ジェシカさんはジェシカさんで素敵なんだよ? うん、ちょっとかしこさのステータスが低めなだけで。


「とりあえず、歩いて適当に見て回る? 興味があるものがあったら、説明するから」

「ありがとう、ミオちゃん。じゃあ、そうするよ」


 ココアを抱っこしたまま、テクテクとミオちゃんの隣を歩く。しっかりと両手感覚くらいの距離をとって。接触するとまずいからね!!

 若干残念そうな顔をしているミオちゃんに申し訳なく思いつつ、私は通りに並んだ出店を眺めていた。獣車に乗ってたときから気になってたんだよね。

 ふと、いい匂いが鼻腔をくすぐる。


「ん、なんかあっちからいい匂いがする」

「あ、たぶん、ガービー焼きの屋台だよ」


 なんですと?


「ガービーって……あの、獣車の?」

「うん。おいしいんだよ? ガービーの肉」


 確かに、受付のお姉さん――エルザさんもガービーは食べられるって言ってたけど……。でもなぁ、元の姿を知っていると食べにくいっていうかぁ……。

 ぐぅ……。


「すいません、この、ガービーの串焼き一つください!」


 私は屋台に駆け寄って、割と迷いなく財布の中から硬貨を取り出した。

 いや、ほら、日本にいたときも鶏とか普通に食べてたし。別に、私が乗ってた獣車のガービーの肉じゃないし。あとはその……だって、めっちゃ美味しそうなんだもん、ガービー。

 ごめんね、ガービー。美味しく食べるからね。それが君への弔いだ、うん。

 私はガービーの串焼きをお店の人から受け取る。ぶつ切りにした皮つきの分厚い肉が、串に六つも刺さっている。香ばしい香りを漂わせるそれに、私はすぐにかじりついた。


「あちち……おいひぃー♪」


 すっごくおいしい。皮はパリパリで、肉は歯ごたえがあってジューシー。味付けは塩だけとシンプルだけど、それがむしろ肉の旨味を引き立てている。

 お城の料理も美味しかったけど、私には上品すぎるんだよね。コンビニ飯で日々を過ごして来た私には、これくらいのジャンクなものが合ってる。

 あれ、なんだろう涙出てきた……私の前世、果汁が少なすぎるよ……。前世の苦い記憶をかみしめるようにしながら、私はあっという間に、串焼きの肉を二つ平らげた。


「ね? 美味しいでしょ?」


 ガービーに夢中な私の横から、ミオちゃんが声をかけてくる。


「ミオちゃんは買わないの?」

「私はそんなにお金持ってないから」


 私の質問に、ミオちゃんは苦笑する。んー、この国のお金の価値がまだイマイチわからないけど、この串焼きって高いのか。

 確かに、日本でも観光地の出店とか割高だもんね。そういう感じなのかな?


「じゃあ、半分食べてよ。ちょっと多いと思ってたの」

「え? いいの?」

「いいよ! 案内してくれてるお礼!」

「で、でも……」


 私が差し出す串焼きを見て、困ったように視線を泳がせるミオちゃん。

 遠慮なんて、10歳なのにしっかりしてるなぁ。私が10歳の頃だったら、大喜びで迷わず食べてたよ。

 いや、今は私も10歳なんだけどさ。中身は大人だしさ。そうなんですぅー。大人なんですぅー。

 すると、ミオちゃんはためらうように上目遣いで私を見た。


「いいの……? 間接キスになっちゃうけど……」


 そう言われるとよろしくねぇな。


「そういうの気にしなくていいから! 食べて!」


 半ば無理矢理、ミオちゃんに串焼きを押し付ける。おかしいな、魅惑チャーム解けてるんだけどな。

 赤面しながら、ミオちゃんは遠慮がちに串焼きをかじり始めた。私のイメージにある10歳児の表情ではない。


「お、美味しい?」

「え? う、うん。ひ、久しぶりに食べたから」


 そんなにテンパらないでよ、ミオちゃん。こっちまでドキドキしちゃうでしょ。


「そっか、よかった。でも、不思議だね。ガービー、ボケーっとした顔してるけど、食べたらこんなに美味しいなんて」

「えっとね、大人になったガービーの肉はもっと硬いらしいんだけど、食用のガービー肉は子どもの肉なんだって。だから、柔らかくて美味しいんだよ」

「おぉう……それはあんまり知りたくなかった……」

「え? そう? えっと……ごめんね?」

 

 私が複雑な顔をすると、ミオちゃんは不思議そうな顔をしながら謝ってくれる。私の方から振った話題だから、謝らなくてもいいのに。いい子だなぁ。

 こんないい子に道を踏み外させるわけにはいかない。もう絶対魅惑チャームをかけないようにしなければ。


「ねぇ、ミオちゃん。次はあっちの出店に行ってみたいんだけど、いいかな?」

「ん? あぁ、あそこは民芸品屋さんだよ。それなら、もうちょっと先に行ったところにあるお店の方が品ぞろえがいいよ」

「そうなんだ。じゃあ、そっちに案内してもらっていい?」

「うん、いいけど、ちょっと待って」

「ん?」

「半分こって約束だったから」


 ミオちゃんは、肉が一つだけ残った串を差し出しながら、


「あーん……」


 この世界の10歳破壊力ありすぎるだろ。

 ミオちゃんから全力で目を逸らすと、串焼き屋の店員と目が合った。おいこら、見世物じゃないぞ。顔を覆って目の隙間からこっちを見るのをやめろ。

 いや、いやいやいや! 何もやましいことなんてない! 10歳の女の子同士で串焼きを食べさせ合ってるだけだ! レアなシチュではあるが何もおかしくはない!

 そうだよ、おかしいと思う方がおかしいんだよ! こういうのはさらっといけばいいんだよ! なに? 全然さらっといってないって? うるさい今から行くから!


「ありがとういただきます」


 早口にそう言って、パクっと串焼きを食べる。なぜか、ミオちゃんは私をジッと見つめてくる。

 食べにくい。味がしない。早く、早く噛んで飲み込まなければ。


「じゃあ、お店に案内してよ、ミオちゃん」

「う、うん!」


 ガービーの肉を急いで咀嚼し飲み込んだ私の言葉に、頷くミオちゃん。

 私はミオちゃんの後に続こうとして、ふと足元にふわっとした感触を覚えて立ち止まる。


「ナァーオ……」


 ああ、ごめん。ココアの分のお肉も残してあげればよかったね……。


 ***


賤民街ダウンタウンで宿を取るなら、ここがいいよ。ちょっとだけ高めだけど、防犯はしっかりしてるし、使ってる客にも変な人はいないから」


 日が傾いて来た頃、もうそろそろ帰らないといけないからということで、ミオちゃんは最後に宿屋に案内してくれた。


「ミオちゃん、今日は本当にありがとう」

「ううん、私もすごく楽しかったよ」


 私がお礼を言うと、ミオちゃんは無邪気に白い歯を見せて笑う。

 あの後、賤民街ダウンタウンの色々なところを回った。特に楽しかったのは、外壁の周りを覆う堀を移動する渡し船。

 ヴェネチアのゴンドラみたいな感じで、ぐるりと広大な堀を一周している。移動速度は徒歩よりは速い、という程度だけど、外壁へとつながる橋の下をくぐるときはテンションが上がった。

 堀の中には見たこともない魚が泳いでいて、私は思わず手を伸ばそうとしたんだけど「指を噛まれるから」とミオちゃんに慌てて引っ張り戻された。

 そのあと、渡し船を降りるまでずっとミオちゃんに抱きつかれてたけど……まあ、それを差し引いても十分楽しかった。魅了チャームは船を降りた後で解いた。


「サーシャちゃんは、明日はどうするの? お姉さんと会うんだよね?」

「え? う、うん。そうだね」

「その後はどうするの?」


 その後は……一旦、お城に帰って……。


「たぶん、ローズクレスタを出ると思う」

「……そっか」


 しゅん……と、ミオちゃんは目を伏せた。

 ずきっと心が痛む。ミオちゃんは本当によくしてくれたし、何だかんだあったけど、今日は楽しかった。

 もうお別れなんて、私だって寂しい。けど、私は勇者だ。どれだけ時間がかかるかわからないけど、魔王を倒して、世界を救わないと。

 そんなことすら、ミオちゃんに説明しないまま別れてしまうのは、本当に申し訳ないことだけど。


「えっとね、じゃあ、街を出る前にうちの店に寄ってくれないかな? グリフィーネ、預かったままだし」

「え、いいの? 預かってもらって。今から引き取りに行くよ?」

「いいのいいの! あ、でも、店の場所わかるかな?」

「それは大丈夫。今日色々回ったから、ミオちゃんの店の場所も大体覚えてる」

「わかった。じゃあ、明日、グリフィーネと待ってるね」

「うん。本当にありがとう、ミオちゃん」


 ただ、お礼を言うことしかできない私に、ミオちゃんは「いいよいいよ」と笑って、手を振りながら帰って行った。

 明日、ジェシカさんに会える。それはすごくうれしい。

 でも、明日で、たぶんミオちゃんとはお別れしないといけない。それはとても寂しいことで。

 中身はいい大人のくせに。私はとても複雑な気持ちで、いつまでも手を振っているミオちゃんを見送った。


 ***


 朝が来た。昨日の観光で随分疲れていたらしい。日はすでに高く上がっていた。

 ジェシカさんが帰ってくるのは夕方になるって聞いてるから、入れ違いってことはないだろうけど……早く起きて、関所に行って確認しなきゃ。

 のそのそと体を起こすと、ココアが「ナァーオ」と私の上に乗って鳴く。


「ふわぁ……ごめんごめん、お腹空いたね」


 ごそごそと、荷物から自分とココアの分の朝ごはんを出す。私の分は昨日、お店で買ったパン。ココアの分は、魚の干物だ。魚の名前はちょっと覚えてないが、見た目はサンマに似ている。

 干物をココアに差し出すと、すぐにバリバリと食べ始めた。私もベッドに入ったまま、もふもふとパンをかじる。

 お行儀が悪いと言われるかもしれないが、前世の私は大体こういう生活スタイルだった。コンビニのおにぎりやパンが入った袋を枕元に置いて死んだように眠り、ゾンビのように置きだしてベッドで朝食を取る。

 ご飯を食べて目が覚めたら、ゾンビのようにベッドから這い出して、洗面所で顔を洗って身だしなみを整え、着替えて出勤。

 もしかして……今の私ってすごく幸せなんじゃないだろうか。


「ナァーオ」

「まだ食べたいの? ココアは食いしん坊なんだから」


 おかわりを催促するココアに、もう一枚、魚の干物を食べさせてあげる。見た目に対して食べ過ぎだと思うが、本当のサイズはもっと大きいもんね。きっとお腹が空くんだろう。

 もしブクブクのおデブちゃんになっちゃったら控えさせるようにするけど、今はまだいいや。

 ベッドから起きだして、洗面所で髪を整える。生前のように、ボッサボサになってない。若いってすごいなぁ。

 顔を洗って、歯磨きして、着替えをする。私の準備が整うと、ココアも朝ごはんを食べ終えて、足元にすり寄ってきた。

 毎晩吸われて迷惑そうにしているのに、ケロっと忘れて次の日にはくっついてくるところが可愛い。


「よし、じゃあ、出かけよっか? ココア」

「ナァーオ」


 ひょいっとココアを抱き上げると、ココアは長い声で鳴いた。

 その時、だった。


 ゴーン! ゴーン! ゴーン! ゴーン!


「な、なに!?」


 けたたましい鐘の音が響く。私は慌てて荷物を担ぎ、ココアを抱きかかえたまま部屋を飛び出した。

 見ると、私と同じように部屋を飛び出してくる人がたくさんいた。みんな混乱している様子。

 そんな中、誰ともしれない男性の叫び声が、私の耳に飛び込んできた。


「魔物の大群が襲撃してきたぞ! 外壁の中に避難しろー!」

 

 さっと血の気が引いていくのを感じた。

 魔物の大群? ローズクレスタに? ジェシカさんは大丈夫なの?

 みんなが、パニックになって宿を飛び出していく。入口は大勢の人たちがひしめき合い、完全に塞がっている。

 行かなくちゃ。外壁の内側に、ではない。ジェシカさんを迎えに、行かなくちゃ。

 私は自分の部屋に戻って、窓を開け放つ。


「ふわふわ!!」


 ふわりと浮き上がる私の体。ふよふよと浮遊する身体をコントロールして、表通りへと移動する。

 大勢の人たちが、外壁の門へとつながる橋を目指して移動している。あの流れに逆らって移動するのは大変だ。なんとか、関所がある城壁にたどり着けそうな場所に着地しないと。

 人のうねりを観察しながら、スペースを探す。それは、望外にも簡単に見つかった。


 ――ひしめき合っていた大勢の人たちが、空から飛来した巨大な岩石の直撃を受けて、吹き飛んだから。


「……は?」


 一目でわかった。ロックバリスタ。土属性の中級魔法だ。

 呆然としているうちに、次々と岩石が城壁の向こう側から放り込まれてくる。

 城壁を守る人たちが、大砲で必死に岩石を迎撃しようとしているが、飛んでくる岩石に大砲の弾を当てるなんて容易なことではない。

 宮廷魔術師はみんな王宮にいるし、外壁ならともかく、広大な城壁には数の希少な魔術師は配備されていないらしい。

 ただただ無防備に、逃げる人々は巨石の空襲にその身をさらされている。

 私は表通りに降りた。大岩に潰された人、吹き飛ばされた人の血で、通りはところどころ黒く汚れている。飛び散った肉片が、通りのあちこちに転がっている。

 私はココアを抱えて走った。目指す場所は城壁にある関所ではない。

 ミオちゃんの店。お願いだから、無事でいて。


 ***


 息を切らせながら、私は必死に走った。飛んでくる岩石なんて気にしない。あれは、魔力を砂に変換した上で、それを無理矢理魔力で押し固めてつくったもの。

 要するに魔力の塊だ。魔法攻撃拡散を持っている私には、直撃したってダメージにならない。岩が砂に戻るだけだ。

 宿屋から、ミオちゃんの店までは遠くない。私の足でも、必死に走れば数分で着くような距離だ。


「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

 ココアを抱えたまま、走って走って――私は、足を止めた。

 ミオちゃんは、無事だった。


 ミオちゃんは、大岩で潰された自分の店の前で、座り込んで泣いていた。


「パパ……パパぁ……」


 ミオちゃんの傍らで、グリフィーネがそれを守るようにたたずんでいる。

 店をつぶしている大岩の下には、黒っぽい染みが広がっていた。よく見れば、岩の下から、何かが出ている。

 それはまるで、ミオちゃんに向けて伸ばされているような、人の手だ。


「ミオちゃん……」


 今も岩が降り注いでいる、ということもふと忘れて、私はふらふらとミオちゃんの元へ歩み寄った。

 ミオちゃんが、真っ赤に泣きはらした顔をこちらへ向ける。ミオちゃんは、まるで這うように、私のところへ近づいてきた。


「サーシャちゃん……パパが……パパがぁ……ぐす……助けて……パパを、助けて……」

「助けて……って?」

「サーシャちゃん……魔法……ぐす……魔法使える……でしょ? 魔法で……パパを……助けて……」


 無理だ。体力を回復する魔法はある。でも、こんな……明らかに亡くなってしまった人間を生き返らせる魔法なんて、少なくとも魔法大全には乗ってない。

 そう……どう見ても、亡くなっている。一目でわかる。生前の中途半端な経験が、極々わずかな希望的観測さえも完全に否定する。

 昨日、見ず知らずの私のために、あんなに親身になってくれたミオちゃん。あれだけ世話になっておきながら、助けを求められているのに、私は何もできない。

 突如、町全体に声が響き渡った。


『ローズクレスタにいる勇者に告ぐ。我こそは魔王軍四天王の一人、メフィス』


 締め上げられた喉から無理矢理絞り出したような、おぞましい声だった。

 そんな声なのに、不思議と街全体に届いているように感じる。きっと風属性の魔法にある、声を遠くまで届ける魔法を使っているんだろう。


『住民への攻撃をやめて欲しくば、一人で我が軍の前に来い。一人でだ。ケット・シーは置いて来い。さもなくば、我が軍の魔法部隊の攻撃によって市街地を蹂躙する』


 その言葉を最後に、声は止んだ。同時に、とめどなく撃ちこまれていた大岩も、ぴたりと止んだ。

 私がこの街にいることがバレている理由は、簡単にわかる。この前の吸血鬼にだって顔もバレていたんだから。

 住民への攻撃をやめて欲しければ、一人で来い? つまり、それってこういうこと?

 私を誘い出すためだけに、こんなことをしたってこと?

 私のせいで、ミオちゃんのパパは殺されたって、そういうこと?

 私の疑問に答えてくれる相手は、この場にはいない。そもそも、答えてもらう必要もない。

 私は、ココアを足元に下ろして、ミオちゃんに言った。


「ココアをお願い、ミオちゃん」

「サーシャちゃん……?」

「黙っててごめんね。私が勇者なんだ」


 言うだけ言って、私はミオちゃんに背を向けた。そして、すぐに歩き出す。

 ごめんねなんて言う資格すらない。私のせいで、ミオちゃんはパパを失ったんだ。

 昨日、あんなに優しかったミオちゃんから、恨み事を言われるのが怖かった。あのキラキラした目が、失望や怒りに変わるのが怖かった。

 ココアをお願いなんて、どの口が言うんだろう。でも、もしものときに、ココアがミオちゃんを守ってくれるかもしれないから。

 大丈夫、私が一人で行けば、ミオちゃんも街の人たちも助かるから。

 これが、私ができる精一杯なんだ。本当に、ごめんね。


 逃げるように立ち去ろうとした私の体を、駆け寄ってきたミオちゃんが体当たりするように抱きしめた。


「サーシャちゃん、行っちゃダメ」


 ふわふわのスキルがあったから、体当たりされたときの衝撃はふわっとしたものだった。

 でも、力強く私の体を抱きしめる感触は、痛いくらいにはっきりと伝わってくる。


「一人でなんて……危ないから。行っちゃダメ。外には怖い魔物がいっぱいいるから。大丈夫、お城の人たちが、守ってくれるから。だから、一緒に逃げよう?」


 私のせいで、たった今パパを失ったのに。

 助けを求めても、私は何もしなかったのに。

 私がここで逃げたら、街への攻撃はやまないのに。

 狙われている私と一緒に逃げるなんて、何より危険なことなのに。

 なのに、こんなことを言うのは、魅惑チャームにかかったせいだろうか。

 でも、私を抱きしめる前ミオちゃんは、魅惑チャームにはかかっていなかったはずで。


 ――あぁ、やめようこんなのは。泣きたくなるくらい立派なミオちゃんの優しさをおとしめるようなことは。


「ミオちゃん、私は行くよ」


 力づくで、私はミオちゃんの手を外す。そして振り向いて、その肩を力強く掴む。


「私は勇者だから。勝って、絶対戻ってくるから。ミオちゃんも、街の人たちも守るから。だから、ここで待ってて」


 真剣に、ミオちゃんの目をじっと見る。ミオちゃんはしばらく、何かを言いたそうにしていたけど、やがてうつむいた。

 わかってくれたみたい。私は、ミオちゃんの肩から手を離し、城壁に向かう。

 メフィスって言ったっけ? 待ってなさいよ。


 私は今、本気で怒ってる。


 ***


 城壁の門を抜けて、平原に出る。そこにはずらりと、魔物の群れが並んでいた。

 その中央に、ヤギの頭とコウモリの羽を持った、人型の魔物がたたずんでいる。

 魔物の群れに向かってしばらく歩いていくと、その人型の魔物が声を発した。


『貴様が勇者か』


 私の容姿を見て、さして驚いた様子もない。やっぱり、事前に知ってたんだろう。

 魔法大全を取り出して、パラパラとページをめくる。えっと……ああ、これだ。


「風よ。神の息吹よ。我が言の葉を乗せて彼方へと届けたまえ。ボイスエクスパンド」


 呪文によって、魔法の構成が練られ、そこに魔力が通い――魔法が発動する。


『サーシャ・アルフヘイム。私が勇者よ。約束通り、一人できたわ』


 無意識に、前世の口調が出る。正確には、前世で不機嫌なときに出る口調。


『この軍勢の前に一人で出てくるとは、さすがは勇者と褒めておこう。そして、死ね』


 それを合図にしたかのように、魔物たちが一斉に、魔法の構成を練り上げるのを感じた。

 見るからに肉弾戦型の魔物たちは、こっちに向かって、砂煙をあげながら突っ込んでくる。

 私は魔法大全をしまい、魔法の構成を練っている魔物たちへと手をかざす。


「ファイアボール!!」


 私の手のひらから、巨大な火球が発射され、魔法の準備をしていた魔物の一団を吹き飛ばした。

 攻撃を受けていない魔物たちも、集中力を乱されて、せっかく練り上げていた構成を崩壊させてしまう。

 こちらに迫っていた前衛部隊も、思わずと言った様子で足を止めた。

 じゃあ、この隙に前衛を始末させてもらおうか。


「海よ、海よ、海よ。あらゆる生命の母なる海よ。その偉大なるはらの内へ彼の者たちを還したまえ。我が呼び声に応じ、来たれ。それは星の胎動。それは母の抱擁。タイダルウェイブ!!」


 呪文の補助を借りて練り上げた複雑な構成に、魔力を注ぎ込み、放つ。構成は魔力で大量の水を作り出し、それは凄まじい質量と速度を持って、一気に魔物の群れへと押し寄せる。

 魔物の群れは慌てて逃げ出そうとしたが、遅い。遅すぎる。前衛の魔物たちはなすすべもなく水に飲みこまれ、もみくちゃにかき混ぜられ、次々にHPを0にしていく。


『テレレテッテッテーン』


 あぁ、レベルあがったのね。けど、今は構ってる暇ないから。


「ファイアボール! ファイアボール! ファイアボール!!」


 やや遠方にいる、敵の魔法部隊へ連続して火球を叩き込んでいく。

 私が使った、津波を作り出す魔法で生じた水は、すでに跡形もなく消え去っている。所詮、魔力で作った水なので、ある程度時間が経てば分解して魔力に戻るのだ。

 岩をつくる魔法みたいに、強く魔力を凝集させた魔法だと、結構長い間その場に残っちゃうけどね。


『テレレテッテッテーン』


 魔物をまとめて吹き飛ばしていくうちに、何度かファンファーレの声が聞こえた。けどまあ、今は無視。

 ファイヤボールの連発で、残っていた後衛の魔物もあっという間に始末がつく。もう生き残っているのは、中央に陣取って動かなかった総大将のメフィスだけだ。

 部下があれだけ倒されているのに、その場から一歩も動かなかったメフィス。実は後衛を倒すときに一発ファイアボールを撃ち込んでみたが、ライオネットくんのときと同じようにかき消されてしまった。

 そんなメフィスが、ようやく、ゆっくりとこちらに向かって歩き出してきた。


「詠唱破棄に詠唱省略。勇者は本を読みながら魔法を使うのがやっとだと聞いていたが、情報は間違っていたようだな」

「練習してない魔法だっただけよ」


 身長3mにも達するヤギ頭の悪魔を、私は下から睨み返す。

 ライオネットくんはいじわるだし、嫌なやつだけど、嘘つきではなかった。

 毎日のように虐待を受けながら、まず私が考えたことは「ライオネットくんと戦ってる最中に本なんか悠長に読んでる暇はない」ということだ。

 だから、最初のうちはココアを吸いながら、必死に呪文を暗記した。戦いの中では、容赦なく迫りくるライオネットくんの元素魔法にチビリながら、暗記した呪文を必死に唱えた。

 何度も魔法を使っているうちに、私には何となく、魔法の原理――というより、魔法が発動する手順が理解できてきた。

 まず、私が呪文を唱えると、何とも言えない何かが魔法を発動しようとする部位あたりに作り上げられていく。

 そして呪文を唱え終わるころには、それが完成していて、魔法の名前を叫ぶとそこに、やっぱり何とも言えない何かが注入されていく。

 注入が終わると、例えばファイアボールだったら火球が、アイスニードルだったら氷柱ができあがる。そこまでいけば、あとは勝手に魔法が射出されていくので、それを見守るだけとなる。

 そのことについてライオネットくんに話すと、呪文によってできあがる何かを【構成】と呼び、構成に注入される何かが【魔力】だということを教えてくれた。

 教えてくれるまで、ものすごく手間がかかったけど。めっちゃいじわるされたけど。

 その話は置いておいて、極端な話をすれば、【構成】をつくって【魔力】を流し込めば、魔法は発動することになる。つまり、長ったらしい呪文を唱える必要はないわけだ。

 じゃあ、なんで呪文を唱えるのかと言うと、それは自力で構成をつくるのが難しいから。

 魔法を計算問題に例えると、呪文を唱えるというのは、電卓で計算を行うようなものだ。呪文を正しく唱えれば、電卓で数字を打つように、勝手に正しい構成が作り上げられていく。

 一方、呪文を唱えないということは、暗算で問題を解くようなもの。自力で構成を作り上げないといけない。

 逆に言えば、自力で構成を作れるなら、呪文なんていらないということになる。例えば、1+1の計算をするために、わざわざ電卓を引っ張り出す人はいないだろう。見た瞬間に答えがわかるから。

 これがメフィスの言った、詠唱破棄。メリットは、呪文を唱えるより遥かに速く魔法を発動できることと、魔法の使えない人には魔法を使おうとしてることがバレないこと。

 ある程度ちゃんと魔法が使える人には、相手が練ってる構成を感じることができるから、後者のメリットは薄いけどね。

 詠唱省略というのは、呪文を一部だけ唱えて、自分でできるところは自力で構成を作り、魔法を使う技術だ。詠唱破棄できるほど簡単じゃないけど、全部詠唱するほど難しいわけでもない魔法に使える。

 私は三ヶ月の修行いじめによって、下級呪文や中級呪文なら詠唱破棄、上級の呪文なら詠唱省略できるようになってきている。そして、これはかなーり難しい技術なのだ。

 つまり、何が言いたいかと言うと、誰かこの頑張りを褒めて欲しい。ライオネットくん、褒めてくれないから。むしろ小バカにしてくるから。え? その程度で嬉しいの? みたいな? は?

 腹立ってきたのでメフィスに八つ当たりしまーす。っていうか、元々ムカついてるし!


「天上より来たれ! 神託の光よ! 悪しき者を討つ力、我に与えたまえ! それは天使の階段! 運命の裁き! エクスキューション!!」


 呪文を唱えて放った構成は光へと変化して、メフィスの頭上に飛んでいく。魔法が発動すれば、巨大なレーザーがメフィスの頭を撃ちぬくはずだ。

 しかし、メフィスは手を頭上に掲げると、自分が練り上げた構成を発動しかかっている私の構成にぶつけた。

 直後、私の練った構成が崩壊して、バラバラに崩れ去る。

 ライオネットくんとの戦いで、嫌というほど見せつけられた光景だ。


「雑魚ならともかく、教科書通りの魔法など我には通用せんぞ、勇者」


 魔法大全に載っている魔法は、この世界の魔術師に広く知られた魔法ばかりだ。

 つまり、構成だって知りつくされている。だから、ライオネットくんの言う、本当の魔法使いは構成にアレンジを加えて、敵に妨害されにくいオリジナル魔法を開発している。

 ちなみに、私はまだそんなことはできない。そうなると、できることは一つだけ。


「だったら、全部試す」

「無駄だ。無駄だが……させん」


 魔法大全を開いた私に、メフィスは両こぶしを握り締めて、猛然と襲い掛かってきた。

 魔法使いじゃないの!? 何、物理に訴えてきてるの!?


「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄!!」


 至近距離で、凄まじいラッシュを浴びせかけてくるメフィス。なぜだかとても怒られそうな気がする攻撃だけど、今はそんな場合じゃない。

 ダメージはふわふわが無効化してくれてるけど、MPがすごい勢いで削られていく。私は何とか魔法大全を開きっぱなしにして、呪文の詠唱を始める。

 これで魅惑チャームにかかってくれたらいいのに、なんかそんな気配はない。

 いや、どうだろう。かかってるかもしれないし、一応見るか。鑑定発動!


______________________


名前:メフィスト・フェレス

種族:アークデビル

年齢:1021歳

職業:魔王軍四天王

Lv:73

HP:2156/2156

MP:2800/2800

攻撃力:620

防御力:512

素早さ:653

かしこさ:1024


【スキル】

 火属性魔法(Lv9 Max)

 水属性魔法(Lv9 Max)

 風属性魔法(Lv9 Max)

 土属性魔法(Lv9 Max)

 氷属性魔法(Lv9 Max)

 闇属性魔法(Lv9 Max)

 詠唱破棄(Lv-)

 化身(Lv-)

 状態異常無効(Lv9 Max)

______________________


 ダメだ。状態異常無効だ。しかもステータスがすごく高い。

 攻撃力と防御力、それに素早さは前に戦った吸血鬼より低いけど、とんでもない数字だ。三つとも私の倍以上ある。

 なんて言ってる間に、私のMPがどんどん減っていく。早く、この魔法を完成させないと――


 しかし、突如として、メフィスのラッシュが止んだ。


 私は何もしていない。ただ、呪文の詠唱を続けていただけ。

 なのに、メフィスの目は驚愕で見開かれていて、拳を突き出した体勢のまま動きを止めている。

 その目はじっと見ている。自分が打ち下ろした拳を剣で受け止めたその人物を。

 レザーメイルを身にまとい、マントと束ねた金髪をたなびかせる彼女は、私の方を振り向いて微笑んだ。


「ごめんね、遅くなっちゃったみたいだね。でも、約束通り迎えに来たから」


 ジェシカさんは三ヶ月前と変わらない笑顔で、そう言った。

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